「このひとすごいなぁ」と思ってたひとの好物が「プッチンプリン」であったりしたらなんか、すごい上に大好き、になると思う。
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「孤高」は素敵だけれど、そういう高みにいる人に「仲間」「友達」が出来る、というのがもっと素敵だと思う。ああ、この人は「孤高」を演じてたんじゃないんだ、よかった。という安堵もありつつ。
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共同作業は好き。「この人なんでこんなこと言うんだろう」とか思うのも好き。感情がぶつかる刺激は、痛くても気持ち悪くても、なんか好き。アロエの棘々を指でつついてしまうのと同じで、なんかやめられない。
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こんなことをだらだら書いているのは他人への興味も自分への興味も薄れかけているからで、また完全にそれが亡くなってしまう自分が怖いから。
インプットもアウトプットも無くなったら、残るのはなんだろう。無駄に消費をする身体だけだろうか。怖いな。