散歩屋,映画『OUT』

 タイツアー手配。ゼミ仲間のS君によるとタイは日本からの海外旅行先人気第4位、
飛行機を取るのが結構大変で思いついてパッと行けるところではないらしい。
でも何とかなった。

 散歩屋に動きあり。これがまたニコニコしてしまう。
言ってなかったかもしれないが、散歩屋はもちろんお客様の秘密厳守である。
10月の無料お試しキャンペーンでお問い合わせ「0」だったのも
日記にいろいろ書かれると思われたのだろうか?そんなことはありません。
というわけで昨日の夜からゴキゲン。

 丸の内プラゼールで映画『OUT』を見る。映画の日なのに、それ程混んでいない。
面白かった。『愛を乞う人』と同じ監督で原田美枝子主演。
実は同じ監督の『ザ・中学教師』もずっと前に見ていた。
『愛を乞う人』が一番好き。目が腫れ上がるほど泣きながら見た。
『OUT』は笑ってしまった。

 家に帰って日記、メールでまた4時過ぎまで。
2002年11月06日(水)

朝礼,タイ・名古屋・大津・大阪全部行く

 10月いっぱいで本社に戻ったUさんの
「11月から心を入れ替えて、遅刻をしないで」との言葉を、
1日は目覚し時計の電池切れで果たせなかった。
今日から頑張ることにして、フロア引越し以来初めて始業時の朝礼に間に合う
(既に始まっていたが)。
3時間弱しか寝ていないので非常に眠い。その前日は18時間眠ったけれど、眠い。

 本日が宮崎学さん『マリコ TAKE OFF!』出版記念タイツアーの申し込み締切日。
何とかお金を作る方法は無いかと考えてみる。ずーっと、考えている。

難しそうなので名古屋・大津ツアーに安く行く手段を検討。バスは安いが時間が合わない。
JR東海が「ぶらっとこだま」という企画をやっている。
東京-名古屋\10,580→\7,900、東京-京都\13,220→\9,800。ビール1缶付きの料金。
これにする。12月の大阪は往復バスにしよう。
それにしてもお金がない。困った。何とかしなくちゃ。

 夜になって、急転直下、何とかなる。素晴らしい!
昨日、ザ・ニュースペーパー公演が開演2:00ということを知った2:15よりも大きな声で
「やったー!」と叫ぶ。枕を抱きしめすのこベッドに倒れこみ、足をバタバタバタ…!うぉほっほ。

昨日、電脳キツネ目組のMさんと「やりたいことや欲しいものがあるならいつでもどこでも
『やりたい』『ほしい』って言い続ける事だよね」と話していたのが本当になる。ああ嬉しい。
2002年11月05日(火)

夢版『バトルロワイヤル2』,ザ・ニュースペーパー,『ルノアール』,『炙谷』

 12:00近くに起きる。18時間ぐらい寝たのだろうか?
素晴らしい夢を見た。まだ製作中の映画『バトルロワイヤル2』が夢の中で登場。
あまりに面白い映画でビックリ。主演はもちろん藤原竜也である。舞台は学校。
で、こういう夢は初めてなのだが映画を見る夢ではなく、目の前で出来事は起こり同時に
「これは夢だ、映画だ」とわかっている。どんどん進行する物語。
全部覚えておかなくちゃ、と思いながらだんだん目が覚めてくる。
そしてほとんど忘れてしまった。しかしなんだかとってもいい気分だ。

 のんびりランチを食べて、さて、今夜はザ・ニュースペーパーの舞台にゲストで宮崎学さんが出る。
もしかしたら休日だから開演時間が少し早いのかも、と思ってチケットを確認する。

ぎょぇ!開演2:00。「なにー?!」時計を見る。2:15。
「まぁじかよー!」と部屋を行ったり来たり。18時間眠り続けて汗だく、髪もグチャグチャ。
こんなんで出掛けられるか?ダメ?行くか?行こう!と決めて14:30には池袋駅着。

14:50ぐらいだろうか、シアター・アプルの席に着いた時はまた汗ダラダラ。
もうどうだっていいや。

宮崎さんの登場には間に合う。バリッとしたスーツで今日は一段とカッコイイ。
私はよく宮崎さんの魅力について話す時「オヤジギャグを言わないところ」
と言うのだが、やっぱり面白い。
ザ・ニュースペーパーも面白いけど、台本がない宮崎さんの方がセンスは上なのでは。
ニュースペーパーもあまり稽古はしないらしいが。

