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2001年02月03日(土) 欺瞞と策謀

1/31午後4時5分ごろ、羽田発那覇行き日本航空907便ボーイング747(乗客・乗員427人)が静岡県焼津市上空付近を飛行中、釜山発成田行き日航958便DC10(同・250人)と急接近した。907便は衝突を回避しようと急操作を行い、この際、機体が大きく揺れたため乗客や客室乗務員32人(東京消防庁調べ)がけがをした。同機は午後4時45分、羽田空港に引き返した。958便も同4時32分、成田空港に到着した。国土交通省は対策本部を設置、異常接近(ニアミス)の疑いがあるとみて、操縦や管制にミスはなかったか調査している。また警視庁東京空港署は、業務上過失傷害の疑いで907便の操縦士らから事情を聴いている。 

以上の記事は一般のメディアが流した「事実」の要約である。しばらく後、この「事故」の直接的原因は管制官が交信すべき機体を取り違えたためにニアミスを引き起こしたと発表された。
だがこれを信じる者は誰もいない。
それは欺瞞に屈服することだ。
一万M上空の巡航高度で2機の航空機が衝突する可能性は限り無く0に近い。この広大な3次元空間で高速で移動する物体をぶつけることは何らかの意図的な誘導が無い限りありえない。
たとえ管制官のミスがあったとしてもミスだけで2機が異常接近するなど信じることの方が愚かだ。
これは偶発的「事故」というより計画的に衝突させようとした策謀と考えた方が合理的だ。
両方で677名の乗客乗員。もし衝突が「成功」していたら航空機事故史上最悪のものとなろう。この「事故」で誰が一番得をするか考えてみればよい。
奇妙なことに当該機はいずれも日航機。つまり事故責任はすべてこの航空会社に降り掛かる。これだけの犠牲が出たらその責任は重く、会社存亡の危機に見舞われよう。経営が成り立たなくなり、会社そのものの身売りさえありうる。
仮に日航がこの「事故」で破綻し、日本政府が救済出来ないとなると、日航の持っていた総ての航空権益が外資の手に落ちる可能性は高い。航空権益は国家の重要なアクセス権。これを日本から奪い去れば国力の衰退は絶対的なものとなろう。そのための目的でこの「事故」を計画したと考えれば合点がいこう。
この「事故」はかつて1985年の日航機墜落「事故」と同じく、日本の国力を衰退させ奴隷化を画策する邪教徒による大和民族絶滅計画の一環と考えるべきだ。
おそらく、所沢の航空管制部の管制システムにハッキングをかけ、偽りのレーダー情報をスクリーンに映し出し、管制官に誤った情報を与え、巧みに当該機を接近誘導させ衝突を狙ったに違いない。
また、当該通信周波数にジャミング、ECM攻撃を掛け、通信を不可能にして航空機と管制官の通信を妨害したのだろう。事実、958便に対する管制官の呼び掛けはそのパイロットに届いてはいなかった。
907便パイロットの一瞬の判断で惨事は免れたが策謀の99%は成功していた。
この恐るべき作戦には在日米軍も関与しているに違いない。ECMをかけたのは米軍機以外に考えられぬ。ハッキングは米国防総省ペンタゴンが企画立案したサイバー攻撃と推測される。
これはまさに日本に対する侵略行為に他ならないのだ。
いずれこの策謀の証拠隠滅のために再び奇妙な事件が起こり、何人かが消されるだろう。
原因はパイロットと管制官の判断ミスとして処理され、やがては人々の記憶からも忘れ去られ、この「事故」の真相は闇の彼方に葬られる。
欺瞞と策謀に満ちた邪教徒の魔の手から逃れる事はもはや不可能だ。
それを防ぐ意思も能力もこの国の行政府には存在しない。
更なる策謀によって我々の財産生命は虫けらのように弄ばれ、搾取される。
邪教徒に差し出される哀れな生け贄として・・。


2001年02月02日(金) 林檎とケヤキ

カリスマ的人気を誇る22歳の唄姫が選んだ一つの結論。
バックバンドのかっこいいギタリストの子を宿す事。
三文恋愛小説さえもう題材にしないような陳腐極まる「お約束」で彼女の神話は成就する。
誰がこれを嘆こうか。
彼女の語る呪文は巧みにも何か斬新なものを見せてくれそうで・・。でも子宮は嘘をつけずに真の女の有り様を曝け出す。
場末の酒場で酔いつぶれる女給もバンド追っかけの女高生も摩訶不思議な詩で人を魅了する唄姫も自らの子宮が放つ真の衝動に生きるしかないのだ。
一見、従来の女のあり方から脱却するような錯覚をその詩にシンクロさせてみたもののそれは幻のごとく虚空に消え行く蜃気楼であって、沈黙によって語り継がれた子宮の波動から逃れられる婦女子は誰一人として存在しない。
存在しない幻を唄姫に語らせ、人々を欺かせる手管は幾度となく繰り返されたが決して子宮のもつ神聖たる胎内からの反撃には耐えられなかったのだ。
何千億の欺きの言葉も月に一度流される血によって全てが浄化される。
それが女の真理であり、アマテラスたる聖母から与えられた大地の摂理だ。
転生輪廻の機関部が聖なる子宮であり何人もこれを犯す事は出来ぬ。
だが邪教徒はその神殿をも汚そうとする。

