ひぽこんコラム

2014年06月17日(火) ケイシー・ケイサムが亡くなった

 ケイシー・ケイサムが死んでしまった。
   ↓ 

アメリカを代表するディスクジョッキーで、日本でも放送された人気ラジオ番組、「アメリカン・トップ40」の司会を務めたことなどで知られるケイシー・ケイサムさんが15日、亡くなりました。82歳でした。
代理人などによりますと、ケイサムさんは15日未明、アメリカ西部・ワシントン州の病院で亡くなったということです。
1970年から通算20年余りに渡ってアメリカのヒットチャートを紹介するラジオの音楽番組、「アメリカン・トップ40」の司会を務め、柔らかい声と軽妙な語り口で、その人気を不動のものとしました。
番組は日本をはじめ世界各地で放送され、アメリカの音楽シーンを紹介する番組として多くのミュージシャンやDJに影響を与えました。
またケイサムさんはアニメの声優やテレビコマーシャルのナレーションなども務め、アメリカを代表する「声」の持ち主として知られていました。
ケイサムさんは2009年に引退後、ことしに入ってから体調を崩し入院して治療を受けていました。


 そう。ケイシーは全米トップ40の声だった人。私の青春そのもの!!

 友達のモリサン←前にいっしょにスケートやってた友達w。。。。がラジオ事情に詳しく、ラジオ日本の「全米トップ40」や、FENの「All American Top 40」を教えてくれたんだよなぁ。

 どうしてかって。私たちの地元だったSBS放送(静岡)のラジオ番組で、「この曲が全米チャートの何位になるか?」というクイズをやってて、それに当ると、レコード券か、何かがもらえるというのがあって。。。で。その何位になるか?が当時はネットなんてないから、SBS放送では2週遅れぐらいでさぁ。

 モリサンが「ラジオ日本がいちばん早くて、あとFENもあって、聞けば先に分かるから、それでハガキ出せばいいんだよ」とか言って、ヨシッ!!と、それを聞き始めて、で。もちろん、レコード券もバンバン当てた。

 そっからはもう夢中になって、土曜日は午後はFENで(これは確か1週遅れだった)、夜はラジオ日本で、全米トップ40を聞いたんだ。

 あの頃は英語の勉強にも夢中で、英会話を習わして欲しかったけど、うちは貧乏だからダメで、テレビやケイシーの英語から英語を一生懸命に勉強した。あまりにも一生懸命だったから、おやじが根負けして、高校2年ぐらいから近所の英会話スクールに通わせてもらった。ケイシーの英語はすごくキレイで、、、何せボイス・オブ・アメリカってんだからね。だから、すごい聞き取りやすくて、そこからたくさんの単語を覚えた。

 トップ40のチャートも毎週ノートにつけて、好きな曲に赤い線を引いて、それを眺めてニヤニヤしてた。ただ、それだけ。ニヤニヤするだけ。でも、それが楽しかった。あの頃はすべてが牧歌的で、のんびりしていて、空想を愉しむ時間があったんだ。

 それで、トップ40にハガキを書くようになり。今に続くわけで。ええ。

 だから、ケイシーは私の原点でもあり。あの声は一生忘れないと思う。

 たぶん、あの頃、洋楽を聞いていた人たちは同じだと思う。ケイシーの声が英語も音楽も、アメリカも、その先にひろがるものも、自由も(アメリカは自由だと勘違いしてたから)、未来も、ぜんぶ運んできた。希望だったんだよねぇ。

 でも、そんな人が後年、お金のことでモメたり、確か選挙に出たり、奥さんと離婚したり? 色々あって。どんどん悪い方向に行ってしまい。少し前には認知症で徘徊して行方不明になったり。家族は彼の遺産争いばかりで。。。あんまり幸せじゃなかったみたいなのが辛い。あんなに才能があって。あんなにみんなに夢を与えた人が、そんなことになるなんて。。。

 さよなら、ケイシー。天国でDJしててね。

 

