ひとりびっち・R...びーち

 

 

“つばめ” で飛んだ日 - 2001年05月10日(木)

 ※今回は少々腹が立っているので、一部実名報道です。

 ・・・・・・・

  「おかーさーん、クルマにはねられたーー」

 脳味噌瞬間沸騰。心臓爆裂。

 本人がのんきな声で電話しているのだから死んではいない、落ち着け!

  「で、怪我は?!」

  「なんともなーい」

  「で、相手は?!」

  「行っちゃったー」

  「何ぃ? 逃げたのかっ!!」

 脳味噌メルトダウン。アドレナリン全開。

  「何か覚えてないの?」

  「つばめタクシーだった」

  「わかった、すぐ行く、そこで待ってろ」

 私は、タクシー会社に電話を入れておくように母に言い残すと、娘の待つ現場へ車を飛ばした。

 小雨の中、不安げに立っている娘の姿を確認してようやく一安心。
 大きな怪我はしていないようだ。
 問いただしても、どこも痛くないと言う。
 しかし、事故の後の興奮状態を考えると、本人の言う事を鵜呑みにはできない。
 私自身、交通事故で膝の骨が剥き出しになるほどの大怪我をしたのだが、その時は痛みも感じず、自力で立ちあがった経験がある。
 そもそも医者嫌いの上に、小さい頃から、血が出ていても「だいじょうぶっ!」と言い張る娘の言葉を信じるつもりはないのだ。

 こういう時に彼女を真剣にさせる手はこれしかない。

  「びー坊、ちゃんと点検して! 擦り傷ひとつでも、これはお金の問題なんだ」

 悲しいかな、目先の小金に一喜一憂する貧乏な母子家庭に育った彼女は、お金のことになると、とたんにシビアになる。
 やおら、両手をピグモンのようにぶらぶらしたり、赤ベコのように首を振ったり、シコを踏んだりし始めた。

 おいおい、それじゃ、円谷プロの準備運動だ。

 まあ、その姿を腰に手を当てて見守っている私も、寝起きでパジャマ同然のいでたちなのだから、その場を通りかかった人々はさぞかし可笑しかったに違いない。

  「えーん、どこも痛くないよぅ、お金取れないかもぉー」

 おいおい、それじゃ、アタリ屋だ。

 しかし、どういう風にぶつかったのかを聞くと、相手のドライバーの前方不注意に間違いないし、自転車の壊れ方からして、彼女が無傷というのは考えられない。

 “つばめタクシー” 断固許すまじ、である。

 とりあえずは、彼女の興奮がおさまって、痛みを感じる状態になるまで様子を見るしかないと判断、走行不能になった自転車をその場に残し、娘を乗せて学校へ報告に向かう。
 一応皆勤賞もかかっているので、担任の先生と相談したのだが、やはり病院に行って検査を受け、一日休んで安静にしていた方が良いということになった。
 そして、時間の経過とともに、彼女の左脚にくっきりと大きな青痣が現れてきた。
 予想通りである。

 また、幸いなことに、我々には強い味方がいた。親切な目撃者の方である。
 私が到着した時には、すでに仕事先に向かわれた後だったが、「何かあったら協力します」と、娘が名刺を頂戴していた。

 いったん実家に戻り、タクシー会社に電話を入れると、第一報では、「女子学生がぶつかってきたらしい」とトボケていた事故係も、病院の手配をはじめ、一転して低姿勢の対応である。
 むろん、これには私の留守中に電話の応対をした母の強硬姿勢も功を奏している。

 あたりまえだ。
 2種免で自転車の未成年を「ひき逃げ」となったら、ドライバー人生に終止符という事態にもなりかねない。
 我々が、その場で警察を呼ばなかったことに感謝するべきなのだ。
 何がどうであれ、ぶつかって、名前も名乗らずにその場を立ち去るのは言語道断である。

 その後、病院でレントゲンを撮り、骨に異常が無いことを確認、全治10日の打撲と診断された。
 あなどれない相手だと判断したのか、病院にドライバーと事故係もやってきて平謝りだが、今更遅い。
 私を怒らせた後に何をやっても無駄というものだ。
 そして、事故現場での実況検分、警察署での調書作成と続き、朝ののんきな一報から数時間後には、業務上過失障害が一件、送検されることとあいなった。

