ひとりびっち・R...びーち

 

 

セバスチャン - 2001年03月06日(火)

 我が家でセバスチャンといへば、執事のセバスチャンである。

 『日の名残り』のアンソニー・ホプキンスも素敵だが、ウチのセバスチャンは、どちらかといえば、白子のりのお茶漬けが好きな伊東四朗に似ているので、温かみのある容貌をしている。

 「トチになさいますか? アカシアもお持ちしておりますが」
 「そうね、今日は、くせのない方がいいわね」

 ヨーグルトに添える蜂蜜を選ぶのはセバスチャンの仕事だ。
 家全体の執務を司るセバスチャンが、直接細かい家事に関わることは稀なのだが、これだけは、料理人にも小間使いにも任せることなく、温室の隅の小さなテーブルまで運んできてくれるのだ。
 その日の天気、私の体調に合わせて、蜂蜜の種類も量も、決して間違ったことはない。
 あらかじめ完璧な解答を持っているのに、必ず私が選んだように事を運ぶのがセバスチャンのセバスチャンたる美しいルールなのである。

 飾りのない銀の匙で、淡い金色のトチ蜜を螺旋に落としながら、セバスチャンは私が作業をしていた小さな植木鉢に目をとめた。
 
 「ネコヤナギの“ぽん太”でございますね」
 「そうなの、枕元の一輪挿しの中で、いつのまにか根が伸びていたから、挿し木にしてみたのよ」
 「それはようございました」

 こんなふうにセバスチャンが話しかけるのは、硝子の屋根を通して、青い空の中ほどに半月が見えるからだろう。
 その白く浮かぶ月を見ると、私が悲しむことを知っているから、空を見上げないように、私の目を地上にとどめておくように、さりげなく教えてくれているのだ。

 ・・・・・・・・・・

 もちろん、ビンボーな母子家庭に執事なんぞ存在するワケはない。
 執事のいるセイカツを夢想しようにも、考えつく贅沢の限界がヨーグルトと蜂蜜だったりするのが悲しい。

 毎年この時期なのだ。
 確定申告の用紙の前に座ると遠い目になってしまう。

 もしセバスチャンがいたら、確定申告なんか朝飯前なのになぁ。

 


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ブラックとノワール - 2001年03月02日(金)

 一念発起、意を決して、決死の覚悟で(大げさのようだが体力的には大真面目)娘と映画を観に銀座に出た。

 公立高校の受験とその採点のために彼女は4連休、なおかつ、水曜日はレディースデーとかで1000円でロードショウが観られるのである。
 休み明けに学年末テストがあるらしいが、2人合わせて1300円もお得になる映画鑑賞のチャンスを逃す手はないだろう(たぶん逃がすのが人の道だが)。

 『レオン』以来、ジャン・レノの大ファンである彼女のリクエストで、本日の映画は『クリムゾン・リバー』だ。

 春休みの『ドラえもん』、夏休みの宮崎アニメから、いつの間にここまでたどりついたのだろうか。

 しかし、本日の敵はフランスだ。
 ハリウッドとはちょっと違うぞ、大丈夫か?

 黒いっちゅうてもブラックやないねんで、ノワールや、ノワール。
 
 仏映画を観ていて、昔から思うことがある。
 じゅぶじゅぶぬ〜る、くわ、え、とわ、え、さ、ほい、さ、ういうい、こまんたれぶ・・・
 と、延々と語る台詞の長さに較べて、字幕の文字が短かすぎる気がしてならないのだ。
 たぶん、語っていることを全部字幕にしたら、スクリーンいっぱいになってしまうので、ものすごく苦労して、ムリヤリ短くしているんじゃないだろうか。
 そうでなくてもひねくれてるものを、はしょってあるんだから難解になるんじゃないの? と、自分の語学力のなさとおつむの弱さは棚に上げつつ、かれこれ40年も仏映画とつきあっているのだが・・・。
 
