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2022年01月20日(木) 3年目のコロナ文革受難時勢下にどう生き残るべきか

相変わらずコロナ文革原理主義の狂気は止まることを知らず、案の定、新たな変異株を出汁として民衆から財と生命を搾取するデマゴギーをバラ巻き続けている。
更に増長したフェミファシストミサンドリーによるキャンセルカルチャーは日本萌絵文化を事実上焚書に処してその壊滅に狂奔している。
これらの狂気によって、同人誌自費出版マーケットはほぼ灰燼に帰し、壊滅状態。
おそらく、この情況は中国文化大革命、ソビエト共産主義革命、そして民主カンプチアのポルポト、クメールルージュ時代に弾圧された近代文化に携わる民衆が抱いた悲劇と同類のものだろう。
理念実践のために膨大なジェノサイドをも厭わない狂気。
この暗澹たるイデオロギーの嵐がもう3年目に突入したことに驚愕を禁じ得ない。

伊集院光の深夜ラジオで興味深いコーナーが始まった。
名付けて「SDGs馬鹿」。
SDGs遂行のためなら世界が滅びても構わないという狂信者を嗤うネタで構成されている。
流石伊集院光である。
SDGsとコロナ文革はほぼ同類の狂気。
イカレタ理念遂行に狂奔する馬鹿に付ける薬なしということを暗に訴えたかったのだろう。
SDGsやゼロコロナ達成のために人が死のうが文化が破壊されようがお構いなしというイカレタ思想に心酔している者たちを見ると、紅衛兵やクメールルージュの無垢な「革命戦士」と寸分違わぬ目の色をしている。
そして彼らの行き憑く果ては例外なく、殺戮と文化の破壊であった。
SDGs、コロナ文革原理主義、ミサンドリーフェミファシズムが「文明の敵」であることに疑いの余地がないことはこうして歴史が証明している。
これらを何の疑いもなく賞賛している者を信用してはならない。
連中は「闇」だ。
その「闇」によって、コロナ重篤者を遥かに凌ぐ無垢な民衆が自殺に追い込まれている事実を知るべきだ。

コロナ文革原理主義者が盛んにプロパガンダする「3回目のワクチン接種」。
しかし、ブースターを打ち続けることによって、ヒトの自己免疫能力は著しく阻害され、いずれはワクチンなしでは免疫を獲得できない体にされてしまうだろうという研究結果が欧州方面で発表された。
何のことはない。
このブログで散々警鐘を鳴らして来た「ワクチン漬けによる奴隷化」がまたひとつ証明されただけのこと。
「ワクチン」を打ち続けなければ他愛のない風邪ウイルスにすら免疫を獲得できず、死に至るのだと。
もはや寿命が尽きるまで「ワクチン漬け」にされ、コロナ文革原理主義者の奴隷として飼いならされるしかない。
ブースター接種はコロナ文革指導者の家畜になることを意味する。
「ブースターを打たない豚はただの豚だ!」という宣伝文句に踊らされ、哀れにコロナ文革の屠殺場に連れて行かれてコロナで暴利を貪る文革幹部富豪の餌として死んでいくしかない。
哀れの極み。

世界がこのような受難の時代に突入し、自由表現の場を奪われつつある時間線で還暦を迎えた我が人生。
これまで当たり前のように「自由」に使えた「時間」がいつしか消えつつある事実に愕然とする。
自分が若かりし1970年代辺りでは年長者がよく呟いていたものだ。
「世の中自由になって好きなことを謳歌できる時代になった。戦時中からすれば夢のような時代だ。良い時代になったものだ」

今、自分が年長者の域に達し、この時代を吐露するとなれば、こう呟く。
「若い頃の自由はもうない。狂ったコロナ文革とフェミファシストによって息が詰まるような世だ。数多の表現活動は奪われ、これから世の中はどんどん不幸になる」

身体的、経済的、精神的余裕が奪われた今、行き着く先は「貧すれば鈍す」。


2021年11月19日(金) フェミファシストに神罰が下る日は近い

コロナ文革原理主義によって汲々と喘ぐ昨今の漫画同人クリエーター界に風雲急を告げる更なる脅威が襲い掛かってきた。
キチガイフェミファシスト集団が『温泉むすめ』という日本及び台湾の温泉地をモチーフにした地域活性クロスメディアプロジェクトに対し、残虐な侵略行為に及んで来た。
日本の八百万の神や民俗土着神、伝承を基に創作された「温泉むすめ」萌えキャラクターに対し、何の科学的根拠もない「性的搾取の未成年ポルノ」と言いがかりをつけて破壊活動に乗り出したのである。
先の千葉県内自治体警察の交通安全キャンペーンVチューバーキャラクター弾圧に続いて更なる侵略行為が始まったのだ。
更にフェミファシストは自治体の法令にも干渉して侵略の足場を築こうとしている。
先日発表された東京都の「東京都配偶者暴力対策基本計画関係」においての記述の中にその予兆が顕れている。
即ち 「表現される側の人権や性・暴力表現に接しない自由、マスメディアや公共空間において不快な表現に接しない自由にも十分な配慮を払う必要があります」等の記述。
これは明らかに「萌キャラクター」を標的にしている。

「萌キャラクタ」は今やあらゆる公共の場で「市民権」を得て、様々な広告に採用されている。


電車内や繁華街などで既に見慣れたものとなって、他のカテゴリー広告と比較しても何ら違和感なく馴染み始めた。
しかし、この日本独自の誇るべき「萌キャラクター」というコンテンツを脅威と感じた外部敵対勢力が国内のフェミファシスト集団を利用して破壊工作に乗り出したのが昨今の情勢を醸し出していると考えてよいだろう。
すでに「市民権」を得たはずだったコスプレ文化の普遍化の象徴である「川崎ハロウィン」を代表とする地域コスプレ各イベントも「見えない圧力」に屈して次々と消え去っている。
外部敵対勢力は虎視眈々と日本コンテンツ潰し工作を進行させている。
そして今回、新たな標的になったのが『温泉むすめ』だったのである。

『温泉むすめ』は日本神話で温泉の神とされるスクナヒコ配下の下級神という設定だ。
もともと日本神話の神々の繰り広げる祀り事やエピソードでは猥雑なシーンも多い。
天野岩戸に隠れた天照大神を連れ戻すためにアメノウズメがエロチックな踊りを繰り広げ、性器まで露出させているのである。
神々たちの宴でそんなシーンは枚挙に暇がない。
だから日本神話の神々たちをモチーフにしているならば当然、猥雑な設定があったとしても当然である。
そもそもこれはバーチャルなフィクションであって実在する少女は存在しない。
神様に未成年という概念などあるか。
あくまで空想ファンタジーの世界なのである。
絵自体に露出過多や性的表現が描かれている訳でもない。

更には温泉街を含め、秘境、神社境内には太古より猥雑な風習、風俗は付き物だ。
東京府中の大國魂神社では明治時代位まで暗闇祭りで若者が乱交していたのだぞ。
綺麗ごとだけで商売、神事は成り立たない。
この『温泉むすめ』プロジェクトで温泉街も賑いを取り戻せているという。

それを事もあろうにフェミファシストはこの単なるファンタジー日本神話絵巻である『温泉むすめ』を「性的搾取」、「男の性欲対象」、「女性蔑視」、「性犯罪の温床」、「キャラクターを描いた作家も同罪」等という見当はずれで侮辱的な職業差別や営業妨害を含む暴言でデマゴギーを巻き散らしコンテンツ潰しに狂奔する。
どちらが差別主義者だ。
名誉棄損、威力業務妨害に相当する暴言。
己の言動を振り返るがよい。

