ようやく肋骨が全治したので9月に行った日本最後の秘境と呼ばれる「雲ノ平」を振り返る。 当然景色は言うまでもない。雲ノ平山荘のご飯は美味しく、ログハウスの雰囲気も最高で、時間が許すならば何泊もしたいと思える環境。ベスト山荘はどこだと問われたら雲ノ平山荘と答えるだろう。電波は充分に届かず家族には山荘の電話回線で連絡を取る。それも良い。スマホの8割の機能は死んで不要な情報は入ってこない。 強力な線状降水帯が到来したり、三日目に川を渡る時に足を滑らせて肋骨を折ったり、とトラブルも色々とありましたが、また行きたいと思うほど総じて素晴らしかった。
日曜日に品川で見た映画が良過ぎた 火曜日に名古屋駅の三省堂にも在庫は無かった 結局Amazonでポチって金曜日に届く 原作は忠実に再現され動きと音が表現されている 原作を生かす素晴らしい編曲がされた映画だと解る 上映時間は58分しかないのに2時間位の濃さはある 逆にこれまで薄い2時間の映画を沢山観せられ続けてきていたとも解る ここ数年で一番の映画だったなー
大阪出張 のぞみ
このフックは誰のモノなんだろうか? 窓側の席だけのフックではないとも思うが、自分が窓側に座ってる時に、通路側の人の荷物や上着を掛けられるのも違う気がする。でも吊るされてしまったら文句なんて言えない。ことわりがあってもなくても何も言えない。 前席が完全に席を倒せばフックは一つ潰される。これについても文句は言えない。これもことわりがあってもなくても何も言えない。 自分が電源口を使ってない状態で通路側の人が使いたいと言われたら、それは差し出すしかない。足元にある隣の人の電源コードとスマフォを終始気にしながら大阪までの2時間半を過ごすと考えるとげんなりする。 窓側は、通路側と比べても窓下の小テーブルとフックと電源口と外の景色とブラインド調整という多様なオプションが利用可能で、圧倒的に満足度が高い筈なのだが、これも全て周りに誰が居るかに依る。 窓側もメリットだけではなくデメリットもあるのだと本日気付く。いい天気です。
もう2月となり時期はすっかり過ぎてしまったが、 年賀状について。
自ら出さず来たものだけ返していたが、 もう返すことすらもしなくなって激減し、 今年の年賀状は2枚だけだった。
だがその残った2枚が小1からの旧友のものだった。 これは想定外。
自分は年賀状を送らないマジョリティ側に居ると高を括って安心していたのに、その3人の中においては送らない自分がマイノリティという事態。
マイノリティなのは避けたい。 返信もしない非常識と思われるのも癪だ。 ということで、3年ぶり位に2枚だけを返す。
この2枚だけは続けるとするか… ニューイヤー駅伝よりも箱根駅伝よりも何より早いチキンレースだったか…笑
1/2の夕方に羽田上空で旋回してたが結局降りられずに四国にとんぼ帰った奥さんと娘達が、2日遅れの本日夜の新幹線で東京に戻ってくるという2024年の幕開け。突然湧いて産まれた独りの2日間で映画を見倒す。
アイネクライネナハトムジーク、ノルウェイの森、ハナレイ・ベイ、春バーニーズで、佐々木インマイマイン、太陽は動かない
映画館ではなく家で映画を観ることの利点を一つ見つけた。 それは猫を撫でながら観れることだ。 また感想や共感を求めることもできる。 もちろん何も答えないけどね。
ワタナベ(松山ケンイチ) 永沢(玉山鉄二)
仕事をしていると声をかけられたり、チャットが届いたり、ふと別のことを思い出したり、と割り込んでくるタスクがある。当初の予定から考えるとこれは純増のタスク。 また、タスクを進めていくと気づいてなかった発見タスクが「ごそっ…」と見つかることもある。これも純増のタスク。 どちらも新たに追加されたタスクであり、割り込みという括りで捉えられるが性質は異なる。
