無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年01月27日(日) 寝ててもDVDだけは見る(^_^;)/アニメ『コメットさん』第43回(最終回)/DVD『マジンカイザー』3巻/『キカイダー01』3巻ほか

 今日はもともと日曜出勤の予定であったが、昨日があの調子だったので、欠勤届を出す。
 朝も起きられず、『アギト』の最終回を見損なう。……一応ビデオは仕掛けといたけどね。

 アニメ『コメットさん』第43回「瞳に映る輝き」。
 ああ、ついに最終回か。
 アニメ誌なんかを見てても、『コメットさん』を誉めてたのあさりよしとおくらいのもんだったけど、もっともっと、世間が認知していいアニメだったと思うぞ。ただ注文つけさせてもらえるなら、ラストはやっぱり地球と宇宙の問題に関わる話にしてほしかったな。ほとんどお妃選びの宇宙の話で終わっちゃったから。
 物語が終わってしまうのは淋しいけど、見損ねてた回(特に第1話!)を含めて、DVDでもう1回堪能することにしよう。


 『加藤夏季のファミナビ2月号』。
 『仮面ライダースーパー1』や『8マン』、『南くんの恋人』なんかの紹介。
 ナッキー(ハズい呼び方だけど、本人がそう言ってんだからしょーがねーや)は「『南くん』は私が『ステーシー』で共演した内田春菊さんの原作です」と紹介。でも、わざわざ自分が顔見知りであるかのようなことを言っておきながら、それ以上の具体的なコメントがない。さすがにじかに会って、何か含むところがあったのだろうか(^^)。
 今回、ナッキーのイベントでのコスプレの様子なんかも見せてくれてたのがなかなかに貴重。既に次の主演作も決まってるとかで、どうやら一発屋では終わらない感じなのが嬉しい。つーか、こんな短期間に主演映画が4本も連続するなんて、山口百恵、薬師丸ひろ子以来ではないか。
 あとは映画の出来がついてくるだけだ。とりあえずは『羊のうた』に期待しよう。
 

 DVD『マジンカイザー』3巻「甲児暗殺指令!」。
 ああ、もったいない、たった1話でガミア三体とも壊しやがった。
 一応原作通りの殺し方だから、キチンと作画してくれたのは嬉しいんだけど、やっぱり時間が機械獣大作戦の話になるわけだろう、だったら一体ちゃんと残しといて、次巻の引きにしてほしかったよなあ。
 けれどついに動くビューナスA原作版、そしてローリィ&ロールが見れたぞ。できたら原作みたいにあっさりした退場のさせ方じゃなくて、見せ場をいろいろと作ってあげてほしいもんだ。
 この分なら、次の次にいよいよブロッケン伯爵が登場するな。しかし飛行要塞グールはもう壊しちゃったし、どんなアレンジをさせるんだろう。


 DVD『キカイダー01 THE ANIMATION』3巻。
 わあ、冒頭でザダム死んじまったい。
 ホントに4巻で完結させるつもりだな。ミエ子も正体さらして死んだけど、そのあとがまにすぐさまリエ子・ビジンダーが座るってのはちょっと手っ取り早すぎるぞ。やっぱりどうしたってダイジェスト版になっちまう。……本気で、あとでロングバージョン作ってほしいなあ。
 つーことは、次巻完結、ワルダーもビッグシャドウもアーマゲドンゴッドも全部1話でってかい。……ムチャだよな、絶対。


 DVD江戸川乱歩シリーズ『白い乳房の美女/天国と地獄の美女/化粧台の美女』、立て続けに見る。
 毎月予約して買ってるDVD明智小五郎シリーズだけれど、LIMBのねーちゃんに「すみません、『白い乳房の美女』下さい」と言うのはちょっと勇気が要ったな。恥ずかしいとかじゃなくて、こういうのを堂々と言えるのはサドだと思うから(じゃあ私はマゾか)。

 『白い乳房の美女・江戸川乱歩の「地獄の道化師」』。
 タイトルに偽りありで、この白い乳房を見せるのが、お懐かしや片桐夕子なんだけど、劇中では「ブス」という設定。
 まあねー、このシリーズ、まだコドモ(ったって高校生だけど)で日活ロマンポルノの女優さんなんてグラビアでしか知らなかったわれわれに動く伝説のヌードをたくさん見せてくれてたからねー。
 そうか〜、これがあの片桐夕子か〜、という感じで見てたな、当時。
 でも、いくら実質的な主役が片桐夕子でも、それをタイトルロールに持ってくるのは憚られたんだろう、岡田奈々と白都真理のダブルヒロインを片桐夕子の前に持って来ている。この二人目当てで、「えっ? 岡田奈々が脱ぐの?」と思って見た人は、役の扱いの軽さにさぞ肩透かしを食らって激怒したことであろう。
 白都真理はこのときはまだ清純派だったので、ヌードは『人魚伝説』まで待たねばならない。でも確かにこの二人と並べられると、片桐夕子もブスに見えるよなあ。いくらポルノ出身とは言え、ちょっと扱いヒドくないか。
 しかしこれは断言してよいが、この作品、野上みや子役の片桐夕子と、綿貫創人役の蟹江敬三の二人で持ってるようなもんなんである。
 蟹江敬三、謎の彫刻家として登場し、あれだけ怪しい風体でありながら、実はいい人という意外性。いやあ、これって犯人の意外性以上のインパクトがないか(^^)。
 リーフレットも今回の蟹江さんの好演に一章を割いて、そのフィルモグラフィーを紹介しているのだが、「子供番組の宇宙人まで様々な悪役をこなし」とか遠回しに書かずに「ウルトラマンレオのブニョ」ってちゃんと書けよう。
 
 『天国と地獄の美女・江戸川乱歩の「パノラマ島奇談」』。
 人見広介が伊東四朗ってキャスティングもぶっ飛んじゃうけど、大野役が小池朝雄ってのがビックリ。映画版『恐怖奇形人間』でも同じ役を演じているのだ(リーフレットでそのことに触れてないのは片手落ちだな)。明智役者とか、波越警部役者ってのはいるだろうが、大野役者ってのは小池さん以外にはいなかろう。っつーかそんな細かい所に気づいてるヤツあまりいないんじゃないか。もっとも脚色のしかたが全然違うんで、小池さん自身、同じ役を演じてたという認識はなかったんじゃないかと思われるが。
 原作には実は明智小五郎は出て来ない、ということになっている。
 微妙な言い方をしてるのは、もともと明智を登場させる予定だったのが、出版社を変えて連載したために、出せなくなってしまった、という経緯を持つからである。で、原作の探偵の名前は「北見小五郎」。こんなに名前も設定も近いんなら、全集にまとめるときに明智に戻しゃよかったのに。
 映画『恐怖奇形人間』でも、大木実が「明智小五郎」として演じていた。原作を読まれる機会があったら、北見を明智と読みかえてみてもらいたい。多分、何の違和感も生じないはずだから。
 テレビシリーズはあくまで「美女」シリーズなんで、原作は相当脚色されて、本来の主役、人見広介は後半リタイアして、千代子役の叶和貴子に焦点が移る。清純派の叶和貴子が脱いだってんで、当時は話題になってたけど、芝居がどへたくそだから、脱ぐしかなかったんじゃないかと覚めた目で見てたな、私。このときもう大学生か。つーことは『ギャバン』のすぐあとだろうな。叶和貴子には子供番組に出たってイメージを払拭しようってハラもあったんじゃないかなあ。
 でも最近見ないぞ。どこで何やってる叶和貴子。
 映画版でも、ラスト、そのチープさで茫然とさせてくれたあの「人間花火」、ちゃんとこのテレビ版でも実にチープな花火を見せてくれます。ただし「おかあさーん」と叫んだりはしないので過度な期待はしないよーに。

