Dozy days

2003年08月12日(火)

あー。21歳があと24時間。

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21歳の出来事。

旅行。解散ステージ(自分の)。部屋替え。実習。訓練。辞めたい。鬱病。勉強。連れの人。旅行。感謝。妹受験。三軒茶屋の良いお店をみつける。ものすごい勉強。卒業試験。卒業間近。友達とのお別れを思い写真を撮りまくる毎日。呑み。冬休み。お菓子作り。瑞江のシダックス。悲しいことは少しずつ薄れていく。初詣(成田山)。あややナイト。湯島天神(学院生全員で合格祈願)。中央大学。国家試験。←終わって複雑な感情が吹き出し、おいおい泣く。だいこんの花で鍋(火傷した)。卒業旅行(あやや〜なんでだろう〜狩人)。卒業式(父が感動してボロ泣き←わたしより泣いてどうする)。帽子投げ(防■大学校のそれより女子らしい素敵イベント)。猛ダッシュ。大泣き。みんな大好きだ。申告。研修。呑み。病棟配置。念願の産婦人科・小児科病棟。初体験の連続。分娩拘束。勉強。レポート。合格発表。同期全員合格。感涙。ゴールデンウィーク。連れの人。五月病?。凹む。忙しい日々。我慢することが多くなった。しかし楽しい日々。初・あややコンサート。だんだんとバランスが取れるようになる。着物を着始める。慣れと不覚。インシデントレポート。自覚。責任。気合い。我慢。発散。江戸川の花火大会。コンクール(2003年になって初めて触れる吹奏楽の音)。連れの人の素敵な計画が明かされる。「幸せだ」とか考えていたら電車の中で涙が出てきてしまう。

強烈に印象に残る出来事はないけれども、辛いことが多い年でした。しかし、辛いことに対して帰ってくる喜びは相当なものでした。

でも辛いことはすでに薄れかけていて、楽しいことやきれいなことしか記憶に残っていません。良い脳だ。

深部にある感情の変化に関しては、20歳(疾風怒濤であったことよ)の時に受けた傷が癒えていき、かつ新しい能力を手に入れようとするリハビリテーション期であったと言えましょう。大変な時期でありましたが連れの人の存在のなんと大きかったことか。彼が居なかったらわたしは間違いなく20歳の傷を空気に晒せずに腐らせていたに違いないのです。そればかりか感情は壊死し、わたしは何か大切なものを落っことしたまま22歳になっていたはず。多分、看護師にもなれていない。この世界に居ないかもしれないし。感謝でいっぱいです。愛でいっぱいです。しかし、もし彼がこれを読んだとしても何のこと言っているかわからない筈。そういう変に鈍感なところがわたしを助けたのです。(当初インターネットで出会った私達であるが、彼がこの日記を読まなくなって久しい。まぁ好き勝手書いているので良いのだけれども。)

連れの人が筆頭ではありますが、軽い鬱病であったときに助けてくれた同期のお友達、色々と私のことを心配し、試験前には一緒に勉強してくれた愛すべき、そして尊敬すべきルームメイトであったみゆき、心配をかけてしまった家族、随所で私を励ましてくれた旧友、と感謝したい人達がたくさん居る。

21歳のわたしと関わってくれた皆様ありがとう。今年ほど「自分ひとりじゃない」と思った年はありませんでした。22歳もよろしくおねがいします。

ラブ!

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先程妹から「欲しいものはあるかい?」とメールが来たものですから「愛かな…」と返信しました。だってー、おねえちゃん社会人一年生の妹に「ロックミシンが欲しい」とか「GLOBALの包丁が欲しい」とか所帯じみてるんだかなんだか良くわからないこと言えなーい。あとサイコロの形した帯飾りと帯留めが欲しいとか(探してもないから作ろうと画策中)そんなこと言えなーい。

かと言って今一番欲しいものは「スタンドミラー」なのだけれども、まあそんなの自分で買いますという話で。こうやって何が欲しいか聞かれてもちょっと困ったりしますね。

日記記録、未来。他 日々のインプット等。