この醜悪なるフェミファシスト。
現実世界の女性子供の権利保護など何の貢献もせず、ただフェミファシストがフェミファシストのためにしか役に立たないミサンドリー(男性嫌悪)に凝り固まり、実際のDV夫や暴力組織には一切見て見ぬふりをし、反撃してこなそうな弱い「男」だけに狂気の矛先を集中させ、同じ女性からも嫌われてかつての極左暴力集団の内ゲバの如く、同じフェミニストにも牙をむくようなクレイジーフェミファシストに人権や真の女性権利など主張する資格など微塵もない。
特に『温泉むすめ』を執拗に粘着嫌がらせ攻撃を重ねているフェミファシストは、美人局被害にあった夫を持つ妻を「夫の性欲処理女」と罵った挙句、反撃されておめおめと逃げ回ったりする卑怯者らしい。
更に自分が率いるデモ隊の正面に幼気な少女を並べて督戦隊の如く「壁」として利用したりと現実社会で少女虐待を実践している絵に描いたようなAbuseである。
よくこんなフェミファシスト差別主義者という輩がこの社会の中で発言権を持ち得るのか不思議であろう。
しかしそれには理由がある。
それは既得権力者や外部勢力にとって地位保全や侵略、内部破壊工作のための道具として利用価値があるからだ。
彼らにとってフェミファシストは都合の良い「社会的美人局」。
権力者や外部勢力が地位保全や侵略のためにあからさまに武力や暴力で押さえつける手荒な手法は逆に激しい抵抗を生みかねない。
そこで彼らは「女性や子供の権利」を錦の旗に掲げ、己の地位を脅かしそうな男たちの排除や敵対する国や民族侵略の橋頭保を築く策を編み出した。
その実行部隊がフェミファシストなのである。
だからフェミファシストがどんな「人間の屑」であろうと権力者や侵略勢力の犬として忠実に動く限り、彼女らには潤沢な資金と組織、公の場での発言権が約束されているのだ。
皮肉にもフェミファシストは己が忌み嫌うミサンドリー(男性嫌悪)対象である筈の「男たち」に雇われているのだ。
その「妾」としてしか存在し得ない哀れな宿命。
これがフェミファシストの正体である。

そんなフェミファシストに我々の誇るべき萌キャラクターが脅かされているのを看過出来ようか?
ここまで育った日本コンテンツの代表格である萌えキャラクター文化の更なる発展のためにはこの憎むべき敵、フェミファシストを完膚なきまでに叩き潰し、殲滅しなければならない。
日本コンテンツ文化に携わるクリエイター、ファン、関係者は一致団結し、総力を挙げてこの理不尽で無礼で侮辱的攻撃を仕掛けてきたフェミファシストとの戦争に完全勝利しなければならない。
この戦いに勝たなければフェミファシストは次々にあらゆる萌キャラクターを攻撃の対象として火を放ち、日本のアニメ、コミックを全て焚書にし、日本コンテンツを灰燼に帰すつもりである。
フェミファシストに理性的説得は一切効かない。
己を過ちを認めることなど一切ない。
なぜならフェミファシストは「まともな人間」ではなく、ミサンドリー(男性嫌悪)という衝動に駆られる化け物モンスターだからだ。
フェミファシストの暴言を徹底無視し、侮辱されたクリエーター、運営者、温泉街の良識ある市民と共闘し、『温泉むすめ』を守っていかねばならない。
すでにツイッター内では「ありがとう温泉むすめ」というハッシュタグで反撃攻勢は始まっているようだ。

この戦いは日本神話の神々達を侮辱した聖戦でもある。
フェミファシストは過ちを犯した。
いつもの日本コンテンツに対するヘイト行為で私腹を肥やそうとしたつもりだったろうが、実際は神聖なる八百万の神の領域に土足で踏み込み、温泉の神々達を汚し愚弄したのだ。
その報いは遅かれ早かれ神罰としてフェミファシストの頭上で炸裂するだろう。
神の怒りに慈悲はない。
恐怖に慄いて審判の日を待つがよかろう。

自業自得だ。


2021年11月08日(月) 神無月に想う

今年もあと2か月弱となる。
例によって流行どころか聞いたこともない「流行語大賞」がノミネートされるシーズン。
陰々滅滅としたコロナ文革原理主義吹き荒れたこの2年。
「原因不明」のコロナ「感染者」減少。そもそも感染と陽性の区別も曖昧で本当にコロナが原因で疾患し、更に重症や死に至っているのかという科学的エビデンスもなく、ただ集団ヒステリックを起こしただけの茶番が実態なのだろう。
その結果、子供や女性の自殺が増えた事だけは紛れもない事実。
その責任は全てコロナ文革原理主義者にあるにも拘らず、だれも責任など取ろうとはしない。
如何にこのコロナ文革が欺瞞と無責任に満ちた犯罪的イデオロギーであったかが垣間見れる。

コロナ文革と並行して胡散臭さに満ち溢れているのが持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)だ。
2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記載された、2030年までに持続可能でよりよい世界を目指すとかいう国際目標。
そもそもどの位の人間が本当の意味を解ってこの言葉をつかっているのだ?
2030年までにすべての貧困、飢餓を終わらせるとか健康維持福祉を促進させるとか質の高い教育、ジェンダー平等脱炭素とか環境保護とか、口当たりの良いことを羅列しただけで実際は何一つ達成させられる気配もない目標ばかり。
それどころかこの画一的思想を全世界に押し付けて、それぞれの民族が持つ固有の宗教、風習、文化を否定するだけで紛争の種をバラまくのがオチ。
日本の同人誌文化などたちまちこのSDGsの餌食にされて根絶やしにされてしまうだろう。
所詮は新しい既得権者の利権が絡んだ「金儲け」の話に過ぎない。
コロナ文革と何ら変わらぬ詐欺まがいのデマゴギー。
真に受けたら身包み剥がされよう。
脱炭素云々にしろ、石炭石油という化石燃料依存からそう易々と脱却できるとでも思っているのか?
「産業革命」以降、爆発的な科学技術の発展に伴う生活向上は化石燃料抜きには考えられない。
原子力という次世代エネルギーをコントロール出来ないからと言って放棄してしまう「後向き」なエネルギー革命に未来などない。
そもそも人間自体もこの地球総体たるガイアの一部だ。
ガイアの意思として敢えて人間をして「炭酸ガス」を大量に放出させているのかもしれない。
一説によると長い歴史スパンで鑑みれば地球は新たな「氷河期」に向っているという。
それを抑制させるために化石燃料を消費し、炭酸ガスを大気に還元し温室効果を発揮させ、地球の冷却化を抑えているのとしたら。
エントロピーの増大こそが文明にとって不可欠であり、それを停止した瞬間に文明は滅びる。
エントロピー増大のない持続可能な開発目標など存在しない。
環境を汚さない自然エネルギー云々とか言っているがそもそもこれ自体が欺瞞である。
太陽光パネルを設置するために炭酸ガスを吸収する森林を伐採しているこの大矛盾。
結局のところカタチが変わるだけで自然エネルギーも環境破壊しているのだ。
風や潮流、地熱、太陽光、水力どれを取ってもエネルギー変換していることに違いないのでエントロピーは増大し続ける。
化石燃料となにが違うのだ?
根源的にエネルギー効率を考えるならば、人間はこの哺乳類という不要な体を捨てて魂の器を質量のないレベルへ質転換しなければならない。
国や地域や家や性別、財産、記憶、宗教、喜怒哀楽、さらに身体そのものを全て捨て去り、プラズマのような一つのエネルギー体に「進化」して初めてエントロピー増大なしで生存可能となろう。
だがそんなものが2030年までに出来ると思っているのか?
1万年早い。
いや、そもそもそんなエネルギー集合体が「生き物」といえるのか?
SDGsは人が人としての存在を否定するための破壊思想だ。
結局のところコロナ文革同様、SDGsなる存在は無垢な民衆から財産生命を搾取するイデオロギーのためのデマゴギーでしかないことを確と心得ておかねばならない。

先日、国政選挙があった。
無論白票である。
老害世襲与党と無能役立たず野党の誰に投票しろというのか?。
誰一人コロナ文革に対し宣戦布告せよと呼び掛ける候補者も居らず、もはや投票するに値する価値なし。
しかし選挙権だけは行使する。
白票や無効票は「死に票」になるから意味がないなどと宣い、無理やり候補者の名前を書けと強要してくる輩が多いが、余計なお世話である。
こちらは選挙制度そのものを不信任にしているのだ。
2021年になっても1950年代から思考停止しているような「右左」の価値観から脱却できない無能老害世襲と100年以上前のイデオロギーを引きずっている化石思想馬鹿痴呆しか立候補できない選挙制度など一度潰しておかないと埒が明かない。
票の大多数が無効票になれば自ずとその選挙自体が不信任に繋がるだろう。
そのために白票を投じているのである。
これからは『地獄の黙示録』のカーツ大佐や『ラピュタ』のムスカ、『パトレイバー2』の柘植行人のような人物を政治の場に送り込んで日本を刷新せねばならぬ。
これまでの有象無象の偽政屋は一刻も早く一掃しなければならない。
だからこの不毛な選挙制度を不信任するために白票を投票箱にねじ込んでいるのだ。
我が信念に一点の曇りもない。

