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2000年11月30日(木) BSデジタル放送

明日からBSデジタル放送が始まるという。
BS、CS、デジタル等々やたら多チャンネル化が図られているが内容はどうなのだ?
結局、地上波の既成番組とどれほどの差があるというのだ?
カルト教賛美番組とか日本赤軍玉砕番組とかテレパシー実験番組とか月軌道上からのライブ映像とか自衛隊戦闘実況番組とか自殺実践講座とかが始まるのなら興味深いが、そんなものは出来まい。
いままでの既成価値観に留まり、それを壊すような革新的な内容はどうせ最初から除外されるのだろう。
結局のところ出涸らしのお茶を更に薄めたような希薄な番組がコピー&ペーストされるだけの話。
テレビ放送が始まって50年。
少なくとも新しい価値観が生まれると共にそれを吸収し、再生産してきたところにテレビ放送の意義があった。
ところがこの世紀末、新しき価値観を受け入れる事をやめ、既得権益保持のための道具として古いモノを反芻するだけになった時、テレビは新しき者にとって敵となった。
テレビは今や墓場か斎場のようなもの。あるいは汚物集積場か。
BSデジタル放送も新しき革新者にとっては何の意味も持たない。
双方向?どうせ都合の悪い情報はなかったことにするのだろう。
ヒトラーの演説をノーカットで聴きたいとリクエストしたら応じるのか?
まず「なかったこと」にされるのがオチ。
双方向が聞いて呆れる。
そんなに沢山チャンネルが余ってるなら、有象無象のカルト集団に開放してやったらどうだ?
そっちのほうがいろいろ楽しめよう。いろんな意味でね。
テレビは地上波3つもあれば十分。そこで人類の未来にポジティブに貢献出来る建設的ニュースと最先端の科学技術に裏付けされたライブ映像を嘘偽りなしに流していれば事足りる。それもアナログで十分。カラーである必要もあるまい。
既得権益にすがりつく偽政者と愚か者と、それを背後操縦する邪教徒の干渉を排除しない限り、何万チャンネルあろうとデジタルであろうと双方向であろうとハイビジョンであろうと可も不可もない砂を噛むような雑映像が垂れ流されるだけ。
そんなものに付き合うほど愚かではない。


2000年11月09日(木) 三島由紀夫

三島由紀夫の単行本が本屋に平積みにされていたので立ち読みする。
「憂国」というのを読む。
2/26事件の時、決起部隊に入れなかった陸軍中尉だったか・・。夫婦で国を憂いて心中するという話。
自分は三島文学などというものを知らないし、本人が世に言われる「国を憂いて割腹自殺するような国粋主義者」だったのかも解らない。
ある作家や作品に傾倒出来るのは10代後半がピークであって、それを遥かに過ぎるとどんな「名作」だろうが心に響く事はなくなる。
「憂国」はいかにも商業作品という印象で、別段国を憂いて書いたという印象はない。むしろ、全共闘時代に東大で公演した記録集のようなものの方が、世に言う「三島由紀夫」のイメージがある。

1960年代から1970年代。
皇太子世代からするとTVから盛んにデモやら火炎壜を投げるシーンが流れてきたという記憶しかない。
なんであんな騒乱ざたをマスコミは好意的に扱ったのか、子供ながらに不思議に思っていた。
あれはやっぱり「革命ごっこ」だったのだろう。
ゲバ棒振り回していた学生もちゃんと就職出来たんだから、ある意味「おめでたい時代」だったのだ。
重信房子が「英雄」で麻原彰晃が「悪魔」と扱う世間の基準もまた所詮、「おめでたい」団塊の世代の欺瞞そのものだ。
若い頃、盛んに変革を叫んでいた連中が、社会の主導権を得る地位に付いた途端に、手の平を返すがごとく、変革をもたらす者を断罪する。
欺瞞もここまでくると滑稽ですらある。
「革命ごっこ」はよいが本物の「革命」は困る・・か?
今の若い者はまともに就職すらまま成らぬというのに。
本物の「革命」とやらが来るとしたらこれからかもしれぬな。


2000年11月08日(水) 「革命ごっこ」

日本赤軍の最高幹部、重信房子が捕まったニュースが流れた。
東京に護送されてくる本人の顔は、どこかのフリーマーケットで古着を売ってるおばさんというイメージしかない。
無論、偽装するという理由もあろうが、70年代の若き頃の雰囲気は微塵もない。
そう、人は永遠に生き続けることは出来ぬ。いずれ朽ち果てるしかない。
若き頃の情熱も肉体の衰えとともに虚空へと消える。
魂がこの身体に宿る限り、人間は必ず老い、朽ちる。

