きっと どこかで
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2004年06月29日(火) 「光とともに」第11話(最終回)

「光とともに」のドラマは最終回で終わった。でも、エンディングは、普通のドラマみたいに、なんとなく終わるってパターンでもなかった。これから、光くんが利用できる施設の紹介のようなものもあったし、学年が上になり、担任の先生も変わり、また、仕切り直し、って感じ、現実感あるなあと・・つくづく思った。

光くんは、1年生を終えるまでに自主登校するという目標をつくり、それに向けて親子共々、毎日少しずつ、自分で判断して歩けるように、訓練をしていく。1年生もようやく終わりに近づいた頃、やっと、ほとんど自分一人で登校しても大丈夫になるまでになる。

担任の先生とは、お別れ。お別れの日、交流学級の子供達も一緒のお別れ会をする。そこで、一人づつ、将来の夢を発表する。光くんの場合は、言葉が話せないのでママが話しをする。将来の夢は、立派に働く大人になります、だったかな。

障害児を預かってくれる施設に、光くんを預けて、ママと担任の先生は、二人で映画を楽しむ。子供の扱いにも慣れている様子で、光くんも、行ってすぐに、そこの方と、楽しく遊び始める。

後任の先生は、校長先生が、障害児教育に熱心そうな先生を捜して連れてくる。その先生が後任になるかと思いきや、校長先生が急病で入院、後任の先生も違う先生となる。障害児教育のことなど、あまり理解がなさそうな先生。前途多難が予想される・・。で終わりとなった。


この日は、いつもより、時間を少し延長しての放映だった。何があるのかと期待していたのだが、中身は、どんでん返し。まあ、光くんの場合は、最初にいい先生に当たったんだよね。学校は、担任の交代というのがある。いつも、自分の子供と相性のいい先生ばかりじゃないってことかなー。

前任の先生が、書いてくれていたノートを見て「えーこんなこと、面倒くさそう」とか言って、壁に貼ってある写真などもはがしてしまった。まあ、こういう先生もいるんじゃないかな。前任者のやり方をあまり考慮しない先生。自分のやり方でやろうとする先生なんじゃないかな。

それに、光くんがうまく適応できればいいんだろうけどね。ママの反応は、不安そうだった。

これを見て、以前、とあるLD関連の親の会で、ある保護者の方が話をされていたのを思い出した。その方はこう言われていた。
「担任に当たりはずれがあるって言い方される方いますけど、それは、親のもって行き方で、良くも悪くも変えられるんですよ。私は、今まで、どの先生も、良い先生だったと思っています。最初、自分の子供の事に理解がなかったり、対応が悪くても、いろいろ話をする中で、わかってくれて、最終的には、いい対応をしてくれました。」

その方は、ある会の、お世話役をされていた方なので、さすが、そういったことが出来たので、会のお世話役もしているんだろうなと思った。

我が家の場合はどうだろう・・。結構、悪くないんじゃないかなと思った。私の場合は、子供が訓練を受けているリハセンターの方に学校に来ていただいて、校長先生や担任の先生に話をしていただいたというのもよかった、今の校長先生は、私が所属している親の会の代表の方をよく知っている様子だったし、今の担任の先生も、我が子のような子供の教育に熱心な先生(校長先生のお話にもあった)だなと感じられる。

保育園の時も、初めの頃こそ理解してもらえず、それこそしつけがおかしいのでは、という感じのいい方をされていたけど、終わりの何年かは、我が子に根気良く教えてくださる先生方が担任についてくださった。園長室大好きの子供でしょっちゅう園長室に出入りし、園長先生にもかわいがっていただいていたのではないかと思う。ちょっと迷惑だったかも、だけど。

我が子の場合は、あと、兄弟もいるし、いとこも同じ学校、保育園からの友達は理解してくれている。しかし、そうでない、あまり我が子のこと知らない子供達は、我が子の行動に、理解できないところがあるようだ。「不思議だなあー」といった感じで見ているそう。(いとこ談)

