ひとりびっち・R...びーち

 

 

如月雑感 - 2002年02月28日(木)

 1年ぶりに復帰した「碁」に夢中になり、はじめたばかりの空手の型を練習しているうちに、短い2月はあっというまに過ぎてしまった。
 で、とりあえず今月のまとめ。(笑)


・・・・・・・1周年

 この「ひとりびっち」を書き始めて1年が過ぎた。

 去年の今ごろはへんてこりんな夢の話ばかり書いているけれど、最近本当に夢を見なくなった。
 近々で記憶に残っているのは、メガネをかけた少年がガードレールに腰掛け、何か食べている夢だ。

 彼は丼の中からメガネを箸でつまむと口に運ぼうとしている。
 「ねぇ、それ、メガネだよ」と声をかけたところで目が覚めた。

 へんてこりんに変りはないけど、毒気のない夢は平和である。
 1年が過ぎて、私の健康状態はかなり回復している。


・・・・・・・罵声

 ある日のこと、終バスの座席に座って発車を待っていた。
 すぐ後ろに座ったおばさん(推定年齢50代半ば)が、おもむろに携帯電話をかけて話しはじめた。
 
 「あ、○○ちゃん? さっきはごめんなさいね〜」
 
 以下、まるで自宅の居間で長電話しているような会話がはじまった。

 「うっせ〜なぁ〜」
 
 私を挟んで前の座席に座った青年が、かなり大声でひとりごとを言う。
 おばさんの話は続行。

 「車内での携帯電話のご使用は・・・」
 
 運転手がすかさず厳しい口調でアナウンスをする。
 おばさん、構わず続行。

 「うるさいよっっ!」
 
 青年、怒鳴る。
 おばさん、めげない。

 「いいかげんにしたらどうだっっ!」

 おばさんの並びに座った年配の男性も怒鳴る。

 ここに至って、おばさん、やっと会話を切り上げる。

 「あ、○○ちゃん、ごめんね〜、今バスの中だから・・・後でまたね・・・うん、うん、ホントにごめんなさいね〜」

 そして電話を切ると「どうもすみませんでした」と言った。

 当たり前といえば当たり前のヒトコマなのだが、私が驚いたのは男性陣の容赦ない罵声だった。

 若い女の子が「え〜っ、うっそ〜、まじで〜♪」なんて、あたりはばからず携帯を使っている場面にはよく遭遇するが、男性陣が今回のように素早い総攻撃をかけるのは見たことがない。
 せいぜいイヤな顔をしたり、舌打ちする程度で、よほど目に余る事態にならない限り罵声を浴びせることは稀である。

 確かに、おばさんの傍若無人さには凄いものがある。
 車内でその年代のグループをみかけたら、できるだけ側に寄りたくないと思う。

 しかし、若くないご婦人はここまで罵られるのか、と思うと、かなり若くない身としては、ちょっと考えさせられるものがあった。

 ま、若かろうと年とっていようと、公共のマナーは守りましょう、ってことですな。


・・・・・・・ひとつのモノ

 メダル、メダルと騒ぐ不愉快なマスコミと、「見た目の評価」の揉め事と、アメリカの愛国心が目立ったオリンピックも終わりに近づいた朝のこと。

 呉清源九段のインタビュー番組を見ていた。

 中国に生まれ、「囲碁の天才」と北京で評判になった呉九段は、1928年に14歳で来日して1984年に現役を引退されるまで、戦前、戦中、戦後と囲碁の世界のトップを走りつづけ、不敗神話に彩られた棋士だ。
 中国人ということで差別されたり、戦時中、帰国か帰化か決断を迫られ、日本に帰化したときには、故国中国で「裏切り者」と呼ばれて賞金まで懸けられる扱いを受けたり・・・。
 そんな並々ならぬ苦労をされながらも、「新布石」を編みだして、命がけの勝負とも言われる「打ち込み十番碁」で当時の一流棋士をことごとく退け、「昭和の棋聖」と称された。
 そして、引退された今でも、日々囲碁の研究は続けられているという。