終了後電脳キツネ目組のBさんとMさんに会う。
Mさんと楽屋を訪ねたが宮崎さんは既に帰られたとのこと。

 Mさんと『ルノアール』で関西突破塾や宮崎さんについて。
それぞれの「タタカイ」の話になり、『炙谷』で続き。ご馳走になる。

BさんもMさんもタイでの宮崎さんの出版記念パーティーには行かないらしい。
「行きたいですよねー」と話す。
宮崎さんとは何の関係もないがバンコク好きのゼミ仲間S君に電話してみる。
「11月はバンコク行かないの?」
「異動でめちゃくちゃ忙しくなって年内は行けない」
そうかあ。

 帰宅後、朝の4時まで『アウトロー・ジャパン』の作業。
2002年11月04日(月)

『NEPTUNE』,『THE DUBLINER'S IRISH PUB』

*2日の日記を書こうとすると考え込んでしまってなかなか進まないので、後回しにします。

 電脳キツネ目組のMさんに乗り場まで送ってもらって、6:15のバスで伊丹空港へ。
7:10のJASで帰る。家に着いてシャワーを浴びて出る。
バスや飛行機や電車では少し寝たが、かなり眠い。

 母に何度も「遅れるな」と念を押された、父親の七回忌。辰巳のレストラン『NEPTUNE』。
辰巳駅に着いた時は約束の11:30で、また怒られるかと思ったら母が改札にいた。
最寄の駅だと聞いた辰巳から10分以上歩いて、実は東雲駅からだと1分と聞いて
「勘弁してよ!」と私が怒る。

父方の親戚は北海道からも来ると聞いていたが、キャンセルになったらしい。総勢15名。
『NEPTUNE』は母の40年来の友人がやっているお魚の美味しいレストラン。
メニューは和洋折衷。この店は築地に行く前の特別な魚が手に入るらしい。
刺身盛り合わせ、たらば蟹、あなご焼き、太刀魚のソテー、牛肉ステーキ、松茸ご飯、
あとはなんだったっけ?私はもらわなかったが、たらこと筋子のお土産もあった。
ものすごい量でみんな食べきれなかった分をパックに詰めてお持ち帰り。

始めに母が「彼がなくなって、退職して、落ち込んだけどなんとか前向きにやってます」
と挨拶。私は最後に「私も会社を辞めて、今はアルバイトをしながら修行中です。
母は夫と死に別れましたが私も内縁関係を解消しました。
親戚を前にしてカッコ悪いですが、和解することなく逝ってしまった父親の、
人の目を全く気にしないところや、好きなこと、やりたいことをやるんだというところを
受け継いでいるとも感じています。
次は14回忌?あれ?十三回忌か、…もみんなで会えたら、
家族が増えていたりしたら楽しいかなと思います」と言って御礼を述べて締め。

 母がまだ飲みたいようなので叔父二人と従兄弟と5人で池袋のライオン。
ここは『THE DUBLINER'S IRISH PUB』という、英国パブ風の店。
会計もキャッシュ・オン・デリバリーで、外国人客も多い。

T叔父とはよく会うが、従兄弟のTとは久し振り。
私は小さい頃よく彼を苛めていたが、今も大変おとなしい。
エレベータの営業マンだと言うので
「どっかのビル行って、ちょっといたずらして『うちに任せてくれれば』とか
言ったりしないの?」
と聞いたら「そんなあこぎなことはしません」。

母方の親戚は学校関係者が多いのだが、
K叔父はボランティアで私設の夜間中学を主宰している。
日本語を習いに来る外国人も多いらしい。
「優秀な留学生が多いとは聞いてますけど、カッコイイ男性はいますか?」と尋ねる。
「うーん、そうねえ」とのことなので今度下心満々のボランティアに参加することにした。
母は「私はどうも嫌だわ。ピッキングとか、聞くじゃない」。
「彼らは窃盗団じゃないでしょ!」と私。

 家に帰ったのは18:00ぐらいか?すぐに寝る。
2002年11月03日(日)