2014年06月15日(日) 猫の家

 お昼頃、渋谷に行ったらビックリ。サッカーのユニフォーム着た若者がグジャラ〜〜〜〜〜〜〜〜〜といっぱい居て、デモでよく見る青白の装甲車がズラ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 なんだなんだ?と思ったら、どうやらスポーツバーでサッカーを見て、その後、渋谷で騒ぐらしい。。。。

 あああ。お馬鹿な若者たち。まぁ。若者とはお馬鹿なのだろうが。集団でないと騒げないのだなぁ。てか。集団集団て。あんたら、もうじき、もしかしたら戦場送られてまうかもしれないんだよ〜〜〜っと、若者たちを見つめた。

 あんたら。。。。今週決まるかもしれんのだよ。今は浮かれておるが、もしかしたら、来年の今ごろ、戦場におるかもしれんよ。

 そう思ったら、お馬鹿な彼らが不憫で。。。

 で。

 なんで。こんな日曜に渋谷に行ったかというと、コレに行ったから。コレ↓




 ピカロ・タロウさんこと、真鍋太郎さんの「猫に、恋」展。

 すごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい。

 すごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい、良かった!!

 もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。すごい良かった!!

 泣いたっ。

 太郎さんは、友達の赤尾さんの友達なんだけど。あの3・11のとき。リクルートのビル23階@東京駅。。。に赤尾さんと私はいっしょに居て、そして泣きながら歩いて、たどりついたのが渋谷の太郎さんの家だったのだ。泊めてもらって。赤尾さんと、赤尾さんの夫さんと、太郎さんと太郎さんの妻ヨーコさんと、5人で、寝ることもできず、テレビを見て、みんなで震えていた。

 あの時間を共に過ごしたって。。。すごい経験だ。あのときも太郎さんは絵を描こうとしていたけど「ダメだ、無理」と言って、みんなのテレビの輪に加わったっけ。。。

 そんな思い出のある太郎さんの猫の絵展。どれもすごかった。。。これ、どうやって描いたの?という感じで。同じモチーフを色々なアイディアで作品にしてある。

 どうやって描いたんですか?と聞いたら、覚えてないのも多いっていう。やってるときは必死だから、忘れちゃうって。。。

 でも、「今ぼくは63歳で、やっとイメージを形に出来るようになったんだよ。こうやりたい、と思っても、若い頃は技術がなくて、それをそのまま自由に現すことができなかったけど、今やっとできるようになった」とか、すごいいいことを言ってくれて。。。泣いた。

 そうだ。そうなんだ。。。技術ってすごい大切だ。技術を学ぶ、練習するって、すごい大切だなぁと思った。。。。

 やり続けるって、大切なんだ。。。

 うん。

 筆は古い方がいいとも言ってた。その方がいいタッチが出るって。うん、そうか。

 芸術家の言葉はいちいちが深いわ。

 その後、赤尾さんから色々聞いてる夫妻に「で、戸隠はいつ行くの?」などと言われて。オレの戸隠話、こげなところでまで知られておるのか。。。と驚き。

 猫の家を戸隠に建てる話などで盛り上がりw

 ドーナツもらって、モグモグってきた。

 残念ながら、この展覧会は今日まで。。。もっと早く行けば良かったわ。

 猫りん。



 


 金屏風みたいな猫もいたりして、おもしろかったなぁ。。。うん。猫。猫。猫。にゃああっ。

2014年06月14日(土)

 3月4月と、ずっとここに書いていた戸隠のあれこれをギュウウウウと濃縮した「一所懸命生きてみたい 私の戸隠物語」がレポに載りました!

 


 昨日、発行です。

 ぜひぜひ、お読みくださいませ。ぺこりんっ。

 ここから、1冊から、購入できまする

 うわあああああああああああああん、おねがいしまする〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

 で。和田、あれから、バイトは?

