ジャーナリズム講座本
ジャーナリズム講座本のことが気になってOL稼業が上の空。
寝不足もあって作業ははかどらない。
議論をシュミレーションして、喧嘩メールを印刷して、いざ打ち合わせへ。
しかし議論はなく「みんなの意見はわかったから、H君にもあとがきを書いてもらって、
どっちを採用するか版元に判断してもらいましょう。恨みっこ無しね」
と事務局のYさん。Hさんも「それでいいです」。
あら、あれだけ「俺はいいよ」と固辞していたのに?
まあ私の原稿があまりに酷いからってことなのでしょう。
Yさんが抱えている出版関係の訴訟の話を聞く。
「原稿は依頼した時点で契約が成立しているんです。出版と原稿料支払いの義務がある」とのこと。
「じゃあ、私だって『あとがき書いて』って言われたんだから契約成立してるじゃないですか」と言ってみる。
「金銭的なことは言ってないでしょ」
「お金の話はしてないけど、掲載は前提じゃないんですか」
「それは原稿がダメならしょうがないじゃない」
ん?ダメと言ったのは権限のある版元でもなくボスのYさんでもないHさん一人。
「じゃあ、慰謝料請求しようかな」と言ってみる。黙っているHさん。
訴えられるのは自分だとは思っていないらしい。
しかし、この先Hさんと組んでやる仕事の話もあるし、2月ぐらいに1回打ち合わせをした
野球本企画はどうなるのかな。
私は野球本はシーズンとジャーナリズム講座本が終わってから?と思っていたが、
Yさん多忙につき、企画を寝かせることになる。そして次期講座は2003年1月開講と決まる。
岡山の男性が「こっちの編集後記は良かった」と言ってくれた「アウトロー・ジャパン」
を編集長からもらって、抱きしめて帰る。
「合資会社マリバール」の初めての仕事だ。嬉しい。
帰り道、やっぱり私の原稿がボツになったら「恨みっこなし」とはならないなあ、と思う。
「あなたの問題意識は陳腐だと思います」というメールを寄越して
ねじ込みに成功したHさんが書くあとがきは
「他に下積み的な作業をやってくれた参加者の心象を傷つけないように、
楽しい楽屋落ちネタか差し障りのないことを、無記名で書くに決まってる」
らしいが、「楽しい楽屋」なんて嘘、ドロドロやんけ。
たとえHさんのあとがきが「参りました」というぐらい素晴らしいものであっても、
執念深い私は一生恨むかもしれない。
帰って、直接言おうと思っていた喧嘩メールへの反論を返信。今日は3時。
2002年10月02日(水)
アクセス減,対決前夜
9月のアクセス数は1,000ちょっと。喧嘩もデートもしてないから?
と思っていたら最後に勃発。べつに日記を書くために喧嘩しているわけではないが。
> 対決も大変そう。すごいなあ。
> さくらいさんは戦う人なんだなあ。
というメールが来る。
喧嘩をする何倍もの人と仲良く穏やかにやってますので怖がらないでね。ニッコリ。
明日の対決(議論)に向けて準備と、メールで5時。
2002年10月01日(火)
プチ送別会,喧嘩メール
睡眠3時間弱でたまらなく眠い。仕事もはかどらない。だけど頑張って残業。
本日で退社する人たちのプチ送別会ということで社内で会費300円で飲む。
ジャーナリズム講座本の編集後記の内容を変えることを諭して下さっているらしい、
Hさんへの反論メール下書き。
2日に対決するのだが、口下手な私は言いたい事を整理しておかないと。
これは送信しないで直接本人に言う。
檸檬屋新宿の看板デザインをしたささきもと子さんより、
10月3日から毎週木曜日に毎日新聞の家庭欄コラムで
もと子さんのカットが掲載されることになったという連絡。
これはすごい。楽しみ。
2002年09月30日(月)
ジュビードゥビー,昼特急バス,喧嘩メール
10時にサウナの入り口で待ち合わせたが、連絡が無いので準備をしてからまた寝る。
11時過ぎ、NさんとEさんとサウナを出る。
「バスのチケットは無駄になっちゃうのかなあ」と不安がる私を心配して、
Nさんが大阪駅に付き合ってくれる。みどりの窓口。
「何とかなりますように」と強く祈ったのに、日頃の信心が足りないからか
「バスのことはわからないですね。多分(指定を取って乗り遅れたチケットは)
紙くずでしょう」。
バスの窓口をNさんが探してくれる。「お願いです、なんとかなりますように…!」
と受付の女性に最後の望みを掛ける。優しそうな人で、すごく申し訳なさそうな顔で
「なんともなりません…」。ああ、4千円しかないのに。新幹線で帰るしかないか。
何たる無駄遣いだ。
Nさんが「まあ、とりあえず飯食おう。可哀想だから奢ってあげる。
バスのチケット代は貸すよ。クレジットカード使うなら旅行代理店で買えばいいんだよ、
こっちこっち」と連れて行ってくれる。私はまだボーっとしている。
そうか昼発のバスもあるんだ。
「飯食う前に乗り場を確かめよう」
「スミマセン、何から何まで」
ちょっと落ち着きを取り戻す。往復新幹線で来たと思えばいいじゃないか。
大阪駅の駅ビルのオリエンタルカフェ『ジュビー・ドゥビー』(かな?)。
海鮮クッパ丼。一口目、ジャリッ。あさりの貝殻か石か?
