transistasis
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2000年05月17日(水) 生と死は等価値

人は、いつしか、自らの運命を左右する神の存在を偶像として崇拝することを覚えた。
渚カヲルは言う。
「生と死は等価値なんだ。自らの死、それが唯一僕の絶対的自由なんだよ」
その拠としての神。
それが
『魂の座』
神に殉じることに何を躊躇う?

我々に具象化された神は必要ない。
神を感じたければ明治神宮の森深く分け入り、そこに身を委ねよ。
聖なる水と大地と大気が結界で守られている場所。
それが我らの墓所であり、また子宮でもあるのだ。


2000年04月30日(日) 聖塔巡礼

西新宿高層ビル群の『聖塔巡礼』に赴く。
地下鉄都営12号線の工事も終わり、やっと落ち着きを取り戻していた。
木陰から見える都庁舎はマヤ遺跡の神殿のごとく、春霞の空に偉大なる啓示を刻み込む。
その足で明治神宮北参道入り口へと赴く。
神社本庁の建物から更に進むと、まるで腐海のごとく鬱蒼とした樹海が出現する。
これが人工的に造られた聖なる巨木信仰の血統を受け継ぐための虚数空間。
その聖地を鳥居というATフィールドで囲み、
結界を張り巡らして邪神の侵入を防いでいるのだ。
しばらくここに身を置けば己の存在が溶け出し、
八百万の神を苗床にした偉大なる『魂の座』に
自らを委ねることが出来る。
リリスへの帰還。
新宿高層ビル群と明治神宮は人と神を結ぶ絶対境界線なのだ。


2000年04月29日(土) はじめに

この日記のコンセプト
transistasis・・変わろうとする力。
homeostasisという恒常性を現す言葉の反語と判断されてよい。

 20世紀末のこの國の憂うる情況は昭和後期の繁栄期から一転し、全てが息詰まり、2度と回復しえない情況に陥った。
特に昭和30年代半ばに生を受けた皇太子世代にとって約束された輝かしい未来は消え去り、生きる希望を模索する事さえ許されぬ絶望の時代を迎えている。
語るまでもなく、この國が何千年と継承されてきたのは八百万の神の庇護のもと、聖なる大地、水、大気に育まれてきたからである。
國敗れても山河あり。この聖なる大地こそ全ての希望の源なのだ。
だが1980年代後半から1990年代初頭にかけてのバブル経済とその崩壊はこの國が戦後、培ってきた全ての富と誇りを無にしてしまった。
特に聖なるヤマトの大地に値を付けて売り払うという大罪を犯した結果、天地開闢以来清浄を保ってきた聖域にまで忌むべき存在の侵入を許してしまった。
まったく取り返しのつかぬ事態である。
我々にとって生きる術とはこの危機的情況を招いた罪人と搾取者たる忌むべき存在(以下、邪教徒と呼称)に対し、聖戦を挑む他にないことが明らかとなった。
幸いにして皇太子世代の同志たちはこの國の危機的情況を憂い、数々の表現活動によって国民に聖戦を促す活動を展開している。
特に1990年代後半、『新世紀エヴァンゲリオン』という作品にて我が国の危機と邪教徒の存在、そして唯一の希望「人類補完計画」の存在を比喩的に知らしめた庵野秀明の功績は大きい。これによって日本の若年層の大半が覚醒するに至った。また押井守の映画、大槻ケンヂの楽曲も我々皇太子世代を覚醒に導いた。

もはやこれまでの価値観では我々の未来はない。
日本神道とヒトゲノム計画の融合によって、この不要な身体を捨て、新たなる魂のステージに移行する時、はじめて真の希望が生まれる。
神への道。
その希望への前進と、それを拒もうとする邪教徒に対して聖戦を呼び掛けること、更には真実を伝えようとせず邪教徒の宣伝機関と成り果てたメディアに対するアンチテーゼがこの仮想現実日記のコンセプトである。

transistasis・・我々は変わらねばならぬ。八百万の神と一体化し、ガイアとシンクロし、聖なる大地の子宮へと還る事。
皇太子世代に託された責務はこれ以外にない。

なお、この日記の著作権は全てハンドルネーム『絶望皇太子』に帰属する。
当然ながら転写は禁ずる。
またこの日記サイトに掲載開始した期日は2001年3月からである。


絶望皇太子