 「あなたにとって囲碁は何ですか?」

 番組の最後、こういうインタビューにはつきものの質問に対して、呉九段はこう答えられた。

 「ひとつのモノ、ですな」

 「何でもそうです。政治や哲学もひとつのモノですが、うまく使えば世の中のためになる」

 淡々と答えられたその口調には、何の含みもなかった。

 こういう場合によく聞く答えは「人生」とか「すべて」だろう。
 「ひとつのモノ」という言葉を聞いたのは初めてのような気がする。

 「囲碁が国際親善に役に立てば、それはとてもうれしいですね」

 と、言葉を続けられた呉九段のお顔は、どこからともなく神々しい光が差しているような笑顔だった。

 選手本人の地道な努力や精進の日々とは離れた場所で、「○○人生を賭けて」とか、「この瞬間にすべてを賭けます!」という言葉だけが乱舞していたオリンピック中継にうんざりしていた時だけに、呉九段の言葉は清々しく胸を打つひとことだったと思う。



...

素敵な荷物 - 2002年01月29日(火)

 28日に、児童文学作家のアストリッド・リンドグレーンさんが亡くなった。
 94歳だった。

 「長靴下のピッピ」の作者といえば、ご存知の方も多いと思う。

 他にも、「名探偵カッレくん」シリーズ、「やかまし村」シリーズ、など、たくさんの作品が邦訳されている。

 私がリンドグレーンさんの著書に出会ったのは小学校の図書室だった。
 面白くて、面白くて、片っ端から借りて読んだ記憶がある。
 
 全体としては色褪せてぼんやりしてしまった小学校の時の記憶だが、図書室の棚の色や、並んでいた本の背表紙や、窓から射し込んでいる午後の光などは、かなり鮮明に思い出すことができる。

 馬を持ち上げてしまうほど力持ちのピッピには心から憧れたし、カッレくんが本物の犯罪者と出くわす場面では、どきどきして手に汗を握った。

 リンドグレーンさんの作品には、自由でのびのびした世界がひろがっていて、カッレくんやピッピのいる国の子どもになりたいと思ったものだ。

 もちろん、ナルニア国物語やツバメ号のシリーズを読んでいた時には、その国の子どもになりたいと思っていたから、具体的にスウェーデンやイギリスという国ではなく、漠然と外国に憧れ、夢を見ていたのだろう。

 どことなくもの悲しさの漂う日本の童話や昔話と違って、外国の児童文学の中には夢や冒険がいっぱい詰まっているように思えたのだ。

 小学校の図書室で、海の向こうの香りを胸一杯に吸い込み、遠い国を夢見ていた頃の気持ちは、髪が半分白くなった今でも、ほとんど変わらない。

 夢見がちな子どもは、そのまま夢見がちなお母さんになり、あっという間に夢見がちなお婆さんになるだろう。

 夢見るチカラを詰めこんだリュックは、せちがらい世の中を渡るためには、何の役にも立たない邪魔な荷物かもしれないが、これからピッピと出会う子どもたちに、背中のリュックを指差して、笑顔で目配せできるお婆さんというのも悪くないだろう。

 この素敵な荷物をプレゼントしてくれたリンドグレーンさんに感謝して、心からご冥福をお祈りしたいと思う。


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江戸の敵 - 2002年01月28日(月)

 古今東西いろいろなことわざがあるが、語源になっている事柄を身を持って体験して、深く頷いて納得することがある。

 「岡目(傍目)八目=おかめはちもく」

 囲碁から生まれたことわざである。
 対局を観戦することを「岡目(傍目)」と言い、自分が対局しているときより八目は上手に見える(手が読める)ということから、局外にあって見ていると、物事の是非、利・不利が明らかにわかるという意味に転じた。

