ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

New体験 - 2004年02月07日(土)

先日、初めてケラリーノ・サンドロヴィッチの舞台作品を観た。

あっちこっちでたくさん宣伝している、
『カメレオン・リップス』。

堤真一、深津絵里、生瀬勝久、余貴美子、山崎一、ほか錚々たるキャスト。


初めてのKERAさん(みんなこう呼ぶらしいので、私も)
の舞台は、私にとってまさに新しい経験だった。

こういうタイプ?というか種類?の舞台はほんとに初めて、
というか、私にとって新しい世界だった。


プログラムには「KERAさんの不条理、ナンセンスな舞台は…」
というようなことが色々書かれていたが、

不条理… とも言えるし、
うん、確かにナンセンスとも言えるし、

でも例えば一時猛烈に流行した
吉田戦車のマンガのような
筋もなんにもないようなナンセンス、
というワケでもない。

ちゃんと筋はある。

でも確かにムダ? というか枝葉末節的なセリフが満載で
かなり振り回される。

そしてその分上演時間は長い。
(19時開演で22時30分終演だった。)


私は最初、洒落たセリフ、
素晴らしいコメディセンスを持った作家だな〜、
なんて思っていたが、

もう1時間もたつとだんだんイライラしてきて
「何てムダなセリフが多いんだろ。中身と関係ないじゃん。」
なんて思い出して、

休憩のころにはすっかりうんざりしてきて
「やっぱり私はシェークスピアとか三谷さん、はたまたモーツァルトのオペラのような古典的、シンプルで緻密なものが一番居心地が良くて、こういう皮相的な現代劇は基本的にダメなんだな。」

なんて思ったくらい。


でもそれが後半になって様相が変わってくる。

劇が変わったんじゃなくて
私の中から新しい感情が芽生えてくるのを感じる。

それは何だかわからないのだけど
急速に目の前の芝居に集中しだしたのだ。

そしてとっても胸を震わせられた。


これはなんだったのだろう?
KERAさんの世界観って?

観終わって家路につく私は
ともかく凄い濃密な芝居を観たな、
という手応えがいっぱいで
今もその感じが抜けない。



そういえば、思い出したのだけど
それにまたこれは違う感触なのだけど
ヴィスコンティの映画を初めて観た時がそうだった。
(『ヴェニスに死す』ね。)


最初観だしてしばらく、
もう、なんだか嫌悪感が体を走って
よっぽど途中で帰ろうか、と思った。

でも途中から急にその世界に自分が溶け込みだして
今やヴィスコンティの映画なしの自分など考えられない。


きっとその嫌悪感は
その世界の中に
鏡に映った自分を無意識に感じたからに違いない、
などとよくその後思ったものだ。

よく太宰治の小説がそう言われるように。


KERAさんの舞台がそういうものかはわからないけど。



しかし、この舞台
他の人からはどういう評価を受けるのか
心底見てみたい、
と思うのだ。



...

さかあがり - 2004年02月04日(水)

ドラマ『彼と彼女と彼女の生きる道』。
昨日もよかった。

先週の回を一昨日になってビデオで見たのだけど
そこで主人公哲郎の娘、凛ちゃんがさかあがりの練習をしていた。

凛ちゃんはさかあがりができなくて
お父さんに「毎日練習をみてください。」と言う。

お父さんは毎日つきあってあげる。
そして何日か後、
凛ちゃんはついにさかあがりができた!

その時のお父さん(草ナギ剛くんが演じてます。念のため)
嬉しそうだったこと。
「やったー!やったー!」と凛ちゃんを抱き上げてクルクル廻るのでした。


またも私は泣いてしまった。(汗)



私も小学校の低学年の頃、さかあがりができなかった。

まわりはどんどんできるようになっていくのに
私はちっともできるようにならない。

両親は「まだできないの?困ったわねえ。」と心配していた。

そして近所に鉄棒のある家があって、そこの家に話をつけて
私は毎日通った。


ずいぶんたって私はさかあがりができるようになった。

あれってタイミングとリズムさえつかめれば簡単なものだ。


「できた。できた。」
と喜びいさんで両親に言いにいったが

「そう。よかったね。やっと人並みになったね。」
という感じで
なんだか子供心に拍子抜けしまったのを覚えている。


ウチの親はいつもそうだった。

水泳でみんなより1年遅れで50メートル泳げるようになった時も。
「やっと追いついたね。」

何かできないことができるようになっても
それは「当たり前」のことができるようになっただけだ、
という風にしかとらえてくれなかった。

決してほめてくれたり、一緒に喜んではくれなかった。

もちろん「よかったね。」くらいは言ってくれたし、
別に冷たい親ではない。
むしろ優しかった。


でもほめてもらった記憶はあまりない。


…こんな歳になってこんなことを書くのは恥ずかしいですね。

でも私はちょっとだけ思うのだ。

もし子供のころ、そういう小さなことでもいっぱいほめてくれたり
一緒になって喜んでくれたら
もっとその先、色んなことに自信をもって
臆せず、自由に何でもやれたんじゃないかな、って。


人生に「たら」「れば」はない、とよく人は言うし、
私も実際そう思う。



だからせめて私に子供ができたら
どんなちっちゃなことでも
ほめてあげたり
一緒に喜んであげたりしてあげたい、と思う。



...




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