はじめてのヨーロッパ その15 〜ザルツブルク3 - 2003年05月12日(月) しかしザルツブルクという街はせまかった。 バスツアーで行ったザルツカンマーグートまででれば、のびのびとどこまでも〜、という感じになるのだが、街そのものは狭い。 そして盆地っぽく、ガケやトンネルが多かったりするので少し暗い感じがする。 私は3日間いたのだが、1週間もいたら気が滅入るかもしれない。 いくら音楽祭という期間中でも1か月いるには嫌だな、と思ってしまいました。 とはいえ、ここはモーツァルトの生まれたところ。 モーツァルトのみならずたくさんの作曲家がここで活躍した。 それに現在も演奏家の多くがここに居を構えている。 市内、というよりカンマーグート方面が多いようだが。 ところで私は天下の「ザルツブルク音楽祭」にひかれて(…といいつつまずはサウンド・オブ・ミュージックに心を奪われてしまった私だが…)ここへ来たのに、全然チケットがとれなかった。(― ―|||;) 巨匠ニコラウス・アーノンクールがモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」を指揮していたり、名匠ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルのコンサート、それに現代最高のピアニスト、マウリツィオ・ポリーニのリサイタルがあったりしたのだが、ことごとくソールド・アウト。 さ〜すがザルツブルク音楽祭。 感心してる場合じゃないのだが、まあ急に決めたことだしここは仕方がない。 プラハでもそうだったが、こういう時期というのは観光者のために結構色々なところで小さなコンサートをやっている。 私はしばらくうろついていると「ドーム・コンサート」と呼ばれている教会でのコンサートにぶつかったので、プラッと入ってみた。 チケットもおばちゃんが入り口の前に机を置いて売っているような気軽さである。 結構、これがよかった。 オーケストラも「ザルツブルクなんたらオーケストラ」といかにもとってつけたような名だし、メンバーもこの辺在住の音楽家のよせ集めだろうと思う。 やった曲はモーツァルトの「ミサ・ソレムニス」だったが、やはりこういう中央ヨーロッパの音楽家というのは心身の髄までヨーロッパ音楽の奥深さ、自然を身につけているのだ、ということをほとほと感心した。 私たち日本人がイメージとして持っているヨーロッパの香りがにおい立ってくる。 そしてこのオーストリアの音楽家たちの音楽は、またドイツ人たちのものとは少し違って何と言うかより自然で柔らかい。 教会(ついでにいうと日本の教会は、九州の方に行けばヨーロッパ風の礼拝堂も多く見られるが、大部分はアメリカ風のものである。TV「大草原の小さな家」にでてきた小さな教会を思い浮かべてみると良いかも) のおごそかな空気も相まって、深い祈りに満たされたコンサートだった。 その晩はお城でやっていた弦楽カルテットのコンサートに行った。 レオポルド・カルテットといったか、ミュンヘンのカルテットということだったが多分私がミュンヘンで聴いたバイエルン州立歌劇場のオーケストラのメンバーたちと思われた。 城のコンサートといっても大広間とかそんな場所ではなく、ちいさな部屋で、ろうそくの明かりとほんの少しの電灯の下で行われたささやかなコンサート。 曲はベートーヴェンと(何番の弦楽四重奏曲だったかちょっと覚えてない。)シューベルトの「死と乙女」だった。 この人だちはさっき聞いたザルツブルクの演奏家たちとは違って、少しばかりカッチリした音楽をやっていた。 カルテット、というのは結構あわせることがまず難しく、「本当に良いカルテット」にめぐりあうことはなかなか、です。 このカルテットもかなりギクシャクしてたり、ゴツゴツして音楽がきれいに流れないな〜などとは思っていたけど、「死と乙女」みたいな深く沈滞した世界や、おそろしい迫真性を持ったこういう大曲になると、やはり日本人では絶対こうはなるまい、という奥の深い演奏を聴かせてくれた。 ところで私の横に日本人の顔(?)をしたおばあさんが座っていたのだが、思い切って話しかけてみた。 「良かったですねー!」 「What?」 ありゃりゃ、日系の人だったか。 しかしそのおばあさんはゆっくりとした英語でその後色々話してくれたのだが、ニューヨークから来た、ということだった。 その更にとなりにはそのご主人がおり、話に加わってきた。 アランさん、という方でバケーションで3週間のヨーロッパの旅だそうだ。 「君は学生?」(外国にいると日本人て子供っぽく見えるんですよね。)とか「どこ行ってきたの?」とか聞かれ、「プラハとかミュンヘンとか…」と話していたら 「それはどこ?」と聞かれた。 「へ?」と思ったのだが、しばらくカタコトで話していると、成る程、英語では「プラハ」とか「ミュンヘン」って言わないんですよね。 それぞれ「プラーグ」「ミュニク」と言うんです。 そういえば、空港でそんなアナウンス聞いたなぁ〜。 それからアランさんに「せっかくだから一杯飲みにいきませんか?」と言われ、ご一緒させていただきました。 私は滅多にこういういきなりな誘いはお受けしないのですが(気が小さくてね。) とても良さそうな、落ち着いた老夫婦だったので。 楽しかったですよ。 「え〜夏なのに2週間しか休みが取れないの?」と言われ 「2週間でも多すぎる、と言われてます。」と答えたら、 「日本は大変だねぇ。」