 と、みなさんお思いでしょうが。。。

 実は、辞退しました。ええ。。。小声。。。

 いや、ただ、イヤイヤとダダこねたのではなくぅ。実は初めての媒体さんから仕事を一個いただき。それの取材が今度の月曜日の早朝〜昼で。今度の月曜日は「勤務初日なので、必須出勤日」だったんです。それで、重なってしまって。えっと、ギャラはぶっちゃけ2万円で。バイトすりゃ1ヶ月で15万円ぐらいにはなったんですが。。。2万vs15万で一瞬悩みましたが。。。でも。私はライターだ、と思って、2万を取りました。それが何かどうなるとか何もないかもしれないけど。

 だって、私、ライターなんだもん。。。

 デパートさんには謝って、預かってたものを返送することにして。

 自分。また焦ってヘマしたという気です。戸隠から戻ってからまた焦って。。。金金金って。。。そりゃ金なきゃダメだけど。

 でも。今やらなきゃいけないこともあるんだから、それに支障きたすようなバイトなんてやっちゃダメなんだよね。短期はタイヘンすぎる。長期で、じっくり、少しずつできるバイトにしなきゃ。。。

 つか。そもそもバイトしないでもいいようにしなきゃいけないんだがね。ええ。

 そんなわけで。今日は朝からまたAERAさんに原稿を一本送り。。。。それは短い原稿です。

 もうじき高円寺での杉並区長候補公開討論会に行ってきましゅ。。。

 焦らない、焦らない、を肝に命じます。
 

2014年06月12日(木)

ここ数日ずっとこの歌が頭から離れない。

 この歌です

 95年の歌。あの頃もずっと聴いてたなぁ。あの頃、自分は哀しいと思いこんでいたけど、実はぜんぜん哀しくなんてなかった。この2年後にボワ〜ンとカナダを1ヶ月も放浪して、その間中もずっとレディオヘッドを聴いていたんだった。

 何にも考えてなかった。考えてなかったが、ふと、あるとき、泊まっていたB&Bのトイレで「そうだ。好きなことをやっていいんだ」と思って、帰ってきて、なんか書こうと思って、あの病院の本を書き始めたんだ。書き終えて、あちこち、いろんな出版社をグルグルして、どこも出してくれなくて、結局自分で出した。それが2001年夏。ああ、そうか、直後に9・11があったんだなぁ。

 それを持って、トロさんが当時「ダ・ヴィンチ」がらみで西荻のサパナ(シモマンの事務所!)でやっていたブック・カフェに売り込みに、編集してくれた藤井くんと持って行って、お願いして、置いてもらったら、いきなり10冊売れて、その後もたくさん売れて、そうそう。ネット書店としてスタートしたばかりだったbk1もたくさん仕入れてくれて。

 それで、EMIレコードの人が「知ってる人がいる」とブックセンター青山の新宿店の店長さんを紹介してくれて本を持って行くと「地方小出版流通センター」の社長を紹介してくれて、そこにお願いして、全国に流通してもらったり。

 色んな本屋さんをぐるぐる行商して周り。売れる店、売れない店とか、あった。千駄木の「往来堂」さんは「うちは大きな病院のそばだから」と、小さな本屋さんなのに20冊も30冊も売ってくれた。今はもうない銀座のマガジンハウス近くの本屋のオジさんは「がんばりなさい」と、売れてないのにぜんぶ買い取りしてくれた。

 その後もトロさんがネット書店で売ってくれていたのを、文春の池延さんが見て、池延さんを紹介してもらい、西荻で会って、いきなり4時間ぐらいしゃべった。

 そうして文庫にしてもらったのが2007年だった。

 それからもう7年経つのかぁ。

 今もこの歌は大好き。1995年からもう20年近く経ったなんて、信じられない。昨日、この曲を聴いていた気がする。

 哀しみも見てる風景も自分もぜんぜん変わらないで、ああ、こぴっとシャンとしなければ。。。こぴっと。。。

2014年06月11日(水) うらやましい

 山田稔明さんが送ってきてくれたネコ一式。




 ネコのジャケットの山田さん新作CD「GREEN」と、山田さんのネコ、ポチの写真集「ひなたのねこ」

 しかし、タイトルがGREENって、、、、ずっけええ!

