打合わせ,高輪茂HP,緑考

 ジャーナリズム実践講座の面々と打合わせ。テープ起こしが遅れているお詫び。
檸檬屋新宿の宣伝。

 その場にいた官能小説家の高輪茂さんに「HP相互リンクしようよ!」と言われる。
官能小説ファンがMARIBARに?とちょっと不安だが、
高輪茂さんの「♂高輪茂の官能の館♀」はアクセス数も多いので楽しみだ。
http://homepage2.nifty.com/shigerutakanawa/
皆さんも訪問してみて下さい。怪しげな音楽とともにあなたをめくるめく官能の世界へ。
へへへへへ。

 講座のメンバーKさんは緑さんの個展に行って葉書を全種類買ったという。
私に薦められなかったとしても、HP「Midorium」を見たら個展に行ってたと思う、とのこと。
「そうだよね!あのページだって貢献してるよね!」
HP管理者の私には嬉しい言葉。しかし緑さんにとっては…?

 ロンドン時代の友人Mからメール。いろいろ考えさせられる。 

Mの言う「嫌がらせ」という言葉にはやはり拘ってしまう。
「嫌がらせ」とは憎いから、むしゃくしゃしたから、楽しいからやる行為なのではないか。
私は「ほれほれどうだ、まいったか」と
「嫌がらせ」に対する本人の反応を楽しんでいるわけではない。

悲しく苦しいのは自分で撒いた種じゃないか、と言われればその通りで
何もかも私のせいだ。
何人も私のやっていることを「嫌がらせ」ととるのは自由。
だけど私は「嫌がらせ」ではないと反論するし、
一番理解して欲しいMに「嫌がらせ」と言われ、緑さんに無視されるのは悲しい。
これは感想。

Mも緑さんも誤解しているのは、
「緑さんが『いや』と言って、私がそれを聞いているのにやっている」という点だ。
緑さんが「いや」と言って、私が「じゃあこうしよう」と言って2人で決めた状態で継続している、というのが正しい。
しかし私にも言葉が足りないところがあった。そこから解きほぐしたい。

これも認識が異なる点だが、私の日記に限らず一般論として、
公の場で名前を出して個展をやったら勝手なアーティスト論にさらされるのは必然だろう。
営業している蕎麦屋の味について、飲み屋の主人の営業方針について
あれこれ言われるのは当然なのと一緒だ。
そこで緑さんに疑問を投げかけた。押し付けたのではない。聞いただけ。

それがこんなにこじれてしまったもともとの原因は?と問われれば
緑さんがあんな緑さんで、私がこんな私で、
二人が出会ってしまったことに始まる、としか言えない。

緑さんと私は対等な友人で、(私は駆け出しだけど)ともに表現者だ。
緑さんがやりたいことを優先的にやって良いように
私もやりたいことを優先順位をつけてやって良いじゃない?
私が緑さんの言うことを聞くように
緑さんも私の望みをかなえようとしてくれてもいいじゃない?

緑さんを傷つけて、怒らせて、私も傷ついたし、悲しみも怒りもある。
でも私にはそれより大きな愛情がある。
「YESかNOかと言われたら、まあ好き」と言った緑さんは、今はどう答えるだろう。
「日記に書かれるなら答えない」か?
私と理解しあえるかどうかより先に、日記に書かれるかどうかを気にするのは大変悲しい。

緑考と、檸檬屋新宿オープニング14日連続出勤と、テープ起こしのプレッシャーで
さすがに疲れたのだろうか、22時過ぎに寝る。
2002年05月08日(水)

檸檬屋通常営業,絶交取り消し

 開店記念パーティーは昨日で終わり。
顧問税理士Sさんに教えてもらって本日から帳簿もつけ始める。
明日は久し振りの休みだがゆっくりはできないので、
住枝さんと従業員Aちゃんの誘いを断って終電で帰る。

 ロンドン時代の友人Mからメール。Mの5月3日のメールは絶交宣言ではないと言う。
ああそうなの。じゃあ、絶交は無し!

