無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
| 2001年04月12日(木) |
驚天動地/『ストレート・チェイサー』(西澤保彦)ほか |
『國文学』5月号、今回はメディア特集。 佐伯順子という人が、波津彬子『天主物語』をとりあげて、少女マンガの「花と女性のコンビネーションによる視覚的相乗効果」についてやたら述べているが、なんだか三十年か四十年くらい前の古臭い少女マンガ論を読まされているようで、ああ、活字の人ってのはやっぱりこんなふうに世間とズレていくのだなあ、とシミジミ思った。 今時の少女漫画はめったに花をしょわせたりはしない。むしろ花を描くことを恥ずかしがるマンガ家も多いくらいである。波津さんだって、『雨柳堂』の方ではそんなに画面に花を散らしたりはしていない。 『天主物語』に花がやたらと散るのは、原作が泉鏡花であり、古臭さを演出するためなんだってことに、この佐伯ってヒト、気付いてないんだなあ。
週末、よしひと嬢がお泊まりされるかも、ということなので、数日前から「本を片付けてよ」と言われているのだが、肝心の寝部屋で女房がぐーすかぴーと昼寝をしているのである。 夜になったら起きるかと待っていても全然起きない。結局、今日は片付けが何も出来なかった。……部屋が散らかってたら女房のせいですので、よしひとさん、許してください。
さて、夕食をどうしようかと、冷蔵庫の中身を物色しに台所に行くと、珍しくも女房がおかずを作り置きしていた。 エビのチリソースに餃子、いか明太。なぜにこんな豪勢なマネを、と思ったが、肝心の女房が高いびきなので、ワケも聞けない。ともかく腹が減っていたので、食うことにしたが、さすがに量が多いので、エビチリは半分残す。 居間に戻って、パソコンの前に座り、ふとワキを見ると、フレンチトーストまで置いてある。なんでこんなにサービスいいんだ、なにか機嫌のよくなることでもあったのか、と首を傾げるが、どうせ理由を聞いても話すまいなあ、という気がしてきたので、構わずつまみ食いしながらパソコンに向かう。 エロの冒険者さんのホームページは毎日必ず読むようにしているのだが、掲示板に最近妙な「荒らし」が多くなっていてちょっと心配である。 「ここをクリックしてね」と描いてあるアドレスから、どうやらエロサイトに行けるらしいが、そんなん誰が覗いてやるかい。 「荒らし」の主の名前は変えているが、多分殆どが同一人物の仕業であろう。ホームページの品格を落としてやろうという意図なのだろうが、他のコンテンツを見れば、すぐにエロさんのHPがごくまともなところだと判明する。「荒らし」のやってることはほとんど無意味だと思うんだが、なぜこうもシツコク続けてるんだろうか。
「モーニング娘。」の新番組、『モー。たいへんでした』、だら―っと見る。未だに全員の顔と名前が一致しないが、それでも今世紀最初のコミックバンドとして、私は「モー娘。」を評価しているのである。いやマジで。 この見事なくらいに脳みそ空っぽな少女たちを使って、全く無意味な楽曲を立て続けに繰り出してくるつんくのプロデュース能力は、やはり称賛に値する。 素人を使って笑いをとる方法は、欽ちゃんファミリー、おにゃんこクラブと来て、現在のもー娘。に至る文脈の中で語ることが可能なのだが、日本の音楽シーンでは、そこんとこをきちんと評価してるんだろうか。
西澤保彦『ストレート・チェイサー』読む。 このところ忙しくて、マンガは読めても活字本を一冊読み切ることが難しかったのだが、これはまたトンデモナイミステリに当たってしまったものだ。 推理もののネタバラシはご法度なので、上手く説明しにくいのだが(この辺が「公開」を前提とした日記のツライところだよなあ)、これはもう読者間に賛否両論を起こすことを作者が意図しているとしか思えないトリックを創案している。 舞台はアメリカ。 とあるレスビアンバーで二人の女性と知りあったリンズィは、“トリプル交換殺人”を持ちかけられる。冗談で「上司のタナカを殺して」と頼んだリンズィは、翌日、本当にタナカが自宅で殺されたと知らされて、驚愕する。 しかも現場は二重に鍵のかかった“密室”であり、更に奇妙なことには、中で死んでいたのはタナカではなく、全く別人の東洋人であった……。 ……初めの展開はまさしく正統的な本格ミステリなんだよね。でも『少女の時間』や『SF JAPAN』の対談でやたら奇抜な作品を書いている作家さんであると紹介されていたし、文庫のオビに「感動の最終行があなたを待つ」なんて書いてあったので、さて、いったいどんな驚天動地のトリックをし掛けてくるものやら、と期待して読んだんですがね……。 うん、こりゃ確かに“問題作”だわ(^_^;)。 多分、読者の中にはあたかも『エヴァ』最終回を見た時の人々のように、「ざけんじゃねーぞ、バーロー!」と、本を床に叩き付ける向きもあるのでないか。 というか、ごく一般的な推理小説ファンであるなら、このトリックは、特に「密室トリック」については、「許せない」と感じて当然だからである。 どんなトリックかって? だからそれは書けないんだってば。 で、隔靴掻痒な文章になることを承知で、私の感想を書くとすると、これが実に微妙な言い回しになっちゃうのだが、「認めるが弁護はしない」としか言いようがないのだ。 この密室トリックについての「アンフェア」論争は必然的に起きると思われるが、少なくともアンフェアではない。ただ、これがアンフェアでないことが理解できるのはよほどのミステリマニアでなくては無理で、なんと解説の加藤朋子さんですら、このトリックが“どういう意味を持っているか”気付いてはいないのだ。なぜ、この小説がアメリカを舞台にしなければならなかったのか、その点に触れなきゃ解説にはならんのだがねえ。 しかし、その“意味”に気付いたからと言って、このトリックが評価できるかというとそうではなくて、やはり「それがどうした」と怒り出す読者も多いに違いないのだ。