昨日の昼あたりからどうも喉が痛いなあと思っていたら、今朝、声が出なくなっていました。はかってみたらば微熱もあって、まごうかたなき風邪でございます。のどと微熱のほかは全く影響ないので、インフルエンザではない模様。今はもう声は出るようになりましたが、明らかにのどが腫れてるっぽいつぶれた声を絞り出しています。 のどがやられるって他人からみてもわかりやすい症状で、大変そうに見えるらいしんだけど、微熱も引いたようだし、マスクしてる以外は本人いたって通常通りです。
まあそうとはいえ風邪は風邪なので、今日はお出かけをとりやめて、家で新聞の切り抜きなんぞにいそしんでみました。それから、たまりにたまった通販雑誌を片っ端から斜め読み。買うかどうかは別にして、チェックするだけでも楽しい通販女です(笑)
絶不調の北条です。 ここしばらく頭痛がひどくて、しかもそれが2〜3日続くようになってしまいました。昨日も朝から頭が痛かったのですが、夕方どうしても休めない会合に出かけていったところ、電車に酔ってしまってうっかり乗り継ぎ駅を乗り越してしまい、時間に遅れてふらふらで会場に到着。会議室に入った瞬間「顔色悪いよ」と言われてしまいました。顔に出るようではまだまだ私も修行が足りませんな。
今朝になっても頭痛が治らないので、今日は街に買い物に出ようと思っていたのですが、自宅でおとなしくしていることにしました。薬を飲んで雑炊を食べて、あったかくしていることにします。 心当たりはいろいろあります(笑) 肩こりと眼精疲労が最有力候補ですが、数日前に喉が痛かったりしたので、風邪の可能性もあり。っていうかそれ以前に、不規則極まりない生活が問題だという説も有力です。 もともと頭痛持ちだったのですが、ここ数年はそれがひどくなったような気がします。不養生はいけませんね。体が資本ですから。
ところで以前ここで書いた膝のことですが、先日再び病院に行ったところ、医者の言うことが前回と違ってて、なんだか要するにほっとけってことかいという気がしてきました。難病でもないのに診察室で沈黙の時間ができるってどういうことなのよう。タケダ製薬の関節薬でも飲んだ方がよっぽど効きそうです。あー損した。 セカンドオピニオンを求めるべきか、タケダ製薬に頼るべきか、サポーターをしながらもう少し考えてみますです。
何やら雑務が増えてきた今日この頃です。 今日は外回りで、夕方には直帰してしまいました。帰りに駅併設の本屋に久々に寄ってみたら、読みたい本が色々出ていて思わず買ってしまいそうになりましたよ。買っても読む時間ないよ……。っていうか、置く場所もないし。 獣木野生(伸たまき)の「パーム」シリーズがいつの間にか文庫になっていたのですね。このマンガ、友人に借りて読んでいた最初の頃は取っつきにくいなあと思っていたのですが、読み返す毎におもしろくなってきて、欲しいなあと思っていたのです。文庫になったのなら一気に大人買いしてもいいかなあ。でもほら、まず置き場所を確保しなくちゃならないから。 他にも、「クリスタル・ドラゴン」の文庫の新刊とか、菅浩江とか司馬遼太郎エッセイとか、いろいろ欲しいものを発見してしまって、悩みに悩みました。結局買いませんでしたけどね。買ってもよかったかなあ。でも買ったら読んでしまいそうだしなあ。直帰したので、お仕事お持ち帰りだしなあ。
っていうか、今何故か、アーサー・C・クラークの2001年シリーズを勢力的に読んでおります。精力的にといっても、通勤時間にちょっとずつしか読んでませんけどね。やっと2061年の冒頭まで来たところ。これってこの後も続くんでしたっけ?(うろおぼえ)
2005年02月21日(月) |
「アレキサンダー」を見てみた。 |
何故だか頭痛がひどく吐き気まで伴ってきてしまったので、今日はお休みにしてしまいました。というか、昨日が休日出勤だったので、今朝になって急遽、代休を今日に指定致しました(笑) というわけで、自宅からこんにちは。体調不良の方がこの日記を書けるというのもなんだかなあという気もしますが。 薬を飲んで少し昼寝をしたら、夕方には一応復活しました。これを書き終わったら、晩ご飯の買い出しに行ってきます。
