無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年07月21日(土) やたら長長文になっちゃいました。すみません/『裏モノ見聞録』(唐沢俊一)ほか

 しげと一緒に路上劇を演じてる夢を見た。

 そのころ(っていつだ)、我々、演劇集団 P.P.Produceの活動は軌道に乗っていた。乗りすぎていた。
 団員は20人を越え(その程度で軌道に乗ってるのか)、世間にも認知されていた。
 だから交通規制をして天神のスクランブル交差点で(あとで思い返すと、場所はまさしくそこなんだが、夢を見ている間はそこじゃない気がしていた。なぜか「世界の交差点」なんてことを考えていたのである。『エヴァ』の影響か?)、劇団員がみんな狂ったように踊り狂っているのである(そりゃ狂ってるんだって)。
 路上劇はアドリブが命だ。
 ここでわが劇団のヒーロー、藤田くんがアドリブをかますことになっていた(それってアドリブって言わないのでは?)。
 ところが藤田君、軍用車に乗ったまま、微動だにしない(どうやら兵士として、狂った群集を沈静する役らしい)。
 どんなに大所帯になっても、ウチの主役は絶対に藤田くんなのである。
 そう決まっているのである(なんでだよ)。
 私たち夫婦も、別の軍用車に乗っていて、いざというときのために(どんなときだよ)待機しているのだが、藤田くんが沈黙しているのでイライラしてきた。
 群衆が踊り狂っていると言っても、「ええじゃないか」みたいなものでも社交ダンスでもない。
 その場を一歩も動かず、両手を上げて全身を激しく波打たせて「わあああああ」と叫んでいるだけである(ホントに狂っている)。
 我々はそれを「全身激しくワカメ踊り」と呼んでいた(ネーミングセンスがない)。
 こんな踊りをずっと続けていては死んでしまう。鴉丸嬢などは、既に声が「わああ……げほ、げほ……わああ……わは、げほげほ」と咳込んでいる。
 このままではいけない。
 なんとか藤田くんを動かさなければ。
 なのによく見ると、藤田くんは俯いてクックックと笑っているだけなのだ(どうやら自分だけの演技プランに基づいて演技しているつもりらしい)。
 私は隣に座っているしげを見上げて「どうすんだよ」と目配せしたが(この軍用車には座席になぜか段差があるのだ)しげも更に隣を見上げる(この軍用車には座席が三つあるのだ。……ってどんな車種だよ)。
 そこには見知らぬ男が。
 「おい、こら、オレ以外の男に相談するんじゃない」と内心むかっ腹を立てていたら。
 目が覚めた。
 おい、オチはどうした?(いや、夢にオチはないぞ)

 まあ、たいして面白い夢でもないが、私の夢の中にしげが登場することなんて滅多にないことなのだ。
 いつもしげは、「アンタは私のことを思ってくれてない」と文句を垂れているので、夢に出て来たことを教えてやったら喜ぶかと思いきや、「全然ラブラブな夢じゃな〜い」とかえってむくれる。
 いや、私がジェラシったということ自体、珍しいことなんだから、充分、「ラブラブ」だと思うんだけどなあ。
 それこそ「夢物語」を語ってるだけじゃないか。贅沢言ってんじゃねーや。

 しげは今日は鴉丸嬢と待ち合わせ、と言うことで外出して行った。
 別に早朝と言うわけではなく、午前10時の話だから、その前に洗濯をしたり洗い物をしようと思えばできるのである。
 ところがしげは何もしようとしない。
 どんなに言い訳をしても、しげが究極の怠け者であることは否定できない事実なのである。結局、すべて私が尻拭いをしなければいけなくなるのだ。
 あんなでかいケツの尻拭い、したくねえぞ。
 何しろ私の1.5倍はあるのだ(誇張なし)。

 というわけで午前中はゴミ溜めと化した(比喩ではない)台所を掃除。
 またもや汚物が排水溝に詰まって流れなくなっているのである。
 ここまで汚くなっても、しげが放置したままなので、休日に私がやるしかない。この世界で一番家事をしない女がなぜ生まれたか、心理分析が出来たらノーベル賞が取れるんじゃないか。ある程度片付けても、皿置き場が満杯になってしまったので、これ以上は洗えない。
 仕方なく残りは翌日に回すことにする。
 部屋もまた床が見えなくなりつつあるから片付けないとなあ。

 今日はゆっくり日記が書けるかと思ったら、いきなり1時を過ぎたころに、しげから電話。
 「どうしたん」
 「博多駅の近くで、声を出しても迷惑かからないとこ知らん?」
 「……公園は?」
 「……暑いんよ!」
 「暑いって、日陰は?」
 「日陰も暑いんよ!」
 「じゃあ、どこかに入り込むしかないじゃん。喫茶店とかで『声出していい』ところなんてないし、『カラオケ屋』でも探せば? オレは、博多駅近くのカラオケ屋なんてよく知らんぞ」
 「そう、わかった」
 プツッと通話が切れる。えらくあっさり切りやがったんで、かえってしげが何を考えてんだか判らず、妙に気になってくる。
 いったい何を始める気だ?
 と思っていたら、しばらくしてまた電話。
 「アンタ、今日ヒマ?」
 「ヒマって、いや、やりたいことはあるけど今しなきゃならないってことでもないし……。なんで?」
 「カラオケ屋のカード、そこの引き出しんとこにない?」
 「あるけど? なんで?」
 「店まで持ってきて。そこで打ち合わせするから」
 「そこでって……博多駅の近くにカラオケ屋なかったの?」
 「どこも混んでる。駅から離れれば空いてるだろうから。じゃあねえ」
 じゃあねえって……駅から離れてるって、そりゃ離れてるよ。バスで六つ目なんだから。
 でも、頼まれた以上はしかたがない。
 ちょうど食事をどうしようか、自分で作るか外食するか迷っていたので、カラオケ屋で食えばいいやと決めて、外に出たのだが。

 なんなのだ。この暑さは。
 昨日もうだるような暑さだったが、今日は昨日の比ではない。
 暑さの衣が全身にまとわりついたような暑さだ(あとで知ったが、地域によっては40度を越えたところもあったらしい)。
 さっき「外は暑い!」としげが言っていた理由がよくわかった。
 これはさっさとカラオケ屋までたどりついて、ロビーで涼むに限ると、自転車をかっ飛ばす。

 ありがたいことに、カラオケ屋にはクーラーがかかっていた(当たり前だ)。
 しげたちが来るまで、マンガでも読んでいようかと、持参してきた『攻殻機動隊2』を読もうとして、鞄から取り出したものの、ふと、ロビーに置いてあった『週刊SPA!』の今週号に目が行く。
 「イマドキの[あげまん]はココが違う!」
 いや、そのコピーに引かれたわけじゃないけど、雑誌は立ち読みでしか読まないので、つい手に取って読み始める。
 で、あげまん記事には目もくれず、「これは事件だ/神足裕司」で、コータリ
さんが「靖国問題」について、語っているので興味深く読む。
 なるほど、A級戦犯と普通の戦没者を合祀しているのは靖国神社の「死んだらみんな神さん」という考え方に拠っていたのか。つまり「靖国」は死者の罪を「許す」神社でもあったわけだ。
 こりゃ、アジア諸国の「日本を許さない」思想と相容れるわけはないわな。中国や韓国は、その主張を通そうとするならば、「靖国」の存在自体を否定せねばならないのである。
 コータリさん自身は、あの戦争を侵略戦争であるとハッキリ認識しているが、靖国参拝を否定しようとする動きにも異議を呈している。これが平均的日本人のごく常識的な意見だろうなあと思う。
 「許す」文化がない国に対して、「許す」ことが「過去をウヤムヤにすることではない」ということを理解させることは非常に困難だ。でも、日本人自身、「許す」ことが「ウヤムヤにする」ことと同義だと錯覚してるバカも多いのである。
 「いつまで謝ってれば気がすむんだ」と腹を立ててる連中は、明らかにこの「ウヤムヤ派」だ。
 ……思うんだけど、いっぺん、「すみません」と謝るんじゃなくてハッキリ「許してください」と言ってみたらどうですかね。
 まさか中国や韓国だって「い〜や、永遠に許さない」とは言えないでしょう。

