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2000年08月09日(水) 日航ジャンボ機123便

この7、8月なぜか航空機関連報道が多い中、
奇妙な『真実』の報道に出会す。
JNN系(TBS)夜のニュースで、1985年8月12日に御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機123便のフライトレコーダー音声が流されたのだ。
爆発音から墜落の衝撃音までの間、コクピット内3人の会話が克明に記録されている。
もしこのテープが捏造でないとすれば正に報道に値する神の記録だ。
そこには、洒落の欠片も無く、死の彷徨、ダッチロールという死の舞踏の中、魂の叫びが焼きつけられている。
正に真実。嘘偽りの余地のないリリシズム。
なぜにこの真実の叫びが今日まで公表されず、それも一民放のニュースでしか扱われないのか?
そもそもこの15年前の墜落事故原因自体、あやふやに処理されてきた。
公にはジャンボ機後部隔壁が修理ミスのため圧力で破裂し、風圧で垂直尾翼が破壊されたのが、墜落の直接原因であるという。
これを信じる者はどれだけいるか?
この日航ジャンボ123便は墜ちたのではなく、墜されたとみたほうが合理的だ。
折しもこの当時は日米貿易摩擦が過熱。
日本の有能なビジネスマン、技術者は邪教徒にとって脅威以外の何者でもなかった。
彼等を消す効果的な方法は?
そうだ。
あの日航機事故犠牲者のなかにどれだけの数の有能な日本企業のプロジェクトチームがいたか想像したことがあるか?
東京〜大阪間、それもラッシュ時、有能な人間が最も集中する便だ。
それをターゲットにしない訳がない。
技術立国と謳われた日本は、あの墜落事件以降、なぜか株や土地を投機とするバブル経済に突入し、戦後築き上げた富を一気に失い、堕落と絶望へと自らを貶めていった。
今日のIT革命に至ってもハードやソフトは殆どが欧米メーカーの技術で占められ、日本市場は彼等によって牛耳られてしまっている。
その厄のすべての原点があの「事故」だった。
有能な人材を失った故の技術立国日本の没落。
あの事故で最も得をした者があの「事故」を起こした下手人と疑うのが自然だ。
その「真実」を伝えようとはせず、ひたすら隠匿、捏造を繰り返すマスコミ。
マスコミの背後に何が存在するかを考えれば別段不思議ではあるまい。

記録テープの最初に記録されていた爆発音。
機長は思わず叫ぶ。
「何かが爆発した!?」

恫喝と捏造によって真実をねじ曲げ、何者かの都合のよい情況にこの日本をミスリードし続けようとする邪悪な企みが今日もありとあらいるところで進行している。
このテープが公になったことで情況は変化するだろうか?
いや、邪教徒はあらいる手段を講じてこのような「真実」を徹底的に殲滅しにかかるだろう。
もはや我々に真実を知る権利は奪われてしまったのだ。
ダッチロールの末、御巣鷹山に激突したあの日航機のように
我が民族は死に至る恐怖と絶望迷走の挙げ句、粉々に打ち砕かれる日を座して待つしかないのだ。
希望は微塵もない。


2000年07月29日(土) コンコルド

フランスとイギリスが共同開発したSST旅客機コンコルドが墜落した報道は、皇太子世代男子にとって絶望を更に確定的にする出来事だった。
1960年代後半に開発された科学技術の結晶たる超音速旅客機の存在が「事故報道」でしか世に伝わらない絶望感。
「未来」の遺物として取り残され、忘れ去られた「21世紀」は、墜落炎上し100人余の犠牲者をもってして記憶から蘇る。
こんなはずではなかったと。
我々が子供の頃、夢見た西暦2000年は、たった20機弱のSSTしか飛んでいない「未来」であるはずはなかった。
空はHSSTで溢れ、道路は渋滞のないコンピューター制御されたエアカーが疾走し、月や火星には人類の橋頭堡たる基地が完成し、常に数百人が常駐している。更には海底都市が大陸棚に広がり、夢のエネルギー原子力が総ての者に安定した電力を供給していたはずだった。プライドある正しき文明人が未来を築く時代が保証されていたはずだった。
だが、希望の未来は裏切られ、人間のクズが支配する醜悪な堕落と拝金と絶望に塗れた肥溜のような西暦2000年を迎えねばならぬとはとんだ悪夢だ。
こんな絶望的な西暦2000年に失望し、コンコルドは「自殺」したのかもしれない。
未来と夢の自殺。
次は我々、プライドある皇太子世代男子自身が死を選択する番かもしれぬ。
肥溜の中で虐げられながら生きるよりは潔く死を選ぶ。
コンコルドの墜落は、それを正しき人々に教えてくれたのだ。
死の向こうに本来の正しきあるべき姿の西暦2000年が待っているのかもしれない。