そんな北条、実は先日、「アレキサンダー」を見に行ったですよ。突然思い立って、夜の部に駆け込みました。 事前情報も何もなく、ただ歴史物だ!というだけで見に行ったのですが、これって、長い映画だったのね。もっとコンパクトになったのではという気もしました。戦闘シーンはなかなかの迫力でしたが、主人公のトラウマ(苦悩ではなく)とか世界への衝動(野望ではなく)を描くのなら、戦闘シーンももっと別の描き方や使いようがあったのではという気が。冗長って言うんでしょうかね……。何故プトレマイオスに語らせるのかもよくわかりませんでした。アーサー・ホプキンズは名優だと思いますが。 なんだか後味すっきりとは言えない映画だったなあ。いえ、面白かったですけどね。これもひとつのアレキサンダーの描き方だろうとは思いますが。結局、主人公が何かを乗り越えて何かを得た、というカタルシスがなかった(あったのかもしれないけど、私にはわからなかった)ということなのかしらん。
というわけで、予告通り、これから晩ご飯の買い出しに行ってきます(笑)
やはり痛いです膝。薬もなくなってきたし、やっぱりもう一度病院に行かなくちゃダメかなあ。でも仕事も忙しいしなあ(言い訳)。 とか何とか言って、このまま治らなければそれはそれで困るので、今週中にはもう一度行ってきます。
週末に、NHKで裁判員制度についての番組を二夜連続でやっていたのですが(でもって、すぐに夜中に再放送をしているようなのですが)。でもって、見てしまったのですが。 一夜目のドラマは、まあまあ面白かったです。制度を説明するためのドラマとしては、まあこんなものかな、と。呼び出しを受ける確率は13人に一人だそうです。結構多いですね。まあ、呼び出しだけなので、そこから裁判員になる確率は、もっと小さいことになりますけれども。
裁判員に関しては、やりたくないという人の方が多いようですが、やるかやらないかはともかくとして、これが裁判について真剣に考えるきっかけになるのなら、それはそれだけでも意味があることなんじゃないかなと思います。裁判所や検察も、一般の人にわかるように裁判をしなくちゃならなくなる。大事な変化だと思います。
それにしても、さっきのNHKの番組、一夜目のドラマはともかく、二夜目のスタジオ討論では、NHKのアナウンサーたちは被告人のことをずっと被告と言っていて、激しく違和感。被告っていったら民事でしょう。ドラマや模擬裁判のビデオやスタジオの討論者は、ちゃんと被告人って言ってたのに。用語は正しく使わなくちゃでしょ。番組のチェックって、こういうところでするもんじゃないのNHK?
…と言うほど大げさなもんでもないですが、飲み薬を飲み、湿布とサポーターをする毎日を数日間続けてみたら、何やら少し痛みが小さくなってきたような気がしますです。何が効いているのかよくわかりません。気のせい? 病は気から? このまま沈静化してくれるといいなあと、淡い期待を寄せてみたりして。
今日は絵に描いたような失態を犯してしまいました。その名もガラス張りのドアに勢いよくぶつかる。しかも顔面から。そして何事もなかったかのように、開放されていた隣のドアから出たりして。振り向いたりしなかったので、誰かに見られたかどうかわかりません。
へとへとになって帰宅して、夕食の後に久々に冷凍庫を開けたら、酒粕発見。急に思い立って、甘酒なんぞを作ってみました。我ながら美味いです。はあ幸せ。私にとって甘酒って何故か年末年始の味なんだよなあ。ここ数年は、北海道神宮の初詣の帰りに露店で買うのが定番だったんだけど、そういえば今年は初詣は近所ですませてあっさり帰ってきたからなあ。 酒粕はまだあるので、またそのうち。
実は一ヶ月ほど前から、右の膝が痛くてしゃがめないほどでして。というか、曲げ伸ばしに激しい痛みが伴うのです。尾籠な話で恐縮ですが、和式トイレの使用に激しく障りが出ております。原因不明。もし敢えて心当たりを上げるとすれば、正月の実家での連日の雪かきくらいですが、それだって別にひねるとかぶつけるとかしたわけでもなく、実際そのせいなのかは非常に怪しいもんです。 しばらく様子を見てもよくなる気配がないので、やっと少し時間に余裕ができた今日、中抜けして職場近くの整形外科に行ってきました。 レントゲン取ったり足をぐるぐる回されたり膝をぐりぐり押されたりして、その結果はやっぱり原因不明。どうやら半月板あたりが炎症を起こしているか、関節が狭くなっているかということのようですが、結局、しっぷと消炎剤をもらって、一週間ほど様子を見ることになりました。改善しなければ、膝に穴を開けてスコープを入れて検査するとか何とか……ってなんですと!? 「ちょっと切って、こういうのを通して、この辺をこう見てみるわけだね。