| 2009年03月06日(金) |
ブレスト4:中山石井4 |
しばらく考えて、しかし17時35分になる前に、中山は言った。 「最終的に到達したいサイズは解ってる。ただ今の段階でそのサイズを着ようとするのは早いのかもしれない。着てみるとだぼついて今よりさらに動きづらくなる可能性は十分にある。ま、それが二の足を踏ませているのだと思うんだけどね」
「だったら目指しているサイズに行くためにいったん中間地点のサイズを選んだほうが良いのかもしれないね。その中間位のサイズは解ったりする?」 と石井が言った。17時35分になっていた。
中山は首をひねって少し考えてから言った。 「解らないね。そしてたぶん僕だけじゃなくそれは誰にも解らないと思う。どんなものでもある地点から誰に聞いても解らない領域があるんだと思うだ。そのタイミングや運が大きく関係してくる領域になると誰も確かなことは言えない。なので、結局は着てみるしかないと思うんだ。着てみて判断するしかないと思ってるんだ。最初はだぼついてても、少しづつなじんだり成長したりで結局はぴったりになっていくんじゃないかな。うまくいけばね。でも、それでも何年もだぼついてるなら、それはやはり合ってないってことを納得するしかないんだと思う」
「確かにね。そうかもしれない。解らないことかもしれないけど、何事も仮説がないとはじまらないよな。じゃあ、デザインはどういう具合になってる?」
「そうだね。それが文字を使ったことであることまでは決まっているんだけど、小説を書きたいのか、エッセイを書きたいのか、論評をかきたいのか、それが全く絞り込めそうもないんだ。歌詞でもリリックでも良いとさえ思ってるくらいなんだ」
| 2009年03月05日(木) |
ブレスト3:中山石井3 |
「しかしさ、現実はローンを抱えてせっせと家族の為に働いて、ちゃんとイベント時にはプレゼントして、だから家族円満で、で、たまには自分の為の娯楽がちょこっとできれば御の字なんじゃないの?俺は子供が2人もいるし、この状況じゃ俺は勝手なこともできないと思ってるけどね。たまのゴルフ位が生きる意味だと思ってるよ」 眉間にしわを寄せて石井は言った。石井の事は好きなんだけど、この顔だけはあまり好きになれないなといつもと同じように中山は思った。 「うん解るよ。で、でもさ、それで終わったんじゃつまらくない?そこに『危機感』を感じているんだな。僕は」と、真剣な表情で中山は言った。
ただ、言ったそばからその危機感がとても薄っぺらなものになって、消えてしまっていた。本当に危機感を感じている奴は、自分のようにうねうねうじうじ言ってないし、結局言い訳だけして色んなモノを先延ばしにしないし、他にも云々、、、と、思ったからだ。お菓子を食べながら「ダイエットしたいのよね」という太った女子高生と全く同じだなと、中山は心の中で一人で失笑した。
ただ、中山の眼は真剣で、それを受け止めたのだろう石井は、こう言った。 「OK。わかった。じゃあ今の服が小さいとしてみよう。そうすると、今の自分のサイズにあう服をみつけなきゃならない。なら、次に着る服のサイズやデザインは決まっている?」
「サイズとデザインか。。」 中山は腕を組んで考えてみる。いや考えるふりをしただけかもしれない。「サイズとデザイン」と心の中で反復しても何もイメージは浮かんで来ない。そして、ふと5年前の自分が新人の頃を思い出す。何も出てこないという状況なのに上司に「本当に他にないか?本当にそれでいいの?」と詰められた時のことだ。どれだけ自分を詰めても、何にも出てこないのだ。逆に、詰められることで集中力を失い、更に解らなくなるのだ。一般論として、見えてる人は見えてない人のことが解らないから、これは仕方ないことだろう。だが、だとしても、こういう時、上司はどうすべきなのか?正解を伝えてしまえば、良いのだろうか? 中山はその時の状況も反芻しながら、サイズとデザインについて考えていた。時間は17時34分を指していた。
| 2009年03月04日(水) |