アンフェアではなくても、これはとてつもなく“インケツ”なトリックだからだ。 そして、このインケツトリックが更にオビにもあった“最終行”のトリックの伏線になっている。さすがにこいつはインケツな小説だな、と気付いたおかげで、ラストのトリックは見破れたが、畢竟、私は複雑な思いに見舞われた。 この作者、まっとうなミステリを書く実力はあるのである。それは、トリックの「仕掛け方」を分析すればはっきり証明できる。しかし、まず断定として構わないと思うが――作者は「まっとうなミステリ」などを書くつもりはサラサラないのだ。作者は読者と「知恵比べ」をしようとは思っていない。ただ、読者を「引っ掛けたい」だけなのだ。 いや、確かに私も、ミステリ読んでて久しぶりにトリックに引っかかりましたよ。でもね、心地よい引っかかり方じゃないんですよ。たとえアンフェアではなくても、こういうインケツを仕掛けねばならないほど、ミステリというジャンル自体が行き詰まっていることを証明しちゃってるんだもんねえ。 ……でもこういうインケツなトリックなら、私も今まで書いた戯曲の中で使ったことあるんだよなあ。 いじいじ。
夜中、そろそろ寝ようか、という頃になって、女房やっと目覚めて来る。今日は仕事がなかったらしい。 「……あ―っ、私のパンがない!!」 なんだ、お前のだったか。すまんすまん、外に出してあったから、私へのかと思っちゃったよ。 ……こりゃ、しばらくはネチネチネチネチと、この件で責めたてられるな。そのことが気がかりで、寝つけずについ夜更かし。……明日ちゃんと起きられるのだろうか。
| 2001年04月11日(水) |
ヒマなし貧乏/『学活! つやつや担任』A(吉田戦車)ほか |
同僚が結構大変な病気でずっと休んでいる。 休みに入られる前に、随分すまなそうな顔をされていたのだが、誰だって体調を崩すことくらいあるのだ。別にこちらに気兼ねする必要はない。 なのに世間では、休むことがさも最大級の罪悪であるかのように勘違いしている馬鹿がやたらいはしないか。露骨に迷惑がり、嫌味を言い、休職中の仕事を引き受ける見返りをワザとらしく要求する下品な連中である。休むのが女性だったりすると、セクハラ紛いのことを言ったりするやつもいる。それが上司だったりしたら最悪だ。 ニュースで学生の引きこもりが80万世帯とか言って騒いでいるが、大人だって、別にしゃにむに会社人間になることはないのである。上司や同僚とのコミュニケーションが取れなきゃ取れないで別に構いはしない。体の病気も心の病気も病気に変わりはないのだ。休みたいときゃ休めばいいのである。 それを保障してくれないような会社なら、そんなとこはじきに潰れるに決まってるから、さっさと辞めちゃえばいい。何も沈みかけた船に無理してしがみついている必要はなかろう。 幸いウチの職場は体制がしっかりしているので(……って、私が働いているのだよ。その同僚の分の仕事を片付けるために、毎朝早朝出勤をしているのだ)、どうか安心して養生していてもらいたいものである。 ただし、お帰りになった時に私の仕事ぶりを見て「なんじゃこりゃあ!」と後始末にひと苦労されるかもしれないが。 まあ、それはそれ(^^)。 私も夏場には入院予定なので、そのときにはこちらの仕事を代わってもらうつもりである。まあ、借金を先に返しておくようなものかな。
というわけで、最近は朝早く起きるために、なるべく早寝するようにしている。 12時に寝れば、6時まで6時間は眠れるなあ、と計算して、夕べも早目に床に入っていた。 朝、何時ごろだろうか、足もとに何だかよく分らない違和感。 体は目覚めないが、意識は夢現の境でモノが何かを探ろうとする。するとまた、なにやら足にドサッと何かがのしかかってくる。 ……ゴミ袋だ。 私の足がゴミ袋に押しつぶされていくのである。 どうやら昨日から部屋の片付けに目覚めた女房が、朝っぱらからゴミをまとめ始めたらしい。それはいい。それはいいのだが、なぜ私の足の上にゴミを置いていくのだ。 もしかしたら、私が時々かかる金縛りは女房のせいか。 幸い、私の足は臨時のゴミ置場だったらしく、あとで台所に移動されていったようだった。……ヒトが動けないからって、なんてことしやがるかなあ。
再び眠りについていると、隣の部屋から謎のひそひそ声が聞こえてくる。 どうやら女房が鴉丸嬢と打ち上げの宴会について打ち合わせをしているらしい。 もちろん聞こえるのは女房の声だけだが、何を話しているかは見当がつく。 「……ああよかった、もしかしたら、よしひと姐様と二人だけになるかと思ってた」 「……いや、おごってくれるんなら行くって」 「……うん、給料日前でおカネないから」 「……全部、ビデオと本に消えてるよ」 なんて話してやがる(+_+)。事実だから否定できんが(-_-;)。 あとで女房から聞いたのだが、鴉丸嬢、「お金がないなら出そうか?」と言ってくれてたそうである。 うーん、娘ほども年下の娘さんに気を遣わせてしまった(^_^;)。無軌道なオタク生活も考えものである。
昨日あたりから陽気がよくなってきたと思って、思いきってワイシャツを半袖にしてみる。 と思ったら今日は一転、肌寒い一日。 天気の野郎、ここんとこ挑戦的じゃねえか(~_~メ)。売られた喧嘩は買わずばなるまい。天気予報では今日は夕方から雨だそうだが、タクシーは利用せず、自転車でいつも通りの出勤。 夕方帰るとき、雨が降っていたら私の負け、濡れずに帰れたら私の勝ちである。 ウチに帰りつく寸前に雨がぱらつき始めたが、殆ど濡れずにすんだ。 勝利。 ふっふっふ、ここしばらくは全戦全勝だ。今年は結構、縁起のいい1年になるかもな。
