想
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| 2002年02月01日(金) |
ポストひきこもり 〜ひきこもりに続け!〜 |
午前9時過ぎ。セットしていた時間に、目覚ましが鳴り出す。
今朝も、一通り止めて、睡眠体勢に戻った。
気付くと、また目覚ましが鳴っていた。
(たいていの“目覚まし”は、気付いたときには鳴っているものだと思うが。)
止めようと思い、手を伸ばす。だが、そこにあるはずの目覚ましがなかった。
1戸当りの平均目覚まし個数は知らないが、自分の手元には現在4つある。
いちばん古いのは、旅行用に昔買った紺と白の、あまり大きくない四角い目覚ましで、電子音がだんだん大きくなっていくヤツだ。上についているボタンを押せば一端は音が止まるが、横のスイッチをOFFにしないと、何分か後にまた鳴り出す。
次に古いのは、水色透明の丸い目覚ましである。これも、四角いのとは違うが、電子音が鳴る。
最近来たのが、いちばん凄い音を出す。外側はつやのある銀色、手巻き式ので、上にベルが2つ付いてるヤツ。ジリリリリ、と鳴るアレだ。
そして、PHSのアラーム機能。最近は、スピッツのロビンソンがサビから流れる。
おかしなことに、その目覚ましが、今朝はどこを探しても見つからない。
相変わらず、電子音は続いている。
クッションの下も、コタツの中も、ソファの下も(ここは実家なので)探したが、やはり見当たらない。
だいたい、目覚ましがそんなにふとんから遠い場所にある筈もないのだが、しかし、ない。
これまたおかしなことに、大体どの方向にあるのか見当を付けようとして首を回しても、音が響いてくる方向が変わらない。部屋全体に、ピピピピッ、という電子音が響いている。
困った。もう30分は探している気がする。
そんなに広い家でもないのに、どうして見つからないんだ、目覚まし。
どこにあるんだ、目覚まし。
大体、よく考えりゃ、何で1つの目覚ましが30分も鳴り続けるんだ?
おかしい・・・。なんかおかしい・・・。
おかしくてもいいから、誰か早くそいつを止めてやってくれ・・・。
と思っていたら、目が覚めた。
というか、目が覚めたことに気付いた。
天井が、今の自分の部屋の天井だ。これが正解だったか。
そう思って枕元に手を伸ばすが、またしても、ない。
おいおい。夢の迷路にはまり込んだか?
と思ったが、鳴っている目覚ましを止めないわけにはいかない。
いやいやながら、体を起こす。枕元を見る。・・・あった。
今度は、間違わずに現実の世界に戻ってきたらしい。
水色の丸い時計の銀色の針は、9時30分を指している。
9時半か。そろそろ起きなければいけない時間だ。
・・・しかし、何でこの目覚まし1つだけが鳴ったんだ?
目覚ましではない壁の時計を見ると、
そいつは、今が10時30分であることを主張している。
・・・あれ?
その時計だけが、何故かほぼ1時間、遅れていた。家を出る時間はとっくに過ぎている。
もー・・・いーかぁ・・・・・・。
そして本日もポストひきこもり。
チャンチャン。
******
ちなみに、今のささやかな夢は、“1週間完全ひきこもり”である。
むしろ、森田療法である。などと言ったら、森田先生に怒られるだろうか。
と言うわけで、脳の話である。
愛車でひとっ走りして、MRIを撮りに(撮られに?)行ってきた。
なかなか面白い体験だった。インフォームドコンセントからして、貴重だったし。
自分の頭の内容物なのに、初めてしっかり見た。小さく感動(小さくて感動したわけではない)。
ベルトで頭を固定されて、やたら狭い筒の中に入れられる。耳栓をして。
それでも、轟音が。直接、身体に響く感じの。
そして、何故かその奥に、鼓動のような音が聴こえる。
もちろん機械の音だから、それを狙っているわけではないのだろうが、
人間の心臓のリズムを少し速くしたくらいの、規則正しい音がするのだ。
なんだか妙な気分だった。
撮影が終わってから、センセイに、
「いやー、キレイな脳ですね」
と言われた。・・・きれい?
確かに、右脳も左脳も見た目には問題なさそうだったのだが。
中身がね。そこから生まれてくるものにいろいろ問題がね。
実は、秋に京都までMEGとやらに入りに行った時にも、
きれいなデータですよー、というようなことを言われたのだった。
なんでも、よく集中できていたらしい。ふ〜ん。
あの時は、そのMEGとやらがウン億円もする機械だということに
目ん玉飛び出しそうだったのであったが。
風邪かインフルか、どちらからしく、諸々の症状が出ている。
お読みの皆さん、どうかご自愛ください。
| 2002年01月25日(金) |
余裕も無いのにシサクに耽る |
「光に」
1本の トンネル
まっすぐな トンネル
確実な 入り口と出口
振り返れば光
前へ進めば光
どちらもくっきりとこの目に
けれども 遠くに
振り返れば光
前へ進めば光
すぐそばに見え
遥か遠くに在る
今 漆黒に包まれて
入り口への懐古と 果てのない後悔
出口への憧憬と 伸ばせない手の絶望
動け。動け。
ただ 幻のような遠い光のみを糧に
壁を打ち壊せないのなら
光に魅かれて往くまでのこと
闇の誘惑を断ち切れず
思わず目を瞑りそうになり
動け。動け。
先にはただ 光が在る
* * *
(↑)
夏、旅に出たときのメモ(↓)を見て。
「さっきのトンネルはすごかった。
直線。 確実な入り口と出口。」
・・・当時はとても明るいイメージだったのに。
なんだかな。
たとえば、始めるまでは嫌で嫌で仕方がなかったことでも、
やってみると、意外と良かったりするモノ。
躊躇も悪くはないけど、心配しすぎは体に良くない。
一緒にいる相手が自分に満足していたり、あるいは妥協していたりするときに、自分が相手に対してそうできない場合、人は不幸だ。
自分の今の位置に不満が出てくると、もと居た場所が恋しくなって、やたらと温かいところだったように思えてくる。記憶とか想い出なんて、基本的にそういうものなのだと思う。しかし時として、その「想い出」が現在進行形だったりすると(・・・それを想い出と呼ぶべきなのか判然としないが)、もう今の場所を振り切ってでも元のところへ戻りたくなる。
ダメなことは、わかっているのに。
戻ることなどできない。万が一、戻ることができたとして、今の自分がそこで上手くやっていけるはずがないのだ。あの時の自分は、今の自分の中に形ばかり残っているだけ。かたちの一端がどんなに過去を求めても、こころはもうそこに戻れはしないのだ。心だけは、どんなに望もうと、かえることができない。
それはとうに知れたことだ。
**
幸せになんて、一生なれない気がしている。
***
「疲れているときに、ただそっと寄り添っていてくれる。」
言葉にするとこれだけのことが、本当のところ、かなり大事だったりする。
言葉にするとこれだけのことが、本当のところ、かなり難しかったりする。
自分がこれだけ欲することを、本当に必要な瞬間に、誰かに与えているだろうか。