無責任賛歌
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| 2001年03月03日(土) |
オトナの会話/アニメ『サウスパーク・CHINPOKOMON』 |
雛祭りってえことで、ニュースじゃどこそこの雛人形展示会だの変わり雛だのが紹介されてるが、もちろん雛人形の元ネタは天皇皇后両陛下である。意外とこのこと気がつかれてないのな、歌にもちゃんと「お内裏さまとお雛さま〜」と歌われてるのに(この歌詞も厳密に言やあ、「全部お雛さまじゃん」というツッコミはできるが)。だから典礼のときの衣冠束帯姿を見て、「わあ、お雛さまみたい!」と抜かしよるやつばらがおるが、実は本末転倒だったりする。 ましてや「キティちゃんの変わり雛」などは、カケマクモカシコクモすめらみことを口ナシのケダモノごときになぞらえるとは怪しからん……と誰も怒らんのはなぜなのかね。 また逆に天皇制反対を唱えてる連中の家でも、多分雛祭りやってるとこはきっと多いぞ。その辺の矛盾は心の中でどう折り合いをつけてるのかな。 その辺のテキトーさ加減がイデオロギーに凝り固まった連中を好きになれない理由だったりするのだ。 だいたい雛祭りが女の子の節句だなんていつ誰が決めた。もともと桃の節句ってことじゃないのか。 ……ぐすぐす。なんで男は雛祭りを祝っちゃいけないんだよう。女の子に誘われなきゃ男はひしもちだって食えないし、女の子に白酒だって振舞ってもらえないし、「も゛も゛くりー、さんーね゛ーんー、かきーはーちーね゛ーん」といっしょに歌ったりかくれんぼしたり、ときかけったりすることだってできないんだよう。 ……すみません、青春をどこかに置き忘れてきた寂しい男の愚痴でした。ううううう(T_T)。
仕事から帰宅すると女房が居間で寝ている。何だか寝室にたどりつくことも出来ずにぶっ倒れて寝ちまったっていう印象だが、実際その通りだったようだ。 「ずっと寝てたのか?」 「いや、さっき寝たばかり。殆ど寝てない」 夕べパソコンゲームを始めたら熱中して寝つけなくなり、さらにDVDで『六番目の小夜子』を見ていたら夜が明けたそうである。 昼は昼でウチに藤田君、其ノ他君に鴉丸さんが来て、眠れなかったとか。 土曜にもかかわらず、私は終日お仕事をしていたというのに、そのあいだ、いろいろ遊んでやがったのだな、こいつは。 ……遊びにというのは語弊があるかな。ホームページに載せる写真の撮影や次の脚本のネタの検討などをしていたそうだから。
鴉丸さん、小林泰三の『玩具修理者』を持参。次回作はこんなのをやりたいらしい。ウチにもこの本、ちゃんとあるのに、これも女房がどこかにやっちまってるので、現物を見せに来たもの。 ……しかしこれを役者でやるのは難しいよなあ。作中、人形が出てくるシーンがあるのだが、人形を演じられる最高の役者は当然人形そのものだ。役者に人形を演技させるのには、相当な演出の工夫が必要になる。おーい、次の演出、誰がやるんだあ? 私もシノプシス早いとこ書かないとなあ。
女房、半月遅れではあるが藤田君にバレンタインチョコをあげたらしい。もしかしてまたあのブロックチョコか? 其ノ他君もホームページの日記に書いていたが、味がどうのという以前に、食うこと自体、労力を要するものらしいのである。……一回、鍋かなんかで溶かして型に入れ直して食った方がいいんじゃないのか。受け取った本人はすごく喜んでたそうなので、苦労してでも食うんじゃないかとは思うが。
岡田斗司夫さんの『OTAKING SPACE PORT』のオタク日記1月24日に、青木光恵さんのピンナップ・カレンダーが紹介されてある。 女の子がいろんな衣装・スタイルでポーズを取る中、いったいどれが岡田さんの一番好みか当てて見せよう、というのである。「もうね、男はみんな同じ子を指名するんですよ!」と挑戦され、岡田さん、いきりたって「これ!」というのだが見事に撃沈(^^)。「ははは、男の好み、みんないーっしょ!」と青木さんにからかわれて、岡田さん、悔しがること悔しがること。 今から覗いて見ようと思われる方のために、それがどんなキャラか説明するのは省くが、私も「岡田さんなら、いや、たいていの男はこのキャラを選ぶだろうなあ」と言うのがすぐに見当がつく。『ぼくたちの洗脳社会』を書いた岡田さんにして、既にステロタイプな「理想の女」像を刷り込まれてしまっているのである。 しかし、洗脳されることが悪いと言いたいわけではない。意地の悪い人間なら自分の好みをはずしてでも、別のキャラを選ぶところを、見事にハマったというのはそれだけ岡田さんが「素直」だということなのだ。 と言うか、男は一度刷りこまれた自分の女性の好みについては、なかなかウソがつけないものなのである。なぜなら、男は結局(特に日本人は)、女の中に母を見ることしか出来ないように、社会的に躾られてきているからだ。息子に厳しい母も、息子を溺愛する母も、息子を放任する母も、実は息子との心理的距離は全て密接につながっている。マザコンはいうまでもなく、亭主関白に見せかけてる男だって、ありゃあ女から自立したい男の反作用でしかない。結局は母の呪縛からは逃れられていないのだ。 「男の趣味は全て一緒」。至言だが言われりゃ確かに悔しいわな。自分がガキだって言われてるのと同じだから。 