まあこれよりは細いけどね」 あのう、それボールペンなんですけど。ボールペンより細いって、それはあなた、細さ加減にかなりの幅があるのでは……ボールペンと比べてどのくらい細いんでしょうか〜(汗) というわけで、執行猶予中の気分です。自慢じゃないが生まれてこの方、体に刃物入れるなんて、血液検査と足の深爪が化膿した時と親知らずの抜歯くらいしかしたことがないですよ? っていうか、胃カメラじゃあるまいし、肉がつまっているはずの膝に、そんなの入れて大丈夫なのか? それとも実は膝には肉がびっしりつまっているわけではないのか? 嗚呼医学の神秘。 来週の今日辺り、ドキュメンタリーをお届けできるか、あるいは逃亡しているか、どっちでしょう。こわいよう。
机上の空論、と言われた。
言葉を失った。なぜなら私はそこで、現実ではなく理想を語っていたからだ。そして、それに対する胃の腑が焼けるほどのもどかしさに気付いていなかったからだ。 しかし、たった一人のために話しかけることが認められない場で、無垢なままこれから航海に出ようとするその他の多くの者を前にして、限られた時間で私にできるのは、今ある姿よりも本来あるべき姿を語ること、そしてそのように振る舞うよう期待すること、それが精一杯だった。それは今でもそう思う。 それでも、そのたった一人の現実への怒りと虚無感に気づけなかったことが、悔やまれてならない。自分の鈍さと無力さに、むなしくさえなる。
諏訪緑の漫画『玄奘西域記』に、こんな言葉がある。戦争難民の生活を懸命に助ける女性に対して、宗教の存在意義に迷う玄奘が心情を吐露する言葉だ。
「ぬくぬくと大学で仏教を学問することよりも、あなたのように市井で人びとに尽くすことのほうが、実はもっと大変で立派で尊いことのように思えてなりません」
今、同じことを思う。
今日、二つの判決が出ました。 ひとつは、東京高裁。 ひとつは、最高裁。 いずれも原告の請求を棄却する内容でした。 公権力とは何か、私たちとの関係はいかなるものであるべきかについて、私たちはもっと真剣に考えなくてはならないのではないか。そんなようなことを思いました。
私たちは何故一人ではないのか。人が集うのは何のためか。何故社会を形成するのか。国家は何のためにあるのか。権力とは何か。何を源泉としているものなのか。何のためのものなのか。 無知であることは必ずしも恥ずかしいことではありませんが、無知であることに甘んじこれを恥じないことは、恥ずべき事だと思います。頭脳を酷使することをやめ、真剣に考えることを揶揄するようになったときから、私たちは社会的存在としての人間の歩みを緩めてしまったような気がしてなりません。
……今この瞬間にも頭脳を酷使することを怠っている、ナマケモノの私が言うことではありませんけれどもね。
またしてもしめ切りウィークに突入してテンパっている北条です。ぎりぎりにならないと本腰を入れないこの怠惰な性格は何とかならないもんでしょうかね……。っていうか、何とかなっていれば今頃苦労はしていません。ええ、わかってますとも(ヤケ)。
というわけで、こういう時に限って余計なことをしたくなるのが世の常というものですが、今回も例に漏れず、この前入手したiPod miniのケースを編みあげてしまいました。市販のいわゆる「iPodソックス」を見て「こんなん買うまでもなく自分で編めるわい」とうそぶいた北条、毛糸では精密機器に障りがあるので、レース糸で果敢に挑みました。糸はオリンパス・エミーグランデ・カラーズ。同じ配色にしようと思ったんだけど、グランデ・カラーズには色数があまり多くないので(それでも他者よりは豊富な色数)、やむなく濃いめの色を選択、しかもうろ覚えのデザインを確かめずに編んでしまったので、気が付いたときには配色が上下逆になっておりました。そんなわけで、雰囲気だけ酷似のなんちゃってiPodソックス完成です。ネックストラップ標準装備(取り外し不可)。本体は輪編みにしたのですが、技術力のせいか、針換え位置に線が入ってしまったのが残念です。レース糸は棒針にとってはなかなか強敵でした。ちなみに色はグリーン。
そして実は次にiMac miniに食指が動いている私……。しかも丁度よく仕事用Macが不調続きときたもんだ。やっぱり支給品はダメダメですよ愛着沸かないし。買っちゃおうかなあ。どうしようかなあ。もう少し考えようかなあ。
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