 さて、本日の『クリムゾン・リバー』。

 展開が早くて、映像も凄くて、そんなに語らないし、ジャン・レノもヴァンサン・カッセルもかっこいいんだけど、ディティールで暗示されるヒントの多さ、複雑さに較べて、その解があっさりしていて少なすぎる。
 ぐちゃぐちゃするなら、いつものようにぐちゃぐちゃしてくれた方がいいし、スパッといくなら、複雑なモザイクをちらつかせないでほしい。

 う〜みゅ、これは、どうしたものか・・・。
 隣りには、おでこにクエスチョンマークを点滅させつつ「ジャン・レノ、老けたねぇ」とつぶやく娘・・・。

 結局、原作本を買った。(おいおい)
 小説を読んでみると、何とか帳尻が合った。
 テストが終わったら娘にも読ませることにしよう。
 
 同じ黒といえども、ノワールには、ブラックにはない「ややこしさ」があるんだよ、おい、聞いてるかい? そこのアイス食べてるお嬢サン。

 うむ、そーなのだ。世界は広いぞ、がんばれワカモノ!
 おかーさんも、一人でお出かけできるようにがんばるからさっ!

 


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かめくん - 2001年02月27日(火)

 ついに娘がカメを連れて帰ってきた。

 とはいえ、生きたカメじゃなくて、模造亀(レプリカメ)のお話である。
 (『かめくん』北野勇作・著、前田真宏・イラスト、徳間デュアル文庫)

 どうやら今日は本が読める日だったらしく、北インド&ダライラマとアラスカ&星野道夫のお話を200ページほど読んだ後、『かめくん』を一気読みしてしまった。

 久しぶりに本を読んで楽しいと感じた。
 ま、気楽な読書すらできないほど衰弱していた、っていうのが実情で、情けないかぎりなのだが・・・。

 コレを学校の図書館から借りてきた娘はホントに偉かった。
 よいこ、よいこ。

 −−−−−−
「木星戦争」に投入するために開発されたカメ型ヒューマノイド・レプリカメ。
「どこにも所属していない」かめくんは、新しい仕事を見つけ、クラゲ荘に住むことになった。
異才が描く空想化学超日常小説。
 −−−−−−(裏表紙の紹介文から引用)

 「かめくん」だけに、テンポがゆっくりなんだよね。
 それにけっこうテツガクしてるし、ちょっぴりせつない。

 −−−−−−
 かめくんは思った。
 でも、もうここに来ることがなくなるということは、それも失われてしまう。そして、そのことを残念に感じているこの自分もまた・・・。
 きっとそうなのだろう。
 そうなってしまえば、もうそれが思い出せなくなって残念だということも、自分は忘れてしまうに違いない。
 −−−−−−(本文より引用)

 冬眠を前に思い出の図書館を訪れた「かめくん」は推論する。

 いいなぁ、そういう冬眠・・・半端な記憶消失はつらいじょ。

   
 


 

 


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くびったけ - 2001年02月25日(日)

 しかるに、凄い回復力である。

 一昨日、学校を休むほど腹を下し、発熱して寝込んだ娘だが、今は「万能川柳」を読みながら、何食わぬ顔でにちゃにちゃとコーラグミを食べている。

 そんな病み上がり(?)の娘とふたり、青空のベリー爽やかな日曜の朝、かねてから娘が行きたがっていた「朝マック」にお出かけしたのだった。
 お目当てはシロップをどっぷりかけて食べるホットケーキセットだ。

 マクドナルドの窓から青空に浮かぶ雲を眺め、ゴミ置き場を狙う数羽のカラスの動向を観察しつつ、「予想通りだけど、あんまりおいしいモノじゃないね〜」という至極ごもっともな感想をもらす娘を前に、朝マックも終盤に差し掛かった頃である。