 「どうしたら許してくれるんですか?」
 「そりゃ、誠意を見せてくれないと」
 「誠意を見せたら、あとで戦争を美化するバカが出てきても許してくれるんですか?」
 「いや、それはそのときで」
 「それは永遠に許さないということではないのですか?」
 「バカが出るのはあくまで可能性だから、出てこなければいいんですよ」
 「でも、バカが絶対に出ないということがあり得ると思いますか?」
 「そんなことはわかりません」
 「つまり許せるかどうかもわからないということですね? じゃあどんな誠意を見せてもその『分らない』という結論は変わらないのではありませんか?」

 というわけで、「許さない」とか「謝罪しろ」って言ってる連中だって、実は「ウヤムヤ派」なわけなんですね。

 とかなんとか考えていると三十分以上経って、ようやくしげと鴉丸嬢が到着。
 挨拶はいきなり双方ともに「暑いねえ」。
 ともかく部屋に入りたかったが、カラオケ機種は慎重に選ばねばならない(^^)。
 今日は運良く我らが「ジョイサウンド」の部屋は空いていたのだった。

 でも、しげたちの目的はあくまで芝居の打ち合わせであって、歌うことは眼中にない。
 「今ごろ、店の人たち、『あの部屋、歌いもしないで何やってんの?』って思ってるよ」
 と、鴉丸嬢。
 「そうかな? 意外と気にしてないんじゃない?」
 「いや、絶対、話してる! 客のうわさってのは絶対するものなの!」
 しげまで賛同したので、なんだかイヤな気分になった。
 そういや、しげもよく、店に来た客の文句言ってたしな。
 でもそれって不可避なことだし、誰がどう思おうと、それが店内だけのことなら、文句のつけようもないし。
 いやね、ウワサされることがイヤなんじゃなくて、ウワサされたくないって顔してるしげたちのほうがちょっとヤなのね。
 そんなこと気にしてたらキリないじゃん。どこにも行けなくなるだけだよねえ。

 ともかく当初の目的は芝居の打ち合わせである。
 私の脚本、実は歌がたくさんあるのだが、その曲を作曲するのは、手間がかかりすぎる、ということで、うまく合うカラオケのメロディーがないか相談する。
 なんとか曲の候補が出たところで、せっかくカラオケがあるんだから、と、ようやく歌い始める。
 「店の人、『ああ、やっと歌い出した』って安心してるね」
 ……鴉丸さん、気にし過ぎだってば(--;)。

 『吸血鬼ハンターD』の主題歌(昔のT.M.networkの方のね)、てっきり歌えると思い込んでいたのに、途中をすっかり忘れている。昔のビデオもときどき見返さないとなあ。
 しげと鴉丸嬢、オヨネーズの『麦畑』を楽しげにデュエットするが、私はよく知らない歌だ。以前、しげから「一緒に歌おー」と言われて、「知らんから歌えん」と拒否した歌である。
 でも、若いレディーが花詰まらせながら、

 うんと大事にすっからよ
 も少しこっちゃさ来い
 やんだ恥かしな
 ちっと気が早えな

 とか歌ってるのはなんだかなあ。

 おら本当にハッピー
 おらも本当にハッピー
 愛の花咲く 麦畑

 とか、歌ってて、石、投げつけたくならないか?

 で、気がついたら夜の8時。
 割安のフリータイムも8時までである。
 鴉丸嬢をバス停で見送って、私はひと足先に近所のベスト電器で生ビデオテープを買うために、自転車で先に行く。
 「私を置いて行くの?!」
 としげは泣き顔になるが、ゆっくり一緒に歩いていたら、店が閉まってしまう。
 しげは、放っといても、ちゃんと付いて来るけれども、ビデオテープは向こうから歩いて来てはくれない。どちらを優先するかはわかりきっているではないか。
 「ベスト電器の前で待ち合わせすりゃいいじゃん」
 と、文句を言われる前にさっさと自転車に乗って、しげを置き去りにする。
 待ち合わせ場所で、ちょっとすれ違いかけたけど、なんとか会えたので、終わりよければ全てヨシである。

 ええ、その後は仲良く二人で歩いて帰りましたとも。
 間違っても、しげを荷台に座らせて二人乗りして、しげが怯えて「怖い怖い怖い怖いー!」と絶叫するのを面白がって、更に自転車の速度を上げて猛スピードで一気にウチまで帰るなんて危険なマネは、一切しておりませんとも。

 しかし、今日はなんだかんだで動きづくめなのでありました。
 帰宅後は日記を書く元気も残ってなかったけど、遊んでちゃ、日記も滞るばかりなのです。


 唐沢俊一『裏モノ見聞録』。
 WEB現代で全部読んでるものばかりなので、新刊だけど特に新規な感想はないのだけれど、語りだしたらキリがなくなる類の本でもある。
 なんたって、インターネットのちょっと(随分?)変わったサイトを紹介しまくっている本なのだから。
 以前、鈴邑くん夫妻に「女の子の名前だけを集めたサイト」ってのをこれで読んで知って、紹介したことがあった。というのが、お二人のご長女のふなちゃん、本名が結構変わってるからなんだね。
 調べてみると、同じ発音の名前はあるけれど、字が違う。教えてあげたらこのサイトの管理人さん、喜ぶんじゃないかな。
 ちなみに「男の名前を集めたサイト」は、作る気が全く完全に絶対ないそうです、この人。筋が通っているなあ。
 http://www.dd.iij4u.or.jp/~ume20/f_name/
 ほかに、私も大いに笑わせていただいて、思わず「お気に入り」に入れちゃった、「電波ニュース」ってのがある。普通の文章をここに登録すると「電波系」(あの、つまりイカレタ系ということね)にしてしまうというものだが、どれだけオモロイかは論より証拠、試しに昨日の日記をここに入れてみよう。



 連休に入ると、つい時間感覚がなくなる。自分でもビックリするほど金が無い。
 夕べも「仕返しに明日は早起きしなくていいんだと思ったら姫路城の出来上がり」と思ってつい夜更かし。しかし奥からはうめき声が漏れてくる。
 で、楽しみの連休中も結局は寝不足のまま過ごすことになっちゃうのだ。しかも担任まで俺が盗ったと思ってるし。
 朝方、しげはどうやら私を起こそうとしたらしい。
 らしいと言うのはもう記憶が曖昧だからなのだね。こうなった以上、君たちには死んでもらうしかない。
 「危害を加えない映画行こうよう。もっとホネのある奴だと思ってた、残念だよ。朝だよう疑惑」
 「……朝って何時と思ったら姫路城の出来上がり」
 「7時」
 「……映画館も空いてないやん、昼からでいいようを半年育てて森に返し涙」
 そう言って、また眠りに入り、いてもたってもいられずに目覚めたらもう昼過ぎ。どうしたらいいか分からなくて頭の中が真っ白になって気づくと、あらぬ方向に走り出していましたが。
 今度はしげの方が眠っている。まかちこん。
 「……どうした? 映画行くんじゃなかったのか?」
 「朝しか行きたくないよう。まず、頭痛のことなんですが、なんつーか、わかったんですね。頭痛のときは、これがおさまれば、すべての問題が、解決されるような、そんな気がしていました。ありません?そういうこと。で、頭痛がおわってみると、元の木阿弥。昼からはイヤだよう」
 どういう理屈だ。気がついたら集中治療室のベッドの上でした。
 しげは、よかれと思いこれまで、有償で朝早くから映画に行ったことなんて殆どない。
 私にしてみれば、指を突っ込んで吐くよりは朝方に出かけて、昼過ぎに食事と買い物をして帰宅、というのが休日の過ごし方としてはベストだと思っているのだが、たいてい朝はしげの方が寝ていて起こしても起きないのである。
 今日だって、俺が「良い」と言うまでてっきり朝はしげがグズると思って、昼から出かけるつもりでいたのだ。そして星へと祈るの。でなきゃ夕べDVD見て半徹夜、そして誰もが諦めていたその瞬間なんてことはしない。これからは俺の事を気安く「ダニー」と呼んでくれよ。
 ともかくいやがる奴を無理に引っ張ってたってしかたがない(涙アンド変な汗)。しげのきまぐれとスケジュールに合わせていては、とても映画に行く時間など作れない。
 何しろいつ「どうやら寝てる間に今度の○曜、からだ空いてる?」と脳直で聞いても「わからないと思っていませんか?」とか「手乗りなんでアンタに教えないかんの?」としか答えないのだ。乙女のピンチ。自分のスケジュールは教えたがらないくせに、こちらの都合ばかり脳直で聞きたがると言うのは見当違いじゃないか、と何度言っても改めない。すると全員俺の事を無視ですよ、無視。
 性格が歪んでいるのである。ダメじゃん。
 品性が下劣なのである。そして冷たい風が吹き抜ける。春はまだ遠い。
 根性曲がりと映画に行っても楽しくないぞ。わかってんのか。
 というわけで、映画には一人で出かけようと決心するが、それでもすぐには出かけない。残り300円で10日間しのがなきゃ。
 しげの気持ちが変わって、「ご覧のようにやっぱり行くにはこんなにも危険がいっぱい」とか言い出しかねないので、ちょっとは待ってやるのである。それで旧国鉄時代を含めたJRは完全制覇したから、今度は私鉄か貨物にチャレンジしようと思うんだ。
 ……なんでこんなアホウに気を使ってやらにゃならんかな。そこんとこ4649。もしくは4126。



