無責任賛歌
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2004年05月20日(木) |
職場に14時間もいたくないわい(ーー;)。 |
しげは今日と明日、知り合いのお芝居のお手伝い。わけあって、宣伝ができないことはこないだも書いたが(だから劇団のホームページのほうでも、芝居のタイトルとか詳しいことは絶対書いちゃダメだよ、みんな)、バイトも合間にあるわけで、寝る間も殆どない状態である。だもんで、とても職場への送り迎えを頼める状態ではない。 仕方なく今朝はバスで職場へ。始発に乗っても8時にしか到着しないのだが、今日は出勤は遅出で構わないので(普段は7時半出勤である)、ゆっくりと職場へ。
今日もまたいろいろ事件はあったのだが、何しろ残業が9時すぎまで、帰宅は10時近くになっちまったので、詳しく書いてたら、時間がかかって寝る時間がなくなってしまう(^_^;)。簡単にヒトコトでまとめちゃうと、「今日のトンガリさんは、誰がどんなに声をかけても、一切口を開かず、返事をしませんでした」。 ……いいよなあ、こんなんでも給料もらえるんだから。
帰りはバスが殆どなかったので、同僚に車で家の近所にまで送ってもらう。帰宅して10時過ぎ、しげから電話がある。「すぐ帰るから、一緒に買い物にいこうよ」ということだったのでずっと待っていたのだが、午前1時を回っても全然帰ってこない。痺れを切らせて連絡を入れたら、バイト先に寄って、そこで仕事を手伝っていたと言う。……予定が変わったんなら、なんで連絡を入れないか。事故にでも会ったかと私が心配するような事態をコイツは全く想定していないのだ。 腹を立てて、DVD『飢餓海峡』(内田吐夢監督版)見ながら寝る。
ここのところまた好きな人たちが立て続けに亡くなっているけれども、先月の鷺沢萠さんのときほどのショックではないのは、高見沢潤子さんにしろ三橋達也さんにしろ金田一春彦さんにしろ、充分御高齢で、大往生だよなあ、と諦めがつくからでもある。もちろんもっともっと、百歳過ぎるまで長生きして活躍してほしかったという欲はあるのだけれども(きんさんぎんさんかい)。 俳優のトニー・ランドール氏が、17日、長期入院していたニューヨーク市内の大学病院で死去。享年84。昨年、心臓のバイパス手術を受けた後に肺炎を患って入院治療を続けていたが、3日前に容体が急変し、就寝中に死去したと言う。 ニール・サイモン原作のテレビ、『おかしなカップル』は比較的新しいドラマなので(と言っても1970~75年だが)、覚えている人も多いだろう。お互い女房に愛想をつかされた男どうしが同居して巻き起こすドタバタ騒動。もとになった映画『おかしな二人』ではジャック・レモン(フェリックス)とウォルター・マッソー(オスカー)が演じたこのコンビを、テレビシリーズ版では、トニー・ランドールとジャック・クラッグマン(『十二人の怒れる男』!)が演じていた。 トニー・ランドールの声を吹替えていたのは、小松政夫さん(後に近石真介さんに代わる)。小松さんはこの番組が再放送されたとき、解説にゲスト出演して、「(フェリックスは)おかまじゃないんだけれどもおかまっぽいところがおもしろかったんだよねえ」と仰っていた。でも時代が時代だけにまだハッキリとは出せなかったけれども、ニール・サイモンがゲイのカップルを念頭において脚本を書いていたのはまず間違いない。それぞれに別居している女房がいる、というのは、もちろんカモフラージュだ。 フェリックスは、口から先に生まれたようなお喋りで、つまらない世間話が大好き、やたら細かいところに気がつく神経質なところはあるけれども、根は優しい世話女房タイプ。短気でガンコなオスカーが癇癪を起こすたびにヒステリーで応酬するが、なんだかんだあって結局は仲直り、というのが基本コンセプトだった。男と女ならばごく普通のホームコメディになるところを男二人でやったところがミソだったわけである。映画版も名作だったが、個人的にはランドール&クラッグマンのコンビのほうが好みだった。映画は一発勝負だから背景設定の説明に手間取るところがあるが、シリーズの強みは二回目以降の説明が一切必要なく、すぐにドラマに入っていける点にある。そのおかげで、二人の丁々発止は、実にテンポよく展開されていた。それにこういう「女房」役には、ランドールのような細身の方が似合うのである。 トニー・ランドールはメイキャップの名人でもあって、それがいかんなく発揮されたのが『ラオ博士の七つの顔』だったが、もう一つ、日本未公開でまだ見たことがないランドールの主演作が、アガサ・クリスティーの『ABC殺人事件』である。なんと細身のランドールが口ひげを生やし、名探偵エルキュール・ポアロを演じているのである。原作のイメージとはほど遠く、もしかしたらミス・キャストなのかもしれないが、実際に見られるものなら見てみたいものなのである。どこかで輸入してもらえないものかなあ。