東京新宿百人町にある樹齢200年のケヤキを伐採するか否かでもめているという。たかだか都営住宅建て替えのために。
伐ってみるがよい。
八百万の神宿る神聖な鎮守の杜を片っ端から破壊し、聖なる大地を換金し、邪教徒に売り渡した大罪が何を生んだかまだ解らぬようだ。
巨木の下にはその歳月だけ精霊が満ちている。
聖なる結界が張られ、いかなる邪教の侵入をも防いできた。
それ故、その地営む民は見えざる神の手によって安らぎを享受出来た。それがこの國を何千年と豊かに守ってきた最大の霊力だ。
何人も犯しては成ならぬ絶対的存在がそこにある。
霊力を失った地に豊かさと安らぎはない。
その結果どうなるか?
八百万の神去りし荒廃した地には邪教の呪われた禍々しい悪意が取りつき、人々を狡猾で野蛮で利己的な拝金の奴隷へと貶めて人を相争わせ憎悪を増幅させただけではないか。
コンクリート焼却炉のタコ壷のような「マンション」と称する墓石に法外な値を付け人々の富を奪っていく。そんな空気しか入っていないセメントの穴に恰も価値が在るかのように欺くのも躊躇わなくなる。
そんなものは一度大地が大きく揺れれば瓦礫の山。
虚構と欺瞞に支えられた偽の大地に神の慈悲は存在し得ない。
人々は何も生まなくなった呪われた大地の上で、ただ既得権益に縋り付き、未来への建設的希望も放棄してお互い憎悪しあうことに終始する。
そんな地に生まれてきた子は邪教の悪意そのままに狂気に取りつかれ人を殺めることに何ら躊躇いも持たなくなった。
秩序と安全は喪失し、憎しみだけがその荒廃した大地に蔓延した。邪教徒はそれを狡猾に利用し我々から全てを奪おうと画策してきたのだ。
あのバブル期の法外な価格の土地はどうなった?巨万の富で潤うはずだった拝金信者はどうした?
手元に残ったのは荒れ果てた更地と巨額な債務。そしてその土地を差し押えに来た連中は、かつてこの聖なる地に金が成ると嗾けてきた国際金融機関の邪教徒共だ。
まんまと一杯食わされた訳だ。だが今更足掻いたってもう遅い。
そんなことは最初から解っていた事だろ。

さあ、そのケヤキを伐るがよかろう。
伐採した瞬間から、お前達の真上から禍々しい魔物が降り掛かり、自らの手によって己を滅ぼすことになろう。
神を失った民に与えられる御褒美は死だ。
地獄で後悔するがよい。


2001年01月29日(月) 真たるは虐げられし者の処に在り。偽たるは拝金に堕ちた者の処に在り

ふたりの女のこと

こんな記事が目に止まる。
某カルト教団尊師被告の長女が去る1/19都内のスーパーで万引きをしたとして警視庁に逮捕されたという。
その長女は食品約100点(約2万2000円相当)を同スーパーのポリ袋に入れて、代金を払わずに店を出ようとした。 店員が長女を見つけて問いただしたが、何も話さなかったため、警察に届け出た。署の調べにも、黙秘。長女は一人でスーパーに来ていたという。 