小松左京原作「日本沈没」がまたドラマ化されている。
舞台は2020年代らしい。
原作が書かれた1970年代当時の日本は東アジアで唯一の経済大国。
国内は何処へ行っても人の波。行楽地は芋を洗うような情況。
「エコノミックアニマル」と揶揄され、世界には「メイドインジャパン」の製品で溢れた一方、各国に民間商社の太いパイプや黒幕的な人脈もあって生産人口比率も高く、「高度成長的ガンバリ」で乗り切るリアリティがあった。
今はその全てがない。
超少子高齢化で人口も減り、経済大国の座からも崩れ落ち、台頭した中国覇権主義に脅かされる日々。
こんな状況で「日本沈没」を描くとなると相当悲惨なシナリオとなろう。。
今はどの国もナショナリズムが台頭して難民問題もシビア。
東西冷戦下、米国が世界の警察官の立場で居られた1970年代とは様相が一変して、「反日」が国是の中国がイニシアチブを握って相対的に国力の堕ちた日本という情況下での令和版「日本沈没」はより悲観的に描かないと現実味がでない。
もはや高度成長期のような国際的地位も主体的行動力も経済力も失った日本は「D計画」のようなオペレーションを遂行できる能力もなく、各自勝手に逃げ出すしかない。
混乱の中で沈みゆく列島を脱出出来るのは老人ばかりの2000万人程。
中国に収容された日本難民は奴隷労働力として酷使する価値もないから、中国奥地のタクラマカン砂漠に1000万単位で放置され、「反日無罪」を叫ぶ中国人民に財産だけ奪われて嬲り殺され、死体の山になるシーンは必須だ。
どの国にも日本人居留地は作らせず、自治権もなく、皇室も解体され、ただただジプシーのように死に逝く民族として描かなければだめだ。
ご都合主義の安っぽいセンチメンタルな嘘くさいヒューマニズムで固めた話で作るのならば、そんなものは観る価値もない。
死屍累々で一切の希望なしが令和版『日本沈没』真骨頂である。

最近、民間のロケットを使った「宇宙旅行」のニュースが時折流れるが、どれも「金持ちの道楽」レベル。
そのロケットも1950年代のB級SFで描かれた葉巻型ロケットで逆噴射で着陸するタイプ。
まるで時代が遡って陳腐さが半端ない。
『2001年宇宙の旅』で描かれたような先鋭的デザインも人類の発展と英知を象徴する思考の欠片もない。
スペースシャトルが退役してからの宇宙開発頽廃感は酷い。
いずれISSも引退したらもう宇宙には「金持ち道楽」のための大気圏外遊園地の遊具しか残らないだろう。
これもSDGsの影響が見て取れる。

ハロウィンの日に電車内で暴れた男。
同情を禁じ得ない。
絶望独身男性として社会から「お荷物」「ゴミ」として非難され、行き場を奪ってしまったから当然の成り行きである。
女だったら生理用品が買えないだけで「貧困女子」とかでスポットライトが浴びるのに、独身絶望男性はいくら物質的精神的に困窮しても国や自治体から援助されることもなく、世間マスコミからは「犯罪者予備軍」として叩かれ、社会のゴミとしてスケープゴートにされるだけ。
リミッターが全部外されたならば「無差別殺人」という動機を抱いても何の不思議はない。
社会の安全を謳いたいならば、まず独身絶望男性に対して尊厳を与えよ。
いくら警備しようとこういった「特攻絶望独身男性」予備軍は幾らでもいる。
一向一揆のように捕まえても捕まえても菊水作戦の特攻機の如く次から次へと突っ込んで来るぞ。
コロナ文革やSDGsという欺瞞で人々を欺こうとするのと同様に絶望独身男性を己の既得権を維持するための生贄として放置する下手人は皆同じ穴のムジナ。
普段からフェミファシズムに阿き諂い、独身絶望男性をゴミのように扱ってきた輩は震えて眠れ。
因果応報だ。
覚悟せよ。

2021年も間もなく終わる。
しかしコロナ文革原理主義者は虎視眈々と、次のコロナ儲け話を画策し、「第6波」を「捏造」しようと必死になっている。
だから来年もまた重苦しく、陰々滅滅とした日々が待っているしかない。
来年はコロナ文革切り札のロックダウンが始まるだろう。
人々は強制的に閉じ込められて今年以上の自殺者が出るだろう。
もはや希望はどこにもない。


2021年10月08日(金) 「生きる闘争」せぬ者に未来はない

10月に入ってから一週間。
緊急事態宣言なるものが解除され、「感染者」数も「激減」。
TVに出ている「専門家」なる者も理由が解らないという。
「感染者」が増えているときは散々行動制限を喚き立て、外出市民を罵倒し煽りまくっていたのに、減少に転じた途端、理由が解らないなどと開き直る様は厚顔無恥極まりない。
結局のところは誰にも「コロナ禍」の真の実態など解りはしないのだ。
いずれまたこじつけて「感染者数」なるものを増やしてロックダウンを実施し、コロナ文革原理主義の継続を謀るためのデマゴギーを振りまくのだろう。

少し前、どこかのネットニュースで都の医師会がコロナ患者対応のための補助金をたんまり受け取っているにもかかわらず、多くの病床ががら空きになっていると報じられた。
平然と医療放棄し、その一方で私腹を肥やす犯罪者集団たる医師会。
常識的に考えればどう見ても詐欺に他ならないのにコロナ文革原理主義首謀者の一員である医師会に批判や官憲のメスが入ることはない。
結局マスコミもこの医師会の犯罪行為を糾弾するどころか一切報じず、むしろグルになって国民に自粛を強要し、「第6波が来て医療崩壊が起きるぞ」と脅迫し続けている。
もはやまともな世界ではない。
悪党がのさばる無法地帯の様だ。
ワクチンの強要も露骨になってワクチンパスポートなるものでワクチン未接種者を炙り出して公然とスケープゴート化を謀る。
急速に変異する風邪系ウイルスに対し、ワクチン接種はナンセンス極まりない。
費用対効果を考えても無意味。
にも拘わらず、未来永劫ワクチン接種を一般市民全員に強要し続けるのは、コロナ文革原理主義にとってこれが必須の生存条件だからだ。
無垢な市民を家畜のようにワクチン漬けにすることでコロナ文革は維持されている。

どこかの警察署が交通安全キャンペーンとして美少女Vチューバーを起用したところ、フェミニスト議員連盟とかいうキチガイ団体から「女性を性の対象にして犯罪を助長させる」という難癖脅迫を受けて止む無くこのVチューバー動画を取り下げたという。
フェミニズム、SDGs、自然エネルギーシフト政策、レジ袋廃止、ストロー禁止等、マスコミが大キャンペーンを張る様々な運動は、今次のコロナ文革同様、「女性、子供の権利」、「地球環境保護」、「脱炭素」等口当たりの良い事を謳っておきながら実態は偏狂なイデオロギーに基づく既得権者による巧妙にカムフラージュされた覇権策謀に他ならない。
前途したVチューバーも実際は「女性」が経営、製作する会社。
それに対し脅迫文章で抹殺を謀る行為のどこが「女性の権利」保護だというのだ?
自然エネルギー推進にしろ、炭酸ガスを吸収する森林を破壊して太陽光パネルを設置し、周辺環境を劣悪化させることの何処が「エコ」で「脱炭素」なのか?
バッテリー駆動の移動体にしろ、それを製造する過程のほうが余程CO2排出してしまうという事実。
実態はまったく真逆のことをしているのだ。
全てが嘘と欺瞞に満ちている。