 『化粧台の美女・江戸川乱歩の「蜘蛛男」』。
 乱歩の長編作としては最初期の本作が、この土曜ワイドでドラマ化されたのが18作目ってのは遅すぎる気はするが(『一寸法師』がドラマ化されないのは今やサベツに引っかかっちゃうから仕方がないとして)、設定的にほかの原作とカブると判断されたからだろうか。『悪魔の紋章』も似たようなもんだし。でもだったらどうして『魔術師』のコンセプト借りてくるかな。原作別に復讐ものじゃないのに。なんだか新機軸を打ち出そうとして結局旧態依然の話になっちゃったって感じね。
 その分、キャストで見せようという印象が強くなっている。
 ヒロインの萩尾みどり、このころは横溝正史の金田一耕助シリーズの映画化でも『女王蜂』でヒロインを演じたりして、ミステリづいていた。演技力がある人だから、ヤワな脚本ではちょっと使い方がもったいなかったが。
 あと、蜷川有紀に早乙女愛、志麻いづみ。いかにも脱いでくれそうなキャスティングだ(けどこの当時の早乙女愛はまだギリギリ清純派。脱ぐのは『女猫』を待たねばならない。蜷川有紀はもう脱いでたのに今回は脱がず。残念)。
 ついでに松原留美子(『蔵の中』主演のニューハーフ)も出てるが、こいつが脱いだら大変なことになってたろう(今どこに行ったかなあ)。
 男優陣も中村竹弥、中尾彬、山本學となかなか渋い。だからこれでもちっと脚本がよけりゃなあ。

 しかし乱歩の映像化となるとどうしてヌードがらみの話にばかりなっちゃうかね。


 夜になってようやく起き出す。
 しげと、ブックセンターホンダに寄ったあと、「浜勝」で二人して定食を食べる。
 混んでるせいだろうか、麦飯が炊きあがってないということで、ちょっと待たされる。白飯もあるのだが、「浜勝」に来たらこりゃもう誰がなんと言おうが麦飯が一番である(しげは白米しか食わないけど)。
 先に来たヒレカツとエビフライのセット、カキフライを横目にじっと待って、その間、味噌汁をオカワリしてハラをやり過ごす。
 今日は案外少食なしげ、私が麦飯を待っている間に、オカワリいっぱいだけでご馳走さま。まだ体調が本調子じゃないんだろうか。珍しいこともあるもんだ。


 雑誌『ドラゴンHG(ハイグレード)』vol.2(富士見書房・1000円)。
 それにしてもゼイタクな作りだよなあ。ほとんどの連載がカラーつき。
 探すのに本屋を何軒も回ったから、売れてはいるんだろう。目玉が『土ワイ4』に『ヴェルパーサーガ』とゆー、まだ覚えてる人いるんかい的な作品なのだけれど、富士見は今やもう、オタクの総本山みたいなもんだから、そっち方面への販促はうまく行ってるんだろう。
 けど、連載の弱さはやっぱり気になる。
 今号からの新連載、内田美奈子『宇宙の未来はグリーンだ』、風忍『新・地上最強の男 竜』と逢魔刻壱『ダーティペアピースメイカー』。
 内田さんは4ページしかないし、『竜』は今更だ。『ダーペア』もデザイン変えすぎ。
 『土ワイ』だけのために高価なこの本を買い続けるのもどうだかなあ、とは考えるが、カラーページが多いのがどうしても心惹かれる原因なんである。

2001年01月27日(土) 祭りの前


2002年01月26日(土) 食事中には読まないで下さい。/『ラーゼフォン』1巻(百瀬武昭)/『増量・誰も知らない名言集』(リリー・フランキー)ほか

 給料が出て何が楽しいって、そりゃ、本やDVDがいっぱい買えるから♪
 ……いや、「いっぱい」はちょっと、難しいけどさ(充分いっぱいだろう、という声はこの際、無視する)。
 体調は相変わらず優れないけれど、今日を逃すと、買い物に行く時間が取れない。
 しげは今日も練習、ということなので、一人で天神まで出かけることにしたのだが……。

 いや〜、自分の体調、甘く見てたね。
 地下鉄に乗るまではたいしたこたあなかったんだが、着いた途端、ハラが急に「ふんごろぴー」と鳴り出した。
 慌ててトイレに掛け込んだが、何しろ普通の便ではない。
 血便どころか、便はほとんどなく、ただ血がダラダラと流れてくるばかりだ。いくらケツをシメたって、まるで効くもんではない。
 ズボンを下ろして便器に腰かけた時には、既にパンツはぐっしょり血塗れ。
 しょうがなくパンツだけ脱いで、とりあえず便器に水を流してジャブジャブ洗う。血と便の匂いが交じり合って、臭いの臭くないのったら(臭いんだよ)。けれど、水だけじゃとても匂いは取れない。
 仕方がないので、外を見まわし、人がいないのを確かめて、洗面所で洗浄液をつけて洗う。……あ、下半身は当然ズボンのみです。
 なんだかなあ、齢四十になろうってのに、公衆便所の洗面所でこっそりパンツ洗うハメになるとはなあ。
 駐車場そばの、あまり目立たないトイレだったから、人は来なかったけどよ、ちょっとヒヤヒヤもんだったぜ。
 ともかく、匂いを少しでも取ろうと、よく絞る。
 ノーパンのままじゃさすがに下半身が落ちつかないので、とりあえずしっとりしたパンツを履いて、トイレットペーパーをフンドシのように腰に巻く。特にケツの穴付近には念入りに。要するにトイレットペーパーで作ったオシメである。
 これぞ生活の知恵(違うって)。
 でも実際に小一時間は持つんだからバカにはなりませんよ、トレペの吸収力。

 なんかなあ、しげはよく私が仕事休むのがサボリじゃないかって疑ってるけど、こんなケツにシマリのない状態で仕事したらどんな事態になるか想像してほしいもんだってんだ。

 え? 買い物はどうしたかって?
 もちろん買って来ましたよ。
 ちょっと「作業」中にシャツに染みがついちゃったけど、多分、福家書店のおねえちゃんも、ベスト電器LIMBのおねえちゃんも気がつかなかっただろう。匂いはトレペオシメでしっかりガードしといたし。


 ひと月ほど前から、縁があって、別名を使って、某サイトで謎の小説を連載してるんであるが、ここしばらく体調が悪くて原稿が送れないでいた。
 ようやく、停滞していた何回分かの原稿を書いて、相手に送る。
 即座に先方からご返事があって、望外なことにお褒めの言葉を頂いたのだが、正直な話、恐縮するばかりである。
 なんかもー、最近は自分の書いたものを書き散らしてて全然見返してないからねー。とゆーのも、前にも書いたか知らんが、過去の原稿を読み返したり、一回書いたものをしばらく寝かしといてそれから加筆訂正したりすると、しげが「卑怯」って言うのよ。
 しげに言わせると「推敲」は「ズル」以外のなにものでもないらしい。誤字だろうと、文章のねじれだろうと、一度失敗したらそれを訂正してはならんのだそうだ。私にはそんな考えの方がバカだとしか思えないし、自分の書いたものに責任を持つのは当然だと思うんだが、あまりにしげが「ズルだズルだ」とうるさいものだから、ホントにたまにしか見返さなくなった。それも「これは前に書いたかなあ」という確認のためだけである。

 だから、今、私の書いてる文章はほとんど「無責任」の産物である。そんなもんを人のホームページに送り付けて、あまつさえ掲載までさせてるんだから厚顔無恥もいいとこなんだが、それでも先方に喜んでもらえると素直に嬉しい。
 反面、私もしげと長年暮らしてきたせいか、しげのダークサイドにかなり影響されていて(しげ本人はかなりペシミスティックな性格です。でも会った人間にそれと感じさせないのは、マジで記憶力がなく、自分の暗い性格まで忘れてしまうからです)、「どうせ外交辞令なんだ、本当は原稿送られて掲載せざるを得ず、困ってるんだ、打ち切るきっかけを探してるに違いないんだ」とか、つい思っちゃうこともあるのである(しかし、こうしてみるとしげの思考法って、人間としてダメだよな)。