30代未婚男女の8割がお見合い結婚を肯定的に考えているという。
ラジオで誰かが話していた。
かつて、自分の意志にかかわらず、結婚相手が決まってしまう時代があった。
許嫁(いいなずけ)とかいう言葉が普通に使われた時代。
ではその頃の結婚は若い男女にとって不幸だったのか?
今や、結婚を第三者から決定ずけられることなど例外に過ぎない。特に都市部ではそうだ。
すべては自由恋愛のもとに男女が自分達の自由意志によって決定できる。
ではそれで全ての者が幸せな結婚を成就出来る時代になったのか?

むしろ逆に結婚の意義をみつけられずにどんどん老いるに任せるしかない孤独な絶望に苦しむ社会になっただけ。。
結局のところ、許嫁の時代と自由恋愛の時代とでは幸福度にさほど変化などなかったのである。
恋愛というのは一時期の感情の高まりでしかない。
それのみで男女が一生共にするなど所詮不可能だ。いずれは許嫁の時代と同じく不自由に拘束されるしかない。
では結婚を否定し続ければ事は済むか?

肉体は必ず滅びる。
その前に自分の遺伝子を次世代に継承することにおいて、唯一合理性が保たれている制度は一夫一婦制の結婚ぐらいだ。
一夫多妻などの制度差はあっても家族を構成するということに変わりはない。
人はひとりでは生きていけぬ。
人間が社会を構築するほ乳類である以上、この掟からは逃れられぬ。
これを否定することはすなわち欺瞞である。
欺瞞はいずれ破綻する。
かつての「革命ごっこ」のように。
魂がこの肉体に宿っている限り我々は何万年経とうと同じ事の繰り返しだ。

吉祥寺の『パルコブックセンター』に立ち寄る。
広大なフロアの中、膨大な文章が氾濫する。
本だけではない。音楽や絵や写真。あらいる表現物が紙やCD、印画紙という「肉体」に乗せられ流通してきた。
だが、急速なIT化によって、その「肉体」を介さずに表現物が質量0のまま、溢れ出した。
1500円で売られている有名作家のエッセイ本と、タダでアクセス出来るどこの誰だか解らないHP上の戯れ言文章との違いをもはや見出せなくなる。
かつては作家になるなどということは夢のまた夢。
だが今や「作家ごっこ」は誰にでも出来る。大家の作品よりもよほど面白いことを書くアマチュアなど腐る程いる。
人々がそれに気がつけば、作家などというステイタスは一瞬にして消え去る。
音楽も絵も然り。
こうして媒体という「肉体」を失った瞬間、文学やアートといわれるものは壊滅する。
そこには人間の肉体も存在しない。
オンライン上では誰でも作家や絵描きやコピーライターもどきに簡単になれる。
しかし、誰もが出来たはずの生身の恋愛や結婚が逆に虚構の彼方へと消えつつあるとはとんだ皮肉だ・・。
そうなれば普通の家庭を営むことが逆に羨望の的となろう。結婚出来た男女はまるで人間国宝のように敬われる。
一方で大多数の人は部屋に隠り、一生PCのディスプレイを眺めながら恐ろしい孤独の中でそのまま朽ち果てるしかないのだ。
だがこんなことが一世代も経ない情況で現実化すると思うか?

人はその肉体に代わる魂の拠り所を見い出さぬ限り、ほ乳類としての掟からは逃れられぬ。肉体無しには生きられぬ。
IT革命などかつての原子力のように破綻が来よう。魂が自らの身体に宿る限り、このレベルでのITでは身体が受け付けぬことに皆やがて気がつくだろう。
そして拒絶反応が津波のように押し寄せることになる。
かつてオランダあたりでチューリップの球根が投機目的に売買され、天文学的な値で取り引きされたという。
だが人々はやがて気付く。
「こんなばかげたことはいつまでも続くはずはない」と。
そしてバブルは弾けた。
IT革命などこれとたいして変わらぬ。破綻は時間の問題。

なぜ30代独身男女が見合いを肯定的に考えるようになったか。
物事の本質に気が付いたからだ。
人は肉体という媒体が必要だということに。
その肉体の呪縛から逃れる策はただひとつ。
魂を新たなステージに。この脆弱な身体に代わる新たなる永遠なる子宮。
魂の座
それをサルベージしない限り、我々はほ乳類としての闘争の掟からのがれることは出来ない。
「ヒトゲノム計画」、「人類補完計画」実践なくして本当の意味での革命は成就しえない。


