振り向いたら・・・続話 - 2004年02月03日(火) 先週末に書いた日記について ある方からメールを頂いた。 (メールをいただくなんてあんまりにも珍しいんでそれだけで感激っす!) それには 「振り向いたらヤツがいる。YA−YA−YA ってどういうことですか?」 ということだった。 え? これってそんなにポピュラーじゃない? そこでYahooで 「振り向いたらヤツがいる」「YA−YA−YA」 の2つで検索をかけたら 結構あった。 ほっ。。。 でもそうして知らない方もいるわけだから 一応説明しますと 『振り向けば奴がいる』というのは もう10年くらい前になるのでしょうか? かの三谷幸喜さんが初めてテレビドラマの脚本を書き 織田裕二くんがクール・ニヒルな医者役で主演したドラマ。 すごく面白かった。 ちなみにこのドラマで西村雅彦さんもテレビ・デビュー。 そのドラマの主題歌がチャゲ&飛鳥が歌う「YAH−YAH−YAH」 だったわけです。 (正しくはこのように“H”が入るのを検索した時に知った…) しかしウチの親父、65も越えるというのに よくそんなのが口から出てくるよな… そうそう、思い出した。 ちょうどこのドラマがヒットした時、 私はあるシンポジウムに行った。 その年のヒットメーカーたちが集まってパネルディスカッションをする という企画。 Jリーグが始動し始めた頃で 川端チェアマンとか 『ゴジラVSキングギドラ』の映画があたって 特技監督の川北鉱冶さんとかが参加。 TBSのディレクター?で演出家の大山勝美さんが司会だった。 その中にまだ30歳くらいの三谷さんがいた。 映画にもなった舞台作品、『12人のやさしい日本人』が大ヒットしたことで 選ばれていたのだと記憶している。 その時の三谷さんは青白い感じの青年で 寡黙で人見知りのする、いかにも内向的な感じの人だった。 その三谷さんが『振り向けば…』のことで ボソッとこんなことを言っていた。 「自分の脚本がテレビ局の都合でどんどん変えられちゃうんですよね。 あれは不本意な作品でした。あんまり思い出したくないですね…」 結構意外な話でしょ? ... 録音の不思議 - 2004年02月02日(月) 昨晩、NHK教育テレビ「芸術劇場」で ベルリン・バロック・ゾリステンのライヴをオンエアしていたけど 見た人いらっしゃいますでしょうか? このコンサート、私はナマで聴いたのだが そりゃもう楽しかった。 ベルリン・フィルの看板OBや現役の精鋭メンバー、 それにオケの顔、 という以上に当代最高の美形フルーティスト (“当代最高”という言葉は“フルーティスト”の方にかかっていますぞ。念のため) エマニュエル・パユ。 上手いのなんの。 それに彼ら上手い、という次元はとうに突破して バロックの演奏スタイルを 弾き方、吹き方、フレーズの区切り方、音色に至るまで 研究し尽くして消化した演奏。 結果、明るく、軽く、 各人の音楽同士の対話が楽しいのなんの。 で、どの曲がどんなだったか、とか 細かいことは置いといて。 テレビを見ながら「あれっ?」と思ったのは 私がナマで聴いた音とはちょっと違って聞こえたことだ。 「ナマで味わった感動はテレビでは…」 みたいな漠然とした話ではなく 明らかに実際に聴いた彼らの音質と違っていた。 気のせい? このへんは他の人にもぜひ聞いて見たいところだ。 私はあの日オペラシティで聴いた彼らの音楽は とっても透明で明るく、一人一人の音が浮き上がるように軽く響いていたのだが 昨日のテレビでは随分重厚に、 つまるところ、ベルリン・フィルのいつもの響きを連想させる音だった。 テレビやラジオで収録されたもの、 またはCDではたまにこのようなことがおこる。 面白いことにアーティストによって そういう差が甚だしい場合と 全くそんなことはない、そのまんまの場合。 というのにかなり極端に分かれる。 よく評論家のセンセイが言うところの 「録音に入りきらないタイプの芸術家。」 というヤツらしい。 確かに私の経験でも何人かそういう人がいる。 例えばアンドラーシュ・シフ。 彼が弾くベーゼンドルファー・ピアノからは えもしれない世界が現出して その雰囲気にすっぽり包まれてしまうのだが いつもテレビ・ラジオ収録で聴くと もちろん十分に美しいのだけど 別物のように音がポツポツとしている。 そうそう、リヒテルなんかもそうだった。 「録音に入りきらない」のかもしれないが もっとエンジニアには努力してほしいと思う。 話は戻ってベルリン・バロック・ゾリステン。 もちろんテレビでも十分楽しかったし、あの上手さには土下座しちゃう。 でもみんな、ナマで聴いてみてくれー とついつい叫びたくなっちゃったのでした ...
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