もうすぐ一周年 - 2004年03月04日(木) 先日はあんなことを書いてしまったが (どんなことだ?) 実は今月末でこの日記を書き始めて1年になる。 すごいことだ。 子供の頃の日記なんてまさしく三日坊主で 続いたためしがなかったのに… えらいぞ、私!(← 自画自賛) 中身はともかくとして!(←自虐?) 読んでくださる人が、たとえ見知らぬ人でも たくさんいる、というのはこんなにも励みになるものか。 で、こないだからランダムに過去日記をいくつか見てみて 思ったのは、 (ちなみに私は滅多に過去日記を見ない。) こんな短い間でも感じ方や考え方が少しずつ変わってきているな、 ということと 私ってつくづく健康的な精神の持ち主なんだな、 ってことだ。(← 異論ある?) 健康的ってのは音楽をやる人間には 良いような悪いような、なんだけど 病んでるより元気な方がもちろん良いだろう。 中にいくつか不健康なことを書こうとしている日があったが それは、なんだか無理やり不健康に書こうとしているような 不健康になろうと酔っているような、芝居をしているように見えて 自分で苦笑してしまった。 (余談だけど、て言うか比較の対象にするなんてもってのほかかもしれないけど 田山花袋の『蒲団』を最近読んで、これは解説文にも書いてあったが、この人は自然主義文学の先鞭として赤裸々に自分の感情を書き付けた、という風に言われているが、 実はそういう小説に憧れ、書いてみたかっただけなのでは?太宰治なんかに比べたら全然普通の健康人なのでは?とやはり苦笑したことを思い出した。) ただね、私は音楽を聴いている時、 また芝居や映画を見、 本を読む時、 その中に潜む陰の部分、 退廃的なものだとか、ダークサイド(?)だとか、 「死」の感覚とか そういうものに敏感なのは確かだ。 それはよく感じる。 思い込みって言われるかもしれないけど、 そうではない、と思う。 高校生の頃、初めてクラシックを聴き始めて すぐにワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の虜になったり マーラーの『第9交響曲』を聴いて、即座に「この世との別れ」を感じてしまったり ヴィスコンティの『ベニスに死す』を見て、強烈に「死」の臭いを嗅いでしまったり、 それはあんまり良いことなのかわからないけど なぜかそういう部分には敏感らしい。 他のことは鈍感なクセに。(えっ?) けど自分の日記を読んでいると なんだか随分健康的で、楽観的な感じがする。 自分をこうやって観察するのも不思議だが 私はこういう「私」なのだ、 としか思いようがない。 ... すみませんが - 2004年03月01日(月) 先日ある方から お叱り、というかご注意、というか そんなメールをいただいた。 主旨は、 「みゅう太さんの日記は、毎日話があっちこっち色々なネタに飛ぶし、 またその話の方向が通の人に書きたいのか、あまりよく知らない人に書きたいのかを はっきりしてほしい。」 ということだった。 ちなみにこの方は文章から察するに かなりの音楽ファンらしい。 で、それは申し訳ありません … と書きたいところなのだが それは全くその通りで はっきりさせる気は毛頭なく、 その時、その話題によって あまり大勢の人にはわかってもらえないかもしれないが 私の気持ちとしては少しでも興味のある人に向いてたり、 こういうことは詳しくは知らないだろうな、 という人にちょっと知ってもらいたかったり まったくただただ自分の鬱憤晴らしだったり まさにバラバラ。 その時その時の気分のまま。 開き直るわけじゃないが (いや開き直ってるんだが) それで何がいけないのかと思ってしまいました。 これは私の勝手なスペース。 自分の思ってること、書きたいことを 心ゆくまで書けるスペース。 話が時として(え?いつも?) 面白くないかもしれないけど。 公の雑誌や本や新聞のコラムではない。 ただ、自分の中のきまりとして 他人に対しての誹謗中傷の場にだけはしたくない、 ということだけは考えているけど。 (性格的にできない、ってのもあるケド) 申し訳ありませんが 私は私に正直に これからもこのままで行きます。 よろしくお願いします♪♪ ...
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