2000年10月31日(火) ハプティックインターフェイス

NHK教育TV「ETV2000」で仮想現実をテーマにした特集を観る。
解剖学者の養老猛司がコメンテーターとなり、人型ロボットを開発した学者と対談していた。
その中で人間の脳など何万年前から生物学的構造は変わってないのに、旧石器時代と同じ脳で高度なテクノロジーを扱っているというコメントがあった。
所詮、我々の知っているものは自分の脳だけ。
その脳が感じているモノだけがすべて。
だとするとこの文明さえ実は仮想現実ではないかと。
サルが弱肉強食の掟に耐えかねて、自ら造り出した妄想に逃げ込んだ結果が人類文明だとすれば、野生の掟に生きる他の類人猿からすれば人類の繁栄など所詮仮想現実に過ぎないんだと。
科学技術もまた仮想現実だとすれば、それに支えられている全てのものは「虚構」に過ぎぬはず。
だがその「虚構」が現実として存在している。

自分の脳を磁場計測し、ハプティックインターフェイス(ヘッドギアみたいなもの?)で完全にモニターし、それをデジタル信号に置き換え、他人の脳にシンクロさせれば、究極のコミュニケーションが可能だという。
一種のテレパシーのようなものか。
人間の脳は五感と直結し、手の感触も含めてその刺激により発達してきたと言う。
その五感を脳に伝える、目、耳、鼻、手足、三半規管が感じる信号を人工的に制御シュミレーション出来れば仮想現実はその者にとって現実となる。
そもそも仮想現実なる言葉は相対的なもので、仮想現実にリアリティーがあれば本来現実であるはずの世界が仮想となる。
どちらが真理なのかという疑問はナンセンスだ。

「人工脳は電源を落とせばすべてクリアされる。いくらでもやり直すことが可能だが人間の脳は途中でクリア出来ない。クリアする時は死ぬ時だ。」
と養老氏は語っていた。
魂とはなんぞや?
電源の切れない思考する存在?
それはどこから来てどこへいく?
その魂の創造者を人は神と呼称する。地球がその魂の創造主とすれば地球が神か?
大地の掟から解き放たれ、人の創りし仮想現実に真理を求めれば、今度は人が神となるのか?
否、その人を創りし環境を維持してきた地球(ガイア)そのものを制御するシステムを司る存在があるとしたら、それこそが真たる創造主だ。
ガイアという魂の座。
「ガフの部屋」を創った真たる創造主。
その創造主が今度は人間に新たなる魂の座を創らせている。
「人類補完計画」
不要な身体を捨て、あらたなるステージに魂を昇華させること。
恐竜が鈍重な身体を捨て、鳥に進化したように。
サルが弱肉強食の掟から解き放たれ、道具を手にし、文明を築き上げたと同じように。
仮想現実がやがて現実に置き換えられる時、一つの「進化」が成就する。
仮想現実を求め始めた瞬間から我々は新たな世界へ脱皮しはじめるのである。
そのための触媒。
それが『超越した存在』と呼ばれるモノ。
それを手にすることが進化を受け継ぐ者として真の創造者から生き残る権利を与えられるのだ。


2000年10月19日(木) アンチ・ATフィールド

アメリカ人SF作家のマイケル・クライトンがNHKの某番組でこんなことを言っていた。
IT革命が本当に地球の隅々にまで行き渡り、人類の総てが均一な情報ネットワーク下に置かれたらあっという間に人類という種は滅びるだろうと。
画一化された種は進化の袋小路に陥り、あるきっかけで全滅するだろうと。
インターネットは人類絶滅の始まりなのだと。

最近、結婚の理想の相手を問うと「価値観が合う人」と答える女性が多くなったという。そして価値観が合わない人が現れなければ、結婚する必要もないと。
価値観が同じということは産まれてくる子供も同じ価値観であるということ。
ある種の近親相姦だ。
種の多様性が失われ、画一化したその種は創造と発展を停止させ、脆弱化し、ちょっとしたことで死に至る。
多様性のない種に未来はない。
もはや女性が結婚するしないにかかわらず、種の衰退は避けられないところまで来た。