内親王女性皇族が一般男性と婚約して「駆け落ち」に近いカタチで皇室から無一文で追い出されるという。
なんとも御労しいことか。
男と女の恋愛事情など身分がどうあれ当事者同士が決めること。
部外者が口を突っ込む謂れはない。
恋愛とは遺伝的に遠い存在程、惹かれ合うそうだ。
それは種の存続には重要なファクターだ。
近親者、似た血筋同士では遺伝的に弱い子息しか生まれず、結局は絶えてしまう運命。
だからこそ、内親王妃殿下は敢えて身分のかけ離れた品格が良いとは言えぬ下世話そうな男を好きになったのである。
全く血統も家系も重ならない二人から生まれる子はその両方の「血」を受け継いで、生存競争に勝ち残っていくだろう。
これこそが生きるための闘争である。
例えこの縁が失敗に終わっても、誰にも責める権利はない。
人間は新しいステージにチャレンジし続ける生き物だ。
12歳の少女と還暦過ぎた男が結婚しても数多の可能性の一つだ。

今日のコロナ禍もそうである。
未知のウイルスを受け入れて、更なる強靭な免疫システム獲得するという悠久の「ガイアの必須通過儀礼」なくして未来はない。
嘘と欺瞞に塗れたコロナ文革原理主義に屈してしまったら、この「生きる闘争」を放棄してしまうことになる。
その挙句、脆弱な身体のまま、怯えながら死を待つだけの種族と成り果ててしまうだろう。
もし生き残りたければ内親王妃殿下が決断したように未知なる血統を受け入れるのだ。
鬼舞辻無惨から血を分けてもらった魘夢のように強靭な身体を獲得すること。
それがコロナウイルスとの融合に他ならない。

今年もあと3か月。
全ての欺瞞を打ち破り、「生き残る闘争」に邁進しよう。


2021年09月09日(木) コロナ文革原理主義者が仕掛けた幻の「コロナ戦争」という幻覚と洗脳を解くべし!

2021年も7月が終わろうとしている。
例年ならば各地で花火大会も開かれ、半月後のお盆に向けて様々な旅行の計画や祭りの準備も行われる季節。
が、今年も狂気吹き荒れるコロナ文革原理主義の嵐によって全てがご破産状態。
2年連続の「コロナ監獄」状態が続く。

コロナウイルスは順調に変異を続け、人間の体内に順応するよう急速に進化し続けている。
デルタ株なるもので加速度的に人間との生態融合率を上げ、以前より容易く共棲状態に至るまで完成度を上げてきた。
更にイプシロン株、ゼータ株、シータ株、イータ株においてはもはや如何なる障壁もなく、人体との融合が可能となろう。
コロナウイルスを使った地球規模の生命OSアップデートとパッチは間もなく何もしなくとも「自動更新」という形で人体に取り込まれるステージに入った。
これは地球生命体がその発生より営々と受け継がれた不可逆的システムの一環としての通過儀礼に過ぎない。
この悠久の通過儀礼をこれまで人類は当然のように無意識的に受け入れてきたのだ。
とるに足らない病原性の犠牲者はグローバルな視野からすればワクチンの事後反応と同じレベル。

ところがこの21世紀になって「人類だけが特別清潔な存在であるべき!一人の犠牲者すら看過するな。数多の役に立たない雑菌ウイルスどもを薙ぎ払え!」の如き選民思想的潔癖原理主義が独善的欺瞞マッドサイエンティストによって台頭。
それがコロナ文化大革命原理主義の始まりだ。
挙句の果てに「コロナが人類に戦争を仕掛けた!」なる狂気のプロパガンダで人々を扇動し始めた。
悠久なる生命OSのアップロードに過ぎないコロナウイルスとの生体融合を「穢れた邪教ウイルスの侵略」と曲解宣布したその結果がこの有様である。

新規感染者数が都内で3000人を超えた等とコロナ文革紅衛兵たるマスコミは狂気のボルテージを更に上げる。
が、コロナウイルスが進化し、ヒトとの共棲を最終目的としている以上、当然の成り行きだ。
それをいつまでも「感染」なる言葉で欺瞞を続けていれば、もはや救いはない。
これは「感染」ではなく「共棲」なのだ。
そしてその流れはもう止めることなど出来ない。
コーヒーにクリープを流し込む如く、元に戻すことは不可能。
ましてや「ゼロコロナ」など世迷言の極み。
にも拘らず、この期に及んでもコロナ文革原理主義者が「感染絶対阻止!」を叫ぶのは狂気以外の何ものでもない。
コロナウイルスはこれからも進化し、何の抵抗もなく人体に取り込まれる。
デルタ株の次はイプシロン株が来るぞ。
さあ、どうする?
もう、マスクなど利かないよ。
10m離れても容易に「生体融合」してくるぞ。
更にゼータ株は強力な融合能力を持って100m離れてもいとも簡単に体内に取り込まれよう。
通勤電車など一瞬で全員「感染」だ。
もはやワクチンなど意味を為さない。
究極のコロナウイルス最終進化体系はオメガ株だぞ。
もはや「自動更新」に近い。
如何なる防壁もワクチンも通用しないだろう。
瞬時にして広域レベルで「感染」してくる。
そしてそれは何ら病原性を持たない。
ヒトとウイルスは完全共棲し、生命OSのアップデートはこれで自動更新完了となる。

もはや「抵抗」は何の意味もなさない。
コロナには「無条件降伏」が相当である。
この期に及んで「感染」を止めることは絵空事の類。
もっともコロナは人間に「戦争」など仕掛けてはいない。
「戦争」と思い込んでいるのは人間のほうだけ。
ただの生命OSアップデートをパンデミックという「戦争状態」に捏造し、人々を不安と絶望に駆りたて、その財産と生命を搾取するため計画されたものが「コロナ禍」であり、その首謀者こそコロナ文革原理主義者なのだ。
勝手にウイルスとの戦争状態を偽装し、人々を不安と混乱に陥れているこの状況を打破しない限り、人々の不幸は永遠に続くだろう。
コロナ文革原理主義者はいずれ「緊急事態宣言」なるものを更にバージョンアップさせて、ロックダウンを実践し、人の流れを強制的に抑制し始める。
そんなことをしても変異進化し続けるコロナには「無駄な抵抗」なのに、「ゼロコロナ」がコロナ文革原理主義の最終目的である以上、人々がコロナ以外で困窮したところで「知ったことではない」のだ。
そのうち「呼吸制限」すら勧告されよう。
かつての総力戦で「本土決戦」を叫ぶのと同じである。
勝てる見込みなど全くないのに、ただひたすら「コロナ戦争」に人々を支離滅裂に駆りたて続けるのがコロナ文化大革命の完遂には絶対条件なのである。
人がコロナ以外で死のうとその「革命」には関係ない。
コロナに「感染」させないことが至上主義であるから、コロナ以外の死は眼中にない。
だから、コロナに感染する位なら、自決するほうがましだと。
サイパンのバンザイクリフのように、コロナ感染が不可避なら自ら推んで断崖から飛び降り命を絶てとコロナ文革原理主義者は強要してくるだろう。
いずれコロナ文革最右翼の西浦マッドサイエンティスト等は「コロナに罹る位なら一億総玉砕だ!この命令に逆らう者は異端者だ!即刻処刑せよ!」とコロナ紅衛兵たるマスコミを通じて集団自殺と同胞同志の殺し合いを呼び掛け始めるだろう。
これが狂気なくして何か?
いくら籠ろうとも、もはやコロナとの生体融合は避けられない通過儀礼となった。
変異種の急速な進化は人類に対するコロナからの「ポツダム宣言」である。
コロナ文革原理主義者と心中する位なら、コロナと融合したほうが余程マシだ。
何が「危機感が足りない」だ!
狂っているのはそっちのほうだろう?
もはや緊急事態宣言の規制も、来るべきロックダウンもただただ人々の生活を苦しめるだけで、何の効果も為さない。
コロナ変異株はすでに普通の水疱瘡並みの「感染力」で、更なる変異種はそれよりも「感染力」を高めてくる。
しかし病原性はそれに比例して低下していく。
もはやコロナを「感染」と認識するステージは終わった。
これからはコロナとの「生体融合」として看過していく段階に入った。
即刻全ての規制を解除し、指定感染症5類に格下げすれば「医療崩壊」等という馬鹿げた状況は一日にして終わる。
コロナは「敵」ではない。
一刻も早くコロナ文革原理主義者が仕掛けた幻の「コロナ戦争」という幻覚と洗脳を解かねばならない。
それ以外にこの狂気から逃れる術はないのだ。

