無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
| 2001年11月07日(水) |
暗号解読/アニメ『ヒカルの碁』第五局/「西原理恵子のご託宣ポストカード」ほか |
オタアミ当日まであと17日! 17日しかないのだ!
今日はどうやら仕事上、ちょっとポカをやらかしたらしい。 らしいってのは、そのミスに気付かないまま帰っちゃったので、手違いに気付いたのが翌日になったから。ミスの中身はどんなのかってーと、ある仕事の担当になってたんだけど、見事にそれをすっ飛ばしてしまったのだ。 原因はまあ、予定表にあったスケジュールを私が見落としたってことなんで、悪いのは私なんだが、始末に悪いのは、何度も表を見て確認しておきながら、それでいてミスったってことなんだなあ。 ただねえ、ちょっとだけ私も言い訳というか、文句言いたいのはねえ、そのミスした原因ってのが、「私の名前が書き間違えられてる」ってことにあったわけよ。 私はこの日記やネット上では有久とか藤原とか名乗っちゃいるが、これはどちらも本名じゃない。私の本名は、日本でも珍名に属する名字なんで、ウチに来る配達物の半分くらいは文字を間違えて送られてくる。 もう何十年も間違えられ続けているので、もう慣れっこになって腹を立てたりすることはなくなったけど、ただでさえもともと視力が弱い上に誤字までされちゃうと、「これは自分のことだ」って認識できないこと多いのだ。 それがあるから、私も注意に注意を重ねてるつもりなんだけれど、やっぱりミスが起きるときは起きちゃうんだよねえ。まあ、すごいミスってわけでもなかったから、一応、フォローはできたけどさ。
それにしても、怒りはしないが、未だに名前書き間違えられると、淋しい気分にはなる。二十年来の親友に名前書き間違えられた時には、さすがにちょっと二、三日は落ちこんだし。 一時期、本気で拗ねてた時期には名前書き間違えた相手にはこちらも相手の名前をワザと誤字って返事出したりもしてたんだが、もっと淋しくなってやめた。 ……え〜、知り合いのみなさん、私から手紙貰って、「名前が違うじゃん!」と怒った経験がおありの方、実はそういう事情があったんです。子供っぽい真似をして申し訳ありませんでした。すみません。 今はもう、間違えられやすい名字の家に生まれた不運だと言うしかないなあ、と達観してますです。
でも、世の中不思議だなあ、と思うのは「名前が違いますよ」と言っても「すみません」と謝りもせず、やはり、間違いのまま押し通す人がたまにいることだ。 (例) 「いやあ、吉田さん」 「……私、山田ですけど」 「ああ、そうでしたね、吉田さん」 「いや、だから山田ですってば」 「それはどうも吉田さん」 「……」 冗談みたいだが、相手が珍名であるかないかに関わらず、こういう人は実在するのだ。多分、脳の回路が、一度インプットした情報の修正をとことん嫌っているからなのであろう。 で、日本人の数%は確実にこの類の人間だ。筆頭は誰もがこの人を想起するであろう某「ミスター」(^_^;)。
6日、イギリスの劇作家、アンソニー・シェーファーが心臓発作のため死去。75歳だった。 ミステリ作家の実力を評価する基準として、小説にしろ戯曲にしろ、その表現形式をいかに熟知して利用しているかってことを見る必要があると思う。 そう考えると、この人の『スルース(探偵)』は、「舞台だからこそ」成り立つ作品だったと断言できる。本作はローレンス・オリヴィエ、マイケル・ケイン主演で映画化されたが、実はその「舞台だからこそ生きる」トリックが、映画では完全に死んでしまっているのだ。 この舞台ならではのトリックがどれだけ凄かったかというのは、一昨年、劇団四季が福岡で日下武史、下村尊則主演で公演されたものを見た観客の中に、芝居が終わって全てのトリックが明かされてなお、その真相に気付いていない者が多数いたという事実でも証明できよう。