自販機で烏龍茶の2リットルペットポトルを買っていたときのこと。 7、8歳くらいのガキンチョが近寄ってきて、いきなり「これ買って」と言ってきた。もちろん、見知らぬガキである。 「自分のおカネで買おうね」 といったら、プイと横向いてあっちに走って行った。 どうやら同じマンションの子供らしいが、こっちのことを知ってて声をかけてきたのだろうか。マンションには幼馴染の友達も住んでるが、そいつの子供ではなさそうだったし、なぜ私に声をかけてきたのか腑に落ちない。 まあ、親の躾が悪いだけかな、と思って納得すればいいだけの話である。 ……ふと、自分のセリフを思い出して、はっとする。 普通、こう言う時は「お母さんに買ってもらいなさい」とか言うんじゃないのか。しかし私は、小学生に向かって、はっきり「自分で働いたカネで買え」、という意識で喋っていたのである。お小遣い、なんて感覚は全くなかった。 親に、骨の髄まで職人根性を叩き込まれているのだ。自分が会社人間になれぬ理由が納得出来たような気がした。……因果なもんだなァ。 女房がいつの間にか吉田戦車のマンガ、『学活! つやつや担任』A・B巻を買っている。 この間本屋に行った時に「これ面白いよ」と勧めたんだが、あまり興味を惹かれた様子がなかったので、買わないでいたのだ。 私だって、際限なく本を買っているわけではない。女房が読みたくなさそうだったら、買うのを断念することもあるのである。……なんだ。結局買うのならそう反応してくれればよかったのに。 女房はよく私に「無表情で何考えてるか分らない」と文句をつけるが、女房だって人一倍無表情なので、他人から「怖い」だの「怒ってる」だの「たくらんでる」だの「思いつめてる」だの勝手に思いこまれちゃうことが多いのだ。 ……だからマネージャーから「困ったことがあったらなんでも言ってネ」なんて言われるんだよ。 認めたくはないが、私と女房は似たモノ夫婦であるらしい。 で、『つやつや担任』A巻。 吉田戦車の作品を「不条理マンガ」と呼ぶことにしばらく前から抵抗を感じている。安部公房を例にして言うなら、『壁』や『人間そっくり』のように、ある存在の持つ意味を揺さぶって見せるのが不条理モノの手法である。 でも実のところ、吉田戦車のマンガにおいて、意味は常に「確定」している。つやつや担任はつやつや担任だし、犬は犬だし、下手江は下手江である(かわいくて好きだな)。紫外線の影響だか地球温暖化のせいだか、どーでもいいんだが、「無生物が喋るようになった」世界観は基本フォーマットととして機能している。たとえ根拠が薄弱に見えても、これは「SF」ではあっても「不条理」ではないのだ。 別に吉田戦車の悪口を言いたいんじゃないんだけどね。看板に偽りありってだけの話。キャッチフレーズがほしいなら、「不条理」なんていかにも高級感を狙ったようなものじゃなくて「へんなマンガ」でいいじゃないのよ、ねえ。
マンガ、波津彬子『唐人屋敷』。 チャイナタウンのおはらい師シリーズ全1巻。長く続いても短くてもいいかな、という点では『雨柳堂』と同じだが、こちらのほうが長く続かなかったのは設定がありきたりだからかな。 こちらのほうがよりユーモラスだが、波津さんの絵はもともと線が固いので、キャラクターにギャグ演技をさせようとすると、ちょうどマジメなヒトが無理にシャレを言うとシラけちゃうように、浮いてしまうのである。 少女マンガ家は線を省略すると途端に下手になる人が多いが、これも伝統なのかなあ。
| 2001年04月10日(火) |
大江山枕酒呑草子/『カエル屋敷のベンジャミン』(玖保キリコ)ほか |
うひゃひゃ、いったん書いた日記があと三行、というところで突然消えてしまったがや。 かと言って、短くまとめて書くのも癪なので、大急ぎで書く。多少文章がへんてこなところがあるかもしれないが、そこはお見逃しねがいたい。これでまた鼻血でも出してぶっ倒れたら大笑いだな。
雨も上がって晴れ晴れとした上天気。 桜はおおかた散ってしまった、と昨日の日記には書いたが、通勤途中で、満開の桜の木を発見。 ……なんなんだありゃ。養分がよほどいいのか、根性が座っているのか。 花壇のアジサイの色が変化していて、その下に死体が埋められていることがバレる、というトリックがミステリにはよく使われているが、桜で何かアイデアが浮かばないかな、としばし考える。 ところがここ連日、仕事がやたらめったら忙しいので、なんだかワケの解らない妄想しか浮かばない。 「桜が咲いたように見えたが実はそれは梅だった」とか、「さくらんぼを食べたら錯乱した」とか、「桜の木を操っているのは実は桜井長一郎である」とか。 ……最後のはいったい何なんだ(+_+)。 やはりどこか脳のネジがぶっ飛んでいるのである。
仕事から帰宅、昨日まで足の踏み場もなかった部屋の中が、ごく細道ではあるが通れるようになっている。 近々また客があるので、女房がようやく部屋を片付け始めたらしい。 できればちょくちょく客には来てもらいたいものだ。でなきゃウチはあっという間にゴミの山にうずもれて崩壊してしまう。 部屋の中央に謎の紙袋が置いてあったので、ハテ、と中を覗いてみた。 『ONE PIECE』が全巻、さらにはウチにあるジャンプコミックスの一覧表がワープロ打ちされた紙が入れてある。 つらつらとそのリストを眺めていると、なんだかひどくなつかしい気持ちに襲われてきた。 『幽&魅衣』、『すすめ!パイレーツ』、『ストップ!ひばりくん』、『まじかるタルるーとくん』、『ついでにとんちんかん』……。アニメ化されたものも多いが、別にアニメになったから買い始めた、ということでなく、ほぼ全て初版で買ってたものばかりだった。先見の明があるな、と威張りたいところだが、数買ってりゃアタリも多いってだけの話なんだよね、実のところ。 『ブンの青シュン!』とか『三軍神参上!』なんて、今どきゃ誰も覚えちゃいまいな。 一番古いのは『ハレンチ学園』かな。これ読んでたころは女房なんかこの世に影も形もなかったんだよな。 ……年月は無情だ(T_T)。 ……しかしリストを見ているうちに、ハテ、と気づく。 そもそもこれは何なのだ? まとめて袋に入れてあるってことは、誰かに貸そうとしてるんだってことは解る。初めはハカセにかなあ、と思ったのだ。