このいとこのクラスの子との間で先日ちょっとしたトラブルがあった。単なる子供どおしのけんか、程度にまわりは考えているようだけど、どうなのか。

これから、こういったトラブルは増えてくると思われる。のりこえる力を身につけた子に育ってほしいと思う。


2004年06月22日(火) もう一人の子供について

我が家には、発達障害の診断を受けている子供の他にもう一人子供がいる。あまりこの日記に登場することはなかったんだけど・・。というか、プライベートなことは、最近書くのはちょっと控えているせいもあるけど・・。結構、私を知っている人がここを見ているらしいことがわかったので・・。そんな気はなくても、失礼なことを書いていたりということも、あるようなので・・。それとか、知人のことで、ネットに書いてはマズイことを書いた事とか・・。いや、ひどい、という意味でなく、秘密にしていること(というか、一部の人にしか知らせていないこと)を書きこんでしまったりということもあったので・・。私は、そういうこと(あまり公にしてほしくないことだったこと)を知らなかったものだから・・。いや、注意しているつもりなんだけどね。だから、今は前以上に注意してマス。

さて、この子と、発達障害の診断を受けている子供とは、同性の双子。生まれた時、いや、おなかの中にいたときからずっと一緒。この子は、いつも側にいた。保育園時代は、同じ年ながら、障害を持っている子供の面倒を見てきた。おかげで、よく気が付く、お世話をするのも上手になっていたらしい。去年の担任の先生の話によると・・。「ちょっとおとなしいけど、人の面倒見はいいです。お勉強もよく出来るので、いろんな子が、この子のところに聞きに来て、そのたびに答えてあげて、疲れないかと思うくらいですよ。」とのこと。それと、私は知らなかったのだけど、去年、クラスでテストでの100点の数が、1、2学期、一番多かったらしい。3学期は2番になったんだとか。この子の勉強はほとんど見てやっていない。自分で、自主的にやっている。もう一人に手がかかるから、ほとんど見てやる時間がないのが現状だ。もー、私としては、こちらで手一杯といったところ。

だから、ちょいちょい、通常学級に通わせているのは、親である私の方が、大変だー、と思ってしまうこともある。

もう一人の子は、それなりに悟ってしまっている。困った事があったら、すぐ、言えばいいのに、それが出来ないのではないかと思う事があった。

学校に、検尿を持って行く日。朝、おしっこを、紙コップに取り、検尿用の採取容器に入れる。この子は、おしっこを紙コップにいれるところまでは出来たが、あと容器に入れることが出来ずに、泣いていた。泣いているのに気が付いた私は、どうしたのかとたずねると、容器に入れることが出来ないのだということだった。

すぐ、私を呼べばいいのに、それが出来ないのかな。いつも一人で何でもやっているから、困ったときは人の助けを借りればいい、ということを知らずにいて、たまに失敗して泣いたりしている。別にいいんだよ、そんなこと、失敗したって。失敗しながら、人はいろんなこと覚えていくものなんだよ。失敗のない人なんかいない。失敗したときどうするか、それを生かすことが出来れば、また一つ、成長したってことなんだよ。

失敗を隠すことも必要ないんだよ。(今は、そういう大人・会社が問題になっているけど)私など、失敗だらけ、隠すこともないので、悪く言われたり、叱られたりすることも人より多いかもしれないけど、(バカ正直ともいうか・・!)私はこうすることでしか生きていくことは出来ない。ウソをつくのは大嫌い。お世辞も苦手。だから、ホントに、いいと思った事はいうけど、おべんちゃらで人を誉めたりっていうのはないなー。(ほんと、損な性格かなって思うけどね)そんな私を分かってくれる人とだけ、付き合っていければいいと思ってる。だから、私のまわりは、口は悪いが、気のいい人が多い。私と同じように、生き方下手な人間なのかもしれないけどね。

そういうことを考えると、結構この子は、私より、利口というか、生き方上手なのかもしれないなあー。でも、困った時は、いつでも話してね、ってこの前この子にも話した。

どうしても、もう一人の方に手がかかってしまって、あまり面倒見てあげられないけど、同じように大切な私の子供なんだからって。

この子には、この子の人生を生きて行って欲しい。もう一人の子供の面倒を見るなど、あまり考えずに、生きていって欲しいと思った。

私自身も、あまり障害を持っている子供のことにとらわれず、ある程度自由に過ごしている・・。仕事をしている時などは、全く子供の事など頭にないし・・。(いや、仕事も結構忙しいというのもあるよ。)