従って、男が抱く理想の女性像は、男にとって多分に都合のいい「幻想」にすぎない。現実の女性にとっては、別に相方に息子を求めてるわけでもなんでもないので、そういった男の存在自体が非常に迷惑になったりもするのである。世間の夫婦間の齟齬はそういうところに原因があったりするのだよなあ。 ちなみに私は性格が悪いので、青木さんのイラストを見て、ほぼ全ての男が好むであろうキャラをはずし、別のを選んだ。私にマザコン的傾向がないのではないが、同時に私に女性的な傾向があるためでもある(オカマってことじゃないぞ)。男にしては例外的な部類になろう。 ……実は私は、現実の女性に関しても、今まで全て、普通の男が好むタイプをはずしてきたのだ。で、ヒネクレモノの選択がいかなる結果を呼んだか。 それは、我が家の家庭生活をチラとでもご覧になった方ならば説明の必要もあるまい。保守的でない男になるには、相当な覚悟が要るのだよ、諸君(って誰や)。
夜、ダーリンのオデッセイで送ってもらって、エロの冒険者さんのお宅に、『サウスパーク・チンポコモン』を見にご訪問。 女房、エロさんにもブロックチョコをプレゼントするが、どこまで犠牲者を増やそうというのか。さすがに少しは反省したのかノコギリ付きで渡したらしいが。……ノコギリ使わないと食えないチョコって、既にチョコでない気もするが。 メンツが揃うまで時間があったので、塩浦夫妻、エロさんに「犬が飼える鹿児島本線沿いの家がないか」などと聞いている。 「犬ってどんな犬?」 「こんな小さいの」 って、手のひらひとつ見せられても、手乗り犬なんていないぞ。塩浦さんは待ってるあいだしょっちゅう体を左右に揺らしていて、ダーリンから頭を抑えられていたが、脳が攪拌されないのだろうか。 8時半ごろ、ぴんでんさん、ロデム君も来られていよいよ上映会。 「チンポコモン」って原音でも「チンポコモン」って言うのかな、と疑問に思っていたが、本当にその通りであった。 いちいち数えたわけではないが、恐らくテレビ史上、「チンポコ」という単語が最も多く発せられた番組であることは間違いあるまい。ほぼ5秒起きくらいに「チンポコ」「チンポコ」と繰り返されていたので、しまいには頭の中が「チンポコ」だらけになりそうだった。……って、そういうネタの話なんだよな、これ。 「チンポコモンするぞチンポコモンするぞチンポコモンするぞチンポコモンするぞ」……やりすぎてケニーがテ○カ○起こすあたり、例のポケモン騒動との関連もあるが、オウム真理教のイメージも重なってる気がするなあ。 テレビの中に登場する「チンポコモン」アニメが、「似てるけどニセモノなのでちょっと違う」という感じのヘタレた絵柄なのがいい。ピカチュウモドキもニャースモドキもそれとすぐ分るし。『鉄腕アトム』以来、「日本製のテレビアニメは出来が悪い」というのは向こうの共通イメージなのかな。アメリカ製アニメだって相当粗製濫造であるとは思うが。 日本でこいつが放送禁止になっちゃうってのは、やはりシャレにならん点が多いからかな。ヒロヒト社長の陰謀で、日本のおもちゃ会社が、一見土下座外交をしてみせながら、内心アメリカに対しての復讐を狙ってるって設定、たいていの日本人は笑ってられることだが、一部、図星さされたと思って本気で腹立てる右や左のダンナさまは確実においでになるからである。 いや、案外「日本人のぺ○スは小さい」というセリフに過剰反応するかもな、あいつらは。「思想信条の自由は認めるが、俗悪なのは許せない」とか論点ワザとずらしてな(^^)。 日本人のに比して、アメリカ人の「ペ○ス」は、ビッグでラージでガルガンチュアなのだそうである。「ガルガンチュア」と聞くとどうしてもオタクは『ザ・ウォー・オブ・ザ・ガルガンチュア』(『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の米タイトル)を思い出してしまうが、元々は中世の伝説上の巨人の名前である。日本人がなんでそんな単語知ってんだって感じだが、これはどっちかって言うとRPGなんかのゲームに出てくるキャラクターあたりをイメージしてるんだろうな。いちいち芸が細かいことではある。
エロの冒険者さま、滅多に見られないものを鑑賞させて頂いて、更には『怪獣ウラン』のDVDまでお貸し頂いて、ありがとうございました。今度は『カニバル・ザ・ミュージカル』の上映会をよろしくお願いします。
上映会のあと、高宮の「東洋ショー」という焼肉屋で2次会。 なぜか店内に浜崎あゆみのサインが飾ってある。この辺の出身だったかな。 肉をつつきながら、オタク話のはずが気がついたらエロ話に移行していくのが、オトナのアソビゴコロというものであろうか。 女房は初めてソープランドのスケベイスの使い方を教えてもらって感心していた。私も生まれてこのかたソープランドというところには行ったことがないので、教えようにも教えようがなかったしなあ。……ってテメエの女房にソープについて解説する夫ってのもいなかろうが。……いるかな? 特撮番組の話題を延々としていく内に、昔のヘタレた番組も無性に見返したくなる。『宇宙猿人ゴリ』や『快傑ライオン丸』もCSあたりで再放送してくれんかなあ。
