シラスと『真理さんへ』,しのづかさん

 風邪が悪化。喉も痛い。

 たがたさんから贈られた釜揚げシラスのお裾分けを持ち帰ったW君、
知らないうちに家族にほとんど食べられてしまった!と嘆く。
今年W家はいろいろ大変なことがあって大揺れだったらしい。
更にシラスをめぐって家族が骨肉の争いになっては可哀想。
まだ残りが冷凍してあったので持って行ってあげる。量は前の倍ぐらい。仲良く食べてね。

 昨日たがたさんからプリントアウトした『人間(じんかん)到る所、修羅場あり』の原稿が届く。
『人間(じんかん)〜』は副題になっていて、タイトルは『真理さんへ』。驚いた。
A4で厚さ1cmぐらい。大作だ。

出版社Mのしのづかさんが「コピーするのも大変だからとりあえず持ってきたら」
と言ってくれたので早速持って行く。

M社の社食でハヤシライス。しのづかさんだけが残っている事務所でビールを頂く。

原稿をコピーしてもらったら66枚だった。
「往復書簡形式は面白いね。
桜井さんか、たがたさん、どっちかがブレイクしたら本にできる。
今出版は厳しいからすぐには無理」とのこと。
他にもいろいろアドバイスをくれる。

しのづかさんは元彼の友人だ。
「今日は彼の誕生日。電話してあげて下さい」というと早速受話器を取る。
他にもしのづかさんの仕事など四方山話。

「よくわかんないんだけど桜井さんは何がしたいの?」と聞かれる。
「自分でもよくわからないんです」としか応えられないのが情無い。
「いろんな人と会っていろいろやってるけどお金にしなきゃだめじゃない。
時間が無いんだから」
「それは人を利用するってことにはならないのかなあ」
「違うよ」
「双方利益になればいいのか」 
「そうだよ。信頼関係があってできることだけどね。
人を売り込みたいと思うならもっと考えないと」

有難い言葉だ。1時間半ほど話して帰る。
イルミネーションが美しい銀座の街を歩きながら考える。
「金はついてまわるもの。
本当に金が必要だったら『金が要るんだ』と言ったら集まってくるもんだ。
集まってこなきゃ来ないだけの話だ。日本国民全部の財布が俺のものと考えればよい。
『ちょっと金出せ』と言やあいい。」
という宮崎学さんの言葉を思い出す。
私のやりたいことってやくざのサービス業みたいなもんだろうか?

帰ってたがたさんの原稿を読み返したり、メール、日記で4時。これでは風邪は治らない。
2002年12月18日(水)

不快な人

不快を訴える人からのメールで考える。

> 私は私信を公開される事を不快に思うし、いつだったかなんたら画廊の「怖い」っ
> て書かれた人、緑さんも快く思わなかったのじゃないのかしらん。
> 人を不快にさせるためにHPを開設してるんじゃないでしょうに。

不快にさせるためではない。だけど、何人も不快にさせないように、とは思わない。
画廊の人には説明に行った。相手の話も聞いて、対処はした。
だけど和解することは出来ず、深くも長くも無いお付き合い(男女のではない)は終わった。

> 事なかれ主義がいいとは思わないが、桜井さんの戦い方は戦うために事を作って
> るよ。
> きつい事を言うが、Hさんの件も緑さんの件もあなたの文章表現力の稚拙からき
> ているのではないか?
> 戦う前の自分を磨くほうが先では?