(その都度都度で自分が今何をするかは、最終的にはケースバイケースではあるけれども)、前者は基本的に生産性を落とす要素であり、できるだけ遠ざけた方が良い。 後者も同様に遠ざけ蓋をしたくなる気持ちが産まれるが、こちらは寧ろ「喜んで!」と前向きに対応をした方が良い。 (自分も昔はそうであったが、)後者の場合でもタスクを後回しにする人も多いが、後者ほど事前に見えてなかったポイントであるため、その周辺を早急にクリアにしておくことが、結果的に最もリスクを軽減させ、仕事の成功確率を高めるのである。
基本的に仕事は常に、成功確率が最も上がる様に、最も適切なタイミングで、タスクを処理していくべきだ。何でもかんでも早く処理すれば良いというものでもない。最適なタイミングと順序がある。 これは将棋の一手一手の最適手で評価点を積み上げるのに良く似ている。何の評価もしてなくて締め切り前日や当日に慌てて動くのは、自分の王手がかかるまでは何を考えずにただ手を打つ初心者の将棋とほぼ同値である。 そんな局を幾ら重ねてもちっとも上手くならない。 せめて三手先位は読まないとね。 参考→https://number.bunshun.jp/articles/-/857747
年末年始は帰らない予定。
中華屋が特定の誰かに言うことでもなく、 「冷やし中華始めました」 のノボリを店先に出す様な投稿だなと思う。
blog的な発信方法がある一方で、ノボリの様な発信の仕方もあるのだと気付く。
帰省といっても既に東京暮らしの方が長くなってしまった今、帰るというのも変な気もしている。 ただ故郷は変わらないので帰るで良いのか… しかしこれから歳を経てもいつまでも帰ると表現するのだろうか…
先月46歳になり、長女は来年から大学生である。 月並みだが、光陰矢の如し。
28年前の高3の自分を思い返してみる。
どんな仕事をしたいとか、エンジニアになりたいとか、研究がしたいとか、そんなことは本当に全く何もなく、ただ得意科目は数学だが研究寄りは実学な工学部の方が良いだろうという位の適当さで進路決定し、28年前に故郷を離れて、大阪に出ていくことになった。
どうしたいかの具体的なイメージもなくふわっと始まった大学生活だったと思う。 両親や親戚も誰も大学に行ってる者はいなかった環境において大学というものをイメージをすること自体が困難だろうと思うが、分からなさ過ぎて色んな壁にぶつかった。 周りから見れば勝手にぶつかってるとか敢えてぶつかっているとみえたかもしれないが、ただただ真っさらで素直な気持ちでぶつかっていただけだった。
それから月日は経ち、大学卒業、就職、結婚、親にもなり、転職もした。 イメージもなく何もなく故郷から出て、この現時点に行き着いた。 なんとかなるし、なんとかしてきただけであった。 昔思っていた未来とは違っている夜空ノムコウ的感覚だが、現地点に8割は満足している。
猪木の言葉を思い出す。
この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ ありがとう
どこかの誰かは気づいてるかもしれないけども、みち(未知)なるものに向かって行けば、みち(道)となるという解釈もあり得ると思えた。
ここまでダラダラ書いてきて、 「未知が道となる」 というパンチラインができて満足だ。
本日は出張で伊勢崎(群馬)。 からの、明日は仙台。 なかなか東北はいけないので牛タンを買って帰ろうと思う。 仙台と言えば。。。と誰しもあるかもしれないが、僕にとっては伊坂幸太郎である。
死ぬ前に誰に会いたい?と問われたら、 伊坂幸太郎と吉田修一と村上春樹と答えるだろう。
しかし、 「三人はさすがに無理です…一人だけです…」 と恐縮して言われたら、やはり村上春樹になってしまうかな。
デビュー作「風の歌を聴け」はタイトルの完成度も含めて完璧であると思う。 「完璧な文章は存在しない」という始め方も含めて。