最近、個人HPに多くの日記がみられる。
中には自分のプライベートなことに深く立ち入っているものまである。
かつては日記は最も他人に見られてはいけないものだった。
最も明かしてはならない自己、侵されざる神聖なる胎内だった。
それをインターネット上では平気で吐露する。
自分の病、呵責、怒り、悲しみ等、他人には曝せないものがどんどん漏れ出している。
アンチ・ATフィールド。
自己が破壊されていく。自分が自分ではないバーチャルネットワークに流れ出し、自分をその世界に委ね、自分が無くなっていく。
侵されざる自己が曝され、多様性が崩壊し、総てが均一に混じり合いはじめた。
これは滅びの第一歩なのか?
それとも新たな生命体への覚醒なのか?
誰にも解らない。
しかし、この情況をポジティブに解釈しても己の肉体に魂が宿っている限り、いずれは己を支えきれなくなって崩壊するのは時間の問題。
不要な身体を捨てない限り、こんな情況に耐えられるはずはない。
しかし、人がネットワーク上に自己を吐露し始めたのが、この肉体を捨てたいというシグナルなのだとしたら。
もう今更後戻りは出来まい。
禁断の果実を食べたアダムとイヴは楽園を追放される。
もはや、暖かい温もりのある肉体には帰れない。
新たなる魂のステージ、『魂の座』を獲得する闘争に参加しなければ滅びあるのみ。
君がHP上の日記に自己を吐露した瞬間、
君は死の拠り所を捜して彷徨せねばならぬ血判を虚構世界に印したのと同じ。
人間ではない何者かにメタモルフォーゼするために。


2000年10月16日(月) お伽話と現実

お伽話と現実。
メディアの中には、まるで当たり前のように「家族」が存在する。
父、母、子供。
当たり前のごとく、家族は誰にでも作れるかのように。
しかし、それは結婚を望んでも出来ない「ダメ人間」からするとお伽話の世界に過ぎない。
そもそも結婚とはなんぞや?
一生パートナーとして生きていく誓いをすること。
人はひとりではいきてはいけぬ。そのための社会制度。
人は例外なく母親の子宮から産まれてきた。
だがそれが幻に感じられた時、もはやその人間は生きる意味を失う。
生きる闘争とはなんぞや?
なんとしても生涯のパートナーをみつけることか?その武器を持たぬ者に生きる資格はないのか?敗れた者は死ぬしかないのか?
もう一つの選択肢。
不要な身体を捨て魂を新たなステージに。
人の身体を捨て去り、意識だけを人格移植OSにインストールし、魂をデジタル化して永遠の命が約束された聖なる魂の座で生き続けること。
ヒトゲノム計画によって確立したクローン人間に自分の意識が載った人格移植OSを走らせれば自らの肉体が滅ぶ前に新たな自分を存在たらしめることが可能だ。
自分を絶対裏切らないプログラムを附した自分好みの完全なる美少女クローンを創れば、究極のパートナーを手にすることが出来る。もちろんクローンといっても生身の人間とまったく同じであるから生殖も可能。
ドールやフィギュアが生命を持てばどんなダメ人間でも幸せになれる。
永遠の生命と究極のパートナー。

NHK総合TVでロボット開発についての番組をやっていた。ホンダ技研が開発した歩行型ロボット。しかしそれは単に人の動きをシュミレートしたに過ぎない人形だ。
このようなものに存在意義はない。
人格移植OS搭載を可能にし、誰かしらの魂をインストールしない限り、それは藁人形と同じ。
魂の座なき人造物は所詮道具だ。道具に見せ掛けの人格や感情をつけたところで所詮はりぼて。むしろ邪魔なだけ。ロボットを擬人化させることに何の意義もない。
我々の求めるものは人のカタチに代わる、永遠の魂の器なのだ。
遺伝子工学と超並列演算ニューロコンピューターの生体細胞融合技術、更には人格移植OSの体内移植実用化、生体脳の情報処理とシンクロしたネットワークインフラ整備。そして魂のデジタル化によって不要な身体を捨て、魂を新たなるステージへ。
だがテクノロジーだけで魂のデジタル化はなし得ない。
神の技。
第一先住民族が創造しせり『超越した存在』だけが有する神の技。
それこそが「ガフの部屋」より魂を獲得しえる唯一の方法。
そのための神のサルベージ。
今、あらいる国家、宗教組織が血眼になって神々のサルベージを押し進めているのはこのためなのだ。
『人類補完計画』
これが現実化されない限り、魂のデジタル化は絵空事でしかない。

