ナンバープレート - 2002年08月15日(木) ある日の昼、友人Yとの電話で。 --- あのさ〜、前のクルマのナンバープレートの数字で、語呂合わせしちゃうことあるじゃん? 昨日、ち・18−88っていうナンバーを音読しちゃったんだよね〜 「ちい、ぱっ、ぱ・・・っぱ? ふむ、いっこ多いな」 案の定、助手席に座ってるびー子から冷た〜〜い視線が・・・ やっぱり、音読はまずいよね〜 Yぴゃんもうっかりしたことない? --- 私はナンバープレート見ると、たし算しちゃうからな〜 --- え〜っ? たし算? 理数系なのかぁ〜! --- しないの? --- しない! したことないよ〜 でもさぁ、どうやって足し算するの? --- 左の数字と右の数字を足すんだけど・・・ --- くり上がりとかあったらめんどっちくない? --- うん、そうなんだよ〜 --- でも、数字だもんな〜、計算する方が正統派なのかも?? ・・・・・・・ その日の夜、娘(びー子)との会話で。 --- ねぇ、ねぇ、Yぴゃんって、ナンバープレート見るとたし算するんだってさ〜 面白いよね〜 --- へ〜、おいらはひき算するけどね。 --- え? どうやってひき算するの? --- 左の数字から右の数字を引くに決まってるじゃん! --- えーっ! だって、引けないときはどうすんの? --- マイナスの数になるに決まってるじゃん! --- ・・・あう。 というわけで、ナンバープレートを前にした時の反応も人それぞれなんだということが判明した、記念すべき日であった。(大げさ) ... さぶちゃん - 2002年07月29日(月) 月曜日の午前は公民館の囲碁教室に行く。 いつもはさっさと帰宅するのだが、今日は世話人のWさんが近所に新しくできた喫茶店があるというので、みなさんでちょっとお茶していきましょうか、という話になった。 囲碁教室のメンバーは最年長が大正生まれ、私を除いて60〜70歳代の方ばかりである。 公民館から数百メートルしか離れていない喫茶店まで、たっぷり20分かけて歩いていったのだが、中庭にハーブの寄せ植えが並ぶ洒落た喫茶店は定休日だった。 お昼もだいぶまわってお腹も空いていたし、せっかくみんなで出かけてきたし、他の店に行こうということになり、また20分かけて駅前近くまで歩いていった。 通常、駅から公民館までゆっくり歩いても20分の道のりだから、スローモーションで歩いているような感じだ。 最年長のHさんはゆらゆらと立ち上る陽炎のように、暑さでふらついている。 そしてやっとのことで、世話人のWさんが目指していたらしい店に到着したのだが、その店も閉まっていた。 カラオケスナック「さぶちゃん」月曜日定休 たしかに、月曜日のランチには向いてない店構えだ。 Wさんが何を思ってここまで来たのかはわからないが、私は内心「休みでよかった」と思ったのである。 が、しかし、休みのはずの「さぶちゃん」のドアが開いた。 店の前をうろうろしていたWさんが、表で掃除をしていた店のマスターと話をまとめていたらしく、一同、否応なく「さぶちゃん」に招き入れられたのである。 いまひとつ納得できなかったのだが、世話人さんが決めたことだし、反対するわけにもいかない。 くりかえすが、 カラオケスナック「さぶちゃん」月曜日定休 である。 店内の壁という壁が、びっしり「さぶちゃん=北島三郎」のスチール写真で埋まっている。 しかも、よーく見ると、さぶちゃんに混じって数枚、マスターらしき人物が熱唱している写真も飾られている。 窓のない店内には前夜の宴会のつまみが乗った皿や、飲み残しの酒が入ったグラスがそのままになっていて、花見の時の上野公園みたいな匂いが充満している。 最新鋭らしいカラオケの機械のスイッチが入れられ、電話帳のようなものとメモ用紙とボールペンのセットが運ばれて来た。 これはマズい、たぶんヤバい、絶対ボラれる。 「私、帰ります!」 と、喉まで出かかったのだが、最年少、若輩の身でわがままを言うのも気がひけて、赤いモールのソファーの端におとなしく座ったが、じんわりと冷や汗が滲んでいた。 