古巣,お仕事?,Nさん,『アントニオ』 |
2000年末まで働いていた会社の、一番初めに配属になった部署に顔を出す。 久し振りに会う人、大勢。 忙しい部署だったが、今日はあまりバタバタした雰囲気でもなく雑談。
「真理さんがファイルした書類を、今見てたところです」と言われて、感慨深い。 人の異動と事務所の移動が激しい部署で、12、3年前の資料がちゃんと残っていて、後輩が私の仕事を参考にしてくれている。 うーん、偉い。
「真理さん、ストーンズのチケット買いませんか」 「いや、既にIさんにお願いしてて、取りに来たの」と言ったら 「あ、それはダメだ」とIさんの部下たち。へ?そうなの?なんで?
会議を終えたIさん登場。チケットをもらって、札幌の報告など雑談。 3ヶ月に1回ご馳走してやるから、そういう人を90人作って食いつなげ、と言ってくれたIさん。 「K、お前も90人の一人になれ」と部下に言う。 「は?90人?なんですか?」とK君。 「なるよなあ、90人の1人に」 「はあ。……?」と言いながら笑顔のK君。 「ありがとう!よろしく。じゃあまた、3ヵ月後に」と私。 なかなか雰囲気の良いIチームであった。
チケットは1階スタンドだった。ああ、前回はアリーナ4列目だったのになあ。 しかし、これは私が頼む時期が遅過ぎたのが悪い。 それに後ろに何万人もいるんだから。隣はあの人だし。ムフフ。
内幸町に出て、住宅情報サイトのライター仕事の「顔合わせ」という名の「面接」。 他に女性2人、男性1人。 仕事は東京、神奈川、埼玉、千葉にある住宅展示場をまわって、モデルハウスの取材・ライティングをする。 日給制で交通費は出る。
デジカメでモデルハウスの撮影もしなくてはいけない。 「できますか?」と言われて「デジカメ持ってないのですが、できると思います」。
「住宅に興味ありますか?」 「はい。子供の頃から家の広告チラシとか見るの大好きでしたし、テレビのリフォーム番組『ビフォー アフター』とか渡部篤郎の『建てもの探訪』も好きで、よく見ています」 と張り切って答える。 家に帰ってから気づく。渡部篤郎ではなく渡辺篤史だった!
派遣会社の担当者に「どうでした?」と聞かれて「是非やってみたいです!」と答える。 印象は悪くはないと思ったが、さて。
広尾に出て、大学ゼミの先輩Nさんが入院している日赤医療センター。 病室の扉を開けると、久し振りに会うゼミの人二人とご主人様。
Nさんは眠っていた。 広い個室で大きな窓からは緑と街の明かりが見えて、昼間はかなり眺めが良さそう。 いい部屋なのだが、病室、というのが悲しい。
ベッドの横に座って眠っているNさんを見ていたら、暑そうに布団をどけている。 「布団直したほうがいいですか?」とご主人に聞く。 「ううん、いいです」とご主人。 朦朧とした様子でゆっくりと起き上がるNさん。あらら、大丈夫かな。 私の顔を見て、「トイレ」。
ご主人が優しく起こして看護士を呼んで、Nさんを支えてトイレに。 何本ものチューブを外したりつけたり、ちょっと動くのも大変そうだ。
トイレから戻ったNさんは、お見舞いに来ている先輩に呼びかけ、 「毎日来てくれなくてもいいんだよ」 と言って、また眠った。 こんなに状態でも見舞い客を気遣うNさん。
ベッドの上には桜の枝があった。もう桜の花がいくつか咲いていた。 開腹手術をして、なす術なく自宅に戻ったと聞いた時「せめて桜の季節まで」と思った。 5歳になるNさんの一人娘は櫻子という名前だ。 だから最後に一緒に桜を見て欲しいと、祈っていた。 Nさん、本当に頑張ってるなあ。
広尾駅まで先輩と歩く。先輩も交通事故で大怪我をして大変だったと初めて聞いた。 しかもゼミの集まりの帰り、私を送ってくれた後に事故に遭ったという。 リハビリに随分苦労したそうだ。 「死なないで良かったですね!」と言った後で、なんでNさんは死んじゃうんだ!と思う。 何が人の生死を分けるのだろう。 ゼミの中にも死にそうな目に遭った人が何人かいて、見事生還しているのに、なんでNさんは違うの?美人薄命だから?
