年末年始は帰らない予定。
中華屋が特定の誰かに言うことでもなく、 「冷やし中華始めました」 のノボリを店先に出す様な投稿だなと思う。
blog的な発信方法がある一方で、ノボリの様な発信の仕方もあるのだと気付く。
帰省といっても既に東京暮らしの方が長くなってしまった今、帰るというのも変な気もしている。 ただ故郷は変わらないので帰るで良いのか… しかしこれから歳を経てもいつまでも帰ると表現するのだろうか…
先月46歳になり、長女は来年から大学生である。 月並みだが、光陰矢の如し。
28年前の高3の自分を思い返してみる。
どんな仕事をしたいとか、エンジニアになりたいとか、研究がしたいとか、そんなことは本当に全く何もなく、ただ得意科目は数学だが研究寄りは実学な工学部の方が良いだろうという位の適当さで進路決定し、28年前に故郷を離れて、大阪に出ていくことになった。
どうしたいかの具体的なイメージもなくふわっと始まった大学生活だったと思う。 両親や親戚も誰も大学に行ってる者はいなかった環境において大学というものをイメージをすること自体が困難だろうと思うが、分からなさ過ぎて色んな壁にぶつかった。 周りから見れば勝手にぶつかってるとか敢えてぶつかっているとみえたかもしれないが、ただただ真っさらで素直な気持ちでぶつかっていただけだった。
それから月日は経ち、大学卒業、就職、結婚、親にもなり、転職もした。 イメージもなく何もなく故郷から出て、この現時点に行き着いた。 なんとかなるし、なんとかしてきただけであった。 昔思っていた未来とは違っている夜空ノムコウ的感覚だが、現地点に8割は満足している。
猪木の言葉を思い出す。
この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ ありがとう
どこかの誰かは気づいてるかもしれないけども、みち(未知)なるものに向かって行けば、みち(道)となるという解釈もあり得ると思えた。
ここまでダラダラ書いてきて、 「未知が道となる」 というパンチラインができて満足だ。
本日は出張で伊勢崎(群馬)。 からの、明日は仙台。 なかなか東北はいけないので牛タンを買って帰ろうと思う。 仙台と言えば。。。と誰しもあるかもしれないが、僕にとっては伊坂幸太郎である。
死ぬ前に誰に会いたい?と問われたら、 伊坂幸太郎と吉田修一と村上春樹と答えるだろう。
しかし、 「三人はさすがに無理です…一人だけです…」 と恐縮して言われたら、やはり村上春樹になってしまうかな。
デビュー作「風の歌を聴け」はタイトルの完成度も含めて完璧であると思う。 「完璧な文章は存在しない」という始め方も含めて。
何故か文庫を3回位は買っている。 ボロボロになったからというものあるが、旅前や旅先の本屋でふと読みたくなって買ってしまうのだ。
当然だが、会いたい人を待っていても会うことはない。だから、新作のサイン会とかのイベントがあれば会えるかもしれないなと思うと、この先の未来にも楽しみができる。
先週のまつもtoなかいの放送で、たけしの言う 「エンタメは振り子」 が刺さった。 来週は赤西仁&山田孝之。 これも楽しみ。 46歳でも先の楽しみがあるのは良いことだ。
なお兎のはるちゃんが老衰で先日他界しました。 もうすぐ四十九日です。 命は巡り巡ります。
上山出張に合わせて神田集合で焼き肉。 高志保、上やん、福井、長澤、上山、俺の六名。 月並だが大学卒業から二十年も経っても結構素早く集まれる関係性が築けたのは財産だなと思う。 仕事と家庭以外の3rdプレイスが有ると無いとでは、気持ちの豊かさが変わるとは事実だろう。
山登りというイベントをネタに集まれる語れることは、歳を重ねてきた証拠である。 山登り以外のそれぞれの仕事の近況報告は新鮮で楽しかった。 上やん、福井、上山は明日東京モーターショーに行くらしい。
結局のところ一番の衝撃は、スマートホテルソリューションの縄文時代からある無人システムであった。確かにタダで泊まりお金を払わない客もいそうだが、発生確率さえ分析科学すれば人を置かないことが一番コスパが良いという結果にもなりそうだなとも思える。