一方、ご老人たちといえば、 「あら〜、ホントにさぶちゃんなのね〜」 だの、 「花も嵐もふ〜みこ〜え〜て〜」 だの、 「こういうのも人生勉強かしら」 だの、 「いや、若い頃はけっこう遊びましたが、わっはっは」 だの、 のんき爆発、老人力全開である。 あげくのはてに、食べ物が出ないと聞くと、近くのコンビニでサンドイッチを買ってきて「持ち込み」してもいいかと言い出す始末。 強面のマスター(眉毛剃り込み)も、あっけにとられて思わずOKを出す。 水商売パワーvs老人力・・・まるっきり噛み合っていないが、力としては拮抗しているというか、そこには世にも不思議な世界が展開していた。 マスターが用意したカラオケセットには見向きもせず、アイスコーヒーや紅茶を1杯ずつ注文して、コンビニのサンドイッチを食べ、買ってきたポテトチップスを分ける皿まで出させた。 顔を引きつらせながら、「ウチは普通の喫茶店じゃないので、お水は出さないんですよ」と言うママさんを押し切って、「お冷や」までサービスさせた。 老人力あくまで優勢である。 結局、メニューに500円と書いてあるソフトドリンクの代金を払って店を出ようとした我々に対して、終始不機嫌だったママさんが、「セット料金でお一人様1000円です!」と、ちょっぴり水商売の意地を見せたところで、奇妙なランチは幕となった。 やれやれ、何と何がセットなのかはわからないが、1000円で済んで良かった。 1杯1000円のアイスコーヒーは痛い出費だが、不思議な「異種格闘技」を見学できたことを考えると、そんなに惜しくない気もする。 ま、一度見れば充分だし、次の機会も同席したいとは決して思わないけれど・・。 ・・・・・・・ ちなみにWさんだが、「さぶちゃん」の常連でもマスターの知り合いでもなかったらしい。 後でそれとなく尋ねてみたところ、単純に喫茶店みたいなところがあったなぁ・・という認識だったというからびっくりである。 ... 心の準備 - 2002年07月28日(日) 以前から何回もネタにしている岩波文庫の栞である。 またか、と思われるだろうが、まただったのである。 ※コレ↓ なんてったってヘッセ、しかも「漂泊の魂」と来れば、読む側の気分だってそれ相応にチューンして臨む。 そこにいきなり「おばさん」がハラリと落ちるわけだ。 この脱力感をどう表現したらよいのか。 やり場のない怒りすら覚える。 どっこい気合いを入れなおして、「漂泊の魂」は無事読み終えたものの、毎度こんな目に遭っていると、岩波文庫恐怖症になってしまうかもしれない。 そこで、とりあえず目に付くところにあった岩波文庫の中をチェックしてみた。 これらは、これから読もうと思っているか、再読しようと思って取ってある本なので、出鼻をくじかれないためにも心の準備が必要だ。 以下は、本のタイトルとその文庫に挟まっている栞の言葉である。 「色彩論」 ゲーテ → 「酷」 「神曲・上」 ダンテ → 「けんもほろろ」 「神曲・中」 ダンテ → 「ねこばば」 「神曲・下」 ダンテ → 「気の毒・気の薬」 「茶の本」 岡倉覚三 → 「金平牛蒡」 「教行信証」 親鸞 → 「山笑う」 「浄土三部経・下」 → 「千秋楽」 こうしてみると、別にショックを受けるようなものはないようにも思えるのだが、きっと、奥のほうから引っ張り出してきて、うっかり開くと「まただよ〜!」っていうようなモノがあるんだろうな。 ま、いっか、その時はまたネタにすればいいんだ。(ぉぃ) ... ソノヒグラシ - 2002年07月25日(木) 今朝方、半覚醒状態でしつこく考えていたことがある。 「ふんしょくけっさん(粉飾決算)」と「ふんさいこっせつ(粉砕骨折)」 この二つの言葉が似ているという自分と、いや、ちょっと無理があると反論する自分がいて、延々と「ふんしょく・・・ふんさい・・・」を繰り返しているのだ。 まったくどうでもいいことである。 目が覚めてしばらくたって、娘にそのことを話そうとしたら、何と、「粉砕骨折」は覚えていたが、片方が何だったか思い出せなかった。 まったくどうでもいいことだが、癪である。 午後、友人から電話がかかってきたので、事の顛末を語ろうとしたら、何と、二つとも思い出せなかったので、話を切り出すこともできなかった。 まったくどうでもいいことだが、脱力である。 そしてさっき、遅い夕食を食べながらTVのニュースを見ていたら、二つ揃って思い出した。 