ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

クライバーの続き - 2004年03月10日(水)




昨日はクライバーの86年来日時のことを書いたが、


次に聴いたのは94年、ウィーン国立歌劇場来日公演を指揮した
R.シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」の伝説的公演。



これはキャスティングだけでも
元帥夫人=フェリシティ・ロット
オクタヴィアン=アンネ・ソフィー・フォン・オッター
ゾフィー=バーバラ・ボニー
オックス男爵=クルト・モル
というもの凄い顔ぶれ!



クライバーの「ばらの騎士」というと
年配のファンの方には1974年にバイエルン国立歌劇場の来日公演の方が
印象深いようだけど。


このプロジェクトはDVDにもなっていて
確かに前奏曲からして、もう爆発的なテンションで、
左手なんかブンブン振り回しちゃって
音楽が画面からはみ出しそうなくらい凄い。



それからすると、
このウィーンのプロダクションでのクライバーは
「随分大人しくなって物足りない。」らしい。


ま、あのバイエルンでの記録を見ているとわからないでもない。




しかしながら私が観たのは、それとは全く別物の「ばらの騎士」。

86年に聴いたベートーヴェンを振った時のクライバーとは全く違うクライバーを
体験した一夜だった。



「大人しい」というのはわからないではないけど
それよりももっと音楽が内面化して、
ひたすら心の中へ中へと向かう演奏だった。


若き日のバイエルンとの演奏は、シュトラウス一流の官能と
青春のきらめきがはちきれんばかりに充溢する音楽だったけれど
このウィーンとの演奏は、ホフマンスタールの書いた台本にあるはかなげな黄昏が、これ以上考えられないくらいの透明感をもった音楽になった、
と言ってもいいかもしれない。


ことにオーケストラがウィーン・フィルなのだから!!
このしっとり感は無上のものだった。




今、こうして書いていると色々な場面を思い出すが
なかでも第一幕の終わり、
元帥夫人が「時ってものはなんて残酷なものなの?」
と結婚してからいつのまにか失いつつある若さを思って歌う
長大で静かなモノローグ。

これをはっきりと思い出す。



ここでのロットの歌も気品ある諦念に満ちた素晴らしい歌だったけど
クライバーの指揮するウィーン・フィルはそれ以上。



どんどんどんどん、静かに静かに
音楽が内面へ内面へと降りていく。
元帥夫人の悲しみ、
泣いたり嘆くのではなく、静かに瞑想していく気持ちをやさしくそおっと包んでいって
どこまでも沈潜していく。

ついには心の“裏側!”にまで達して、
ひたすら胸に染みて行く静かな悲しみ。



…いや、こうして書くと
とっても言葉になんかできるものじゃないですね。





その時の信じ難い体験に、私の思いは果てしがなかった。
またしても、
音楽にはここまでのことが可能なのか?
と。




みんな思っていることだろうけど
それにしても、この「超・天才」のカルロス・クライバーは
今どこで何をしているのだろう?









...

真の天才 - 2004年03月09日(火)




グレン・グールドのCDを聴くといつも
ここでピアノを弾いている人はこの星の人間ではなく
何か別の生き物のような気になってくる。




私は「天才」「天才」とよく自分の聴いた音楽家のことを
軽々しく書いてしまうが


グールドのような破格の「天才」にはそうそうお目にかかれない。



ましてや実演でそんな人に何人めぐりあったか?



アルゲリッチ?ポリーニ?
現代それ以上を望めないくらいの、最高級のピアニストには違いない。


でも彼らは「人間」の範疇にいる気がする。



リヒテル?
…彼は確かに凄い「天才」だったかもしれない。




ではグールドのような真の「天才」というのは
現代に存在するのか?




答えはYes。
指揮者のカルロス・クライバーだ。



クライバーこそは他の演奏家とは次元の違う
超天才指揮者だ。


私は幸運にもクライバーの指揮するコンサートを2度も聴けたが
いすれもなんだか現実のものとは思えず
ある「奇跡」の場だった。




最初に聞いたのは1986年、
バイエルン国立管弦楽団との来日公演で
会場は昭和女子大学人見記念講堂。
曲はベートーヴェンの交響曲第4、第7交響曲。



クライバーがいかに凄い指揮者かは
それまでCDで聴いてかなりのものを感じていたので
会場に行くのもすごく緊張したのを覚えている。



会場も異様な緊張感の中、
彼は唐突に袖から走るように出てきたかと思うと
サッサカサッサカ指揮台に上がり
お辞儀もそこそこに指揮棒を振り下ろした。
(なんだか人前でどんな顔をしていいかわからなくて、一刻も早く音楽の中に入りたくてたまらない、といった風だった。)


しかしその瞬間!



会場の世界が一変した。
突然空気が変わった。
空間移動して別の場所に連れてこられたようだった。



あの第4交響曲の闇の中を探り歩くような深い深い音。
そして前方に光がさしてきたかと思うと、
あっという間にアレグロに突入し、今度はまばゆい光の奔流!!



第7交響曲はもっと凄かった。
とにかく最初から最後まで音が音を超えて、
というかここで聴いているのが「音」とか「音楽作品」だ、
というのを忘れるくらいで
ただただ目の前にあるのは生命の輝き、生命の奔流だった!!
すべてが躍動して、はじけて満ち満ちていた!!!




クライバーをナマで聴いたことある人や
映像で見たことある人ならわかると思うが、
彼の指揮ぶりは、いち、に、さんみたいに拍なんかとらない。


ほとんどバレエ。それも最高に優雅な。
耳をふさいでも彼の体の動きから
雄弁に音楽が伝わってくる。
オーケストラも彼から発する強烈なエネルギーに
どうしようもなく酔わされて、気分よく
しかも自分たちの力を超えた力まで引き出されているのが
見ているとよくわかる。




一体この人はホントに人間なのだろうか?
といつも思う。




話がそれたが、この日のアンコール
クライバーの十八番中の十八番、J.シュトラウスの「こうもり」序曲。



ここでは文字通り、音楽が
「笑ったり」「泣いたり」していた。
笑ってる「ように」泣いてる「ように」じゃなくって
そこに人間の喜怒哀楽全てがあった。



こういう指揮をする男を「天才」と呼ばずして
なんと呼ぶか。


そして音楽ってなんたる力をもったものなのか、
ということを思い知った一夜だった。



一緒に行った親友と
渋谷駅まで呆然と、
一言も言葉を交わさず歩いていったのを思い出す。





えらい長々書いてしまいましたが、
明日もまたクライバーの思い出を書かせて下さい。<(_ _)>



...




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