 私もしげも既知外だ。
 しげはダン・エイクロイドのファン。で、私が「ダニーと呼んでくれ」ってのは、偶然とは言えハマリスギだ(^_^;)。
 http://www02.so-net.ne.jp/~saitou/denpa.htm


 マンガ、小野敏洋『ネコの王』1巻。
 あっ、小野さんって、昔、『プロジェクトA子2 大徳寺財閥の陰謀』のコミカライズ描いてた人じゃん。
 無茶苦茶ヘタクソだったのに、無茶苦茶うまくなってるぞ。
 ストーリーテリング、コマ割り、絵柄、どれ一つ取っても、とても同一人物とは思えない。
 ……ホントに別人じゃないの?
 猫が「突然」進化した世界。人類はとうに「喋る猫」に驚かなくなっている。でも、その最近進化したはずの猫たちに、遥か太古から伝えられている「猫の王」の伝説。
 それは単に猫を支配するのみならず、宇宙をも統べる秘密を持つという……とんだ間違いで猫の王になっちゃった男の子と、ホントは猫の王になるはずだった相棒の猫、ガールフレンドの女の子に、未だに猫の王の座を虎視眈々と狙うライバル猫、なぜか人間のナイスバディを持つ猫女神様、いやもう、百花繚乱のキャラクター群が楽しいこと楽しいこと。
 これはアニメにしやすい素材じゃないかなあ。『セーラームーン』+『うる星やつら』って感じなんだもんね。


 マンガ、細野不二彦『THE SLEEPER』1巻。
 深層意識に入りこんで魔を倒すって……。
 たがみよしひさ『妄想超人マイナマン』でもうやってるぞ。
 自作の『バイオハンター』のリメイクっぽいところもあるし、ちょっと興醒め。細野さん、連載を持ち過ぎてちょっと作品が荒れてきたのかな?


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』1巻。
 単行本を殆どメディアファクトリーにお引越ししたんで、『ピグマリオ』もこっちに来たみたいですね。実は初読です。
 設定説明がくどすぎたり、キャラの名前が適当でいい加減だったり、純粋さを強調しようとして、かえって不自然になってる主人公の「ボケ」ぶりなど、相変わらず欠点は多い。
 って、旧作だからしかたないけど。
 でも作者がぜったいやりたかったファンタジーだけに、リキが入ってるのはわかるのね。だからその「波」に乗せられて意外と退屈しない。
 なんてったって、精霊オリエがけなげだし……ってやっぱり女キャラ目当てで読んでるんかい(^_^;)。
 

 CSファミリー劇場で特番『千と千尋の神隠し 〜少女千尋の不思議な世界〜』見ました。
 でも字数オーバーで感想が書けません。悪しからず。


2001年07月20日(金) 一人で見る映画/映画『千と千尋の神隠し』

 連休に入ると、つい時間感覚がなくなる。
 夕べも「明日は早起きしなくていいんだ」と思ってつい夜更かし。
 で、楽しみの連休中も結局は寝不足のまま過ごすことになっちゃうのだ。
 朝方、しげはどうやら私を起こそうとしたらしい。
 らしいと言うのはもう記憶が曖昧だからなのだね。
 「映画行こうよう。朝だよう」
 「……朝って何時」
 「7時」
 「……映画館も空いてないやん、昼からでいいよう」
 そう言って、また眠りに入り、目覚めたらもう昼過ぎ。
 今度はしげの方が眠っている。
 「……どうした? 映画行くんじゃなかったのか?」
 「朝しか行きたくないよう。昼からはイヤだよう」
 どういう理屈だ。
 しげは、これまで、朝早くから映画に行ったことなんて殆どない。
 私にしてみれば、朝方に出かけて、昼過ぎに食事と買い物をして帰宅、というのが休日の過ごし方としてはベストだと思っているのだが、たいてい朝はしげの方が寝ていて起こしても起きないのである。
 今日だって、てっきり朝はしげがグズると思って、昼から出かけるつもりでいたのだ。でなきゃ夕べDVD見て半徹夜、なんてことはしない。
 ともかくいやがる奴を無理に引っ張ってたってしかたがない。しげのきまぐれとスケジュールに合わせていては、とても映画に行く時間など作れない。
 何しろいつ「今度の○曜、からだ空いてる?」と聞いても「わからない」とか「なんでアンタに教えないかんの?」としか答えないのだ。自分のスケジュールは教えたがらないくせに、こちらの都合ばかり聞きたがると言うのは見当違いじゃないか、と何度言っても改めない。
 性格が歪んでいるのである。
 品性が下劣なのである。
 根性曲がりと映画に行っても楽しくないぞ。わかってんのか。
 というわけで、映画には一人で出かけようと決心するが、それでもすぐには出かけない。
 しげの気持ちが変わって、「やっぱり行く」とか言い出しかねないので、ちょっとは待ってやるのである。
 ……なんでこんなアホウに気を使ってやらにゃならんかな。


 テレビ「ザ・ワイド」でショー・コスギのサクセスストーリーみたいなことをやっている。
 こういうのって、サクセスしてる時には既にもうオチメってことも多かったりするので、失笑ものだったりすることも多いのだが、「アメリカで今も活躍」とか言ってる割に流される映像はかつての「ニンジャ」シリーズばっかりだ。
 「日本人として初めてミフネもなしえなかった100万ドルスターになった」って言ったって、三船敏郎がハリウッド映画に出ていた頃とは、物価が違うってえのに、どうしてそう単純比較するかね。
 今、ショー・コスギがなんの映画に出てると言うのだ?
 しかも、「自分がかつて、単身、日本を出てハリウッドに来たように、息子のケインにもアメリカを出て日本で修業させている」って、アメリカじゃ仕事がなかったってことじゃないのか。
 日本でだって、ケイン・コスギ、ここしばらくは、『筋肉番付』で「サスケ」に挑戦する姿しか、私ゃ見たことないぞ。

 アクション俳優としてのショー・コスギを貶めるつもりはないが、ハリウッドで成功して金持ちになるのがステイタス、なんて勘違いを標榜されちゃ困るのである。
 一生貧乏でも、主役を張ることはなくったって、映画界になくてはならないって俳優はいくらだっているんだから。


 結局しげは自分の睡眠を優先しているので、一人で映画に行くことにする。
 途中、キャナルシティの福家書店で本を買いこむ。
 多分、長いこと並ばねばならないと思ったので、待ち時間を過ごすために本を買ったのだ。
 ……はい、そうです。初日に行っちゃいました。
 『千と千尋の神隠し』。

 ちょうど昼のニュースで、宮崎駿監督の舞台挨拶の様子が紹介されていた。
 「ラストの絵は私自身が描きまして、アレは水の中を靴が流れてる絵です。スタッフからは『全然分らない』って言われてますけど、あれは水なんです」とのコメント。
 なんのことやらわからなかったが、映画を見てみて納得。確かによく見ないとなんの絵か解らない。
 宮崎監督、絵がヘタになっちゃったなあ。

 話が前後したので、もとに戻す。
 福岡では天神東宝で、2館を使っての拡大上映。あと大野城のワーナーマイカルでも公開だが、意外なことにそれで終わり。新聞にはキャナルでも公開って書いてあるのに、ネットにゃ載ってなかった。時期をずらして公開するのか?
 どっちにしろ、あとでしげと見に行くことがあるとすれば、天神東宝には行かないだろうから、一人でならそちらで見て、映画館の違いを確認するのもいいだろう。