ホーリーネーム/ドウルガーと呼ばれるこの22歳の長女は、かつてこの教団の「姫君」として産まれ、高い位を冠し、志高く凛々しき乙女として自分の輝ける将来を信じて疑わなかったであろう。
だが、帰依する父たる「王」とその教団がありとあらゆる弾圧と差別に曝され、そのすべてを破壊され、奪われた時、彼女の未来は絶望という漆黒の闇に包まれた。
彼女は教団内のすべての地位を失い、その組織からも追放されたと伝えられている。
絶望の果てに打ち捨てられ、放浪の末、遂には精神の均衡を崩し、痩せ細る心身は崩壊寸前であったのだろう。もはや行動自体常軌を逸っしていたらしい。
逮捕時は身体は垢だらけで悪臭を放ち、ゴミ同然だったという。
だが唯一、彼女が捨てていないものがあった。
それは鉄のごとく固い意志とプライド。
逮捕時、彼女はこう言い放ったという。
「無礼者!私は木更津の女王だ」
教祖たる父母は刑務所に収監され、妹弟に裏切られ、誰も救いの手は差伸べず、自ら信じた世界は全て破壊、抹殺され、激烈に虐げられ、奪われ、周囲の全ての者、全てのメディアから悪魔狩りの対象にされ、全てを全否定されてもなお自らの信念を捨てようとはしなかった彼女。
真の淑女たらんとした叫びを誰が非難出来ようか。
彼女こそあるべき女性の模範に他ならぬ。
彼女の信じた信条の是非など問題ではない。カルト宗教だろうがスポーツだろうが政治だろうがアートだろうがその信じた世界に対する純然たる研ぎすまされた志と信念こそが重要なのだ。そして孤立無援で精神に異常をきたすまでも這いつくばってプライドを守らんとする姿。
これこそが真の美だ。
ジャンヌダルクの凛々しさであり、サイパン島玉砕時バンザイ岬から投身自殺した日本婦女子の忠義さが彼女の中にある。
世間はこれまでにも増して口汚く、彼女の事を罵り、袋叩きにするだろう。邪教徒たるメディアは狂喜乱舞して「悪魔の子は醜態を曝し、万引きするまでに堕ちた。汚い狂信者の娘は屠殺せよ!」と嗾けるであろう。
だが彼女を叩けば叩くほど彼女の凛々しさは大となり、伝説と化す。
虐げられ、虐げられ続ける故に彼女の存在意義がある。虐げられ続ける事が彼女の現世の運命であり業なのだ。
全否定されることが彼女が彼女であってよい理由なのだ。
そこに彼女の真理がある。
絶望に塗れ、ゴミのように扱われる事によって、彼女は始めて真理を語る資格を得た。
彼女は選ばれし存在となった。

虐げられし者の中にこそ、真たるモノが宿るのは世の常だ。
たとえ彼女がゴミのように扱われ、取調官から暴行強姦され、精神病院に放り込まれ、非業の死を遂げようともその正しさは揺るぎない確固たるものになろう。
その魂は、いと高き所に昇華するであろう。
誰からも救いの手を差し出される事なく、全てを失い、罵られながら死んでいく彼女のような女性だけが聖母の証をアマテラスから授かる事が出来る。
真たるは虐げられし者の処に在り。
・・
その対極としてのもう一人の女。
シドニーオリンピック女子マラソン優勝者。高橋尚子。
国家の名誉と栄光を賭け闘争し勝利した女性。
競技場のゴールをトップで駆抜けた瞬間、確かに彼女は国家の誇りある英雄であったかもしれぬ。
しかし、次の瞬間から、自分が邪教徒とその背後操縦下にあるメディアの恰好の標的にされると気付かなかったのか?
自己に対する警戒を怠った結果、かつて多くのアスリートが歩んだと同じく自滅への道へと堕ちたのである。
彼女がいかにして人間の屑として堕ちていったか。

彼女はマラソンで優勝した次の日より全てが薔薇色に染まった。
ありとあらいる人から祝福を受け、数々の栄光ある賞を授与される。彼女の発言、行動はメディアを通じ、肯定的に伝えられ、総理大臣さえ彼女に頭を下げる。TV、新聞は連日、彼女を英雄として報じた。
世界は彼女を中心に回り始めた。
欲しいものは誰かが用意してくれた。会いたい人は向こうから現れた。
いつしか彼女は自らの勝利を国家の名誉のためでなく、私利私欲を満たすための手段に出来るという錯覚に囚われはじめた。
だが彼女は自分が茶番の操り人形に過ぎない事に気が付かなかった。
これが国家の英雄を否定し、国民を堕落させるところにその存在意義を有する邪教徒とその配下にあるメディアの策謀であることにも知らずに。
あの栄光の日から半年弱。
いつしかブランド品に身を包み、TVタレントに囲まれはしゃぐ、豚のように肥太った彼女の姿があった。それはもうただの食肉素材だ。もはやマラソン選手の面影はない。醜い肉塊と化したその姿に自悔する事も出来ず、それが当たり前かのようにTVカメラの前でふんぞり返るしかないその傲慢な態度だけが、彼女を特徴付けていた。
そして彼女は「あっ」っと気付くのである。
自分が拝金麻薬ドラッグ中毒患者として改造されてしまったことに。
精神は堕落し、走るという聖なる闘争心は喪失していた。彼女は哀れな醜態を曝す事になった。
もはやマラソン復帰はおろか、満足な市民生活も送れまい。
拝金中毒患者はそのマネーというドラッグなしには生きる事が出来ず、もはや彼女は薄汚い三文タレントとして身を滅ぼすしかないことを悟るのである。
彼女は自らの堕落により、彼女の最も大切な「走る」という彼女自身の唯一の真理を失ったのである。
彼女はもうどこかの誰かの道具に過ぎぬ。
彼女の得たものはあのカルト教団の娘とは逆の虚構の富。
彼女の中身は全て偽物だ。
過去の栄光を武器にいくら着飾って美しく見せようとも中身は腐って腐臭に満ちている。
メディアが彼女を持ち上げれば持ち上げるほど腐敗は進行する。
偽たるは拝金に堕ちた者の処に在り。