 だって、それ、REMの昔のアルバム・タイトルと同じ! 山田さんはREMファンで、REM友達なんだ。

 うううむ。そうキタか。

 しかし。コツコツと作品を自分で作り続け、あちこちのライヴ・ハウスを全国廻ってライヴを行い、そりゃ、100万枚大ヒット!なんて世界じゃないかもしれないけど、自分の作品を作り続けるのは、モノを作る人、表現する人として、本当に尊敬する。

 自分がやるべきこと、やりたいことをきちんと見つめて、そこに集中している。それをどうやったらいいか、考えてる。

 あああ。。。それに反して私。。。。あのデパガのバイトをどうしよう?とかばっかり悩んでて。。。まったく無意味な人。

 そんなこと悩んでないで、キッパリとやればいいんだ、やりたいことを、やるべきことを、私。

 ぐだぐだと心配して心配して遠回りばかりしてる気がする。

 それにしても山田さん、CDの中身も、REMのマネしてるわ、遊んでる〜。楽しそうだ〜。楽しく作品を自分の思うままに作る。。。うらやましい。

 そしてこのCDはネコCDだった。猫音楽だ。猫の歌。猫猫。いや、猫が歌ってるわけじゃないが。。。猫との生活を歌うCDだ。猫のいる風景の毎日。

2014年06月07日(土)

 今日も研修でしたが。。。。

 えっと。。。たぶん、次の研修で辞めます、いや、違うな。辞めさせられるか、配置換えになると思うww

 いやぁ〜〜〜〜。もう。自分のバカさがイヤになりまする。自分のふがいなさに、ああ、もう、自分! と思います。

 でも。接客だと思ってたら、パソコン入力だったんだ。これ、かなり違うよね?ww

 でも。接客って募集だったのに。涙。

 接客ちょっとしながら、ほとんどパソコン入力。

 その説明書が60ページぐらいあって、入力のための規則がグチャ〜〜〜ラ〜〜〜。

 こんなの1日、2日で分かる人いるの? と周り見ると、あれ? みんな分かってる。。。どして?

 聞けば、みんな経験者らしい。ガ〜〜〜〜ン。

 和田は配送センターに送ってもらいたい。荷物、せっせと運びまする。

 いやぁ。。。本当に心底疲れた2日間でした。疲れすぎて薬もまったく効かないほど寝れなかった。頭、使いすぎるとダメだと知りました。。。使っても使っても役立たないのですが。。。

 数字、無理ですね。だいたい、数学、高校のとき「和田はもう座ってればいいからな」と言われた私なんだからね。。。引き算のやり方さえ、忘れておりまする。。。ええ。

 あと。文字が小さくて見えなくて、「えっと、これ、5かな、6かな?」とか言ってる間に周りの若い子たちは全部打ち終えてんだよな。。。老眼鏡しても、見えないんだ、あたし。

 数字できない。見えない。パソコン理解できない。。。教えてくれる担当の人、最後の方は私のパソコン、グイッとひっくり返して自分で打ってたな。。。

 さらに提出物まで間違えちゃうの。私。。。。

 なんたるダメさよ。。。

 ビルのお掃除でもいいや。とにかく、配置換えプリーズだな。。。

 てか。向こうが「和田さん、配置換えプリーズ」だろうな。ごめんね。。。

 

2014年06月06日(金)

 今日という今日は、もう、????????????????????????????で、人生の厳しさとタイヘンさというか、えっと、色々感じたが、守秘義務があるので黙っています。

 人生はタイヘンすぎて、タイヘンすぎて、タイヘンすぎるけど。きっとこの先には虹がかかる未来があると信じて。

 信じるしか、もう、私の手には何一つ残されてないから。

 虹がかかる未来があると信じて生きて働くことにします。

 人生に絶望しすぎると、その先では、再び、信じるしかなくなるのですね。。。

 グルリと一周してしまいました。。。

 明日もまだ研修です。。。

2014年06月05日(木) バーバラ・ピム

 バーバラ・ピムのもう一冊の本「秋の四重奏」を図書館で借りてきて。うれしい。

 図書館でビムの本を返すときに「この人の本、まだ他にあるかな?」と言ったら、図書館の女性が「面白いんですか?」というから、「すごく。20世紀のジェーン・オースティンと言われてるの」と言ったら、図書館員なのにジェーン・オースティンも知らずにガックリきたけど。。。やっぱり今どきの図書館員@中野。。。民営化のアルバイトでさぁ、つまらないよね。話がぜんぜん弾まないよ。ガックリしちゃう。これでTUTAYAが図書館やります、なんていったら「面白いんですか?」も聞いてもらえないだろうな。