2000年07月20日(木) 淫猥

新宿に出る。
淫猥な婦女子のファッション。
いつから日本の夏はこんなにも艶かしい体液に満ちたドブ川の匂いに満たされてしまったのか?
巧みな扇動のもと、若い婦女子に下着のまま公衆の面前を歩かせることに慣れさせ、羞恥心を麻痺させたあげく、総売女化が図られている。もはや彼女達は「歩く猥褻物」と化した。
そこには人間性の欠片もなく、常時発情した狂ったほ乳類の雌でしかない。
これが異常だと気が付かないほど情況は末期的だ。
一方でセクハラ防止やら児童ポルノ法やらで男性本来の行動を法律で規制強化しようとする情況が作られつつある。
これは冗談か?
女性を淫猥な獣に作り替え、男性を去勢人形に作り替える。
狂気の沙汰だ。
まともな人間の考えることではない。
こういった情況をフェミニストと称される女性達は大いに気に入っているのだろう。
女性が自由を獲得し、男性の束縛から解放されると・・。
おめでたい人達だ。
女性が獲得したものは、実は自由という仮面を冠った堕落に過ぎない。
悪魔の前に差し出された供え物といったところか・・。
かつて中国の文化大革命で破壊の限りを尽した紅衛兵。
何百万の同胞を虐殺したカンボジア、ポルポト政権のクメール・ルージュ。
それと同じことがいま、日本でフェミニストの扇動のもと、進行しているといえないか?
そもそもフェミニズムという運動は、女性の自立を謳っているように聞こえるが、まったく生物学的根拠を欠いた、歪んだ世界観を体現しようとする病的な狂気だ。
なぜ、そんな非科学的呪術集団がマスコミを通じ、物凄い影響力を発揮出来るかというと、何者かがある目的の為に彼女達を利用し、破壊の道具として活用する価値があるからに他ならない。紅衛兵のようにね。
利用されていることに気が付かない彼女達も気の毒な存在ではある。
いわば、狡猾な企みを持つ男に心を奪われ、その男に捨てられたくないが為に、実の子や親に保険金を賭けて平気で殺し、その金を男に貢ぐような女がフェミニストであり、それを奨励する運動がフェミニズムの正体といえよう。
実はフェミニズムは男性からの自立を訴えているのに、狡猾で野蛮な男には呆気無く束縛されてしまうという自己矛盾から産まれた狂気なのだと考えれば容易に説明がつく。
むしろ、彼女達が騒げば騒ぐほど、野蛮な男の女性に対する暴力は増長される。
なぜならフェミニスト自身が深層心理の中で無意識的にそれを望んでいるからだ。
その結果、文明社会は破壊され、暴力と野蛮が支配する弱肉強食の恐怖世界が完成するという訳だ。
背後でフェミニストを操る邪悪な存在は、その目的のために彼女達をいいように弄んでいる。
責められるべきは彼女達でなく、彼女達を操る邪悪な存在なのだ。
本来、フェミニストは総て精神隔離病棟に収監し、治療を受けさせることが必要な気の毒な人達なのだから。