2003年05月20日(火) すっ飛ばし日記/親を崇める子供たち 2002年05月20日(月) もっとギャグを!/『蛇神さまといっしょ』2巻(桑田乃梨子)ほか 2001年05月20日(日) 念の入った話/DVD『NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生Ⅰ』ほか
2004年05月19日(水) |
鬱陶しい雨の日の、鬱陶しい話。 |
今日も終日雨。散歩というか、運動療法ができないので困る。いや、ホント、運動しないとテキメンに体重が増えちゃうのよ。
昨日、私にヘコまされてシュンとしていたトンガリさんだが、あれくらいでメゲるような御仁では元よりない。その程度ですむなら、私ももっと気がラクになってるんである(-_-;)。 上司がどうしてもトンガリさんに直接確認しなければならない要件が、2、3件あったので、まあ、呼ばれるだろうとは思っていたけれども、「付き添い」で(^_^;)、一緒に会いに行く。 予想はしていたが、上司に対してはトンガリさん、毛の先ほどの遠慮もせず、ケンもホロロである。愛想がないどころの話ではない。最初から「何しに来やがったコイツは」という目つきで上司を見るだけならともかく、上司が口を開いて二言三言、言ったかと思うと、「そんなことは私のする仕事じゃありません」と、何のかんのとヘリクツをこねて仕事を回避しようとするのだ。 まあ、そうなるだろうということはこちらも予測していたから、簡単には逃げられないように、理論武装はしてきている。けれど、ただ単に理屈でヘコましても、昨日のようにヒステリーを起こされるだけである。「これはつまりこういうことなんですよねえ?」とあくまでトンガリさんに質問を繰り返し、トンガリさん自身が自分で自分のクビを締めて行くように誘導して行く。結局トンガリさん、自縄自縛に陥って、渋々、「会議を通していたただけるのなら」と言って納得する。でもその会議にアンタが出ようとせんのだろうが、と喉の先まで怒声が出かかったが、そこでまたこじれると話が進展しないので、ニコニコ作り笑いで「よろしくお願いします」と頭を下げて辞去する。 あとで何人かの同僚から「ご苦労様です」と労われたが、こういうやりがいのない苦労は、ホントはご免被りたいのだ。
ここんとこ、特にトンガリさんの切れっぷりが激しいので、ついに支社長に内情を直訴する。というよりは、支社長だって状況は知ってるはずなのに、どうしてこうも仕事サボリまくりのトンガリさんを放置しておくのか、不思議で仕方がなかったので、ちょいとカマをかけてみたのだ。 支社長、「いや、その件はいろんな人から聞いてるんだけどね」と、やっぱり実情は知ってることをポロリと漏らす。けれど、「それについては本人とよく相談しておくから」と、どうも歯切れの悪い返事。なんだかねえ、邪推したくはないんだけど、支社長、トンガリさんにウラで弱み握られてるんじゃないかという気がしてならない。
昨年上演された“ミュージカル”『そして誰もいなくなった』が、再演の運びとか。しかも今度は福岡公演もある! まだ来年2月の話なので、全く鬼が笑っちゃうのだが、ことによると東京まで行かなきゃならないかと覚悟しかけていたので、こちらで見られるというのは嬉しい。来年まではなんとしても生きていなきゃなあ。 キャストは殆ど前回公演と変わらないが、うえだ“服部半平”峻さんが新キャストでミスター・ロジャース役で出演されるようだ。これも楽しみである。 公式サイトは以下の通り。
http://www.soshite.jp/
