ひとりびっち・R...びーち

 

 

シナプス - 2001年04月08日(日)

 固有名詞が出てこない。
 他のことは全部思い出せるのに、名前だけが出てこない。

 夏目雅子や、モーツァルトや、中原中也や、アンディ・フグや、星野道夫より長生きしてしまうと、ままあることなのだろうが、とにかく接続が悪い。

 そんな時、シナプスはベストを尽くそうとして頑張る。
 どうにかして目的のニューロンに触手を届かせようと伸びるのだ。
(NHKで放映した脳の番組のCGを思い出す)

 しかし無念にも届かず、近辺の似たようなポイントにペタっとくっつくことがある。
 その結果、脳内には、もっとややこしい状況が展開される。
(注:上の2行は、まったく科学的根拠のない私の想像である)

 「アンディ・ウォーホール」が「ウィリアム・ホールデン」になったり、「ペットボトル」が「ポストスクリプト」になったりすると、近い(?)だけに、回路の修正は余計に難しくなるのだ。

 その点、コンピューターは繋がるか、切れるか、二つにひとつ。
 「そうね、だいたいね〜」というのがない。
 いいかげんな間違いをすることもないかわり、察してくれることもない。

 と、ここまでは長い前置。
 そして、本題に繋がるかどうかは・・・わからない。

 本日のトピックスは、ネット以外で久々に電話を使ったことだった。
 今月はIT講習会の生徒で、来月はIT講習会の先生になるという彼女と、パソコンの話しになった。

 「“念転送”モードのあるFTP・・・いいよね」

 「“以心伝心 ver.1.0.2”な〜んちゃって?」
 
 静岡に住む彼女に、地震見舞いの一報を入れたはずだったのだが、なぜか、画期的なFTPソフトの企画と、その製品名が決まってしまった。
 本当に開発できれば、シナプスの劣化に悩む多くの人々にとって、朗報になることだろう。
 ドクター中松も、貞子もびっくりの大発明だ。

 ・・・・・・・
 
 夜、娘と二人で『スピード』を見ていた。
 これでもか、これでもかと、ノンストップで展開していく画面を眺めながら、滞りがちな時間と、切れぎれの記憶の虚空に、ゆるゆると、しかし懸命に触手を伸ばしているシナプスのことを思った。

 がんばれ。

 


...

フェイドアウト - 2001年04月02日(月)

 顔を洗って、休む。
 シャンプーをして、休む。
 身体を半分洗って、休む。
 もう半分を洗って、休む。

 いつから入浴が重労働のようになってしまったんだろう。

 ぜいぜい・・・バスタブに入ろう。

 “お風呂で食った食った”のシャケのヒモを引っ張って遊ぶのにも、がんばりが必要だ。

 ガチョガチョガチョガチョ・・・ぱくり。
 あは、こりゃ楽しい。
 やっぱり引っ張ってよかった。

 でも、なんだか息苦しい。窓を開けよう。
 青空だ。
 
 窓際に置いてあるピンク色のパナソニック防滴ラヂオ、
 スウィッチを入れてみた。

 ガァ〜〜〜・・ぶぉい・・ピィ〜〜〜・・うわぅ・・ザァ〜〜〜
 
 810を目指して、チューニングダイアルをまわす。

 なんだか懐かしいロックが流れてきた。
 誰の何という曲だったかな?

 思い出せない。

 チュ―ニング、合ってないな。

 ああ、この曲も知ってる。
 誰の何という曲だったかな?

 思い出せない。

 FENと青空って、似合うよね。
 今日は外もあったかそうだ。

 思い出せない。
 思い出せない。

 お・も・い・だ・せ・な・・・い・・・

 って、こりゃ貧血だよ!

 ・・・・・・・

 入浴時の事故に注意しましょう。


...

