想
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本日、カウントダウンの日。
って思った人、他にいないかなぁ・・・。
| 2002年03月17日(日) |
西の空の三日月が今にも消えそうだ。 |
溜まっていた燃やせるごみを棄てるために外に出て、その月に気付いた。
ビミョウな、らっきー感。
三日月といったら、Dreams Come True の名曲を想い出す人は多かろう。
実に切ない雰囲気の漂う、いい曲だ。
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楽しみにしていたことができなくなるのは、
楽しみなことがないときよりもずっと辛い。
少なくとも、彼女にとってはそうらしい。
いや、知ってたけどさ。
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霞んでゆく 細い三日月
霞んでゆく 胸の・・・
空に想いを寄せても
いつだって この手は届かない
痛いのは自分のせい
辛いのは自分のせい
抑えてしまう自分のせい
抑えきれない自分のせい
これも長い長い生の中の一瞬
今まで届いたことがないから
もう届くことはないんだと
知っている
| 2002年03月16日(土) |
非常に中途半端にそして無駄に漢字を多用。コレはコレで。 |
どうしたらいいかわからない
さっぱりと片付いた部屋の中でひとり小さく呟いた筈が
後から後から止め処ない涙になって流れてきたので
余計に、如何したら良いのか理解らなくなってしまい。
あのひとの、ストレートすぎるほんの3行の言葉が、
嘘か本当か判別不能なその気持ちを、妙にはっきりと伝えていて。
それが本当であったら
いや、
本当だと信じられる自分だったら
と、思わず綻びていきそうになる守りを固める。
自分にはこの言葉さえ信じられないのだから
と、頑なに拒まなければ潮に流されそうな自分を其処に見る。
(崩されるなら、いっそそのままに崩されてしまえば良いものを。)
こんな自分を「信じて」くれる幾人かを想いながら、
それに応えられない自分の、誠実なまでの不誠実。
本当に困ったことになったものだ。
もっと巧く生きていける筈だったのに。
何時か、リセットボタンの創造に勤しんだこともあったが。
今では、此処から無理をしてまで動く体力はない。
兎に角待つことを、もう覚えたから。
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以下後日談。
ねぇねぇ。
「嘘」の反対って、「本当」ぢゃ、ない?
だいたい、反対って何よ。反対って。どーゆーコト?
何しろ、500円で釣り銭の来るローソファを
近所のリサイクルショップで掘り出してしまったものだから、
驚くくらいに片付いた部屋になってしまった。
・・・とてもあの恐慌状態からは考えられない。
片付けた本人がそう思うのだから間違いない。
5時間あると、人間、結構なことができるものらしい。
フツーの一人暮らしだったら5時間本気で掃除し続けられるのが珍しいのでは、
などということに思い当たったりもしたが。イヤイヤそんなことはないさ。
| 2002年03月12日(火) |
顔を斜めにすると視界が涙で曇らずに済む。 |
シアワセ とか フシアワセ とか、そういうのは他人が決められるものじゃないんだなぁ。
というのが、ある女優の一人芝居を観た30分後の率直な感想、というか、考え、なのである。
何を今更、とは、どうか言わないでほしい。
どんなに周りが親切でも、どんなに現在に恵まれていても、金があっても、家があっても、他の何があっても、その人が シアワセ か フシアワセ か なんてことは本人にしか決められないことで。
折角そばにいる人を、シアワセにできないのはなぜだろう。とか思ってしまっても、その人が本当に シアワセ なのか フシアワセ なのかは本人にしかわからないことで。
その人がホントウのことを言っているのかウソを吐いているのかということは、もしかしたら、もしかしたら本人にだってわからないかもしれなくて。
それでも、人が人を シアワセ にも フシアワセ にも するというのは確かなことのようなのだ。
ここまで考えて、芝居のタイトルを思い出した。
そうか、所詮あれは幻の、そこに在るわけではないのに確実に存在する、光でしかなかったんだ。
そうか。そうだ。
人は別に、シアワセでなくても生きてゆける。
光という存在それ自体が、既に幻のようなものなのだから。
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嗚呼。
なんてわかりにくい感想なんだろう。