その後も次々石が登場。大小黒白いろいろ。
Nさんに言うと「今5個目か、あと2つ、7個出たら幸せになれるよ」。
冗談を言っている間にどんどん出てくる。悔しいから1滴残さず食べて、
10個以上出てきたところで店員にクレーマークレーマー。
「申し訳ありません、御代は結構です」
「ほら!幸せになった」とNさん。
ああ、良かった。Nさんがいてくれて。
私一人だったらチケットが紙くずになったと知った時から途方に暮れていただろう。
お礼を言って、新幹線で帰るNさんと別れる。
13:30のバスで帰る。車中で『司法の崩壊 やくざに人権はないのか』読了。
20年かけて無罪を勝ち取った天道浩太朗さんの言葉に涙が止まらなくなる。
やはり突破塾は「お金がないから」といって欠席は出来ない、
私にとってとても大切な時間であり、学びの場だ。
帰宅後、ジャーナリズム講座のHさんから「あなたの問題意識は陳腐だと思います。」
というタイトルの長いメールが届いていた。
「自分が担当編集だったら、商業出版であの手の感情の垂れ流しは、間違いなく没にします。」とのこと。
Hさんがその判断に従うというYさんが、
「ネットでやり取りせずに顔をつき合わせて議論しよう」
と言っているのに、Hさんは何を目的にメールして来たのだろう。
「この内容はその議論のときに言ってください」と返信。
今日ももう4:30。寝なくちゃ。
2002年09月29日(日)
関西突破塾,趣酒彩菜『えーやんか(本町店)』,バー,お好み焼き,ニュージャパン
新幹線で新大阪。予定より1本遅いひかりになってしまい10分遅刻。
関西突破塾の今回のゲストは元諏訪一家系山本組組長で画家の山本集氏と
『司法の崩壊 やくざに人権はないのか』を上梓した作家の目森一喜氏。
山本さんはやくざを辞めてする事がないから絵を描いた、と言う。
負けず嫌いで死にもの狂いがモットーとは言うが
若い頃好きになった女の子のお父さんが絵が好きで、
気に入られようと思って絵を描いたのが始めらしい。
高校野球で「浪商のヤマモト」として名を馳せたのも、好きな女の子が野球が好き、
「そしたら甲子園出たろうかい」という感じ。
「やくざになったのも高倉健に憧れてですから。一番悪いのは高倉健ですよ。
やくざの世界は、映画とは全然違いました。」と笑わせる。
山本さんは、子分の子分の若い衆が持っていた拳銃の不法所持で共謀共同正犯に問われている、五代目山口組三代目山健組組長である桑田兼吉さんの支援をしている。
桑田さんは無実だ。
死に際は男として国家権力と闘う、と大きな声で熱をこめて話す山本さん。
本業の絵は3ヶ月篭って集中して描くらしい。葉書大で5、6万円とか。
実物を是非見てみたい。
目森さんの話で興味深かったのは9月17日の小泉訪朝の翌日に、著名な経営者クラブである「時局心話会」で 宮脇磊介という危機管理の専門家が行なった講演会の話。
宮脇という人は警視庁出身で中曽根や竹下の広報官を務め、アメリカとの繋がりも深い。
その講演で「日本の企業は暴力団と手を切らないから、日本は不況から抜け出せない」
というようなことを言ったらしい。
山本さんなどから言わせれば、権力が利用するためにやくざは生かさず殺さずおいてあるのだが、アメリカの意図は「ヤクザ・リセッション」である。
日本経済のお寒い状況は無能な政府のせいではなくやくざが悪い、ってすごい展開だけど
昨日の突然の株式会社東京ドームの暴力団との決別宣言も
この「ヤクザ・リセッション」の流れなのだろうか。
2次会の『えーやんか』で、時代小説家でライターのYさんに
問題の編集後記を読んでもらう。
Yさんはジャーナリズム講座を受講したこともあるから意見を伺ってみた。
「よく書けてるよ」と言ってくださる。「でもね、全然ダメだって言う人がいるんですよ」
と相談。
「まあ、そういう人の気持ちもわかるけど。でも本の性格からいうたら、
これでもええんちゃう」と他にもアドバイスを頂く。
本当は宮崎学さんにも聞いてみたかったのだが、
宴もたけなわで躊躇していたら帰ってしまわれた。