私はゼミのメーリングリストの管理人をしている。 「皆に知らせるべきですか?静かにしていた方がいいのかな?」 「家族の話だと、できるだけ会える人には会いたいみたいだから知らせた方がいいんじゃないかな」 でも、なんて書いたらいいんだろう。途方に暮れる。
待ち合わせに1時間以上遅れて、丸の内のイタリアン『アントニオ』。 高校からの友人たちと、トリノオリンピックに因んでイタリアンを食す。
お見舞いの話から、オリンピック、永田メール問題など。 実は関係はかなり薄いが、永田議員は私たちの後輩とも言える。はあ情けない。
不動産&建設会社幹部のYにマンション耐震偽装問題を聞く。 「うちは大丈夫よ!姉歯じゃないわ。でも、近くに木村建設ってシートに書いてあった建築中のマンションが、急にシートが変わってた」 なんて話。
2年近く前、一悶着あって疎遠になっていた友人と、最近再会した話。 「まあ、一番会いたくない人に遭っちゃったのね!」と皆。 「いや、会いたくないってわけでもないんだけど」 「仲直りしたの?」 「いや、挨拶して普通に会話しただけ」 「優しいね、真理ちゃん」 「優しいのかね?どうでもいいって感じなんだけど」
今日お見舞いに行ったNさんは私の日記の読者であり、当時のトラブルを知っていた。 Nさんは経緯や登場人物について詳しく聞こうとはせず、ただ心配してくれた。 だから疎遠になっていた友人がどう思うかは知らないが、私はNさんが再会させてくれたのだと思っている。 友人がそういうことを理解できる人ならば、この話をいつかする日が来るだろう。
帰宅後、メーリングリストにどう書くか、迷ってある先輩に相談。 「みんなにメッセージもらったらどうかなと思うのですが。ちょっとでも力になればと。」
しかし、その先輩は否定的。
> 真理ちゃんの「何かしたい」という気持ちは分かるけど、メッセージはどうかなぁ。 > 寄せ書きならまだしも、メールで病状を伝えて寄せられるメッセージだったら電報とかわらないよね。 > それに近しい関係の人間だったら何をおいても駆けつけるだろうし、既にみんなそうしている。 > それに自分はもう今の彼女は「頑張って」とか「応援してます」を言うべき状態ではないと思っています。 > もう今まで十分すぎるほど闘ってきたんだから(略) > 彼女も洗礼を受けて、死への恐怖が薄まって死ぬことはガンに負けることではないんだと思えるようになったようです。
「そうですよね。でも知らない人もいて、私がしらなかったら、教えてほしいかなと。電報でもいいじゃないですか。Nさんは止めてほしいだろうか?なんかみんなの気持ちのパワーというか、そういうの集まったらちょっと命の温度が上がらないかなと」
> これは気持ちの問題で、何が正しい、とかいうことではないと思いますよ。 > (略)とも一度議論になりましたが、自分の考えを押し付けるつもりもありません。 > ただ、知らせるということで言えば、ゼミで親しくしていた人間で連絡がつく人はみんな知ってるよね。
「みんな知っているかわからないです。私はガンで、ぐらいしか言ってない。 うーん、でもいざどう知らせたらいいか手が止まります。 もう一度よく考えてみます。意見ありがとうございます。」
かなり悩んで、2時間ほどかかって、3時半ごろメッセージを募るメールを送信。
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2006年03月08日(水)
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