小学校に入る時、クラス分けのことを質問したら、「双子は原則として別クラスにしてます。」と言われた。それで、初めて、二人は別々に過ごすようになったんだけど、今までは、この子が障害を持っている子供の面倒を見てきていたのに、それからは、他の子供達が面倒を見てくれるようになった・・。それを知って、自分の子供の面倒を他の子供がみてくれているの、ちょっと心苦しい思いだった。でも、それは、イヤイヤでなく、子供ながらにも、出来ない子に親切にしたい、という気持ちからなのかな、とも思えた。

今は、障害のある子も出来ることが増えてきて、障害を持っているなどという言いカがなじまないのでは、とも思えるようになってきた。診断名としてある、という程度まで・・。決して、普通の子と同じようにとまでは行っていないけど。

いろんな人のお世話になって・・。

いい出会いも多いなあと思う今日この頃。こういう子供達を授かっていなかったら会わなかっただろう人もいるから。


2004年06月21日(月) ミッシェル・ポルナレフのCD

今日は月曜日で、旦那はいつものとおり、仕事休み。近くの大型スーパーに新しく出来たCDショップに行って来たらしい。何でも、そこは、旦那の好きな昔の洋楽なども揃っているという話を聞いて、一度行ってみたいと思っていたんだとか。そこで見つけて買ってきたのが、「ミッシェル・ポルナレフ」のCD。昔好きでよく聞いていたらしい。私にはあまり馴染みがない。聴いたことのあるような感じの曲もあったけど。歌詞はフランス語だとか。そのCDを聴いた限りでは、曲調は、タンゴっぽい感じの曲、ジャズ風アレンジの曲、ポップス路線の曲といった感じの構成に感じられた。

そこで私も、以前買った、「ジョン・レノン」のCDを出して来て、その後、一緒に聴いた。旦那は、ほとんどの曲を知っていた。何年か前、イマジンという曲がジョン・レノンの曲ということを知り、それで買ったCD。他の曲はその当時はほとんど知らなかった。今日、改めて聴いてみると、聴きなれた曲が結構多い。ここ最近、ジョンレノンの曲の特集番組とかも多かったし、また、CMなどで流れる曲に使われていた曲もあったりして。

どうも、旦那は、昔の洋楽が好きのようだ。

さて、今日の話題といえば、台風の話は避けて通れない気がするけど・・・。

子供達は、天気予報で、警報が出ていたため、「臨時休校」。ちょうど旦那が休みの時でよかった、と私は思ったけど・・。仕事は休みにならないもんね。いつも使う電車も、午前中は止まっていて、旦那に、車で職場まで送ってもらった。

台風の影響があったのは、午前中までで、午後からは、次第に雲も少なくなってきて、帰る頃には、すっかり雨も上がっていた。


2004年06月20日(日) 障害者の過ごす社会は・・

昨日の話の続きのようになるけど、私は、養護学校や、障害児学級を否定するものではない。それが、普通の人達と、離れていて、そういう人達が存在する事すら、私は、子供の頃は知らずにいたのだ。私の小学校にも、障害児学級はあったが、卒業するまで知らなかった。卒業写真のアルバムに、そのクラスの子供達の写真が載っていて、初めて、そういうクラスがあったことを知ったのだ。

そういうのでなく、障害を持っている人を特別な人と考えるのでなく、うまく言えないけど、ごく自然に側にいてもおかしくない、そんな社会になればいいのになあと思うのだ。

障害者扱いすることには、ある問題点も指摘されている。自分は障害者なんだから、出来なくてもいい、となげやりな気持ちになる人もいるらしい。ある意味、それは正しいことなのかもしれない。出来ないこともある、と認めることはつらいけど、しかたないこと。でも、自分にも、できる事があるんだ、ということに気づく事、それにより、自信を取り戻すことが出来るし、それを利用して、社会貢献が出来るし、場合によっては、それを仕事にして、自活することが出来るかもしれない。

結婚前、私の父と旦那は、ある論争をした。不妊治療して子供を持つ事はどうなのか。自然に反する事、と旦那は反対した。父は、子供が欲しいという気持ちがあり、それを助けるために、考えられた事なのだから、と正当化した考えを持っていた。

今障害者が生きていくためには、医学の力の助けを借りていることも多い。それで、障害者が幸せに生きていけるなら、いいのではないのだろうか。人は誰でも、幸せになりたいと思っているし、そうなる権利も、あるのではないだろうか。