 ところが、そちらのホームページで久しぶりにチャットをしてみると、「次の展開はどうなるんですか?」と質問の嵐。しかも過去ログ見ると、私がいないときでも「おもしろい」と言って下さっている人が多い。
 チャットって、短い言葉でヤリトリしなきゃなんないから下手な外交辞令が混じる余地ないのね。
 わあ、ホントに期待されてるんだ。
 なんかなあ、実生活じゃあまり楽しいことがないんで、嬉しくてついつい涙まで出てしまう。
 期待に答えられるだけのものが今後も書けるかどうか分らないけれど、時間の許す限り、そっちのほうにエネルギーを割いていこうと思うんである。
 でも、これで「ヒキコモリ」になっちゃったりしたらシャレにならんなあ(^_^;)。


 帰宅したしげに、「いやあ、今日はいっぱい血が出ちゃった」という話をしたら、「で、その血塗れパンツはどうしたの?」と聞かれる。
 「洗濯に出したよ?」
 「……オレの洗濯物も一緒に?」
 「もちろん!」
 「いやあああ! オレの服がきちゃなくなるううう!」
 「大丈夫だよ、二度洗いしてるし」
 「うんちがつくううううう!」
 「つかねーよ!」
 実際、洗ってるんだから汚れるわけないじゃん。何を勝手なこと言ってんだか。
 しかしなあ、自分の○○○○○○○○○○○は平気で私の洗濯物と一緒に洗うくせに、私のときだけ嫌がるというのは理不尽だよなあ。
 ウチでは便所掃除も風呂掃除も私の担当(つーか家事全般を結局私がやることが多い)んだが、汚いとこは全部他人に押しつけて自分だけキレイでいたいってのはやはり人間として間違ってる。
 「洗うのは洗っといたんだから、せめて干すだけは干せよな」
 「いやあああ!」
 「いやじゃない! じゃあ何もかもオレに押しつけて、おまえはこのウチで何をするんだよ」
 「……たまにするもん」
 「してねーよ! 自分の妄想の中で生きるなっ!」
 でもやっぱり、この洗濯もずっとほったらかすんだろうなあ。
 仕事の送り迎えもしょっちゅうサボるし、予想してた通り、日々の生活費は車を買う以前より逼迫してきてるのである。
 必然的にしげに渡す生活費もカットせざるを得ないが、それくらいは覚悟しておけよな。このバカ妻め。


 晩飯は「一番カルビ」で焼肉。やっぱりハラのことなんて全然考えてない……というより、うどんや雑炊食っても、薬飲み続けてもまるで治る気配がないならなに食ったって同じだ。
 しげにはロースとカルビの赤身肉、私はもっぱら牛ホルモン。狂牛病をこれほど気にしてない夫婦もそうはおるまい。


 マンガ、BONES・出渕裕原作、百瀬武昭作画『ラーゼフォン』1巻(小学館・560円)。
 百瀬さんって『マイアミ★ガンズ』の人なのだね。アニメの方しか知らんけど、こんな細い線であんな骨太のギャグやってたとは意外や意外。
 しかし中味はっつーと、つまんなくはないけどどうも入れこめる要素があまりないなあ。

 2015年、東京。
 突然始まった「外」との戦争。
 東京は実は時間の流れの違う閉ざされた世界だった。
 本当の世界の流れは2033年。
 謎の美女・遙によって外の世界に連れ出された高校生・綾人は、自分が「ラーゼフォン」と呼ばれる巨大なロボットの搭乗者として選ばれたことを知る……。

 なんつーかね、例えて言えばアヤナミのいない『エヴァンゲリオン』、ルリルリのいない『ナデシコ』を見ているような印象か。
 つまり、ストーリーのカギを握る謎めいたキャラがいないのね。
 ああ、いや、一応「クオン」って美少女キャラがいるにはいるけど、デザイン的に燃えないっつーか、どのキャラも似たり寄ったりにしか見えなくてさ。
 百瀬さん、キャラの描き分けがうまくないぞ。女の子キャラが髪型だけでしか区別出来ん。まずい絵じゃないけど、もうひとつ、華がないよなあ。
 アニメの方のキャラデザインは山田章博だってことだけどどんな出来なのかなあ。福岡じゃ木曜の夕方4時25分(東京じゃ月曜だそうだが)からの放送なもんで、『七人のナナ』を仕掛けている私は、まだ見たことがない。
 ううむ、誰かアニメの方見てる奇特なやつはいないか。


 マンガ、あさりよしとお『HAL はいぱあ あかでみっく らぼ』2巻(完結/ワニブックス・840円)。
 単発の連載が増えてきたなあ、あさりさん。長期連載する気力が続かなくなって来たのかなあ。『カールビンソン』が再開される気配もないし。
 『HAL』もネタ的にはもうちっと続けようと思えば続けられるネタではあるのだ。3巻くらいならキリがいいのに2巻となるとやっぱり打ち切りか? と勘繰りたくなる。
 別につまんないネタじゃないと思うんだけど、あさりさんの作風って、どこか若いころの立川談志に似てるのな(←乱暴)。客イジって遊んでるとゆーか、客の無知をさらけ出してものわらいにするとゆーか。
 まあ、バカにされて喜ぶ自虐的な客ばかりじゃないから、「何様のつもりだよ、エラソウにしやがって」と反発する客も出てくるのは自然の流れだ。それが、あさりさんにSFファンはついても、メジャーになりきれない理由だろう。
 でも、あさりさんのようなSFギャグを真っ向から描いてくれるような作家さんがくすぶってるってのは、SFの裾野が意外に狭いことの証拠だって気がするのだ。
 当たり前の話だが、SFのパロディはそれ自体、SFになっていなければならない。永井豪しかり、吾妻ひでおしかり、とり・みきしかり。先達たちが役目を果たし終えたかのようにリタイアしている今、あさりさんをもっとプッシュしてくれる出版社はないもんだろうか。

 近代科学が錬金術と密接な関係を持って発達してきたことは周知の事実だ。
 合理主義の象徴のごとく語られがちな科学が、意外にいかがわしいのは、例の大槻教授を例に出さなくても、知ってる人には自明のことなんである。
 擬似科学と科学の境界線なんて、専門の科学者にだって区別できないのではないか。つーか、あんたがエセ科学者でない証明なんて出来るのか? そうあさりさんは「科学」そのものに対して挑戦状を突きつけているかのようだ。

 冒頭の「冷凍睡眠技術」の胡散臭さ、あさりさんはギャグに仕立ててるけど、これって、「科学」の名のもとに合法的に行われてる殺人なんだからね。
 現実に治療不可能な病気にかかって、コールドスリープ状態に入ってる人々はたくさんいるらしいのだが、彼らを蘇生させる技術は現代科学にはない。つーか、「死体を蘇生させる」技術が発明されない限り、それは不可能なんだよね。冷凍させてる段階でみんな死んでんだから。
 そんなん科学でも無理だろう、と常識的にはそう判断しちゃうんだけれど、それが「科学」という言葉の持つ魔力だ。「未来の科学技術に期待する」……つまりは「科学はどこまでも進歩する」「いつかは全ての病気が治療可能になる」という根拠のない願望……いや、「信仰」だね、それに基づいて、嬉々として彼らはコールドスリープについたわけだ。