 ……予想通り、1時間前で既に二、三十人の列ができている。
 しかも、狭いフロアにどんどんことが入って来て、あっと言う間に鮨詰め状態になっちゃったものだから、とても本など読める状態ではない。
 30分前には200人は集まっていただろうか、こうなるとクーラーなんか効きゃしない。ただただ、汗が流れ続けるのをガマンするだけである。
 館員が整理しようとして何度も叫んでいるが、上映時間が迫るにつれ、人数は増えるばかりだから、そう簡単にいくものではない。
 「もっと詰めて下さい!」
 「押さないで下さい! 子供もいます!」
 そういう矛盾したことを言われてもなあ。
 開場した途端、「走らないで下さい!」という案内を無視して、みんな走る走る。こういう自分勝手な客どもが宮崎映画を見に来てるんだよな。宮崎監督のメッセージは誰にも届いていない証拠であろう。
 あ、私は走ってませんよ。念のため。

 予告編で新作『ゴジラ』の15秒スポット。チラリとだけ紹介のの新作シーン、殆ど『ウルトラファイト』。やめてええええ(TロT) 。
 なかむらたかし監督の新作アニメの紹介、これが内容が全く『A.I.』。
 鉄腕アトムの映画化といい、なぜこう同じ内容の映画が流行るかな。
 想像力の枯渇と言われても仕方ないのではないか。

 で、本編の感想はね、いろいろとあるけどね。
 『もののけ姫』見たときゃ、「『エヴァ』のマネやん」と思ったものだったけど、今度は「『オトナ帝国』のマネやん」。
 いや、偶然なんだろうけど、「お父さんお母さんを奪還する」ってストーリーの骨格は同じなのね。
 じゃあどっちが面白いかと言うと、「感動」という点でははるかに『オトナ帝国』の方が上なんだけれど、『千と千尋』も捨て難い面がある。

 『オトナ帝国』の原監督に比べて、宮崎監督の方が「家族」に対する見方がシビアな分だけ(家族の絆なんて信じてない)、物語としての求心力は失われてしまっている。
 これは映画としては明らかに失敗だ。
 だって、あの両親、救う価値ないんだもの。欲にかられてるだけの「ブタ」だし。
 だから、千尋があの不思議な世界で「自立」出来るのであれば、元の世界に戻る理由はなくなっちゃうんだよね。

 ……でもその「失敗」の部分が面白いとも言えるのだ。
 小ぢんまりとまとまることを拒否しているという意味で。
 だけど、映画を見てる観客は「お父さんとお母さんと帰れて、めでたしめでたしだったね」としか受け取ってないみたいなんだよなあ。
 よく考えてみりゃ、あの親たち、性格は「ブタ」のまんまなんだが。

 千尋はホントに人間の世界に戻れてよかったのか?

 予想通り、グッズ売り場には客が殺到。
 しかも「ハク」の人形は今日が初日だと言うのにもう売り切れ。
 ……みんな美形が好きなんだなあ。

 あとは「オタクアミーゴス会議室」にUPした感想を貼り付けときますので、ご参照下さい。



 どうせ結構ヒットするだろうし、一月くらい経って人が少なくなってから行ったっていいだろうと思いつつ、結局初日に行ってしまいましたよ、『千と千尋の神隠し』。
 でも私もさすがにいいトシなので前日から並ぶ元気はない(元気がないだけで恥の感覚はありません)。
 夕方からそれでも結構並ばねばならんのだろうなあ、と思いつつ、天神東宝に向かっていたのですが。

 途中、博多駅前を通りました。
 扇千景さんが選挙カーの上から演説をしておられました。
 「日本が戦後50年で復興できたのはなぜでしょう。スシです。スシを食べてるからです。スシを食べていれば太りません。たまに太る人もいますが太りません。アメリカ人やイギリス人は今、日本人を見習ってスシバーに並んでいます」
 思わず自分の耳を疑いましたね。何を言うとんのやこのおばちゃん、これは選挙演説ではないのかと思いつつ、いや、今日は『千と千尋』を見に行くんだ、ちょっと聞いていたいけど、と後ろ髪を引かれつつ、天神に向かったら。
 天神にもいました。扇千景以上に強烈なのが。
 一応福岡ではオシャレな場所ってことになってる岩田屋G‐SIDEの広場中に響き渡る『つっぱりハイスクールロックンロール』。
 「みなさん! 横浜銀蝿のランです! 嵐と書いてランと読みます! 暑い中、福岡までやって参りました! 福岡は暑いです!」
 ……オマエがもっと暑苦しくしとるわ。

 しかし映画を見る前にこんなキツイ二連発をくらって、さて、それを上回る感動を与えてくれるのか『千と千尋』と思いながら見ました。
 で、結果はと言うと。


















 うーん。
 二十年前に見てたら興奮して「『千と千尋』はいいぞお!」と触れ回ってたでしょうねえ。
 いや、楽しめはしたんですよ。
 ああ、久しぶりに「宮崎駿のマンガ映画が復活した!」って気分に最初はなって。

 実際、次々と出てくる妖怪どもの個性と来たら、これまでの宮崎作品の中でも随一と言っていいくらいでした。
 しかもそれが単にキャラクター造形として勝れてるだけでなく、当然のごとく個々の仕草、動きの違いで表現されているんですから。
 その妖怪たちの「動き」がこの映画の主人公、千尋の動きを相対的に魅力的に見せることに成功しています。
 ひょろ長い手足の操り人形のようなぎこちない動きはそれだけでフリークス的。もちろん、人間であるからこそ彼女はこの神々の住む不思議の町ではフリークスなんですけど。
 千尋が最初は弱虫の女の子だったのに、どんどん御都合主義的に強くなっていくのも構わないんですよ。目から流れる涙が眼球以上に大きいくらいの大げさな表現になってたって、それはマンガ映画の許容されるべきウソなんですから。
 ああ、やっぱりマンガ映画は「知恵と勇気で誰かを救いにいく話」だよなあ、もう『もののけ姫』でテーマがどうのってのはいい加減、宮崎監督も飽きたろう、『長靴をはいた猫』や『カリオストロの城』の単純明快な感動がいよいよ再来か、と思ってたんですが。

 やっぱり出てくるんですねえ、エコロジーが。
 描写としてそうしつこくはない。まあ、ギリギリ鼻につかない程度だと言えるかもしれません。
 でも、ドロドロに腐ったクサレガミかと思っていたら、からだの中に詰まってた自転車だのリアカーだのといった人間の捨てたゴミを全て吐き出したらきれいな河の神に戻った、なんて描写は、ちょっとあからさまなんじゃないですかねえ。
 で、そういう点を突っ込んでいったら、矛盾もボロボロ目についてくるんですね。
 その自然の神々のヨゴレを洗い流す湯屋の湯を沸かすのに、人間が作ったような釜を使ってたり、エントツから煤煙を空に撒き散らしたりしてるのはどうしてなんだよ、とか。
 パンフレットで宮崎監督自身、「こういうテーマがあるとか現代をこう思うとか、ややこしい話とは違います。10歳くらいの小さな友人たちのために作ろうと思っただけなんです」とか言っときながらなぜ、中途半端にエコが混じちゃうんですかね。

 映画見終わったヤツで、やっぱりそういうこと話し合ってる連中がいるわけですわ。
 「あの河の神の意味はね」とか、「カオナシにはどんな意味があったんだ?」とか。
 女の子や子供が「ネズミがかわいかったね」とかしゃべってるほうがよっぽど感じがいい。
 結局、宮崎監督が何を作っても、「エコ」の残滓が残るようになっちゃってるってこと、また、そのせいで、観客や評論家も、そういう「テーマ」ばかりを拾い上げて「これはただのアニメーションではない」だのと、未だに「アニメの存在自体は下らないもの、でも宮崎アニメだけは別」とアニメをバカにするような発言をインプットされてしまってること、この二点に、宮崎監督の不幸があるんじゃないでしょうか。