佐藤が、神田の集まりに対して何故何の反応を示さなかったのか? という疑問に対しても、管轄が東日本であるいうことだからということで合点がいった。 福井が、あの後山登りにハマった理由も、温泉に入れなかった復讐であることだと理解ができた。 リモートでは分からないことが、会ってみれば分かることが沢山ある。
次回の山登りは、春か夏かで、上山がスケジュールを組むらしい。一泊二日ならば調整し易いからそれくらいを希望したい。
プロジェクト推進力とは可視化と動機付けである。 こんなことはどの本にも書かれていない。 自分の経験から見い出した見解である。
この様な真理は二〜三年目迄の若手に言っても響かない 彼らはまだ自ら試行錯誤する期間であるからだ。 回り道でも良いので彼は彼のルートで成長をすることが重要なのである。
今この目の前にある仕事で答えを告げるよりももっと大きな実をとれる選択をする。 それが中長期視点だ。
10時からのミーティングまで時間があったので若手の作った会議資料を見ながらそんなことを思っていた。
細かいアラまで言い出すとキリがない。 でも自分はこう考えていて、故にこう言いたいという跡は見えていた。 行き先も何も解らずに皆からやんや言われたことをなぞるのではなく、自分で思考を重ねている跡が見える、そんな資料だった。
ただ、「さて、次はどうする?」 と問われた時の回答は見えてこない。 現在までの整理に100%のパワーを使っている状態である。これだとプロジェクトは駆動しない。そりゃそうだ。過去と現在と未来に1:1:1位ではパワーを配分したい。過去は未来との整合性を考える上で重要な観点だ。過去を無視した未来はこうしたいだけでは誰も動かない。根拠もなく実態もないからだ。これまではこうしてきているから、今後はこうしたいと言って初めて主張となる。
プロジェクトを駆動するには、その行き先を推進者が一番見ようとして、そしてそれを皆に齟齬のないように示さねばねらない。これが可視化だ。おぼろげながらでも、先を可視化すると、それぞれがすこしづつでも自発的に動ける様になる。そうなると「これでいいかな?」と聴いて来る様になるのである。
僕は芸術的良心を始め、どの良心も持っていない。僕が持っているのは神経だけである。
これが行き着いた時の心境か。
約1万日 これは大学を卒業して働き始め、定年になるまで働くとして、平均的なサラリーマンが一生涯で会社に行く日数だ。
約3億円 これは平均的なサラリーマンが一生涯で得る収入だ。
これより1日辺りで計算すると日給は約3万円となる。 日給3万円といっても税金を引いた手取りで考えると1.5万かもしれない。そう思うと安いか。
ぼうっーと座ってても1.5万貰えるなら高いのか、凄い成果をだしたとしても1.5万でしかないなら安いのか。 それは人それぞれだから解らない。
みなそれぞれ自分にできることをすればいい。 結局は無い袖振れないのだから。
芥川龍之介を読もうと思い18篇の文庫を買う
芥川龍之介の最後の作品は歯車 歯車とは何かというと偏頭痛の時に現れる半透明のギザギザで閃輝暗点(せんきあんてん)と言われる
自分も偏頭痛持ちで閃輝暗点を見るので(最近はあまり見ないが20〜30代はよく見た)、親近感を持つ。
昼食に奥さんから顔をまじまじ目られてあれこれ言われたことを思い出して鏡を持って自分の顔を眺めてみる。
白髪が増え、ほうれい線も目立つ様になってきている、髭も濃くなった。10年前は一週間に一度しか髭を剃らなかったが、今は平日は流石に毎日剃らないと気になってくる。(もちろん一日くらい飛ばしても問題はないが、顔を触った時に平日にじょりじよりする感があるのははあまり落ち着かない)
深夜に通販番組を見てたらシリカを勧めてきたので気になった。鹿児島県の徳之島は長寿の島で知られて60代など若手らしい。あと15年経っても若手なのかと思うと、人生はまだまだ長いなと思えてしまう。
今の暮らしを保ちつつも、自分を表現していけるフィールドについて考えていかねばそれこそ60歳位になって暇で死ぬことになりそうだ。
| 2023年01月15日(日) |