 今でも科学は庶民にとっては錬金術なんじゃないか?
 私だってパソコンの仕組みなんか全然知らないのに、こうして使ってるし。魔法の箱と変わりゃしないがね。
 このマンガのラストで、博士が「21世紀になったのになア…なんか科学の力は行き詰まっているよな」と切なく呟く。科学の発達は同時に科学の化けの皮がはがれていく歴史でもあった。
 宗教にハマった人間があるときふと、「今まで自分は何をやってたんだ?」と目覚めるように、結局は科学も人の心が作り出した「夢」に過ぎないことがわかってきたのだ。
 それでも、我々は「科学」に一縷の「夢」を見る。
 オウム信者が「それでもグルの思想自体はスバラシイ」と言い張るように。
 「夢」を語る者たちが須らく切なく見えるのは、どんなにささやかなものであろうと、それにすがりつかねば自分の心を維持できないくらいに、彼ら自身が脆弱な赤ん坊であるからだ。
 夢見てるヤツって、ママのおっぱい恋しがってるのとかわんないのよ。その夢がいろんな所で破れていく。われわれは赤ん坊のまま放り出される。それでもわれわれは、ママに捨てられたくなくて、相変わらずおっぱいを求めてさまよっているのだ。
 われわれは次に、何にすがりつけばいいのだろう?
 答えのない時代はもう始まっている。
 

 リリー・フランキー『増量・誰も知らない名言集』(幻冬社文庫・520円)。
 こんなに薄いのに520円。216ページしかないじゃん。
 でもまあ、中味がおもしろかったからいいや。
 イラストレーターとしてのリリーさんは(こういう呼び方すると、タイガー・リリーみたいだな)よく知らない。私の認識はあくまで『サウスパーク』のキリストの声の人である。
 しかしキリストをやるだけあって(別に関係ないけど)、世の中に対する目の付け所も一味違うスバラシイ人だ。

 ここに集められてるのは全て「日常」の言葉だ。有名人は誰一人いない。
 けれどわれわれはともすると過去の哲人よりもそこいらのオッサンの言葉の方に何とも知れぬ「重み」を感じることがある。
 リリーさんが採取した「名言」は、例えば次のようなものだ。

 「別にあやまらねぇよ……」
 「感動してるんだァ!!」
 「中で出してないから、ヤッてない」
 「だって、上の方だけだもん」
 「もうちょっとで損するところだったよォ」
 「オレはここでいいからっ!!」
 「女ってさぁ……。なんかヌルヌルしてるよなぁ……」

 もちろん、それらの言葉がどのようなシチュエーションで発せられたか、逐一説明はされている。しかし、それを読む前にこれらのセリフをじっくりと噛み締めて読んでもらいたい。果たしてどのようなシチュエーションでその言葉が発せられたか想像してもらいたいのだ。
 そして、改めて、本文を読む。
 そこには予想もしなかった世界が待ち受けている。
 例えば、最初の「別にあやまらねえよ」。
 誰がどんな状況で発したセリフかお分かりだろうか。
 これ、リリーさんのビルの前で、野グソ(いや道グソか)してたホームレスのおっちゃんのセリフなんである。
 ……えーっと、どういう思考なのだろうかこれは。「ウンコがしたかったんだ、だからしたんだ、おれはホームレスだから世界がおれの便所だ」、そう言いたいのだろうか。それともただの照れ隠しか。
 リリーさんは言う。「何の意味もない」。
 多分そうなんだろうなあ、この「意味がない」という点において、この言葉は実に奥深いものとなってるって思うんだけれど、こーゆー感覚、おわかりいただけるだろうか。
 しかし、ウンのついた日にウンの話を読むことになるとはなあ。なんと西手新九郎であることよ。
 
 われわれのセリフはほぼありふれた、陳腐な言葉で占められているのかも知れない。誰もが似たようなセリフをどこかで発してるかもしれない。
 しかしそのシチュエーションはまさしく千差万別、各人各様であるはずだ。
 だとすれば「名言」はわれわれのそばにも転がっている。
 そう、日々のウンコの間にも。

2001年01月26日(金) 夢の通い路


2002年01月25日(金) 遊び倒す病人夫婦。バカである。/映画『修羅雪姫』

 まだ本調子ではないが、なんとか仕事には復活。
 周りの同僚、気を使ってくださる人と使わない人と、キレイに別れる。まあ、休み明けにはよくあることだ。
 過去の日記を読み返してみると、ホントに一月に一回くらいは病気で仕事を休んでいるので、実際に職場に迷惑をかけてることはかけてるのだが、それでも若いときのように無理して仕事に行くことはしなくなった。
 なんつーか、「私がこんなに頑張ってるのに」って僻んだ目でしか病人のこと考えない人間のことを気にしたって仕方がないっしょ。

 下血はもう2週間近く続いたままだ。
 うどんや雑炊とか、消化にいいもの食っても血は出てるので、多分、どっか腸内の内壁のどこかが破れてるんだと思うが、薬を飲んで自然治癒を待つしかないんである。
 要するに安静にして寝てるしかないんですけどね。仕事してて「安静」になんかできるわきゃないってば。でももう、これ以上は休めないから、たとえ下半身が血塗れになろうと、気張って行くしかないんである。
 とか言って気張ってたら、ああ、また下血が……(´o`;)。


 迎えに来てくれたしげも、まだ体調がよくなってない。
 「今日、映画行けないっぽいよ」
 「どうして?」
 「職場の飲み会があるから」
 「行きたくないから断ったんじゃなかったの?」
 「……風邪引いてたのに、そんなこと伝える暇なかったよ」
 「じゃあ、俺一人で映画に行くしかないなあ」
 しげは無言だが、淋しそうである。
 

 しげが仕事に出かけたあと、出かけようかどうしようか迷うが、結局行くことにする。見たい映画が目白押しなもので、チャンスは逃したくないのだ。
 もっとも、できるだけしげが「おいてきぼりにされた!」と悲しんだりしないやつを選ばねばならない。
 悩んだ末にAMCキャナルシティ13で、映画『修羅雪姫』。
 これも釈由美子主演なので、しげが「私をほったらかして若い女に走った」とか文句つけられる心配がなくもないが、私はそれほど釈のファンってわけでもないので、この程度は許してもらいたい。
 小池一夫(誤字ではない。当時は「雄」ではなく「夫」を使っていた)、上村一夫の原作とは時代設定を変えて、近未来SFアクション(という触れ込み)として仕立て上げたとのことだが、それでも小池一雄テイストを充分残しての映画化だ。……良くも悪くも。

 冒頭でテロップが流れる。
 「“その国”では、500年にも及ぶ鎖国政策が今も続けられていた。世界から孤立したまま、希望も絶望もなく、静かだが淀んだ空気が“その国”を支配していた。
 隣国で古来より近衛兵としてミカドに仕えてきた建御雷(たけみかづち)家は、帝政の崩壊とともに祖国を追われて“その国”にたどり着き、反政府組織の鎮圧組織として政府に雇われたが、やがて金さえ受け取れば誰をも殺す暗殺集団と化していた」……。

 脚本家がどんな設定を思いつこうがそれは自由というものだが、どうもこの、舞台が日本なんだか朝鮮なんだか中国なんだかよく解らんというのは、なんだか中途半端に感じられて、ちょっとノリにくい。
 パラレルな設定、というよりは全く時間軸、空間軸の異なる設定としたいならば、ディテールにも拘らねばウソである。
 ともかく登場人物は日本語を喋ってるんである。
 ではここは日本なのか。
 いったい現実の日本とはどこで時間軸が分かれたのか。
 「隣国」とは日本の一部か。「タケミカズチ」ということは出雲系か。となると日本の中に出雲王国があったということなのか。ならば歴史が分かれたのは千八百年くらい昔か。
 「鎖国」してるはずなのに、銃器やテクノロジーだけは発達してるのはどうしてか。オランダ経由か? 銃の種類はよくわかんないけど、どう見たって「日本製」じゃないぞ。アメリカや中国との関係はどうなってるんだか。
 この辺の設定はあまり凝りすぎずに、単純に「近未来」にしとけばよかったんじゃないかと思う。設定を見せるのが映画じゃないんだから。だいたいこんなテロップがなくったって、映画の中には入りこめる。