 ああ、もう何の理屈もない、ただのB級活劇の宮崎アニメは見られないものなのでしょうか。それを切に望んでる人は多いと思うんですがねえ。


2001年07月19日(木) 天ブラサンライズ/『吼えろペン』1巻(島本和彦)/DVD『サウスパーク無修正映画版』ほか

 明日から三連休である。しかも休日出勤のない連休だ。
 この機会に読み損ねていた本、見損ねていた映画をたっぷり見ねばと気分は高揚。仕事を大急ぎで片付け、2時間早引けして、しげを誘って天神に食事がてら買い物に行くことにする。
 回るところは決めているが、長引いたりするようだと、しげの仕事の時間が迫ってくるので、こういう時、私は遠慮なく有給を使って休む。こう休みが多いと、他人から僻まれることもあるんだが、本気で僻むやつは精神的○○者なので、気にするひつようはない。
 「銀ブラ」って言葉はあるけれど、福岡だとやっぱり「天ブラ」になるんだろうな。中洲や川端はブラつけるほどの広さないし。その辺、博多生まれの私にはちょっと悔しい(他地方の人には解りにくいでしょうが、「天神」という町は「福岡」であって、「博多」ではないのです)。
 一緒に出かける機会も少なくなっていたので、しげがはしゃぐことはしゃぐこと。……そんなにはしゃいで、外はすっかり暑くなってるてえのに、熱射病になるなよ。

 天神に行く前に昔馴染みの本屋に寄る。小さいけれど、福岡で一番早く新刊が並ぶ穴場な本屋なので(東京発売のほぼ翌日。どういうルートがあるんだ?)、何冊か本を買う。
 どういうわけか、しげは私がこの店に寄ることを嫌がるのだ。行きに寄ると「これから出かけるのに」と怒り、帰りに寄ると「もう帰るのに」と怒るのである。小さな本屋だし、そうたいした時間はかからないのに、イヤミを言われるのは理不尽だ。
 しげ自身は、ショッピングとなると、服屋であろうと、キャラクターグッズの店であろうと、なにも買わないで冷やかしばかりしているのに。そっちの方がよっぽど無駄な時間だと思うがなあ。


 しげがまたもやロイヤルホストに拘ったので、住吉通りを回って食事。
 ロイホは数あれど、ここのロイホは、焼肉プレートがあるのが特徴。焼肉好きのしげだから、てっきり焼肉を頼むのかと思ったら、「ここは高いから」と、普通の食事。
 食事を待つ間に、さっき買ったばかりのマンガ、島本和彦『吼えろペン』1巻を読む。ちょうど主人公のマンガ家、炎尾燃と編集者が「ロイホ」で打ち合わせしていたので苦笑。
 ……と「ロイホ」を連発しているが、私は日常会話でロイヤルホストを「ロイホ」と省略して呼ぶことは全くない(福岡では「ローホ」と略してる人のほうが多いみたいだが)。……「ロイヤルホスト」でいいじゃん。無理に略さにゃならんほど長いコトバでもあるまいに、というのがその理由だ。
 同じように、「マクドナルド」も滅多に「マック」とか「マクド」とか言わない。「マクドナルド」で何が不都合だというのだ。
 いやまあ、腹を立てるほどのことじゃないんだけどね。なんだか若者への嫉妬のように取られるのもヤだからこの辺でやめよう。

 『吼えろペン』、一応キャラクターは『燃えよペン』と共通してるけれど、設定はよりフィクショナルかつギャグの方向に傾倒している。
 なにしろ、人気ゲーム「ぴかりモン」の原作者と勘違いされた炎尾燃が、反日アメリカ人に雇われた女スナイパーに狙われるってんだから。……しかも、その女スナイパーを前にして炎尾が涙を流しながら叫ぶセリフが凄い。
 地球をバックに見開きタチキリで、「世界中でゲームやアニメが何百万本売れようが、おれには1円も入ってこんっ!!!」
 ……力説することかい。……力説したいんだろうなあ(^_^;)。


 「マンガ家の熱い魂」に触れた後、余勢を借りたように(^o^)、ベスト電器と福家書店に回ってDVDや本を買いこむ。
 夏コミのカタログ本を見つけて、買おうとするが、しげが「そんなん買ってどうするん」と文句をつける。
 「いや、山本弘さんのブースがどこにあるのか探そうと思って」
 「見つけられるの?」
 「見当はつくし」
 ……で、買ったんだけど、後で読んでみたら、余りに参加者が多過ぎて、全く見当がつかないのであった。あの5cmはあろうかという厚さはダテではなかったのだな。
 珍しくしげの判断が当たった例なので、きちんと記録しておいてやろう。……負け惜しみかな。


 初め、入院している間もDVDが見られたらなあ、と、携帯用のDVDプレイヤーを買おうかと思っていたのだ。でも、退院したらもう使い道がないことに気づいて、代わりに思いきって、DVD‐RAMを買うことにする。
 これでパソコンでDVDが見られるようになったなあ。
 ……この日記も、今ちょうどDVDをかけながら書いているのである。これまではDVDをかけていると、テレビの方に顔を曲げねばならなかったので、日記を書くのにも時間がかかっていたのだが、画面の横に目をやるだけですむので大いに時間短縮になる。
 そこまでして映画を見なけりゃならんかと言われそうではあるが。

 つい散財をしたおかげで、福家書店を回った時には、ちょっとサイフに余裕がなくなってしまっていた。
 今日こそは前々から買おうと決めていた『ダイナミックBOX』、買うにはン千円ほど足りない。とりあえずしげに一万円借りようとするが、永井豪嫌いのしげはなかなか首をタテに振らない。
 「『藤子BOX』なら買うけど、どうして私が永井豪を?」
 いや、ちゃんと一万円は返すから、と言っても、なかなか納得してくれない。拝み倒してようやく一万円を借りたが、こんなことならもう少し銀行からオカネを卸しておくんだった。


 しげが「入院してる時、着替えはどうするの? 私がいちいち洗濯物取りに行かないといけないの? 父ちゃんは入院してた時、どうしてたの?」とうるさく聞くので、買い物の帰りに姉の店に寄る。
 でも時間が7時を回っていたので、片付けに姉は残っていたが、父はさっさと家に帰っていたのであった。
 仕方がないなあと帰宅すると、待ち構えていたように父から電話。
 「店に訪ねてきたごたるね。何の用があったとや?」
 「入院の時、洗濯物どうしたとかいなと思って」
 「それがくさ、病院の洗濯機があんまり汚かかったけん、外出許可もらってウチに帰って洗濯しとったったい」
 「そげんね。何日に1回?」
 「1週間に1回」
 ……親父、そっちの方が汚くないか?
 「あと、洗面用具って洗面器も要るとね?」
 「ああ、要る要る。全部持っていっとった方がよかやろうね。持っとうとや?」
 ……洗面器のない家庭なんてないと思うぞ、親父。


 マンガ、あだち充『いつも美空』5巻(完結)。
 明らかな打ち切りだけど、なんとかオチはついた。……って、今までのスジは全部映画でしたってのは陳腐だなあ。いくら打ち切られたとは言え、もう少しなんとかならなかったのか。
 でもダラダラ続いて焦点のボケた作品になるよりは、5巻で終わりってのはいいまとまり方のようにも思う。
 かといってアニメ化はまずない。


 マンガ、園村昌弘・中村真理子『クロサワ』。
 映画監督、黒澤明の伝記マンガ、という体裁を取っているが、内容的には『トラ・トラ・トラ』降板事件の真相に迫ろうというもの。
 全体的に、「よく取材している」とは言える。しかし、『スピリッツ』連載中は、「黒澤明の捉え方が一面的に過ぎる」と非難轟々だったらしい。
 しかし、冒頭、「黒澤明の米アカデミー特別名誉賞受賞」「『生きる』ベルリン映画祭銀熊賞受賞」の二つが誤報であることを指摘したことは重要な事実ではないだろうか。
 確かにマンガ家の技量の未熟さは見てすぐわかる。そのために、黒澤明のキャラクターが、マンガのキャラクターとして全く魅力的に見えないのは致命的だ。しかし、解説を担当した黒澤プロダクションの田畑稔氏が、「このマンガの黒澤明は虚像だ」と言い切ってしまうのは「表現すること」自体を否定することにつながりかねない。
 「真実なんて、描けるはずはない」ということを解説で述べてどうするのだ。そんなことは解っていることでわざわざ言わねばならないことではない。書かれているものが自分の知る黒澤明と違っているなら、「あの人は本当はこうだった」と具体例を書くしか方法はないのだ。どちらが正しいか、というより正しいと思いたいかは読者が勝手に決めることなのである。その対象となるのが実在の人物であったとしても。