 ・・・・・・・

 実は、四半世紀前の私の交通事故だが、やはり加害者は “つばめタクシー” だったのだ。
 DAX HONDAで、優先道路を(珍しく)制限速度で直進していた私を、右折で出てきて7mもはね飛ばしたのである。
 受験まであと一ヶ月というときに、一ヶ月の入院。
 おまけに、20数センチの裂傷が膝に残った。

 娘の口から、相手が “つばめ” と聞いた瞬間に、遺恨試合のゴングは鳴り響いていたのだ。
 
 ・・・・・・・

 まったくもって、親子揃って “つばめ” に飛ばされるなんて、語り草だ。

 「ともあれ無事で良かった」
 「不幸中の幸いだった」

 これまでの人生、私は幾度となくこの言葉を贈られてきた。
 確かに、今息をしている事を不思議に思うことも度々である。
 しかし、こんなことを受け継いでもらいたくはない。

 娘には、「不幸中の幸い」ではなく、「幸い」に生きてほしいと切に願う、デンジャラスな母親である。

 意気揚揚と迎えのタクシーに乗り込む娘を、寝不足に霞む目で見送った朝だった。



...

午後のラッパ - 2001年05月07日(月)

 ふと窓の外に目をやると、隣家の屋根とステンレス製の物干し竿に区切られた狭い空を、消えかかった飛行機雲が一筋、うっすらと横切っていく。

 この窓からは見えないが、6m道路を隔てたお向かいの敷地では、新築工事の重機の音が響き、裏手のお宅の庭先からは、重機の音に負けじと鳴いている、スズメやクロツグミ、キジバトの声が聞こえてくる。

 風も吹いている。

 昨日まで、傍らでごろごろしていた娘も学校に行った。

 平日が戻ってきたんだ。

 久しぶりに日記でも書こう。

 ・・・・・・・

 話しは少し長くなる。

 ・・・・・・・

 今は昔、私が高校生だった頃、Fさんという未亡人がいた。
 息子さんしかいなかったので、女の子を連れてお出かけするのが珍しかったのかもしれない。
 銀座のロードショウ、デパートのショッピングなどに、よく誘っていただいた。
 亡くなったご主人の事業を引き継いで、社長さんでもあったFさんのお供をすると、千疋屋パーラーのフルーツパフェや、帝国ホテルのサンドウィッチと銀のポットに入ったコーヒー、隠れた名店の仏蘭西料理など、当時の高校生の口にはそうそう入らない、贅沢なものをごちそうになって、他愛ないおしゃべりができる。
 楽しくておいしいお出かけだった。

 そんなFさんで、忘れられないエピソードがある。

 映画の話だった。

 「Nちゃん、Nちゃん、すっごい映画が来るんだって、これ、絶対Nちゃん好みよ」
 「えっと、何て言ったかな・・・えーっと、えーっと・・・」
 「そうそう、『午後のラッパ』!」

 ―― しばしの間あり ――

 「おばさん・・それって『ブリキの太鼓』じゃない?」

 「そうそう、『ブリキの太鼓』!」
 「Nちゃんが読みそうな翻訳モノの原作でさ、面白そうなのよね」

 ―― 何事もなかったように、会話はつづく ――

 まあ、言う方もラッパなら、それで分かる方も太鼓な話である。

 ・・・・・・・

 ぷっぷくぷー♪
 
 ・・・・・・・

 以下本題に入るのだが、事の発端は、連休の始まりとともにやってきた歯痛だった。

 昨年、治療中に歯どころじゃない事態に見舞われて、放置したままになっている欠けた奥歯が、猛烈に痛くなってきたのだ。
 歯医者嫌いの私も、さすがにこれは、と思い、ずいぶん前になるが、お世話になったことのある歯医者さんに予約を取ろうと決心した。