帰りもダーリンカーで送ってもらって、まだ塩浦さんが見ていない分の『サウスパーク』のDVDと、『妖怪百物語』と『東海道お化け道中』をお貸しする。この大映の妖怪シリーズ、二作目の『妖怪大戦争』だけ店頭になくて買い損ねていたが、これが日本妖怪対西洋妖怪の対決という純然たる娯楽作である。関西弁の「油すまし」が好きだったなあ。どこかの中古DVD屋を回って探してみようかな。 さすがにぶっくたびれていて、日記を書く元気もなく寝る。明日は出来るだけ書物を片付けていこう。
| 2001年03月02日(金) |
あっいぃ、うー、えぇおー♪/『ドラゴン株式会社』(新谷かおる)ほか |
ふにゃー。 気がついたら午前様だ。 昨日、ゆっくり眠ろうと決意したのに今日またなぜこんなことになってしまったのかというとまた女房のせいである。 先日買ったばかりの『唐沢俊一のキッチュの花園』、女房がどこかに片付けていて場所が分らない。場所を聞いて探してみるがない。 「多分その椅子の上にあったと思うんだけど」 「なかったよ。それに椅子の上にあったのならテーブルの上に片付けたよ」 「片付けたつもりでどこか別の場所にポンと置いたんじゃないか?」 「いや、その山の中以外には片付けてない」 そう言われても現実にないものはないので、女房の言葉を信用せずに別の場所を探してみると、やっぱりビデオの山の陰に無造作に押しこんであるのを発見。 「ほら、別んとこにあったじゃないか」 「通り道に置いといたから邪魔でどけたんだよ! 第一椅子の上じゃないじゃん」 「椅子の上じゃなくても片付けたのはお前じゃないか。どこにやったか忘れるんなら片付けにならん!」 延々会話を書くのもバカらしいので省略するが、実に不毛な喧嘩が12時過ぎまで続いたのだ。 だから記憶力もないのに片付けはするなと日頃言ってるのに。 元々私は結婚する前、本棚だけはキレイに作者別に整理していたのである。ところが女房は本を勝手に取り出したあと、絶対に片付けない。そこいらに放りっぱなしである。新刊を買って来ても勝手にどこかに持って行って適当なところに押し込むということを繰り返すので、買ったばかりの本が読めなくなり、整理も全然出来なくなってしまったのだ。 「私だって、ちゃんと片付けたいんだけど、本が多過ぎて無理なんだもん!」 とは女房のいいわけ。 まあ、女房の処理能力を超える蔵書数であるには違いないが、かと言って普通のオタクに比べりゃ多いと言うほどでもない。 女房に本の整理が出来ないのは、実は本の量に原因があるわけではないことを私は知っているのだ。 私は本をたいてい作者別、アイウエオ順に並べているのだが、女房はその「アイウエオ順」が分らないのだ。 ……学校はやはりマジメに行っておいた方がいいよなあ(-_-;)。
続きはまた明日。
……と書いておいたら、女房が、「一日の日記を二回に分けて書いたら、下のほうのに気がつかない人も出るんじゃない?」と言われた。 その可能性もないことはないが、かと言って、次の日の日付のところに、前日の内容を書きこんでも混乱すると思うのである。 まあ、この日記を熱心に読んで下さっている方々なら、翌日に量が増えることもあるということは先刻ご承知だろうから、それほど気にせずともよいであろう。
マンガ、新谷かおる『ドラゴン株式会社』読む。 今はなき『少年キャプテン』に廃刊号まで連載されていたもの……と言っても、全6話しかない(^_^;)。 どこぞのインタビューで作者がこんなことを語っていた。 「傾きかけた雑誌があると、起死回生の手段として『ひとつ連載を』と依頼されることが多いんですよ」 これも今はなき『少年ビッグコミック』がジリ貧状態にあった時、名作『エリア88』が文字通り救世主となったことは周知の事実。恐らく『キャプテン』もそれを狙っていたのだろうが、いかんせん、『エリア』と『ドラゴン』とでは、その作品レベルが天と地ほども違う。 言っちゃあなんだが、新谷さんのマンガは作品によっての出来不出来の差がありすぎるのだ。『ドラゴン』は人口過密による異次元への移住、という設定そのものは悪くないが、そこに中世の剣と魔法のファンタジー世界を構築するという発想があまりにありきたり過ぎる。主役三人娘のキャラクター造形も、ドジっ子としっかりものとトラブルメーカーとって『なんてっ探偵アイドル』なみの陳腐さ。これで人気をとろうってのはちょっと客をナメちゃいないか。 末期の『キャプテン』は読者ターゲットとしてのオタク層を角川の『少年エース』に奪われた形で失速して行ったが、「オタクはファンタジーに釣られる」みたいな安易な発想が却って命を縮める結果になったように思えてならない。 でも、廃刊間際の雑誌って、たいてい「なに考えてんだ」的なヤケのやんぱち企画が連載されること多いんだよな。『少年キング』の『風雲輪投げ野郎』とか。