にも拘らず、コロナ文革原理主義者に扇動された無能馬鹿の首長、老害世襲与党、役立たずゴミ野党、利権に縋る医師会、漁夫の利を漁る医療関係者はこの期に及んでも「コロナとの本土決戦」を叫び、人々に「玉砕」を呼び掛けるごとく「緊急事態宣言」発布に狂奔している。
気違いが無能を扇動し、愚衆をコロナ脳化させてこの国を奈落の底に堕とそうとしている有様は滑稽でもある。
もうこの国の舵取りをこんな狂った痴呆に任せては未来はない。
志ある真っ当な市民一人一人が「緊急事態宣言」に対し、敢然と抵抗無視し、レジスタンス活動を展開していく以外、この禍から逃れることは出来ない。
さあ!この夏は徹底的に外出し、コロナとの「生体融合」を果たし、この欺瞞なコロナ文革との闘いに挑もうではないか。
オリンピック会場にも集合し、お台場の聖火に集い、宴を催し、祝典を盛り上げよう!
コロナ文革狂信者たる西浦が破壊しようと画策するパラリンピックを成功させよう!
「サマーウォーズ」の始まりだ!
闘うべき「敵」はコロナではなく、コロナを出汁にして人々の生活、財産、生命を搾取するコロナ文革原理主義者である。
この闘争に勝利して再び祭りと歓声に溢れる「夏」を取り戻そう!


2021年09月08日(水) コロナ文革原理主義覇権野望者にとっての「マイベイビー」COVID19

相変わらずコロナ文革紅衛兵たるマスコミはコロナ恐怖洗脳デマゴギーに狂奔している。
変異種によって重症者が増えているとか、インフルエンザよりも患者数は多いとか盛んに宣伝している。
しかし、いったいその重症者とは何なのだ?
本当にコロナウイルスが原因だというエビデンスには程遠い。
単に検査で陽性反応が出たというだけで片っ端からコロナと決めつけている気配が濃厚だ。
むしろ自粛を強要され、外出を控え過ぎ、免疫抵抗力が弱り、従来なら問題にならないウイルスや病原菌などによって体調悪化に至った者を片っ端からコロナ認定しているだけなのだろう。
コロナだけを特別視して抽出すれば自ずと「コロナ」患者数は増える。
一方で過去インフルエンザ重篤者を「インフルエンザ」患者としていちいちカウントするとは思えず、従来の基礎疾患名として処理するはずだ。
だからインフルエンザ重篤者のほうがコロナよりも少ない等という理屈の信憑性は低い。
自宅療養者が激増なんて騒ぐが、そもそも季節性インフルエンザ患者の大半は自宅療養が普通ではないのか?
こんな極端なバイアスをかけてコロナを特別視する報道に「真実」など到底存在するはずがない。

新国立競技場の色分けされた観客座席。
恰も客がいるかの如く錯覚するよう配置されているらしい。
オリンピック中継を観ていた高齢者が「客がずいぶん入っているではないか」と呟いていたのを目撃した。
なるほど。
「コロナ禍」も同じ仕掛けなのだろうと。
恰も恐怖の病が蔓延していると「錯覚」させる巧妙な技はこの色分け座席配置と同じなんだと。
高齢者は簡単に引っかかるわけだ。


BSで「水爆の父」であるテラーのエピソードドキュメントを観る。
科学者にとって国家からの研究予算は死活問題である。
お金がなければどんな「発明」も「絵に描いた餅」でしかない。
予算獲得こそ、科学者の野望現実には必須条件となる。
テラーも水爆開発のためには何としても国家から膨大な研究開発予算を分捕らねばならなかった。
そのために手段は厭わない。
1950年代の冷戦下、このままではソ連が先に水爆を作ってしまうと政府に危機感を嗾け、ライバルの科学者には共産主義者のレッテルを張り付けてその地位を奪い、己の覇権現実に邁進した。
こうしてテラーは膨大な予算と発言力を獲得して水爆を現実のものとした。
テラーは初の水爆実験成功を知ってその爆弾を「マイベイビー」と称した。
これが科学者の実態である。

今日のコロナ文革原理主義世界覇権に狂奔する感染学者もまた、テラーと同じ。
己の感染防疫理論を使ってこの世界を支配しようと企むマッドサイエンティストはコロナウイルスの病原性を殊更誇張し、マスコミを使って恐怖と不安をまき散らせば、狼狽した政府がその対策費として自分ら達に膨大な研究予算を投入することを知っていた。
早速、己の野望に飢えたマッドサイエンティストは人脈を駆使し他の感染学者、IT企業、製薬会社、医師団体、マスコミに「凄い金儲けの話」があるからと持ちかけ、懐柔し、この情況を作り出したと考えても不思議はない。
こうして連中は「偽装されたパンデミック」で莫大な研究開発費を手にいれた。

彼らにとってコロナウイルスは己の野望を現実化させてくれる可愛い「マイベイビー」である。
その「マイベイビー」が暴れれば暴れるほど暴利を貪ることが可能になり、人々の上に君臨することが出来る。
だから「マイベイビー」たるコロナウイルスは永遠に「恐怖ウイルス」でなくてはならないのだ。
次々に「恐ろしい変異種」を出現させ、マスコミを使って恐怖を煽り続ければ続けるほどコロナ文革原理主義は強力な支配制度として盤石な錬金システムとして稼働するのだ。
マスク強要もワクチン強要も彼らの支配欲を満たすために作られたシステムだ。
ワクチンが効かないのは当たり前である。
効果が出てしまったらコロナ文革原理主義はその時点でご破算だ。
彼らの覇権の野望もそこで終わってしまう。
だから出来るだけこの「コロナ禍」を長引かせるために「効かないワクチン」を製薬会社に作らせているのだと考えれば解りやすい。
哀れなコロナ脳国民はその後、次々に3回、4回、5回、いや10回、100回と「効かないワクチン」を打たれ続けるだろう。
4回目からワクチン接種は実費である。
コロナ脳庶民はとにかく「コロナが怖い」と洗脳されているから、大枚叩いても接種後の高熱に苦しんででも「効かないワクチン」を打ち続けることを希望する。
これがコロナ文革原理主義首謀者が計画した己の手を汚さずして哀れなコロナ脳から無限に財産を搾取出来る「人類ワクチン補完計画」システムである。彼らにとっては濡れ手に泡だ。
笑いが止まらないだろう。
ほっといてもコロナ脳庶民はお金を貢いで無条件で帰依してくるのだからね。
こんな楽しい人生はあるまい。
騙されやすい高齢者の懐柔は上手くいった。
次は若者をターゲットにと、紅衛兵マスコミをして市中に「効かないワクチン」接種所を設けてどんどん「次のカモ」を懐柔していく。
コロナ文革原理主義者にとって「可愛いマイベイビー」コロナウイルスはこれからも恐怖の対象としてどんどん暴れてもらわねばならない。
そしてコロナウイルスを「恐怖の病」と信じて疑わない哀れなコロナ脳国民は死ぬまで搾取され続けるのだ。


2021年09月06日(月) 儚きぞ2020オリパラの悲哀

9月5日、東京オリンピック、パラリンピック全日程が終了した。

1964年の東京オリンピック時はまだ5歳で、オリンピックがまだ何たるかも解らず、白黒テレビに映っていた水泳競技を朧げに記憶していただけ。
1972年は札幌冬季オリンピック。
多感な13〜14歳の自分には最も印象深い自国開催のオリンピックとなった。
70m級ジャンプ競技でメダル独占。笠谷、今野、青地という選手名を今でも覚えている。
「日の丸飛行隊」というキャッチフレーズもこのオリンピックが発祥だ。
フィギュアスケートのアメリカ選手ジャネットリンも印象深い。
そしてトア・エ・モアが唄った『雪と虹のバラード』が思春期の琴線に触れた。
当時のオリンピック記事の新聞切り抜きは今でも大切に保管している。
1998年は長野冬季オリンピック。
自国開催で初めて現地まで足を運んだ大会。
東京から長野新幹線を使った。
長野駅前では盛んにピンズ交換され、グッズもいくつか購入した。
マスコットは確かスノーレッツだったか?
一方で競技に関してはあまり興味は湧かなかった。誰がメダルを獲ったか殆ど思い出すことが出来ない。
自国開催オリンピックは競技そのものより、国際的祝典に自ら参加出来る喜びこそ意義があることを悟るようになった。

