無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年07月16日(月) 私のマスコミ嫌いも根が深い/『雪が降る』(藤原伊織)/『新ゴーマニズム宣言』(小林よしのり)ほか

 またもや今日も雨。
 なんかこの1ヶ月、完全に一日晴れてた日なんか、二日くらいしかなかったけど、どうやらようやく今日で梅雨も開けるらしい。
 タクシー代を散財するのも今日あたりが最後か。
 仕事帰りに乗ったタクシーの運ちゃんに、「雨の日のほうがお客さん、多いですか?」と聞いたら、「学校の送り迎えのお子さん連れからの呼び出しが多くなりますねえ」とのことだった。
 贅沢しているなあ。って私もだけど。


 マンガ家の秋本治氏が第30回日本漫画家協会賞大賞受賞。
 受賞作は『こち亀』。……それ以外にないよな。
 受賞にケチをつける気は毛頭ない。でも、なんだか首を傾げたくなるんだよなあ。
 ……「協会賞」っての、つまりは「永年勤続賞」ってことなのかい?
 『こち亀』をマンガとして評価しようと思うと、それは実際、無茶苦茶難しいことなのだ。
 岡田斗司夫さんが『ドラえもん=こち亀』説を唱えたのは記憶に新しいが、ある状況に両さんが介入して暴走を始め、カタストロフィに至るという展開、別に『ドラえもん』にルーツを求めなくても、コントというかコメディスケッチの基本パターンなのだよな。
 『8時だヨ!全員集合』のコントのラストの「屋台崩し」なんて、両さんの「派出所破壊」とそっくりじゃないか。
 いや、マンネリがいけないってことじゃなくて、そのマンネリにこそ偉大なる価値があるって、審査員が考えた上での受賞なのかってことなんだよね。
 更に評価が難しくなっちゃうのは、マンネリでありながらも時々とんでもない実験作を秋本さんが試みてるってことだ。
 俯瞰のアングルのみでマンガを描く、上下段で違うマンガを描く、少女マンガ、児童マンガ風に描く、真っ白な画面を続ける、これだけ聞くとまるで赤塚不二夫か唐沢なをきのギャグマンガだ。内容的にも「神様」出した時点で「なんでもアリ」になっちゃってるし。
 で、それを面白いと判断しての受賞なのかどうか。
 秋本さんがそういう実験作を描き始めたのは別に最近のことじゃない、だとしたら、10年、20年前に受賞してたっておかしくないはずなんだが。
 やっぱり「21世紀まで続いた」ってことで受賞させたんじゃないのかなあ。そのせいで、本来、今年受賞すべきはずの作品が何かオミットされてたとしたら、ちょっと問題なんじゃないかとも思うのだけれど。
 

 夕べは余り充分な睡眠時間が取れなかったが、今日はそれほど仕事がキツクなかったので助かった。実はもうちょっとで仕事がひと区切りつくのだが(だから入院することもできるのだけれど)、それまではもうひと山くらいありそうなのである。一つ山越しゃホンダラッダホイホイってか。
 帰宅して、日記を書きながら漫然とテレビを見る。
 『そんなに私が悪いのか』という古館伊知郎が司会するトーク番組で、「ミスコンは女性差別だ廃止せよ」「いや、ミスコンは女性の自立を促すものだ、続けろ」みたいなバトルをやっていた。
 ミスコンなんてあろうがなかろうが私にはどっちでもいいことなんだが、こういう「今あるナニナニは差別的だからなくそう」と言われてるモノについては、実はそう言ってるヤツらのほうが差別的ってことが往々にしてある。
 「女を容姿だけで判断するな」という意見に対して、ミスコンの女王と言われた女性が、「容姿だけで判断するミスコンなんてない」と反論したのは面白かった。今時のミスコン、筆記試験まであるのだねえ。考えて見れば、ミスコンって、たいてい「キャンペーンガール」として使われてるわけだから、ただ立ってニッコリしてりゃいいってもんじゃない。受け答えがきちんとできなきゃダメなんだよな。例えば「ミス福岡」が福岡のことをなーんも知らんじゃ話になるまい。
 言ってみりゃ、ミスコンってのは期間限定の契約社員みたいなものなのだから、それを阻害するってのは職業選択の自由を犯してるってことにもなるわな。
 ミスコン反対派の女性から発せられたこのセリフがまた笑える。
 「でも、ブ○って言われた時、女性がどんなに傷つくかわかりますか?」
 ……それはなにかな、ミスコンに出場するヒト、ミスを選ぶヒト、ミスコンを楽しんで見るヒトがみんな、「○スを蔑むためにそういう催しをしている」とでも言いたいのかな?
 遠慮なしに言わせてもらうが、それこそ被害妄想であり、「ブ○の僻み」である。テレビじゃそこまでは言い切れなかったようだが、視聴者はほぼみんなその言葉を心の中で反芻していたことだろう。この場合の「ブ○」はもちろん、外面のことを言ってるわけじゃない。
 「あなたは心のブ○よ!」(某アニメのセリフをアレンジ(^▽^笑))
 美しいものを見たい、美しいものに憧れる、その気持ちがあるから、芸術だって生まれてくるのだ。そしてその「美しさ」ってのは「外見」だけに拘ってるものじゃない。ソトヅラだけよくて腐った心根が表情に現われてるようなヤツと、まあ、そう顔が整ってなくても、愛嬌や優しさが表情に表れてる子がいたら、どちらが受賞するかは解りきってるじゃないか。
 ミスコンを支持してるのはスケベな男ばかりじゃないってこと、フェミニズムを標榜してるヒトたちは、ちと考えてもらったほうがいいと思うがな。
 こういう問題になると必ずしゃしゃり出てくる田島陽子センセが今回はゲストに呼ばれてなかったな。単に忙しかっただけなのか、ああいうアホ(わざとアホを演じてる可能性もあるけど)が出て来るとさすがに番組自体がオフザケやヤラセと勘違いされると思ったのかどうか分らないけど、まあ、誰を呼んできたって、こんな企画はアホを見て嘲笑うものにしかならないわな。


 エンターブレイン『20世紀少女マンガ天国』読む。
 ああ、少女マンガの歴史も『20世紀』でくくられるようになったのだなあ。
 現代の少女マンガのルーツを手塚治虫の『リボンの騎士』に置く見方は、間違いとは言えないが、その前後の解説の記述がやや不足しているように思える。
 少女小説の挿絵画家たちや、倉金章介の『あんみつ姫』などがカットの一つも紹介されてないのはどうかという気もするが、編集者たちが紹介したいメインのマンガ家たちが、24年組以降の作家たちであるのは明らかだから、多少の偏りは致し方ないのであろう。
 評論誌的な体裁を取っているようだが、その批評性は薄い。執筆者たちが、キャラクターやテーマに感情移入してしまった結果、客観的に作品を見ることができなくなってしまっているのだ。ここには、「少女性」とか「夢物語」「愛と哀しみ」「ナイーヴさ」「想像力」「感性」など、何かを語っているようでいて実は何一つ作品分析に寄与していない言葉が浮遊している。こういうのは一種のカタログ雑誌として読むのが妥当なところだろう。
 あ、でも「少女マンガ誌の読者はどんなマンガ道を辿るか」ってので、『花とゆめ』から流れる≪白泉社ライン≫は少女マンガ・オタクへ通じる道って解説には笑った。確かに『花ゆめ』→『メロディ』→『プータオ』(出版社違うけど『WINGS』や『ASUKA』に流れる読者も)って流れ、ありそうな感じだものなあ。
 この本を読んで初めて知ったこと。
 『雨柳堂夢噺』の波津彬子、花郁悠紀子の妹さんだったとは。しかも花郁さん亡くなってたなんて……。少年マンガ家さん以上に少女マンガ家さんは、年齢やプライバシーを隠したりする例が多いし、全然知らなかった。
 三原順が死んだの知ったのも一年以上あとだったし。
 生々しくリアルなマンガを描いていながら、その作家の存在が現実のものとして私たちの目の前に現れてくるのが、当の作家の死の瞬間だというのは、切なくて寂しい。
 それこそ少女マンガじゃないか。