和田誠・三谷幸喜『それはまた別の話』読む。 以前『キネマ旬報』に連載されて単行本化された、お二人の映画についての対談が、文春文庫に収められたもの。これはきっと文庫になる! と、単行本を買わずに我慢してたかいがあった。 基本的に映画評の類は、自分が見たことのある映画についてしか読まないようにしているので、12本の映画のうち、読んだのは半分の6本である。 でも卑しくも映画ファンを自認してる男が、『アパートの鍵貸します』や『恐怖の報酬』をまだ見てないってのは恥以外のなにものでもないなあ。 だからあまり大きな口は本来たたけない、たたいてはいけないものだとは思うのだが、『トイ・ストーリー』についてお二人がしきりに「今までのディズニーっぽくないアニメ」「ディズニーにしては珍しく主人公が人間臭い」「歌の中にストーリーの説明があるのもディズニーらしくない」とか言っているのが気になって仕方がない。 あれは提供はディズニーだけど、制作はピクサーなんで、厳密に言えばディズニーアニメとは言えないのだ。あれをディズニーアニメと言っていいんだったら『となりの山田君』だってディズニーアニメになるぞ。あれを「ディズニーにしては珍しく日本人の家族を主人公にしている」なんて言うか? 三谷さんはともかく、和田誠さんは広島アニフェスにも参加してたし、ピクサーのアニメについては知っててもおかしくないはずなんだけどなあ。連載中もおかしいなあと思っていたが、誰も訂正しようとしなかったのかなあ。 森卓也、何してたんだ。
女房と口げんかしてしまったので、せっかく一緒に食べようと買ってきたチーズパン6個入りひと袋を、自分一人で食い尽くす。おかげで腹が苦しいまま寝る。時計を見ると午前2時。明日は仕事が早いので、どう考えても4時間しか眠れない。私の睡眠時間を返せ……って、適当なところで喧嘩を打ち切っちゃえばよかったんだがなあ。下らんことで喧嘩をするなという喧嘩をしてしまうことほど下らんことはない。
| 2001年03月01日(木) |
ダブルマインド/『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』(上遠野浩平) |
わはあい、3月だあ。ヽ(^o^)丿 「弥生」って聞いただけで、急に冬から春に変わったような気になるのだから、人間の感覚なんていい加減なものである。昨日と今日とで何が変わったというのだ。朝から外はそぼ降る雨、世間じゃ風邪も大流行りだってのに。 「弥生」の語源は、「いや・おい」が縮まったものだという説がある。「いや」ってのは「やあ」とか「おお」とかいう掛け声と同じね。いわゆる感動詞。「おい」ってのは字のごとく新芽が生えてくること。だから「やあ、春になって草も萌え萌え〜!」ってのが「弥生」って言葉の元々の意味だってことだ。 ……誰が言い出したか分らんが、一人くらい「別の言葉にしようよ」って止める奴ぁいなかったのか。
ここしばらく変な夢を見ているらしいのだが起きてしばらくすると忘れている。ただ、私が夢の中では全く別の環境のもとで全くの別人として生活していたことだけは覚えている。 だから、目が覚めたばかりの半睡半醒状態の時は、自分を取り戻すのに少し時間がかかってしまう。 そう言えば、2、3歳の頃、私の記憶している最も古い思い出は、目が覚めた途端、目の前に「畳の目」があって、自分がうつ伏せになって寝ていたことに気づき、「ああ、やっとこの世に戻れた!」と安堵し、周囲にいる大人たちを見て、「あれがボクの新しいお父さん、お母さんなのだな」と確認した、というものだった。 ……こういうこと話すと、いかにも私がリインカーネーションとかオカルトなことを信じているように聞こえるかもしれないが、残念ながらこの体に入りこむ以前のことは全く覚えていない。 もしかして、夢の中のもう一人の私は、2歳以前にこの体の中にいたもともとの私のあるべき未来の姿だったのかも……って、うまくこねくり回したら何とかSFにならんかな、このネタ。 それはそれとして、夢の中でこうしょっちゅう別人になっていて、しかもそのときは起きてるときの記憶が全くない、そして反対に起きてるときは寝てるときの記憶がない、というのはちょっと多重人格症に似てないか。 日本人に乖離性人格障害は滅多に見られない、いや、そもそもそんな病気はない、なんて言ってる医者もいるようだが、ひとつ頭のネジがはずれて、この夢の中の私を私がホンモノの自分だと思いこんだとしたら、それはどう診断されちゃうのだろうか。 全部一緒くたに関係妄想とかの中に組みこまれるのかなあ。それともただのボケか? どっちにしろ、トシを取ればヒトのココロは自然に壊れていくのである。それが人間というものの正体だとすれば、「自分」に固執することは所詮無駄な努力ということになる。 いっそのこと、全国民が、ある一定期間、A山B男として暮らしたら、次の日からはC田D太郎にならねばならないって制度ができたら、気分も変わっていいような気がするがどうだろう。人格そのものが変わることにみんなが慣れていけば、「あんなおとなしそうな人がどうしちゃったんだろう」とか「あなたがこんな人だとは思わなかった」なんてショックを受けることも少なくなると思うぞ。……自分の奥さんが、姿形は変わらないのに、次の日からマリリン・モンローになったりしたら楽しいかな。でへへ(~∪~)。 ああ、これもちょっと捻るとSFになりそう……。
今日は映画の日でしかも仕事も半ドン。昨日から晴れたら映画に行こうと女房と話していたのだが生憎の雨。 私一人なら雨くらいで映画に行くのを諦めたりはしないのだが、徹底的な雨嫌いの女房は、バス停に行くのに傘を差すのすら億劫がるのである。歩いて1分の距離なのに。 でも夜には仕事もあることだし(今日は遅くて午前様になるそうだ)、無理強いするのも悪いかと諦める。 何だか今年は去年に比べて映画に行く日が減りそうだなあ。