これは感想?提案?助言?…批判か。私は葛藤を避けようとは思わない。
人間関係が壊れるのを避けるためにうまい文章を書けるようになりたいとも思わない。

実際私は何人も友人を失っているが,
一方でHPで多くの人と出会い、素敵な関係も作っている。
優しいメールをくれる人には暖かい気持ちで返す。やな感じ、と思ったらチクッと返す。
別れがあって、出会いもある。到って普通だ。
2002年12月17日(火)

風邪気味,『アウトロー・ジャパン4号』

 昨日は家でおとなしくしていたのだが、連日の夜遊びが原因か、風邪気味。

 朝は有楽町線への駆け込み乗車を失敗して紙袋の中身だけ車内、とってはドアの外状態になって焦る。「うそっ?!」と叫んだらドアが開いた。
御急ぎの皆様申し訳ありませんでした。

 宮崎学さんの連載を担当した『アウトロー・ジャパン4号』が届く。
高田馬場事件やらいろいろ思い出して複雑な気分だが、記事は面白い。
皆様読んで下さいね。

 早く寝なくちゃと思うのだが、3時過ぎる。
2002年12月16日(月)

ゴーマン対決

 10日の日記「緑考」を読んだ人からメール。

> やはり、桜井さんはちと傲慢だと思いますよ。

> 私も私信をワールドワイドに公開されるのはあまり快くは思いません。

だからメールは書かない、とか「この話は内緒ね」とするとか
公開されても構わないとるにたらない話だけにするとか、いろいろ方法はある。

なのに「『これは書かれると困るから話さない』『これは大丈夫』と考えながら話すのは嫌だから一切書くな」という方が傲慢だと思う。
負けずに傲慢な私が「それは約束できない」、
更に傲慢な緑さんが「じゃあもう一切話さない」となって決裂したのだから、
それでいいのだ。これも一つの方法だ。

1年を振り返ると、やはり私にとって緑さんとの決裂は一番大きな出来事だった。
私は書いて、緑さんは作品を作って、自分を癒して励ましていくのだ、きっと。
2002年12月15日(日)

indexgun.com 忘年会,映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』,『海峡』

 朝帰りでお風呂。浴槽で寝てしまって気がついたらお湯は水に。ブルブル。

午後まで寝て、お昼ご飯に麻婆豆腐を作る。失敗。
ソースは焦げているのに葱と豆腐は火が通っていない。酷い。

 映画監督の高橋玄さんのHP会員忘年会で新宿3丁目の居酒屋「かり屋」。8人ほど。
戦場カメラマンの櫻井靖子さんという人がいて、ブックを見せてくれる。
他にもグラフィックデザイナーの岡部暢哉さんや俳優で占い師の木下順介さんなど、
刺激的な人たち。
玄さんの話は「ホントにヤバイ」極秘話。
面白かった!けど実は最後の方あまり覚えていない。

 私は玄さんと話すのが苦手。ものすごく緊張して会話がぎこちない。
「別に」とか「知らない」とか言われるとシュンとなる。

 2:00から皆で『ギャング・オブ・ニューヨーク』のオールナイト上映を見る。
私はほとんど寝る。2回ぐらい大きな音で目を覚ましたが、何もわからない。
面白くなかったらしいが。

 終了後もう1軒。歌舞伎町で8時まで営業の居酒屋「海峡」。混んでいる。
スパゲティもコロッケもしめじバターも恐ろしく不味い。6時半頃出て、帰る。

多忙の日々も1段落かな。とりあえずゆっくり布団で眠りたい。
2002年12月14日(土)

東京忘年怪,檸檬屋新宿,Shibuya nuts

 会社の忘年会を蹴って、宮崎学さんの東京忘年怪。
新宿ライオン会館ビアレストランでしゃぶしゃぶ食べ放題。席が宮崎さんの向かいで嬉しい。

「桜井、来年は頑張れよ」と言われたので「はい。来年は本を出します」と宣言。
「恋愛の神様になるんです」と言ったら「失恋の神様だろう?」。とほほ。

 2次会は檸檬屋新宿。アルバイトが辞めてしまって元気の無い住枝さんが一人で
「何処に何があるのかわからない」状態。
それでもおでんとか焼いた海老とかお好み焼きらしきものとかいろいろ出てくる。
ぐちょぐちょの卵焼きかお好み焼きらしきものを見て、宮崎さんが思いきり顔をしかめる。

宮崎さんに「コーヒー入れてくれ」と言われて、コーヒーメーカーを見ると、
いつ落としたコーヒーなのか、フィルターも無く、カビが生えている。
仕方が無いのでスターバックスに買いに行く。

宮崎さんがロフトプラスワンに出ないことにした真相を聞く。やっぱりそうか。
他にも面白い話いろいろ。1月7日に勉強会をすることも決める。楽しかった!