 建御雷家の次期党首・雪(釈由美子)は、自らの感情を抑圧し、冷徹に人を殺す刺客として育てられてきた。
 ある日、彼女の前に空暇(くうか/沼田曜一)と名乗る老人が現れ、雪の母・亞空(あぞら)を殺したのは、建御雷家の現首領・白雷(びゃくらい/嶋田久作)だと告げる。

 こういう物語のお約束として、「あの子が○○歳になった時に真実を告げる」ってのがあるんだけれど、もちろん、「もっと早く告げるか、敵の中に置いとかないで、早いとこかっさらっときゃいいじゃん」というツッコミはなし(^^)。
 敵に育てさせてた方が安上がりってことで納得しよう(していいのかよ)。


 建御雷を抜けた雪は、偶然、反政府組織の活動家である隆(伊藤英明)のアジトに転がりこむ。警戒する隆を見て、いったんはこの家を出た雪だったが、追っ手との死闘で空暇を失い、深く傷ついた雪は、再び隆のもとに身を寄せるしかなかった。

 まあ、ここからがラブコメになっちゃうのが小池一雄(^o^)。
 戦いの合間のほんのつかの間の夢ってやつだね。
 でも、定番つーか雄約束過ぎてて、感動には程遠い。釈ちゃんもせっかくのナイスバディ、背中しか見せないし。せめてハミチチ(何を言ってる)。
 でも「このまま二人で逃げよう」はないんじゃないの、イマドキ。
 『人狼』の時はこのセリフが実に捻って使われてて感心したもんだけど、こういう陳腐なセリフ、よっぽどアイデアがないと、話の流れ阻害するだけなんだけどなあ。

 そして最後の戦いにってことになるんだけど、アイドルにしては釈由美子、たしかに体を張った演技をしている。
 肝心のアクションシーンはほとんど吹替えで、しかも男だってことがバレバレなんだけど、それでも走ったり飛んだりの結構な部分、決めのポーズも釈ちゃん本人がある程度やってるのは事実だ。だから吹替えシーンとの繋がりにそれほど違和感がない。
 こないだCSで見た『スケバン刑事』なんかとは比べものにならない出来のよさだ。
 何より、アクションの見せ方、アングル、カット割り、スローモーションとの切り替え、演出が凝ってて、もう『RED SHADOW 赤影』は『修羅雪姫』の爪の垢でも飲んでろってくらい。
 でもそれしか誉めるところがないってのも事実だしねー。
 隆の妹のエピソードとか、佐野史郎の存在とか、ムダだし。
 もちっと話をスッキリさせて、ホントにアクションだけで見せていったら、もっとハマれただろうに、そこが惜しかった。


 映画が終わったのが11時過ぎ。
 しげもそろそろ宴会終わってるかと携帯に連絡を入れてみるが、まだ遊んでいる様子。
 「今どこだよ」
 「え? スターレーン」
 「……ってボーリングかよ! じゃあまだかえって来れないな? 先に帰っちゃうけどいいか?」
 「ああ、わかった」
 ……具合悪かったんじゃなかったのか……って、映画見てる私も妻のことは言えんのだが。
 

2001年01月25日(木) 思い出したが私は電話恐怖症だった/映画『アヴァロン』ほか


2002年01月24日(木) オタクのハマリ道/アニメ『七人のナナ』第3話/『山本弘のハマリもの』(山本弘)ほか

 今日もケツから血がジョビジョバ〜♪
 で、仕事はまた休み。全く、正月早々そんなに有給食いつぶしてどうすんだか。
 腹が落ちつくまで、昼はひたすら寝る。
 さすがに今日はちょっと医者に具合を診てもらわにゃなるまいと、午後から近所の内科に行って、薬を貰うことにする。
 しげと二人で診察してもらったのだが、診断は風邪。少なくともインフルエンザではなかったので、ホッと胸をなでおろす。
 もらった薬は全く同一。病原菌が同じなんだから当然と言えば当然なんだが、そんなんでもしげはうれしそうに「薬がおんなじ」とか言ってやがる。
 だから、風邪移したのはてめーだろうがよ。~凸(-~~- )

 積文館を回って、何冊か本を買ったあと、ガストで食事。
 私は腹のことを考えて雑炊と豆腐サラダを頼むが、しげは遠慮もなくハンバーグかなんかを頼んでいる。それでまた腹痛起こしても、わしゃ知らんぞ。


 アニメ『七人のナナ』第3話「七人みんなで一人のナナ?」。
 神社で行われるフリーマーケットに行きたいナナたちは、町内会長さんが持ち込んできた特撮ヒーロー・ナナレンジャーのコスチュームをちょっと拝借して(おいおい)、「これなら顔がバレない!」と、神社へ向かう。
 けれど何を間違ったか、ナナたちは、イベントショーに出演させられてしまった!
 ……まあ、予想出来た展開かな。
 ナナが七人に増えても、家の中に閉じこもってるだけじゃ話の広げようがない、そのための「ナナレンジャー」の設定なんだろうけれど、かといって日常、コスプレして街中をうろつくやつってのもあまりいないぞ(^_^;)。
 「同じ顔のやつが二人以上いる」というのはコメディの定番だけれど、実はそう汎用が効くネタではないのだ。結局、「入れ代わりギャグ」でしか使いようがないからねえ。
 チャップリンが『独裁者』で、床屋とヒンケルを一人二役で演じながら、入れ代わりネタをラストにしか使わなかったのは、そのネタでドタバタをやってもたかが知れてる、と判断したからだろう。けだし、慧眼である。
 結局、同じ顔なのに顔を隠すことでしかキャラを動かせないというのは、設定の生かし方を思いついてないからじゃないのかなあ。
 ちょっと今後の展開が心配になってきたぞ。


 DVD『名探偵ポワロ』1巻「コックを探せ/ミューズ街の殺人」。
 先に長編ものを見ていたので、ようやく第一巻、テレビシリーズの第1・2話を見る。
 言ってみれば番組が成功するか失敗するかという試金石的なエピソード、相当力が入ってるんじゃないかと思ったが、そうでもない。

 『コックを探せ』。
 アポも取らずにいきなりポワロの探偵事務所に飛びこんでくたクライアントは、なんだか日本のざーます婦人みたいに高慢ちきなオバサン。依頼は「宅の行方不明になったコックを探してほしいんざーますの(吹替えはぜひ「ざーます言葉」にしてほしかったなあ)」という平凡なもので、ポワロを落胆させる。
 それどころか、このオバサン、ポワロをためつすがめつ、「あなた本当に名探偵? 新聞社におカネ積んで記事書かせたの?」と失礼この上ないことったらない。ポワロが怒りを抑えつつも依頼を断ると、オバサン、「優秀なコックの失踪は、国家的重大事並の大事件なのよ!」とヒステリーを起こしてむりやりポワロに依頼を受けさせる。
 あとで、ポワロ、ヘイスティングスにこっそりと、「私がこんな事件を引きうけたなんて、ジャップ警部にだけは言わないでくださいよ!」と念を押す。
 でも当然のごとくジャップ警部は「なんでもポワロさんともあろうものが、コックをお探しとか……ま、根も葉もない噂でしょうがね」とどこからか情報を手に入れているのである。
 まあ、ニュースソースはそのオバサンだろうけど。ヘイスティングスだったらヤだな(^^)。
 ……でも、えーっと、ポワロってコメディだったっけ……(^_^;)。
 トリックはチャチだ……というより、ある有名なミステリー短編のトリックの流用で、特に濃いミステリファンでなくても、犯人やトリックは一発でわかるだろうって程度。
 ということはだ。このシリーズ、ミステリーとしてどうのこうのってことじゃなく、やっぱりキャラクターの掛け合いでドラマを作っていこうって趣向なんだな。本格ミステリって、地味で映像化には向かないから、こういったアレンジについては、あまり文句はつけられまい。……そう言えば、ピーター・ユスティノフの映画版ポアロシリーズも、後半、どんどんコメディ化して行ったな。
 