キネ旬ムック『動画王』12号、特集は石森キャラクターズと題して、『人造人間キカイダー THE ANIMATION 』、『仮面ライダーアギト』などを取り上げている。 石森プロの早瀬マサトさんのインタビューによれば、『キカイダー』も『アギト』も、故・石森さんの意向を組んで、ハイターゲットを狙っている、とのこと。その出来が本当に大人向けになっているかどうかの批評は別として、昔の明るく楽しい『ライダー』や『キカイダー』をスタッフが作ろうとしているわけではない、ということは前提として理解しておかねばならないのではないか。 高いところに立ってギターを鳴らしているジローや、変身ポーズを取るライダーが登場しなくても、元々原作にそんなシーンはないのだし、スタッフだって今更ただのリメイクを作りたいわけではあるまい。昔の特撮版が懐かしいなら、ビデオ屋で昔のを借りてきて見ればよいのである。 あとは『サイボーグ009』の完結編と、アニメ版が実現してくれることを望む。石森プロがこれだけ力を入れていいものを作っているのだから、そうそうひどいものにはならないと信じる。
上遠野浩平『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』、しばらく『虚空牙』シリーズばかり書いていた上遠野さん、久々のブギーポップシリーズである。 一作ごとにほかの作品とのリンクが楽しいこのシリーズ、今回はまた少し時代が遡って、第一作『ブギーポップは笑わない』の半年前。 だからこれまでの作品で最後はアレになってしまった辻希美や穂波顕子、水乃星透子なんかも登場してくるのだが、何より新登場かつ今回の主人公、九連内朱巳のキャラクターがよい。なんと言っても、ついに登場した霧間凪のライバルである。したたかと言うか、野放図と言うか、天性の詐欺師で、しかし女の子であるってとこがニクイ。 私が詐欺師とか怪盗とかの登場するピカレスクロマンが好きなのは、主人公たちの人格が簡単にひと括り出来るような単純なものではなく、常に矛盾を抱えているからである。 断言しちゃうが現実の女は基本的に詐欺師であって、自分のウソをウソだなんて認識しちゃいない。なのにフィクションに出てくる女って、たいてい純真なんだよね。それでなきゃロマンにならないってのは、薄っぺらなもんしか書いてないやつの言い訳だ。他人をだますことも自分をだますことも得意な女を描けて初めてそれはロマンになり得る。 それにしても、「炎の魔女」の由来があんなことだったとは……上遠野さん、自分の作ったキャラクターを弄んで楽しんでるなあ。 いろんな意味で『ブギーポップ・パラドックス』というタイトルの持つ意味が楽しい本作でありました。
実はよく分ってないのだが、今日からパソコンの接続が「ふれっつのあいえぬでいえぬ」とかいうモノになったんだそうである。 女房が「これでどれだけ使っても料金は変わらないよ」と言う。1時間で五千円ポッキリとか、そういう類のものなのだろうか。たいていそういう惹句はガセであることが多いが大丈夫なのかな。 思うに「ふれっつ」というのはチョコプリッツかフレッシュコーンの親戚であろう。音が似ている。食べすぎると鼻血が出るやつだな。 「あいえすでいえぬ」というのは「あいしーびーえむ」にすごく似ているのですごく危険そうだ。たしかCMではハジメちゃんが宣伝してたが、ハジメちゃんがいるということはその裏にはバカボンのパパが控えているということでもある。 バカボンパパがチョコプリッツを食べて鼻血ブーしながらあいしーびーえむをママに向かって発射しているイメージが脳裏に浮かぶが、私は変態だろうか。
あさっての『サウスパーク』上映会、一応この日記でメンバーに声かけはしたものの、最終的に何人参加するかを確認するためにメールをいくつかやりとり。 時間の関係もあって、全員の確認は取らなかったが、別にエンガチョ切ったわけではなく(博多弁じゃ「エンガチョ」って言わないんだったよなあ。でもなんて言ってたか忘れちゃったなあ)みんなそれなりにオタクではあるのだが、やはりそれぞれに好みは違うので遠慮したのだ。 これまで『サウスパーク』の「サ」の字も聞いたことのない人にまで声をかけても、どう返事をしていいものやら分らないだろうしなあ。しまったなあ、鈴邑夫妻や鴉丸さんがウチに来てたときに見せてあげればよかったかも。でもギャグでもああいうオバカ系はマジメな鈴邑君あたりは嫌うかもなあ。 とりあえず既にハマっている塩浦夫妻と、遠方ではあるがよしひと嬢には確認の連絡を入れる。塩浦夫妻は二つ返事でOK、待ち合わせの時間と場所を確認する。 よしひと嬢からの連絡が一向に来ない。仕事が忙しいのだろうが、ご自宅に電話を入れて、ご家族に伝言を頼むのもちょっと憚れる。 ……だって、「アニメの上映会があるんですけど……」 と言って、お母さんから、 「どんなアニメですか?」 なんて聞かれた日にゃあ、どう答えたらいいのだ。 「『チンポコモン』です」 なんて言えんぞ(-_-;)。適当なこと言って誤魔化しゃいいじゃないかと言われそうだが、そういうウソって、私はとてつもなく下手なのである。 (結局よしひと嬢からの返事を受け取ったのは翌朝で、ご都合が悪くて今回は断腸の思いで断念、とのことでした。ううむ、残念)
女房が帰宅するのを待っててやろうかとも思ったが、睡魔には勝てず眠る。やはり一日最低6時間は眠らないと、体がもう持たんのである。
| 2001年02月28日(水) |
せんと・おぶ・うーまん/『妖怪馬鹿』(京極夏彦・多田克己ほか) |
