2017年11月03日(金) 死にたいの人たちの食堂
死にたい、というのは甘えなんだよねぇ。甘え方がよくわからなくて、死にたい、というんだよね。それを利用して次々殺したあの犯人は恐ろしいけど、死にたい死にたいと叫ぶ今の子たちは。。。私もずっとそうだったから思うけど、甘えられないんだよね。甘えられないから、死にたい死にたい言うんだよね。さみしいんだよね、そのときは、ただ。本当は。
誰かに助けてって言えたらいいのに、言えないから、自己責任の世の中だから、死にたいって言うしかないんだよね。
今これだけ死にたい死にたいの人がいる世の中。本当に大変だ。
本当はみんなが助けて助けてって叫んで、こんな世の中やだやだって叫んでくれたら。
本当はそうなったら世の中もう少し変わるだろうに。
変れない。死にたい、と本当に死んでしまうから。
助けても言えない今の社会って、何なんだろう。
でも、死なないで。死なないで〜〜〜〜〜〜〜〜。
死にたい人たちは集まって、死なないで、いっしょに暮らして助け合い、慰め合える場所があればいいのになぁ。
ああああ。そういう場を作りたいなぁ。どうしたら作れるんだろう?
死にたい人たちが、死にたいと思うときに集まれる場。
あああ、私が本当にやるべきことはそういうことかもしれないなぁ。。。
これは少しずつでも考えていこう。
ずっと死にたいと思ってきた私だからできることがあるかもしれない。
死にたい死にたい人たちが、生きて、がんばれるようになる場。。。
なんかできないのだろうか。。。子ども食堂があるように。
死にたい人が生きる食堂みたいな場?
ああ、どうしよう?