しかし私の意図はどうあれ日記に緑さんのことを書くのは
緑さんにしてみれば「嫌がらせ」である、とのこと。
そして緑さんが沈黙を続ける理由を教えてくれる。

私からMへの返信。
「Mが緑さんを思う気持ちはよくわかる。緑さんを『嫌がらせ』から助けたい、
守りたいんだよね。

だけど、日記に書くことは今は嫌でも長い目で見ればためになることかもしれない。
そうあってほしい。私と緑さんならそうすることができる、と思うから書く。

緑さんへの『愛の表現』を『嫌がらせ』と決めつけられて私も困惑し、
ショックで大変悲しく苦しい。

沈黙の理由も緑さんから聞きたかった。
普通の会話にも、必死の呼びかけにも答えないのは
私から見れば『無視』という『嫌がらせ』だよ。私も深く傷ついています。

緑さんやMから見れば私の方が乱暴者なのかもしれないけど、『無視』したり
『話しても無駄』と一方的に断つのは非常に暴力的なコミュニケーションの破壊行為だよ。

私は何回も、緑さんを理解したいと言っています。
そして緑さんにも私を理解して欲しい。Mにも。

繰り返します。私は(緑さんの立場を)考えてる。聞いてる。見てる。
何度も言っているのに『考えてない、聞いてない、見てない』と、
Mだって一歩も譲ってないじゃない。
私の主張なんて、説得されれば直ぐ曲げます。
ごり押しする気もない。間を取るとか解決方法も考えますよ。
始めに『1か0しかない』ではないって言ったじゃん。

ここが平行線のままでMに代弁させることは更に誤解を何倍も深めると思う。
私は緑さんから直接聞きたいし、直接言いたい。

誤解は解くことができるものだし、話すことは無駄じゃない。
理解したいという気持ちがあればね。
そこから解きほぐす作業は私と緑さんがやるべきだと思う。

だからMと緑さんが合意の上でMが代理として話を続けたい、
というのでないならこの件については直接緑さんと話すよ。
Mには必要なら報告する。どう?」

Mもアッパレだ。緑さんにも頑張って欲しい。
2002年05月07日(火)

(た)ちゃんのメール,檸檬屋新宿

 (た)ちゃんが、私とロンドン時代の友人Mとの決裂について心配してくれる。
改めて私と(た)ちゃんとの関係を考えてみる。

「こんなふうに比べたら失礼だけど、今回の(Mとの)絶交で、
(た)ちゃんはすごいなあと思いました。
私と(た)ちゃんは、相当激しくぶつかったじゃない?本音で。
それでもこうしてお互いを理解して仲良くしている。
関係を大事にするあまり本音でぶつかり合えないなら友達とは言えない。
そう思ったので絶交は悲しくないし、(た)ちゃんアッパレ!と思うわけです。」

(た)ちゃんちゃんからメール。

> だってたイせつなひとがたイせつぢゃん。蟻ヲみるみたイな出会いが、町には氾濫してるが、魂で繋がる関係って、目にみえなイワイヤーで繋がってるんだよ。私は、真理ちゃんのことがだいすきで、ただそれだけで、今まできたから…
> それに他人の個性って、そのひとの生命だから、大事にしたイ。好きなひとのだけね。私は、万人向きぢゃなイし、たくさん抱えるのはいやだから。あなたとは、特別なの…

涙が出る。心のこもった素敵な言葉は何より嬉しい。

 檸檬屋新宿開店パーティーは今日で終了。ソンコマージュさんの演奏も10日目、最終回。
亡くなったお父さん、お母さんに捧げる歌、別れの歌など弾いてくれる。
始めはお客さんがいなくてどうしようかと思ったが、途中で何組か来る。

 檸檬屋は住枝さんの店だけど、お客さんはそれぞれ「俺たちが支えている」と思っていて
(実際その通り)、それぞれの思い入れと要望があってバランスが難しい。
しかし住枝さんの方針はしっかりあって、
「1番は俺(住枝さん)、2番は従業員、3番が客」。
もしお店が潰れてしまったらそんなことは言ってられない。
そのギリギリのところがまた面白い。

「桜井さんたちも疲れたでしょう、これで何か食べなさい」と言ってくれるお客様もいて、
疲れが吹き飛ぶ。みんなで太古八に行くことにする。
2002年05月06日(月)