早いなあ、2月ももう終わりだ。 来月は三日も早く給料が出るぞ。嬉しいなったら嬉しいな。……もうすぐ四十郎が何を浮かれてんだ。
洗濯物が溜まりに溜まっているので(私のではない。女房のだ)、自分のもまとめて洗濯をする。 ところが女房、私が洗濯を終えたあとになって1週間着続けのシャツやら、数日はき続けの靴下を何足も持ってくる。 で、そんな調子なのに、「体が臭い、なんで?」なんて、どまぐれたことを言い腐るのだ、このバカは。 「……さっさと風呂に入れ!」 私ゃクリーニング代がもったいないので、上着を着続けることはよくあるが、下着は二日と同じものは着てられん。特に靴下なんか、一日で臭くなるではないか。 なぜ毎日洗うということが出来ないのか、と聞くと、「もったいないから」と答える。きちんと洗いもせず履き続ければ、靴下がボロになるのも早かろう。かえってそっちの方がもったいないはずだ。 洗濯して干すのが面倒臭いだけじゃないか、このウソツキめ(~_~メ)。 私が女房の分まで洗濯をしたりすると、このバカは「次、着ようと思ってたのに!」と文句を言うのである。 「だからその下着、何日着てるんだよ!」 「まだ三日(^^)」 「……洗え!(>_<)」 もう何百回と繰り返した会話だ。 それにしても、洗濯をしてやって文句を言われる夫ってのも滅多になかろうな。
AIQのエロの冒険者さんから、『サウスパーク』中、恐らくは一、二を争う問題作であろう『チンポコモン』上映会のお誘いメールが来る。 『公式版サウスパーク・コンプリート・ガイド』(こいつも私がまだ殆ど読んでもいないのに女房が片付けてしまったので、1時間かかって探し出した)を見る限り、テレビ放映の順序から言えば、4日の『流星物語 カイルとケニーのユダヤスカウト』の次に『チンポコモン』が来るはずなのだが、しっかりすっ飛ばして11日の放送は『宇宙戦士! 腹ぺこマーヴィン』。 まあ、日本企業の陰謀で『チンポコモン』を見ていた子供たちが「て○か○」を起こす、なんて内容の話、逆立ちしたって日本じゃ放送できんわな。 この分じゃ、日本版DVD発売の際もカットされかねない。この機会を逃してなるものか、と、慌てて「行きます行きます」と返事のメールを送る。 このページを読んでる劇団のメンバーで、「あちきも行きたいでありんす」(意味なし花魁言葉)、という方がいらっしゃったら、明日までに連絡ください。
ちょっと今日はバタバタしちゃったので、読んだ本や見た映画の感想は明日書く。書けるヒマあるのか?
京極夏彦・多田克己ほか『妖怪馬鹿』読む。 対談の間に挿絵代わりに挿入されている京極さんのマンガが楽しい。有名マンガ家の模写なのだが、赤塚不二夫、永井豪、山上たつひこを初め、吉田戦車、しりあがり寿といったオタクなマンガ家まで、ものによってはホントに本人に描かせてるんじゃねえか、と言いたくなるほど似ているのである。 「豆腐小僧」のイラストなど、日野日出志や唐沢なをきまであったぞ。京極さんが相当なマンガフリークであることがよく分る。これが読めるだけでもこの文庫、買って損はしない。 口裂け女やトイレの花子さんを例に出すまでもなく、「妖怪」はフォークロアとして現代でも生き残っている。たとえどんなに科学が発達しようと「妖怪」はその概念を変容させつつ、「得体の知れないもの」を我々が認識するひとつの方法として語り継がれていくのだろう。 ただ、20世紀が映像の世紀であったことは妖怪たちにとってはやはり不運だったのではないか。京極さんが「妖怪が妖怪たるためにはキャラクター化されることが必要」というのには賛成だが、現代はあまりに絵師が多過ぎ、「決定版」たるキャラクターがかえって存在しにくくなっている。水木しげる御大の絵にして、「口裂け女」などはとても魅力的とは言えないキャラクターであった。 『鬼太郎』は偉大なマンガであるが、水木さんは徹底的に孤高の作家であって、後続する作家がいない。諸星大二郎がそうなるかと思ったけれど、「稗田礼二郎」シリーズは妖怪ものと言うには違和感があるし……。『ぬ〜べ〜』なんか特にひどかったしなあ。そろそろ新しい妖怪伝説を生み出すような作家が生まれないものかな。
マンガ、細野不二彦『S.O.S』2巻、第一部完とあるが、こう銘打たれて第二部が再開した例は滅多にない。打ちきりにあったのかなあ。女刑事を陰ながら救うタキシード仮面さまは実はただのストーカーだったってネタ、結構笑えて好きだったんだが。これはあれだな、主人公がいざってときに駆けつけるパターン(『仮面ライダー』の1号2号とか、『変身忍者嵐』の嵐と月ノ輪とか……我ながら例が古いな)を見てて、「どうしてこいつは主人公の危機がわかるんだ?」って疑念から生まれた設定なんだろうな。