邪教徒とその背後操縦下にあるメディアは真なるものを偽とし、偽たるものを真と欺く。
民はそれに惑わされ、真実を見失い、堕落し搾取されるのである。


2001年01月26日(金) セクハラ

セクハラ
性的嫌がらせを意味するこの言葉。
今やこの言葉ほどシャイで真面目なプライドある男性を差別弾圧する便利な言葉はない。
この言葉によってどれくらいの男性に無実の罪を負わせ、傷付け、社会的信用に泥を塗り、死に追いやったか。

そもそも婦女子が男性のアプローチに対して抗する理由など存在しない。
なぜなら元々人間の雌は生物学的に雄より強い生き物だからである。
出産時の生存率も寿命もすべて雌のほうが優っているのは科学的事実だ。
だから当然、婦女子は男性に対し慈悲深き寛容性で接する事が運命づけられている。それが前提にあってこそ正常な男女関係が成立するのだ。
アプローチしてくる男子に対し寛容性を持って対応することは理性的秩序を守る上の絶対条件でもある。
だからこそ男も婦女子に対し寛容性を発揮できるのだ。
ここにはじめて秩序ある対等な関係が生まれ、女は聖なる母となり、男は誇りある父になる権利を大地から与えられるのである。
婦女子の慈愛なくして契は成らぬ。
「性的いやがらせ」などというものは異常者の妄想に過ぎない。
ところがこの世界を汚れた拝金の世に作り替えようと画策する邪教徒共は、悪魔の囁きでもって婦女子達にパンドラの箱を開けさせ、あらいる厄の元をばらまいた。
「社会的地位における男女平等」などという欺瞞の種をばら蒔き、正しき秩序を根底から破壊し、婦女子から寛容性を奪ったのである。
寛容性のない婦女子はもはや人間ではない。
汚らわしい獣の雌。子宮のない売女だ。
淫猥な姿体で男を欺き、金銭の奴隷と成り果て、物欲と悪意と狡猾さのみで生きようとする悪魔に乗っ取られた化物。
そんな婦女子の仮面を冠った悪魔の使徒が好んで使う言葉がセクハラである。
効果的な肉欲を満たすために男性を選別し、理知的で正しき男性を犯罪者に仕立て、死に至らしめようとするための悪魔の呪文。
邪教徒はセクハラという印篭を濫用しやすくするため、社会システムを改造し数々の悪法を成立させ、正しき男性を窮地に追い込もうと恐るべき策謀を進行させた。
もはや、まともな男性は婦女子に話し掛ける事さえ出来ぬ。婦女子がその男性の社会的地位を失墜させようと思えば簡単だ。一言話し掛けてきたことをセクハラとして訴えればよい。
特にシャイで真面目な男性は女性にアプローチすることが即セクハラとなり、求愛、いや接点を持つ行為すべてが犯罪行為となる。
恋愛の機会は失われ、正しき者たちは結婚も子を設ける事も不可能となる。
絶望に追い込まれた男達の取るべき選択肢は堕落の末の死だ。
一方、汚れた婦女子達は狡猾で野蛮な雄の慰みものになることが幸せと勘違いし、獣と交配する単なる精液便所と化す。生まれた子は邪教徒の養子に奪われ、一生邪教の妾と奴隷として搾取され続けるだろう。
こうして聖なる慈愛溢れた母性は死滅し、野蛮な俗物が支配する汚れた世界が出現する。
これがセクハラという言葉の目指す世界だ。
邪教徒による大和民族抹殺計画の重要な手段のコンテンツがこのセクハラという言葉に秘められている。
セクハラという言葉を多用し、己の社会的地位を高めようとする婦女子には警戒せよ。
その女は悪魔に汚染された危険な存在だ。

セクハラという行為は存在しない。あるのは男を貶める悪意だけだ。
しかと心得よ。


2001年01月24日(水) パラサイトシングル

パラサイトシングル。
成人しても親元で暮す子供のことをそう呼ぶらしい。
今、日本、特に都市部で急増している生活様式だ。
この東京に住んでみるがよい。
東京に実家がある者にとって同じ東京で自立して生活するメリットとデメリット。
同じ生活水準で部屋を借りたら家賃だけで軽く10万は必要だ。
ただ住むだけで10万だ。その上、貧弱な賃貸住宅環境。生活費も莫大だ。
自立するメリットなどどこにもない。
このような情況下ではたしてパラサイトシングルを責められるか?
若年層の就労条件が厳しい反面、高齢者は潤沢な年金で潤っている。
いまや、経済的に余裕があるのは高齢者のほうだ。
かつて、自立した子供が親元に仕送りするという情況は完全に逆転した。