ブレスト2:中山石井2 |
「でもそもそも、お前の考えって聞いてくれる人がいるの?ニーズがなきゃ続かないぜ。自分が言いたいことがある。それを聞きたい人がいる。需要と供給。それがバランスしているからビジネスになるんだ。」 両手の掌を天井に向け、それを揺らしながら石井は説明する。右手が需要で左手が供給。それがバランスしているらしい。両手の掌を使って説明をする石井のいつもの癖だなと中山は思った。
「供給しかないなら自分のブログで垂れ流すしかないよな。でも何でそんなに伝えたいんだろうね?有名になりたいからか?」
「違う」
「儲けたいからか?」
「違う。たぶんなんだけど、体系化する自分の考えを広く世に出すことで次の段階に入りたいからなんだと思う。なんだか、もうここは窮屈なんだよ。高校卒業と共に田舎を飛び出し大阪に出た。就職と共に関西を抜け出し東京に出てきた。東京に来て丸6年。なんだかここも見慣れたんだ。直観的に言えば・・・」
「直観的にいえば?」
「直観的に言えば、服がもう小さい気がするんだ。だから窮屈なんだ」
「へぇー。なんか気取ってんじゃん。ていうかお前相変わらずイタイな。ハハハ」
「イタイでしょ?」
「でも、ヒーローとイタイことって同義だから気にするなよ。ハハハ」
| 2009年02月14日(土) |
ブレスト1:中山石井 |
「僕はもっと多くの人に何かを伝えたいんだ」
「おいおい。いきなり唐突だな。仕事の話はもういいのかい?」
「もういいんだ。僕がいなくても誰かがやってくれる仕事に対して、情熱を傾ける意味なんてあるか?」
「確かに」
金曜の17時、中山と石井は新橋のスターバックスに居た。店内は、日テレ見学帰りの中学生だったり、これから同伴で出勤するキャバ嬢だったり、中山たちのような仕事帰りのサラリーマンで一杯だった。今日は午後過ぎから石井と一緒に客のところに行って仕事を終えて、あとは家に帰るだけとなったところで、石井から「ちょっとお茶していくか?」と誘われてスタバに立ち寄ったという流れ。中山と石井は同期・同級生の30歳で、既に結婚をしていて子供までいるから、金曜の夜と言えども、特に何もなければそのまま家に直行するのが普通なのだ。
「で、伝えたいことって何だよ?」 少なくなったマンゴーフラペチーノをすすりながら、石井は言った。
「結局、いつも言ってる人の生き方のことか?それともこの世のあり方か?または、メディア批判か?」
「たぶん何でも良いんだ。たぶん、単に自分の考えをもっと多くの人に伝えたいんだ」 言葉に出してみて、初めて気づいたのだが、本当に中身や媒体はなんでもよく、単に自分の考えをもっと多くのところに曝け出したいのだと本当に自分はそう思っているんだと中山は思った。
「すみません。途中で話が逸れてしまっていたのですが、講演はこの島の人達にとって非常に重要なインプットであったことが理解でき、やはりそれは無くすにはいかないと思えたのでした。だから、こうやって講演を再開することになったのです」
講演の回が経る毎に、観衆は増えた。
藤田は、父親がしてきたような1対多のような従来の講演だけでなく、色々な試みを行った。例えば、質疑応答の時間を充分にとり、各自の意見を吸い上げ、その意見に対して、他人がどう思うのかをみんなに聞いてみたりもした。またゲストを迎えて対談形式にしたり、複数のパネラーと座談会形式にした時もあった。要は、多対多の矢印を作ることは、各自の認識レベルを合わせたり、より良いアイデアを創造することに有効だと彼は考えていた。
また、季節のイベントに合わせて演出を変えて、場合によってはプレゼントなども配った。クリスマスには、サンタの格好をしたスタッフが白袋からおもちゃを出して、子供たちは喜んだ。
藤田が35歳になった時には、彼の力は既に父親を超えていた。誰も文句を言う必要はなかったし、誰も自分の権利を主張しなくても何も問題のない時代が、その後押しをしていた。
