目次過去未来


2003年09月15日(月)  時の流れを電話帳で知る。/『朗読者』と『平面いぬ。』

‘好きだった人’がいる。

‘付き合った’わけでも‘振られた’わけでもなく、
今想えば、‘憧れ’とも少し違う。
ただ単に純粋に‘好きだった’人。
大好きだった人。
・・・かなり昔の話になる。

その人の電話番号やメールアドレスが、PHSの電話帳に登録されている。
以前は、電話帳のかなり前の方にその名前が登録されていた。
けれども、いつのまにか、
その人の名前が出てくるまでには少し時間がかかるようになった。

自分が肌で感じる時間の経過は、もちろんある。
それとはまた違った時の流れに対する、えも言われぬ想い。
たくさんの人々との出逢いに覆い隠された、遠い記憶。
気付かぬ内に随分と遠くなってしまった、大切な想い出。
大切な人。

下世話なことを言えば、
一度もヤってないから余計に忘れられない、みたいな。
・・・失礼失礼。


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『朗読者』を読んだ。
人生には、潜在的な自問自答が、いやと言うほど隠されている。
ところで、完全な物語(「フィクション」と言ってもいい)のつもりで
気軽に買った新潮文庫だったが、とんでもなかった。
如何に自分が世の「書評」と言われるものを気に留めていないか、よくわかった。


そういえば先日、
乙一(おついち)という人が書いた『平面いぬ。』という短編を読んだ。
こざっぱりとした文体で、独特の視点があって、
文章全体が別段技巧的というわけではないけれど、
根底にあるアイディアが大変魅力的で、面白かった。


2003年09月14日(日)  サイエンスチャンネル/白黒はっきり

高校なんかの物理教室にあるという、
作用反作用の実験に使う台車が欲しい。
スイッチ押すと、台車の腹から棒がポンて出るやつ。
欲しい。中古でもいいから欲しい。
1台1万円くらいなら買えるかなぁ。

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オセロの会社はツクダオリジナルだと思っていたが、
いつのまにかパルボックスに改名していた。
しかも、バンダイのグループになっていた。
うわぁ。


2003年09月12日(金)  おいおい

気がついたら
大イカに捕まっている。
素潜りなのでひとたまりもなく一回休み。

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免許の更新に行った。
が、行った先の警察署では実は扱っていなかった。
暑い中、電車賃払って出かけたのに。
非常に情けない。自業自得。

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ここ数ヶ月で1、2を争う腹痛に見舞われる。
天罰か呪いか知らないが、死ぬかと思った @北千住ルミネ。
ルミ姉(るみねぇ)に看取られるなんて死んでもいやだ。

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高校生クイズが、なんだか微妙。
しかし今でもアレに出たい気持ちに偽りはない。
しかし手遅れ。


2003年09月11日(木)  無常というルールは普遍なんですかね。

世の中なんて、常に自己矛盾を抱えているモノですよね。

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無常。
生まれたものはいつか死に、
造られたものはいつか壊れる。
その「いつか」が、僕らには結構重要だったりするわけで。

一昨年には本当にたくさんの人が亡くなった。
友人とメールでやりとりしながらも、
テレビの画面からいつまでも目が離せなかった。
遠い場所の話。

今年、自分の誕生日の翌日に、
父の同僚の娘さんが病気で亡くなった。
少しだけ顔見知りの彼女は、僕の1つ年下。
本当に近い、それでも少しだけ遠い話。

どちらも、人が持って生まれた期限を否が応にも知らしめるような。
そういう漠然とした意味では、とても自分と近いところの問題なのだけれど、
人の死というものが、僕にとってはまだどうしても身近ではない。
亡くなった人は、手の届かないところに行ってしまって、
手が届かないところにあるものには、興味を持つのが難しい僕。
多分、本当に大事なものをまだ「死」によって奪われていないから。
運命は今のところ僕を甘やかしているけれど、
そのうちどこか深いところへ僕を突き落とす心積もりなのかもしれない。



今はこの世に存在しない沢山の人のために、そして、
今しばらくこの世に存在し続ける全ての人のために、
平和を祈ります。


2003年09月10日(水)  幸せってなんだっけ

ポン酢しょうゆを手にした明石家さんまが浮かんだ人は、
おそらく成人しているでしょう。


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いつからか、自分はずいぶんと現実的に生きている、と想う。
以前の、よくわからない精神世界に生きていた頃はなんだったのか。
あれが青春だったのか。
それとも病気だったのか。
もうごめんだ、という気がする一方で、
なんだか惜しいものを失くしたような気もする。

いつの瞬間も、本当にかけがえのないもので。



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酔っている。

少なくとも世間様の64倍くらい酒に強い人間のように思われているが、
実はそんなことはない。

何を隠そう、いま、缶のチューハイでくらくらしている。
別にチューハイを10缶も空けたわけじゃない。
1缶だ。
1缶で十分すぎるほどだ。

もちろん、人様の前に出ればこれくらい水と同じ。

おそらく、こういう人間がアルコール依存症になるのだろう。
そんなようなことを教わったことがある気がする。

酒を殺して飲むということ。とてもよくわかる。
アルコールがアルコールでないような感覚。
アルコールだと思わなければ何杯だっていけちゃうよ〜ん、という感じ。
一種の自己暗示なのかもしれない。

考えてみると、酒が特別好きなわけじゃない。
独りでいるときにはほとんど飲まない。

そもそも、アルコールに惹かれて酒を飲むわけじゃない。
酒の持つ何か、と言うとわかりにくいが、
それの象徴しているもの、とでも言えばよいだろうか。
酒が何を象徴しているのかを自分の口から語ることは避けるが
(それはほとんど恥を曝け出すようなものだから)、
酒に限らず、「〜の象徴するもの」には、かなり魅力を覚える方らしい。

結局、そんな人間なのでござるよ、拙者は。
(何度も言うが、酔っている。)


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