 「どこの歯医者さんに行くの?」 と、母。
 「うん、△△町の 『下村さん』 」 と、私。

 ここ2回の引越しで、住所録も診察券入れも、すべて棄ててしまったので、電話番号がわからない。
 タウンページで調べるべく、歯科のページを繰っていた。

 ・・・ない。

 △△町の該当する所番地に、『下村歯科』 はなかった。
 閉めてしまったのだろうか。

 1万5千分の1の地図をべろべろっと広げて、もう一度住所を確認する。

 「おい、何を調べてるんだ?」 と、父まで登場。
 「いや、ちょっと、その、歯医者さんを、ね・・」

 そのときになって、やっと私は自分の記憶装置の故障に思い至ったのである。
 
 もしかしたら、『下村さん』 じゃなかったかもしれない。
 さっきまで確信をもっていた名前が、あっという間に靄につつまれていく。

 そうだ、『西村さん』 だったかも・・・

 再びタウンページを探す。

 ・・・ない。

 いや、『西原歯科』だったかな・・・

 ・・・ない。

 先生の顔も、入り口のドアも、窓にかかったブラインドの色も、歯磨き指導をしてくれる大柄な女性の腕の形まで思い出せるのに、名前だけが空白。

 ・・・まただ!

 もはや、頭の中は靄どころではない。
 イエローページでホワイトアウトである。

 翌日、もう直接行くしかない、と、鎮痛剤で朦朧とする頭を抱えて、隣町まで運転していった。
 幸いなことに、運転と道順をつかさどる回路は無事のようで、オートパイロットが作動しているかのように、10分で歯医者さんに着いた。

 恐る恐る看板を見上げる。
 イヤ〜な予感。

 『神田歯科』

 う、やっぱり・・・。
 
 ぜ・ん・ぜ・ん・ち・が・う。

 ・・・・・・・

 ぷっぷくぷー♪

 ・・・・・・・

 雨上がりの青空に、高らかに午後のラッパが鳴り響く。

 ドアに掛けられた “本日休診” のプレートに、底無しの脱力感が漂う。

 思えば、私はあの頃のFさんの年齢を通り越している。
 病気じゃなくても、結構こんなものなのかもしれないな、と、一人、車の中で笑いながら、どこかで、『ブリキの太鼓』の少年のように、悲鳴を上げている私もいるのだった。
 
 ※文中に使用した歯医者さんの名称は仮名です。


...

無常 - 2001年04月29日(日)

 爽やかな青空が広がるGWの日曜日。
 お爺さんはラグビー見物に、お婆さんは牡丹見物に、それぞれ出払った後の遅い朝。
 びーち親子は、残りご飯にカブの葉っぱの煮付けと塩鮭を乗せてお茶漬け、というおしゃれなブランチを楽しんでいた。

 この連休は、娘が学校の遠足で鎌倉に行く他に、外出の予定はない。
 親子で背中あわせに座って、ブラウン管と液晶モニターに向かい、ときどきマウスとコントローラーを交換して、向きが逆になるだけの休日になるのだろう。

 いきおい、ブランチの話題はパソの話になる。

 最近、macromedia社の高機能なソフトを搭載した娘のFMVで、HPを移転、リニューアルしたのだが、驚くほど色々なことが簡単にできる。
 自分のオンボロマックでの苦労は何だったのだろうと思う今日この頃である。
 
 「しかし、あのパソでよくやってたよねぇ。おかあさんは、割り箸で石を彫っていたような気がしてきたぞ」

 「まだ水の方が効き目があるよね」

 「うむ、千年もすれば、見事に削れるからな」
 
 「『無常感』だよ、おかーさん」

 「・・カッ・・コォ〜〜〜ン! てか?」

 「ゆく川の流れは絶えずして」

 「ん? カモか?」

 「しかも、もとの水にあらず」

 「カモだな。・・・なんだか正岡子規のときみたいだねぇ」

 「古典の先生がうるさいんだよ『無常感』『無常感』ってさ」

 「ふぅ〜ん」

 「年々薄くなるアンタの髪が『無常』だよ、って感じ?」

 「ち! ちげえねぇ」(鬼平風)

 「ひゅるる〜〜〜」

 「ちげえねぇ、が、な、そいつぁ言っちゃあなんねぇ、ってもんだぜ、びー坊」(鬼平風)

 「だぁってぇ〜、古典の先生、語るんだもん、ザ・語り過ぎ、だよ」
 

 ・・・・・・・

 その後、これを書くにあたって、古典の教科書を娘に持ってこさせた。
 もちろん『方丈記』からの引用部分を確認するためである。
 句点を含めてたった18文字の引用部分だが、あまりにも有名な一文に間違いがあったら、親子で赤っ恥だ。(それ以前の問題のような気もするが)

 「ねぇ、びー子、見てごらん」

 「どれ?」

 「鴨長明って、(かものちゃうめい)ってルビふってあるよ」

 「ふんふん」←(ゲーム中なのでナマ返事である)

 「なんか、『ちゃうめい』って、食べ物みたいじゃない?」

 「うまそ〜」

 「けっこうイケるかもね」

 「うん、しょうゆ味がいいな」

 ・・・・・・・

 我が家の無常、かくのごとし。
 
 濃い味で、焦げ目もつけた方がうまいカモ。



...