小学4年生の桐原少年は父親に連れられて藤田の講演に良く行っていた。この公演は月に1度は必ず催され、いつも盛況で島の住人で溢れていた。この公演は藤田の父親の時から既にあったのだが、父親が死んで一旦なくなり、5年後から彼が引き継いで再開した。25歳の時だった。
「シンプルに言いますと私は父の講演で育ちました。けれども父が死んで、講演は終わりました。それからその講演の無い生活が始まったのですが、無くなって初めてその意味が解ったのです。何かを考えるにもまったく指針が無いのです。きっかけであったり、確認できる指針が全くない状態だということをだんだん実感していきました。この言葉にできない有耶無耶は時間を経る毎に増大していきました。
ある時漁師の酒田さんと話をしていて『あんたの親父の講演はほんとに良かったよ』という話を聞かされ、私の有耶無耶はもしや誰もが持っているのではと考えました。たぶん、父が死んですぐにもそのような事を皆さんから言われていたのですが、それは単に感謝としか受け取れませんでした。
同じ言葉でも受け手の状況により受け取り方は異なりその後の行動は変わるのです。だから今日の講演も今日の皆さんと明日の皆さんまたは1年後の皆さんでは、どう受け取るかは異なると思います。一旦ここで休憩を挟みます。この休憩で自分が今どんな状態なのか考えてみて下さい。
問題があるのに解決できないと決めつけてませんか? 聞く耳をもたない殻に閉じた状態になってませんか? 結局のところどうなりたいのですか? それを素直に発信していますか?
考えてほしいと思うのはこんなところです。では休憩に入ります」
「あと間違えの無いように付け加えておくとすると、藤田の父の奥さんは先に病気で亡くなっている。確か1000人に1人の確率で起きるナントカという難病だったと思う。だから彼が、新しい女と仲良くすることは自然であり、彼が死ぬ時に一緒だった女との仲はとても良くて、いつ再婚してもおかしくないなと周りは思っていたんだ。俺も含めてね」
寄り添った人間もいつかは亡くなる。そしてそれが思いのほか早く来るケースもある。でも残った者は立ち直って生き続けなければならず、また場合によっては、新たな伴侶を見つけることになろう。
だが、そんなにすんなり物事は進まない。基本的にはその事実を認めたくないという、時期に突入するはずである。それを乗り越えれば、即ちその事実を自分の一部として取り込めるられれば、次の一歩が踏み出せるかもしれない。でも逆に言えば、なかなか取り込めないというほど、真摯なのかもしれない。
藤田の父はその事実をきちんと受け入れたのだろうか?そして、真摯だったのだろうか?
ただこの言及は間違っている。この手の話について真摯かどうかは他人が評価できるものでは全くない。断じてない。それは絶対に当事者にしか解らないものだからだ。
僕は顎をさすりながらテーブルの上のグラスとその男の後ろ姿を見ながらそんなことを考えていた。男は一通りの話が終わったあとテーブルから立ち、テラスの手すりにつかまって、じっと海を覗き込んでいた。
話をしてくれた男は、藤田の父が死んだ事故を追った大陸の記者だ。名前は楠木と言った。
僕ら2人は、ちょうど藤田の父の車が落ちたとされる場所を見下ろすところに立っているカフェのテラス席で話していた。夏が終わり、いよいよ本格的に秋に突入する季節だった。照りつける太陽もなく、真っ白の大きな雲が浮いてて、気持の良く晴れた日の昼下がりだった。
「藤田の父は本当に自分ひとりの力でその地位を築いたんだ。たった独りで独裁の状態を作り上げたんだ」 とある男は言った。
「でも誰もその状態に文句を言わなかったし、誰も不都合を受けてもなかった。島のみんなは心から彼を尊敬し信頼し、全てを彼に委ねていたんだ。彼自身もとてもモラルが高くどんな不正もしなかったと思う。加えてとても簡潔で豪快だった。そして、その自分の持てる全てを島の住人のために捧げている人間だった。彼の熱意は留まることを知らず、彼は島の枠を越えて大陸へも踏み出し、大陸で発生している不都合を自分の力で解決しようとしたのだ。彼はとても責任感が強く困っている人やそもそも困る状態にも関わらずそれを認識していないという人を見つけると何の躊躇も無しに、彼は行動をおこした。そういう人間だった。だが、終わりは急に訪れるもので、彼はその絶頂の時に、交通事故に遭い亡くなってしまうんだ」