ロビーに出てきた観客がペチャクチャ喋ってるのを聞いてると、ホントに殆どの人間がよくわかってなかったりするのだ。なにしろ、私と一緒に見に行ってたUさんも、私が解説するまで、自分が騙されてたことに気付いてなかったものなあ。 更に言えば、この『スルース』を上演するなら、できれば四季とかそんなでっかい劇団じゃなくて、ホントに小さな、メンバーの確保すらままならないようなごく小人数の劇団でやった方が観客が引っかかる確率が弥増すのである。映画版のオリヴィエとケインじゃ、もうかえってバレバレ。でも、私も最初に舞台で見ていたら、見事に騙されてたかも知れない。 トリックを明かさないでこんなこと書くとどんなんだか気になる人もいようが、ミステリの作法として、真相は明かせないので、未見の方はどうかご容赦。でもこのトリックは形を変えて、押井守が殆どの自作で使ってます。……あのヒト、ホントに演劇マニアだからねえ。 あ、ネットで検索して、スジを書いてる人いないか探してみてもムダですよ。確かに本人が真相だと思ってること書いてるヒトも何人かいたけど、やっぱり肝心要のトリックについてはみんな騙されっぱなしだったから(^_^;)。
なんやかやと、この『スルース』一作で語られることの多いシェーファー氏だけれど、映画の脚本も多数手がけている。 新聞記事にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『フレンジー』しか紹介されてなかったが、あのアガサ・クリスティー原作、ピーター・ユスティノフ主演によるエルキュール・ポアロシリーズ『ナイル殺人事件』『地中海殺人事件』『死海殺人事件』三部作の脚本を担当していたのが彼。前作のアルバート・フィニー主演、ポール・デーン脚本、シドニー・ルメット監督の『オリエント急行殺人事件』が本格ミステリ屈指の傑作だったために、どうもこの後期のシリーズは過小評価されがちなんだが、それは主演が原作のポアロのイメージから程遠いのと、監督が二流に落ちたせいで、脚本そのものはキッチリ本格ミステリしてくれていて悪い出来ではない。 ただ、あまりにもキッチリとセオリーを踏んで観客に対してフェアに臨んでいるせいで、『スルース』のような表現媒体そのものをトリックに利用するような大ワザは使えず、ちょっとミステリに馴れたヒトなら、犯人もトリックもすぐにわかってしまうというちょっとした欠点はあった。このへんのDVDも既に既発なんでほしいんだけど、ビデオはもう持ってんだよなあ。 あと、『アマデウス』の劇作家ピーター・シェーファーとは双子の兄弟。『アマデウス』も一種のミステリとして見れるし、二人揃って相当なマニアだったのだ。年を召していたとはいえ、残念なことである。
今日もなんとか早目に帰れる。 帰宅してテレビをつけたら『スクライド』のラストのあたり。 しげはどういうわけかすっかり疲れていて、一緒にアニメ見ようかと誘ってもノってこない。 こないだからしげは「今一週間で楽しみにしてるアニメは『ナジカ』と『テニプリ』」と言ってたから、てっきり一緒に見るもんだと思っていたのに、アテが外れた。 初めから一人で見ると思ってみるのと、二人で見るはずが一人になって見るのとではこちらの気分のノリも自然と違ってくる。なんだかいつも以上にちょっとしたセリフの陳腐さが気になって、なかなか楽しめないのであった。
アニメ『シャーマンキング』第十九廻「2人のビッグソウル」 負けたらシャーマンキングへの道が閉ざされてしまうっていうのに、葉はいつも通りのんびりした態度。まん太があせってせっついてもどこ吹く風ってのはもとからの葉のキャラクターなんだろうけど、相手になる道蓮の方が「俺は絶対シャーマンキングになる!」なんて必要以上に力んでるんじゃ、初めから勝負はわかりきってるじゃないの。盛りあがらないよなあ。 飄々としてるけど強いってキャラクターを主人公にするんだったら、基本的に対決ものは御法度なんである。弱そうに見えて強いってのがその魅力なんだから、階梯を一歩一歩上がって行くような「努力もの」とは水と油じゃないか。こうえいうところ、何でも対決ものにすりゃウケるという「ジャンプ」の手抜き編集ぶりが露骨だ。月影兵庫みたいに放浪ものにした方がずっとキャラが生きるのに、どうしてこう同じような展開ばかりさせるかなあ。 ああ、あと細かいとこだけど、「摩多霊園」ってネーミングセンスはなんとかならんのかな、ギャグマンガじゃないんだから。