国語学者の金田一春彦先生が、本日、クモ膜下出血のため死去。享年91。 ブンガクブ出身で、多分一般の人たちに比べればそのご著書に触れる機会も多かったと思われる身にしてみれば、金田一先生はどうしても「先生」という敬称をつけて呼ぶことしかできない。 保守的なのが普通の言語学者の中にあって、「言葉は時代とともに変遷する」ことをより肯定的に捉え、「ら抜き言葉」も「可能の助動詞」として許容していた。実は夏目漱石にも「ら抜き言葉」があることを指摘されていたのも金田一先生の著書で知った。私は必ずしもその主張に諸手を挙げて賛同を示したいとは思わなかったが(「ら抜き言葉」は便利ではあっても必要なわけではないと思うからである)、金田一先生の柔軟な思考には尊敬の念を抱いていた。 金田一先生に関して、私が好きなエピソードが二つある。 一つは「石川啄木」に関するエピソードで、ご承知の通り春彦先生の御父君、金田一京助氏は啄木の親友だった。しかし放埓な啄木は遊蕩に金を使い果たしては京助氏のところに借金を申しこみにやって来る。これを京助氏は同郷のよしみで絶対に拒まない。けれどあまりに遠慮のない啄木の借金ぶりに、幼少のころの春彦先生は、てっきり自分の父親の方が「取り立てられている」と勘違いしていたそうだ。こんな御父君の優しい人柄が、そのまま春彦先生の人柄にも伝わっているように思う。 もう一つ、春彦先生の優しさを表すエピソードが、あの「金田一耕助」の生みの親である横溝正史にまつわる話である。やはり御父君からその探偵の名前を勝手に拝借していたことをずっと気に病んでいた正史氏は、京助氏の生前、機会はあったにもかかわらず、一度も京助氏と会おうとしなかった。そのことを聞いた春彦先生は、人伝に正史氏に「いえ、あなたのご著書のおかげで、私の名前がちゃんと“キンダイチ”と呼んでいただけるようになりましたから」と感謝したというのである。 実はこのエピソードは御父君の京助氏のものだ、という説もあるのだが(何しろ、正史自身がエッセイで「京助」説と「春彦」説の両方を披露しているのである)、どちらでもかまわないように思う。金田一耕助の飄々とした人物造形には、親子揃って、金田一先生の人柄もいささかは影響しているように思うから。 数年前、機会があって、金田一先生にもお会いできるはずだったが、既に体調を崩されて叶わなかった。返す返すも残念でならない。
2003年05月19日(月) すっ飛ばし日記/あるものが見えない女 2002年05月19日(日) 今日は一日寝て本・ビデオ……っていつもや/『Sink』1巻(いがらしみきお)ほか 2001年05月19日(土) 地上の星々/『狼には気をつけて』2巻(遠藤淑子)
2004年05月18日(火) |
トンガリさん、更にトンガる! ……とほほ(T.T)。 |
しげ、夕べは(というより今朝は)、帰宅がえらく遅かったらしい。 朝、いつものように車で職場まで送ってもらおうと思っていたのだが、「薬が効いててヤバイ」と言うので、タクシーで行くことにする。 ところが、拾ったタクシーの運ちゃんが、エライけばいおばちゃんであった。髪はトグロウンコのように盛り上がって簪が2、3本、グサグサ刺さっている。耳からはキンキラキンのリングが二重になってぶら下がって、車がカーブするたびにチャリンチャリン音を立てている。それはともかく、たまらなかったのは、車の中に充満していた安香水のツンと来る匂いだった。今時のタクシーの運ちゃんは、客のことを気遣って、男だって煙草を吸わなくなっているというのに、密閉空間でこんなにキッツイ香水をつけるとはいったいどういう了見なのか。会社はこんなの何の問題もないと考えているのか。それともこのおばちゃん、異様にワキガが臭いので、それをゴマカすために香水つけてるのか。 でも、運転そのものは普通だった。
昨日、トンガリさんをかなりトンガラせちゃったので、今日はどうなることかと思っていたが、いろいろと「暗躍」されていたようである。 同僚の一人が私を急に呼びとめて、「トンガリさんのことですけれども」(←もちろん、実際にこんな呼び方はしていないのだが、便宜上、「トンガリさん」のままで通す)と声をかけてきた。 「トンガリさんがどうしましたか?」 「先ほど、私に声をかけてきまして、××の件について、『自分が正しい』ことを証明してくれ、と仰るんですよ」 「それで、どう御返事されたんですか?」 「証明するも何も、××の件については、私は全く知らないことですから」 そうなのである。昨日もトンガリさんは、この同僚のことを挙げて、「自分が正しい」ことを主張していたのだが、この方は××の件には一切関わっていないので、何を証明することもできないことは最初からわかっていたのだ。 