 でも、本当にあるのかどうか知らないけれど、黒澤版の『トラ・トラ・トラ』も見てみたいなあ。たとえ部分的であったとしても、『パールハーバー』よりは絶対に面白いと思うのである。これも勝手な想像だけどね。


 永井豪・石川賢・風忍・筒井康隆『ダイナミックBOX』。
 『三丁目が戦争です』の復刻版がほしくて買ったのだけれど、『デビルマン』、従来の単行本ではカットされていた表紙絵や、赤ん坊が惨殺されるページなんかが復活している。それだけだけど、ファンとしてはやっぱり嬉しい。
 でもあとのはたいしたことない。キューティーハニーのクリスタルフィギュアなんて、透明にしちゃったら色っぽくもなんともないぞ。
 記念品的な意味合いが強いので、確かにファンじゃなきゃ買わんわなあ。


 DVD『サウスパーク無修正映画版』。
 関西弁版の制作がネット上で散々非難されていたが、聞いてみるとヒドイと言うほどではない。ウマイとも言わないけど。
 まあ、『ルパン三世 風魔一族の陰謀』がキャストを一新した時に起こった非難と同じで、前のキャストに思い入れが深いと、どうしても悪口言われちゃうものなのだね。演技的には結構みんな熱演してたんだけどね。
 ああ、でも英語字幕が出るようになったから、これで「アンクルファッカー」も「ブレイム・カナダ」も「カイルのババアはスーパービッチ」も原音で歌えるようになれるぞ。
 ……なってどうすんだよ(-_-;)。


2001年07月18日(水) 夏到来! ……って暑いだけだって/『夢の温度』(南Q太)ほか

 昨日までの天気と一転して、今日はピーカン。
 つい昨日まで、また大水が出て川が氾濫するんじゃないかと心配していたのがウソのようだ。マンションのエレベーターの壁には、まだ「冠水の恐れがあるのでご注意下さい」というビラが貼られたまま剥がされていないが、この上天気ではいかにもマヌケだ。
 いや、上天気どころの話じゃないぞ。
 玄関を開けるなり、ブワッと熱風が押し寄せてきて、なんだなんだと驚く間もなく飛び込んでくる、耳を劈くほどのアブラゼミの大音声。
 ……季節の変わり目ってのは、もう少しなだらかに移って行くものじゃないのか。こんなに解りやすい夏の到来も珍しいなあ。

 しかし今年も鳴いてるのはジワジワジワジワ、アブラゼミばかりだ。子供の頃聞いていたミンミンゼミの鳴き声は、福岡の町中ではとんと聞かなくなってしまった。
 でも「セミの鳴き声は?」と聞かれれば、やはり「ミンミン」と答えてしまう。子供のころに習った「せみのうた」(さとう・よしみ作詞/中田喜直作曲)でも、全く何の説明もなく、セミの鳴き声は「ミンミン」に限定されていた。
 歌の出だしは「せみ せみ せみ せみ せ みんみーん」で、まるで「せ『み』」だから「みーん」と鳴くのだとでも言いたげだ。
 ……ただのシャレじゃん。でも、これ、ちゃんと語源説の一つとしてあるのよ。方言によっては「せーみ」とか「せび」「せんみ」「しみ」「すーみ」と呼ぶ地方もあるようだから、説得力ないわけではないのだね。
 ほかにも「セミ」の語源は、音読みの「セン」が訛ったものとする説があるが、この「セン」ってのは「震える」という意味なので、昔の中国人は、セミが腹を振動させて音を響かせていることをちゃんと知っていたのだ。おお、意外と科学的。
 さて、中国でも「セミ」といえばミンミンゼミを指すのだろうか。そのへんは実はよく知らない。
 ミンミンゼミは水のキレイなところにしか住めないということだから、明らかにその棲息区域は年々狭められているのである。もう何十年かしたら、すっかりアブラゼミに駆逐されてしまっているかもしれない。


 第125回直木賞に、藤田宜永(「よしなが」って読むんだ。……今まで「せんすい」って読んでたわ。うーむ)『愛の領分』が受賞。
 小池真理子さんと揃って、夫婦受賞ってのもお初だとか。でも実は私は、お二人の作品、全く読んでいない(小池さんのホラーにはちょっと興味があって何冊か買ってるんだけど、積ん読ならぬ埋もれ読になっている)。
 読んでない人の話をなぜわざわざ日記で取り上げるかというと、この二人が強烈な猫マニアだからなのだね。
 『文藝 別冊総特集 作家と猫』という雑誌で、自分たち夫婦がいかに猫が好きか、ってことを対談してたんだけど、まあ、ペット雑誌ならばともかくも、文芸雑誌でいったいどういう読者を想定しているのかわからぬままに、陽気に「猫話」に興ずることが出来ることに半ば呆れつつ、「これも猫の魔力か」と納得もしたのだ。
 普通、作家同士の結婚って、数年で破綻するものなのだが(←偏見だけど実例多し)、この二人、妻の方が先に直木賞を受賞し、しかも収入も妻の方が多いという、離婚にはもってこいの条件があるにもかかわらず(だから偏見だってば)、未だにおしどり夫婦で有名である。
 で、どうやらその秘訣(?)は「猫」にあるようなのだね。お二人がもし猫を飼っていなかったら、夫婦円満でいられたかどうか。いささか妄想は入っているけど、これ、意外と「文学的主題」ではないかと個人的に思っているのだね。

 そういう名称で呼んでいいかどうか分らないが、世には「猫文学」というものが存在する。
 エドガー・ポー『黒猫』は、猫文学の最高峰の一つだと思うが、あれは一言で言うと、ゴシックホラーと言うよりは、「猫好きの妻と猫嫌いの夫の悲劇」である。ハインライン『夏への扉』が『黒猫』にインスパイアされているという説を私は勝手に唱えているのだが、そういった骨組みで両者を比較してみると、結構通じるものがあるんじゃないかと思うの。
 面白いことに、男と女の間に「猫」が介在した場合、文学上そこには「悲劇か喜劇か」の両極端しか描かれないのだ。普通の「猫小説」と言うものは余りない。
 猫に見入られる、魅せられる、そう言ってもいいと思うが、猫に何か人間以上の神秘性を見出している結果が、そのような小説群を生み出しているのは間違いない。
 『吾輩は猫である』の猫は批評家であるし、『三毛猫ホームズ』の猫は探偵だ。これらは喜劇だが、悲劇に目を向けると、それこそ具体例は枚挙に暇がない。日本は特に「化け猫」が『南総里見八犬傅』を始めとして、妖怪モノの定番になっている。
 それは、猫の仕草、猫の瞳の変化、それらに我々が人間の無意識を投影し、象徴させてきた結果である。猫の瞳は、我々の心の奥を覗き見る。我々は猫の前で決して心を隠していることは出来ない。猫は「サトルの化け物」であり、また全てを見通す「神」でもある。
 だから我々は猫に対しては、心をゆだねるか、拒絶するかの二つの手段しか取り得ない。「悲劇か喜劇か」の原因はそこにあるのだ。

 科学が一応、我々の周囲から「不思議」を取り払ってしまったことは、昔のような単純な虚構を我々が生み出せなくなっているということでもある。
 私たちの周りには、人を化かすキツネもタヌキもいない。
 猫は、唯一今も残っている、実在する「妖怪」なのである。

 で、今度のウチのお芝居、「猫」話なわけです。しかも典型的な。
 この話に繋げるために今まで前振りしてたのでした。宣伝でどうもすみません。具体的な内容を書かずにお客さんに興味を持ってもらうって、大変なんスから、ほんとにもう。


 休憩するヒマもなく仕事が続く。
 こういうときゃテキトーに手を抜きゃいいんだろうけど(「手を抜く」という言葉、私ゃ別に悪い意味で使っちゃいない)、かえってハイテンションで仕事しちまうのはなぜだ。自暴自棄か。