隣りの犬 - 2001年04月25日(水)

 娘もそれなりにお年頃・・・の、はずである。

 そして、娘は犬が大好きである。

 したがって、

 「あ〜〜! 誰か、犬を連れて、俺をデートに誘ってくれ〜〜!」

 と、叫ぶのである。

 うむ、おかあさんは、ちょっぴり心配だ。

 という日曜日の夜、サザエさんを見ていたら、カツオが、上級生の女の子の気をひこうと、隣りのイササカさんちのハチを借りて出かけていく、というくだりがあった。

 「うわ、カツオ、ちょ〜最低!」

 「きゃあ〜、かわいい♪ と、思ったら、隣りの犬だった、って、最低だよねぇ、おかーさん」

 「イササカさんちのハチ借りちゃうんだよ〜〜、もう、もう、さいて〜〜!」

 「チクショウ、こんな手もあるんだよなぁ」

 と、怒るやら、納得するやら・・・。

 最後のジャンケンに勝って、少し機嫌をよくした娘は、総括をした。

 「うむ、今日のサザエさんは教訓になったということだな」

 うぅむ・・・おかあさんは、かなり心配になってきたぞ。


...

点滴喫茶 - 2001年04月17日(火)

 風邪が直らない母が、点滴をしたいというので、歩いても5分とかからない距離のかかりつけの医院まで、母を乗せて運転して行った。
 実際、一方通行があるので、車で行くより歩いた方が時間的には早い。

 お腹に来る風邪なので、罹患して以来、食べられない、食べられないと大騒ぎ。
 それで点滴なのだろうが、医者に行く午後4時の段階で、私より確実に食べている。
 朝も昼も食べられなかった私に対して、朝は雑炊、昼は蜂蜜トーストにポテトスープ、と、母は既に2食を完食しているのだ。

 ルームミラーに映る私の顔色は、助手席の病人よりかなり青かった。
 枕を並べて、点滴したほうがいいのかもしれない。
 
 そういえば、娘が小さい時にお世話になっていたS医院は、先生がすぐに「点滴〜〜!」と叫ぶので、風邪の流行るシーズンには、狭い処置室で、老若男女が枕を並べて点滴をすることになる。
 一時、我が家に居候していた病弱な友人も、S医院の常連だった。
 そして、彼女が命名したS医院の別名が「点滴喫茶」である。

 点滴喫茶S医院で、癒しの時間を共有するひとときの語らいを♪

 たしかに、団地の1階にある小さな医院は、アットホームな雰囲気で良かった。
 
 先生は常に大声で怒鳴っていて、悪態つき放題だったが、本当は面倒見の良い優しい人だったし、看護婦さんたちは、みんな明るくて親切だった。

 ただ、先生の大声は待合室まで響くので、尿の色から体重の増減まで、全部筒抜けだし、気さくな看護婦さんは、ご近所の噂話を惜しみなく漏らしてくれるので、思わぬ情報まで耳に入ってしまう。
 守秘義務もプライバシーもあったもんじゃないのは、ちょっと問題かもしれないけれど、医者も患者も看護婦も、みんなでわいわいしてて楽しかった。

 もう何年もお世話になっていないが、先生はお元気だろうか。

 久しぶりに、行ってみようかな、「点滴喫茶」

 
 

 
 

 
 
 

 

 


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IF類 - 2001年04月11日(水)