なんだか、障害者について考える人みたいになってしまっているけど(最近の日記)そんなに重度の障害者が近くにいないから、そんなのんきなことを言っていられるのだと思っている人がいるかもしれない。

昔、病院で栄養士として働いていた頃、植物状態の方とか、重度の症状の方の食事を作るのは、栄養士の担当だった。経管栄養食とかは、まだ理解できたが、ミキサー食については、どうも理解できなかった。ミキサー食をどのようにして、食するのか。ここの病院のミキサー食は、食事全部をミキサーにかけるというもので、とても食べられるものではない。(味も全部混じってしまっていて)他の方は、そういう指示だから、という答え。私には、こんなものをどうやって食べるのか・・。考えただけで、気の毒になってしまった。おいしくもない・・。

その後、病棟へ行かせてもらった。植物状態で、全く動かず、でも、目だけは開いている方もいた。植物状態とはいえ、感情もある程度あるのではないか、とも思えた。ただ、言ったり態度にしたり出来ないだけで。

植物状態の方は、飲みこむことすら出来ないため、口から管を入れそこに栄養物を流し込み、胃まで送り込む。直接胃に入るのだから、味など関係ないと思っているのか、とその時思った。

看護婦さんたちが、その方達の側に付き添っていたのだけれど、何かをするたびに、話しかけながらしていたのが印象的だった。物言わぬ人に向かって、話しかける、でも、それは、本人にも聞こえていて、何か感じているんだろうなと、思わずにはいられなかった。

看護婦さんに「この状態から、回復することはあるんですか?」というようなことを、その時、聞いた気がする。そしたら、「いや、ほとんどないんですよ。」と答えた。その時、ある植物状態の患者さんが、涙を流したように見えた。やはり、感情のある方もいるんだなあと思って、切なかった。そうでない、ほとんど、眠っているような感じの方がほとんどだったけど。

命の尊厳という言葉がある。植物状態の方についてはどうなのか・・。よくわからない・・今でも・・。やりたいこと、出来ずに生きていくのは、つらすぎる・・。


2004年06月19日(土) 「光とともに」第10話

この日のテーマは、いつも一緒にいる人以外の人と一緒に行動するということと、お金の感覚を学習して、お手伝いをしてお金を稼いで(一応)自分の好きな物を買いに行くということ。

光くんのママがドラマで、以前、「光よりも1日でも長生きしなきゃって思ってるんです。」というセリフがあった。でも現実は、普通に考えると、親は子供より先に死ぬもの。願いはわかるけど、あまり現実的でないなあと思っていた。

そしたら、今回のテーマ。光くんをママなしでも行動できる人間に、他の人のサポートでも行動できるようにという訓練。

光くんは「塩メロン味のお菓子」が大好き。これを、利用して、お手伝いをしたら1回10円もらえ、10個たまったら、光くんが普段一緒に行動していない人と一緒にそのお菓子を買いに行くという計画をたてる。

お手伝いは、お部屋の掃除。きちんとゴミをほうきで集め、ちりとりで取って、ゴミ箱へ入れる。出来たら1回10円。光くんは100円集め、それを持って、小学校の音楽を担当している先生と一緒に買い物に出かける。


今回も、子供と一緒に見た。おかげで、子供は次の日の朝眠そうだったけど・・。

光くんのような子供は、どの程度まで成長するのだろうか。日本の場合は、障害を持っている方は、あまり外で見かけることも少なく、情報も普通の子供を持っている場合は、ほとんど知らないことが多い。

それで、子供に障害があると医師から診断を受けた場合、ショックを受ける親御さんが多いのではないか。どの程度まで成長するのか、こういう人達の社会の受け皿はどうなっているのか、そういうことがわかれば、心配も少しは減るのではないかと思う。

アメリカなどでは、障害を持っている人も普通に大学に通っているという話も聞く。

日本の場合は、障害があるなら、通常のクラスでは過ごせません、そういう子供専用の学校があるから、そちらへ行ってください、という対応。それにいい点もあるのだろうが、一般の人は障害者がどのように過ごしているのか、知らずに過ごす。

それで、自分の子供が障害を持っているといわれたら、別世界へ行かなくてはいけないような感覚を持ってしまうのではないだろうか。障害を持っている人達もまわりの人達も、心豊かに過ごしているということ、もっとアピールしてもいいのではないかという気もする。


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