でもそれならウチに直接来ればいいわけだしなあ、と思っていたら。 夜になって、女房が仕事に出る時、その袋を持っていったので、ようやく仕事先の同僚に貸してあげるのだ、と見当がついた。 しかしどんなヒトに貸すのだろう。もしかして、あの、強烈に「ヒトがいい」というウワサの、マネージャーさんだろうか。……ウワサしてんのは女房だけど。 女房の話を信じる限り、マネージャーさんというお方は「青春一直線野郎」である。なにしろ女房に「困ったことがあったら、いつでも僕に相談してネ! 力になるヨ!」と、語尾がカタカナになっちまうようなおヒトだそうだから。 もしもマネージャーさんが『ONE PIECE』をお読みになったとしたら、どんな反応を示されるのだろうか。 「やあ、ルフィっていいやつだネ! ボクも冒険の旅に出たくなっちゃったヨ!」 ……あったこともないヒトをサカナにするのもなんだが、「旅人」が似合いそうなヒトのような気がするなあ。
藤原道長の『御堂関白記』に、清少納言についての記述があることを知り、興味深く読む。 藤原保昌の郎等に、清原某という男がいた。ある子細から、頼光四天王によって暗殺されることになるのだが、実はこの男の妹が清少納言である。 清原邸に四天王が押し入った時、清少納言もそこに同席していた。 そのとき彼女は僧形だったので、初めは兄ともども殺されかかったそうだ。しかし、とっさに彼女は前をはだけて「私は女よ」と主張し、あわやというところで助かったとか。 さて、道長はいったいどういう意図でこれを書き残したのだろう。 清少納言はこのとき既に五十歳、昔日の才女の面影はとうにない。 もともと、彼女の後ろ盾であった藤原道隆は、道長の兄であり、関白の地位を争ったライバルである。道隆が死に、権勢は道長に移り、必然的に清原家は没落して行くわけだが、老いた彼女へ追い討ちをかけるような文章ではないのか。 とても清少納言の機転を称えたものとは思えないのである。むしろ、老婆がしなびたチチをほっくりだして命乞いをする姿、それを嘲笑う意図が道長にあったのではないか。 ヤなやつである。 『大鏡』なんかじゃ、野心的な偉丈夫として理想化されてる道長だが、 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることの なしと思へば」 なんて堂々と読んじゃう輩がいいやつのはずはないよなあ。 それにしても、清少納言と頼光四天王との間に面識があったとは意外であった。平安王朝女流文学と、鬼退治の頼光四天王とじゃ、イメージがどうも結びつかないんだよね。 でも考えてみたら、藤原保昌の妻はあの和泉式部であるわけだし、となれば、清少納言、紫式部と同時代人なのは当たり前なのである。 金太郎(知ってる人も多いだろうけど、四天王の一人、坂田公時のことね)も『枕草子』や『源氏物語』を読んでたのかなあ。 彼女たちが『大江山酒呑童子』について書き残してくれなかったのがなんとも残念である。
『キネマ旬報』4月下旬号、マギー・チャンの表紙が色っぽい。 ……でもこのひと、昔はたしか「マギー・チョン」って表記してたと思うのに、いつから「チャン」になったのか。まさか差別なんたらが原因じゃあるまいな。 しかも彼女のフィルモグラフィーを見てもジャッキー・チェンの映画に出てたことなんてまるで書いてない。文芸映画づいた途端、過去のコメディーやアクションものに出演してたことを隠したがる日本のアイドル(安田成美とか有森也美とか)は多いけど、中国人も似たようなものなのかねえ? 新作映画で面白そうなもの、まずは山本周五郎原作、和田夏十脚本(遺作?)、市川崑監督『かあちゃん』。前回の『どら平太』は浅野ゆう子と菅原文太という二大超大根役者のために惨憺たる出来になっちゃったが、今度は岸恵子だし、ワキも小沢昭一、中村梅雀、江戸家猫八と芸達者が多いから、多少新人を使ってるとはいえ、見られるものになるのではないか。うじきつよしとコロッケがちょっと怖いけど(^_^;)。 『RED SHADOW 赤影』、白影は竹中直人で、影一族の頭領だそうである。……影烈風斎はどうしたんだよう(・・;)。 原作の名前を借りるだけで話は全く別物、というのは仕方ないとしても、キャストを見ると随分「小粒」である。敵の頭領が誰なのか、記事が不充分でよく分らない。『キネ旬』はこちらが知りたい情報をまるで掴めてないのが昔からのネックなんだよなあ。 ささやななえこのマンガの映画化、『いきすだま 生霊』、三輪ひとみ、三輪明日美の姉妹が共演するらしい。『ラブ&ポップ』以来かな? この二人、若手の女性の中ではマジメに役者やろうって感じが見えるので、どんな「恐怖」の表情を見せてくれるのか、期待してしまうのだ。
テレビを漫然と見ながら、日記を書いたり本を読んだり。 新番組『めっけMON!』、センスのカケラもないタイトルにまず嫌気。 松坂牛のフルコースカレーつきだの、職人の手作り柳刃包丁などの値段をゲストに当てさせるってゲーム番組だけど、似たような番組がたしか外国のバラエティーにあったよなあ。……喉元までタイトルが出かかってるのに思い出せんけど。 それはそれとして、職人を扱ってる番組だってのに、その「芸」を値段に換算しようって下品さにむかっ腹が立って来る。岡江久美子や森公美子が値段を聞くたびに大げさに驚くのが、ヤラセなんだろうけどあまりに不快。 こんなんなら裏の『伊東家の食卓』を見てりゃよかった。……どっちもどっちか? 『学校へ行こう』、同様にヤラセがミエミエ。 「未青年の主張」、野球の審判やってるってオヤジが、娘の彼氏の「今度の休み、娘さんと旅行に……」の発言に「アウト!」……誰が考えたんだこの演出。 俳優志望という女の子が二人出て来て、「私たちはライバルで〜す、でも連続ドラマじゃ手しか映ってなかったし、2時間ドラマじゃ死体役でしたぁ」 ……そういう役を卑下するようなことを叫んでるうちは役者にゃ絶対なれねーよ。 他愛無い番組なんだし、そこまで腹立てんでも、とは思うのだが、演技に関してはどうしても見方がきつくなってしまうのである。 『ガチンコ』も見たのだが、腹立ったこと以外、内容は一日経ったら殆ど忘れた。 忘れて別にかまわん番組だけどね。