檸檬屋新宿vs太古八

 元恋人とよく行っていた、目白の「太古八」のご主人羽賀さんはギターを習っていたことがあり、ソンコマージュさんの師であるユパンキの名前も知っていた。

最近は全然太古八に行っていないのでちょっと躊躇したけれど、
檸檬屋新宿にお誘いの電話。飲みに来てくれる。

羽賀さんのギターの先生とソンコマージュさんは友人とのこと。
ソンコマージュさんの演奏はいつも素晴らしいけれど、今日は力が入っていた。

羽賀さんはすごく喜んでくれて、誘って良かった。私も嬉しい。

元恋人や母について住枝さんと羽賀さんと話す。2人はなかなか気が合いそう。
羽賀さんも楽しんでお店をやっているし、お酒と人が好きだから。

 クロレモさん来店。カウンターの上や中を片付けて見栄えを良くしなさいと指摘される。
座ってあれこれ注意を受けていると従業員Aちゃんが「桜井さん!来て下さい」と呼ぶ。

トイレに行ってみると流れが止まらなくなっている。タンクを開けると水が溢れ返る。
Yさんが助けに来てくれる。噴水ショーのような状態の中、奮闘。大騒ぎの末収まる。
クロレモさん「なんちゅう店や」。

 いつものように終電で帰ろうと思ったらAちゃんが「飲みましょう!」と言うので付き合う。
1時間だけのつもりが気付くと3:30。1時間だけ眠ろうと思って気付いたら6:30。
まだ飲んでいるAちゃんとN君を残して帰る。
2002年05月05日(日)

檸檬屋新宿

 私は大変涙もろい。女の武器にもなりゃしない程。
が、ロンドン時代の友人Mとの決裂については3回うるっと来て、2粒の涙で終わり。

 14日連続出勤も残すところあと4日。
住枝さんはかなり疲れており、今日はすっかりおとなしく、みんなが心配する。

ギタリストのソンコマージュさんは獣医でもあるので、
住枝さんに健康上のアドバイスをして、
音楽療法としてα波たっぷりの曲を1時間半近く演奏してくれる。

私が昨日お願いした「ギターよ教えてくれ」の歌詞も書いてきてくれ、
「深くは聞きませんが、彼女は何かあったらしいですよ。じゃ、奏りましょう」。

なんと贅沢なひと時と空間だろう。
世界的なギタリストが1mと距離を置かないところで、飲み屋の一従業員のために、
心をこめて歌ってくれるなんて。檸檬屋で働いてて良かった。
2002年05月04日(土)

ひびのこづえさんのメール,絶交

 大好きな衣装デザイナーのひびのこづえさんと、私のカリスマ美容師ベゴニアさんの
コラボレーションを夢見て、3月の初めに、つてをたどってひびのさんに
ベゴニアさんのCD-Rを送った。

ひびのさんからメールが届く。

> 私は、いたって人見知りで、なにか具体的な目的以外に初対面の方に会って
> 話をするのがとても苦手です。せっかくのご提案ですが、ご辞退させて下さい。

> 縁とは不思議な物で相性が合えばどこかで出会えると信じています。

とても丁寧な内容で、作品のみならず人柄に感激。
単なる素人の思いつきの提案にも誠実に対応してくれて、さすがだ。
ますます好きになった。
ベゴニアさんの存在と作品を知ってもらえただけでも良かった。
いつか二人が出会う日が楽しみ。

 ついにロンドン時代の友人Mから決裂のメール。

> 私はぜんぜん面白くない。
> もううんざり。
> 細かい議論をする時間もwaste of time。
> 真理ちゃんは自分の主張が正しいという場所から一歩も動かないという覚悟が
> あるということがわかった。
> コミュニケーションはインタラクティブじゃないと成り立たないと私は考えているので、
> もうムリだと思う。
>
> 根底にある一番大きな疑問は、以下。
>
> 人がイヤだと言っていることを、それが自分の主義であるからといって
> やり続けるの?
> 相手の意思は尊重しないわけ?
>
> 世の中にはそういう人もたくさんいる。
> でも真理ちゃんはそうではないんだと思っていた。
> みどりさんのためを思って、というスタンスではまったくないね。
> みどりさんに嫌がらせをしている状態だから。
>
> やり続けたいなら、お好きにどうぞ。
> 私はその考えとは相容れないので、これ以上何を話してもムダ。
> もうメールは要りません。