・・・などとエラソーに書きながら、実はオースティンなんて映画で観ただけど、読んだことはないんだけどさぁ〜〜。

 明日からバイト研修なので。。。ああ、実はまた別のお中元バイトに合格したけど、守秘義務があって何も言えません。。。。お昼休みにこれを読んでニタニタしよう。

 バイト、どうなるやら。。。

 落ち込んでいたが、しかし、まだバイトに雇ってもらえるんだから、ありがたいと思って働かなければ。

 販売の仕事に雇ってもらえるのはコンビニの経験があったからだよなぁ。あれは本当にやっておいて良かった。私がやっておいて良かったと思える2大業績(?)はコンビニと畑だわぁ。

 それにしても、バーバラ・ピムはあと、もう1冊しか訳されてないみたいだ。もったいない。

 私が英語ができたら、こぴっとがんばってピムを翻訳したいぐらいだわ。

 Barbara Pym 1913-1980

 もう、30年以上も前に亡くなってるんだ。オクスフォード大学卒業のインテリだ。

 ピムの世界は、当たり前の日常。そこに暮す人を語り手にして、優しい視点ながらも、けっこう辛らつで、そしてユニークで、ユーモアある言葉で綴っていく。本当に本当にすばらしい。たぶん、世界で1番すばらしいかも。うん。そうだ。世界1の作家だ。ピム!

 バーバラ・ピム読んで、ファースト・エイド・キット聴いてると、もう、それだけで動きたくない。あまりにカンペキな世界で。そう。ファースト・エイド・キットも素晴らしい。姉妹デュオ。スウェーデンの若い女の子たち。

 才能ある人たちはすばらしい。

 才能ある人たちは人生の真実をサラリと、美しく、しかし丁寧に、上品に描いていくんだよなぁ。

 いいなぁ。。。。

 ボオオとする。

 そして私は労働する。

2014年06月03日(火) プチ・ホームレス

和田、ホームレスの練習をする。。。。

 急に暑くなり、今住んでるこの家は直射日光バカ当り&べランダに屋根がないので、もう夏はおられない部屋で、でもお金がないからエアコンは今年は禁止にしたので、まぁ、仕事もないことだし、キコキコとチャリを漕ぎ、中野へ!

 バッグの中にはパンとお茶とバナナ。。。。

 いざ、中野へ。

 向かうは前に住んでいた家のすぐ後ろにある、新井薬師公園。心のふるさと。狭い公園だが、公園全体が木陰で、あんまりきれいではないベンチが幾つかあって、そこに座れる。さっそく1つを陣取って、色々とモグモグ食べ、それから延々読書。。。。延々。。。。延々。。。。

 気づいたら5時間近くいた。。。

 新井薬師公園。しかし、私がいる間、ずっと同じおじいさんもいたり。あと、ときどきいる、ギター流しジイさんと歌声仲間たちも今日もおって、昔懐かしい歌をギターと共に歌っておった。ジイさん、帰るとき、背中にギターを剥き出しのまま背負って、チャリにまたがって帰る! ギターを抱えた渡り鳥状態っ! チャリは3輪車のチャリで、後ろの荷台に楽譜をたくさん積んでいた。

 足の悪いお婆さんも、ヒマらしく、行ったり来たり、何度も来た。お婆さん、ボオオとしてたから、話しかければよかったかな。。。

 公園は清々しく。そして寂しい。ああ、でも、足の悪いお婆さんに最後の方で友達婆さんがやって来て、あずきアイスをプレゼントして行った。婆さん、ペロペロ食べていた。ずっといたジイさんにも途中、仲間が来て、話していた。