 『ミューズ街の殺人』
 「ミューズ」って、てっきり“Muse”(ギリシャ神話の学芸の女神たち。『ガンダム』に「ムサイ」って巡洋艦が出てきたけど、あれはこれのこと)のことかと思ってたけど、“mews”(厩舎)のことだそうな。……そんな単語、そのへんの英和辞典にゃ全然載ってないぞ。 
 この話のポイントは何と言っても「ポワロのゴルフ」だろうな。
 「大陸ではならしたものです」って、そんなすぐバレるウソをポワロがつくとも思えないけれど。見事にポワロの打ったボールはスライスしてどこかに行っちゃったのであった。
 今回のトリックはもう、ミステリーでは使い古された「左利き」もの。
 被害者が右利きだったか左利きだったかってのが推理のポイントになるのだけれど、今やそういうトリックが提出された時点で、ネタはバレてしまうので、やはり往年の古典を現在映像化することは、なかなか難しい。
 ネットを検索してみると、このテレビシリーズ、必ずしも好評を博してばかりじゃないようだが、もはやクリスティーだって充分「古い」んである。多少、ハメを外したようなコメディ演出があっても仕方ないんじゃないか……という気になってきちゃったよ、私も。


 山本弘『山本弘のハマリもの』(洋泉社・1365円)。
 ご一緒に同人誌まで作ったと言うのに、まだ山本センセイとは面識がない(夏コミ行きたかったな)。
 もっとも中年オヤジがわざわざ会いに行ったところで喜ばれるわけでもなし、ネット上だけでの知り合い、というのはよくあることである。AIQのみなさんとお知り合いになれたのも、エロの冒険者さんからお誘いがあったからなわけで、そうでなければ、今でも私はぼうっとネットサーフィンしてるだけで、そのうち飽きてこうして日記を書き続けることもなくなっていたかもしれない。
 まさしく、縁は異なものである(例えがちと違うな)。生きる活力というものは人から与えられるものである。

 「ハマりもの」というものも人から与えられた活力なんだろう。
 子供のころはみんな娯楽が少なかったから、友だちも含めてみんな同じものにハマっていた。マンガ、アニメ、特撮、怪獣、etc、etc……。
 逆に言えば、みんなが同じものにハマっていたから、わざわざ自分たちの知識を確認するための作業をする必要もなかったと言える。
 バイブルは大伴昌司の本だけで充分だった。
 けれど、今やわれわれの世界はたくさんの「オタク」たちで占められるようになった。今でも覚えているが、初めてAIQの会合に参加した日のこと、「あなたはどちらの方面に詳しいんですか?」と聞かれて返事に窮したことがある。
 自分が何かに詳しい、あるいはどちらの方面の趣味がある、ということについて、深く考えたことなどなかったからだ。大学のゼミで児童文学を専攻してはいたが、これとて、専門家というほどではない。……自分に得意な分野などあるのか? AIQのみなさんの濃い濃いオタク話を聞くにつけ、「自分はオタクじゃないなあ」という気がしたのも事実である。
 この日記の中で自ら「オタク」と名乗っているのは、もっぱら「私はオタクでない」という言葉が一般においては差別的に使われる場合が多いので、肩書きを背負うのに吝かではない姿勢を示すためのものである。
 濃い薄いで言えば、私はまだまだ薄いヤツで、原稿が書き溜まらず、未だに自分のホームページを立ち上げられないでいる。
 もっとも、こういうことを言うと、たいてい人から慰められたり叱られたりするんだよなあ。「充分スゴイですよ」とか、「謙遜したフリだけしやがって」とか。前者はよしひと嬢で、後者はしげだったりする(^_^;)。

 オタクは基本的に「知識」ではない。
 要はものを見る目、つまりは自らの「判断」に従って生きるかどうかだ。
 そうわかっていても、自分の「知識」や「判断」を人に披露するというのはかなり勇気が要る。どんな批判・ツッコミがあるかどうか分らないからだ。
 「知ったかぶりやがって、こんなところがオマエにはわかってないじゃないか」とか。
 でも、もちろん、そういうことを恐れていて、「語る」という行為、引いてはコミュニケーションが成り立つはずもない。勇気を奮い起こしてオタクは自らを語って行かねばならない。

 なんでこんなこといちいち書いてったかというと、この本、随所に「間違い」「勘違い」じゃないかと思われる表現が散見しているからだ。
 日頃、山本会長のトンデモ本批判を憎らしげに思ってる連中にしてみたら、ツッコミどころ満載のこれは、格好のターゲットになるのではないか。
 それをここで指摘するのは簡単だ。けれど、その場合、単なる揚げ足取りではないことを示さねば、個人が「語る」ことを封殺しようというファシスティックな行為と何ら変わりはあるまい。

 一例を挙げると、『悪魔の人形/THE DEVIL DOLL』の項目で、「二体の人形がテーブルの上でダンスを踊るシーン。踊る役者の姿をテーブルの上に合成してあるんだけど、何がすごいって、テーブルの表面がつるつるで、人形の姿がちゃんと反射して映ってるんである。どうやって合成したの、これ!? 分からん!」と書いてあるのだが、「あれ?」と思った方も読者の中にいるのではないか。
 私はこの映画見てないんだが、同じトッド・ブラウニング監督の『魔人ドラキュラ』や『フリークス』を見る限り、合成のような特撮技術は当時ほとんど使われていない。
 これ、単に巨大なテーブルをセットで作っただけじゃないのか。だったら姿が反射してても全然不思議じゃない。
 それとも「合成」だとわかる明確な要因でもあったのだろうか。
 その実体と反射の姿がズレてるとか。でもだとしたらそれは技術的にはたいしたことないってことにならんか。
 説明が不足しているせいで、山本さんの言いたい「すごさ」がこちらに伝わってきていない。

 つまり、ネタが多すぎて、一つ一つの印象がかえって薄まってしまっているのである。
 「戦隊サブタイトル文字数の法則」などはまあまあうデータが多めに紹介されているために「なるほど」と思わせるものがあるが、「NHK教育番組ウォッチング」などは、タイトルとあらすじだけの紹介で物足りない。スチール一つ載ってないし(転載許可が降りなかったのかもしれないけれど)。
 山本さんもそれを自覚しているのか、コラムの最後で、教育テレビの内容紹介をしているサイトのアドレスを参考に挙げている。でも、そういう他力本願な行為って、「ああ、そんなにおもしろい番組があるなら、私も見てみたいぞ!」という読者の気持ちをかえって萎えさせはしないか。

 私自身、ダラダラと下手な文章を書き散らして、「こんなモノがあるよ!」と紹介しながら気づいたことなのだが、「あたり障りのない文章」というのは、人に訴えかける力がないのである。
 「この本(あるいは映画など)、いいとこもあるけど悪いとこもあるしまあまあかな」と思ったとしても、そのことをそのまま書いたって、人は「まあまあの本か」としか思わないし、手には絶対取らない。
 ある意味、誉める作品は徹底的に誉める。
 貶すものはとことんまで叩きのめす。
 他人と意見が全く違っていてもかまわない。そのバトル自体が、作品自体の「強さ」の証明なのだ。……オタクの本とはそうでなければなるまい。