マンガ、浦沢直樹『MONSTER』16巻、こないだ手塚治虫文化賞取ったと思ったら、今度は小学館漫画賞。でも現在もっとも面白いマンガのひとつだから、それも当然か。 今回ヨハンは、ただある人物の名前を砂場に書いただけで、それを見た人物にその名の人物を殺させる、という、「暗示の殺人」を数件行っている。 これにはミステリにいくつも先行例があって、例えばアガサ・クリスティーの『カーテン』の中に、暗示だけで人を死に至らしめ、本人は一切罪に問われない、という犯罪者が登場したことがあった。 「暗示」の効果が絶対的だと証明されない限り、仕掛け人が誰か特定出来たとしても、その人物はいわゆる「不能犯」になるのだろう。ミステリでは実に人気があるネタで、江戸川乱歩も『赤い部屋』などの短編でそう言った犯罪の例をいくつか紹介している。 しかし、浦沢さんの非凡なところは先行作の稚拙なパクリにはなっていないところだ。浦沢さんには、それが単なる個人の犯罪レベルで留まるものではなく、社会そのものが一種の洗脳装置として機能しているからだという視点が間違いなくある(岡田斗司夫さんの『ぼくたちの洗脳社会』でも読んだかな?)。我々は常に誰かを洗脳し、あるいは洗脳させられているのだ。 『MASTERキートン』などの先行作品で世界情勢に触れて行くうちに、浦沢さんはそう言った「洗脳」のシステムに興味を持って行ったのではないか。『MONSTER』の設定がハードなのは、いかに天馬がヨハンを殺人者として追いかけようと、ヨハンはあくまで世間的には「善意の人」に過ぎず、社会的に罪があるのはどうしても天馬本人になってしまうという点にある。 「ヨハンの存在自体、天馬の妄想なのではないか」と考えるルンゲ警部の疑念も、今巻でどうやらヨハンの背後にも何らかの「洗脳システム」が存在していることを匂わせていて、にわかに説得力を持ってきた。いや、ヨハンが「実在しない」ということではなく、天馬たちが追っているヨハンが必ずしも殺人者としてのヨハンの実態とは限らない、というニュアンスが漂ってきていることを言いたいのである。評価は完結を待たねばならないが、次巻への期待はたかまるばかりだ。
CSチャンネルNECO『ふろたき大将』を見る。 石橋蓮司の子役デビュー作だということは知っていたが、開巻早々、伊福部マーチが流れてきたのにはぶっ飛んだ。 伊福部昭さんは同じメロディーラインの曲を複数の映画に付けることがよくあって、怪獣映画に慣れてる身にしてみれば、文芸大作、例えば『サンダカン八番娼館・望郷』のオープニングで「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」(ちょっと微妙にテンポが違ってるのがご愛嬌)なんて流れ出すと調子が狂っちゃうのだが、この映画もオープニングは『わんぱく王子の大蛇退治』のスサノオ船出のシーンのマーチである。勇壮だなあ。 話は広島の原爆で戦災孤児となった石橋蓮司が、小学校の園長先生(『大魔神』『妖怪大戦争』の神田隆が「いい人」を演じている!)に拾われて、学校のふろたき係をしているうちに、実は生きていたお母さんと再会するというお涙頂戴もの。……なのにBGMが伊福部マーチなのよ(^_^;)。 蓮司が空腹から盗みを働いてるときに「どどん、どどん」と低音のコントラバスが鳴り響きゃあ、こいつ絶対将来ど悪党になるに違いないとしか思えないし、ブタの群れを蓮司が追いかける時に『怪獣総進撃』がかかれば、ブタがなんだか逃げ惑う群衆に見えてしまう。 これはどう楽しんだらよいのかねえ。やっぱりある意味トンデモかも。 伊福部さんも昔は仕事選んでなかったんだなあ、ということがわかって面白かった。
女房がこの日記に文句をつけてきたので一部訂正。 女房が一週間、服を着続けだというのは、「時間に換算していない」ので不当だというのだ。つまりちょっと手を通しただけの下着とかはもう一度着てもいいのだそうだ。……そうかなあ?
| 2001年02月27日(火) |
毛の話/『オトナでよかった!』(唐沢よしこ・唐沢なをき) |
女房が部屋を片付けてくれたのはいいのだが、未読の(それも買ったばかりの)本まで山積にしてくれたものだから、何がどこへいったやら分らない。私は本のカバーを付けたまま整理するので、背表紙にタイトルと作者を書いておくのだが、まだまっ更の状態で積み上げられてしまったのである。 おかげで昨日読んだ手塚治虫の『ブラック・ジャック』ガイドブックもどこに埋もれたか見当もつかず、正確なタイトルが分らないので感想を書くことが出来ない。 『ブラック・ジャック』に登場した手塚キャラをほぼ全て網羅したとおぼしきこのガイド、それなりに労作なのだが、惜しむらくは映画やアニメのブラックジャックには触れていない。触れたくなかったのかも。 何しろ実写版は私たちの世代だと宍戸錠と加山雄三でトドメ刺されてるしな。まさか隆大介やモックン版まで作られるたあ予想もしなかった。こないだの本木雅弘版ではヒゲオヤジをいかりや長介がやってたみたいなんで録画しようと思ってたんだが見逃しちまった。 アニメは伊武雅刀、野沢那智、大塚明夫の三人だけかな? 個人的には野沢さんが一番。あとの二人は声が低すぎる。 アセチレン・ランプやハム・エッグなんかを取り上げて悪役の魅力みたいなものも書きたかったんだが、やはりそういうのは資料をきちんと見ないと書けないのだな。