少し風が出てきたことに気づいたのか、男は一度海の方に目を向けた。 僕は男の言葉を待った。
「警察が発表した死亡の経緯を話すと、彼は、大陸で開かれた彼がメインゲストであるパーティーに出席していた。パーティーでは、島での教育理念と教育の成功事例が紹介されたりもして、彼は終始上機嫌。帰りのタクシーに乗り込む時には、シートに座った瞬間に寝てしまうほどかなりの量のアルコールを飲んでいたようだった。タクシーには、同じパーティーにも出席していて以前から知っている女も一緒だった。 交通事故はこの帰りに起きた。運転手と彼と女の3人が乗ったタクシーは、リアス式海岸のような高い崖の海岸線を走行していたんだ。その時、前から来た居眠り運転のトラックが突っ込んできた。タクシーはそれを避けてハンドルを取られ、そのままガードレールを突き破って海に落ちてしまったんだ。タクシーの運転手は命からがら逃げられたが、酔って寝ていた彼と逃げ遅れた女は、亡くなってしまった。あっけないだろ」
「とてもあっけないですね」 僕は、ただうなずいた。
「俺も警察の発表をリアルタイムで聞いた人間なのだが、初め聞いた時に、ありえそうでありえない話にも聞こえたし、ありえなさそうでありえる話にも聞こえた。ただ、彼の息子はこの知らせを聞いた時に『これは臭い』と直観的に思ったらしい。けれでも、それを裏付ける証拠もそれを調べる力もなかったから、あきらめてしまったんだと思う。ある時、藤田は俺にそう教えてくれたよ」
藤田は決まった仕事を持っているわけではないが、敢えて言えばコンサルタントという肩書きが一番似合っていた。島の住人が困った時に相談する先はなにはともあれ藤田であったからだ。彼が相談を受ける範囲は限定はされていない。家族内での事や会社の経営についてや相談者の自分自身の健康についてなど、どんなことにでも彼は答えた。
彼は明言はしていないが、「相談者自身は既に答えを持っている」「相談者の状況を整理して辻褄を合わせ、その答えに導くのが自分の役目」ということをスタンスとして相談を受けているようだった。
彼は決まってキチンとプレスのかかったスーツを着ていた。180cmを越す長身にとても似合っていた。髪形は短めでワックスで立て、あごの髭は短かめに手入れがされていた。目は大きくは無いが力強さがあった。柔らかくもあり鋭くも合った。それを使い分けられるということかもしれない。結局は、言ってしまえば要はルックスが良かった。だから、それだけでも人の心を十分惹きつけた。
もちろん彼の地位は、彼だけの力で築いたものではない。 彼は2代目だった。
今から20年前の1988年。TM NETWORKの宇都宮隆が、終りの見えない「SEVEN DAYS WAR 闘うよ」をリフレインさせている。そして更に終りの見えない「ラララ」がフェードアウトされて終わり。少しサボった感じの締まりのないクローズでも誰も細かいことは言わないし充分受け入れられてたバブル崩壊前の幸せな時代。
この年、青函トンネルと瀬戸大橋が開通して日本列島が繋がった。まだインターネットもDVDも携帯電話もない。国民のほとんどはTVと新聞の言うことを疑いもなく信じていた。予測不可能なことはほぼ発生せず頭脳が手足を十分にコントールできていた。逆に予測不可能なことが起きてもそれを手足に伝えないようにできていたということでもある。そう思うと単にお目出度い時代だったのかもしれない。
その年に桐原は小学4年生であり、特に将来について心配することもなく彼なりにただ毎日を頑張って生きていた。ドラクエ�靴旅粁�やクラスでの自分のポジションや好きな女の子のことや通信簿の◎の数だけを考えて必死に生きていた。
そういうのどかな時代があった。
|