流れ者の遺伝子 - 2001年04月01日(日)

 大正十一年の正月 ――略―― 極南、鵞鑾鼻の地にて旭日を拝す

   太平洋金波銀波の初日出
   大洋に瑞雲たなびく初日出

 祖父の俳句日記の冒頭である。
 
 先日、母が伯父の家から思わぬものを持ち帰った。
 母方の祖父の遺品で、「翰墨緑 九華堂寶記」という銘がある二冊の帳面である。
 たぶん当時販売されていた日記帳のようなものであろう、同じ形のを二冊を買い求め、俳句は緑、短歌は赤、と、罫線の刷り色で使い分けている。

 印刷された罫線は、たぶん木版刷りだと思う。顔料の発色が柔らかい。
 薄い和紙は、かなり黄ばんではいるが、頁を繰るのに何の不安もないほどの強度を保っており、毛筆で細かに記された文字の墨の色は褪せることなく瑞々しい。
 そして、和綴に使われた絹糸は、いまだしなやかさを失っていない。
 素晴らしきかな、東洋のテクノロジー。
 私が生まれる前に他界した祖父に、こんな形で出遇えたのはしあわせである。
 
 句の巧拙はさておき、台湾の最南端の岬に立つ若き日の祖父は、私にとっては顔も知らない人なのに、無性に懐かしい。
 今はダムの底に沈む、月山の麓の寒村に生まれた祖父は、貧しさに追われるようにして、幼い頃に一家で台湾に渡ったので、山形出身なのに雪を知らなかったそうだ。
 
 自分が定住型じゃないDNAを受け継いでいるのは、なんとなく感じていたが、また一つ根拠が発見された気分である。

 先年、私はふるさとと思える風景を夢に見、それが現実にこの国に存在する土地であることに魂を揺さぶられた。
 そして、その山野に帰属したいと切望したのだが、どうやら山野の方が、流れ者のDNAを受け入れてくれなかったようである。
 夢に見た山がなくなってしまったのだ。
 三度目にその地を訪れた夏の日、宅地開発のために山は崩されつつあり、風景そのものが変わりかけていた。
 拒絶するのは人の心だとばかり思っていたが、山や野も、それが人の手によるものとはいえ、こんな形で拒絶するものなのか・・・。
 ついに、最後に訪れた冬の日には、不自然なかたちに切り取られた山を車窓に見て、打ちのめされる思いで目を伏せたのだった。

 流れ者の遺伝子は、車窓に、船上に、機上に、そして路上に運ばれて、望むと望まざるとに関わらず、とどまることができないのかもしれない。
 
 曽祖父(私の母の母の父、前述の祖父にとっては義父にあたる)は、明治時代にアメリカを目指して小笠原に渡り、何かの船に乗り込んだものの、嵐に遭ってトラック諸島のポナペに漂着し、彼の地で宣教師になった。
 その後、どういう経緯かハワイに渡り、ついには当初の目的地のアメリカ本土で奨学金を得、ちゃっかり大学にまで行ってから帰国しているのである。
 この話は、ある基督教系の大学の先生が、曽祖父の研究論文を書くために、祖母のところに聞き取り調査に訪れて明らかになった。
 何も知らなかった末裔の親族一同はびっくり仰天したのだが、私にとっては、どこかで「なるほどね」と合点がいく話でもあったのだった。
 
 ついでに言えば、今は隠居ぐらしの父は、外国航路の船乗りだったし、現在アトランタ駐在の弟は、通算で8年もアメリカで暮らしていたりする。

 とまれ、今は祖父の話だ。
 
 山形から台湾、内地に戻ってまた満州へ。
 働きながら独学で得た知識と人脈で、満州に渡った頃には、かなり豊かな生活をしていたらしい。
 しかし、敗戦。
 着の身着のままで引き揚げた直後に病に倒れ、品川の六畳一間の仮住まいで亡くなった。

 華やかな満州時代と赤貧の品川暮らしについては、母から耳にタコができるほど聞かされていたが、この二冊にはそれ以前の祖父の姿がある。

 ぱらぱらと頁をめくっていくと、恒春、高雄、大阪、奈良、京都、さまざまな土地のこと、移動中の車窓や船中のこと、四季それぞれに感じたことを言葉にした句が、歌がある。
 一冊の厚さが5mmほどの小冊子、本当にささやかだけれど、初めて触れる祖父の香りである。

 ゆっくり味わってみよう。

 ・・・・・・・

 ちなみに今、娘が春休みの宿題で、ハワイ州を紹介するプリントの英文和訳をしている。
 たかが田舎の市立高校のくせに、この秋、修学旅行でハワイに行くのだ。
 ハワイの州の魚は“フムフムヌクヌクアプア”、州の鳥は“ネイネイ”、州の樹は“ろうそくの樹”だそうだ。
 もし玄孫(やしゃご)にあたる娘が、修学旅行でハワイに行くことを知ったら、曽祖父は笑うだろうか。 


...