 建築家修行中のyuhi君がVJを勤めるイベント「SYNCHRO」に行くので、
終電で渋谷に向かう。本日は一人。
宮崎さん→yuhi君というのは、素晴らしい13日の金曜日だと思っていた。

しかし、なんと眠ってしまい、気付いたら五反田!やはり悪魔の13日の金曜日である。
電車はもうない。タクシーは長蛇の列、しかも渋谷まで3駅もあってきっと高い。
交番で方向とだいたいの道を聞くと「暗いところもありますよ」と言われたが、
歩くことにした。
パ−ティー衣装は肩が大きく開いている服で、パンツも超ミニで寒くて辛い。
頑張って歩く。

1時間半ほどでやっと渋谷に出るがクラブ「Shibuya nuts」の場所がわからない。
ぐるぐる彷徨って看板の出ていない扉に入っていく人がいたので、続いて開けてみる。
そこだった。空いていた。yuhi君のVJで踊っている人はチラホラ。

トイレから出るとyuhi君がいた。
「五反田から歩いてきたんだよー。寒かったー!」と言ったら
「僕だったら無理。ようしません」と驚いていた。
「休憩なんで話しましょう」とのことで久し振りにいろいろ話す。
クラブでの会話は大音響の中なので耳元に口を寄せて大声で。ああ楽しい。来て良かった。

最後に少し踊って、フラフラになって帰る。
2002年12月13日(金)

釜揚げシラス,ロフトプラスワン,まだ言ってる

 たがたさんからお歳暮の釜揚げシラスが届く。
2袋あるので1つを会社に持って行ってみんなで一口ずつ分ける。大好評。
Fさんにはたがたの住所と電話番号を聞かれる。またたがたファンが増えた。
喜んでくれて私も嬉しい。

 ロフトプラスワンに宮崎学さんのトークライヴを聞きに行く。
「タブーなき道徳勉強会」とのことで宮崎さんと、「暗殺集団の元団長にして今や庶民の僕となった老狼」元護國團團長の石井一昌さんのお話。

教育について宮崎さんの提言「読み書きそろばん、あとは知識欲を満たすのを助ける」。
EUが共通教科書を10年以上かけて議論して作ったように、アジアも共通の教科書を作るためにガンガンやりあったらいい、とのこと。素晴らしい。

一人の質問者が「宮崎さんが求められてニコニコサインしているのを見て、可哀想に思ったぞ!お前らサインもらって喜んでるだけじゃなくて、手伝え!行動しろ!」と叫ぶ。

元祖反動右翼暴力団長の石井さんが「もうちょっと優しく言えないの?」
と言うのが可笑しい。
その質問者は意見を言って帰るのだが、帰り際に「宮崎さん、握手して下さい」。
サインはダメで握手はいいのか?

そして宮崎さんは「サインをするのも、こうして壇上から偉そうに話をするのも好きじゃない。
サインは営業を円滑にするためにするが、ロフトプラスワンに登場するのはこれが最後」
と宣言。
私が生宮崎学を初めて見たのはロフトプラスワンで、多分宮崎さんの初ロフトだったと思う。
感慨深い。トークショウはギャラ次第で今後もやる、とのこと。良かった。
宮崎さんは話すのは嫌いじゃないし、ギャラに拘る人でもない。
ロフトの何かが嫌なんだろう、と思う。

 ジャーナリズム講座MLに「指示に従って会議にて発言いたします」と書いたのに、
Hさんはまた

> なんでもいいけど、内輪もめをこれ以上、
> 外部に吹聴しないようにしてください>桜井さん   

と言ってくる。「メールでは返答しません」とだけ返信。
本当は「いやだね。みーんなにぜーんぶ言う」と書きたいが、我慢。
2002年12月12日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

My追加