ある音楽馬鹿の徒然カキコ♪...みゅう太

 

 

演奏と競馬の関係? - 2003年12月18日(木)

先日、日記に書いたザネッティという若手指揮者のことで
なにか書きそこねたことがある、
聴いてる間に強く思ってたことがあって
それが思い出せなくて気持ち悪かったんだけど
やっとめでたく思い出しました♪


いや、たいしたことじゃないし
単に自分の中で一人で納得してただけで。
ホント、こういうWeb日記だからこそ書いちゃうぞー、って感じです。


で、何かというと、
ザネッティの指揮するN響の演奏、
「自然で」とか「爽やかで」とか書いたけど、
それが彼の持ち味なのはともかくとして、印象的だったのが
オーケストラから自発的にでてくる、生理的に自然な流れをジャマしない、ということ。
もちろんなにもかも任せっきり、というワケじゃないし
時にムチを与えるごとくアクセントを与えたり、ダイナミック・バランスにはことに気を配っていた。

この姿がより「アバドに似ている…」という印象を強めたし、
よく競馬!で言われることを思い出した。
「鞍上人なし鞍下馬なし」ってやつ。(ホントにこんな言い回しだったか?)

走るのは馬であって、人が馬を走らせるのではなくって
馬に走らせよう走らせようと躍起になってムチを振るえば、馬は動かなくなる。
馬が気持ちよ〜く走るように誘導して、ここ一番の時だけムチをふるって煽るのだ。
それが理想的なレース展開につながる(らしい)。

これは実はかのカラヤンも言っていたことで
私はカラヤンのアシスタントをやっていた、指揮者の山下一史さんに
その話を聞いたことがある。



しかし、これは何にでも言えることだな〜とも思った。
人生(大きくでたな)にも流れや時があって、
無理やり躍起になっても良いことはない。

もちろん、「ここだ!」ってタイミングで全力を尽くすのは
大事なんだろうけどね。



...

2つのコンサート - 2003年12月17日(水)

先週末から今週にかけて
2つのとってもいい演奏会と出会った。


1つは先週金曜にあったN響定期公演。
マッシモ・ザネッティという、少なくとも私は全然名をしらない若者の指揮。

その日は色々他に注目のコンサートがあり、
オフィスの連中は色々に出かけて行ったのだが
私はこの知らない若者の名に、理由もなく妙に魅かれるものがあって
(なんでか自分でもよくわからない。)
N響に行った。

少し遅れてしまって、モーツァルトの交響曲第27番の第2楽章から会場に入ったのだが
えらく爽やかで、風のようにそよーっと流れていくモーツァルトを聴き
「まるでアバドそっくり。」なんて思っていたら
ホントにアバドの弟子だそうで、パンフレットに今やアバドとともにオペラの一演目を
振り分けているような有望な俊英なのだ、と書かれていた。
そういえば振っている姿もそっくり。

じゃあ後半のマーラーの第5交響曲なんかは、
さっぱりしてあまり感銘の残らないものになるのかなぁ?
なんて思ってたら、これは全く私の杞憂で
大変な中身の濃い、素晴らしいマーラーになった。
あくまで自然で深い息遣い、マーラー特有の細かい色彩の移り変わりも
感情の動きとともに自然に反映されていく。
ダイナミックでデリケートで。

「颯爽」としたコンサート。
今日になっても、その時の余韻がまだ残っているほどだ。



そしてもうひとつは、一昨日行った読売日本交響楽団の定期公演。
こちらはウィーンのベテラン、テオドール・グシュルバウアーの指揮。

このオーケストラはいつも思うのだが「眠れる獅子」で
凄い力を秘めている、それこそN響をも上回る可能性を秘めている(らしい)のに
たまにしか、そういう演奏をしない。

この日はその「たまに」がでた。
グシュルバウアーという人がまた素晴らしくて、
彼が振るとオーケストラが実に柔らかく、いいようもない厚みのある音がでて
しかも強い思いがひしひしと伝わってくる。
ああ、ウィーンの指揮者だな、と思う。

オール・シューマン・プログラムだったのだが、
メインの「ライン」交響曲の他、ピアノ協奏曲。
ピアノはやはりウィーンの若き名ピアニスト、シュテファン・ヴラダー。

実は私は何を隠そう、ヴラダーの大ファンなのだが
これは良かった。
瑞々しいまろやかな音と、覇気満々のリズム、ほとばしるエネルギー!
フィナーレなんて、この音楽がそもそもそうなんだけど
これこそ「天馬空を行く」という感じの圧倒的な演奏だった。


こちらは全体に「地味」であり「滋味豊か」というのだろうか?
そんなコンサートだったが、こういう日は本当に嬉しい。



...




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