『テニスの王子様』を見ている間に、ウトウトして私も眠る。 仕事があるしげは「8時半に起こしてね」と言ってたが、つい寝過ごすところだった。しげ、ぎりぎりの時間に慌てて出かける。 『ヒカルの碁』第五局「覚醒の予感」。 うっかり寝ちゃったけれど、これはビデオに録画しておいたので、改めて見返す。女の子人気のたかい加賀だけど、私は女じゃないので関心はなし。連載当時からこのキャラ、あまりいらないなあと思ってたんだけど、物語が複雑になってる今の原作と比較すると、キャラの底の薄さが目立つ。 塔矢アキラに同情を受けたからって、将棋に走ったり「塔矢に勝った」とか感情的になって嘯いてちゃ、ヒカルのライバルとしても仲間としても座りが悪くなるのは仕方がない。キャラを立てるためとは言え、あの扇子もリアリティを完全に無くす原因になってる。スタッフもそのへんを感じているのか、キャラクターデザインが濃いわりには、加賀は原作ほどには動かない。原作つきアニメの難しいところは、人気キャラほど動かしにくくなるということだろう。
FBS『ザ!世界仰天ニュース』。 詐欺師の手口を紹介している番組だが、たいていはまあ何十年も前から使い古された、なのに今でも引っかかるヒトが多い、老人相手の詐欺ものばかり。 けど、1999年限定で香港であったという「千年蟲」事件は言わば「流行新語」を利用した詐欺で、なかなか面白かった。 言うまでもなく「千年蟲」とは「YK2」、例の2000年にコンピューターが誤作動するかも、というアレのことだったんだけど、中国人の中には「千年蟲」ってのを本当に何かの病気の原因になる虫だと勘違いしてたヒトも多かったらしい。で、「千年蟲」に効く薬を売りつける詐欺が現実にあったとか。 ……って、そのネタ、唐沢なをきの『電脳炎』にあったじゃん。日本人が勘違いするならわかるが、なんでそのコトバ作った中国人自身が勘違いしてんだよ。前々から思ってたけど、国民性なのかどうだか、中国語って、なんか大雑把で語彙力少ないよなあ。
FBS『レッツ・ゴー!永田町』。 もう何回目なのかな、初めて見たけど、現実の政治をこうストレートにパロディにしたドラマも珍しいなあ。田中角栄が首相だったころはやたら多かったけど、今こんな番組が企画されるってこともやっぱり小泉人気の表れなんだろうな。 でも、和泉首相の岩城洸一ってのはちょっと違うんじゃないかと思うんだけど、田坂外相の室井滋はもうクリソツ。いや、ベースはモノマネなんだけど、首を傾げて振り返るとこなんか、つい笑っちゃったよ。 ドラマは何となくショボそうだけど、気が向いたら来週も見てみようかな。
しげの日記がこないだから漢字変換しないままで書いてるもので、殆ど意味が解らない。 ただでさえ、文章化しないで単語を羅列するだけなのに、下手に意味のあるコトバに変換してくれるので、かえって何のことやらわからなくなるのだ。昨日のもやっとの思いで判読した。 送り。(←「自動車で私を職場まで送ってくれてたことを指すと思われる) サム。(←「寒い」だな。いきなリ外人の名前が出てきたら驚くぞ。サムと何かあったのか) ロワイヤル、本、スタンド。(←「ロイヤルホストに行って、本屋に寄って、ガソリンスタンドに行った」ということらしい) 猫の用にさまよう。(←「ように」だな) デザート作戦失敗。(←よくわからんがデザートを食べそこなったらしい) ね。(←「昼寝した」と言うことだな) 向かい。(←私を職場まで「迎え」に行ったことを指す。