唐沢よしこ・唐沢なをき『オトナでよかった!』読む。 このお二人には、世代もほぼ同じオタク夫婦として一方ならぬ親近感を抱いているのであるが(同じように太っているからではないぞ)、やはり微妙な感性の違いはある。 私もバカ特撮、バカマンガ、バカSFは好きである。というより、どんなにハードでシリアスなものにだってどこか「バカ」なところはあるわけで、バカを認めずしてフィクションはおろか人間についてすら語れぬというのが持論なのである。 でも、「狙ったバカは向こうから外れる」(今作ったことわざ)。 『ウルトラマンタロウ』はやっぱり唐沢夫妻ほどのファンに私はなれなかったなあ。未だに主題歌フルコーラス歌えはするが、そんなのは基礎教養なのでとてもファンとは言えない。「モットクレロン」や「モチロン」って、ギャグが一人よがりに過ぎると思うんだがな。いや、『帰りマン』の時の「ヤメタランス」でウルトラシリーズはもう終わりだと思ってはいたが。 『ズバット』も『キカイダー01』も『渡り鳥シリーズ』を見たあとだと、長坂秀佳、こんな見え透いたパクリしやがって、という印象の方が強くなる。一回二回ならともかく、長坂ドラマって全て『渡り鳥』のパクリなんだものなあ。江戸川乱歩賞だって、審査員が『渡り鳥』を見ていたら絶対受賞させなかったはずだし。同じバカやるなら浦沢義雄さんみたいにオリジナルで勝負してほしいもんだ。 それはさておき。 我々の世代の子供のころのネタ話というのは、他の世代にはちょっと理解不能なところがある、とずっと思っていたのだ。 例えば『ウルトラシリーズ』の最高傑作は何と言おうと『ウルトラQ』であるのだが、高畑勲なんかはジブリにいる私の先輩が『ウルトラQ』の話なんかすると、「なんでそんなもんにハマるのか分らない」とやや軽蔑したようなもの言いで批判しちゃうらしいのである(あれはSFオンチだからね、オタクたるもの「たかはたふぁん」だなんて言っちゃいかんのですよ)。 しかしウチの女房など、唐沢さんとトシがひと回りも違うのに、分らないネタがあっても全然平気である。要はどんなに極私的なネタであっても、その語り口によってはちゃんと各世代に訴えるものになるということなのだ。一人よがりとオリジナルの差はそこにある。 あと「明智小五郎は病的なやつがやったほうがいい」、というのは絶対賛成である。
さて、唐沢ご夫妻もカミングアウトしていたから、書いちゃおうと決めたのだが、実は我が家でも女房のムダ毛のお手入れを亭主の私が手伝っているのである。……別にやらしいこっちゃないよねえ?(ビクビク) 昔、床屋だった母から聞いた話なんだが、毛根から毛を抜くというのは皮膚にとってはよいことではないらしい。 一旦毛穴が閉じるので、次に毛が生えてくるとき皮膚の表面をどうしても毛が突き破ってしまうのである。ワキなどは確実に肌荒れをする。だから、あとで軟膏を塗ることを忘れてはならない。 しかし女性というものはどうしても「毛を剃ったあとの黒い毛の断面」が許せぬものらしい。というわけで私は数日置きにちまちまちまちま女房の毛をプチプチ抜いているのだ。その間、ただ抜いてるだけでは退屈なので、まあ何ということもない(つまりはしょーもない)無駄話をしたりするのだが、これがわれわれ夫婦の一番のコミュニケーションになっている。 一番ってとこが情けないかな。 それにしても毛を抜きながらのコミュニケーションって、ロマンのカケラもないよな。必然的にこういうときの会話は、ひたすらはてしなくバカばなしになってしまうのだ。 まだやったことのないご夫婦は一度ぜひお試しを。その体験談をメールででもお寄せいただきたければ嬉しい限りである。……誰もくれんか(^_^;)。
携帯電話にまたまた間違いメール。 しかも今度はメッセージがひとこと「かあ」だけ。 『鴉』のファンか……?
トイレの電球が切れていたので新しいのと取りかえる。カバーをするのを忘れていたら、女房がトイレに入った途端、「ま、まぶしい! こんなに明るいのトイレじゃない!」と言い出す。 トイレじゃなければなんなんだ。
トリ肉と鍋野菜セット、それに先月塩浦さんからもらったアスパラガスを鍋にぶちこんで得体の知れない水炊きを作る。 このアスパラガス、缶詰でざっと二十個は頂いたのだが、いったいどこからどうやって調達したものなのだろうか。ダーリンの秘密ルートが気になるところだ。食い尽くすのは1年先かもな(^_^;)。 女房はやっぱり好き嫌いをして食べない。鶏肉がダメなら明日は牛肉を入れてやろうかな。
CSチャンネルNECO『あんみつ姫・甘辛城の巻』、先日見た『妖術競べ』は、パート2だったのだな。 あっ、前回は気がつかなかったが、私のフェバリット・ビザール、天津敏が出演しているではないか。し、し、しかもテロップには「(新人)」とある。もしかしたらこれがデビュー作? ネットで検索しても天津敏の出演作としては全く取り上げられていないのになあ。 天津さんの役は新参侍の塩野餡内。鍾馗様のようなヒゲを生やし、実直な大兵漢を演じているが、それにしても若い。痩せていて好青年と言ってもいいくらいだが、ドスの効いたあの声は天津さんに間違いない。善人役はちょっと似合わないか(^_^;)。出番は結構多く、主演の雪村いづみのあんみつ姫と相撲を取り、ちょこまか走りまわる姫に振りまわされて足を取られて負けてしまう、という見せ場もある。新人だからちゃんと売り出してやろう、ということだったのかもしれないが、この作品の後はほんの端役ばかりが続いたのではないか。 天津さんのブレイクはテレビ『隠密剣士』、天津の前に天津なく、天津の後に天津なしの当たり役、「風魔小太郎」を待たねばならぬのである。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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