赤い街 - 2001年03月31日(土)

 試合が終わっても、今季初勝利に沸く駒場スタジアムの歓声が、ずいぶん遅い時間まで風に乗って聞こえていた。
 チームの成績に関係なく、日本一を自称するレッズサポーターは、25年ぶりの春の雪にもめげず、あいかわらず元気だ。
 京都の街で、あまりにも影が薄かったパープル・サンガとはえらい違いである。
 浦和は、街路灯がサッカーボールの形をしている道路もあるし、試合のある日には、街中が赤い。

 ここを故郷と感じたことはないけれど、ビリだろうが、J2に落ちようが、変わることなくレッズを支え続けるサポーターのいる街は、悪くないな、と思うのだった。


...

8階のグリズリー - 2001年03月28日(水)

 桜の開花とともに悪化する体調。予想された事態ではあるのだが・・・。

 春休みダラダラヴァージョンの娘は、再びアキハバラへ。
 予約していたスチューデント版のFLASH5を購入しにお出かけだ。

 彼女が出かける間際に、東京12チャンネルで映画『グリズリー』が始まった。
 私はタイトルにだけは覚えがあったが、見たことはない。(たぶん)
 
 「おかーさん、どうなったか見といてね」

 と、娘が言い残して出たので、頭痛と戦いつつ何とか最後まで見たのだが、とにかく巨大で凶暴なクマが次々に人間を襲っては食うだけの映画だった。

 その後、少し眠ったらしい。
 そのときの夢である。

 ・・・・・・・

 凶暴なグリズリーがこの街に出没しているらしい。(あまりにもそのまんまだ)

 それを聞いて、出かける前に戸締りをしているのだが、そこは高層マンションの8階の部屋だ。(どうやらそこは実家らしい)
 どう考えてもクマだから、8階は大丈夫だろう、と、1箇所だけ窓を開けて外出する。

 場面は変わって学校の校庭、娘と二人、ふと見ると、遠くに見えている実家のマンション、その8階の庇にグリズリーがいる。(その階にだけなぜか庇がある)

 うわ、窓開けっぱなしじゃ、クマが入るじゃないか。大変だ!

 と、慌ててマンションに戻ると、やはりグリズリーが窓の外をうろついている。
 気づかれないうちに窓を閉めて、鍵を掛けようとするのだが、鍵が壊れていてなかなか閉らない。

 あと少しで閉る、と思った瞬間、グリズリーのツメが窓と窓枠の隙間にガチっと挟み込まれた。
 しまった、開けられてしまう。もうダメ、絶体絶命!!
 全身に冷たい汗が流れた。

 あれ? あれあれ??
 でも、よく見たら、このグリズリー、良くできた着ぐるみじゃないの?

 窓越しに、着ぐるみの頭をひょいとはずして出てきた顔は、知り合いのお笑いをやっているコンビ(現実にそんな知人はいない)のかたわれだった。

 「よっ、ひさしぶり〜」
 「あれ〜、こんなとこでなにしてんのぉ?」
 「そっちこそ、なんでこんなとこにいるんだぁ?」

 てなぐあいで、8階の窓の中と外で、世間話がはじまった。

 「最近、地道な芸はウケなくてさぁ、ムリな営業が多いんだよ」
 「ふーん、ずいぶん苦労してるんだねぃ」
 「そっちこそ、ずいぶん大変そうじゃん」
 「まあねぇ、お互い何かとツライってことかぁ」

 8階の窓からは、遥か遠くに稜線が見え、家が密集した町並が見える。
 ちょうど日も暮れかかり、着ぐるみの黒い耳の向こうに見える空は、薄いサーモンピンクになっていた。

 ・・・・・・・

 うら寂しい気分で目覚めたところに、娘が帰ってきた。
 買い物の支払いをするために預けたキャッシュカードと明細書も帰ってきた。
 明細書に記された残高は30円だった。
 グリズリーをかぶって営業できる身の上の方が、まだマシかもしれない。 

 
 


...