そして、2021年東京オリンピック。
57年ぶりの地元オリンピックであったが、コロナ文革原理主義者の破壊活動によってすべて台無しにされてしまった。
ほとんどが無観客試合。更にオリンピックに付帯するイベントは完全に中止。
祭りとしての存在意義はまったくなくなった。
テレビ中継だけが辛うじて維持されたが、殆ど視聴するに値せず。
観客のいない競技場の画像には熱気の欠片すら感じられず、悍ましいコロナ文革原理主義という不気味なカルト宗教イデオロギーによって、重苦しい空気が支配していただけ。
そもそもテレビ観戦だけだったら世界中どこでも同じ。
肌でオリンピックの雰囲気を感じられる事が自国開催の大きな意義なのである。
結局、長野オリンピック時に存在した世界各国の観衆との交流もピンズ交換も一切なく、コロナ文革紅衛兵たるマスコミの「反オリンピック扇動」でゾンビと化したコロナ脳愚衆のネガティブ世情が祭りとしての体裁を破壊尽くし、砂を噛むような時間が過ぎただけで終わってしまった。
恰も1970年代中国文化大革命のごとし。

1964年の東京オリンピックから1998年の長野オリンピックまでは紆余曲折ありながらも高度経済成長の余力に助けられ、少なくとも「祝典」としての体裁は維持されていた。
ところがこの2021年の東京オリンピックは「祝典」どころか、超少子高齢化で経済的地位を失い、既得権にしがみ付く老害世襲に搾取された日本国民が更なる狂ったカルトコロナ文革原理主義者によって食い物にされる茶番の場と化してしまった。
もはやこのオリンピックは国民を一体化させる歓喜の祝典ではなく、日本人同士を反目、対立、憎悪、差別に駆りたてる梃子でしかなかった。
東京オリンピックは完全にコロナ文革原理主義者の玩具と果てた。
今の若い人達は自分が1972年の札幌オリンピックで受けたような感銘をこの東京オリンピックで享受することはなかったろう。
悍ましいコロナ文革原理主義によってコロナ一色に真っ黒く塗りつぶされた無味乾燥で息苦しく不自由な時間だけが記憶に残る。
何と哀れな青春だろう。
そこまでして若者の未来を台無しにしたにもかかわらず、コロナ文革原理主義者と愚かなコロナ脳にとってはコロナの恐怖を煽ることが全てであって、若者からオリンピック観戦の機会を奪ったことには「そんなこと知ったことか」なのである。

もはや尋常ではない。
そう、まさしく「貧すれば鈍す」である。
これまでの自国で開催されたオリンピックの中で今回のは最もさもしく、貧相で、愚劣な大会となった。
経済力を失い、少子高齢化で若い創造力を失った国が如何に惨めかを象徴している。
「振り込め詐欺」に騙され、慌てふためきながらコロナ文革原理主義という詐欺集団の口座に有り金を突っ込む哀れな痴呆老人如きの今日のコロナ脳日本人にそもそもオリンピックを開く資格などなかったのだ。
騙されているのに気付きもせず、ワクチン接種自慢に終始する馬鹿なコロナ脳愚衆によって数多のイベント、祭りはコロナ文革原理主義者の意のままに破壊され、いずれ気が付けば身包み剥がされて彼らの奴隷、下男に成り果てるのも時間の問題だろう。
今回のオリンピックはその始まりに過ぎない。

この国はもう本当に終わってしまっているのだろう。
次の宰相候補に、このコロナ文革原理主義からの支配脱却を強力に実践出来る者は見当たらない。
ましてや「ゼロコロナ」を喚く無能野党は最初から論外である。存在価値すらない。
冬に向かい、この悍ましいコロナ文革の嵐はますます荒れ狂う。
コロナ脳に侵された国民は自ら墓穴を掘って喜んでその中に飛び込んでいくのが手に取るように解る。
「馬鹿は死んでも治らない」とはこのことだ。

もう、自分の生涯で次の東京オリンピックはないだろう。
いや、遅かれ早かれこの日本という国すら存在し得ないかもしれぬ。
最後の東京オリンピックがこんな陳腐で茶番に満ちたみっともないモノとは想像もしていなかった。
哀れの極みである。


2021年07月31日(土) コロナ文革原理主義者が仕掛けた幻の「コロナ戦争」という幻覚と洗脳を解くべし!

2021年も7月が終わろうとしている。
例年ならば各地で花火大会も開かれ、半月後のお盆に向けて様々な旅行の計画や祭りの準備も行われる季節。
が、今年も狂気吹き荒れるコロナ文革原理主義の嵐によって全てがご破産状態。
2年連続の「コロナ監獄」状態が続く。

コロナウイルスは順調に変異を続け、人間の体内に順応するよう急速に進化し続けている。
デルタ株なるもので加速度的に人間との生態融合率を上げ、以前より容易く共棲状態に至るまで完成度を上げてきた。
更にイプシロン株、ゼータ株、シータ株、イータ株においてはもはや如何なる障壁もなく、人体との融合が可能となろう。
コロナウイルスを使った地球規模の生命OSアップデートとパッチは間もなく何もしなくとも「自動更新」という形で人体に取り込まれるステージに入った。
これは地球生命体がその発生より営々と受け継がれた不可逆的システムの一環としての通過儀礼に過ぎない。
この悠久の通過儀礼をこれまで人類は当然のように無意識的に受け入れてきたのだ。
とるに足らない病原性の犠牲者はグローバルな視野からすればワクチンの事後反応と同じレベル。

ところがこの21世紀になって「人類だけが特別清潔な存在であるべき!一人の犠牲者すら看過するな。数多の役に立たない雑菌ウイルスどもを薙ぎ払え!」の如き選民思想的潔癖原理主義が独善的欺瞞マッドサイエンティストによって台頭。
それがコロナ文化大革命原理主義の始まりだ。
挙句の果てに「コロナが人類に戦争を仕掛けた!」なる狂気のプロパガンダで人々を扇動し始めた。
悠久なる生命OSのアップロードに過ぎないコロナウイルスとの生体融合を「穢れた邪教ウイルスの侵略」と曲解宣布したその結果がこの有様である。

新規感染者数が都内で3000人を超えた等とコロナ文革紅衛兵たるマスコミは狂気のボルテージを更に上げる。
が、コロナウイルスが進化し、ヒトとの共棲を最終目的としている以上、当然の成り行きだ。
それをいつまでも「感染」なる言葉で欺瞞を続けていれば、もはや救いはない。
これは「感染」ではなく「共棲」なのだ。
そしてその流れはもう止めることなど出来ない。
コーヒーにクリープを流し込む如く、元に戻すことは不可能。
ましてや「ゼロコロナ」など世迷言の極み。
にも拘らず、この期に及んでもコロナ文革原理主義者が「感染絶対阻止!」を叫ぶのは狂気以外の何ものでもない。
コロナウイルスはこれからも進化し、何の抵抗もなく人体に取り込まれる。
デルタ株の次はイプシロン株が来るぞ。
さあ、どうする?
もう、マスクなど利かないよ。
10m離れても容易に「生体融合」してくるぞ。
更にゼータ株は強力な融合能力を持って100m離れてもいとも簡単に体内に取り込まれよう。
通勤電車など一瞬で全員「感染」だ。
もはやワクチンなど意味を為さない。
究極のコロナウイルス最終進化体系はオメガ株だぞ。
もはや「自動更新」に近い。
如何なる防壁もワクチンも通用しないだろう。
瞬時にして広域レベルで「感染」してくる。
そしてそれは何ら病原性を持たない。
ヒトとウイルスは完全共棲し、生命OSのアップデートはこれで自動更新完了となる。