 『少年画報大全 20世紀冒険活劇の少年世界』。
 月刊誌『少年画報』が廃刊になったのは昭和46年だ。もう若い人はその存在も知らないよなあ。
 私にしたところで、ウチで『画報』を買ってたのは子供のころのごく一時期だ。しかも既に記憶が曖昧で、年譜を見てみても、いつごろ買ってたのか断定できない。桑田次郎の『バットマン』を見てたような気もするが、そうなると昭和41、42年ごろ。3歳か4歳だ。ちょっと早すぎる気もするなあ。同時期の連載に森田拳次の『ロボタン』や手塚治虫の『マグマ大使』があるが、アニメや特撮の印象の方が強くて、マンガのほうまで読んでたかどうか、記憶にない。後年、単行本で読み返しはしてるけど。
 でも藤子不二雄の『怪物くん』がバタ臭くて嫌いだったという記憶は鮮明に残ってるから(このころから、FさんとAさんとの嗜好の違いを見分けていたのだなあ。3歳のガキのくせに生意気である)、読んでたのは確実なんだが。

 もちろん、私は『少年画報』を代表する二大マンガ、福井英一・武内つなよしの『赤胴鈴之助』や、桑田次郎の『まぼろし探偵』の時代には間に合っていない。だから、今回の特集で復刻された幻の福井英一版『赤胴鈴之助』を読めたのは感無量だった。(マンガ研究家には常識だが、『鈴之助』はもともと福井英一が第一回を描いた時点で急死し、あとを武内氏がつないだものなのである。現行の単行本では、第一回も武内氏が書き直しているため、福井版第一回は本当に幻になっていた)
 読んでみると、鈴之助の顔がやはり福井タッチで、『イガグリくん』少年版といった感じだ。
 ついでに言えば、東京ムービー製作のテレビアニメ『赤胴鈴之助』(キャラデザインは多分楠部大吉郎か小田部羊一)の顔だちが、原作は細長いソラマメ型なのに、随分丸顔で違ってるなあ、と思っていたのだが、原作の後期の絵柄がアレに近かったのだね。マンガのつねとして、細長く設定された顔でも、連載が長期化するにつれ、だんだん丸くなってしまうのである(リメイク版でまた細長くなるのはご愛嬌)。

 梶原一騎の小説デビュー作なども収録したこの雑誌、細かく読みこんでいくと新発見がたくさんある。梶原一騎、昭和38年に『新戦艦大和』と称して、世界征服をたくらむキラー博士から地球を守るため、「空中戦艦大和」を建造する「沖田艦長とその子供たち」って設定の原作を書いているのである。
 ……こわ持てで知られるカジワラ氏、よく『宇宙戦艦ヤマト』公開当時に「おれの原作を盗んだな!?」と文句をつけなかったな。
 もっともそんなカジワラ氏自身、東宝の『海底軍艦』がこの年の12月に公開されてるから、ストーリーを小耳に挟んで、いち早くマンガにパクったただけかもしれないけど。
 
 付録に創刊号の完全復刻(当初のタイトルは『冒険活劇文庫』)が付いているが、巻頭連載が永松健夫版の『黄金バット』!(加太こうじ版のほうが今は有名になってるけど、こっちのほうがオリジナル作家)
 紙芝居版は散逸して完全復刻は不可能だろうから、こちらの雑誌版はどこかで復刻してほしいなあ。


 藤原伊織『雪が降る』。
 ミステリーだと思って読んだらただの普通小説集。
 ……ちょっと詐欺にかかった気分だ。
 乱歩賞・直木賞のW受賞、『テロリストのパラソル』でも「文章の練達さ」が評価されてたけど、確かにヘタじゃないんだけど、この人の文章のうまさって「底が見える」うまさなんで、あまり誉めたくないんだよなあ。
 物語に読者を引きこむテクニックの一つは、読者を「おやっ」と思わせる「違和感」をいかに導入するかってことにあるが、ワザトラしすぎると鼻につくんだよね。

 例えば『トマト』。
 主人公の「ぼく」をバーに誘ったゆきずりの女が言う。「私は『人魚』なのよ」ここで乗るヤツは乗るが、引くヤツはもう引く。
 何とか乗って読んで行っても、女がバーで頼むのは「丸ごとのトマト」。
 人魚の世界にはトマトはないのだそうな。なぜなら野菜か果物か分らない中途半端なものだからだって。
 「中途半端」だとどうして存在できないのか、その理由もよく分らないけれど、別にトマトは中途半端じゃないんじゃないか。あれを「果物」と思ってたヤツなんているのか。それとも大阪(作者は大阪人)じゃトマトが野菜サラダにじゃなくフルーツポンチに乗ってて出てきたりするのか。
 更に女は「ぼく」に言う。
 「なぜわたしがあなたをトマトの案内人に選んだかわかる? それはね、あなたが一番むごたらしい顔をしてたからなの」
 ……まあ、人魚だからねえ、違和感のある言葉を使わせるってのはわかるよ。でも、それりゃほんとに人魚だったらの話だ。人魚のフリした人間が人の顔を評するのに「むごたらしい」なんて言葉使ってちゃ、ギャグにしかならんわ。

 他の短編もみんな、浅田次郎の線を狙ってちょっとなりそこなったって感じが強い。大阪人に粋な小説を書くのは難しいってことなのかな。
 でもラストの『ダリアの夏』は三幕ものの舞台演劇を見ているようで面白かった。キャラクター自体が、演劇的なのである。
 アルバイトの宅配屋が立ち寄った、庭中がダリヤで埋め尽くされた屋敷。
 少年が一人、ダリアの花を一輪、金属バットで打って言う。
 「花殺しじゃないよ」
 もと女優の自堕落な母親が言う。
 「ねえ、私は今年でもう、三十八になるのよ」
 この二つの謎のセリフが終盤で交錯し、解明されていく様は見事だ。この程度の「違和感」なら、充分さりげなく、わざとらしくなく、情趣も醸し出せる。
 演劇は基本的に長い時間の流れを描くものではなく、人生の「点景」を切り取るものである。本格ミステリーではないが、ミステリー風味をまぶした点景小説として見るならこの短編集、まあまあ読めたと言っていいかな。