未来を築くはずの新世代が自立、自活することに相当の困難を要する社会とは一体なんだ?
そもそも自立する精神的意義さえも見つけることは出来ない。
結婚し、新たな新生活の場を築くなんてもはや大多数の独身男子にとってはお伽話。単に一人で高い家賃と生活費を稼ぐために酷い労働条件でこき使われるだけのために誰が自立するか。
未来への希望は閉ざされ行くべき場所も奪われてしまったのだ。
これは不幸以外の何ものでもない。
ところがこのような虐げられているパラサイトシングルから税金を取り立てようという画策がある。
曰く、パラサイトシングルは親元から搾取し、贅沢な生活を謳歌しているのだから不公平だ。だから課税せよと・・。
ふざけるな。
このような情況をつくりだしたのはどこの誰だ?
神聖なる土地に法外な値を付け、邪教に売り払うという大罪を犯した結果がこのような理不尽を生んだのは明らかだ。法外な土地価格が新世代の自活の地を奪ったのは火を見るより明らかな事実。更には婦女子を洗脳し、堕落させ、婚姻の機をプライドある男子から奪い、自立の精神的拠り所も奪ったではないか。
結果、新世代は自活の道を閉ざされ、結婚、出産という当然の人生を阻害されているのである。それが邪教徒の狙いであることもまた容易に推測されよう。
ただでさえ生きる事に行き詰まっている若年層に打撃を与え、搾取し、死に至らしめようとの目的が背後にあると考えるのが合理的だ。
パラサイトシングルは無実の罪を背負わされた小羊と同じ。
邪教徒の前に生け贄として差し出される運命なのだ。
希望は何処にもない。


2001年01月13日(土) ロボット

年始にかけて新聞等でロボットに類する考察記事を幾つかみかけた。
だがその考察する対象のロボットが鉄腕アトムであったりドラエモンであったりアイボであったりと古典的発想しか出来ぬものばかり目立つ。
曰く「ロボットの心は虚焦点であるから社会に無用の混乱を招く」だの、「ペットロボットの中に潜んでいるものは自分自身の心の内面の姿だから心を持つロボットは永遠に空想の世界に閉じ込めておくべき」などとどこかで使い古されたような台詞の羅列ばかり。
挙げ句「精々実用としては介護に役立つのではないか」などと愚にもつかないことをいう。
発想のステージが絶望的に低く、そもそもそんな者達にとってロボットなる存在は必要無いのだから語る事自体間違っているんだね。
人間の手伝いをして感情を持つロボット?
そんなもの誰が欲しがるか。
道具に感情が付帯したら使い物になるまい。
感情がないから簡単に放棄、取り替えが可能になるのだ。故に道具なのだ。疑似的に感情らしきものを付帯させた道具は悪趣味といえよう。「ポストペット」なるメールソフトもその類。醜悪ですらある。
そもそもロボットという名称自体、死語にすべきなのである。
今、求められている「それ」は従来の生活を補佐するものでも無ければ、愛玩動物の代わりでもなければ、何かの新しい道具でもない。
自分自身の魂の器。
限界にきたほ乳類としての肉体を捨て、魂の新たなるステージ、器こそが「それ」に求められている。
自分の分身ではなく、自分そのものが「それ」に成りうることを目指すところに意義があるのだ。
もはやそれをロボットとは呼称すまい。

ヒトゲノム計画を恐れる者は今の秩序が崩壊することを危惧する。
危惧する心配なんかない。
そんな秩序など壊れてしまうがよい。
あらいる有象無象の化物を造り出すがよかろう。その中から我々の求める「神」が出現するならば何を躊躇う。
すでにアメリカ合衆国はカルト教団を隠れ蓑にして人造人間製造に着手したという。
また、日本でも三宅島雄山の火口に浮上してきた『偉大なる存在』(コード名「黒き月」)の発掘と解析が進められているという。全島民退避の真の目的はその隠蔽にあるという噂だ。
三宅島雄山火口付近に『ガフの部屋』の入り口が発見されたのかもしれぬ。
「魂の座」獲得の聖なる儀。
自分達がやらなきゃ誰かがやるだけだ。

この鈍重な肉体を捨て、魂を新たなるステージへ。
人類補完計画!
その遂行こそが我々に求められている「それ」なのだ。この計画が実践されればもはや自分を補完する道具など一切必要無い。始まりもなければ終りも無い、永遠の子宮の中で永遠の安息を得られるのだ。
くだらぬロボットの詮索など止めてしまうのが賢明だ。
道具に頼る限り、人間としての限界はいつまでも引きずらねばならぬ。
人間を放棄すること。
これこそが究極の希望じゃないか。
それ以外はすべて絶望と悟るがよい。