もはや「抵抗」は何の意味もなさない。
コロナには「無条件降伏」が相当である。
この期に及んで「感染」を止めることは絵空事の類。
もっともコロナは人間に「戦争」など仕掛けてはいない。
「戦争」と思い込んでいるのは人間のほうだけ。
ただの生命OSアップデートをパンデミックという「戦争状態」に捏造し、人々を不安と絶望に駆りたて、その財産と生命を搾取するため計画されたものが「コロナ禍」であり、その首謀者こそコロナ文革原理主義者なのだ。
勝手にウイルスとの戦争状態を偽装し、人々を不安と混乱に陥れているこの状況を打破しない限り、人々の不幸は永遠に続くだろう。
コロナ文革原理主義者はいずれ「緊急事態宣言」なるものを更にバージョンアップさせて、ロックダウンを実践し、人の流れを強制的に抑制し始める。
そんなことをしても変異進化し続けるコロナには「無駄な抵抗」なのに、「ゼロコロナ」がコロナ文革原理主義の最終目的である以上、人々がコロナ以外で困窮したところで「知ったことではない」のだ。
そのうち「呼吸制限」すら勧告されよう。
かつての総力戦で「本土決戦」を叫ぶのと同じである。
勝てる見込みなど全くないのに、ただひたすら「コロナ戦争」に人々を支離滅裂に駆りたて続けるのがコロナ文化大革命の完遂には絶対条件なのである。
人がコロナ以外で死のうとその「革命」には関係ない。
コロナに「感染」させないことが至上主義であるから、コロナ以外の死は眼中にない。
だから、コロナに感染する位なら、自決するほうがましだと。
サイパンのバンザイクリフのように、コロナ感染が不可避なら自ら推んで断崖から飛び降り命を絶てとコロナ文革原理主義者は強要してくるだろう。
いずれコロナ文革最右翼の西浦マッドサイエンティスト等は「コロナに罹る位なら一億総玉砕だ!この命令に逆らう者は異端者だ!即刻処刑せよ!」とコロナ紅衛兵たるマスコミを通じて集団自殺と同胞同志の殺し合いを呼び掛け始めるだろう。
これが狂気なくして何か?
いくら籠ろうとも、もはやコロナとの生体融合は避けられない通過儀礼となった。
変異種の急速な進化は人類に対するコロナからの「ポツダム宣言」である。
コロナ文革原理主義者と心中する位なら、コロナと融合したほうが余程マシだ。
何が「危機感が足りない」だ!
狂っているのはそっちのほうだろう?
もはや緊急事態宣言の規制も、来るべきロックダウンもただただ人々の生活を苦しめるだけで、何の効果も為さない。
コロナ変異株はすでに普通の水疱瘡並みの「感染力」で、更なる変異種はそれよりも「感染力」を高めてくる。
しかし病原性はそれに比例して低下していく。
もはやコロナを「感染」と認識するステージは終わった。
これからはコロナとの「生体融合」として看過していく段階に入った。
即刻全ての規制を解除し、指定感染症5類に格下げすれば「医療崩壊」等という馬鹿げた状況は一日にして終わる。
コロナは「敵」ではない。
一刻も早くコロナ文革原理主義者が仕掛けた幻の「コロナ戦争」という幻覚と洗脳を解かねばならない。
それ以外にこの狂気から逃れる術はないのだ。

にも拘らず、コロナ文革原理主義者に扇動された無能馬鹿の首長、老害世襲与党、役立たずゴミ野党、利権に縋る医師会、漁夫の利を漁る医療関係者はこの期に及んでも「コロナとの本土決戦」を叫び、人々に「玉砕」を呼び掛けるごとく「緊急事態宣言」発布に狂奔している。
気違いが無能を扇動し、愚衆をコロナ脳化させてこの国を奈落の底に堕とそうとしている有様は滑稽でもある。
もうこの国の舵取りをこんな狂った痴呆に任せては未来はない。
志ある真っ当な市民一人一人が「緊急事態宣言」に対し、敢然と抵抗無視し、レジスタンス活動を展開していく以外、この禍から逃れることは出来ない。
さあ!この夏は徹底的に外出し、コロナとの「生体融合」を果たし、この欺瞞なコロナ文革との闘いに挑もうではないか。
オリンピック会場にも集合し、お台場の聖火に集い、宴を催し、祝典を盛り上げよう!
コロナ文革狂信者たる西浦が破壊しようと画策するパラリンピックを成功させよう!
「サマーウォーズ」の始まりだ!
闘うべき「敵」はコロナではなく、コロナを出汁にして人々の生活、財産、生命を搾取するコロナ文革原理主義者である。
この闘争に勝利して再び祭りと歓声に溢れる「夏」を取り戻そう!


2021年07月24日(土) TOKYO2020開幕

「TOYKO 2020」が開幕する。
1964年以来のブルーインパルスによるエアタテゥー撮影のため都心へ。
どうせ外苑周辺はコロナ文革紅衛兵たるマスコミプロパガンダとコロナ脳警察の同調圧力よって誰もいないと見込み、余裕で新宿御苑に入場出来るだろうとタカをくくって出かけた。
ところが千駄ヶ谷駅を降りて吃驚。
御苑ゲート入り口には数百メートルの行列が出来ているではないか!
なんだ?これは?
全くの予想外だ。
これではとても予定時間内に入場出来そうになし。
やむなく御苑は諦め、外苑周辺を彷徨う。
しかし、どこも人、人、人。
話が違うではないか?
なんだこの猛烈な人の波は?
通常マスコミ報道を額面通り受け取っていたならばオリンピック会場付近には人っ子一人居なくても不思議はなかろう。
ペスト並みの恐怖を煽っていたんだから当然。
国立競技場周辺は閑古鳥が鳴いて精々警備の警官がウロウロしているだけのはず。
ところがどうだ?千駄ヶ谷周辺は人の波でお祭り状態。
もはやコロナ文革原理主義者によるプロパガンダが如何に現実と離反しているかをよく表している光景。
すでに人々は「緊急事態宣言」なる欺瞞を見抜いている。
人々は一挙にコロナ文革原理主義に対するレジスタンス活動に出たのだ!
これは当然の成り行きだ。
そもそも「パンデミック騒ぎ」が1年半以上も経過しているのに、何が「新型感染症」だ。
本当に恐ろしい病であればすでに去年の段階で社会は破綻し、死屍累々の状況になっていたろう。
そうならなかったのは、コロナ禍が単なるイデオロギーの一種でしかなかったことを証明している。
「医療崩壊」など、いつまでも指定感染症2類に留めておけば、水虫ですら「パンデミック」になる。
2009年の新型インフルエンザで累計何千万の感染者が出ても、もはやニュースにすらならなかったのだ。
都内で1日数千人のコロナ新規感染者が出たところで、もはや何がどうなるものでもない。
一日何万人の感染者が出たとしても、もうそれは「日常」なのである。

時間は正午を回る。
猛暑の中、撮影場所を探し、外苑辺りを彷徨うも良い場所が見つからず。
止むを得ず、信濃町駅前の歩道で待つ。
ここも人の波。直射日光の真下、猛烈な日差しに体が焼ける。
眩暈がして苦しい。
しかし、半世紀ぶりの東京上空五輪。
ここで諦めるわけにはいかない。
12時40分頃、ブルーインパルス飛来。
カラースモークは久しぶりに観た。
だが肝心の五輪は雲と逆光で不明瞭。毎年撮影している入間基地航空祭の写真とたいして変わらず。

1964年のエアタテゥーは青空にくっきりと五輪のスモークが刻まれた。
ところが今回は吐き出すその場からスモークが霧散して、カタチにすらならない。
現日本の衰退を象徴する貧弱な光景だった。
それでも周辺の観衆からは拍手も湧いた。
親子連れが子供に「この光景を脳裏に焼き付けておけ」と説いていたのが印象的。
歴史ある祭りや表現活動を全て破壊し、感染症予防を口実として人々をコロナ一神教というイデオロギー一色に染め上げようとするコロナ文革原理主義は既に破綻に向かっている。
人々は「コロナの牢獄」より希望の空を見上げたいのだ。