しかも昨日、トンガリさんはこの同僚の名前が思いだせなくて、「ほら、○○部のあの人」なんて言い方をしていたのである。同僚の名前も思い出せなくなっているくらい脳がイカレてきているのに、どうして自分が絶対正しいと断言できるのだろう。いや、イカレてるから思いこめるのか。 ともかく、何の関係のない人まで巻き添えにするようでは、さすがにこのまま放置しておくというわけにはいかない。本人が「間違っている」ことを何としても認識してもらわなければならない。意を決して、資料をかき集めて、トンガリさんに談判に行く。まあそれから書き記したくもない丁々発止のやりとりがありはしたのだが、そこんとこはもう書くのもツライから省く。 私の説得に不満そうな表情のトンガリさんではあったが、今日、散々「味方」を探してあちこち走り回って、誰も自分の相手をしてくれないことを実感したのだろう。「私が正しいはずなのに」と愚痴を呟きながらも、最後には資料の訂正を渋々認めた。 けれど、これでトンガリさんが懲りたとは思えない。これまでにも自分のミスを他人のせいだと濡れ衣を着せてきたことは多々あるのだ。どうせ今回の件もじきに自分の中で脳内変換して、都合よく事実を捻じ曲げて記憶するのに決まっている。似たような諍いはこれまでもあったし、多分これからも続くのであろう。 ……家族がいないらしいからなあ。病院に連れてってくれる人も身近にいないわけだ。できれば自分から自分の異常に気がついて、病院に行ってくれると助かるんだけれども。
帰りはしげが迎えに来てくれる。まあ、朝送れなかったお詫びみたいなもんだけれども。 しげは職場のメニューを元になにやらパソコンで作らなければならないものがあるといことで、仕事を持ち返っている。その間、私はパソコンが使えないので、DVD‐Rの整理など。晩飯はもう書いても仕方がないが、やっぱりうどんである。一応ちょっとだけ違うことを書けば、上に乗せたのは、コロッケではなくてメンチカツだった。たいした差はないか。 テレビで漫然と『ぴったんこカンカン』を見ていたが、ゲストは泉ピン子。この人も妙に持ち上げられるようになる前は好きだったんだがなあ。橋田ドラマに出るようになってから、転落していったと思う。 若いころの方がやっぱりずっと芝居も上手かったし、美人だったよなあ、と思うのである。「美人」ってのは人柄なんだからね。
カンヌ国際映画祭で初上映されたマイケル・ムーア監督の新作映画『華氏911』に、あの三馬鹿のイラク人質事件の映像が使われていたとか。例の、脅迫に使われたナイフを突きつけられ脅されているテープである。 ところが、どういう文脈で使われていたのか、その肝心なことをニュースは説明してくれていない。だからこの事実を知らされても「ふーん」としか言いようがない。「何のためのニュースなのか」よく分からないのである。 単純に「三馬鹿の映像が使われたことが珍しい」というだけの意味なのか、そうでなければもうちょっと具体的に説明があつて然るべきである。この、「ともかく三馬鹿」な報道の仕方はいい加減でやめないかな。批判するなら批判するで、報道する方にもちゃんとした「文脈」が必要だと思うんだけれどもねえ。
気がつくのが遅れたのだが、評論家小林秀雄の妹さんで、『のらくろ』のマンガ家田河水泡の奥さん、高見沢潤子さんが、12日、老衰のため、横浜の老人ホームで亡くなられていた。享年99。小林秀雄も田河水泡も、わりと長生きな方だったが、99歳で老衰というのは充分人生をまっとうなされたのだろう。お兄さんやご主人について書かれた随筆くらいしか読んだことはないが、このお三方の悠揚たる人柄が伝わってくる、優しい味わいのものであった。戦時中、『のらくろ』が時勢に合わぬとの理由で(戦争マンガなのに)連載が打ち切られた時の田河さんの落胆ぶりを書く時も、同情を誘うような筆致ではなく淡々と書いていらっしゃった。こういう文が書ける人が随分少なくなったものだと思う。
2003年05月18日(日) すっ飛ばし日記/やっぱリ肉食う女 2002年05月18日(土) 世界の中心で馬鹿と叫んだ女/『彼氏彼女の事情』13巻(津田雅美)ほか 2001年05月18日(金) 増えるワカメのごとく……/『鬼切丸』20巻(楠桂)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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