関西突破塾,『TOP RANK』,『金龍』

 初めて飛行機で大阪に行ってみる。
「特割」でチケット代は新幹線と変わらないが、空港までのアクセスを考えると
やはり新幹線の方が便利かもしれない。とりあえず今回はお試しということで。
会場の居酒屋『くねんぼ』に着くと「今日は遅刻しなかったね」とみんなに言われる。

 本日の関西突破塾のゲストは辛淑玉(シン・スゴ)さん。
初の女性ゲストで、宮崎学さんの妹分で、テーマは「拉致問題」。
「濃く楽しい話をしようと思う」とのことだったが、お話は壮絶、強烈だった。

「人材教育コンサルタント」らしい、会社の研修のような、ナレーターのような
淀みのない声と話し方で語られる、凄まじい暴力と日本社会の理不尽さと国家への怒り。

「みんな、驚くほど近代史を知らない!学生も、じいちゃんばあちゃんも全く知らない!」
と言われるといたたまれなくなる。
辛さんを日の丸振って植樹祭で歓迎する田舎の善良な人たちと、
「石原慎太郎は行動力があるから尊敬できる」と辛さんに食って掛かる学生と、
私はどれほど違うというのだろう。

私は友人に、北朝鮮拉致被害者の帰国ニュースについての考えを聞かれて

「国家とは、政府とは、個人に対してどこまでも残酷なのだなあと思います。
日本の戦争とか、中国の文化大革命とか、北朝鮮とか、古今東西
国家はむちゃくちゃなことをして国民を苦しめる行為を繰り返すわけですが、
私や私達の世代はそういうことを全く知らないか、知識でしか知らない。
国家に翻弄される民という実感はまるでない。
そういう時代なのに、そういう社会なのに、あの人たちは
人生を国家に利用されて、自由を奪われて、これまで捨て置かれてきたわけですから。
想像するのは難しいです。

でも、家族との再会の笑顔を見ていると、人間の強さ、
『生きる』ことの意味なども強く感じます。

彼らと家族が安心して暮らせるよう、本当の気持ちが語れるよう、
一日も早く北朝鮮が崩壊したらいいと思っています。」

とメールに書いた。まるで他人事で恥ずかしい。泣きたくなる。
辛さんや苛められている人に「頑張って」とか「日本人みんなが意地悪だと思わないでね」
と声をかけるだけの人と、同じ程度の想像力の無さではないか。
宮崎さんに「評論家になるのはやめよう」と言われても、
私は一体何をどうすればいいのかわからない。

アメリカがアルカイダを生み出してしまったように、北朝鮮を生んだ原因は日本にもある。
だから在日朝鮮人の問題は日本人が解決しなくちゃいけない、と宮崎さんは言った。
「失敗だったのは、石原の『三国人』発言で『石原辞めろネット』を立ち上げた時に、
辛淑玉を前面に立たせてしまって…」と宮崎さんが声を詰まらせると、
辛さんが「兄ちゃん(宮崎さん)がいたからできたんです」と繋ぐ。
「石原を敵に回すことになったとき、みんな引いていきました。
兄ちゃんだけが残って、お金も出してくれた。
そういう人がいてくれるのと、いないのでは全然違います」。
ああ、だから辛さんは妹分で宮崎さんは兄ちゃんなのか。

弱いものを叩くことで強そうに見せているだけの石原とは全然違う。
涙や家族に当り散らしているという「弱さ」を隠す必要のない「正直な強さ」に揺さぶられた。
確かに「濃く楽しい話」だった。

 そのまま2次会。質疑応答の後辛さんは帰られる。
個人的にお話したいことがあったので残念。
朝鮮学校に通っていたDさんの話を聞いたり、
主催者のTさんにマッサージしてもらったり(極楽)。

 3次会は、この夜2度も名前を呼び間違えてしまったMさんの行きつけの店『TOP RANK』。
9人ぐらい。ここではAさんとお友達の「ファッションブランド残酷物語」を聞く。

それからMさんたちと「愛」について。
岡山の男性は、私が喧嘩している(11月30日参照)Hさんの言うことがよくわかると言う。
MさんはHさんのメールを見て
「めちゃめちゃ感情的じゃないですか。大嫌いか愛してるかですね」。
「大嫌いでしょう」と私。
「ラヴレターなんじゃないの?自分自慢してない?」って、そんなわけないでしょう!
みんな屈折しているなあ。男心は複雑だ。