日本語は正確に使え) 勝つ。(←「トンカツを食った」と言いたいらしい) まま。(←「まあまあ」か? 何について言ったものか意味不明) 損だけ?(←「今日はそれだけで書くことないかな?」と言いたいのだろうか) ア、お手紙。(←どうやら私の友人から、手紙がしげ宛てに届いたことを指すものと思われる) お間ムリ。(←最初「おかんむり」かと思ったが、その友人の封書に、「交通安全のお守り」が封入されていたのだった) つける場所探す。(←車のどこにお守りをつければいいか、場所を探した、ということ) お返事書こう。(←これはそのまま) お休み。(←さっさと寝なさい)
……時間が経ったら、私でも判読できんぞ。備忘録のために始めたくせに、日記を暗号にしてどうすんだよ(-_-;)。
「西原理恵子のご託宣ポストカード」。 二日続けてサイバラかい(^_^;)。 なんでもケータイ用に描いたイラストが横長で使えなかったので、急遽ポストカードにしちゃったそうだが、まあ、一般的な感覚だと人に送れるモノが一枚としてないのがやっぱりすごいなあ。逆に言えば、このハガキを送られて怒らない人は真のディレッタントであろう。 友達に「金額でゆうと二千円くらいの友情。」ってハガキ送ったら怒るかな、とちょっと考えて、劇団のメンバーも含めて、私の友人にそんなケツの穴の狭いヤツはいない、ということに気がつき、ホッとした。私は実に友人・知人に恵まれている。 蛇足的説明だけど、この「金額でゆうと」ってのは当然「山下清」の「軍隊の位で言うと」のパロディね。 AIQのみなさんには、年賀状がわりにこの中の一枚をお送りすることも考えたが、多分みなさん、ご自分で買っていらっしゃるだろうから意味ないか。元日に「夕ぐれまでいじりたおす日。」(ナニをいじるかは自明)なんての送られたら、みなさん狂喜しそうではあるが。 悲しいことに、職場のつきあいでこういうギャグにつきあってくれそうなイキな人が殆どいない。上司に「明日はきっと今日より悪い日」なんて送ったら本気にしそうだしなあ。つくづくツマラン職場に就職したものである。 以前出してたシールもそうだけど、こういうギャグに対して喜ぶ人と顔を顰める人と、人間は確実に2種類に別れる。喜ぶ人がどんどん増えてけば、世の中ずいぶん住みやすくなるんだけどなあ。
2000年11月07日(火) 昔の映画も見よう……/『笑わない数学者』(森博嗣)
| 2001年11月06日(火) |
10年ぶりのスプラッタ/『西原理恵子の人生一年生』(西原理恵子)ほか |
オタアミ当日まであと18日! 18日しかないのだ!
オタクアミーゴス九州公演開催までもう日がない。 なのに、私んとこに「え? オタアミのチケット、まだ残ってるんですか? 買います買いますう!」と目をウルウルさせてやってくる美少女が一人もいない(来るかドアホ)。 まあ、美少女が来ないのは仕方がないにしても、せっかく公開日記登録してるのに、もうちょっとオタク度高い人いないのかなあ。ウチの劇団メンバーにもちょこちょこと声をかけちゃいるんだが、しげの宣伝の仕方がもう噴飯もので、まるでなっちゃいないのだ。 「楽しいよ〜、客がもうみんな濃くって濃くって、汗臭くて、太ってて、ウンチク垂れの、小うるさいの、もう3時間そこにいるだけでムンムンして息ができなくなるわ、馬鹿笑いされてアタマはガンガンしてくるわ、トリップできること間違いなし!」 キサマは日本のオタクを全て敵に回すつもりか。 ~凸(-~~- ) いやもう、みんな引く引く。それでもよしひと嬢だけは「行きますよ〜」と言ってくれているので、やはりウチの劇団一のツワモノだなあ、とはつくづく思うのだ。