マンガ、秋月りす『かしましハウス』6巻。 四人姉妹の物語、と言ったら、たいていのヒトが『若草物語』を連想するだろうが、多分このマンガは、懐かしのテレビドラマ、『雑居時代』をベースにしている。 『雑居』の方は、実は五人姉妹なんだけど、性格設定がほとんど一致しているのだ。 いささかトウが立っていて妹たちに口うるさい長女、冨士真奈美がひとみ姉さん、次女で石立鉄男とくっつく大原麗子は飛ばして、三女で、ボーイッシュ、力持ちの川口晶がふたば、のん気な女子大生の山口いづみがみづえ、そして末っ子で生意気だけど姉妹中で一番のしっかりもの、杉田かおるがよもぎ。 父子家庭というところも同じだし、『雑居』が栗山家で『かしまし』が野田家、野山つながりってイメージの類似もある。 『若草物語』はだいぶイメージがずれるんだよね。 『雑居』の娘たちはそれぞれに経験を積み、新生活を目指して別れて行くけど、『かしまし』のお嬢様がたは、まだもうしバラくはトシをとりそうにない。ひとみ姉さんの花嫁姿が最終回になるのかもなあ。
マンガ、玖保キリコ『カエル屋敷のベンジャミン』。 玖保さんのマンガにしては、全1巻で終わり。人気がなかったとは思えないので、多分、初手から短くまとめるつもりだったんだろう。いわゆる『あしながおじさん』もので、あまり長く引いていけるネタではないのだ。……もっとも、これには『キャンデイ・キャンディ』の「丘の上の王子様」という特例がありますが(^_^;)。 主人公のベンジャミン、扶養能力のない養父母に育てられたために、家族への幻滅と憧れが内面に同居する複雑な性格になっちゃってるのだが、案外イギリスにはこういう子が多いのかもしれない。 「孤児」とか「母子家庭」とか、昭和四十年代までの梶原一騎マンガや吉屋信子系少女マンガのアイテムのように思われていたネタが、バブルを間に挟んで、リアルな設定となって蘇えってきているのである。もちろんその意味合いは、昔はあった「いつかは貧乏から脱出して幸せになるんだ!」式の、単純な未来への希望を語れなくなっている、という点で、随分変わってきているのだけれど。 子供を持つ、ということが「家族」を作ることになる……のだろうな、という微妙な自信のなさが、ずっと作品の底流にあるのが見えるのがもの寂しい。 それにしても、この主人公のベンジャミン、ヒネてるくせに惚れっぽい性格とか、頭でっかちで三白眼な顔とか、ウチの女房によく似ている。……女房の似顔絵書いてやる時にはこれを模写しちゃおうかな。
つい録画しそこなって、NHK総合『陰陽師』の第二回、後半をナマで見る。 ……また恋愛ネタかよ。これなら平安ものでやる必然性、まるでないじゃん。だから稲垣に現世と彼岸の間にある味わいを出すのは無理だってば。 時間がゆっくり取れないので、深夜に始まった『鉄甲機ミカヅキ』、録画しているのに見返せない。 でもどういうわけだか「第二夜」からの放送。……「第一夜」はどうなってんだよう。来月にはもうDVDになるらしいし、結局買えってか。ううううう(T_T)。
結局書きなおしたら量が増えてしまった。ああ、また眠る時間が減る……。
| 2001年04月09日(月) |
ハートブレイカー/『DRAMATIC IRONY』(藤崎竜)ほか |
一日遅れで日記を書いていると後になって、ああ、アレを書いときゃよかった、と思う事も多い。 もっともそう思ってるのは私だけかもしれず、奇特にもこれを読んでいらっしゃる方々もまた同じように感じていらっしゃるとは限らないのだが。 昨日、新調した背広を父親から受け取ってきた話を書こうと思ったのだが、次の日になるともう忘れている。親子の縁が薄いんだよなあ。 昔からそうだが、親父は私がほしいと思ったものをくれたためしがなく、いらないと思うものばかりくれていた。もらえるだけいいじゃないかとお叱りを受けそうだが、押しつけがましく、これを買ってやろう、あれを買ってやろう、とくれた挙句に、「金返せ」と言われることもしょっちゅうだったから、自然に感謝する気持ちが失せるのである。 昔、私の新居祝いに親父に「冷蔵庫はいるか?」と聞かれて、「うん、ほしい」と答えたら、購入したあとで、「金を出せ」と請求された時にはブチ殺したろか、と思ったものだった。もちろん、そんな金は払っていない。 人にモノをやるのなら、予め契約してるのでない限りは、見返りを求めるものではない。それが赤心というものだ。親父のおかげで私は「くれるものはもらう。でも感謝はしない」というケチ臭い人間に育ってしまったが、子供を素直ないい子に育てようと思ったら、やはり親自体が性格を変えねばなるまい。 お袋も親父のこのセコイ性格には苦労させられてたよなあ。
夕べからの雨が、今日もまる一日続く。そぼ降る雨でも篠突く雨でもない、ごく普通の雨だけど、こういうのはどう表現すりゃいいんだ。 前日まであれだけ満開だった桜も、すっかり散ってしまっている。 でも、ここしばらく雨が降っていなかったので、今年の花見シーズンは二週間以上に渡っていた。それにまだもう少し、これからつぼみを開く枝も残ってはいる。葉桜を楽しむ手合いもいようから、来週あたりまでは近所の公園、出店があるのではなかろうか。 女房は縁日好きなわりに、出店の前で「あれ、ホンモノのテキヤ?」なんてオソロシイことを堂々と口にするので連れていくのもちょっと怖いのだが。言っとくが私は逃げ足遅いぞ。女房を連れて逃げきれる自信はない。 そう言えば先日の花見でも、女房は公園内を徘徊する犬を見ながら、「犬が襲ってきても、あんたは助けてくれなかったもんね」と文句をつけていたが、いつどこで誰が犬に襲われたというのだ。そういうありもしないシチュエーションをでっち上げて、私が冷酷非道な人間のように吹聴するのはやめてもらいたいものだ。 もちろん、本当に犬が襲ってきたら、私は×××××××××××。
