決裂?,『荳庵』,復活?

 「アメリカの押し付け」について激論になっているMとは、実はもう一つテーマがあって、
「日本の若者」について意見が分かれていた。
私が「若者は立っていることが出来ない」とか「学校教育の失敗でこれから職業教育がとても大変になる」とメールに書いたら「そんなことはない、一括りにするな」とMは言う。

そして急に

> ちょっと今いろいろ大変なのでしばらくメール止めます。

と宣言。Mによれば、私の若者批判は「マイナスの一括り」だから嫌いで、Mの中国やアメリカについての一括りはマイナス感情を伴っていないから構わないらしい。

Mはこれまでずっと「中国や人民への不満を言ったり蔑視しているのではない。誤解しないで」と言って来たが、私のことは誤解している。

私の返信。

「私は若者についてはマイナス感情抱いてないよ。まるで。
これはMがマイナス感情もって無くてもそう読まれるのと同じかなあ。
私はMが『不満じゃない』というなら『ああそう』です。
私は若者を一括りにもしてません。私の見た傾向として書いた。

私は若者を批判してもしょうがないと思ってる。
しかもMに言ってもしょうがないわな。若者に言うよ。
批判というか、アドバイスとか、どういう気持ちでそういうことしてんの?と話すとかね。」

大体、私は若者を批判できるような立派な大人ではない。
気持のいい子や素晴らしい若者がいっぱいいることなどわかっとるわい。

ってことで、またしてもメールのやり取りで大切な友を失ってしまうのか?
と心配になるが、高校からの友人だしどちらも議論好きだからこうなるんであって、
もともと「議論しましょう」と言ってきたのはMだから、気にしない。

「元気に旅を続けてください。
また話したくなったらいつでもどうぞ。」と書く。

 そして夜は高校からの友人たち4人で『荳庵 銀座店』。
幹事のNさん以外3人とも数十分道に迷って到着。個室で豆腐料理。美味しい。

Sちゃんが就職した「おジャルでごジャル」の話、皆呆れる。
Nさんは「新入部員のために1週間かけて研修準備をしたのに、誰も質問も意見も言わない。でも感想文を書かせるとびっしり書いてくる」と”若者批判”。
Mのメールの話、皆驚く。

2児の母になってなかなか会えないSに皆で電話。
「もうたいへーん!」とゲラゲラ笑っている。母は強し。

 店を出て皆と別れて携帯電話をチェック。昨年7月に決裂した(た)ちゃんから電話。
あるイベントに「『真理ちゃんが来る』って聞いたから電話した。行くの?絶対ダサイよ。私はタダなら行く」。相変わらず。しかし元気で良かった。
「日記に書かないでよ」と言うので「いや、事細かに書くよ。全部書く」と言っておく。
2003年05月21日(水)

『檸檬屋新宿』

 写真家の北野謙さんと『檸檬屋新宿』。
北野さんと初めて会ったのも檸檬屋で、昨夏以来2回目だが、日記の読者でメル友なので久し振りな感じがしない。

もともと建築家修行中のyuhi君の大学卒業祝いをしようとか、北野さんはラジオのヘビーリスナーだからラジオ局編成部のUさんと一緒に飲もうとか言ってたのだが、さしで飲む。

北野さんが撮影した藤原竜也(!)、三浦和義さんの話、最近見た舞台、映画、中国一人旅の友人について、北野さんのお家の話など24時過ぎまで。楽しかった。
それでもまだ話し足りない感じがする。
2003年05月20日(火)

『Bagus』,『おまた』

 豊島税務署近くの、カフェ風の作りが可愛い美容院『Bagus』。
カット&カラーがインターネット割引で7,000円。安いが、スタイルは全く物足りず。
「変なのがいい、普通じゃないのがいい」と言われても困るみたいで
「得意なスタイルとか、似合うと思うスタイルに」と言ったらますます戸惑ってしまったようだ。ああI miss Begona.