 晩飯を作る元気も外食する気力もなかったので、コンビニ弁当を買って帰る。
 しげが喜んで私の分まで食おうとする。
 昼間、買い物して米だけでも炊いてくれてれば、私ゃオカズ作るだけですむのになあ。その程度の家事すらしないやつなのだ、こいつは。
 テレビで、幼児虐待して殺した夫婦のニュースを見ていると、「妻は家事を全くせず、家の中は汚く劣悪な環境にあった」とか言ってる。実際、ウチに子供がいたら、この部屋に住ませるだけで虐待行為になるのだということはよく分る。
 ……せめて毎日ゴミだけでも捨てろよ。


 ようやく今週の『少年ジャンプ』をコンビニで立ち読み(困った客だ)。
 『ヒカルの碁』、ついに佐為が消えてしまった。
 余りにも見事な消え方で、これは単に「ヒカルのそばからいなくなった」とか、「どこか別のところに行った」なんて中途半端なものではない。「虎次郎が佐為のために、佐為がヒカルのためにあったように、ヒカルもまた誰かのために生きるのだろう」……これは、明らかに「死」のイメージである。
 だとすれば、これは『ヒカルの碁』にとって、一つの正念場だ。
 ジャンプマンガのセオリーに則れば、佐為はこのまま消えたりはしない。ロビンマスクが、紫龍だったか誰だったかが(『星矢』は熱心に読んでなかったから覚えてないわ)、ピッコロがいとも簡単に復活したように、佐為も何らかの形で復活する。
 でも、たとえ佐為が幽霊であったとしても、『ヒカ碁』はあくまで現実の物語だ。物語のテンションを落とすまいとするなら、決して佐為を復活させてはならない。そういうところに、作者はこの物語を追い込んでしまったのだ。
 佐為がいなくなって、それで物語が続けられるのか、という意見もあろう。
 しかし、最重要人物がいなくなってもなおドラマとしてのレベルを落とさずに更に長期連載を続けたマンガがこれまでにもあった。
 ちばてつやの『あしたのジョー』、あだち充の『タッチ』。
 この二作は、はっきり、ライバルがいなくなったところから新たなドラマが始まっている。
 決して楽な道ではない。人気キャラに寄っかかっていれば、とりあえずの人気は取れて、連載を続けることはできるからだ。しかし、どんなにファンがついていようと、『キン肉マン』や『聖闘士星矢』や『ドラゴンボール』を傑作と呼ぶことはできない。それは、マンガファンとしての良心の問題でもある。
 作者にその良心があるならば、更に『ヒカ碁』が長期連載を試みるのならば、これからのドラマこそが、本当の『ヒカルの碁』の始まりとなるだろう。それは、ヒカルにとっても、作者にとっても、茨の道であろうことは想像に難くない。アホな編集なら「佐為はいつ再登場するんですかあ? そろそろ出さないと人気落ちちゃいますよう」などと言い出しかねないからだ。
 でも、そんなアホな要求に屈する作者たちではあるまい。そう信じられるのは、今までの、ある意味ジャンプのセオリーを崩しつつ、ここまできたという実績ゆえだ。
 ……正直言って、原作のほったさんが、こんなところにまでドラマを追いこむとは思ってもいなかった。……まだまだ私の見方は甘かったのだなあ。
 世のマンガファンよ、端倪すべし。


 マンガ、南Q太『夢の温度[夏祭り]』。
 前々から読んでみようかどうしようかと気になってた南Q太。
 先日読んだ『20世紀少女マンガ天国』で、「かわいい女の子が激しくセックスするマンガ」とミもフタもないことを書かれていたので、かえって面白いんじゃないかとまとめて作品集を買い込んでみたのだ。
 こういう「賭け」に近い衝動買い、言ってみれば私の「カン」なのだが、結構このカン、外れない。
 うん、アタリでした。今まで読まずにすませていたのがもったいなかったなあ。これはイイよ、ほんとに。

 とりあえず、「かわいい絵でやりまくり」という印象は本作にはなかった(^.^; )。
 南Q太の絵は、明らかに江口寿史の流れの上にある。ヨシモトヨシトモやガロ系の漫画家もちょこちょこ入っているようだが、均質な線で描かれる人物、ハイライトの少ない目、引き結んだ口を表す下唇の線などは特徴的だし、主要キャラ以外の人間をこれでもかというほどにブサイクに描くあたりの差別性も江口風だ。おかげで、その絵だけで主人公たちのセックスが純愛に見えてしまう効果がある。実際、ドラマ的にもある意味純愛ではあるんだけど。

 28歳までずっと処女のままの教師、町子。周りの独身男はダサイというよりは汚らしく気持ちの悪いヤツばかり。少し頭がコワレかけている母親からまで結婚を迫られて、本当になにげなく、町子は教え子のアキと関係を持つ。
 「淋しくて誰でもよかったのかも」
 そう呟く町子だったが、ここまでは、従来のマンガにもよくあるように、「赤い糸」で結ばれた相手を求めるオトメの陥りやすい罪悪感。これからあと、それこそありきたりのマンガなら「本当の恋人はこの人だわ」と思いこもうとするか「私の運命の人は他にいるわ」と旅に出るかするものだが(笑)、本作は違った。
 ムズカシイことを考えることはやめて、ただヤルよーになるのだ。おいおい(=^_^=) 。

 でも、そんなもんでもいいよな。男と女の仲って。

 差別的かもしれないが、顔がよければ男と女の壁なんて結構、乗り越えられる、ということでもある。外見だけじゃ駄目、なんて言うから話がコムズカシクなるんであって、顔だけでいいじゃん、ということになれば拘りはグッと減ったりもするのだ。
 進歩的と呼ばれるような女性が、どんなに「誰でもよかった」に対して、拒否感、罪悪感を抱こうと、事実は男と女は「誰でもいいから」相手を選んでいるのである。
 逆に、相手を「誰でもよくない人」「唯一の人」なんて認識したりすると、男と女の不幸は始まってしまうのだ。
 モラルとか思いこみを捨てたところからしか恋愛は始まらない。大島渚の『愛のコリーダ』がただただセックス描写のみが続くにもかかわらず、世間の通念とは違って堂々たる純愛映画になっていたように、セックスはそれだけで愛となるのだ。

 それで今、ちょっと思いついたミニ小説。

 何となく振り向いたぼくと彼女の声がはもった。
 「ねえ、しよ」
 プッ、と噴き出して笑ったあと、ぼくたちは二回、セックスした。

 ……たった三行だけど、ちゃんと小説になってるなあ。うーむ、セックス恐るべし。
 

 マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん ファミリー編』。
 コンビニ用の雑誌マンガ。
 単行本、持ってるのにわざわざ買ったのは、プレゼント付き、と書いてあったからだったが、よく読んでみると「抽選で500名」だった。
 クソ、表紙に騙されたぜ。
 でも同じテーマの作品ばかり集めると、ルーティーンギャグの変遷もわかって面白かったけど。「『しんちゃん』を読んだことない」って人にはまずこの雑誌を読ませるというのも手かも。


2001年07月17日(火) 何年ぶりかの酒の味/『水木しげる貸本漫画傑作選 悪魔くん』上下巻

 最近、早寝をする癖がついてしまっているので、目覚めるのも必然的に早くなってしまった。
 8時、9時にはもう寝てしまっているので、起きるのが3時、4時。
 ちょうどその時間帯にしげが仕事から帰ってくるので、必然的にパソコンの奪い合いになる。
 なんだかなあ、私の方がウチにいる時間が短いんだから、私に譲ってくれてもいいじゃんか、お前は昼間使えるんだし、と主張するのだが、しげは「私の寝る時間がなくなるじゃん!」と怒るのである。
 ……ちょっと待てや、しげが帰宅してすぐに寝たとして、昼間も寝続けて、で、仕事に行く時間になっちゃうとしたら、やっぱり一日の半分以上寝てる計算にならんか?
 一日、12時間以上寝てるやつが、起きてるときずっとパソコンにかじりついてたら、そりゃ、家事する時間がないのも当たり前だ。
 だから、「寝る時間がない」なんてウソをつくなよ。単に人より寝過ぎてるだけじゃないか。家事をちゃんと手伝った上で、自分の主張をしろと言ってるのに、なんでそうワガママばかり言えるのだ。
 でも、最近私も疲れ気味なので、しげを怒鳴りつける元気がない。と言うわけで、結局パソコンはしげが使い続けることになるのであった。
 日記の更新が遅れるのは全てしげが悪いのだ。
 罪滅ぼしに、私の入院中、日記のUPを続けてもらわなきゃ割が合わんよなあ。