テレビを漫然と見ていると、ヤ○ボー○ーボー天気予報のコーラスがあのかわいかった子供の声から青年団のコーラスのような歌に変わっている。 うわ〜、つまんね〜変更をしてくれたもんだ。 カステラ一番の歌が滅多に流れなくなってしまった昨今、親子の世代間断絶を埋める貴重なCMソングだというのに。こういうのは十年一日、あまりリニューアルしないほうがいいのである。 ……と言ってる割に、意外とこの歌、フルコーラス歌えるやつって少ないのな。 「キミとボクとでヤ○マーだ♪」 のあとの歌詞を知らないやつが結構いるのである。毎回流れてるのになあ。 歌詞の引用は全部はダメなのかな? とりあえずよく知らない方のために問題の部分を。メロディーのほうは自分でお確かめ下さい。 「♪農家の機械はみなヤ○マー 漁船のエンジンみなヤ○マー ディーゼル発電、ディーゼルポンプ 建設工事もみなヤ○マー♪」 で、このあと「ちいさなものからおおきなものまで」と続くのである。オタクたるもの、これくらいは常識として歌えなければならない(なんでだ)。 宴会で歌うとウケるので、みんなもやってみよう(^^)。
マンガ、藤崎竜『DRAMATIC IRONY』。 第二短編集、ということだが、第一短編集の『WORLDS』の方は以前C−1くんに貸してもらって読んだはずだが、中身をきれいサッパリ忘れている。これだから本は自分で買っておかないといかんのだよなあ。 でも藤崎さんのマンガって、理に勝ちすぎててイマイチ面白くないんだよね。だから記憶に残らないとも言える。 表題作の『DRAMATIC IRONY』、別にゲーム内世界の物語にする必然性がない。新人賞だったらボツだ。 『ユガミズム』、他愛無いラブコメだが、その分だけ破綻がない。作者自身はこれが一番気に入ってないみたいだが、それがまだまだエンタテインメントが分かってない証拠なのである。妙な個性出す前にウケるストーリーの骨格を知っとくべきなんだがねえ。 『milk junkie』、英語題名をつけたがるのは悪い癖だ。でも中身はバカに徹していて、まあ面白いほうか。でも今更『エヴァ』のパロは恥ずかしいぞ。「世界の中心で牛乳と叫んだ巨人」ってか? 『異説 封神演義』、これを表題作にした方が売れるのに(^^)。藤崎さんは思い切りが足りないのである。 話は「望ちゃんがかわいいからあとはどーでもいーや」という出来映え。悪くはないけどね。 でもなんでスープーシャンは「ゾフィー」と鳴くのだ。アホらしくって好きだけど。 藤崎さんは素っ頓狂なデザインとギャグ以外見るべきものはないのだから、ヘタなテーマなんぞ入れずに、ギャグに徹した方がいいと思う。でなきゃジャンプの中じゃつぶれちゃうぞ。
マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』21巻。 ああ、さすがに巻数が増えて、ネタがかぶって来たか。フェルメールとメーヘレンのネタは以前大々的にやっちゃったから、どうしても二番煎じの印象がぬぐえない。仕事が増えてきたのか、絵が最近荒れ気味なんだよなあ。そろそろサラを物語に絡めて完結させたほうがいいようにも思うが、その前にいっぺんアニメ化してくれんかな。フジタには井上和彦が合うんじゃないか。で、サラは荘真由美に……って『美味しんぼ』かい。
マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき漫画『学園戦記ムリョウ』1巻。 ミスマル中学校って、もしかして学園長はあのコの御先祖様? それはそれとして、佐藤竜雄監督久々のテレビアニメシリーズのコミカライズである。滝沢さんの絵柄はアクがなさすぎる嫌いはあるが、ほんわかしていて昔懐かしい味わいがあって、結構好みだ。 ただ絵柄はドラマ自体を規定してしまいかねない危険も孕んでいるので、ストレートなようでいて屈折した感情を持つキャラを動かしてきた佐藤作品に合うかどうかというとちょっと……という気がする。『ナデシコ』ほどのヒットはしなさそうだな。
前回の公演の打ち上げが14日前後になりそうだとか。 実を言うと、私は金がないので参加しようかどうしようかなあ、女房がおごってくれるならいいけど、ケチだし無理かもなあ。 どうせなら若い者だけでたのしくやってくれりゃそれでいいしねえ、トシヨリはでしゃばらずに引っ込んでますわい、ゴホゴホゴホ、なんて気持ちでいたのだ。 ところが女房は参加者が少なくなりそうなので、枯れ木の山もにぎわいで、来てほしそうな気配なのである。 でも温泉行きたいという女房の気持ちはわかるが、若い女性たちは気にしてしまうのではないか。オヤジが来るんでイヤだというなら私は不参加でかまいませんので(今更傷つく歳でもないし)、メンバーの淑女諸氏はご一報を。
女房が突然「あんたって傷ついたことってあるの?」と聞いてくる。 「そりゃあるよ」と答えてはみたものの、なんだか「傷つく」という感覚が確かに自分から遠い感情じゃないか、ということにフト気がついた。 他人と疎遠なのである。 物理的に人を避けているというわけではなく、付き合いは付き合いとしてそれなりに行動してはいるのだが、心を相手に預けてはいないのだ。だから他人が自分のことを何と言おうと、笑っていられる。 多分私を「傷つけられる」相手は家族や友人、劇団のメンバーなど、ごく少数の人々に限定されるのだろうが、なんだか優しい人ばかりで、到底私を傷つけそうなことを言いそうにない方々ばかりなのである。 ……もしかして私はなにか気遣われているのだろうか。 あ、でもこないだちょっと傷ついたこと思い出したぞ。 劇団の練習の時に、「俺も来年は数えで四十だよ」と言ったら、よしひとさんから「もうすぐ四十郎ですね」とすかさず言われてしまった。 ……ちょっと一瞬、口篭もってしまったが、オヤジだオヤジだと自分で言っていながら、まだまだスキがあったのだなあ。この程度で動揺するとは修業が足りない(^_^;)。
