目次過去未来


2003年10月31日(金)  Happy Halloween!

とりあえず、Google に乾杯。


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あるアンケートに答えてみた。

Q.あなた自身が日本語に関して興味があることや、日頃から感じることなどを自由にお書きください。

 一般的に「乱れた日本語」といわれるものは、場面によって(目上の方と話すときや公共の場などでは)使いたくないと思っているし、使わないよう積極的に心がけている。しかし、同世代の人間と話をしているときには相当にくだけた日本語を使っていると感じる。E-mailでは、友人とわざわざおかしな日本語を使って面白おかしくやりとりすることもあるが、人によってはそれがおかしいと気付かないのだと思うと、虚しいような気持ちにもなる。
 何年か前に話題になった「ら抜き言葉」には非常に抵抗があるが、方言などではそれらしい言葉が使われていると言われると、東京出身の人間としては辛いところである。身近で「ら抜き言葉」が使われていると、どうも気になってしまう。
 最近よく感じるのは、話し言葉が書き言葉のなかに頻繁に目に付くようになったということ。自分としては未だに少し抵抗があるが、これも日本語の流れなのだと半分諦めたような気でいる。言葉が変化していくことは自然なことなのだろうが、なんとなく落ち着かないような気持ちになることも多い私は、少し古い人間なのかもしれない。

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今読み直すと、なんだか変な日本語がある気がして、
ちょっと恥ずかしいけど載せてしまえ、という気分。


2003年10月30日(木)  同一性の衝突/現実としての完全無欠

現実的に生きていると、
現実的なものしか目に入らなくなるのだろうか。

現実の同一性は自分自身のそれより遥かに脆くて、
いったい僕にとっての現実とは何だろう、
という疑問が幽かに頭をよぎった。
そんな非現実的な考えこそ、
まさに僕そのものであるように思えて、
僕自身の同一性を獲得した僕は、
さらに現実の同一性が信じ難くなる。

疑うべきは目の前の現実か、ここに在る確かな僕か。

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こんな風に書くと、
「現実」という言葉がまるで具体的な人の名前のように見えてくる。
それは曲解。


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小池真理子の『欲望』を読み、頁の上で彼女たちの身体を弄びながら、何一つ欠けてもいなければ失ってもいない癖にいつもどこかしら満たされていない僕は、まだうだうだと完全と無欠との違いについて考えている。


2003年10月28日(火)  性欲

せめて今の3分の1くらいだったら少しは適応的だったかもしれないのに


2003年10月26日(日)  その後

昨日の事故以来、いろいろな人から連絡が来る。
相手の方、警察、保険会社、相手の方のお母さんまで。
友人たちからもいろいろな反応がある。
なんだか恐縮してしまう。もちろん、ありがたいことに変わりはない。
自分の不注意が原因というのが痛い所であり;

怪我の方は、言われたとおりに一晩冷やして足を高くして寝たら、
大した痛みはなくなった。
これなら、それほど大事にならずに済むだろう。
その代わり、仕事はしなきゃならないが。

昨日は、自賠責の保険証を探すのに手間取った。
こういうとき、考えていた場所にあるべき物がない部屋は、困る。
車なら車関係のものはまとめてダッシュボードに入れておけばいいのだが、
バイク、特に僕のブロスにそんな便利な場所はない。
要するに、日頃から整理整頓を心掛けろということだろう。
いつ起きるかわからない、万が一の時を想定して。


2003年10月25日(土)  事故 〜不幸中の幸い〜

喩えでもなんでもなく、本当に事故った。
自動車事故。

まぁ、ここに日記を書いていることからもわかるように、
大した怪我ではない。命にも別状はない。

バイクと乗用車に左足を挟まれる形で接触した。
詳しく書くことは(面倒なので)避けるが、
状況としては、こちらにもあちらにも非がある。
県警からは「指導」という形で終わったので、まあ良かった。

病院では、土曜なので救急外来扱いだったが、
なんだか適当にあしらわれた。
レントゲンの結果、骨には異常がないとのこと。
だが、入浴と飲酒は止められた。
おかげで、今日参加予定だった集まりに行けなくなり、非常に不覚。
3年半ぶり位の友人と会える予定だったのに。
ま、この足で西葛西まで行くのは結構辛いので仕方ない。

そういえば、足のレントゲン写真は骨の数が多くて面白かった。

相手の乗用車の運転手が親切な人で本当に助かった。
警察に連絡し、病院まで僕を運び、
診察が終わるのを待って駅まで車に乗せてくれた。
助手席に乗っていた人は、愛車AQIをバイク屋に連れて行ってくれた。
たまたま世話になっているバイク屋の近くで事故があり、
たまたまその人が二輪の免許を持っていたから、ラッキーだった。

そのバイクは、またしても左側だけ負傷。
今回は、転倒は免れたので、走れる程度に。

足は、やはり痛い。
帰ってきてから湿布を貼った。
歩くのが辛いくらいで、何もしなければ痛くはない。
交通事故の怪我は、後から明らかになる場合もあると病院で脅され、
こういう怪我が初めての自分としては、内心びくびくしている。

集まりの予定の他にも、
本業や副業に早くも影響が出ている。
こういうことがあるから、事故はいけない。
こんなことを書く余裕があるのだから、助かったとも言えるが。

帰りの常磐線で、
どうせならもっと大事故の方がよかった
などと一瞬でも考えたことは、誰にも言えない。
仕事よりも命と親と友人が大事だ、というのが本当だから。


真 |MAIL