2000年12月21日(木) 大罪

日本の国債発行額が400兆円に上るという。
子供銀行の冗談かと思うがごとき額。
現職の大蔵大臣自ら「歴史上最大の借金をした大臣と名を残す」と自慢したそうだ。

駅の一等地には高利貸とパチンコ屋が濫立する。
当るはずも無い宝くじを買え買えと騒ぐかと思えば、TVCMでは公営ギャンブル主催者が「電車賃残して有り金全部つぎ込め」と喚き立てる。公共の電波を使ってだ!?
有名兄弟力士の長男が邪教の背後操縦下にあるマスコミ策謀にまんまと引っ掛かり、力士を廃業し、蛆虫のごとく堕落肥満TVタレントとして恥曝しを演ずるという。
病院や郵便局は老人で溢れ、今のうちこの世の春の宴とばかりに国庫は食い潰されていく。
その一方で若年層の犯罪には、やれ道徳感の喪失だとか戦後教育の弊害だとが有害図書、映像が原因だとか聖人君子のごとく振舞う。
この国をここまで貶めたというのに「お前」は何者だ?

ある百貨店に何千億融資した挙げ句、破たんした金融機関がある。
どこかの誰かにまんまと乗せられたバブル経済を引き起こし、成金三昧の挙げ句、これまた予定調和で破綻して日本を破産に追い込んだのは、どこの誰だ?
その上、昨今の不況は個人消費の低迷が原因などと責任転嫁し、貴重な貯蓄さえ吐き出させようとする。
そんな稚拙な口車に乗せられるほど日本人が馬鹿だと思ったのか?
次世代に多大な負債と荒廃を残しておきながら、今度は青少年の健全な育成だと?
「お前」が言える台詞か?
そんな荒廃下でマトモな青少年が育つと思うか?
もし本気で言っているのならば「お前」は精神異常者だ。

神聖なる大地を換金し邪教徒に売り渡し、八百万の神を冒涜した罪こそ、まず裁かれるべきじゃないのか?諸悪の根源はすべてここのあるのは明白なのだから。

株価も1万4千円を切ったという。
「お前」のスポンサーはもう「お前」達を必要としないそうだ。
絞り出すだけ絞ってもう役に立たないと見限ったんだろう。
外国人投資家に媚び諂い、奴隷のごとく言いなりになって、神聖なる国土を売り払った挙げ句がこの有様だ。
「お前」は捨てられた妾と同じ。「お前」は失敗した。
国土を売った犯罪者だ。
精神異常者にして、捨てられた妾にして、犯罪者。
「お前」は大罪を犯した。

「お前」のもたらすモノは絶望だ。
次世代に残された希望は死だけだ。
にもかかわらず、その死の自由さえも次世代から奪おうとする。
自殺に関する図書を有害図書に指定するとはどういう了見だ?
絶望を与えておいて、更に生き恥を曝せだと?
若年層から搾取して、意地汚く生き長らえようとするためには死なれては困るのだろう?
健全なる育成ではなく、搾取のための育成だろう?
大罪を犯した者に次世代を育む資格などあるか?
冗談にもほどがある。

嘘と欺瞞はやがて本当の戦争によって埋め合わされることを覚悟するがよい。
死は「お前」達が呼んだのだ。
拝金主義が堕落を呼び込み、絶望を蔓延させ死に歓喜を与えた。
「お前」達には神罰が相当だ。人が裁かねば、神が裁く。
神の名によって「お前」達は裁かれる。

心ある陸海空三自衛隊将兵諸君。
いよいよ可及的速やかに神罰の日を実践しなければならないようです。
国軍とは何であるかという真価を問われる日は近いのです。
八百万の神汚す者に神罰を下すのは、国軍の義務でもあるのです。
本当の意味での若年層の健全なる育成とは、
『神聖なる国土を荒廃させた罪人に神罰を!』です。
このスローガン実践なくして未来はありえません。
この闘いに参加することこそ、真の健全なる青少年の証。
秩序回復の松明を掲げる時はまもなくだ。
虐げられし正しき者よ。暫し待て。歓喜ある死をもってこの国を救おう。