 マンガ、小林よしのり『新ゴーマニズム宣言』10巻。
 金大中大統領が「冷静な対応を」と言っても韓国国会は批判決議をするし、日韓交流を破棄する自治体も多い。逆に「教科書問題と文化交流は別」と、サッカー親善の催しを続行するところもある。「別」と割りきって考えることができなくても、交流しなけりゃお互いの誤解は解けまいに。
 ともかく『新しい歴史教科書』についても、『ゴーマニズム』についても、内容をよく読みもしないで居丈高に批判する連中が多いのが困りものなんだよなあ。よく読みゃ小林よしのりは「南京虐殺はなかった」なんて言ってないし、「慰安婦なんていなかった」なんてヒトコトも言っちゃいないがねえ。
 南京の件については、ジョン・ラーベの『南京の真実』を読んでもなお民間人の死者は少数ではないかと主張する小林さんの意見に対して、それは資料の拡大解釈だと反論できる。もちろん中国側の30万人の死者って数字だっておかしい。それこそラーベの『南京の真実』に、「金持ちがどんどん避難して出ていく」としっかり書いてある。貧乏で他の土地に行けない連中が残ってたとして、それが30万もおったんかい。
 何度も書いてるが、いい加減「話し合え」。
 話し合いを拒絶している韓国側のほうがおかしいと考えるのは自然だぞ。
 ニュースを見る限り、韓国でいきりたってるのはやっぱりジジババばかりだ。日本を叩く以外に他にアイデンティティがなくなってるんだろうなあ。でもそういうジジババとだってトラブル起こしたくないと低姿勢に出る連中が日本側に多いから、問題は何十年経っても解決しないのである。

 少なくとも「小林よしのりの言っていることは全て間違い」という見方は明らかに誤りだ。当たり前のことだが、世の中に「全て正しい」人間がいないのと同じように「全てが間違ってる」人間だっているわけがない。
 「小林よしのりの意見の一つ一つを粉砕したって仕方がない。他人を洗脳しようとするそのやり口自体を批判すべきだ」とか宮台真司はアホなこと言ってたが、岡田斗司夫の『ぼくたちの洗脳時代』でも読んだらどうだ。今の時代、モノを語ることが即「洗脳」になるのは解りきった事実だし、そう言ってる宮台の言質自体が「洗脳」のやり口の一つではないか。
 ましてや「小林よしのりの人格自体を否定せよ」なんてのは好き嫌いを通り越して、差別・迫害そのものだ。
 人格を全否定するのは結局、一つ一つの意見を吟味することを怠ったただのヒステリーである。なぜみんな小林さんに関してはこうも冷静になれなくなるのだ。
 そりゃねえ、私だって日常生活の中で人間関係がめんどくさくなりそうなときには「あいつはバカやけん、うてあわんどきい(あいつはバカだから相手にするな)」と言って、無視することはあるよ。でもそれがいいこっちゃないってことは自覚してるよ。
 それに、それで全てを終わりにできない場合だってあるのだ。例えばここでの「バカ」の一例はウチのしげだったりするが、自分の妻に対して永久に「うてあわん」ことなんてできるわけなかろう(^_^;)。

 小林さんの洗脳方法よりも、マスコミの偏向報道のほうに、より胡散臭さを感じてしまうのは、私に言わせれば日中国交回復の昭和47年以来、「台湾問題」をどうしてこうも無視しつづけるのかってことがあるからだ。
 マスコミが台湾についてちったあ報道したってのは、最近では李登輝の入院についての時だけだが、そのときだって政治的な問題についてマトモな解説をどこのテレビ局もまるでしてなかったぞ。
 これでは戦後の事情を知らない若い人は、中国がなぜ日本に抗議をしてたのかってことも、全然理解できまい。
 10巻の欄外で小林さん、「今までの歴史教科書では、台湾は存在しない。『つくる会』の教科書には書いてあるぞ」と書いてるが、本当じゃないか。
 マスコミの一面的な報道を私だって、この何十年か見続けてきているのだ。小林さんが正しいとも思っちゃいないが、中国・韓国の理不尽な要求についてヘイコラする必要もないってこたあわかるぞ。
 「かつての旧日本軍の侵略・虐殺行為を認めて謝罪しようと思いながらも、同じように中国、韓国の迫害・虐殺行為だって許さない」という、マスコミに躍らされないでいる日本人も大勢いるってこと、中国は自覚すべきじゃないのか。


2001年07月15日(日) 演劇は愛だ! ……ってホント?/『バトルホーク』(永井豪・石川賢)ほか

 夕べたっぷり寝たせいか、朝の目ざめは頗るよい。
 体重は80.6キロで余り変化がない。

 現代人がストレス過多になってしまうのはやっぱり睡眠不足に陥っちゃってるせいだろうなとはつくづく思う。
 私もしげによく「12時間も寝やがって寝過ぎじゃコラ」と文句を言うが、その口で昔は「オレ、一日9時間寝ねえと調子悪くて」と平気で言っていた。
 聞いてた方はムカっぱら立ってたろうが、実際の睡眠時間は6時間程度だったから、現実に慢性的な睡眠不足で頭痛とダルさに苛まれつつの発言だったのである。
 人によってバイオリズムは違うはずだし、今の8時間労働体制が(実際には通勤時間も含めたら軽く10時間を超すが)普遍的だとも思わない。ましてや不況を乗り切ろうと残業の休日出勤のと続けていても、トンネルを抜ける気配も見えなければ、労働意欲自体が全般的に低下して能率が低くなることは目に見えている。
 仕事がないなら、会社を休みにすればよい。不況の原因の一つは人件費の高騰だから、給料カットがどれだけの節約になるか。光熱費だって相当浮くぞ。
 それじゃ暮らせぬと社員は文句をつけるだろうが、だから休みの日はウチでゴロゴロしてればいいんだって。人間、食って寝るだけなら一日暮らすにたいして金はかからんがね。
 貯金がたまらん、子供の教育費もかかるとか、余計なことは考えなくてもよろしい。墓場まで金を持って行くことは出来ないし、子供に学費をかける必要なんてない。高校なんて行かせなくていいのだ。
 人よりいい生活したいなんて欲を出すから生活が苦しいなんて愚痴が出るんであって、コジキになることを恥だと思わない心さえあれば、別に世の中、生きてくに苦しいことなんてありゃしない。
 本気で生きてけないなら自殺すればいい。世の中別にクリスチャンばかりでもなかろうから、誰が自殺しようと文句はそうは出ないよ。世間が「自殺はよくない」と騒ぐのは表面的なスローガンであって、本気で自殺はよくないなんて考えてるやつはそうそういないって。
 いっぺん、自分が本気で自殺できるかどうか、みんな試してみればいいと思うんだな。もし、自殺しようとしても死に切れないなと思ったら、もう一回なんとかやって見ようかって気になれるやつも出るんじゃないか。

 寝る話はどこへ行った(^o^;)。
 ウダウダものを考えてると、連想はどこまでも果てしなく道を外れていくな。これも休日のいいとこかも。


 博多では今朝が追い山だったそうだが、博多人には珍しく山笠ファンではない私は(だって人形の作りがセコイんだもん)、殆ど山笠見物にも出かけなかった。
 昨日、病院の帰りに博多駅前の「元冦」と「ちびまる子ちゃん」は見てきて写真にも撮ったんだけれど、もちろん、これは「トンデモ物件」として撮ったことは言うまでもない。
 日蓮も時宗も後方に追いやって、竹崎季長(って、歴史に詳しいやつと博多人以外の誰が知ってるってんだ)を中心にドドンと持ってきてる構図もスゴイが、ジンギスカン(なぜクビライじゃない?)やモンゴル兵を蹴飛ばしてるってのは、国際都市博多って謳ってるワリにゃ配慮ってものが何もないよな。
 いいんだよ、博多は田舎都市のままで。