4:30、店を出る。寒い。6人ぐらいでラーメン『金龍』。
オープンカフェならぬ、オープンラーメン。
というより、海の家のような、葦簾のない屋台のような店。つまり外。寒過ぎる。
私は注文しないでみんなに一口ずつもらう。美味しかった。
2002年11月02日(土)

I got Mama,『I GOT MERMAN』

 なんと、目覚し時計の電池切れ。
これは「心を入れ替えてはいけない」というメッセージではないか?
しかし睡眠はたっぷり取れたので仕事はハイペース、のつもりがそうはいかないのであった。

 今日の宮本亜門『I GOT MERMAN』を一緒に見に行く弁護士Mに電話をすると
「え?チケットなくしたんでしょう?」
「だから発行証明書もらって…。もしかして予定入れちゃった?」
「連絡ないからダメになったと思って」
「オー、そうだったの…。なんとかならない?」
「電話する」
ああ、大失敗。私のメール「なんとかします。心配かけてゴメンネ」で
私は連絡済と解釈した。Mは「ダメってことだよね」と念を押すのをはばかった。
そして当日まで連絡をしない私!もともとチケットを紛失した私!

そして怒涛のピンチヒッター探し。チケット代7,350円が入ってこないと困る。非常に困る。
ミュージカルに興味のありそうな知人に連絡、会社の人にも声をかける。仕事も上の空。

頼みの綱は母である。母は宮本亜門を見たいと言っていた。しかし彼女は多忙である。
今日も予定が入っているようで、電話に出ない。折り返し電話が来る。
「行くわ。今四谷行って目白行って帰ってきたところだけど」
素晴らしい!ヨカッター。助かった。

Mに連絡。Mには本当に悪かった。「これからはもっと密に連絡取り合おうね」と約束。
さて、これで集中して業務にとりかかるぞ。

ところが、「大変困っているので至急連絡を下さい」というメッセージを聞いた人々から
続々と電話がかかってくる。「お陰さまで解決しました」「あらそう」
お騒がせして申し訳ありませんでした。

なんだかすごい1日だなあ、まだ何かあるかもしれない、と思いながらお茶をすすっていると
茶柱が立っている。ほほほ。一人で微笑む。

 『I GOT MERMAN』は何度も再演されている、シンプルだけど素晴らしいミュージカル。
私は宮本亜門のハデハデの大きな舞台のものを見ているが、
これが彼の原点なのだなあと感動。
母も喜んでくれて良かった。お寿司もご馳走になったし。

 「3日(死んだ父親の七回忌)は絶対遅刻しないでよ」と母に何度も言われる。
ううう、緊張する。
2002年11月01日(金)

『とんがり村』,カラオケ

朝4時過ぎまでかかって日記を書いて、布団に入ってもなかなか寝付けず、
ほとんど眠らず出勤。
「心を入れ替えて」と言われたUさんの最終日なので、
遅刻しないで行こうと思ったが事故渋滞。

Uさんは約1年間の出向だった業務のマニュアル作りの最終段階。
「みんなの写真を入れるんや」とか
「タイトルの『サルにもわかる』はしゃれが通じないかもしれんからやめといた」
などと言ってるのでどんなものになるのだろうと思ったら、
マニュアルというより楽しい読み物だった。

スタッフ紹介で「仕事は恐ろしくマイペース」と書かれた私。わはははは。
チーム全員宛てのお別れの挨拶メールでも「遅刻はしないように」と釘をさされる。
ううう。頑張らなくちゃ。

マニュアルにも「合言葉は『今日もとんがる?』」という見出しで登場する
豊洲の居酒屋『とんがり村』で大送別会。40名ぐらいか。
全く会話したことがない人たちとも話す。面白かった。

カラオケだし眠いしお金もないので2次会は遠慮しようと思ったが、
フラフラとついて行ってしまう。
私は歌わないので一曲踊る。みんなも踊る。

「最後まで遅刻して済みませんでした」とUさんに謝って、お世話になったお礼を言って
「また矢沢のライヴで会いましょう」と約束して帰る。
2002年10月31日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

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