 空はどんより雨模様。
 おいコラ、昨日で梅雨明けじゃなかったのか。
 天気予報じゃまだ晴れ時々雨なんて言ってやがるぞ。

 ふと、気がついた。

 今日は、しげに成人病センターまで、職場に提出する私の診断書を取りに行ってもらうように頼んでいる日である。
 しかし、外は雨(が降るかもしれない)。
 雨が降ってる時には結構大切な用事があっても外に出ようとしないのがしげだ。

 いや、それ以前に、しげは「診断書を取りに行かねばならない」こと自体忘れてはいないか。
 記憶力に関しては鳥にも劣るしげのことである。その可能性は大だ。
 職場から電話をかけて確かめてみるという手はある。
 しかし、仮にしげが電話に出なかったとして、それが外出しているためであるのか、それともグータラ寝てるだけなのか、どちらか判別がつかないではないか。

 私は今までのしげの過去の言動を心の中で反芻した。
 しげを信頼すべきか否か。

 そして、私はしげを信じた。

 絶対、忘れてるに違いないと。

 会議や他の仕事もいろいろ残ってたんだけど、同僚に押しつけ、いやいや任せて、職場を早退した。
 で、帰宅してみると。

 「……なんで、早く帰ってきたん?」
 きょとんとしたしげの間抜けヅラがそこに。

 私は思う。
 私くらい、自分の妻の性格、言動を見ぬいている夫はいないだろう。くくくくく((((T-T*))))。

 心の中でしげにムチを打ちつつ、西新の成人病センターまで診断書をもらいに行く。しげは本来自分が一人で行かねばならないのに、二人で行くことになってはしゃいでいる。……少しは罪悪感を持てよ。

 用事は5分で終わり。でもウチから行き帰り1時間ずつかかるんだよなあ。
 なんかムダだ。
 帰りにまた「ひなっ子」に寄って、「串膳」を頼む。
 鶏尽くしの御膳で、唐揚げ、串焼き、吸い物となかなか趣向を凝らしているが、中でも「鶏わさ」というのが特に美味。鶏のササミのタタキをわさび醤油で食べるものだが、固からず柔らかからず、噛んだ時のクニュッとした触感が絶妙。
 メニューに「カルーアミルク」とあったので、なんだこれは、なにかミルクに果汁でも混ぜたものかなと頼んでみる。
 お、意外と美味しいじゃん。

 ……と、一気に飲んじゃったのが失敗。

 これ、カクテルだったのね。
 私は糖尿で酒は一切飲まないが、もともと酒にはく極度に弱い体質で、三三九度のおちょこの日本酒で酔っ払ったというヤツなのである。
 いやもう、からだ中が熱い。
 頭が腫れあがるようだ。
 結局、酒が抜けるまで1時間かかっちまった。
 あとで調べてみると、カルーアミルク、アルコール度数は9度しかないそうである。……それで酔っ払うかな、普通。

 外はいよいよ雨降り。
 酔っ払いの頭には少しは涼しくなって、かえってありがたい。
 文房具屋とベスト電器を回って、ファイルやキーボードカバーなどを買う。西新、滅多に来ることはないけど、結構モノを揃えやすいなあ。
 金文堂で本を買いこむ頃には外は土砂降り。仕方なく雨宿りに、隣のハンバーガー屋に入る(店の名前は忘れた)。
 
 晩飯がハンバーガーというのは味気ないけれど、仕方がない。
 雨が小降りになるまで、買ったばかりのマンガなどを読みながら過ごす。 
 帰宅は結局、午後8時。帰りつくなり、今日も早寝をするのであった。……で、やっぱり朝起きると、しげがパソコン使ってて、私には何もさせてもらえないのであった。 


 マンガ、横山光輝『仮面の忍者赤影』1巻。
 昔持ってたコミックスは紛失したりボロボロになってたり、というわけで、文庫になったのをいい機会に、改めて買い直し。
 表紙の絵が妙にキレイでなんだかアシスタントに描かせたっぽい。
 病気して以来、『殷周伝説』なんか、横山さん自身の線は震えまくっていて、昔日の流れるような線とは程遠くなってるからなあ。
 久しぶりに読み返してみると、山田風太郎忍法帖にヒントを得ているとはいえ、やはりそのストーリー展開の妙には堪能させられる。
 赤影たちの敵となる、甲賀霞谷七人衆、これが実に魅力的なのである。
 ホームページを立ちあげる時には、赤影テレビ版のコーナーも作るつもりなので、ここでちょっと原作キャラとの比較をしておこう。

 <原作>甲賀幻妖斎   <テレビ>甲賀幻妖斎(天津 敏)
    黒童子         悪童子  (大城 秦)
    鬼念坊         鬼念坊  (芦田鉄雄)
    朧一貫         朧一貫  (阿波地大輔)
    夢堂(ゆめどう)典膳  夢堂(むどう)一ツ目(汐路 章)
    ガマ法師        蟇法師  (近江雄二郎)
    土蜘蛛         闇姫   (岡田千代)
    傀儡甚内        傀儡甚内 (波多野博)

 ある程度、名前を拝借してはいるけれど、キャラクターがまるで変わっちゃってるのも多いんだよね。というか、実はドラマよりマンガの方がよっぽどリアルだったりするのだ。
 ガマ法師が操る巨大ガマ、ドラマでは火まで吐いてたが、原作はガマ法師が長年育てたというだけのガマ。
 ドラマの魔神像は巨大ロボットだったけど、原作では幻妖斎の集団催眠で動いているように見えただけ。荒唐無稽にも理由がなきゃならないっていう横山さんの拘りなんだよなあ。ドラマと比べてどっちがいいかってのは一概には答えられない。
 ドラマとなにが一番違うって、原作の甲賀幻妖斎、戦国大名六角義治の雇われ忍者なんだよね。忍者は所詮大名のパシリってシビアな見方が横山さんにはあったのだ。
 だから七人衆、実は赤影たちと戦って立派に死ぬ者ばかりではなかったりする。
 凧を操って空を飛ぶ黒童子は、燃える凧に巻きこまれて事故死、傀儡甚内も雷に打たれて死ぬ。朧一貫は捕虜にされるくらいならと自殺しちゃう。
 いつの時代も下っ端は悲しいよなあ。 


 マンガ、水木しげる『悪魔くん』1・2巻。
 テレビドラマ化された方じゃなく、後の少年ジャンプ連載、『千年王国』でリメイクされることになるオリジナル貸本版。
 いや、前に太田出版から出てたデカ本で買ってたんだけど、もう『悪魔くん』は私の精神的支柱なもんで。
 実は私は革命主義者(笑)なんだが、それはマルクス主義に基づくものではなく、『悪魔くん』に依拠するものなのである。……ってことはサタニストなのか、私ゃ(^.^;)。
 よく読むと、悪魔くんがホンモノの悪魔を呼び出してまでして、この世に築き上げようとした万人が兄弟となる平和な王国ってのがどんなんだか、よく分らないんだよね。リメイク版ではそれが「子供による統治」と具体的に描かれることになるのだけれど、さて、貸本版を描いていた時点で、水木しげるがそんなことを考えていたかどうか、どうも疑わしい。
 悪魔くんの12使徒も、後に描かれたものと当初の構想とは大きく違っていたのではないか。貸本版が途中で打ち切られたものだとしても、既に「梟女」などは登場していなければいけないはずなのに、影も形もないからである。
 私自身は、水木さんが当初考えていた「地上の天国」は、『原始さん』で表されたような「文化のない世界」だったんじゃないか、なんて適当に考えているのだが、もちろん根拠はない。
 ヤモリビトがいみじくも喝破したように、「悪魔くん」は「悪魔」以上の「悪魔」なのだ。自分の使徒を作るためなら殺人も厭わない超神童なのだ。人間のくせにエリートだとか、金持ちだとか、どうでもいいことに拘っているやつに対しては容赦しない子供なのだ。
 「悪魔」は極めて原初的な存在である。全てを「原始」に帰す。そこからもう一度、人間の歴史をやりなおす。それが水木さんの考える「楽園」だったのではないかという気がしてならない。
 ……って、それ『エヴァ』じゃん(^^*) 。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)