大戦中の「勤労女子挺身隊」の写真を観る機会があった。
彼女達の顔には凛々しさがある。
もし彼女達が単に強制的に労働させられたというのであれば、断じてこんな顔はしないだろう。
国家のために身を投じたのは男だけでなく女も同じだ。
それを誰かの「強制」に置き換え、当時の情況をすべて「悪」に置き換える事こそ犯罪行為だ。
半世紀前の若い日本婦女子が、もし「利用」されたというのなら、今の若い女性もまた、まんまと「利用」されているに過ぎない。それも悪魔によって。
まともな女性はそんなことは解り切っているのだろう。生物学的に女性は男よりも強い生き物だ。
だが、今の若い女性は何者かに唆されたあげく、最も重要かつ神聖なる「母性」を奪われ、男性と同じような価値観を強要され、堕落への坂を転がり堕ちてゆく最悪の事態に直面している。
いくら諭しても聞く耳持たず、あげく狡猾野蛮な男たる邪悪な存在に弄ばれ、事実上の妾に成り下がる事が唯一の幸せだと錯覚するほど狂気は進行している。そしてそのことを警告する善良な市民を逆恨みし、かつての愛する同胞を平気で殺したりする。
まさに悪魔の業。

真夏の繁華街。
悪魔の呪いによって性獣と化した婦女子達。
まもなく破たんがやってくる。
それは1945年8月15日よりも遥かに致命的で癒しようのない絶望的壊滅的打撃となって、我々の上に大いなる災いとして降り掛かるだろう。
もはや希望は何処にも無い。
あるのは死と絶望だ。
それが彼女達を洗脳した邪悪な勢力の最終目的なのだからね。


2000年07月16日(日) 皆既月食

伊豆諸島で続く地震と三宅島雄山の噴火。
情況は新しいステージに入ったのかもしれぬ。
満潮時に活発化するという三宅島の地震活動。八百万の神の司る神儀のごとく、雄山の噴煙は、その祭事の始まりを告げる狼煙なのだ。
その神聖なる狼煙を拝礼する義務が、今、必要とされている。
すべての報道機関は24時間、あの神々しい雄山の噴煙をライブで放映しなければならない。
しかも、今夜には、その上空にて、最大級の皆既月食がある。
大地の神儀と天の神儀がシンクロする時、アマテラスはこの汚れた地上に神罰を齎すかもしれぬ。
神々の儀にすべてを委ねれば迷いから解放されよう。
今、私達に必要とされていることは、生け贄として雄山の噴火口へ飛び込む勇気なのではないか?
すべてを八百万の神に委ね、再生の時を待つのだ。


2000年07月13日(木) 雪印報道

やたら、うさん臭いニュースばかりが流されている。
その最たるものが「雪印」だ。
そもそも本当に原因が不衛生な設備による食中毒であるかさえ疑わしい。
関西方面で起こる、食品に係わる事件はなぜこうも多発し、うさん臭いのだろう。
Oー157集団食中毒にしても、グリコ森永事件にしても、本当の原因や犯人などつきとめられた試しがない。やたら、事件そのものを大騒ぎするだけ。原因究明など、どうでもいいらしい。その舞台として関西は好条件なのだろう。
むしろ、そういう情況を作り出し、漁夫の利を得ようとする存在がマスコミを操作していると考えた方が合理性がある。
案の定、スーパーの棚からは「雪印」製品が消えたという。
そして空になったその棚には何が並ぶのか?
もし、そこに外資系メーカーの商品が並び始めたりしたら・・・。
このような「雪印」バッシング、いや日本の乳製品メーカーバッシングキャンペーンの裏には日本の酪農業壊滅を画策するという目的が隠されているかもしれない。
これだけダメージをうけた「雪印」は、最悪の場合、企業として成り立たなくなるかもしれぬ。すると再建策と称して外資系の銀行が介入し、会社を乗っ取るかもしれぬ。
そうすれば、いままで「雪印」製品を買っていた人達は外資系の得体の知れぬ乳製品を買わざるおえなくなる。勿論、乳製品の原料は欧米の遺伝子操作された怪しげなもので、日本の酪農業は壊滅に追い込まれるというシナリオだ。
マスコミ操作による『偽り』の日本消費者の選択という、一見真っ当な情況を作り出し、危険な外国製品を押し売りし、最終的には日本の食文化を殲滅しようとする意図が見隠れする。
騙されてはいけないのだ。
「そごう」再建問題だってこのようなシナリオにもとずいた茶番劇であろう。
汚染されているのはマスコミのほうであって、「雪印」ではないのだ。
警戒すべきはテレビや新聞の裏に潜む邪悪な影だ。