何故か文庫を3回位は買っている。 ボロボロになったからというものあるが、旅前や旅先の本屋でふと読みたくなって買ってしまうのだ。
当然だが、会いたい人を待っていても会うことはない。だから、新作のサイン会とかのイベントがあれば会えるかもしれないなと思うと、この先の未来にも楽しみができる。
先週のまつもtoなかいの放送で、たけしの言う 「エンタメは振り子」 が刺さった。 来週は赤西仁&山田孝之。 これも楽しみ。 46歳でも先の楽しみがあるのは良いことだ。
なお兎のはるちゃんが老衰で先日他界しました。 もうすぐ四十九日です。 命は巡り巡ります。
上山出張に合わせて神田集合で焼き肉。 高志保、上やん、福井、長澤、上山、俺の六名。 月並だが大学卒業から二十年も経っても結構素早く集まれる関係性が築けたのは財産だなと思う。 仕事と家庭以外の3rdプレイスが有ると無いとでは、気持ちの豊かさが変わるとは事実だろう。
山登りというイベントをネタに集まれる語れることは、歳を重ねてきた証拠である。 山登り以外のそれぞれの仕事の近況報告は新鮮で楽しかった。 上やん、福井、上山は明日東京モーターショーに行くらしい。
結局のところ一番の衝撃は、スマートホテルソリューションの縄文時代からある無人システムであった。確かにタダで泊まりお金を払わない客もいそうだが、発生確率さえ分析科学すれば人を置かないことが一番コスパが良いという結果にもなりそうだなとも思える。
佐藤が、神田の集まりに対して何故何の反応を示さなかったのか? という疑問に対しても、管轄が東日本であるいうことだからということで合点がいった。 福井が、あの後山登りにハマった理由も、温泉に入れなかった復讐であることだと理解ができた。 リモートでは分からないことが、会ってみれば分かることが沢山ある。
次回の山登りは、春か夏かで、上山がスケジュールを組むらしい。一泊二日ならば調整し易いからそれくらいを希望したい。
プロジェクト推進力とは可視化と動機付けである。 こんなことはどの本にも書かれていない。 自分の経験から見い出した見解である。
この様な真理は二〜三年目迄の若手に言っても響かない 彼らはまだ自ら試行錯誤する期間であるからだ。 回り道でも良いので彼は彼のルートで成長をすることが重要なのである。
今この目の前にある仕事で答えを告げるよりももっと大きな実をとれる選択をする。 それが中長期視点だ。
10時からのミーティングまで時間があったので若手の作った会議資料を見ながらそんなことを思っていた。
細かいアラまで言い出すとキリがない。 でも自分はこう考えていて、故にこう言いたいという跡は見えていた。 行き先も何も解らずに皆からやんや言われたことをなぞるのではなく、自分で思考を重ねている跡が見える、そんな資料だった。
ただ、「さて、次はどうする?」 と問われた時の回答は見えてこない。 現在までの整理に100%のパワーを使っている状態である。これだとプロジェクトは駆動しない。そりゃそうだ。過去と現在と未来に1:1:1位ではパワーを配分したい。過去は未来との整合性を考える上で重要な観点だ。過去を無視した未来はこうしたいだけでは誰も動かない。根拠もなく実態もないからだ。これまではこうしてきているから、今後はこうしたいと言って初めて主張となる。
プロジェクトを駆動するには、その行き先を推進者が一番見ようとして、そしてそれを皆に齟齬のないように示さねばねらない。これが可視化だ。おぼろげながらでも、先を可視化すると、それぞれがすこしづつでも自発的に動ける様になる。そうなると「これでいいかな?」と聴いて来る様になるのである。
僕は芸術的良心を始め、どの良心も持っていない。僕が持っているのは神経だけである。
これが行き着いた時の心境か。
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