 帰り道、久し振りに『おまた』。
突き出しがチーズ入りの蒲鉾のようなもので「ゴメンナサイ、チーズ駄目なんです」
と言ったら生ハムに替えてくれた。泣きそうになりながら頑張って食べる。
ハムも嫌いで美味しくないけれど、逆の順番ではなかったのがせめてもの救い。

手羽先明太子餃子と、あさり酒蒸し。お薦めの日本酒を2杯飲んで帰る。
最近一人で飲みに行っていないので楽しかった。
2003年05月19日(月)

中華樓,『真理さんへ』

 この週末で会社の決算を済ませようと思ったが、出来ず。

 ビックカメラで買い物の後、近所の『中華樓』で健康ラーメンとビール。
麺は太めで、身体に良いものがいろいろ入っているらしいが、特に美味しくはない。

 名原さんから『真理さんへ』の原稿メールが届く。もう第8か9稿目。
いくつか問題と名原さんから提案があって、電話で打ち合わせ。解決。
しかし、全体をざっと見てみると更なる問題があった。
遅くなってしまったので対処は後日。

 のんびりしている場合じゃないが、日記も進まない。更新お待たせしてスミマセン。
2003年05月18日(日)

激論「アメリカの押し付け」,NHKスペシャル「亡命イラク人たちの戦争」

 中国一人旅の友人Mはアメリカのイラク攻撃容認派だ。
9.11テロがあった2000年に中東を長く旅した彼女が、どうしてそういう考えになるのかは非常に興味深いところ。
私は戦争反対派。当然激論になる。
Mとは面識のない、NY在住のゼミ仲間Oちゃんも交えて日本、中国、アメリカでメールの対話が続いている。

―以下引用。

> >(Oちゃんが言っているのは)アメリカの押し付けがいや、ってことでしょ?
>
> より良いものなら受け入れちゃえばいいのに何でそんなにこだわるんだろう、って
> いっつも思う(笑)。

いや、もう結構毛だらけって感じ。(Mに言ってるのではないよ。)
アメリカの「都合」の押し付けにはうんざり。
よいものだけくれ。くれといったものだけくれ。余計なもんまで押し付けるな。
ですよ。

> >アメリカのいう「解放」は「市場開放」ってことでしょう。
>
> でもそこには人間の解放もついてくるんじゃないのかなぁ。

「だから受け入れろ」って武器やら、環境破壊やら、
市場経済至上主義やらキリスト教やら迷惑持ち込んで
「我々は正しいことをした、解放されたじゃないか」って
広告代理店使って世界にアピールするわけよ。

> >日本人に原爆・アメリカ許すまじの人はいるし、9・11テロをみて「ざまあみろ」
> >と思った人だっていっぱいいるよ。「戦争のおかげで」という考え方は私にはな
> >いな。
> >原爆を落とされたことへの怒りや憎しみはあるし、アメリカの思うようにはさせ
> >たくない、という気持ちもある。
>
> もちろんそれはわかってるよ。
> でも、私のようにも考えるのも、真理ちゃんのように考えるのも自由、で、それを普
> 通に発言できる、これは戦争に負けてアメリカが与えた新しい体制の賜物だ、って個
> 人的にはいつも思う。
> どんなにアメリカが嫌でも、現時点では、アメリカの与えた土台、つまりアメリカの
> 手のひらでああだこうだ言ってるわけで、自力でだったら相変わらず北朝鮮や中国み
> たいな国だったと思う。

そうかもしれない。だからっていつまでもありがとう、
いつまでも掌にのってなくてもいいじゃん。
乗ってられると思ってるのも危険。

> 原爆については、あの時点での人々の意識水準や戦争っていう状況、実際未知の兵器
> だった事なんかも考えると、仕方がない、っていうのが大きい、個人的には。アメリ
> カだけに、普通よりも高い今の時代のレベルのモラルを要求するのも変な話。あの当
> 時の日本が原爆持ってたらおんなじだったと思う。
> 日本が、あれがあって今があるのと同様、どんな国だって過去があってはじめて成功
> も失敗の未来に生かせるわけだからね。