レンズ交換 - 2001年03月26日(月)

 一昨日、図書館で借りてきた写真集『星野道夫の仕事 第1巻 カリブーの旅』(朝日新聞社)と、昨日、近所の本屋さんで見つけた『イニュニック[生命]アラスカの原野を旅する』と『ノーザンライツ』(新潮文庫)を見たり読んだりしていた。
 
 どうしてこんなに惹かれるのかわからないけれど、とにかくアラスカの大地と、そこに生きるもの(人間を含む)に感動している。

 十数年前、はじめて海外に行き、ロスからアリゾナのフェニックスまでドライブしたことがある。
 延々とまっすぐに続く砂漠の中の道を何時間も走った時、自分の中の「広さ」の概念が更新されるのを感じた。
 自分の目のレンズを、真新しい広角レンズに替えて物を見ているような気持ちだった。
 映画やTVで見たことのある風景ではあるけれど、ライブで感じた空間の広がりは、想像を絶するものだったのだ。

 その経験を反芻しながら、アラスカの広がりを思うとき、自分の目のレンズの限界を遥かに越える広がりなんだろう、と想像するより他ない。
 いつの日か、アラスカの大地に立つことを夢見ていると、想像のうちにも、レンズはどんどん広角になっていく。

 というところで、ふと、TVをつけて見ると大相撲をやっていた。

 アラスカサイズ(想像値)のレンズのままで相撲を見ると、とっても奇異なものに感じる。
 小さな円の中の変な髪型の裸の大男も、真中に立っている人形のような小さな人物も、正気の沙汰ではない映像に見えてくるのだった。

 普通なら、本を閉じ、TVをつけた段階で、頭の中でレンズが切り替わるのだろうが、ほんの少しそのタイミングがズレた。

 ほんの少し見る目がズレただけで、狐につままれたような感覚になってしまう。
 あたりまえと思って見ていたことが、とんでもなく有難いことに見えることもあれば、奇怪なものにも見えることもある。

 昨秋、オリンピックを見ていて、時々その感覚に襲われた。
 シンクロナイズドスイミングを見ていて、解説者が「綺麗です、すばらしいです」と言うのだけれど、水面で大股開きをしている脚の列は、どうにも美しいものには見えないし、作り込んだ笑顔で水中に没して行くラストは不気味だ。
 やはり、正気の沙汰とは思えなかったのだった。
 
 なんてことを考えているうちに、立行司の木村庄之助さんが50年の勤めを終える旨のアナウンスが聞こえてきた。

 あの丸の中で、半世紀もの間ジャッジメントしてきたのか、と思うと、こんどはズームレンズのように、時間軸をぎゅーーーんと動かされた。

 極北の自然の大きな営みから、土俵の上の細かい約束事を司る人の人生まで。
 
 今日はホントにレンズ交換の忙しい日だった。
 
 


...

避桜地 - 2001年03月22日(木)


 開花まであと5日、と、昨夜のニュースが伝えていた。
 桜の気配が、すぐ背後に迫っている。
 
 逃げ出したい。

 避暑地や避寒地があるのだから、避桜地というものがあってもいいだろう。
 できれば、桜の季節を、桜のない土地でやり過ごしたい。

 桜が嫌いなわけじゃない。
 むしろその逆で、西行ほどではないにしろ、桜を思う気持ちは強い。
 人がその一命を預けるのに足る存在かもしれないと思っている。

 だからこそ、なのである。

 目が弱っている人に、強い光が苦痛であるように、
 また、消化器官が弱っている人に、お酒やごちそうが禁物であるように、
 心が弱っている人間に、桜花の刺激は強すぎる。

 春になれば、と人は言う。
 いのちの息吹が満ちる春になれば、病む人もまた元気を取り戻すだろう、と。

 しかし、ときには花の気配に脅え、季節に遅れて降る雪の、その仄白さに安堵することもあるのだ。

 枕元に贈られる花が、必ずしも励ましになるとは限らないということ。

 この先、誰かを見舞うことがあるかもしれないが、このことは肝に命じておこうと思うのだった。

 ・・・・・・・

 奥様、避桜は、やはりラップランドになさいますか?
 マダガスカルのコテージも用意させておりますが
 
 そうね、セバスチャン
 今はまだ、雪と氷のほうが望ましいんじゃないかしら

 かしこまりました
 さっそくラップランドのスミラにメイルいたしましょう
 お嬢様のカンジキの修理など、済んでいるかとは存じますが
 確認いたしますので、あと半日ほどお時間を頂戴させてください

 結構よ、セバスチャン
 花が靖国に来るまでに発てれば問題ないわ

 ・・・・・・・

 
 なんちゃって、セバスチャン、現実は、どうしよう?
 もう時間がないぞ。 

  
  
 
 
 


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