とため息をつかれてしまいました。 《つづく》 ... 天に召されたある大先輩 - 2003年05月09日(金) びみょーに日記のタイトルを変えてみました。 あまりたいしたことではないのですが、私の書いてることってこりゃ日記じゃねーな、と思ったので。 さりとてコラムでもないし。 他の方のBBSに書き込んでるのと、なんら違いがないような気がしたのでこんな感じにしてみました。 でも気まぐれだからまた変わるかもね。 で、今日はザルツブルクの続きの筈だったのですが、すみません、また違う話にさせて下さい。 それも少々寂しい話です。 私たちクラシック音楽業界の大ベテラン・マネージャー、高柳増男さんがガンで5月6日にお亡くなりになりました。 高柳さんは70年代くらいから高柳音楽事務所をはじめられ、一時期それはもう一級の、それも個性的で素晴らしい海外アーティストを招へいなさっていて、小さいながら名の通ったマネージメント活動をなさっていました。 今でこそそのアーティストたちはもっと大手の事務所が招聘していますが、例えばピアニストの巨匠アルフレッド・ブレンデル、ショパン・コンクールを破格の演奏のため落選したのに関わらずその天才は今や押しも押されぬスターとなったイーヴォ・ポゴレリッチ。 今は指揮者としての方が有名ですが、当時は「リコーダーのパガニーニ」と言われ一世を風靡したフランス・ブリュッヘン。 そういう凄いアーティストたちをいち早く目をつけ、日本公演を実現して下さった方の一人。 私も学生時代、ブレンデルやポゴレリッチのコンサートのチケットを買いたくて、高柳音楽事務所によく電話しましたよ。 私がこの業界に就職したころ、音楽事務所同士で集まって「クラシックの日」の集い、とかそんな「クラシックをもっと聞いたことない人に聴いてもらおう!」みたいな催しがありました。 入りたての私は同期の奴らとそういう会議に参加させられ、そんな時に色んな事務所の社長やらベテラン、大御所とよばれる人、色んなスタッフと知り合ったものです。 そんな中に高柳社長は名物的な感じでいつもいらっしゃいましたね。 亡くなったのが62歳というから若かったのになあ、と思うとともに今思うと「え?じゃあの頃はまだ50くらいだったのか!」とビックリ。 元気な方、というイメージはあったけど結構おじいさんぽかった。 苦労したんでしょうね。 私は高柳さんとそんなたくさんお話した訳ではないし、その後もそんなに親しくなった訳でもないけど、いつも元気で「こんなことやろう、あんなことやろう!」と仰ってた姿と、 事務所の垣根関係なく、それまでみんなでこの音楽界支えてきたんだ、という連帯感を持ってベテランの方々が目をキラキラさせながら頑張っているのが何より印象的でした。 …というか羨ましかったです。 今は「クラシック音楽事業協会」って立派なものができて、各マネージメント・オフィスが所属して色々な委員会とかをやってるけど、あの頃みたいな夢とか「やるぞ!」って勢いはない。 もちろん今まで音楽活動をするのに立ちはだかっていた障害をとり除く、とかそういうことに努力してるわけだけど、何か違う。 特に丁度私から年下くらいのスタッフは違うんだよなー、何かが。 横のつながりも、まあ飲みにいったりする連中はいるんだろうけど、そこで音楽界への夢を語る、とかクリエイティヴな話が生まれる、なんてことはないみたい。 かくいう私なんかは人付き合いの悪い人間だから、よっぽど気のおけないスタッフとしかメシ食いに行ったりもしないけど。 どんな分野のことでもそうだと思うのですが、黎明期、というのはすごくいい時期だと思う。 もちろん色々大変だとは思うんですよ。 整備されてないシステムが多くて、こうやりたくてもできない、ってことが多いですしね。 でもその分、同じ志をもった人間が集まって何かを創る、って雰囲気が充満している。 (プロジェクトXなんかでよくそんなエピソードをやってるじゃないですか。) 私は20代前半、ベテラン・マネージャーたちの昔話や、大先輩が「どこどこ事務所の誰々やどことかオーケストラの誰々と昔はこんなことやってさ〜。」とかいうのを聞くと心底羨ましかったものです。 今の自分たちにはそんな雰囲気は全然ない。(少なくとも私の職場には。) そんな空気から新しいものが生まれ、今私たちが仕事をしてる基礎を作ってくれたんですよね。 高柳さんはそんな時代を代表する一人でした。 もう数年前に高柳音楽事務所は倒産し、その後高柳さんの姿を何度か見ましたが「倒産」というのは私なんかには想像もできないほど大変なことだと思う。少し気が変になってるようで大声で意味のわからないことを叫んでいたりして、とても痛々しかった。 ただ高柳さんがいなくなった、っていうのは私にはとても寂しい。 それになんだか一つの時代が確実に終わっていく、って気が私の気を重くする。 私の同期たち、もう今はみんな違う事務所やホール、レコード会社だったり色々。 でも奴らとは結構今でも定期的に会うし、色んな話ができる。 私の周りで職場が変わってもそういうつながりを持ってる人間はあまりいないらしい。 だから大事にしたいと思う。 そしていつかみんなで、いい音楽がいっぱいで人々が笑顔でいられるような社会であるように、ほんのちょっとでも種まきができたらな、と思う。 高柳さん。 どうか天国で楽しくしていてくださいね。 ...
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