| 2001年04月08日(日) |
デイ・アフター/『漫画 巷説百物語』(京極夏彦・森野達弥)ほか |
朝になって台所を覗くと、なかなか楽しい情況になっている。 フライパンには卵がべたーっとこびりついているし、電子ジャーの周囲には米が散乱している。 さては女房のやつ、オニギリ作るのに櫃から直接コメを取ろうとしたな。いったんボールかなにかに移すという頭がないのか。要領は前にちゃんと教えているのに。 でも、悪戦苦闘しながら作ってくれたのだから、文句を言ったらバチが当たるかな。実際、私は充分満足してるのだが、女房は昨日はずっと「コンピニ弁当買った方がよかったかなあ」と拗ねていたのだ。 ちょっとぐらい大味でも、女房が作ってくれた料理のほうが美味いのに決まってるんだけどな。 ……大味で思い出したが、女房がバレンタインに送りまくったあの巨大なブロックチョコ、もうみなさん食されたのであろうか。
先週は新番組を見逃しまくったので、今日は気合いを入れて朝からテレビに齧りつく。幸い『アギト』も『どれみ』も筋がわからなくなるということは無かった。 『デジモンテイマーズ』第2話、ギルモンの声が野沢雅子。 ……息が長いなんてもんじゃないな、声優生活四十年を数えてなお主役が張れるってのは化け物である。もはや声優界の人間国宝と言ってもいいかもしれない。新人声優が雨後のタケノコのごとくワラワラ現れては消えする現状では、懐かしい声が聞けるだけでホッとするのも事実だが、その分、物語の中で「浮いて」しまっているのもまた事実で、それがちょっと悲しい。 作画は二話目でまだ安定している。主役の男の子が気弱なタイプで、およそ元気がないが、この子の心の成長が大きな縦軸になっていくのだろう。結構リアル路線を走っていきそうな気配だが、変に『エヴァ』モドキにならなければ面白くなるのじゃないかな。 『コメットさん』第2話、絵柄が今風になってたので、全然期待してなかったのだが、これが意外にいい出来。地球に流れてきた王子様を探すって、なんだか『ちゅうかなぱいぱい』みたいな設定だが、脚本は別に浦沢さんではない。 いや、何が驚いたって、これが旧作のリメイクではなくて、ストレートな続編だったってことだ。だって、先代コメットさんの娘って設定なのだもの。……もちろんこの「先代」とは九重佑三子のことである。声聞いたとき、思わず耳を疑ったが、ホントにホント、女王様の声が九重佑三子本人だったのにはぶっ飛んだ。ああ、ほっぺたにペケマークをつけられてたあのボーイッシュな女の子が今や……。マジでこれは感無量である。なんでも「二代目」大場久美子も出演予定とかで、歴代三人のコメットさんが勢ぞろいするわけである。ちゃんと大人のお客様も取り込もうという戦略はアザトイが、こういうの、嫌いではない。前田亜季も熱演で、危惧していたほど悪い出来でもない。こうなればぜひともあの「ペケマーク」の設定は残してほしいものであるが、無理だろうか。 コメットさんのライバルが「メテオ」ってのはハマリ過ぎ(^o^)。もちろんたかビーなお嬢さまでフェイト教授以来の自爆タイプである。どっちかっつ〜と私はこっちのこの子が見たくて次回も見てしまいそうだ。
今日は百道まで文化映画を見に行こうかと思っていたのだが、先週からの疲れがどっと溜まっていたのだろう、睡魔が短い周期で襲ってきて、どうにも体が動かない。日記も書けずに昼過ぎまで寝こむ。 練習に行った女房に、帰りに栄養のつくものでも買って来てもらおうかと思って、携帯に留守録を入れておくが、結局女房は気付かなかったようである。 帰宅した女房は何も買ってきていないどころか、いきなりハカセを連れてきやがった。部屋の中はゴミの山だというのに。 座れる場所がパソコンの前の椅子しかないので、そこに座ってもらって、劇団のホームページなど覗いてもらう。桜雅嬢のモザイク写真などを見てウケていたようだが、私は睡魔に勝てず、そのまま寝入ってしまった。ハカセは果たしてウチで楽しめたのだろうか。もし楽しかったのなら、また一人、悪の道にハマりこむ人間が増えたのかもしれない。
『ニュータイプ』『アニメージュ』5月号、福岡でやらないテレビアニメの情報に歯噛みしつつ読む。 『犬夜叉』映画化決定の情報に驚く。『うる星』『らんま』と映画になっているわけだから不思議ではないのかもしれないが、そのスケールと映画化ペースは確実に落ちてきている。それなのに併映なしの単独公開とはなんと思いきったことを。どうせインサイドストーリーにしかならないと判っていても、見に行っちゃうんだろうなあ。 『キューティハニー』3DCG化なんてニュースはどうでもいいとして(^o^)、問題は次の『ゴジラ』である。 ああ、やるんじゃないか、やめてほしいなあと、思っていたネタ、やっぱり金子のアホンダラはやりやがったぞ。 キングギドラはやっぱりヤマタノオロチになるのである。 いや、やってもいい。やってもいいが、ちゃんと特撮で見せてくれるのだろうな。『日本誕生』や『ヤマトタケル』のようなフザけた操演や『ヘラクレス』の“コピー”ヒドラの悪夢が……(T_T)。 更にモスラは鵺に、バラゴンは狛犬になったそうである。これでは玄武(ガメラ)と朱雀(ギャオス)の焼きなおしではないか。 ……キングシーサーが復活しなかっただけマシかもしれないが、この伝で行くなら、バランは野衾になり、ラドンは烏天狗になり、ヘドラは土転びになったと言っても成り立ってしまうぞ。キングコングは孫悟空に、メガロはカブトムシに、メカゴジラはアイボになったのか(だんだん常軌を逸してきた)。 『千と千尋の神隠し』、この間予告編を見て、題名の意味がやっとわかったのだが、宮崎駿が作ろうとしているのは、極めて古典的なファンタジーである。即ち、ルイス・キャロルの『アリス』シリーズ、C.S.ルイスの『ナルニア国物語』を嚆矢とする、「異世界の扉を開いたもの」が、再び現実を獲得するまでの物語。幽閉と脱出のキーワードが、主人公の少女自身の「名前」であるところなど、まるで『陰陽師』だが、東洋と西洋の融合的ファンタジーを作ろうとしているのかもしれない。……これで底の浅い説教さえしなけりゃ宮崎さんもいい人なんだがなあ。 宮崎さん推奨の『江戸東京たてもの園』というのが武蔵小金井にあるそうだ。上京したついでにちょっと行ってみたい気もするが、さて、女房はつきあってくれるだろうか。『千と千尋の神隠し』展も日本橋の高島屋で開かれるそうだが、見るべきものがあるだろうか。