2000年12月15日(金) 神への道

この頃、やたら20世紀に起こった諸々のベストを決めようとする企画が氾濫している。
だがいったい、今生きている人間がこの20世紀をどれだけ振り返ってその真価を理解できるというのだろう?
そもそも、その時期に生まれてもおらず、ましてや当事者でもない者が伝え聞いたことだけをとって20世紀ベスト云々を決めること自体、無理がある。
一方で、この100年を通せばたいした出来事ではないのに、たまたま近年に起こった事象を20世紀のベストに入れてしまう滑稽さが目立つ。
だが、無理を承知で20世紀を語るとすれば議論する余地はどこにもない。
すでに結論は出ていよう。
・・
20世紀前半の二つの世界大戦。
その人類の闘争の結果としての核兵器とアポロ計画。
破壊と創造、そしてその礎となった無数の人柱。
20世紀はこれ以上でもないしこれ以下でもない。
1970年以降の出来事などその余韻でしかないし、今、生きている人間が20世紀を振り返る資格もない。1940年から1945年の5年間と1995年から2000年の5年間を比べてみよ。
これを同じ20世紀として比べられるというのか?
同じ5年間でもそこに生きた者達の魂の燃焼度は雲泥の差だ。

人類が月に一歩を標した時がその頂点だったのであり、それ以降、人類の文明は確実に衰退し始めた。
今世紀末は、全ての終わりの始まり。
人類はそれほど遠くない内に自らの存在を維持出来なくなろう。
少子化と生産人口の低下、巨大技術を維持建築していく人材と知識がどんどん失われつつある。
唯一自らを存在し続けるには、この行き詰まった生物としての肉体を捨て、魂を新たなステージへ昇華させる以外にない。
そう、ヒトゲノム計画による自らの生命としての設計図を完全に解読し、それをデジタル化することによって我々は新たなモノに進化しなければならぬ。
人類補完計画。
神への道。
その現実化のための闘争を次の100年から始めなければならない。
肉体に代わる新たなる魂の座。
第一先住民族が残したという『超越した存在』をサルベージして再生させ、魂を永久継承することが21世紀の命題となろう。
だがしかし、現実には、その流れは起こっていない。
むしろ、現状を固定し、現状下で生き長らえようと足掻いている。
だが、建設と発展を止めた世界に希望はない。
1901年当時、常識であった寿命の限界、病の克服、飢餓、貧困、知的財産等諸々のことが100年後の現在、いかに飛躍的に発展、改善されたか。
その理由は前途した通り。
科学技術革命のもと、人類がその持てるエネルギーを最大集約したからこそ、今日がある。
このままだと21世紀は歴史年表に何も記されない、ただ衰退していくだけの100年となろう。
20世紀前半の闘争の産物をただ反芻するだけで既得権益に縋り付き、過去の遺産を食い潰す者に未来は訪れない。
あるのは絶望だけだ。


2000年12月09日(土) メディアは日本のプライドある青少年に銃口を向けている

例の歌舞伎町手製爆弾犯17歳青年の部屋からある漫画本が押収され、その内容が今回の事件を触発させた原因かのように報道されているという。
この事件が大きく報道されているのは、事件の衝撃性からではない。
他に目的があるから。
あるいは事件自体がその目的の為に捏造されたフィクションである可能性も拭えない。
その目的は明白だ。

昨今の青少年犯罪報道と、それに触発されたと思われる数々の表現活動規制法案は、青少年の健全な育成環境を問い正すためだという。
しかし実際、統計上未成年の犯罪絶対数のピークは1950〜60年代。今、増えているのはメディアの扱いだけ。
統計を誤魔化すのは容易ではないが、事件を誇大に扱う事など雑作もなかろう。
ではなぜ、こんな合理性のない報道をあえて展開するのか。
それは他に目的があるからである。
本当の目的は日本の優秀なるアニメ、ゲーム、コミック産業の壊滅と殲滅を狙った国際的策謀の一環と考えるのが最も合理性があろう。
現在、いわいる日本のアニメ、ゲーム、コミック等を代表とするアミューズメント産業は、唯一、世界に対しイニシアティブを発揮出来るポジションにあると言える。
経済効果もさることながら、生きる精神的な支えを確立する有効な媒体として日本製アニメ、ゲーム、コミックは世界中で認められはじめた。
これらの作品群は新たな価値観、新たな生きるステージを垣間見せてくれる最も優れた伝道師でもある。
つまり、新しき「意識改革」が、このアニメ、ゲーム、コミックに介されて日本から世界へ広がって行く可能性がある。
当然、古き欺瞞で世界を支配下に置こうとする者にとっては都合が悪い。
若き者が新たな価値観に覚醒することは邪教徒にとって忌むべきこと。
彼等にとって何としても潰さねばならぬ最優先課題であろう。
とすれば、彼等がその支配下にあるメディアを使い、策謀を展開するであろうことは容易に推測出来る。
これらの誇大報道と立法府による規制法の立案はすべて外国勢力の介入があったと見るべきだ。
日本唯一の世界展開可能な革命的産業とそれを媒体とする覚醒メッセージは、欧米中心の世界覇権勢力にとって恐怖以外の何ものでもない。
ゆえに、あらいる手段を講じ、釈迦力になってこの「新しき覚醒伝道師」たちを殲滅しようと足掻いている。
「青少年の健全な育成」というもっともらしいプロパガンダを隠れみのにして、若年層の中に芽生え始めた「希望」を根絶やしにする。
それが昨今の情況の真の目的と考えれば合点がいこう。
かつての埼玉連続幼女殺人事件以来、幾度となく繰り返されてきた策謀報道。
異常犯罪の原因をすべてアニメ、ゲーム、コミックに転嫁させ、その目的達成の効果的梃子に応用する事。
だがこれは策謀の始まりに過ぎない。
古き欺瞞に満ちた者共が自らの既得権益に縋るために外部邪教勢力と結託し、新しき覚醒者達を殲滅するための茶番劇はますますエスカレートするだろう。
やがては、今回のような事件を露骨に捏造し、その背後操縦下にあるメディアを動員して、この国のアニメ、ゲーム、コミック産業に従事する者すべてを犯罪者に仕立て上げ、全員刑務所か収容所送りにし、ラーゲリーで強制労働下、獄死させようと画策するだろう。
これが現実だ。
メディアはいつも真の支配者の道具に過ぎない。
報道の中立性など欺瞞そのもの。ある目的のためには人を殺す道具にだってなる。
今、メディアは日本のプライドある青少年に銃口を向けている。
報道機関は邪教徒に雇われた殺し屋だ。
これを否定出来るか?