 『アギト』や『寿蘭』を漫然と見る。
 もうわざわざビデオに撮ってみるほどの情熱は失せているので、アギトもとりあえず筋を追うだけ。なんだかまたぞろ氷川と北条のライバル関係が強調されているが、ストーリー展開を阻害するだけになってきてるからなあ。いい加減アンノウンの謎を解明する方向に行ってくれ。


 さて、休日出勤もなく、今日は久しぶりに劇団の練習に参加できる。
 と言っても、10時ぴったりに「パピオ」に集まってきているのは、私としげと穂希嬢のみ。
 みなさん、博多時間を忠実に守っておられるなあ。
 それでも三々五々、メンバーが揃ってくる。
 出張中の其ノ他君を除けば、よしひと嬢、鴉丸嬢、午後からは愛上嬢にふなちゃんも来て愛嬌を振りまいてくれたので、まあ、揃いはいい方である。

 何より、今回は見学者の方がいらっしゃるのが嬉しい。
 東京で劇団活動をされていて、福岡でも活動場所を探していらっしゃるというラクーンドッグさん、鹿児島の劇団CASTの里佳さんと松山さん、狭い練習場に10人がひしめき合って、すぐに酸欠状態。ホントはよくないのだが、入口のドアを開けながらの練習。

 肉練、発声練習はいつも通りなのだが、腹筋やるのに、BGMに『ドナドナ』流すのはやめよう(-_-;)。
 「引かれてく子牛のこと考えたら力がはいらねーよ」
 「子牛を引いてく立場で、『よっしゃー! 子牛を売るぞー』って考えれば……」
 「お前は鬼か!」
 もちろん、私としげの会話である。

 発声練習や本読みなどに、ゲストの方々にも参加して頂いたが、メンバーのみんなはやはり新鮮な感動を覚えていたようだった。
 ウチは演技できる男性陣が少ないので、ラクーンドッグさんの本読みが特に女性陣にウケている。
 鴉丸嬢が、CASTの松山さんを気にして、いつもより思いきりテンションをセーブしてオシトヤカに見せているのが笑える。いや、笑っちゃ悪いが、「若い女の人がいると嬉しい〜」って、自分も若い女じゃないのか(^w^) 。
 でも実際、松山さんと組んで本読みをするとき、鴉丸嬢が照れている様子が見ていてアリアリなのだ。「しんじらんな〜い」なんてセリフを言うときのぶりっ子演技がいつもの3倍増しである。文章じゃうまくそのへんを表現しにくいけど、いつもは怒ってる感じで言うのに、妙に引いてる感じで読んでるのね。
 なぜ女性は、初対面の相手が男性だと余り物怖じしないのに、女性だと照れちゃうかな。人によっても違うんだろうけど、何となくそんな傾向を感じる。
 でも、愛上嬢と応酬し合うと、やっぱり鴉丸嬢、地がボロボロ出るのであった(^^)。うーんと、ちょっと内容をここに書くのは憚られるんだけどね、セリフだけ聞いてたら無茶苦茶ケンカしてる感じなんだけど、そんなことが全くないのが素敵なのである。
 「あんたねえ、そんなに○○○○○○○○○○○○○○じゃないよ!」
 「お前に言われたくないわ! ○○○○○○○○○○○○○くせに!」
 うひゃあ、とてもワキから突っ込めねーや(^^*)。
 こういう悪口雑言が人間関係の潤滑油になることだってあるってこと、マジメに生きることしか知らない人には理解がしがたいことなのだろうなあ。

 シナリオ検討は二本ともまだまだこれから、という感じで、まだ正式タイトルも決まらない。
 一応私の方は完全ギャグ、よしひと嬢のはシリアスと全く逆なので、そのコントラストを同タイトルで宣伝せねばならぬというのはなかなかムズカシイ。
 ゲストのみなさんに、さて、今回の脚本、面白いかどうかうかがってみたのだが、よしひと嬢の脚本検討が、いつの間にか一人一人の「恋愛論」になっていくのが面白かった。
 「自分の好きな人を奪った女は絶対許せない」
 「あ、私なら男の方を恨むな」
 ……世の男性諸君、今更ですがウワキするには覚悟がいりますよ(^_^;)。
 でもそういう話も脚本に深みを増すのにきっと役に立つと思うのである。ふと、みんなにも岡田斗司夫さんの『フロン』を読んでもらって、反応を聞きたくなったな。
 さて、私の台本、相当直しが入るかなと思ったが、総体的に「イジリようがない」という感想。まあ、ギャグを入れるか外すか、そういうことくらいしか直しようがないシロモノだからなあ。現場の判断でいろいろ変わっていくであろう。
 テンポが遅れたり、タイミング一つ外すと全くウケなくなる危険はあるので、成否は役者と演出にかかっている。
 ということで後はヨロシク(^^)。


 一足先に、よしひと嬢やゲストの方々はお帰り。
 みなさん、「また来ます」と言ってくださったが、さて、満足していただける内容だったかどうか。
 練習が終わると外は土砂降り。朝はピーカンだったのに、どうしてこう雨ばかりの日が続くかなあ。
 「パピオ」の玄関で、知り合いの女性のYさんに偶然出会う。世間話でもしようかと思ったら、いきなりYさんから彼氏と別れた話を切り出される。
 「どうして男って女に甘えたがるかなあ」
 ……まあ、私から見てもYさんの彼氏、甘えんぼタイプに見えてたから、それくらい付き合う前に見抜いとけよ、と苦笑い。
 でもも、言葉はやや柔らかく、
 「女に甘えない男なんていないよ」
 と一般論で誤魔化す。
 みんなホントに恋愛が好きなのだなあ。ほかにやることないのか。

 残ったメンバーと、ミスタードーナツで雨宿りして、小降りになったところで解散。筋肉痛は明日あたりにくるかな。


 マンガ、永井豪・石川賢『バトルホーク』読む。
 テレビ版の方を熱心に見てた記憶はないのだが、絶対この原作通りでなかったことは断言できるだろう。
 主人公たちが殆どバトルホークに変身しないどころか、石川賢お得意の完全なスプラッタ格闘モノである。世界征服を狙う格闘技一族の野望を粉砕する格闘三兄弟って、なんだか梶原一騎原作みたいだが、ラスト、ページが足りなくなったのか、バタバタと終わるあたりも梶原的。
 テレビとのタイアップマンガは尻切れトンボになること多いしなあ。


 マンガ、業田義家『百人物語』1巻読む。
 公園に集まってくる奇妙な人々を描いていく、という設定は面白いけど、キャラクターをやや作り過ぎてる感じはするか。
 政治マンガを書いてるせいもあって、業田さんのマンガはいかにもマンガ時評的な批評をすることもできるが、あえてそれはやらない。
 変な人がたくさん出てくるマンガ、そう楽しめばよいのだ。


2001年07月14日(土) シナリオ完成!/『クレヨンしんちゃん』30巻(臼井儀人)ほか

 先日、穂希穣の協力もあって、片付いたはずの居間、既にコンビニ弁当のカスなどで狭苦しくなりつつある。
 どうも「すぐに片付けられるさ」と軽く考えてるのがよくないんだけど、まあ、アレだね。本棚を片付けようとしたら、つい本を読み出して……って、ゴミ片付けるのにその言い訳は通用しないな。
 いや、明日には必ず片付けを……(^_^;)。