2000年07月05日(水) 殉職

昨日、空自松島基地所属のアクロバットチーム『ブルーインパルス』2機が訓練中墜落し、三名が殉職したというニュースがあった。
その中に、私の本名と一字しか違わない人がいた。勿論、縁も所縁もない全くの他人。だが、昭和37年生まれということは、私と殆ど変わらぬ年齢だ。
昨年の『B.I』カタログにその人物の紹介文があった。
もし、パイロットにならなかったら、犬の訓練士になったであろうと記されていた。
愛読書は手塚治虫の『ブッダ』だという。
この自衛官はFー15イーグルドライバーでもあるエリートパイロットだった。
軍人にとって生と死は等価値だ。
ある意味、殉職は大願成就でもある。
バルハラという戦士の浄土へ魂を昇華させたのだ。
何の悔いがあろうか?


2000年07月01日(土) 男の死場所

在日米軍厚木基地航空祭に行く。
天気予報ではせいぜい薄曇りとのことだったが、実際はカンカン照り。
飛行場では砂漠のごとし。紫外線で肌が真っ赤に焼ける。
地上展示は昨年に続いてU-2が来ていた他、それほど例年と変わらない。
昼頃まで、米軍のC-130輸送機の翼の影でじっとしている。
来場者は大きく分けて、マニア、家族連れ、地元の年輩者。たまにカップルとか若い女性だけのグループがいるが、かなり少数派。男女比は7:3位で男だが、一眼レフを持ってマニア装備の若い女性もたまに見かける。男のマニアは大抵が独り単独で来ている。連立って来る知り合いがいないのか、単独の方が動きやすいのか?
かつて、1975年頃の航空祭では、大半が家族連れ、学生グループで占められ、一眼レフや、無線機や脚立を持ったマニアなど、珍しがられるほど僅かしかいなかった。ましてや、20〜30代の飛行隊キャップを冠った単独独身航空マニアの群れなど、想像もつかなかった。
いずれにしろ寂しい存在がこんなに増殖するとは誰が予想したか?
一方で、25年前、最新鋭戦闘機にしか搭載されていなかったハイテク機器がいまや来場者のデジタルカメラ、ビデオ、携帯などに広く活用されているのをみるとなんとも不思議である。
午後から、米海軍第5空母航空団によるデモフライトが始まる。
アフターバーナーの炎と爆音は聖なる戦士の魂の鼓動。
F-14やFA-18の天を切り裂く爆音は、男達に生きる喜びを与える。
カメラのファインダーから覗き込むのではなく、裸眼で見るのが基本だ。
文明と科学技術の勝利の具現化の一つがF-14だ。どうせ死ぬならF-14の墜落に巻き込まれて死ぬのがよい。
そのために寂しい男達がここに集っているのかもしれぬ。
16時過ぎ、航空祭に参加していた海自の救難用ヘリUH-60Jが単独で南に飛び去った。どうやら、伊豆諸島での震度6の地震に対応するためか?


2000年06月29日(木) 花嫁衣装が純白なのは死に装束だから

テレビで男性の初婚年齢が30近くまで上がったという報道を観た。
離婚率は上昇し、結婚件数は減り、少子化に拍車が懸かる。
ある離婚した女性のインタビューがあって、自分の時間が無くなってしまったのが、離婚の理由だという。
そういう理由があたかも女性の大多数の意見かのように捏造するマスコミ報道は今に始まったことではない。
かつて嫁ぐという行為は女性にとって、一度死ぬのと同意語だった。
花嫁衣装が純白なのは死に装束だからだ。
一度死んで夫のために尽す。
これが結婚の本質だ。
そして子を産み、育てる。
このどこが間違っているのだ?結婚しても自分の時間を持とうとする女性。
一度、「死ぬ」ことが出来る女性が「死ぬ」事をやめる。
いつから女性はそんな臆病になったのだ?
経済的な側面だけで人間の価値観を図り、子を産む事も、育てることも放棄する。
それは鬼畜という。
鬼畜が市民権を得た世界は悪魔の世界だ。
女性達を堕落へと扇動する者がこの世に存在するとすれば、英知ある文明社会は、その邪悪な存在と闘わねばならぬ。