大切なこともすぐに忘れてしまう |
大切なこと再掲 �〇�っているものに感謝する ��他人と比較しない 嫉妬しない ��自分なりに一生懸命生きる �な曚┐襦仝�虚に しつこくしない
| 2023年01月06日(金) |
正月に15人と今年の抱負 |
妻の実家で年越しとなり義父母から孫まで 総勢15人となる
15人ともなると賑やかで良いのだが、4つの家族が入り交じると、子供同士の喧嘩もあるし、嫁姑問題もあるし、子育てや躾の考え方もあるし、妬みや嫉妬もあって、話題に事欠かない。
どこにでもあるベタベタな俗なのだが、自分も含めて4つの家族は、長い年月をかけて混ざり合ってそれぞれ家庭が成立して、そしてこうやって集まれている可能性などを考えると、幸福であり感謝したいなと思えた。
ひろゆきが言う幸せに生きる方法3点 �ー�分の持ってることに感謝する ➁他人に嫉妬しない ��自分を一生懸命を生きる を心掛けたい。
あとは個人的に気をつけることとして、 �〃�味を言わない �△靴弔海�しない を気をつけよう。
やはり持てるものに感謝することが大事と思える。 2023年はこれを抱負に進める。
東京から徳島までを新幹線で帰って正月を過ごし、徳島から東京までを飛行機で戻ってきた。乗っている時間は当然飛行機の方が短いが前後も含めると飛行機も新幹線も時間はそれほど変わらない。早朝や日付を調整すれば飛行機の方がかなり安くあげられるということもあり帰れるならば飛行機で帰るのもありだなと今回も思った。 新幹線もワクワクするがやはり飛行機のワクワク感には及ばないなと改めて感じる。B席と両隣を他人に挟まれた席ではあったが特に嫌な気分になることもなくフライト時間を過ごすことができた。両隣ともにおっさんだったが、窓側のA席に座っていたのは50を過ぎた剥げたおっさんで、通路側のC席には30〜40代のおっさんでビジネス書の単行本を読んでいた。窓側のおっさんが離陸し上がり切って安定し始めてから窓の外をパシャパシャとスマフォで撮影し始めた。そんなに撮るものあるかなと思っていたら後ろに座っているのは自分の奥さんらしく何やら話しながら撮影を続けている。言葉をよく聞くと中国人の様だ。観光なのか珍しいのか好きなのかも解らないが撮影大会は中々の期間ずっと続いていた。やれやれいつまでやるんだろうと思っていたら次の瞬間寝てしまった模様で、目が覚めた時には飲み物をサーブが終了してしまっていた。 新しい年はどんな年になるんだろう? っていう呟きをよく聞くが、そういう受動的な気持ちではなく自分がどういう年にしたいかだ。 受動的な気持ちでも勝手に動いていくのは若い時の感覚である。40代以降は自らが動かないと何も進んでいかない年代である。
| 2022年08月12日(金) |
変わるもの変わらないもの |
ゲーリーけいすけよっちん@ぽ庵。よっちんとは四半世紀ぶり。現況と昔話。 自転車で丹後半島一周した話であの日の陽射しと蝉の声が一瞬で甦る。よっちんの愛嬌は昔と何一つ変わらない。人のコアな部分は詰まるところ子供頃に完成するって話かもしれない。そのずっと変わらないものを携えてその後を生きるのだよ!というある意味冷徹とも言うべき人生の連続性を誰も教えてくれなかったし、例え子供の頃に知らされても分かりもしなかっただろうとは思うが。
結局のところ人はその時は分からないが振り返って初めてその意味を学ぶというとても非効率な一進一退感の中でやっていくしかない(スティーブ・ジョブズも言っているが、点で捉えて行って振り返って初めて道を理解するという感じ。初めから道を考えてその通りに進むなんてことはない世界だ)。 そこまで達観していた訳では絶対にないが、この非効率さを前提に折り込んだ上で自分なりの学びのフィードバック機能をどこまで効率化・機能化させていけるかということに子供の頃からずっと拘っていた気はする。ある意味でRPGゲーム的な意味合いでもあるが、成長することにずっと拘っている。ここは自分のコアだろう。
夜空ノムコウにはもう明日が待っている。
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