 今日は珍しくも休日なのに仕事がない。
 ……って休日仕事がないのが普通なんだよ。ウチの職場は異常だ。
 もっとも今日出勤している同僚もいるので、実質ウチの職場は年中無休。……ま、空き巣に入られる心配は余りないのかもな。

 ありがたいことに天気も久しぶりの晴れ。
 8月からの入院のために、職場に予め出すための診断書の申し込みに、西新の成人病センターに行く。
 申し込みは今日でも、診断書ができるのは週明け。受け取りにはしげに行ってもらうしかないので、道順を覚えてもらうためにも一緒に来てもらわねばならない。
 「ええっ!? やだよ。昼寝る時間がなくなるやん」
 「なくなるってことはないだろ。朝3時に仕事が終わって、ウチに帰って寝るのが4時なら、8時間寝たって12時には起きるでしょ。それから出かければいいんだから」
 「寝つくの遅いんだよ。布団の中で4、5時間はウダウダしてるんだから」
 ……それで、私が帰宅した時(夕方6時以降)、いつも寝てたんだな。
 じゃ、仕事以外で起きて活動してる時間なんて、2、3時間しかないじゃないか。そういうのを「自堕落」ってんだよ。

 用事はあっという間にすんだので、近くの店で食事。
 「ひなっこ」という、三瀬鶏料理の専門店。
 細長くて間取りは狭いが、混んでない時に来れば落ちついて食事ができそうな瀟洒な印象の店。
 私は唐揚げ、しげは串焼きを頼むが、「串」というのが焼き鳥のことだとしげは気がつかなかったらしく、レバーやネギ焼きが出て来て、「食べれん」などと贅沢なことを言う。
 仕方なく私の唐揚げと取り替えるが、「日本人だろ、ネギ食えネギ」って言いたくなるよな。


 明日が練習なので、しげが「台本あげてね」とうるさい。
 わたしだって別に台本あげたくないつもりはないし、今日は充分時間もあるし、とパソコンの前に座るが、途端に睡魔が襲ってくる。
 ま、夕方からやったって間に合うさあ、とそのまま睡眠。
 後でしげが「全然進んでないじゃん!」と文句をつけるが、そういうしげもぐっすり眠っていたのである。疲れているのはお互様でしょうが。

 横になっていると、しげが突然、声をかけてくる。
 「知ってた? もう私、そろそろ人生の半分アンタと一緒にいるんだよ」
 「オレはあと20年経たないと人生の半分にならないなあ」
 「……ズルイ」
 何がずるいんだかなあ。


 夕方から、ようやく台本に取りかかる。
 まあ、今回は全編ギャグで肩は凝らないし、二本立てだから3、40分程度の内容でいいし、書くのに余り時間はかからない。しげが寝てる間に(こいつは夕方になってまた寝ているのである)、3、4時間ほどでちゃちゃっと書き上げる。
 で、その出来映えはと言うと……。
 下らない。とことん下品である。オヤジギャグもてんこもりだ。
 これまでの『ディオゲネスの樽』とか『鴉』とかをご覧になってきた方が今回の台本を読んだら、その余りの落差に仰天するのではないか。
 ともかくここまで何の内容もない台本を書いたのは久しぶりだ。もしさらに改稿せよと言われたらもっと内容がなくなるであろう。
 ……いいのか? 本当にこんなんで。


 韓国の金大中大統領が、急遽、「歴史を直視するよう日本に要求することは大切だが、日本と相互協力していく基本姿勢を崩してはならない」と答弁。
 ありゃりゃ。珍しくも韓国側から折れてきちゃった。
 と言うより、大統領の意向も聞かずに、アチラの外務省とかが勝手に暴走したらしいねえ、今回の事態。
 おかげで民間レベルでも相互交流を拒否するところが続出したという報道だったんだが、いったいそれがどの程度の割合なのか、マスコミはきちんと調べてくれないからねえ。
 例えば交歓会なんかを計画していた地方自治体や学校、サークルなんかが百あったとして、そのうち五つや六つ、交流を取りやめたからと言って、そんなものは「まあ、あわてものも少しはいるわな」ですむことなのである。もしかしたら日本にも、「韓国なんぞとやってられるか」なんて言い出すようなバカもいたかもしれないし。
 テレビで日本の本を焚書したりしてる様子を流したりしてるのを見て、ああ、これが韓国人全員の意向なのか、と錯覚しやすいんだけど、実際にはその「一件」しか目にしたわけじゃないんだよね。
 韓国の教科書が反日一色だってことは私も知ってる。しかし日本の教科書だって、一時期「日本は侵略戦争をした残虐な国でした」一色だったのに、別に国民はその一色には染まらなかったのである。
 今回の大統領答弁、ある程度は韓国内に反日意識があるとしても、それが全てではない、ということを公式に声明として発表したことになる。決して韓国は全体主義の国ではないと明言したわけだ。
 だとすれば、過去の戦争でそれぞれの国がいったい何をしてきたのか、きちんと調査することは一応、可能なのではないのか。日本の残虐行為を調査するのももちろんだが、韓国もそろそろ敗戦後引き上げて行く日本の民間人を大量虐殺したこと、認めたほうがいいと思うけどな。
 ともかく、今後「教科書問題がありますので、日本との交流はいたしません」と明言する連中は、韓国の国是に反する連中、ということになる。そういうやつらは本当は初手から日本に対する偏見と差別意識を持って復讐したいと考えてることを自ら告白してることになるのだから、こちらも遠慮なしに叩いていいということだよな。
 いや、そこまではしないけどね。すれば向こうのバカと同レベルになるから。


 マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん』30巻。
 平面的なマンガを平面的にアニメ化したのが『ちびまる子ちゃん』で、だからと言ったらなんなのだが、私は『ちびまる子』に余り感情移入しないのである。子供の視点が絵として現われてないからねえ。
 実のところ『ちびまる子ちゃん』、絵的には『のらくろ』から一、二歩しか前に進んでないのだ。
 『しんちゃん』も原作の方はそれに近い印象があったんだけど、アニメがアングルに凝りまくった演出してたせいか、今回、所々で実に映画的な演出がされている。
 眠っているひまちゃんの顔のアップ、うっすらと目を開けて、画面はロングに切り替わる。だらしなく寝ているみさえとひまちゃんを真上からの俯瞰で捉えると、画面はまたアップになって、みさえの鼻の穴に指を突っ込んでイタズラするひまちゃん。苦しげに目をうっすらと開けるみさえの目だけのアップ。みさえ、隣を見やるけれど、ひまちゃんは寝たフリ。時計が7時を回っていることに気づいて、飛び起きるみさえ。「あなた起きてーっ!! 会社遅刻よーっ!!」でも画面に写ってるのはすやすや寝ているひまちゃんだけ。
 うーむ、文章だとうまく映像効果が伝えられないなあ。いや、過不足のない見事な短編マンガ。臼井さんにこういう粋なマンガが描けたとはなあ。すっかり見くびっていました。すみません。
 アニメに出てきた屈底厚子・アツミの親子も登場。でもアニメとは内容が全く違ってたから、やっぱりこれ、アニメのほうのオリジナルじゃないのかな。原作者も気に入ってマンガのほうにも出したとか、そんなことなんじゃなかろうか。