あああ、切られてしまった。不思議とそれほど悲しくない。
こちらも「お好きにどうぞ」だ。

 檸檬屋新宿では、世界的ギタリストであるソンコマージュさんの演奏会7日目。
「これは初めてやる曲です」と言ってスペイン語の歌詞を説明してくれる。

自分は変わらないのに、人は変わってしまうのだ
ギターよ教えてくれ

Mとのことを思い出して心に染みる。
演奏後、歌詞の全文を教えて下さいとソンコマージュさんに頼む。
「今日友達といろいろあって」
「感じるものがあったの?そう、じゃあ明日歌詞を持ってくるよ」
一瞬うるっと来た。やっぱり悲しいのかな。

Mに返信。

「大変不快な思いをさせてしまってごめんなさい。
面白くなければやめましょう。
しかし一方的なのはどっちかな、という疑問はあります。
捨て台詞にも言い返すのが主義なので、これで最後のメールにします。

私は相手の意思は尊重する。Mの意見も尊重する。そう何度も言っている。

『自分がやりたいことを人にやめてくれと言われたからすぐやめる』では
『主張』とは言えない。私は『自分が正しい』とは一言も言っていない。
そして『やりたい』『やめろ』『やめます』があっという間に成立することが
インタラクティブとは到底思えない。
『やめないならもういい』と切るなら、やはりコミュニケーションは不完全に終わる。

私は『緑さんのためを思って言っている』なんて
説教じみた傲慢な自己防衛のための言葉は使いたくない。
しかし『嫌がらせ』という言葉に反論するために使います。

緑さんが望むことだけやるのが緑さんのためだとは思わない。
『人とのつながり』を創作のテーマとしている緑さんにとって
こうした葛藤や対立が時間の無駄になるとも思わない。
Mが緑さんに対して抱いている気持ちをより深く知ることもできる。
緑さんのためを思い、Mのためを思い、やっていることです。

でも一番は自分が面白いからやっている。
私は本音で緑さんとぶつかってみたいんです。Mとも。

今までありがとう。楽しかったよ!
88年、ロンドンでの出会いの台詞「日本人とは話さない方がいいよ」は
非常にMらしかったね。
緑さんをめぐって決裂するってのも私たちらしいかも。
このMの去り方も非常にMらしいと思う。
私は悲しくないし(ちょっと嘘)、感謝してる(本当)。

さようなら、お互い好きなことをしよう!

ところで、チタン包丁は、どうする?」
2002年05月03日(金)

檸檬屋新宿,緑の回路

 今日もまた住枝さんは朝から飲んでいて、
昨日の停電の件で呼びつけた管理会社のトップを怒鳴りまくったらしい。
新宿−谷中−新宿−谷中へ行く途中で引き返して新宿。疲れているのにこれでは大変だ。

またしても「お好み焼きを焼け!」とか「俺の煮た筍を出せ!」とか言うので
私たちはビクビク。お客さんたちも慌てて「いらないですいらないです」。

 高橋玄監督のくれた「緑ちゃんの回路」メールをめぐってロンドン時代の友人Mと激論。

> まりちゃんの描くみどりさん像は、すでに本当のみどりさんではなく、マリちゃんが
> 「みどりさんはこうあってほしい」とか、「こうである」と決めたみどりさんになっているように私には見える。

「こうあってほしいというのはあるよ。緑さんはこうであるというのは無い。
多分こうじゃないかなというのはある。Mだってあるでしょ。
だけど緑さんはどうありたいの?というのが前提。」

> みどりさんが議論を不要としているといつ言った?
> 「彼女の回路では、彼女の回路が理解されることも必要としていない」というのは、
> 完全に間違った見解です。
> みどりさんは、常に理解したいし、されたいと感じて生きていると思う。

「そうだよねとも思うしそうかなあとも思う。確認したい。
緑さんは聞かれても答えないことがよくある。
一生懸命話しているようで答えていない。それはなんなのか?
あることを提案しても『嫌だ』というけれど、こちらに何故?とは聞かない。
自分が嫌な理由は一生懸命話す。それはこちらを理解しようとしていないから?
よくわからない。」

> 本物のみどりさんを知る人間なら、的がはずれているとわかる内容に対して、
> まりちゃんはどう思うの?