ある日、部屋に飾ってあるお気に入りのフィギュアやドールが突然、絶望ダメ人間君の永遠の花嫁となったとしたら。(勿論、擬人化されたドールやフィギュアにそのまま生命が与えられる訳ではなく、そのイメージ通りの生身の美少女が君の前に現れるという意味だ。あるいは逆に、君がその擬人化された世界の中に取り込まれるということ。)
いままでの苦痛、挫折、敗北、屈辱、嫉妬、無念、嫌悪、憎悪、裏切り、絶望から永遠に解き放たれるのだ。
生きる闘争からの解放。
その技を手にする者は誰だ。


2000年10月13日(金) ガフの部屋

今世紀最後の13日の金曜日。フルムーン。セカンドインパクト一ヶ月後。
中東での武力衝突が俄に激しくなり、原油価格は更なる高騰を煽り、株価は低下。
アメリカのあるカルト団体が遺伝子操作による人造人間製造に着手したという。
ガフの扉が開き始めたのか?
ガフの部屋。
ヘブライ伝説に出てくる「魂の住む部屋」
この世に生まれいずるすべての者はここから魂を貰うとされる。
新たなるガフの部屋の魂を獲得するための闘争が始まるのか?
すべてはこれからだ。


2000年10月11日(水) フリーター

NHK教育TV「ETV2000」なる番組でフリーターについて何かやっていた。大槻ケンジがコメンテーターで出ているというので、てっきりフリーター相手に
「お前等はダメ人間だ!」
と説教するのかと思っていたがどうやら違った。
何をもってフリーターというのか理解に苦しむが、自分の意志で定職に付かない若年層のことを言うらしい。
日本には今、150万人いるという。
なんだ。たったそれだけか?1500万人なら騒ぐ価値があろうが、たかだか150万人で何を驚く?
どうせ未来のない絶望日本。ある意味、先見の明があるというもの。
生きていたってしょうがない役立たずのゴミと自覚出来ているだけでも立派じゃないか。むしろ総てを放棄して絶望に生きる覚悟さえあれば、上級官僚の道を進むより賢いもしれぬ。
経済的自立を放棄し、親と同居している成人を最近はパラサイトとか呼称するらしいが、それがどうした?
もはや死の拠り所さえ見つけることの出来ぬ状況下、ダメな人間はとことんダメになって生き恥を曝せばよろしい。それを他人がどうこう言えるか?
邪教徒のいいなりで堕ちていくしかないこの日本に人生を賭けることなど無意味だ。まともに労働するほど邪教徒にいいように利用されるだけ。
大槻ケンジも語っていたが、いずれフリーターと称される若年層のほとんどは30代後半で救いようのない絶望感に堕ち込むだろうと。
それでいいのだ。
あとは死ぬだけ。ここで初めて己の死の拠り所を発見出来る。
生と死は等価値であることに気がつくのだ。
結婚も出来ず、子も残せず、地位も名誉も財力も何もない自分に出来る事は唯一死ぬ事。
特に男は救いようがない。
フリーターの男は生ゴミほどの価値もない。クズ、ゴミの類と自覚出来た時、はじめて己の魂が覚醒するのだ。
死ぬしかないと。
己の惨めな人生を己たらしめたのは、祖国日本に対する邪教徒の策謀であると気が付いた時、自分が己の敵を認識することで初めて死の意味に覚醒するのだ。
そしてその死はこの国を堕落から救う聖戦における殉職として報われるのだと。
武器を手にし、邪教徒に対する報復の戦士として玉砕する。
もはやそれ以外に己が存在する価値などないのだから。

闘争しない男、つまり経済力のない男に生きる価値など微塵もない。
マスコミはこうデマを飛ばす。
「女性は自らの経済力が増した分、結婚相手も対等な価値観を持ち、家事、子育ても共同でやってくれる男性が望ましい」と。
笑止千万!
そんな結婚相手を望む女性はどこにいるというのだ?
こんなものは机上の空論。邪教徒が日本の国力を低下させるために考え出した策謀宣伝に過ぎない。
女性はいつの時代にも男性の闘争力、経済力に依存して生きてきた。
家事は出来るが経済力のない男がいつ、どこで羨望の的となった?そんな男を理想の結婚相手に選ぶ女性など過去にひとりも存在しなかったし、未来永劫そんな男を求める女性など現れはしない。
女性は美しさを武器にし、男は経済力、地位、名誉に裏付けされた力を武器にして生きてきた。
これは動かす事の出来ない生きる闘争の掟である。
これを放棄した人間に生きる資格などないのだ。
美しくない女性に生きる資格などないし、力のない男に生きる資格などない。
ダメな男女に残された選択肢は生き恥を曝すか死に拠り所をみつけ、自決かのどちらかだ。
「ETV2000」の番組で、もうひとりの偽善ぶった人材コンサルタント女性コメンテーターが「頑張らなくても生きていける新しい時代がきた」とか偉そうに発言していたが、冗談にもほどがあろう。だったら、あんたがスタジオに居並ぶ絶望男性フリーター全員に美人の嫁を斡旋しろよ。
あんな経済力のない絶望男性フリーターに嫁ぐ女性など何処にいる?
笑わすな。
生きる闘争をしない敗北者に「頑張らなくとも生きていける時代」など永遠に来ないのだ。結婚も子も残せない男性はもはや死んでいるのと同じ。
生きる屍だよ。
屍には屍に見合う絶対的絶望に彷徨すればよいのだ。
そして死ぬ。
偽りの希望に縋って何になろうか。
彼等に生きる希望は微塵もない。