まったくどうでもいいことだったが、得した気分である。 ・・・・・・・ そしてこれは、どうでもいいことではないような気もする話。 先日、閉館まぎわの図書館に向かった時のこと。 全開にした車の窓に、昼間の熱気と夜風を4:6で混合したような風とともに、透き通った音色が飛び込んできた。 蜩(ヒグラシ)だ。 住宅地の中、僅かに残っている雑木林のあたりである。 ああ、夏も終わりだなぁ・・・ って、ちょっと待て! まだ夏は始まったばかりじゃないか。 今年はまだアブラゼミの声も、ミンミンゼミの声も聴いてないぞ。 これじゃ、いきなり最終回みたいなものだ。 それほど節季にこだわる性質ではない、そんな私ですら、いきなりヒグラシの声を聴かされたら面食らう。 ことさらに意識していなくても、季節の巡りというのは生理的なところでカスタマイズされていたりするんだな。 今年は桜といい、蝉といい、なんだか妙にお急ぎの様子。 何かが少しずつ歪んだりズレたりしている気配がして、落ちつかない気分だ。 ... ボール - 2002年07月03日(水) 「そんなにボールが欲しいなら、ママがみんなに一つずつ買ってあげるわよ」 以前サッカー好きな友人のサイトで見かけた書き込みである。 正確には思い出せないけれど、大笑いした覚えがある。 たしかにそうだ。 大のオトナが集まって、人間は手の方が器用に使えるはずなのに、わざわざ足を使って一つのボールを取り合ったあげく、それを持って帰るわけでもなく、敵の陣地に放り込んで喜んでいるんだから、ママがあきれるのも無理はない。 なんだか不思議なものだよなぁ、と思いながら、やっぱりサッカーが好きだ。 この期におよんで、もし男の子に生まれ変わったら、サッカー選手になりたい! などと考えていたりする。 でも、運動神経が鈍くて万年補欠だったら辛いよなぁ、などと心配までしている。 そういえば、この間は生まれ変わったら飛行機乗りになりたいとか言ってなかったか?? 幼少のみぎりから修行を積んで、空手の達人にもなりたかったし、頭が柔らかいうちに碁を覚えたかった、っていうのもあったな・・・。 梅雨寒で洟水を垂らして、明日の生活もおぼつかないくせに、どこまでもおめでたいヤツである。 ... 着せ替えスズメ - 2002年06月05日(水) あまりにビジュアルが印象的な夢を見たので、久々に絵を描いてみようと思って色鉛筆とスケッチブックを引っ張り出してみた。 で、かなり頑張ってみた結果がコレである。 ↑コイツは一例だが、 とにかく妙なコスチュームを着たスズメの戦闘部隊が夢に出てきたのだ。 再現してみようと努力すればするほど不気味な絵になったが、実際に夢の中に出てきた部隊はもっと不気味である。 人間と同じぐらいの大きさで数十羽、ゲリラか地下組織か、それぞれが個性的なコスチュームをまとって登場する。 ジオン軍風あり、トルメキア軍風あり、帝国軍兵士風あり、オーク軍風あり・・・もう、コスプレマニアのクローゼットもびっくりである。 そしてそれらが、決してそのままではなく、微妙にアレンジされているところが芸が細かいというべきか、困った性格というか、アタマが痛いところだ。 加えて、夢の中で私はそのスズメたちと話をしながら、こんなことを考えているのだ。 スズメといえば「着たきり」がノーマルなのに、「着せ替えスズメ」って、なんか、面白いぞ〜。 こりゃ、ウケるわ・・・クスクス。 スズメの隊長やら斥候やらが、敵地を脱出する作戦会議の最中なのに、実に不謹慎なヤツである。 しかし、今にして思えば、一番問題なのは、自分が彼等の仲間だったことじゃないだろうか。 少々「変」であることは自覚しているつもりだが、いくらなんでも着せ替えスズメ部隊を指揮するほどの能力は、まだ身につけていないと思う。 ... 「探偵物語」 - 2002年05月02日(木) 再放送 鬼籍に入りし人ばかり 眺めてひとり遅い朝食 ・・・ってことで31文字(字余り)。 松田優作、成田三樹夫、ハナ肇 探偵も刑事も依頼人も、みーんな故人でしたというお話。(笑) ...
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