同じテレビで哀れな男達を見た。30過ぎの独身男性が高い金を払って、御見合いクラブのような所に通って結婚相手を捜しているのだ。結婚のために女性との付き合い方を教えるスクールさえあるという。
堕落しきった今の若い女性にそこまで媚び諂い、何が得られるという?
この哀れ極まる男性は決して例外ではない。
もはや、今の30代独身男性にプライドは存在しない。人間のクズに成り下がる以外に生きる選択肢はないのだ。
そのような情況を、あたかも正しいかのように流布するマスコミとその背後者の意図は明らかだろう。
善良なプライドある男達を絶望させ、死に追い込み、日本民族を抹殺すること。
ならば、我らプライドある日本男子にのこされた道は死しかない。
男は一度しか死ねない。
だが、生と死が等価値とすれば、誇りある死をもってして、この崇高な文明と民族を守らんがため、玉砕覚悟で戦端を開くことができる。
この絶望の時に終止符を打つ方法はひとつ。
聖なる戦。
悪魔たる邪悪な勢力から我らの花嫁を守るために、「死」をもってして自らの人生に決着をつける時に来たのかもしれない。


2000年06月27日(火) ヒトゲノム解読

ヒトゲノムの解読が終了したという報道があった。
アメリカのクリントン大統領とイギリスのブレア首相が同時にテレビで発表していた。
いよいよ『人類補完計画』は実践段階に入りつつあるのか?


2000年05月19日(金) 死の拠

夕方、初めて靖国神社を訪れる。
九段下の坂を登ると、巨大なる鳥居が凛としてそびえ立つ。
栗の華の匂いが満ちていた。
しかし、明治神宮のような神々しさはなぜか感じない。
ここには下界を隔絶する鬱蒼とした森がないのだ。
皇居に隣接してはいるが幹線道路やオフィス街が近く、あらいる邪念が侵入してくる。
まるで盛り土を剥ぎとられた石舞台古墳のようだ。

ここにかつての総力戦で殉職した「英霊」とよばれる死者の魂が祀られているという。
社務所の掲示板に昭和19年、西カロリン諸島パラオにて戦死した陸軍中尉が父に宛てた手紙が紹介されていた。
そこに記された一編の詩

「この身いま白衣にありて國思ふ
薫風に白衣をかこち國思ふ」

私のような戦後生まれの男子にとってこの詩の真の意味など解ろうはずはない。
しかし彼は生と死が等価値であると確信出来た時代に死ねたのだ。
それが国家神道であろうと何であろうと問題ではない。
死にはそれなりの拠が必要だ。

拝殿の近くに白い鳩が群れている。
まるで白骨の使者。
一羽が右肩に止まってこう囁いた。
「お前にとって死の拠はあるのか?」
と。

帰りの電車内、襟元を淫猥に広げた女子高生の群れから視線を逸らし、ふと車内吊り広告を見ると、ある女性誌の特集記事が目に入る。
「私の求める男性はどこにいるの?」
たしか、そんなようなタイトルだった。
コンビニでふと、その雑誌をみつけ、パラパラと捲ってみる。
ディカプリオのような白人男性の写真がカットに使われているその特集記事は
なぜ、自分(読者の女性)がいい男性とめぐり合えないかをいろいろな角度から検証している。
だがその対象たる「いい男」のレベルが、どう考えても空想世界の住人か人間の屑のような男ばかり。
これは洒落なのだろう。
まさか真面目な読み物ではあるまいな。
もし、仮にこの記事をまじめに世の女性に諭すために書いているのであれば、滑稽以外の何ものでもない。
こんな男は存在しないか屑だ。もし本気で日本の女性にこのような在りもしない虚像を擦込むためにこの記事が書かれたのであれば、やがてある結果を生むだろう。
『不正義の平和は、やがて正義の戦争によって補完される』

現実世界の住人たる日本男子は今や自らの死の拠を捜しはじめている。
これは洒落ではない。


絶望皇太子