 実際、碁を打ってみると、まったくその通り、他人の打っている碁では気がつくことも、自分が打っている時にはわからない。
 そして、プロの対局では「半目」の差で勝負がつくことも多いことを知り、あらためて「八目」という差がいかに重大かということを知ったのだった。

 一方、意味も語源もあやふやだが、好きなことわざというのもある。

 「江戸の敵を長崎で討つ」

 ズルくて筋違いで理不尽な香りが漂いつつ、どこかしら「ザマーミロ」な感じが、なんとなく好きなのだ。

 そこで、なんとなく好きの謎に迫るべく、意味を調べてみた。
 
 ...意外な所で、また筋違いなことで、昔のうらみをはらす。

 ...執念深いことのたとえ。

 ...一説に、「江戸の敵を長崎が討つ」。

 これは文政の頃、江戸に大阪の芸人がやって来て、その興行が大ウケ、江戸の芸人は商売上がったりになってしまった。
 しかしその後、長崎から来た芸人の芸が評判を呼び、大阪人気は長くは続かなかったという出来事に由来するらしい。

 いやはや、「で」と「が」では大違いだが、正規の敵討ちと違うかたちで溜飲を下げるという意味では共通している。

 正直なところ、江戸で起きた事件なら、江戸市中でけりをつけたいだろう。
 飛行機も新幹線もない時代なら、敵に箱根の山を越えられてはなるまい。

 それに、江戸が大阪にやられたのなら、江戸がやりかえすのが筋である。
 助太刀を頼むにしても、せいぜいが神奈川か埼玉だろう、いくらなんでも長崎は遠すぎる。

 しかし、筋書き通りに事が運ばないのが世の常だ。
 その場できっちり落とし前がつくことの方が稀なのである。

 だから長崎はすごい。

 「で」だろうが「が」だろうが、ヤな奴がへこめばオッケー。
 時空を超える宿願成就、長崎万歳! である。

 そう、時空を超えるのがミソかもしれない。
 私が好きなのは、江戸と長崎の間に横たわる距離と時間のような気がする。

 自分の性格が、落とし前にこだわる融通のきかないタイプだからかもしれないが、「長崎」の存在は有り難い。
 この場でぎちぎちに煮詰まらなくても「長崎」があるんだ、と思うことで息がつける。
 時間と空間の猶予をもらった気分になるのだ。
 
 長崎は遠い。

 熱海あたりで途中下車して温泉に入るのはどうだろう。
 焼津の黒はんぺんは娘の好物だし、天気が良ければ富士山も見えるかもしれない。
 
 名古屋駅の新幹線ホームで立ち食いのきしめんを食べるのもいいな。
 この季節、関が原の雪で徐行するのも嫌いじゃない。
 ひさしぶりに、青々とした九条ネギが山盛りの京都のラーメンも食べたいし、神戸の港の匂いも懐かしい。

 広島の原爆資料館に行ったのは三歳の時だった。ショックだった。
 今訪れたらどういうふうに見えるのだろう。
 それに、今度こそ、本場広島のお好み焼を食べてみなくちゃ。

 小倉の「はるや」はまだあるかな?
 「はるや」でかやくうどんを食べて、銀天街をぶらぶらして、ロイヤルでアイスクリームを食べるんだ。
 
 そして長崎。
 大波止の近くの小さな店で、ちゃんぽんを注文する頃には、敵が誰だったか、何があったのかもすっかり忘れていそうな気がする。

 あれれ? もしかして、私が好きなのって、江戸と長崎の間にある「食べ物」だったりして?