 マンガ、けらえいこ『あたしんち』7巻。
 最新巻だけれど、収録されてるのは1998年7月から1999年3月までの分。もう2巻分たまってるぞ。出版ペースがこんなに遅いのはなぜだ。
 何気なく買ってるというか、しげが買ってるのを読んでるだけなんで特に感想はないんだけどね。主役のみかんちゃん一家、けっこうオッチョコチョイなんだろうけど、身近にもっとアホウなやつを一匹知ってるから、そんなに意外性を感じない。
 普通に考えればマンガ以上にマンガ的なやつってそうとう変なんだろうな。


 結局この日、私は昼寝も合わせれば10時間、しげは15時間も寝てました。
 そんなに現実逃避してたい何かがあるのだろうか。


2001年07月13日(金) ふ、ふ、ふ、ふ○こせんせぇぇぇぇぇ!/『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史・野上龍雄・影丸穣也)ほか

 なんだかなあ、最近はしげと休みの時間が合わないので、映画に全然行けなくなってしまった。
 今日も仕事から帰って、明日から連休でもあるし(久々に休日出勤ナシ!)、三谷幸喜の『みんなのいえ』が今日までなので、しげを誘おうかと思ったのだけれど、やっぱり仕事。
 まあ、アレはDVDが出た時買えばいいや、と思い、とりあえずしげが仕事に行くまで三時間ほど間があるので、「焼肉でも食うか?」と聞くと、即座に「食う!」
 ……相変わらずすぐに「エサ」に釣られる。進歩のないやつだ。

 麦野の「ウエスト」に行くのも久しぶり。金曜の夜はビールがジョッキで100円ということもあって、混雑が予想されたのだけれど、早い時間に辿りついたので、五分と待たずにすんだ。
 しげは赤味の肉だけ食べておけば満足なので、カルビとロースの2人前を頼む。三瀬鶏とホルモンとミノの塩焼きの盛り合わせが安売りだったので、私はそちらを頼む。こっちの方は鶏以外、しげは全く食べない。偏りがあるよなあ。
 しげはしょっちゅう、「赤味も食べてる?」と聞いてくるが、実は全く食べてない。焼けるたびに自分がどんどん2人前の焼肉を平らげているくせに、私にどうしてロースを食べるヒマがあろうか(いやない)。
 「もうこれ以上食べきれない」と言って、しげは四、五枚、赤身肉を残してくれたが、それだけ食えば満腹にもなるってばよ(^_^;)。
 店を出る時には既に玄関先は待ちの客が二、三十人の長蛇の列。タイミング的にはまあよかったというとこかな。
 このあと、しげは帰宅して体重計に乗り、「ひいいいい」と悲鳴をあげることになるのだが、そのことは余りにかわいそうだから秘密にしておいてやろう。


 焼肉屋の帰りに「ブックセンターホンダ」に寄って、新刊の文庫やマンガを何冊か買う。しげは仕事があるので一足先に帰宅。まあ、本屋に寄ると私は何時間タムロしてるか分らないので、これは仕方がないか。


 マンガ、横溝正史原作、影丸穣也(影丸譲也)作画『悪魔が来りて笛を吹く』読む。
 影丸穣也が、横溝正史ブームが起こる昭和50年代以前の昭和43年に、『少年マガジン』に『八つ墓村』を連載していたことは有名だが、同じ影丸作画でありながら続編と言うわけではない。
 これは昭和54年、斎藤光正監督、西田敏行主演の映画版をコミック化したものなのである。連載は東京スポーツ(福岡だと多分西日本スポーツが系列かな)だったそうで、当時は存在自体知らなかった。従って私が読むのは今回が初見。
 そういう経緯で、名探偵金田一耕助の顔が、『八つ墓村』の時の三船敏郎顔ではなく、西田敏行の模写になっている。正直な話、これは、やめてほしかった(^_^;)。
 多分、影丸さん、シナリオを渡されただけで、西田敏行以外のキャスティングも知らないまま、ともかくシナリオに忠実に、ということだけを念頭にマンガ化したのではなかろうか。
 なぜなら、トリックや犯人が原作と一部違っているのである。
 というか、実は原作には作者自身がトリックのミスに気がつき、後で書きなおそうと思いながらどうにも修正できずにほったらかしてしまったものがあって、しかもそれは絶対に映像化が不可能なものなのである(この件については、角川文庫版での解説が詳しい)。
 映画は結局、その失敗したトリックを無視して、新たな脚色を加えることで映画としての深みを増すことに成功しているが、マンガはその設定をセリフまで含めてそのまま踏襲している。
 だとすれば、脚本を担当した野上龍雄の名前を載せていないのはどう考えても
おかしい。実質的な原作者は、この野上氏であるからだ。
 解説の有栖川有栖、そういった経緯に一切触れず、「原作に忠実」などと嘘八百を並べ立てている。原作が長過ぎるために、後半、内容をはしょってバタバタと終わらせた前作の『八つ墓村』(何しろ辰也と典子の恋が伏線まで張っときながら描かれない)をも「傑作」と持ち上げるくらいだから、この作家の批評眼や実作の腕も底が知れるというものだ。

 金田一耕助のマンガ化は数多いが、原作のムードをマンガに写し出すのはそう簡単なことではない。様式的なマンガは、ともすれば金田一を美形に描いたり、勝手に人情味や哀愁を付け加えたりと、書き手のイメージが表に出過ぎる嫌いがあるからである。
 さりげない演技を表現できるマンガ家さんというのは案外少ない。個人的には浦沢直樹や福山庸治が金田一モノをマンガ化してくれたら面白いんじゃないかと思ってるんだがどうだろうか。


 マンガ、横山光輝『鬼火』。
 短編集だが、初期作品で、アイデア的にも単純な『ひも』『風夜叉』や、原作を特定できないけれど、確か誰かの小説で同じネタを読んだことのある『鬼火』(どうも『阿Q正伝』っぽいなあ。と言うか横山作品はパクリが多過ぎるのだけれど)を除くと、『闇の土鬼』の原型となった『暗殺道場』が一番面白い。
 と言っても、これも実は元ネタは都筑道夫の『なめくじに聞いてみろ』。一瞬そうと気づきにくいのは現代小説を時代モノに翻案してるからだね。
 でも、暗殺術をし込まれた弟子たちを、師匠の遺言で最後の跡継ぎが次々と殺して行く、という筋立ては全く同じ。つまり横山光輝のマンガ『闇の土鬼』と、岡本喜八の映画『殺人狂時代』とは、同じ原作から派生した双子なのであります(^o^)。

 思うんだけれど、横山光輝研究家、一度徹底的に横山光輝の元ネタ探しをやってみたらどうか。つい口が悪く「パクリ」と言ってしまったが、横山さんの「換骨奪胎」ぶりは、決して「盗作」などと簡単に言えるものではないのだ。
 実際、『暗殺道場』『闇の土鬼』にしてみても、都筑道夫がもともと「忍者小説」のファンであって、現代を舞台にした忍者小説としてのスパイ小説『三重露出』や『なめくじ』を書いていることを考えてみると、横山さんの忍者モノとしての翻案は、パロディを元の鞘に収めたものと解釈することもできるからである。
 まあ、『七人の侍』が『荒野の七人』になるようなものかな。
 『アトランティス』が『ふしぎの海のナディア』の、とか、『ライオンキング』が『ジャングル大帝』の、とか、ヘタなパクリはすぐにバレてしまうけれど、横山作品は結構そこのところがウマイと思うのだ。
 『鉄人28号』の元ネタが『フランケンシュタイン』だなんて、本人が言わなきゃ気がつかないよ(^_^;)。