アメリカだけに求めてないでしょ。
日本だって過去のことに拘られてるでしょ。
過去を仕方が無い、と考えるなら、現在もなお過去に拘るのも仕方ない。人間の業だよ。

> > > とにかく10年50年100年後のその国の国民が、あの時よりベターだって思える環
> 境の
> > > 下地を作れるなら、アメリカがやっている&やろうとしてることが悪とは私は簡
> 単に
> > > は言えない。
> >
> >そんなの誰にも言えないよ。アメリカは「正しい」って言ってやってんだし。
> >何年後に誰がベターって言うのか知らないけど、今そこに生きている人たちを殺
> >さないでくれ。
>
> もちろんそこに生活する国民がその国の中からそう思う、ってこと。
> 過去と比べてね。
> 日本に関しては少なくても私は「あの体制のもとの生まれないでよかった」って積極
> 的に思う。

私も思います。あの体制が良かったって人もかなりいるけどね。

> マイナスや失敗は人間である限り絶対ある。人間が構成する国家も絶対ある。それを
> 反省・2度と失敗を繰り返さないように機能する体制や人々の思想が健康でいられる
> 土壌、そんなものが大事。私個人はそう思う。

「失敗」を「失敗」ととらえない人がいる。政府がある。
国民にとって暗黒の歴史を「美しい時代」と伝説にしたがる支配者がいる。
「失敗」じゃないから繰り返してみたくなる。
「もうちょっとうまくやればもっと思い通りになるんじゃないか」
って考える。こわ。

> 戦争が大量破壊兵器で行われるようになって、あらゆる意識の国が、それを手に入れ
> る事が可能だと、やっぱりすごくその辺は私は難しいと思う。アメリカが正しいとは
> 言えないけど。

難しいからこそ、アメリカの掌でアメリカに譲ってばかり、
アメリカにゆすられて金出してるばかりは駄目なんだよ。
アジアの一員としてアラブやEUやアメリカ他と外交しなくちゃ、
と思う。

―引用終り。

これはMに確かめないとわからないが、何故「個人的に」って何度も断るんだろうか?
政府閣僚のように別に彼女の「公式見解」があるんだろうか?

 NHKスペシャル「亡命イラク人たちの戦争」を見て泣く。
アメリカのイラク人街に住む、亡命イラク人兄弟の兄は長年戦場カメラマンをやっていた経験からイラク攻撃反対派。
彼はイラクに残った息子を開戦前に出国させることができなかった。
息子の安否が心配でたまらない。

弟は嘗てはフセインからも評価されていた著名な彫刻家。フセインの弾圧を受けて亡命。
フセイン政権打倒のためのイラク攻撃やむなし派。反フセインの作品を制作している。

2人はカフェで激しく口論する。
戦争が始まって民間人の被害状況を見聞きして、弟の考えと作品が変わってくる。
兄の、まだ大学生の息子は戦渦をなんとか生き延びる。戦争が終わった。
しかしその後の混乱の中、略奪にあった息子は命を落としてしまう…。

Mにメールを書いた後にこの番組を見た。やりきれない。
もしかするとMは、イラクにも広島・長崎の被爆者にも知り合いも家族もいない「個人として」戦争やむなし「戦争ってそんなもんでしょ」と考えるのだろうか。
2003年05月17日(土)

『太古八』

 大学のゼミ仲間S君から頼まれ事。
引き受けたら、何年も前から行こうと言っていた『太古八』で、S君が接待してくれる。
S君は小説『やらぬ仲』の宇佐美君のモデルで、宇佐美君と「私」が最後の食事をするのが目白の『太古八』。

「じゃあ20時に目黒駅でいいですか?よろしくねー。」
とメールが来て、慌てて電話。
「ほんとだ。目白だ!オセロじゃあるまいし、ねぇ。」
間に合った。ああビックリした。