 ま、いっか。

 こんなことわざが好きだっていうことは、人生負けがこんでる証拠だろうし、せいぜい栄養をつけて、空手の練習でもしていよう。

 いつの日か、江戸の敵(誰?)に「かかと落とし」だ!(たぶん違う)


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冬の洗濯物 - 2002年01月16日(水)

 今日は曇り空、空気がしっとりしていてホッとする。
 
 関東の冬は乾燥している。
 そこらかしこがバッリバリのガッサガサ、目じりのシワは悲鳴を上げ、フリースを脱ぎ着するたびに、静電気でパチパチくん発電機が作れそうな勢いである。
 そして、雲ひとつない青空をバックに、洗濯物が強い風に吹かれている、というのが見慣れた景色だ。

 昨秋、金沢にお邪魔したときに洗濯の話になって、冬は洗濯物を外に干せない、というのを聞き、あらためて日本海側と太平洋側の気候の違いを実感したような気がした。

 ・・・冬型の気圧配置が強まり、日本海側は雪、関東では乾燥した晴天が続くでしょう。火の元にはご注意ください・・・

 すっかり耳に馴染んだ天気予報の言いまわしで、日本海側に雪が降るということは知っているし、ニュースの映像などで雪景色も見ているし、何となくわかったような気になっていたのだが、それが単なる知識にしか過ぎないということを思い知らされた話だった。

 何気なく聞いた日々の洗濯物の話は、毎年のように見る兼六園の雪吊りの映像より、圧倒的にリアルな北陸の雪景色だ。

 違う気候、違う風土で育ち、暮らしている人たちと知り合い、おつきあいさせていただくことは、本当にさいわいなことである。

 どんなに詳細な書物を読んだり、精緻な映像を見ても感じることのできないその土地の空気のようなものを、他愛ないおしゃべりをするうちに、ことん、と身に落ちる音がして感じられる瞬間がある。

 視野が広がり、世界も少し大きくなる・・・嬉しい瞬間だ。

 ・・・・・・・

 ちょっと、待てよ。

 コーヒーマグからたちのぼる「犀星」の香りに誘われて、思いは金沢に飛んでいたけれど、今日書こうとしてたのは、視野にひるがえる我が家の洗濯物の話じゃなかったっけ?

 そう、あれは数日前のベランダ・・・。

 黒いタートルネックのシャツ×4、黒いタイツ×3、黒いスパッツ×2、黒いソックス×4・・・。

 「真っ黒だね〜」

 「ここはショッカーの合宿所・・・ってか?」

 「ぴぃぃ〜っ!」

 ・・・・・・・

 というわけで、雨も降ってきそうだし、正体がバレるとマズいし(違う)、本日、洗濯はお休み〜。

 ・・・・・・・
 
 #「犀星」は、先日金沢のお土産にいただいた珈琲豆の名前。
  さわやかな香りのブレンド、風味絶佳!


...

どんぶり勘定 - 2002年01月15日(火)

 一年の計は元旦に有り。

 しかし、すでにお年玉付き年賀ハガキの当選番号が発表されているにもかかわらず、年賀状を断念するか否か悩んでいるふりをしている私には、当然のことながら元旦の計などない。

 元旦に計がなく、大つごもりに総括もなく、オールシーズン、年中無休でアバウトだということは、もちろん金勘定の方も似たようなものである。
 おこづかい帳や家計簿を試みたこともあったが、一度として収支が合ったことがなく、使途不明金と謎の余剰金の追及に膨大な時間を費やすだけなので、とっくの昔に諦めた。

 あればあったなり、無ければ無いなり、という典型的などんぶり勘定だ。
 
 ところで、どんぶり勘定のどんぶりが丼じゃないっていうことを、皆さんはご存知だっただろうか?

 以前、心配御無用の「御無」を「ゴム」だと思っていた話を書いたが、今回はそれを凌ぐ、半世紀を越えた勘違いが判明したのだった。

 以下、先日の親子3代(母・私・娘)の会話である。

 ・・・・・・・

 娘:ねぇ、ねぇ、どんぶり勘定ってどういうこと?

 私:いいかげんな計算のこと・・・かな?

 母:昔は升でモノを量ったんだけど、それを丼で代用していいかげんに量ることから来たんじゃないかしらねぇ

 私:現代風に言うなら、計量カップを使わないコップ勘定ってこと?

