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2001年05月22日(火)  夜明けのテツガク

夜明けの鳥が鳴いている。新聞がつっこまれたのがつい先刻。
客観的にみても自分に今いちばん必要なのは睡眠だと思えるのだが、
せっかくその気になってしまったから何か書き残してしまおう。

やらなきゃいけないことなんて、とかくやりたくないことだから。

さてさて。
日常的に使う言語によって、人の見る世界は変わるのだろうか。
我々人間は、知覚するときにコトバを必要とするのだろうか。
きっとするだろう。それは、「言語」よりも少し曖昧な枠組みで、
(専門用語を充てようと思えばまぁできないこともないのだが、)
物事を考えるときには必ずその人に固有の枠組みを必要とする、というか、
どうしても逃れることのできない、覗き窓のようなモノがある。
それはフィルターに喩えられることもあるし、「声」と呼ばれることもある。
その、個人的な「言葉」は、社会や文化にかなり厳しく規定されるモノらしい。
だからと言って、「近く」にいる人間が自分と同じ世界を感じている、
なんてことは絶対になくて。そんなことはありえなくて。

『何を思うか』
哲学的に言えば人間の存在理由になっちゃうような問い。
要するに、腹が減った、とか、あの花綺麗だな、とか。
幸せ噛み締めてる人間と辛酸舐めてる真っ最中の人間とじゃ、
仮にお互いのココロの中をまるごとその辺に映せたとしても、
いま目に映ってるのが同じ世界だなんて、誰も、思えないだろう。
それこそ、誰を想うか、とか。
自分ひとりの心の移り変わりだってまともに追えやしないのに、
ましてや自分じゃない人間の心なんて、そう簡単に解るわけがないんだ。

そうだ。言葉だった。
なぜ自分がこんなにも言葉を追い求めるのかと言えば、
そこに広がる世界をちょっと見てみたいのかもしれない。
・・・ちょこっとでいい。
ある意味ではさ、人間を創ってるもんなんじゃないか、とか思うわけ。
やっぱり、ある意味で、に留めておくけど。
時間とか、経験とか、昨日の飯とか、友達とか、
そういうものと同じくらい、人間を構成してるもの。言葉。

だから、そこに存在する人間の数だけ世界がある。
「言語」とかでは、きっと括り切れない。


・・・・・・嗚呼。
結局、抽象的なオハナシになってしまった。
今回は正規の学問に沿った話の展開を描いていたのだが。だがしかし。


ま、こんな日もあるよね。
なんだ、ただ睡眠時間が減っただけか。
僕はこの辺で失礼して、寝ます。おやすみなさい。


2001年04月29日(日)  言葉/劇を観るとこうなる

所詮 人は言葉の上にしか生きていけないのであって。
そうとはわかっていても やっぱりそれだけじゃないのが僕らだから。
人として生きるこの幸せを
噛み締めながら歩いていきたい。


せっかくこんな素晴らしい世界を目の前にしているのに、
絶望ばかりじゃもったいない。そう思えないから絶望してるんだろうけど。
残念だよ。今は、今しかないのにねぇ。


私の幸せを支えているのは私で
私だけでは幸せになれないことは十分わかっているつもりだけど
私がいなければこの世界は無いのと同じだから
もう少し生きていたい
もう少しだけ、生きることを認めていたい



どれもこれも、演劇の仕業だ


2001年04月26日(木)  問と解

『問:低俗が高潔を装っている。そいつは低俗か。
 問:悪が善を装っている。いつまで善でいられるか。』


最近パソコンを開かない生活が続いていた。
物を書くほど、手が空いていなかったからだ。頭はいつでも何かを考えているのに。人というのはこうやって何も伝えられずに死んでいくのかなぁ、なんて思ったりする。我ながらクダラナイ。

やるべきことが多い時ほど、関係のないことに気が向いてしまう。なんで自分は今やらなきゃならない1つのことに集中できないのかなぁ、と自分が厭になったりして、それでさらにまた作業が進まなくなったりする。でも、実はちょっと違うのかもしれない。やるべきことが溜まっている時に何か違うことに気が向いてしまうと、そこで自分をいちいち責めてしまうから、なんだか忙しいときの自分に限って散漫に感じるんじゃないだろうか。本当は、いつも散漫なのだ。それでも、自由に散漫だから、無駄なことを考えてても気にならないし、許せる。
いろんなことをこうやって考えていくと、ちょっとラク。

自分を巧くリラックスさせられる時と、追い詰めてしまう時がある。自分に自信を持って臨んだ方が上手くいくことと、謙虚になった方がいいことがある。自分に巧く嘘をつけるときと、嘘をついてはいけないときがある。見極めは難しい。


『解の例:人間性に完全などありえない。』


2001年04月08日(日)  のんべんだらり〜んバカ

何かを思いついてしまうと、パソコンが立ち上がるまでの時間がもどかしい。

最近、ヒマだ。
というよりも、毎日が休日だ。
引っ越してまだ間がないから、そんなにほいほいヒマがやってくるはずもなく、部屋を片付けたりしようと思えばやることはいくらだってある。しかし、なんとなくだらだらしていたい気分なので、やるべきことは後回しにして、同居人のゲームボーイカラーを借りてスーパーマリオランドに没頭してみたりする。GBカラーを使うことにほとんど意味のないゲームだが、そこがまた、なんともいえない味がある。いや、単なるバカかもしれない。しかも、その同居人はバイト中だったりして、こんな時間の使い方をしているのは自分だけかもしれないということに気付く。
自分のアホさ加減に頭が回る頃には、時計の長針はもう2周目が目の前で、そろそろ左手首が痛みを訴え出すので、仕方なく手を休める。断じて、自分の行いに反省などしたわけではない。まだまだのんびりしたい気分はやまず、思い立ってコーヒーを入れる。コーヒーは美味い。香りを嗅ぐだけでも、なんともいえない幸福感がやってくる。
カップ3杯分のコーヒーを飲み終える頃には、幸福クンと満足クンに連れられて、私のところに睡魔クンが御機嫌伺いに来る。この部屋には、カフェインが眠気をどうにかするなんてことを信じている人間はいないのだ。そこで私は睡魔に連れられ、隣の部屋の自分のベッドに潜り込む。だいぶ前からわかっていたことだが、うちの睡魔は強姦魔なので、私はひとたまりもなく眠りに落ちてゆく。
・・・そして1日が終わってしまった。
なんてことだ。これじゃ、本当に毎日が休日じゃないか。
とはいえ、反省できない性格だから、一晩経つと「あぁ、昨日はのんびりできてよかったなぁ」なんて、前日の自分を羨んでみたりする。
それでも、こんなにおめでたい日常は、そう長くは続かないだろう。
さすがに本当に毎日が休日では、生活が成り立たなくなってしまうから。
さあ、これからが戦いの毎日だ、なんて、うまくいくのかどうか。お楽しみに、ってところだ。


2001年04月05日(木)  困惑

こんなに嫉妬深いのは自分じゃないと思いたい
こんなに醜いのは自分じゃないと思いたい

独りでも大丈夫だったはずだ
誰かに側にいて欲しいなんて、
自分だけを見ていて欲しいなんて、
そんなだいそれた欲求はとうに捨てたはずだった

今のこの自分はどうだろう
この愚かしさ
この存在の虚しさ
何もかも放棄してしまいたくなる

この世の中に、
ただあのコさえいなければ


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