 ずっと1人だったのは私だけか。。。。ショボン。

 1人で「よくできた女(ひと)」というバーバラ・ビムという女性作家の本を読んでいた。ものすごく面白い。戦後すぐのロンドンを舞台にした、おひとりさま小説。主人公のおひとりさまの女性が辛らつで、観察眼があって、彼女の目線で色々語られていく。

 独身女性の感じ方って、今の日本も、戦後すぐにロンドンもあんま変わらない! 結婚してる女性への視点。女友達への視点。分かる分かる、うん、そうだそうだ、と思える。

 バーバラ・ビムはほとんど知られてないけど、20世紀のジェーン・オースティンと呼ばれていたような、すごい女性作家で、とうに亡くなっているけど、感性がものすごく鋭い。ああ、こんな風に書けたら最高〜〜〜〜!って感じ。

 翻訳者もいいんだろうなぁ。芦津かおりさん、という人だ。

 それにしても、みすず書房って。。。ああ、この本はみすず書房から出てるのだけど。。。。みすず書房の本て、読むとたいてい好きかもしれない。みすず書房。しかし、すごく文学すぎて、私なぞ、手も足も出ない感じ。みすず書房の編集さんとかとお話してみたいが、笑われて終りって気ぃすんな。。。憧れのみすず書房!

 しかし、憧れたところで、私は1日プチ・ホームレスだしな。。。しかしプチ・ホームレスは楽チンです。本当のホームレスは過酷で、とても難しい。

 それにしてもこんなにも新井薬師が好きなんだから、なんとしても新井薬師に戻らなければ。前に住んでいた部屋、また空いてる。まるで私を待ってるかのように。。。でも家賃がもうそんなに払えない。あああ。お金ほしいなぁ。。。

2014年06月02日(月) 仕事をください

 短期のアルバイトないかなぁ?と探して、とあるデパートのお中元時期だけのバイトに応募して、先週、面接に行ったんだ。

 ずっと前に小田急デパートのお歳暮バイトに応募しながら履歴書を忘れるという大失態を犯したことがあり。その二の舞はダメ、と思って今回はきっちりと履歴書を書いていざ会場へ。

 今どきはお中元バイトもまずはネットでエントリー。希望日に面接に行く、みたいな感じだったんだけどぉ。

 行くと会場には女性ばかり10人ぐらい。面接日はぜんぶで5〜6回あったんで、5〜60人以上は応募していたのか。。。

まずは説明。お中元のバイトだと思っていたら、お中元売り場だけじゃなくて、事務とか、食品売り場とか幾つか種類があって、勤務期間も時間もバラバラで、よく見ると私に合うのはそのうちの1パターンしかなくて、6月12日〜7月23日というやつ。時間はけっこうフルタイムだ。それに○をして、第一希望として、それだけを書いた。

 そして、いざ、面接。

 面接相手は人事の若いお兄ちゃんで。色々な時間や期間の指定があったから、それを言って。「大人数で働くに大切なことは?」とか「接客で大切なことは?」とか聞かれて、前のコンビニの例を出してスラスラ答えた。。。

 兄ちゃん、「そのお店、すごいですねぇ。とてもコンビニとは思えませんねぇ。そこまでサービすするんでねぇ」といたく感激。

 「いや、もう、和田さんはお人柄的に問題ありませんので」とまで言っていたのだが。。。

 が。

 最初、オレが週3ぐらいで。。。まぁ、でも、週4でもいいです、ぐらいのちょっとのんびりムードなことを言ったら「週4でお願いできますかね?」と翌日に電話がかかってきて。まぁ、多く働いたがいいだろうと思って、「はい、わかりました」と答えて、出勤日の説明まで受けたのに。

 今また電話かかってきて、お兄ちゃんの勘違いと、向こうの今さらの勝手な変更で「やはり7月いっぱい働いてくれないとダメ」と言って来て、採用見送りになってしまった。

 書類には7月23日まで、とあったから、それに○をして、それで面接も受けたのに、なんか、結局「要・相談」みたいのは、デパートさん内部における相談であり、働く側からの相談なんて一切受け付けないし、勝手に変更して知らん顔なんだなぁ。