久し振りの『太古八』、美味しい。ご主人の羽賀さんも素敵。
S君も「このトマトはすごい!」と感激。「皮むいただけ」と羽賀さん。

 S君は私に頼み事の他に話したいことがあるのではないかと思っていた。
話し難そうにしているので、私が昨日のHとの喧嘩話をする。
「そんな奴は無視するべき」と言われる。会社のW君にも同じことを言われた。
「でも無視するのは嫌なんだよね。無視されるのって嫌じゃない?
子供の頃無視されたりしたことない?私は嫌だったんだよね。だから無視したくない」
「桜井さん、平等に見過ぎ。相手のレベルに合わせることはないよ」
「だって同じ年で、同じ受講生という立場で、向こうがちょっと先輩だけど駆け出しのライターで、同じレベルじゃない」
「違うだろ。明らかに桜井さんが降りてって、相手にしてる。それを相手はわかってない」
「うん、全然わかってない」
「そういう奴は桜井さんが何を言っても変わらないよ」
「それはわからないよ。変えようとは思わないけど、言い返したい」

 S君が漸く目下の悩みを話し始める。
聞いてみるとS君を悩ませているのも、Hと同じぐらいオコチャマで情無く嫉妬深い男。
Hとの違いは、それ程の馬鹿さ加減ながら権力を持っているところ。
なんでそんなのばっかりなんだ?
羽賀さんも一緒になって対策を考えてくれる。さすが。

羽賀さんが最近描いている作品を見せてくれる。色彩豊かな絵と遊び心のメッセージ。
S君が「たいしたもんですね」と言う。

羽賀さんのように粋な男もいるってことで、素敵な人との繋がりは大事にしたい。
2003年05月16日(金)

ジャーナリズム実践講座会議,『庄屋』,電脳キツネ目組は暴力団?

 会社の同僚Kさんが「今日は藤原竜也の誕生日ですね。知ってました?」とメールをくれる。
知ってますよ!しかし美輪明宏も美川憲一も5月15日生まれとは知らなかった。
美にまつわる人の生まれる日なのか。

 そんな日に何故こんな奴に会わなきゃならないのか、嘆かわしい。
「参加を見合わせるのは至極妥当」などと言っておいて会議に来ているH。
私の発言中は背中を向けているという、小学校の学級会並の態度。

喧嘩のきっかけとなった講座本のあとがきを「僕は書きたくない」と言うから
「ああそうですか。じゃあ当初の通り、私が再度書く」と言ったら
「売名行為は嫌なんだ。編集者として許せない」と言い始めるH。
「あとがきを書くことが売名行為だとして、何がいけないのか私にはわからない」と私。
「まさかと思ったけど、そうなのか。そんなものを僕は編集したくない!」
「で、あなたが書くの?いつまでに?書いたら見せてよね、あなたは私の見てるんだから」
「教えない。見せない。」
あのね…。人のこと「みっともない」って、みっともないのはお前だよ!

 終了後、事務局のYさんが「飲みに行く?」と言ったけど、Hと同席するのは嫌だから帰る。
しかしHは行くらしい。となるとある事無い事吹き込まれたら困る。
引き返して「やっぱり行きます」。

『庄屋』でもHのガキンチョ振りは呆れるほどで、私が彼に取り皿を配ったら、
彼は別の場所から自分で取って皿を置く。「お前の触った皿など使わない」って事か。
だから私も付き合って、他の人にはビールを注ぐが、Hと私はお互い絶対勺をしない。
くだらねー。

始め私の前に座っていたYさんが横に来る。私はHにではなく、Yさんに話す。
「どうしても言っておきたいことがある。H君は、私がH君に『あとがきを書くな』と言ったとMLに何回も書いていたけど、私はそんなことは言わない」
「言ったじゃないか」
「言わない。『書いたものを早く見せろ』と言った」
「嘘だ、桜井さんは『書くな』と言った!」
「言ってない!嘘つきはあんたよ!」
「絶対に言った!」
と大声で言い合いになる。周りの客が迷惑そうにこちらを見ている。

Yさん「わかった。で、H君が書かなければ桜井さんのあとがきが採用されるんだよ。」
H「書きたくないけど、桜井さんの売名行為のあとがきを編集したくないから書く」
私「書いたもの見せなさいよ」
H「見せない」
私「そんなの後出しジャンケンじゃん!ずるいよ!卑怯者!」
Yさん「確かに後出しジャンケンだな」
H「…」
Yさん「じゃあ、僕が受け取ったら桜井さんに見せるから。で桜井さんが書いたのも見せる」
私「いいですよ」