 豆カスに気をつけて、まずいコーヒーの最後の一口を飲もうとしたとき、紙コップの底に一群れの文字が沈んでいるのを発見した。

    {読んでトクする言葉の素}

       「くびったけ」

    漢字にすると“首丈”。つまり
     首の辺まで深みにはまって
      溺れるさま。とりわけ
     色香に迷う状態に使われる。

 ・・・・・・・・・

 まったくもって、身体中の穴という穴から、生きる元気がぬけていくような、有難い{言葉の素}である。

 娘に見せると、店内の人々が一斉に振り向くほどの大爆笑。

 「やんのかこら!」

 マクドナルドの紙コップの底を力なく威嚇する私であった。


<補足>
 実は、「くびったけ」の不意打ちは初めてじゃない。
 岩波文庫に挟まっているしおりに印刷されている{言葉の道草}。
 西田幾多郎随筆集の中から現われたのが、やはり「くびったけ」だったのだ。
 天下の岩波の青帯も、世界一のファーストフードも、何とかして私に「くびったけ」の意味をわからせたいらしいが、余計なお世話である。
 
 
 


...

4年分の熱 - 2001年02月24日(土)

 娘が4年ぶりに寝込んだ。インフルエンザみたいだ。

 中学3年間と高校に入学してから今まで、ずっと皆勤を通してきた彼女が、自分から学校を休むと言い出したのだから、相当悪いに違いない。

 私が一体化しているコタツの横に布団を敷き、アイスノンをして寝かせた。
 みるみるうちに顔が熟れ過ぎたトマトみたいに真赤になり、熱は40度近くまで上がったのだった。まさに、ぐつぐつと沸いてくる感じである。

 彼女のリクエストで、アクエリアスとヨーグルトを買いに出た以外は、ずっと眠っている彼女を見ていた。
 昔、まだ彼女が小さく、身体が弱かった頃は、不安な気持ちで体温計の数字を読んだものだが、今、私を軽々と持ち上げることのできる彼女の体力をもってして、インフルエンザウィルスに負けるとは思えない。楽な看病である。

 案の定、薬も飲まないのにどんどん発汗して、1度着替えた後、熱はかなり下がっていた。

 特に何をするわけでもなく、ただ横に座っている私に、彼女がふとこんなことを言った。

 「4年分の熱が出たのかもね」

 離れて暮していた4年間だった。

 夕食はいつものダイニングではなく、小さなコタツまで運んできて「ドラえもん」を見ながら食べた。
 野菜を入れた薄い雑炊は、ほんの少ししか食べられなかったけれど、その後、苺とヨーグルトに蜂蜜をかけたものを食べて、娘はまた眠っている。 
 

 ・・・

 ふと日付を見たら今日は弟の誕生日だ。
 アメリカだから時差があるけれど、もうじきヤツも大台だ。うふふのふ。
 まあ、ヤツは惑いっぱなしの私と違って、オムツをしていた時分から不惑な感じなんだけどね。  
 


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消えたバスルーム - 2001年02月23日(金)

 記憶がぐじゃぐじゃになって久しい。

 どっかがどうかして記憶装置が壊れたらしいのだが、忘れてしまったことは本当にソコだけ切り取られたような空白なのである。

 昨日、娘と話しているときに、すっぽり行っちゃってるものを発見した。

 お風呂場である。

 私は引越しが多いので、娘と昔話をする時には「ドコに住んでいたときのことか」から始まったりする。

 4年前、娘と暮していた頃の部屋の話をしていたら、風呂場がどこにどういう風にあったのかまったく思い出せない。
 台所やベランダ、居間などはハッキリしているのに、風呂場周辺になると間取図が真っ白になるのである。

 その部屋の前に住んでいたマンションも同じ。
 建て替える前の実家の風呂も消えてしまった。
 浴槽がステンレスだったというのだが、まったく思い出せない。

 忘れるってことは、痛くも痒くもないし、どうってことはないんだけど、妙な喪失感があって、足元から少しずつ透けてきちゃう感じがして気持ちが悪い。

 今、娘に「お母さんは10年お風呂に入ってなかったよ」と言われたら、否定するよすががないのである。
 
 冤罪事件で、やっていない犯罪を、あたかも自分がやったことのように供述してしまう・・・以前はそのことが不思議でしょうがなかった。
 でも、こうなってみると、記憶の隙間からほんの少し誘導されたら、すらすらと違う物語を受け入れて調書にサインしてしまうだろうと思う。くわばら、くわばら。

 お風呂、入ってたと思うんだけどなぁ・・・。



...