 マンガ、いしいひさいち『ののちゃん』10巻。
 何巻か買い忘れてるような気もするが『ののちゃん』もついに10巻。
 でもタイトルを『となりのやまだ君』から『ののちゃん』に変えたからって、ののちゃん本人の出番はそう増えてないところがいしいひさいちのヒネクレてるとこ。さすが大坂人(^^)。
 今回これはぜひとも取り上げねばならないのは(って、ご大層な)、例のナベツネ騒動の顛末がカットされもせずに収録されている点だ。
 一目瞭然で暗黙の了解になってるから、誰も書いてないが、連載タイトルの変更は、以前、朝日新聞社から直接単行本を出していた時には、出版社の意向というか自主規制で、未収録作品がボロボロ出ていたせいだ。
 その点、双葉社から単行本を出す以上、アサヒの意向もヨミウリの意向も関係ない。
 あの「ワンマンマンは誰かのパロディなの?」「そうだ。きっとキミも誰かのパロディだ。その誰かも誰かのパロディかもしれん。でも、そう考えりゃどいつもこいつもたいしたことないから気楽だろ?」
 という、いしいさんにしてはいささか野暮ったい(しかし仕方のない)解説もしっかりカットされずに掲載されている。
 からかわれたり馬鹿にされたりってのは、ある意味それだけ個性的だってことだ。直接的に被害を被ったわけでもないのにオタオタするなんて大会社の会長ともあろうものがケツの穴が小さいことだと思ってたが、これはある意味ナベツネに対するいしいさんの決別宣言だろう。
 今、新聞連載にワンマンマンがまだ登場しているのかどうか知らないが、いたとしても多分、以前ほどの毒はなくなっているのではないか。でもそれは、いしいさんがナベツネに遠慮しているからではなくて、芸ナシオヤジを話題にしてやる親切心がいしいさんの心の中から薄らいだせいじゃないかと思うのである。
 でも、この私の想像と全く逆に、更にワンマンマンが活躍してたら、いしいさんはスゴイと思う。何しろ今や存在自体影が薄くなっているタブチやヒロオカやヤスダを、未だにキャラクターとして使い続けているのだよ。一端愛したキャラはとことんまで愛し続ける人なのだ、いしいさんという人は。
 ナベツネ、少しは頭を冷やして人のココロってものを知れよな、バカヤローが。


 さて、今号の『ニュータイプ』と『アニメージュ』。
 ガキ向けのアニメ誌をなぜいつまでも買うんだと白い目で見られることもあるけれど、確かにねえ、「アニメージュグランプリ」なんて、お子様の組織票で受賞する年も多かったりで興醒めだけど、個々の記事には、どうしてどうして、見逃せないものも多いのですよ。

 『ニュータイプ』連載の鈴木伸一さん(『オバQ』の小池さんだぁ〜!)の『アニメ街・ラーメン横丁』、今回は「トキワ荘を育てた編集者」ということで、手塚治虫文化賞を受賞した丸山昭さんを取り上げている。
 いわゆる「手塚番」のお一人で、石森章太郎、赤塚不二夫ほか諸氏を育てた名編集者なのだが、浅学にして私は丸山さんのお名前を存じ上げなかった。
 『トキワ荘実録』というご著書もあるということであるのに、マンガファンとしては情けない話だ。こういうウラカタの人にまでスポットを当てよう、と言う気持ちが、この2誌にはあるのである。

 『アニメージュ』の方も、今回は多分マニアも余り知らないのではないかと思われる、あの『名探偵ホームズ』についての大暴露。
 当時脚本を担当していた片淵須直氏、「いや、実は、宮崎駿さんのフィルムにならなかった絵コンテがあるんですよ」……え!?
 それも『バスカーヴィルの魔犬』と『白銀号事件』!
 ……学生時代、ホームズを犬でやると聞いて、「じゃあ『バスカーヴィル』はどうするんだよ! モノホンの犬が出るやんか!」と突っ込んでたものだったけど、それに宮崎さんが挑戦していた!
 そうか、この2作がアニメ化されなかったのは宮崎コンテが存在していたからだったのか!
 み、見たいぞ! フィルムになってなくてもいい、絵コンテのままでいいよ、公開してくれ、出版してくれ!

 ……私が未だにこの2誌を買い続けている理由が少しはお分りいただけただろうか?

 しげが帰るまで仮眠。と言っても四、五時間は寝るけど。
 細かいシチュエーションは忘れちゃったけどさ、それでもここ数年で一番印象深い夢見ちゃったよ。
 あああ、あの、あの、藤子・F・不二雄先生に会ってしまったのよ!
 有名人に夢の中で出会うことなんて、今まで一度もなかったのに。
 ニコヤカに微笑む藤子先生を見るなり、私は思わず聞いていました。
 「せ、せんせい! 『チンプイ』の、『チンプイ』の最終回はどうなったんですか!」
 先生、ちょっと困ったように苦笑なされて、
 「それがねえ、実はなにも考えてなかったんだよ」
 ……あの先生、本物かも知れない(^_^;)。


2001年07月12日(木) 怨念がおんねん(古)/『平成十三年度版 九州怨念地図』ほか

 相変わらず仕事は楽にならないし、体重は減らない(+_+)。
 今日も80.4キロだぞ。なぜこの「80」ラインが切れないかな。
 ここしばらく帰りが遅くなってたけれど、今日はようやく職場をほぼ定時に引ける。
 今朝から雨が激しかったので、タクシーで来ていたのだが、帰り、全くタクシーが拾えない。
 仕方なく歩く。歩く。歩く。
 気がついたら20分近く歩いている。目の前にウチの近所にはないコンビニがあったので、中に入る。
 昔、コンビニと言えばセブンイレブンしかなかった頃に比べると(ホントに昔やなあ)、もうコンビニの種類なんて全部でどれだけあるのか分らないくらいだが、そのワリにそれぞれのコンビニにそれほどの差異は見られないことが多かった。
 でもそれじゃマズイ、とコンビニ側も思っていたのだろう。最近はそれぞれに工夫しているコンビニに当たることも少しずつ増えてきた。
 「ポプラ」なんかは炊き立てゴハンを弁当に盛ってくれるし、「エブリワン」には、ベーカリーコーナーや自家製串カツ・唐揚げを売るコーナーがある(そのうちコンビニマップみたいなもの作ってみたいもんだ)。