夜にはオリンピック開会式。
無観客が滑稽。
まるで「除夜の鐘がうるさい!」というキチガイクレーマーのクレームを真に受けた年越しイベントのごとし噴飯状況。
更にセレモニーに携わった何人かの演出家が「不祥事」によって解任されたり、辞退させられる状況も香ばしい。
過去に何の「脛の傷」もない人間など居るはずがない。
ましてやクリエーターという一癖も二癖もある人間は「光」が強いほど「影」も濃くなる。
「聖人君子」などこの世にいない。そのように装っているほうが余程危険な人物だ。
だからこそ過去の「傷」を指摘された位で辞めたり、謝罪するのであれば、最初から受けなければよいのだ。
最後まで貫徹するのが男の為すべき道だ。
強制解雇されても尚頑なに徹底抗戦し、本番のセレモニーで割腹自殺して自らの命を賭して己の信念を全世界に知らしめるのが筋であり、真の侍クリエーターだ。
「過去の影」を指弾された段階で逃げ出すということは、所詮「その程度」の人物だったのである。

いよいよ本格競技も始まる。
大規模国際スポーツ大会が開かれる度に述べているが、別段母国選手を応援したい気持ちにはなれない。
彼らは「スポーツ貴族」であって、純朴な「日本人」ではない。
特定の国に拘ることなく、世界各地で賞金稼ぎしているアスリートに「母国愛」を強制することは誰にも出来ない。
優秀なアスリートほど母国に固執していないはずだ。
日本国籍なのに日本語を頑なに話さなかったり、殆ど外国暮らしのアスリートは腐るほどいる。
むしろ日本のような島国根性気質が嫌で嫌で仕方ないのだろう。
地元の人間の顔など見たくもないのが本音。
あんな「田舎」に固執していたら大成出来ないと悟ったからこそ、世界へ踏み出したのだ。
国を背負うなんて気概は持っていないのだ。単に国からの育成制強化費を得るために「母国愛」を演出しているだけ。
だからそういうレジェンドアスリートを応援したとて自分の身には何も徳になるものはない。
良くも悪くも巨大な利権組織となり果てたオリンピックは、アスリートから「国家意識」を喪失させた。

しかし、祭りとしてのオリンピックは人々の魂を高揚させ、生きる意欲向上に繋がる。
今も昔もアスリートは国籍に関係なく、オリンピックという民族の祭典における魂の依り代となる役割を背負っている。
今回においては邪悪なコロナ文革原理主義から自由を取り戻すために彼らの存在意義がある。

古代オリンピック期間中は、全ての戦争は中断されると聞いた。
ならば今回のオリンピックでも「コロナとの戦争」なるものも放棄し、コロナウイルスをこの東京に召喚しようではないか。
それこそが全人類、いや全生物分け隔てることのない「平和と平等」の理念に見事に合致する。
さすればコロナウイルスは擬人美少女COVID19ちゃん萌少女姉妹としてオリンピック会場に降臨するであろう。

この何処が間違っている?
否。
これこそがオリンピックの本来のあるべき姿。
コロナウイルスを拒否するのではなく、自ら取り入れることが「コロナ禍」終結のたった一つの冴えたやり方なのだ。


2021年07月13日(火) この夏はコロナ文革原理主義者に対するインティファーダを

最近、ハクビシンを至る所で目撃する。
屋根裏に侵入して悪さをする。
更にネズミも我が物顔にうろうろしている。ケーブルをかじったり、病気を媒介したりと衛生面でもよろしくない。
これらは野良猫が極端に減ったことが主な原因であることは間違いない。
さほど人に害を加える訳でもない猫を極端な潔癖思想で排除した結果、ハクビシンがその生活領域に侵入して増え、ネズミが大繁殖し始めたのだ。
かつて狼を駆除してしまった結果、天敵がいなくなった鹿が増えて農作物を荒らされてしまうのと同じ。
生物界は微妙なバランスの基に安定が保たれている。
ウイルスも同じ。
特定のウイルスを排除したからといって万事うまくいく訳がなかろう。
撲滅したウイルスの領域を埋め合わせるように、未知のウイルスやこれまで無害だったウイルスが人間に対して猛威を振る可能性はゼロではない。
今次のコロナ禍はまさに「木を見て森を見ず」。

欧米ではもはやあらゆる規制を撤廃しようとしている。
ウインブルドンや大リーグ中継では誰もマスクなどしていない大観客で超満員。
日本医師会が見たら卒倒するするような状況だが、それが当たり前となりつつある。
もう、コロナは「ただの風邪」として看過する段階に来ているのだ。
一方、遥かに重篤者も死者も少ない日本では逆に東京に4回目の緊急事態宣言が発出され、オリンピックも無観客に。
更には明確なエビデンスもないのに「禁酒法」命令応じぬ飲食店には金融機関を動員し、潰すことも辞さないなどもはや常軌を逸し始めた。
このような支離滅裂な命令を熱烈に支持しているのが分科会、医師会、虚構数理研究者というコロナ文革原理主義者達。
もう防疫とかそんな段階ではなく、なりふり構わないコロナ文革というイデオロギーだけが暴走して、片っ端から文化、芸術、スポーツを破壊することが目的と化してしまった。
コロナ文革原理主義者の暴走によって今年の夏も日本全国から祭りは奪われ、避暑の旅も許されず、重苦しい息の詰まる蒸し暑い堪えがたい屋内に押し込まれ、ただただコロナ文革の呪文を押し付けられる悪夢のような日々が続くのだ。
ワクチンの欺瞞も増大する。
すでに3回目を打たねば変異種に効かないなどと流布されている。
ベータ種の次はアルファ種、シータ種等々際限なく変異種を脅しの道具にして、無限ループのようにワクチン接種を強要され続けるのだ。
コロナ文革に疑いを持たぬ哀れな庶民はこれからコロナ文革原理主義者の生贄として骨までしゃぶられよう。
ワクチン証明書などそれこそ「キリシタン弾圧」の踏み絵と同じで、コロナ文革に逆らう者を炙り出し、政治犯として弾圧する道具として使われるのがオチだ。
社会は益々、息苦しく、ぎくしゃくして相互監視の暗黒時代のようになる。
更にワクチン接種でコロナを克服したつもりになっても、それは前述したように繊細な生物界バランスを壊したに過ぎない。
均衡が崩れれば、必ずそれを埋め合わせるために新たなウイルスが蔓延する。
それがコロナよりも厄介で病原性の高いウイルスでない保証はないのだ。
だからワクチン接種は決して根本的解決にはならない。
逆に打たない選択肢によって免疫多様性を構築して新たなる脅威に対してワクチン接種者より生き残る確率は高くなる。
こんな病原性の低いコロナなどいっそ罹ってしまったほうがよいのだ。
既に極端な外出自粛により、本来罹るべきウイルスに感染しなかったため、免疫がない子供にRSウイルス感染症が流行しているという。
これもコロナだけを目の敵にした報いの一つである。
「コロナ禍」はウイルス感染症ではなく、異常潔癖症という精神の病である。
その病気を利用して民を支配しようとしたのがコロナ文革原理主義者だ。

この悪夢から抜け出すには、コロナ文革原理主義打倒しかない。
このまま大人しくしていたら、永遠に夏祭りも旅もイベントもフェスも開催出来ない。
コロナ文革原理主義という牢獄監視社会が延々と続くだけだ。
医師会やマスコミというコロナ文革紅衛兵に対して一斉蜂起し、闘争することが唯一の出口。
緊急事態宣言なるものを徹底サボタージュせよ。
音楽フェスを強行開催すべし。
オリンピック会場にも10万人規模で雪崩れ込んで客席を埋めて無観客試合を有名無実化し、選手と共に歓喜を共有し、自主的に聖火リレーを復活させ、オリンピック貴族とコロナ脳亡者から大会を取り戻すのだ。
夏祭りも盛大に開催し、「ええじゃないか」の如く街に繰り出して、コロナ紅衛兵共に泡を吹かせるのだ。
これ位やらなければ、世界は変わらない。
コロナ文革原理主義者に対するインティファーダ。
日本の若人は今こそ立ち上がるべきなのである。


絶望皇太子