2000年12月04日(月) マスコミは本当の支配者を批判出来ない

日本の行政府の内閣改造のニュース。
例によってマスコミは現政権を批判する論調に終始する。
何がそんなに気にいらないのか知らないが、とにかく批判することが嬉しくて仕方ないらしい。
内閣支持率(これもマスコミの自作自演の可能性大)が下がると精薄の子供のごとくキャキャッとはしゃぐ様は尋常ではない。
一方で行政府を批判しても何ら御咎めなしということは、すでに今の行政府にはメディアを掌握する権力などないということだろう。
少なくともこの国の支配権が現行政府にはないということ。
では本当にこの国を牛耳っている存在に対し、マスコミは批判出来るか?
たとえば、日本の全資産を背後操縦出来る立場にある外国人投資家。
彼等を手厳しく批判する論陣がニュースや新聞で大きく展開されたことがあったか?

そんなものはみたことがない。
仮にそれを試みたとしても次の日には忽然と「なかったこと」にされるのがオチだ。
マスコミは本当の支配者を批判出来ない。
なぜならば、いつの世も真の支配者がメディアを操縦出来る立場にあるから。
それを知っていれば、マスコミが現日本政権を子供の戯れ言のごとく、悪く書き立てる茶番も理解出来よう。
こんなものはただの洒落。
まともに付き合う方が馬鹿なのである。
現政権もまた、真の支配者にとっては雇われ社長か植民地の総督府のようなもの。
既得権益に縋り付く狡猾な小心者を集めて搾取の道具として活用されているだけ。
それが今の日本行政府。
所詮、マスコミも行政府も同じ穴のムジナ。

歌舞伎町で17歳の青年が散弾銃と手製爆弾で武装して騒ぎを起こしたという。
かつて男達は武器を携帯することがその存在証明だった。
武器は力であり、それを己の英知と勇気でコントロール出来る者が男の条件だった。
人間のオスとして生まれた以上、その社会秩序を守るための道具として武器を手にすることは男の当然の権利だった。
むしろ、武装していない17歳青年のほうが不自然な存在じゃないか?
精神的に去勢され、このような事件が特異なものに感じられる事こそ異常ではないか。
彼は異常ではない。おかしいのはこの社会だ。
このような青年は、むしろ1960年代までの日本には腐る程いたはずだ。
ニュースにならないのは、そんな事件などいちいち相手にしていられないほど激しい時代だったからだ。
月に行こうと思い立ち、僅かその10年足らずで本当に月まで行ってしまった時代があった。
その一方で石とか火炎瓶投げて社会に反抗して憂さ晴らしも出来た。
すべてがポジティブで前のめりだったから、散弾銃を持った17歳が歌舞伎町に現れたところで別段驚きもしないだろう。
これもまた、まともな時代とはとても言えぬが、とりあえず、まだ男が男として生きて行けた時代だったかも知れぬ。

今や犬の散歩でふんの始末をしないと非難されるほどの潔癖性の時代。
セクハラやストーカーや児童ポルノや少年犯罪に過敏になってやたら法律つくる様は、まるで公衆トイレの便座に除菌しないと座れずにいる人の潔癖症対策のよう。
もはや人間が人間であることを否定するような情況だ。
人間を否定したいのならば、肉体に代わる魂の座がなければ成立しない。
だが、いまだそのようなものが見つからない以上、ヒトはほ乳類としての掟から逃れる事は出来ないのだ。
生きる闘争のために武器がある。
それを捨てた男はもはや人間ではない。


絶望皇太子