 マンガ、椎名高志『MISTERジパング』8巻(完結/小学館・410円)。
 途中をぽーんとすっ飛ばしていきなり本能寺。
 もちろんその前に本筋は一応終わっているわけで、破綻のないところに着地して、一応のまとまりはついたと言えなくもない。
 まあ、このマンガの秀吉が、朝鮮出兵したりするような秀吉になるはずもないとは思ったけれど、正直なところ、パラレルワールドネタを余り安易に使ってほしくなかった。
 何人も天回が出てくるのはちょっとシバリがなさ過ぎる。SFは何でも自由に書いていいってんじゃなくて、やはりある一定のセオリーを作っとかないと、物語自体がどんどん御都合主義的でフヤケた方に行っちゃうんである。
 最後はみんなして時空を越えて大陸に渡るらしいが、これはつまりジンギスカンネタってことか? ちょっと今時それをオチに持ってくるのはセンス的にどうもねえ……。


 夜、CSファミリー劇場をダラダラ見る。
 丁度『仮面ライダー(スカイライダー)』の最終回、第54話『さらば筑波洋! 8人の勇士よ永遠に…』をやっていたので、見てみたが……。
 いやね、この『スカイライダー』、本放映時は「ライダーの原典に回帰!」とか言っときながらどんどん脚本がスカスカになってったんで、最終回なんて見ちゃいなかったのだ(『ストロンガー』までは追っかけてたのになあ)。
 というわけでこれが実は初見だったりするのだが、本放映時に見てたら、腹立てて、テレビを投げ捨ててたかもしれん(しないって)。
 8人ライダーが集結ったって、一文字隼人(佐々木剛)と城茂(荒木しげる)以外の先輩ライダー、全部、声アテだけじゃん。しかもいきなり脈絡もなく登場するし。『ストロンガー』の最終回で全員が集まったのとは雲泥の差だ。
 ……予算のないテレビ番組の哀しさが見えてて、淋しいったらない。
 しかも敵首領の正体、巨大なドラゴンタイプの宇宙怪獣。……センスねー。ストロンガーの時の岩石大首領もセンスなかったけどさあ、一番強い敵だから巨大なんだって安直な発想、スタッフの誰か、イシモリを止めるやつはいなかったのか。まだ最初の『仮面ライダー』に出て来た、ゴーゴンみたいな一つ目のような、謎の存在であった方がずっと納得が行ったなあ。
 しかもこいつ、「足の裏が弱点」で、スカイライダーを踏み潰そうとわざわざその弱点をライダーの目の前に晒しちゃったもんだから、撃たれて瀕死になってやんの。……バカ? いや、もちろんこの場合バカなのは脚本家なんだろうけど。
 あまりに頭がぽかーんとしちゃったんで、夜はぐっすり眠れました。はい。

2001年01月24日(水) せがた三四郎、落つ。/映画『疾風! 鞍馬天狗』


2002年01月23日(水) 風邪まで引いちゃったよ、どうすりゃいいんだ/『西洋骨董洋菓子店』1〜3巻(よしながふみ)ほか

 風邪引いて仕事を休む。
 感染経路は間違いなくしげなんだけど、全然悪びれてないのな。
 「昼一緒にいられるねえ」なんて喜んでやがるし。
 でも別に何かやれるってわけじゃなくて、ただひたすら寝てるだけだ。変に期待するなよ、病気なんだぞ病気……(ーー;)。

 午前中はただひたすら寝て汗を流す。
 ともかく丹念に薬を飲む。常備薬が結構余ってて助かった。
 昼飯は外まで出る元気がないので、仕方なくお好み焼きを宅配。そんな濃いもの、と言われそうだが、二人してダウンしてるんだから、片方が調理というわけにはいかない。うどんの配達なんて、この近くじゃやってないし。ともかく食い物は食っとかないとカラダが回復しない。
 ピザよりゃマシだろ、と思ってたら、しげは「私はピザ」とか言い出した。「バカ、やめろ」という元気もないので、そのまま頼む。まあ、お好み焼きだって五十歩百歩だしな。
 食いはしたが、やっぱりあとでゲエゲエ吐く。
 胃が受けつけてないんだなあ。体力を消耗し、再び寝る。その繰り返しだ。

 しげはしげで、仕事を早退してきてるってのに、睡眠もろくに取ってない。
 「寝つけないんだよう。だって、平日なのに、昼なのに、アンタがいるんだもの、ドキドキしちゃって」
 なんだなんだ、結婚して十年も経つってのにまだオレにときめきラブ? と思わず赤面しそうになったが、すぐに後を継いで一言。
 「誰といてもドキドキするけどね」。
 ……ただの「動悸」っつーんだよ、それは! 対人恐怖症の後遺症じゃんか。

 寝たり起きたりトイレで血便流したり、合間に本読んだりDVD見たり。寝ても寝ても寝たりないのはやっぱり糖尿が悪化してんだろうなあ。

 DVD『名探偵ポワロ/砂に書かれた三角形』。
 DVDシリーズでいくと3巻目だ。1,2巻目は未見だが、しげはもう見ているので、仕方なく途中から。まあ、順序よく見なきゃならん番組でもないけど、(シリーズ自体が原作をアトランダムにピックアップして映像化してるんだから。原作発表の順序通りに見ようと思ったら、第一作の『スタイルズ荘の怪事件』のあと、『ゴルフ場殺人事件』が発売される夏まで待たなきゃならなくなる)飛ばして見ると、どれを見たかわからなくなりそうで怖くはある。
 原題は“TRIANGLE AT RHODES”で、直訳すれば『ロードス島の三角関係』。これも原作は未読だったので、マジメに事件を推理するつもりで見る。
 冒頭、探偵事務所に誰もいなくて、マンションのパーサーと郵便配達夫が会話をしている。ヘイスティングスは猟に出かけ、ミス・レモンは実家に帰省中、ポワロは地中海のイタリア領ロードスで休暇中、という設定を聞いて、「おお、テレビシリーズなのに海外ロケ! ……金かけてやがるなあ」と日本のテレビ事情に比べて羨ましく思った。
 でも問題だったのはここからで、のんびりするはずだった休暇中、ポワロは三角関係に陥った二組の夫婦・チャントリー夫妻とゴールド夫妻と知り合う。……事件の匂いを嗅ぎ取ったポワロは、それとなく彼らに「忠告」をするのだが……。
 うーん、ミステリの都合で、これ以上はストーリーを明かせないんだよなあ。というのも、この設定でビックリしたのは、「なんだ、これって、『○○○○○○』と全く同じじゃん!」ってことだったのだ。
 もしかしてトリックも……と思ったらまさにその通り。これ、原作は中編なんだけど、クリスティーはこれを元にして長編版の『○○○○○○』を書いたらしいんだな。調べてみると、この『三角形』とその某長編は、全く同じ年、1937年に発表されている。どうやらクリスティーは、同じトリックを使って、中編と長編とでは書き方がどう変わるかを試してみたもののようだ。それとも、前作で使ったばかりのトリックをまた使うとは誰も思うまい、と、読者の意表を突くことが目的だったのか?(まさかそりゃなかろうが)
 確かに短編を長編化したものに傑作が生まれることもあるけれど、せめて探偵役は変えてほしかったよなあ。だってそうでないと、「同じ年に全く同じ犯罪を思いついたヤツがいて、それを同じ探偵が解明する」というスゲー偶然な設定になってしまうもの。
 実のところ、一応礼儀として隠しちゃいるが、トリック自体はかなりチャチなんだよね。どうしてこの長編版も傑作扱いされてるかわからないんだけれど、多分、10人中9人が犯人もトリックも当ててしまうだろう。これじゃ「犯人あて」の楽しみがない。せめて語り口やストーリー展開くらいは変えようよう。殺害方法をちょっと変えただけじゃあ意味がないよう。……それともやっぱりクリスティーはもう「古く」なっちゃったのかなあ。