「明らかに違う部分には『間違っている』と言っている。怒りは無い。
よくわかりもしないのにあれこれ言われるのがアーティストなのでは。

重要なことは『回路は開かれているか、開こうとしているか』だよ。
それだけ、と言ってもいい。」

> まりちゃんや監督が作っているみどりさんじゃなくて、本物のみどりさんを
> 考えてみてよ。

「私はいろんな緑さんが見たい。もちろん緑さん自身が作っている緑さんも。
Mの緑さん像も面白い。」

> だけど、みどりさんの友人として10年も付き合ってきたまりちゃんが、
> 本物のみどりさんを見ていないんじゃないか?という疑問は、とても大きくなっています。
> まりちゃんが、最初に私にくれたメールで、そうではないよ、と言ったけれど、
> 私にはそう見える。残念だが。

「『本物の緑さん』というのがよくわからん。
私が否定したのは、私が『私=緑さん』とか、
『私の言うとおりにするべき』と考えている、ということです。
だから本物の緑さんを見ている!とは言えないし
本物を見ていないじゃないか!と言われても困る。

本物を見てからでないと物を言ってはいけないとも思わない。
間違ってたら『違うよ』と言えばいい。」

> まりちゃんのことを危険だと思うのは、たとえば、みどりさんがHPに名前を
> 出してほしくないとリクエストしたときに、それはできない、という反応をしたこと。
>
> みどりさんの解釈では、まりちゃんは、
> 1)アーティストはあれこれ言われるべきもので、みどりさんは
> アーティスなのだから公開されてもいいはずだ
> 2)HPのみどりさんは、みどりさんのことを書いているのではなく、
> みどりさんを通して自分のことを書いている
> というようなことを言ったらしい。
>
> でもね、
> 1)これは、マリちゃんが考えるアーティス論であって、すべての人が
> アーティストをそう定義しているとはいえない。
> &
> みどりさんはその定義には反対している
>
> 2)はよくわからない。みどりさんの話しか聞いていないから。。。
>
> まりちゃんが自分の立場からしか物を見ず、みどりさんの主張を、私はそう思っていませんだからそれには従えません、というスタンスでいるように見えるの。
> そのことが危険。

「1)私は緑さんの定義を聞いたよ。
私に反対なのはわかるけど、じゃあ緑さんの定義って?よくわからない。

2)日記は何を書いても『私のこと』を書いているのであって、
緑さんのプライバシー暴露が目的ではないし
全てを書くわけでもなく、書くべきこと、書いてはいけないことを
考えて書いている。全て私の責任に於いて。
名前が登場する人に対して聞く耳は持ってるよ。訂正もするし、配慮はする。

私は緑さんの立場については問うているし、理解したいと思っているよ。
緑さんだって自分の主張と違うことには従えないでしょう。

で、ゴメン、物分りが悪くて。
お互い『自分の主張と違うことには従えません』と言ったら何が危険なの?

私はもの書きになりたいのだから、
書きたい対象に『書かれたくない』と言われて『ああそうですか』
といって書かない方が危険だと思う。」

> 問題は、それがまりちゃんの定義で、みどりさんのものではなく、
> みどりさんがいやがっているのに、まりちゃんはその定義でみどりさんを
> 語り、他人にそれがみどりさんが納得している定義であるかのように
> 認識されていることが問題。

「私がアーティストを語るとき私の定義で語るのは当然でしょう。
他人は他人の定義で認識するんじゃないか?
私が緑さんを語っても『それでアーティスト自身はどうなの?』
って思ったりするんじゃないか?」

> みどりさんは「違うよ」といっているのに、マリちゃんは聞いていないよ。
> 聞かないようにしてるのか、本当に聞こえていないのか。。。

「聞いてる。何度も聞いてる。どこが違うのか、何で違うのか知りたいからね。」

> ホームページというツールが介在したことでも、問題が大きくなったと思う。
> まりちゃんのHPの上のみどりさんは、みどりさん本人ではないから。
> まりちゃんが定義しているみどりさんだから。

「問題は大きくていいと思う。何の問題も無いんじゃつまらん。
私の日記ですから当然『私の見た緑さん』であり『緑さんを通して語る私』です。
それを書くなと言うのは緑さんに作品作りをやめろというのと同じ。できません。」

まわるまわる緑の回路。これは閉じているんだろうか?読者の皆さんはどう思われますか?
2002年05月02日(木)

抱茎亭日乗 / エムサク

My追加