 日記を読み返して愕然とした。

 「もし○○○○たら、××××かもしれない」

 情けないこの言いまわしが、てんこ盛り!
 できることなら絶滅してほしい「IF類」が横行している。

 まことに遺憾である。

 ・・・・・・・

●モシ‐タラ mosi-tara 【IF類ウシロムキ目グチ科】

比較的浅薄な水域に広く分布する魚で、年間漁獲量も豊富。
個体の大きさ、形は、それぞれの棲息域により多種多様である。
色はブルーが入っているものがほとんどだが、若い個体では桃色の斑も認められる。
主に、ゴ貝、コウ貝、アレ藻、コレ藻などを餌に成長することが確認されている。
また、ゲンジツプランクトンの大発生によるハンセイヒト潮で、大量死する例が各地で報告されている。
身にはやや苦味があり、特に、裏身(ウラミ)や面身(ツラミ)の部分には、習慣性を有する毒素ボンノーアルデヒドが含まれているので、生食を続けるのは有害である。
やや味は落ちるが、食用には、天日干しなどの加工処理を施したものが望ましい。


●モシ‐タラ‐カモ mosi-tara-kamo 【IF類コウカイ目サキニタタズ科】

その名の通り、モシ‐タラを食べる鳥で、モシ‐タラの魚群とともに移動する。
飛ぶ前に待つ習性があるので、首が長くなるのが特徴。主に夜行性。
その繁殖には謎が多いが、脆弱な個体の場合自家中毒を発生しやすく、託卵する例も認められている。
体内のミレン酸がモシ‐タラの持つ毒素ボンノーアルデヒドと結合することによって、その肝臓は肥大し、独特の甘味を有するようになる。
これが、俗にウツツヌカス肝と呼ばれる珍味だが、脳の神経を麻痺させる物質が含まれているので、常食は避けるべきである。

 ・・・・・・・


 というわけで、遺憾図鑑IF類の項より抜粋して、本日の補足とさせていただきます。

 なお、日記の編集上、『青い瞳』は昨日付に変更しましたが、書いたのは、4月11日の未明です。



...

青い瞳 - 2001年04月10日(火)

 細かいパーツに分解して、その部品を、いろんな所に撒いちゃった。
 もしもロボットだとしたら、そんな感じなのかもしれない。

 近鉄線、京阪電車、叡山電車、大阪環状線、阪急電車、東海道新幹線。
 師団街道、四条通、川端通、塩小路、堀河通、竹田街道、東名高速。

 ここ数年に移動した鉄道や道路に、点々と、私のかけらが落ちているんじゃないだろうか。

 道路脇の草むらや、線路端の敷石の隙間で、破片に埋まったダイオードが、思い出したように発光したり、ちぎれたケーブルの先が、ジジジ・・とショートしたりしているんじゃないだろうか。

 とにかく、すっかりバラバラだ。

 ・・・・・・・

 ぼんやりと眺めていたTVで、メル・ギブソンを見たら、いきなり京阪電車にワープした。

 土手になびくススキの穂、競馬場のシルエット、昇ったばかりの巨大な満月、そして、メル・ギブソンみたいな青い瞳。

 その日、同行した講師が、青い瞳のイギリス人だったのだ。
 当時、私は京都に住んでいて、英会話スクールの仕事をしていた。

 本業は絵描きさんだというその講師と、淀の教室の仕事を終えた帰り道、安いスーパーに寄って買い物をした。
 彼がいっぱい梨を買っていたから、きっと秋のはじめのことだったのだろう。

 余所者だという点において、異邦人の講師たちと、関東人の私の立場が似ていたからかもしれない。
 物腰は柔らかいのだが、つかみどころのない京都人と話すより、たどたどしい英語で彼らと話す方が、なんとなく気安い感じがしたものだ。

 京阪電車の緑色のシートに座り、半分開けた窓から吹き込む風に吹かれながら、食べ物の話や京都の家賃のこと、かなり短くなった私の髪型のことなんかを話していた。
 そして、私が降りる駅のホームが見えてきたとき、青い瞳の彼が尋ねた。

 「いつまで京都にいるの?」

 「わからない」

 と、私は答えて電車を降りた。

 See you !

 たぶんその頃だ。
 自分のダメージが、かなり深刻な状況にあることに、薄々気がついていながら、何食わぬ顔をして働きつづけようとしていたのは。

 もし、もう少し傷が浅かったら、今頃、メル・ギブソンみたいな青い瞳のボーイフレンドと、鴨川べりを散策していたかもしれない。
 まったく、惜しいことをしたものである。

 ・・・・・・・
 
 多少の無理はしかたない。
 でも、無茶はするもんじゃない。

 あ、あと、法螺話も、ほどほどにした方が身のためだろうな。
  



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