 買い物くらいはしないと、食料がないので、あふあふ言いながらしげと近くのコンビニへ。
 外はちょっと雪降りである。
 寒い。とことん寒い。
 こりゃ明日はまた病状が悪化しそうだ。


 アニメ『ヒカルの碁』第十五局「ネットに潜む棋士」。
 おお、今回の作画レベル、今までで最高じゃないか?
 インターネット碁を始めようとするヒカルに、三谷の姉さんが説明するシーン、この姉さん、名前も判ってないチョイ役キャラなんだけど、実に丹念に描きこんである。……しかも原作よりセリフ増えてないか?
 「ネット碁」というものを説明するために必要、という理由もあるかもしれないけれど、もしかしてスタッフがこの姉さんのファンで、出番を増やそうとしたとか、そんなんじゃないだろうな(^o^)。
 単純だけど、椅子に座ってるヒカルに、脇からかがみこむようにして、マウスの使い方を教えていくカット、実に大胆な構図が多くてドキドキさせられる(^^*) 。姉さんとヒカルの頬が近づいたり離れたり、あるいは胸越しにヒカルの表情をとらえたり。うーん、ほのかなエロスが。
 心なしかヒカルも「きれいなお姉さん」のそばで照れてるように見える。そうだよなあ、中学生になったばかりだもんなあ、年上の人に憧れる気持ちってあるよなあ。
 単調な印象に陥りやすいシーンを、堅実なカットの積み重ねで見せていく様子が実にうまい。何回か前のザツな作画がウソのようだ。
 ……と思ってスタッフ表を見てみたら、キャラデザインの本橋秀之さん本人。
 こりゃリキ入るはずだわ(^^)。
 それにしても、CMだと『テニスの王子様』のDVDはもう発売だというのに、『ヒカ碁』はまだ全然告知がない。
 ……まさかまたいきなりBOXで発売……?


 『ウンナンのホントコ』を漫然と見ていると、「24時間恋愛」という企画が立ちあがってて、これが結構おもしろい。
 『未来日記』の応用編みたいな感じなのだが、見知らぬ相手と1日に1時間だけ24日間、会い続けることができたら100万円、というなんだか冗談みたいな企画なのである。
 相手と会うのがイヤになり、約束をすっぽかしてしまえば、100万円は手に入らない。だから二人とも時間厳守で指定された待ち合わせ場所に向かう。
 しかし、果たして人は金のために見知らぬ他人と会い続けていられるものだろうか。ごく普通の道徳心を持ち合わせている者にとっては、それはかなり気持ちに負担をかけてしまう行為ではないのか。
 そこで、そのフラストレーションから脱却するために、人は自分に「ウソ」をつき始める。自分の「悪行」を正当化するために、無意識のうちに「言い訳」を考え始めてしまうのだ。わかりやすく言うと、事実を補強するための理屈をあとから作り出して行ってしまうってことなんだね。
 ……特に女のほうが。
 どういうことかと言うと、この企画に金のために乗ったはずの女性、本気で相手を「愛している」と思い始めてしまったのである。
 もちろん、それがこの企画のプロデューサーのまさに「狙い」であろう。つまり故意に「ウソから出たマコト」を狙って演出しているわけなんだね。
 なんだか他人をマインドコントロールしてるみたいでイヤだ、と思われる方もあろうが、それだったら「見合い」だって似たようなものだ。日常でもそれと知らせず誰かが誰かを演出するということは頻繁に行われている。「躾」や「教育」だって所詮はマインドコントロールだ。
 この企画のおもしろさは、「24時間」という限定性の中でも恋を演出することができるのか、という「実験性」にある。言い方は悪いが、「罪にならない人体実験」なのだ。さあ、来週はどんな展開になってくれるか、楽しみである。


 マンガ、よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』1〜3巻(新書館・各546円)。
 よしひと嬢が熱烈なファンらしく、テレビ化された『Antique』を見て激怒しておられた(^o^)。
 テレビの方は見てないので、批評は控えるが、監督が『踊る大捜査線』や『サトラレ』の本広克行だから、あまり積極的に見る気が起きない。どーせ意味もなくタメて、かえって間延びしたシーンやカットの連続なんじゃねーのか(←偏見)。見てる人がいたら、ご感想を聞かせてほしいものだ。

 けれど、マンガのほうはスゴかった。
 なんかもー、ムズムズするおもしろさとでも言ったらいいだろうか(なんじゃそりゃ)。
 だいたい、よしひと嬢が好きなマンガや小説は、ある種の「偏り」があって、視点そのものはおもしろいのだが、場合によってはこちらが「引く」ことも多々ある(一生懸命遠回しな表現してるなあ)。
 だもんで、第一巻の1ページ目から、学ラン姿の二人が向かいあって、「なんだよ話って」「君の事が好きなんだ」で始まってるのを見た途端、正直な話、私は本を投げ捨てたくなった(^_^;)。

 だから私、ダメなんだってば、ホ○は。
 その方々の権利を侵害する気はないが、やっぱり耳元に吐息をかけてくれるのは女に限るのよ。
 アンタこれで、男同士の濡れ場(死語)が随所で展開されてた日にはよ、多分、夢でもうなされることになってたと思うよ。
 でも、展開が違ってたねえ。
 次のシーンで、「ゲロしそうに気持ちわりーよ!! 早く死ね このホ○!!」だよ。
 そしていきなりシーンが切り替わる。
 「ぶーす!!」
 おそらくさっきとは別のどこかの中学校、制服を着ないで歩いている女生徒がいて、男子から、からかわれている。そして「ぶす」の声につい反応してしまった別の女生徒のモノローグ。
 「なんで中学校ってこんなにびくっとしちゃうんだろう」
 さらにまたシーンが飛んで。
 若い少年ボクサーに、ジムの会長が「やっぱり網膜剥離だったってよ」と告げる。
 「俺やめんのやだよう」と泣く少年。
 またまたシーン変わって、ここからが現在の話(今までのは全て回想シーンだったのである)。
 いかにも堅物そうな父親が、居間でテレビを見ている長男を追い出して、冷蔵庫からおもむろにケーキの箱を取り出す。
 そして、にんまりと笑い、その中からイチゴのショートケーキを、崩さないようにそおっとつまみ出すのだ。

 ……いったい、これらの全く連続していないように見えるシーンに、どのような意味が、繋がりがあるのか。
 ここで、私はこのマンガ家さんの「語り口」に見事にハメられたのだ。
 実際、「繋がり」はあったのである。
 うーん、その辺の紹介については今回はやめとこう。ミステリと同じで、「謎」が解かれる楽しみは未読の人のために取っておくものである。

 でも一つだけ書いとけば、これはもうただのホ○マンガではなかったのだ。
 冒頭に出てきたホ○、ただのホ○ではない。
 「魔性のホ○、恐ろしいホ○伝説のホ○、好みの男はオールゲッチュ、厨房は一瞬にして情事の舞台になるという」究極のホ○だったのである。
 あああ、こんなにホ○ホ○ホ○と書いてしまった(-_-;)。夢に出るぞ夢に出るぞ。
 でも、これは確かに、いい脚本家と演出家に当たれば、上質のシチュエーションコメディとして成立するだろう。
 キャラクターの一人一人の個性がこれだけ綺羅星のごとく輝いていながら、その個性にストーリーが引きずられてもいない。過去の謎が一つ解かれるたびに、また新たな謎も生まれる。現在の時間そのものはただゆったりと流れているだけなのに、ドラマは大きなうねりを見せていく。
 何という構成力の妙であろうか。
 気になることを一つだけ挙げると、絵柄が明智抄さんに似てる気がするんだけど、ただの偶然なのだろうか。それともアシストかなんかやってたのかなあ。

2001年01月23日(火) ハードな日/『時の果てのフェブラリー』(山本弘)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)