売名行為が許せないHはあとがきを無署名で書くらしい。
しかし、ものかきなんてすべからく売名行為じゃないのか?
「許せない!認めない!君は絶対成功しない!」とテーブルを叩いて訴えるH。
「あんたにそんな事言う権利ない!」
「編集者として譲れないよ、そこは!」
「ああそう。あなたは高潔で志が高くて、偉いのねー。頑張りあそばせ!」と私。

Yさんが「君たちは親しすぎるんだよ。近いからお互いの嫌な所ばっかり見えるんだ。
もっとお互いのいいところを見るようにしたら?」と言うので
「H君のいいところって何所ですか?文章がうまい?」と聞く。
Yさん「勉強熱心だよね。よく調べている」
私「ああ、それは認める。H君、あなたも私のいいところをYさんに聞きなさい」
H「聞きたくない」
私「ああそう」
H「まじめだとは思うけどさ」
Yさん「なんでこうなっちゃうのかなあ?」
私「H君が頭が悪いから」
H「俺は頭悪いよ」
私「相当ね」
Yさん「そこまで言う?」
H「でも桜井さんより頭いいと思う」
私「ああそうですか」

下らないやり取りはまだまだ続く。(昨年10月30日日記参照)

H「キツネ目組の人を使って僕に原稿を書かせないようにしたじゃないか!」
私「『書くな』なんて言ってない」
H「『キツネ目組の人がHをつれて来い、って言った』って言ったじゃないか」
私「言った。それは言った」
H「暴力じゃないか、それは!」
私「へ?『連れて来い』って言われたから『行く?』って聞いたら『行くわけない』『あ、そう』で終りじゃん」
H「キツネ目組の人たちは暴力も辞さない。それは圧力だ!脅しだよ」
Yさん「桜井さん、それは言っちゃあいけないよ。君だって住吉会が呼んでる、って言ったら行かないだろう」
私「そうなの?話は聞くかも。キツネ目組ってそんな暴力的な人たちじゃないですよ。単なるファンクラブですから」
H「いや、違う。彼らはいざとなったら暴力を辞さない。僕は桜井さんより前からキツネ目組を知っているんだから」
私「ふうん。でも『Hを連れて来い』って言ったのは出版社の編集者ですよ。私は編集者として相談したんです」
Yさん「何だ、そうだったの。H君、仕事のチャンスだったかもしれないのに」
H「そういうふうに言わなかったじゃないか!」
私「聞かれてないもん。聞かれれば言うけど『行かない』って言うから『ああそう』よ」
H「桜井さんは意地が悪いよ」
私「私はすっごい優しい」
H「宮崎さんの取材の後、僕を追い返したじゃないか!」(昨年10月20日)
私「私は宮崎さんと話があったの!」
H「あれは仕事の場だろう」
私「仕事が終わった後に時間をもらった」
H「僕だって雑談がしたかったんだ。聞き足りないこともあったんだ!」
私「エーエー、残念でしたねー。かわいそうにねえ。また会った時にお話いっぱいできるといいねえー。ああ、私って本当に優しい!」
Yさん「実は君たち楽しいんじゃないの?」
H、私「いいえ、全然。もううんざり。大っ嫌いです」
Yさん「君たちは暫く一緒に仕事はしない方がいいね。お互い成長して、また一緒に何かできればいいじゃない。あー面白かった」
H、私「Yさん、もっとビシっとやって下さい」
Yさん「よくわかった。お互い言いたいことは僕に言って。仲介になるから」

 帰って次期講座の講師予定の方にメール、本日の会議議事録を配信。
もう、こんなに仕事が速いのに「何もやってない」などとHに言われるのは
本当にムカツク。

Hは「俺はリスクを負った、桜井さんは負ってない。だから何も言う資格がない」
と盛んに言ってたが、もともと講座本のDTPを自前でやるのは「ゲイン」だったはず。
制作費が出て、それを山分けするなら3人より2人の方が取り分が多くていいじゃない、
という話をしたのを覚えている。
言い足りなかったと悶々。喉はヒリヒリ。
2003年05月15日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

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