 で、今日入ったコンビニは「ミニストップ」。
 間取りはたいして個性はなかったが、「ハンバーグ焼肉弁当」だの、「メンチオムライス特製デミグラスソース」だの、ちょっと変わった弁当があったので、土産に買って帰ろうとして、ふと本棚を見ると。
 いきなり目に飛び込んできましたね、黒バックに、ぼんやり浮かんだ女の顔の半分。
 「平成十三年度版 九州怨念地図 部数限定保存版 お祓い済」。
 なんともおどろおどろしい表紙が、何冊も、何冊も横にズラリ。
 うーむ、この様子、ウチのしげなんか、本気でちょっと怖がるんじゃないかなあ。こんなディスプレイしてたら、かえって売上、減らしちゃうんじゃないの? と勝手に心配。
 いや、買いましたよ、私は。別に怖がりじゃないし、それどころか、もうタイトルだけで笑わせてくれてるし。
 テレビの心霊番組もそうだけど、一回視聴率が採れたからって、パートワン、パートツーと続けていくと、だんだん心霊現象と言うには苦しいトンデモネタも増えてくるんだよね。

 「某市のあるホテルに泊まった夫婦。ルームサービスを頼んだのだが、やってきたボーイが、部屋の中に入るなり消えた。夫は腰を抜かしたが、妻はフロントに電話して、『ちょっと、宿泊代タダにしてくれる?』」
 おい、それって「笑い話」じゃないか(^_^;)。

 「霊視能力のある女の子と一緒に、廃屋探検に出かけたグループ。女の子は急に『タコ焼き食べない?』『どうして?』『だってハゲ頭のじいさん、たくさん見たから』」
 こういう女の子とはオトモダチになってもいいかな(^o^)。

 「タクシーに乗っていた紳士、突然豹変して『阿蘇大橋へ行けえ!』。運転手がビビって大橋に行ったとたん、紳士は急におとなしくなって、『あれ? ここどこですか?』」
 幽霊もタクシーを使わないと観光旅行はできないらしいね。

 「鹿児島のザビエル公園。背中を見せてすすり泣く女を見て、近づいて声をかけると、振り帰った女は血塗れ」
 『貉』のパターンですな。どうもキリスト教のご威光は日本の幽霊には通じないらしい。

 クスクス笑いながらページをめくっていたのだが、ふと、どこかで見たような写真が。わざとピントを外してぼかしてあるのだが、ちょっと奇妙な形の建造物。廃坑になった炭坑掘削の縦穴跡なんだけど、これ、ウチの職場の近所じゃないの。
 以前、ウチの劇団で『ディオゲネスの樽』という芝居をやったとき、パンフ用にあちこちの写真を撮ったんだけど、そのとき、この建物も撮影していたのだ。
 そうか、あそこは心霊スポットだったか(^^)。あの時はC−1くんとしげと一緒に行ったけど、別に何の霊障もなかったなあ。写真にも何も写ってなかったし。
 たいてい心霊スポットって「廃校」とか「廃屋」とか「廃病院」とか「廃」ばっかりだけど、それなら「廃遊園地」とか「廃ボーリング場」とか「廃ゲーセン」とかにはなんで幽霊があまり出ないかな。
 ディズニーランドが潰れたりしたら、スプラッシュマウンテンに乗れなかった恨みの怨念が集まったりしそうだけど(私だ)。


 韓国が扶桑社の「新しい歴史教科書」再検定を日本政府が拒否したことについて、「対抗処置」をとってきた。
 無期限の軍事協力停止と日本文化輸入の拒否だと。相変わらず「軍事国家」の面目躍如ってとこだね。
 日本の政府もマスコミも慌てふためいてるが、一度検定許可した物を「外圧」で変更することが「民主主義の否定」になることはいくらなんでも解るだろうから、「はい、再検定します」とはおいそれとは言えない。
 おかげで「教科書の内容と日本政府の意向は一致しているわけではない」と苦しい答弁をしている。
 でもいくら日本がノラクラ外交が得意だからと言って、さて、あちらさんがここまで露骨に敵対行動とってきてるのに、はっきりした対応を取らずにいられるものだろうか。まあ、今は選挙で大忙しで、「バカにかまってられるか」と言うところなのかもしれないけれど。
 文科省もメンツがあるから、いくら外務省から「なんとかしてくれ」って言われたって、どうにもできんだろうけどね。新聞にゃ「打つ手ナシ」なんて書かれてたけど、手を打ってもアチラが難癖つけてきたんだからなあ。「打つ気ナシ」ってのが正確な報道じゃないのか(^u^)。
 韓国、まるで一端カネが引き出せるとわかったら後から後からタカってくるヤクザじゃないの。ヘタにペコペコしたらつけあがってくるぞ。
 結局、韓国は、実は内心「自分達のほうが分が悪い」と考えているからこそ、こんなヤクザまがいの脅しをかけて来るのだよな。自分たちの都合の悪い思想は入れないっての、「鎖国」って言わんか? 本当に自分たちのほうが正しいと思っているなら、いくらでも開放政策が取れるはずなのに、そんな封建的な政策を取らざるを得なくなっていることは、韓国の閉鎖性かつ全体主義的傾向をハッキリ示しちゃってるよ。
 日本との文化交流を進めていけば「自分たちの歴史認識のほうが間違ってるんじゃないか」「歴史を直視していないのは自分たちのほうではないのか」と考える人たちが出てくることはわかりきってるからねえ。既に右傾化してるあの国にとっては、自分たちの国のほうが軍国主義だってことに国民に気づかれると困るわけだ。
 と言うか、もう気付いてる人も多いんだろう。特に学生に。
 現在進められてた学生間の交流も禁止されていくみたいだけど、これを国による学生の言論統制、思想統制と言わずしてなんだと言うのか。
 でも、これだけインターネットが普及してる中で文化交流の禁止ってなんか意味があるのかねえ? 多分、この件でネット上は侃侃諤諤の論争になって行くだろうけど、韓国民だってマトモな人は多いと思うのである。教科書批判と文化交流禁止とが別問題だってこと、わかってるんじゃないのかな?
 わはは、内紛が起きるぞ内紛が。韓国が自分で自分の首を絞めてる様子をしばらく見させてもらいましょうかね(誤解する人がいるといけないから、書いておくけど、私ゃ韓国の姿勢がおかしいと言ってるだけで、あの『新しい歴史教科書』が正しいと言ってるわけじゃないからね)。


 DVD『少年ドラマシリーズ つぶやき岩の秘密』第一話だけ見る。
 わあ、菊容子が出てるぞ。言わずと知れた『好き! 好き!! 魔女先生』のアンドロ仮面こと月光(つきひかる)先生。
 ……1973年。このドラマの中でも先生役だ。亡くなったのが1975年だから、このときまだ22歳。なのに子供にも分かるセクシーな仕草。……当時、私ゃ10歳にもなってなかったのに、ときめいてた理由がわかる気がするなあ。『仮面の忍者赤影』の陽炎役、時美沙さん、『水戸黄門・第五部』安里姫役の小林かおり(当時は小林由枝)さんの三人が私が子供の頃ドキドキした「キレイなおねいさん」だったんだよなあ。うーむ、傾向がよくわかる(^_^;)。
 結構いろんなドラマにゲスト出演もしてたらしいけど、私が印象に残ってるのは『遠山の金さん・幽霊にとりつかれた男』に出演した時。
 男に弄ばれ、狂ってしまった少女を演じていた。ラストで一瞬だけ正気を取り戻して下手人を指摘するのだけれど、またすぐに狂気の世界に埋没して心を閉ざしていく。
 舞い踊る菊容子を見つめながら、中村梅之助の金さんがひとことポツリと「哀れな」とつぶやいたのが印象的だった。
 まさかなあ。ホントに同じような境遇になるなんてなあ。
 なんだか続きを見るのがツライ。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)