 娘:ふぅ〜〜ん、そうなのか〜

 私:ちょ、ちょっと待った! 広辞苑を引いて確認だっ!

 母:何で?

 私:当然だと思っていることが間違っていることがよくあるからさ

 娘:うんうん、引いてびっくり! っていうことが多いよね〜

  ・・・ぱらぱら(娘、広辞苑を引く)

 娘:あ〜〜〜っっ! やっぱり違うよぉ〜〜!

 母:えっ?!

 娘:「どんぶり」って、職人さんの着ける腹掛けのことって書いてあるよ〜

 私:むむぅ、やはり勘違いシリーズであったか・・・

 娘:予算を立てたり決算をしたりせず、手元にある金にまかせて支払をすること、だって。

 私:腹掛けのポケットからお金を払っちゃうってことみたいだね

 母:あらあら、ずっと食器の方の丼だと思ってたわっ

 娘:すんごく長い勘違いだったね〜

 私:生きてるうちに判明して良かったね〜

 母:そうね、考えてみれば六十ウン年も勘違いしてたっていうわけねっ

 ・・・・・・・
 
 ところで、ポケット勘定というと思い当たる人物が居る。

 私たち親子の囲碁の師匠なのだが、私の知る限りにおいて財布というものを持っていたことがない。
 入金も出金もポケットオンリーのはずである。

 「いやぁ、最近なんか金が無くなるのが早いなぁ、って思ってたんっすけどね、良く見たらポケットに穴が空いてたんですよ〜、いや、ホント、ヤル気なくしますって」

 「あはは〜、ケチなバイトするぐらいなら師匠の後ろをついて歩いた方が良さそうだね〜」

 な〜んて会話があったことを思い出し、師匠の大真面目な顔も思い出した。

 うん、とりあえず、どんぶり勘定をする人に悪人は居ないってことだな。

 ・・・・・・・
 
 #岩波書店「広辞苑」第4版より
  



...

ゆく年 - 2001年12月31日(月)

 どうやら蕎麦も茹ったみたいです。

 みなさま、よいお年を!


...

チョコ味 - 2001年12月28日(金)

 いよいよお正月も射程距離に入ったらしいが、とりとめのない日々を送る身にとって、問題になるのは図書館の休館日ぐらいなもので、私が目標に照準を合わせた頃には、「松」はとっくに走り去っていることだろう。

 しかし、1年前には死体同然だった気力と体力は、ようやく生き物っぽいところまで回復してきたようだ。
 関係各位のご厚情に深謝する年の瀬である。

 特に、ネットを通じて知り合った皆さまからは、有形無形の励ましと元気の素を抱えきれないほど頂戴したと思う。

 また、こんな駄文を読んでくださった上に、応援してくださった皆様には、何とお礼を申し上げたらよいのやら・・・。
 本当に有り難く、しあわせなことだと思う。
 この場を借りて、心からのお礼を申し上げたい。

 皆さま、どうもありがとうございました!
 
・・・・・・・

 しかし、最近、びっちネタとしては恒例の荒唐無稽な夢を見なくなった気がする。
 いや、見ることは見るのだが、起きて何がしかの活動していると忘れてしまうのだ。

 健康を回復して死体から甦るのはいいのだが、駄文の泉が枯れるのは困る。

 先日も大長編1本と短編2本を続けさまに見たような気がしたのだが、いざ夢の内容を思い出そうすると、「何となくチョコ味」としか覚えていないのである。

 自分が見て、自分が忘れて、自分でツッコミを入れるのも情けない話だが、「チョコ味」って、何さ。
 
 いくら「ホラフキー国内B級ライセンス」を誇る私でも、後味の甘さと風味だけじゃどうすることもできないじゃないか。

・・・・・・・

 そんなこんなで、のらりくらりと、「ひとりびっち」は続きます。(たぶん)



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