2000年10月07日(土) オオナムチ

2000年10月6日。鳥取県西部で発生したM7.3の地震。
出雲国の領域で起きた巨大エネルギーの解放。
おそらく、これもまた神との接触実験に伴う事象であろう。
『故、大国主神、出雲の御大の御前にます時、波の穂より天の羅摩船に乗りて・・』
出雲神話の神、大国主神。
蘆原中国を創ったとされる国創りの神。
またの名をオオナムチともいう。
そのオオナムチの遺体埋葬地がおそらく、今回の地震の震源地であろう。
オオナムチは暗黒神でもあり、それに触れる事は忌むべきことだったのかもしれぬ。
しかし、世界各国が神々のサルベージを急ぎ、『人類補完計画』を推進している今、躊躇は許されない。
今回の接触実験においてオオナムチの覚醒と解放がなされたとみるのが合理的だ。
阪神大震災を引き起こしたイザナギ、イザナミ神復活に続く今回のオオナムチ神復活。
神々は揃いつつある。
おそらく、次は日向の地に眠る神々のサルベージがなされよう。
近い将来、その覚醒と解放によるエネルギーによって宮崎地方に巨大地震が発生するかもしれぬ。
我々の魂を新たなるステージへ昇華するための
魂の座。
そのためにはなんとしても神々の覚醒と解放が不可欠なのだ。
約束の日は近い。


2000年09月27日(水) 信仰心

米大統領選は「信仰心」が論点だそうだ。
ある副大統領候補に至っては「モーゼの十戒」を政策に取り入れたいと真面目に論じているらしい。
民は神に忠実であれと。
モラルの低下は信仰心の無さにあると。だから今こそ信仰心を取り戻せと。
神の名において原爆を投下した国家だ。
信仰心こそ力の根源か?
力ある所に神は降臨されるのか?
いや、神との一体化が新たなる未来への唯一の道とすれば当然のこと。
神をサルベージし科学技術によって人との一体化を図る試み。その目的は
『人類補完計画』
アメリカはすでにその実践に向けて動きだしたのかもしれぬ。
第一使徒アダム復活は近いらしい。
米大統領選で神の存在、信仰心が最大の論点になっているのはその現れであろう。

シドニーオリンピックでのサッカー、ソフトボールでの対米戦敗北の要因はこの信仰心の差にあったのではないか?
女子ソフトボール決勝戦でサヨナラ勝ちした米選手はグラウンドで星条旗を中心にまるで結界を張るのごとく円陣を組み、なにやら神に祈りを捧げていた。
信仰心が力を呼び込み、勝利を手にしたのだ。おそらく、何らかの手段で神を召還したのだ。
すでにアメリカは神の召還(サルベージ)技術を確立しつつある。
一方で日本選手は八百万の神に祈る事さえ許されない。伊勢神宮に向かって一礼した選手はいたか?ましてや、神の召還技術など何も持ち合わせていないのだ。
神との一体化を目指す試み無くして真の勝利はあり得ず。
おそらく、アメリカ選手団の一部には『人類補完計画』実践のための資格選抜者が含まれていたと思われる。
ヒトゲノム計画によって神の遺伝子を取り込む実験。
最初の適格者がね。

すでに北米大陸では3体の「神」、第一先住民族の残した「超越した存在」がサルベージされ、蘇生の試みがされているという噂だ。
今日の石油高騰もその覚醒と解放に伴う厄にそなえてのことと市場では囁かれている。
我々はいよいよ備えねばならぬ時期に来たのだ。


絶望皇太子