東京組の大半は2次会の後半に帰ってしまったが、
今回私は大阪駅発23:40の深夜バスを予約してある。
まだ余裕、3次会はおしゃれな感じのバー。久し振りに会うメンバーで、すごく楽しい。
ものすごく久し振りに会った岡山の男性に「夏の恋はどうなの?」と何度も聞かれる。
ううう。どうって、どうにもならなかったから「夏の恋」なんだよ、フン。
コピーライターのNさんと『あの日から世界が変わった ニューヨーク Good Bye 物語』を書いたたけちよさんにも編集後記を見てもらう。(訂正:10/4参照)
Nさんが皆に朗読してくれる。
「確かに自分のことが多すぎるかもしれないけど、自分が出ていない文章はつまらないよ」
とのこと。
さて、帰ろうかとなった時「もうバス間に合わないんじゃない?」と誰かが言う。
え?そう?今何時?ギョエー!23:50!!あまりのショックに腰が抜けそうになる。
がっくりしながらお好み焼き屋に入る。美味しい。
AさんとNさんが日本のヒップホップアーティストの話で盛り上がっているのを聞きながら
乗り遅れたバスのことを思い出すとどっと落ち込む。眠い。
4時前にサウナ『ニュージャパン』。混んでいる。
休憩コーナーの椅子もソファもいっぱいでAさんと私は湯上りの休憩椅子で寝る。
風呂のお湯とテレビと有線音楽の音が混ざって騒がしい。
明日の帰りをどうしよう、お金が無いのに何やってんだろう、という考えが浮かんでは
溜息、寝返り。
6時半にAさんは起きて帰る。私は1つだけ空いていた休憩コーナーの椅子に移る。
こちらは後ろの人が高鼾。だけどさっきまでより快適。9時までウトウト。
2002年09月28日(土)
激論
寝不足でフラフラだが、久し振りに定時に出社。
ジャーナリズム講座本の編集後記をめぐる激論は続く。
「業績ある書き手でもないのに、個人の内面や体験を前面に出した出版物は
みっともないよ。」
と言われて、ああそういうことか、と思う。
しかし、初めは「俺はいいよ、桜井さん書いてよ」と言い、
彼が「読者はこういうものが読みたいんだ」と言うのは的外れなのに、
ストイックに裏方に徹するべき、人格を排して書けと彼のスタイルを私に押し付け、
どんどん感情的なものいいになっちゃって、みっともないのはどっちだよ?
事務局のYさんは見かねて
「こういう議論はネットでは解決できません。2日に議論しましょう」とのこと。
さて、どうなりますことやら。
2002年09月27日(金)
母大丈夫?,激論
2時間だけ眠って会社。
家賃の一部を母に援助してもらっている。予定の金額をもらっていないのでピンチ。
電話すると「だって当座の分は渡してあるじゃない」
「いや、まとまって入ってくる予定でいたから。カードの支払いができない。」
「ヒッヒッヒ」
って何が可笑しいの?
「私もお金がなくてね。ヒッヒッヒ。旅行でカードでいろいろ買って18万だと思ってたら
28万でさ、ヒッヒッヒ」
「なにー?買い物し過ぎだよ」
「今、Hさんが来てるのよ。Hさんに借りようかしら。お金持ちだから、アッハッハ」
おーい、大丈夫か?頭がおかしくなったのかと思った。
ジャーナリズム講座本の編集後記、一度書き直しているので少し不安だった。
編集スタッフには概ね好評。かと思ったら、
一人に「大々的に名前を出しているのは面喰らった」と言われる。
彼は編集者は黒子に徹するべきという考え方らしい。
私は文芸編集ではないのだから、編集者は影の存在とは思わない。
で、どうする?という問いかけに「これでいいんじゃない?」という人たちもいるが、
彼は「こういうことを書いて欲しい」「こういうクレジットにするべき」と提案。
その提案も私には的外れに思える。
じゃあ、あんたが書けば?しかし、前面には出たくない、「裏方」に徹したい彼。
メール、日記で今日も4時過ぎまで。
2002年09月26日(木)
抱茎亭日乗
/ エムサク
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