恐悦至極にぃ〜 - 2004年02月26日(木) こないだ「〜がすみません。」ということを書いて失敗したー! ということを過去日記に書いたが、 最近は言い間違いも多くなってきた…(>y<) 昨日、仕事相手との電話を終わらせる時 「それでは失礼いたします。」 と言うところを 「それでは失礼いたしまする。m(__)m」 俺は武士か。 ... 九州交響楽団の東京公演 - 2004年02月24日(火) 昨日は「エジプトのヘレナ」のことで 長々と書きすぎちゃって 九州交響楽団の東京公演のことが書けなかった… ので今日改めて。 この指揮の大山平一郎さんという方は (この名前はどうしても、江戸時代の「大塩平八郎の乱」を連想させずにはおかない古臭い(またも失礼!)名前だ。) もう60を超えた方だが 多分、相当クラシックのコンサートをたくさん聴いている人でないと 知らない指揮者だろうと思う。 もともとロスアンジェルス・フィルで首席ヴィオラを弾いていた名プレイヤーで 当時ロス・フィルは かのイタリアの偉大な巨匠、カルロ・マリア・ジュリーニが音楽監督を務めていた。 大山さんはジュリーニに音楽家としてすごく認められていて、 アシスタント指揮者として自分を補佐してほしい、と頼まれたそうだ。 そしてジュリーニに指揮を学んだ。 そこから彼の指揮者としてのキャリアがスタートし、 ジュリーニの後任としてロス・フィルの音楽監督となった名指揮者 アンドレ・プレヴィンにもとても信頼され、彼の副指揮も務め、 またプレヴィンがベルリン・フィルやウィーン・フィルに客演指揮で赴き R.シュトラウスの「ドン・キホーテ」を指揮した折などは 当時シカゴ交響楽団の首席チェロを務めていたリン・ハレルとともに 大山さんはヴィオラ・ソリストとして何度も共演したとか。 これだけ書いてもすごい国際的キャリアである。 で、日本には数年前から指揮者として帰国するようになり、 5年前、初めて九響を指揮した時に、 楽員がみなその実力にほれ込んでしまい、 翌年から常任指揮者になった、ということだ。 と以上の話を、この大山さんをよく知る音楽業界の知り合いが 熱っぽく語ってくれた。 さらにこの男が言うには、大山さんは 「福岡で、かつてのサイモン・ラトルとバーミンガム市交響楽団のような濃密な関係で音楽をやってみたい。」 と言っていたそうだ。 今、ベルリン・フィルの音楽監督を務めるサー・サイモン・ラトルは 20代から40代前半にかけてバーミンガム市交響楽団という お世辞にもメジャーとはいえないオーケストラの音楽監督を務め 彼のずば抜けた才能は、同じイギリスの首都ロンドンのビッグ・オーケストラを始め 世界中からひっぱりだこであったのに 定期的に客演したのはウィーン・フィルとベルリン・フィルとボストン交響楽団、 そのくらいでなかったか。 なにしろ自分のオーケストラに心血と時間を最大限注ぎ 結果、世界にも類のない密度高い音楽を創る、クリエイティヴ集団を達成した。 私も彼らの来日公演を何度も聴いたが メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」なんか あんな極限まで精密で、なのに隅々まで血が通いきった演奏、 もう死ぬまで聴けないと思う。 また話がそれそうだ… で、大山さんはそれを「かなりの程度」実現した、と思う。 ロス・フィルという世界第一級のオケの首席ヴィオラを務める音楽性、 ジュリーニという世紀の巨匠に学んだ指揮と音楽、 ほとんどの時間を福岡で過ごし、九響と費やす時間、 それがすごい密度のベートーヴェンやブラームスを生み出した。 この言葉から、このキャリアから期待できる通りの、それ以上の音楽だ。 ひとつひとつの音、フレーズ、ハーモニーが吟味され (こういうのを聴いてしまうと、そこらへんのコンサートがいかに通したくらいでリハーサルを終えてしまうかがわかってしまう。) ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」においても ピアノとオーケストラのフレーズのやりとり、 よっぽどの時間のかけかたと、執拗な練習がなかったら ああはならない。 私の知り合いは、大山&九響のことをジャーナリストや批評家のセンセイに熱く語っても 「冷笑されるだけで…」と 苦笑していたが 日曜日はみんな目の玉ひんむいて、ひっくり返ったにちがいない。 大体、九響が(またも失礼ながら)あんな底光りにするような重厚な音で 鳴り響くなんてきっと誰も想像しなかったに違いない。 私も以前の九響を知っているが この変わり方は凄い! よくもここまで、と感動しきりだった。 まるでドイツの中堅都市のオーケストラかと思ってしまうほど。 メインの曲、ブラームスの「第1交響曲」は ドイツでもこれほどの演奏はなかなか聴けまい、 と思うほど 真剣なロマンがしっかりとした音で語られたブラームスだった。 それにしても九響というのは東京や、また北国とは違う感触の 熱い音を持っていて、それは基本的には変わらない。 九州人の情の厚さなのだろうか、ね。 ...
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