京極夏彦原作・森野達弥漫画、『漫画 巷説百物語』読む。 WOWOWでシリーズ映像化されていた『京極夏彦 怪』の原作の漫画版だが、さて、一読三嘆とはこのことか。 一頁、二頁とめくるたび、比喩ではなく背筋に戦慄が走った。 水木しげるの再来、というより水木しげる本人が描いたとしか思えない妖怪画の世界がそこに展開していたからである。 もともと森野達弥は水木氏のアシスタントであった。どこかで名前を聞いたことがあるなあ、と思っていたのだが、80年代、三度目の『鬼太郎』がアニメ化された時、『コミックボンボン』に連載されていた『最新版ゲゲゲの鬼太郎』、あれを描いて中に『地獄童子』という新キャラを登場させていたのが森野氏であった。……ちょっと待てよ、森野氏は1963年生まれだ。ということは、あの漫画描いてたころって……高校生?! 早熟も早熟、これはちょっとした天才ではないのか。 水木氏は自分の絵にあまり拘らない人で、下手をすると鬼太郎までアシスタントに描かせてしまうことがある。再開された少年マガジン版『鬼太郎』は、一時期ずっと、辰巳ヨシヒロが描いていた。辰巳氏には悪いが、その線に水木氏の味はまるでなく、ダサいとしか言いようがなかったのだが、連載後半、絵が急に、昔の流麗な線に戻ったのだ。 ああ、水木さん、ちゃんと自分で描くようになったのだなあ、と思い込んでいたのだが、どうやら今にして思うと、あれも全部森野氏が描いていたのではなかったか。 もともと、森野氏の絵柄はアニメチックで硬質な絵である。『ジャック・ガイスト』などのイラストを見れば判るが、絵的にはあらいずみるいやこしたてつひろなどのオタク系アニメ絵のほうに近い。当たり前の話だが、水木氏の絵を真似る、ということは「模写」なのである。 好きなマンガ家の絵を模写したことのある人なら判るだろうが、マネったってそう簡単にできるものではない。どうしても自分の線が入りこんでしまうし、相手の絵に近づけようとすればするほど、線は勢いを失っていく。 石ノ森章太郎や藤子・F・不二雄の跡を継いで描かれた『ホテル』や『ドラえもん』を見ればそれは一目瞭然である。 夏目房之介、とり・みき、唐沢なをきのパロディマンガも、水木しげるの模写に関して言えば、それは「よくできました」レベルのものでしかなかった。 水木氏の絵を自家薬籠中の物としている、と褒め称えても、まだコト足りない。実のところ水木氏の絵は紙芝居時代、貸し本時代、週刊誌時代と、刻々に変わり、アメコミの影響を受けたことすらあるのだが、それぞれの時代の特徴を全て捉え、融合させるというとてつもないことまで森野氏はやってのけているのである。 例えば狂言回しとなる、御行の又市、ドラマでは田辺誠一が演じた涼やかな青年だが、森野氏は彼の顔になんと「鬼太郎」を持ってくる。しかも、後年の絵柄ではない、貸し本時代初期の、出っ歯でつぶれた片目を向き出しにした、あの“元祖”鬼太郎の顔である。 ……実は、貸し本時代の水木氏の線は、どちらかと言えば野太く、重たい印象を与える線であった。しかし、その又市=鬼太郎の顔は、最盛期の水木氏の流麗な線で描かれてあるのである。 つまり、又市の顔は、紛れもなく水木氏の絵でありながら、かつて水木氏によって描かれたことのない、オリジナルな絵なのである。こうなると、この絵をただの「模写」と片付けるわけにはいかなくなる。 よく見れば、山猫回しのおぎんも、事触れの治平も、考え物の百介も、全てのキャラクターが、かつて水木氏のマンガに出てきたように見えはするが、実はみな森野氏のオリジナルなのである。だから、このマンガには、水木マンガには必ず顔を出していたあの四角い顔にメガネで出っ歯の桜井昌一氏は登場しないのである。 更に森野氏は、「おりく」という自分の絵柄のキャラクターを、水木氏の線で描く、ということまでやってのけた。 これほどの天才を発揮した作家を、私は寡聞にして他に知らない。 怪奇とユーモアの融合、水木氏独特の間、その技術のすばらしさもさることながら、それをマンガとしての面白さにちゃんとつなげているとは、何という才能であろうか。 こんなに読み応えのある漫画に出会うのも珍しいことなので、今日は一日、布団の中で何度もこの本を読み返していたのであった。 ……実は私は、原作の『巷説百物語』を「文庫になるまで待とう」とまだ読んでいないのである。そこで更にその元ネタとなった、『絵本百物語 桃山人夜話』を紐解いてみると、原作小説が、「白蔵主」と「小豆洗い」の挿話を実に見事に換骨奪胎して小説化していることがわかる。と言うか、作中に登場する「山岡百介」と「桃山人」との共通点に気がつけば、ネタ本と小説との関係についてニヤリとすることができるのだ。 ついでだからドラマでの配役をここに書いておきましょう。 御行の又市(田辺誠一) 山猫廻しのおぎん(遠山景織子) 考物の(山岡)百介(佐野史郎) 事触れの治平(谷 啓) ……これも楽しいドラマでした。さっさとDVDにしてくれ。最終話だけ録り損ねてるのだ。
夜になって、豆腐やサトイモや糸コンニャクでけんちん汁のようなものを作る。結構いい味付けになったなあと思って、女房に残しておいたのだが、女房は豆腐をちょっと食べただけで食べてくれなかった。……やはり肉が入ってないとダメなのかな。
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|