「3K」許すまじ - 2001年02月19日(月)

 とはいへ、昨今国会で取り沙汰されているKではない。

 発端は暮れも押し詰まったカナリアだった。
 自由に使えるお金など一銭たりともない状況で、私は1万5千円のカナリアをうっかり買って帰りそうになったのだ。
 その暴挙を未然に防げたのは、ひとえに賢明な娘が同行していたおかげである。

 ・・・なぜにカナリア?

 その直後、娘がこんな夢を見たと言う。
 _____

 お風呂に入ろうと思ってフタを取ると、カメが3匹泳いでんだよね。
 甲羅の直径が5センチぐらいの小さいミドリガメなんだけどさ・・・

 (彼女の夢の中では、私がカメを飼っているんだそうだ)

 「おかーさぁーーーん! カメ、片付けてよーーーっ!」
 「はい、はい」

 カメたちを連れておかーさんはヨロヨロと退場するんだよ。
 でもね、そのカメたち、家の中どこに行っても居るの。
 視界のどこかに必ずカメが居るの。
 3匹しかいないはずなのに、おかーさん片付けてるはずなのに、
 おかしいな、おかしいな・・・ってさ。
 _____

 なんか変でイヤな夢だったよぉ、と訴える娘。

 ・・・なぜにカメ?

 小鳥もカメも飼うの嫌だからね!
 あ、それから金魚もね!

 ・・・なぜに金魚?
 
 小鳥とカメは飼ったことがないけれど、金魚は飼っていたことがある。
 保育園の金魚すくい大会の「おみやげ」で、否応なく2匹飼うことになった。
 1匹はすぐに死んでしまったのだが、もう1匹はしぶとかった。
 「こいつは見込みがあるぜ」ということで「ミコミ」と命名された金魚は、最初の大きさの5倍ぐらいにまでなった。
 
 最初のパートナーが死んでから、ひとりじゃ淋しかろうと、何度か「ミコミのともだち」を買ってきたのだが、「ともだち」の方はことごとく短命だった。
 一時我が家は「金魚殺し」の汚名を着せられるほどだったのだ。(笑)
 何代目かの「ともだち」が浮いたとき、新たに金魚を買ってくるのはやめた。
 それからミコミはひとりで何年も生きたのである。

 ぶーーーーん、と低く響いていたエアポンプの音を時折思い出すことがあるが、それ以来金魚を飼いたいと思ったことはない。
 
 というわけで、小鳥とカメと金魚は、我が家の飼っちゃいけない「3K」ということになったのだった。

 ・・・で、昨日のこと。
 
 週末、友人宅に泊りがけで遊びに行っていた娘が帰ってきた。

 「おかーさん、ミドリガメ見てきたんだけど、1匹380円だったよ」

 おい、おい。

 「ふーん、3匹で1500円でおつりがくるんだ。カナリヤの十分の一ですむな・・・」

 おいこら、何を考えてるんだ、この親子は・・・。


 <補足>

 昨日TVでやっていた「シュリ」という韓国映画に、何とかという魚(既に名前は忘れている(笑))が出てきた。
 ペアで飼う魚で、片方が死ぬと、残されたかたわれは、淋しさのあまりエサを食べなくなって死んでしまうというセンチメンタルなお魚なのだ。
 ミコミとはずいぶんと違うな。
 

 
 


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