 じゃ。私の面接の時間、返してよ〜〜。私の隣に最初いた女の子は、その期間と時間表だけ見て、自分に合うのはないと分かったらしく、さっさと帰ってしまったもんなぁ。

 なんかなぁ。腹立つな〜〜〜〜。

 お兄ちゃん、すごい当たり前な風に、あっさりと、「じゃ、また」とガチャンと電話切った。

 お兄ちゃん、それ、サービス業で、ありえんから。。。

 お兄ちゃん。それ、オレ、怒ったからな。
 そういう態度急変、サービス業として、ないから。永遠にあなたの名前もお店も、覚えてるから。

 それにしても、バイト、困ったなあ。。。。仕事があればいいんだがなぁ。。。仕事。。。。遠い目。

 誰か私に仕事をください!!
 あああっ!


 (つづき)ところで、今、「ハウスワイフ2.0」という本を読んでいて、もうじき終わるとこなんだけど、これはアメリカで今、女性たちが家庭回帰というか、仕事を辞めて、専業主婦になり、しかしスーパー主婦で、畑やるわ、服はぜんぶ縫うわ、家畜飼うわ、ジャム作るわ、保存食品作るわ、と何から何までぜんぶ手作りして、さらに手作りの小物をネットショップの「エッツィ」で売ったり、ブログ書いて、スーパー・ママとして有名になって書籍化されてウハウハみたいなことを書いてある本なんだけど、、、、。日本のテレビでは、そういうウハウハな部分しか紹介されてないけど。

 実はこの本に出てくる、そういう女性たちはみんなアメリカの酷い労働現場から逃げた人たちだ。。。。

 全員がエリートな女性たちなんだけど、彼女たちが働く現場は過酷で、そのくせ賃金は安く、驚いたことにアメリカには「産休制度」なんてものがちゃんと存在もせず、赤ちゃん産んでもろくに休めもせず、すべてに置いて自己責任で、そのくせ、すぐにリストラされたりする。。。。

 そんな企業にうんざりして、もう、自給自足してやる!!と宣言して、そういう風になってしまっている。というか、そういうほうが幸せ。21世紀の新しいフェミニズムは家庭にある、かつて女性は社会で働くことで解放され、自由を得たと思ったけど、違う!!という本なんだけど。。。

 しかし、アメリカのエリート女性たちよ! 99%が1%の人間に搾取されてるのは間違っていると立ち上がった、オキュパイとかああいう運動のことには一切触れられず。

 あれって、結局は貧しい女性や男性たちによる活動で、こういうエリート女性たちは、夫が働いていてお金はあるから、私はいいの、もう! と、自分の好きなことだけ始めて、でも、結局はものすごい自己顕示欲は変わらないから、ブログとか死ぬほど書いたり、あれこれやってて。。。

 まったくもって、こういう今の社会のあり方はおかしい! 企業は間違ってる! みんなで闘おう! なんて気持ちはないのだ。微塵も。。。

 それぞれが勝手に個で。

 それぞれが好き勝手に農に行って、どんどん極まって、しまいには子どもは学校にやらない!とホーム・ティーチングにして、子どもまで囲い込んで、どんどん自分という城に君臨しちゃうの。

 ああ。まるで、それって、アナ雪の氷の城?

 あの〜〜〜〜〜〜ままで〜〜〜〜〜〜、ってやつ?

 それで、何が言いたいかというと。
 今回こんな風に、アッサリとテキトーに「ま、短期バイトでしょ?」みたいなノリで、簡単に向こうの都合で「労働条件」を変えられ、それに合わないから「やっぱりダメ」なんて言われて。

 ああ。雇用の現場って、相変わらず理不尽で、ひどいな!と思ったから、そういうのを共有していけないか?ってことだ。

 私は闘いたい。ムンムンに戦いたい。モウモウに戦いたい。しかし、その術を知らない。。。アメリカの女性たちもこんなだったのか?

 そして、あきらめ、農へ行ったのだろうか?

 それで彼女たちは本当に、その、巨大な自己顕示欲を満たすことが出来てるのかな?

 とてもそうは思えないけど。。。


 
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