確かに、しげがハンパなオタクを鬱陶しいって言いたくなる気持ちはわからなくはない。 私も、昔、広島アニメーションフェスティバルに行った時、座席の後ろでゲストの対談中もずっと、まさしく「サロンのバカ」的なウンチク垂れまくってたオタク連中に「うるさい、黙れ」と文句つけたことはある。 けど、それをはオタクであるかないか以前に、マナーを守れているかどうかって点を問題にしただけだ。私だってハンチク野郎には違いないんで、自分だけがモノ知ってるような態度は取れないし、ネットのあちこちで明らかにオタクそのものを敵視するような「ウザい」と吐き捨てるような言い方をすることはやっぱりできない。 なんだかんだ言っても、彼らは仲間なんである。
しげはどんなにおかしい映画や公演でも、声を出して笑わずに見るやつなので(単にステゴザウルス並に反応速度が遅いだけかもしれんが)、せっかくのギャグが周囲の笑い声で聞こえないと言うのは、腹立たしいことでしかないのだろう。けど笑いたい時に笑うなというのは無理な話だし、オタクが汗臭いのは宿命だ(^^)。それに目くじら立てるのは女に向かって「ちんちんついてないくせに威張るな」と言うようなものである。 広い心で見守っていただきたいものである。
で、当日でもいいから、オタアミにご興味あるヒト、ぜひ来てね。
今日は比較的早めに帰宅できたので、『FFU』を見ようかと思っていたのだが、しげが「腹減った腹減った」とうるさいので、諦めて外出。 「『浜勝』と『ロイヤルホスト』どっちにする?」 「どっちでもいいよ、どうせ『ロイヤル』はデザート食いたいだけなんだろ?」 「実はそうなんよ」 「で、しかも食いたいのはデザートの上のクリームだけだろう」 「……うん、そう」 「なら行く意味ないじゃん」 「だから『浜勝』でいいんだけどさ、あとで『ロイヤル』でデザートだけ食べようかって思っても、腹いっぱいになってて、いつも食べられんとよ。悔しい」 悔しいって、自分が食い過ぎなきゃいいだけではないか。いつまで経っても自制心のかけらも育たんやつだ。こいつ、婆さんなってもこんなかなあ。
「ブックセンターほんだ」で、何冊か本を物色。 「浜勝」では新発売とかいう松茸のホワイトソースかけカツ定食を食う。松茸ったって、薄く薄く切ったのが数切れ入ってるだけ、しかもホワイトソースで味も風味もまるで消されている。食感すら殆どない。……こんなんシメジでいいじゃん。 だったら頼むなとも言われそうだけど、なんか「新発売」とか「フェア」ってやつに弱いんですよ。ささやかなゼイタクをつい望んじゃうのは庶民の心理ってもんなんである。 しげは思った通り、メシを際限なくオカワリし続けている。ただ飯はいくらでも入るってことか。でもこれだけ食っても、1時間もすれば「小腹がすいたね」と言い出すのだから、全くどんな消化吸収能力を有しているのか。いつもいつも言ってることだが、しげの胃はブラックホールがバイストン・ウェルに通じているに違いない。 しげの働いてるリンガーハットの系列の店なので、社員割引が利いて六百円の得。「リンガーで食べて割引されるより、浜勝で割引してもらう方がおトクな気がせん?」としげ。 そりゃ、おまえが肉好きだからだろう。どこで何をどれだけ食おうが、割引率が同じなら、お得な率も同じなんだが、結局人間の損得勘定なんて、欲望の度合に比例するものなのだ。
コンビニに寄って、今週の「ジャンプ」を立ち読み。 『ヒカルの碁』、ついにヒカルが囲碁の世界に戻ってくる。佐為がどんな形で復活するのかと思っていたら、碁そのものに佐為が宿っている、という結末。 こう文章で書いてしまうと、あまりにも当たり前で意外性のない結果のようだが、なかなかほったさんのシナリオ、小畑さんの作画で、キチンと感動的に見せているのはさすがである。 「こんなところにいたんだ、佐為」という、ヒカルのつぶやきと涙、ダシに使われた伊角には悪いけれど、たとえ佐為の姿が消えても、この物語はこれからもやはりヒカルと佐為の二人三脚でいくのだ、という道をハッキリと示して、言ってみれば「第一部」の締めくくりとしては、妥当な終わり方と言えるのだろう。 ……それにしても、ヒカル、細くなって背が伸びたよなあ。 アニメでまだ小学生のころの丸っこくてチビなヒカルを見ているから、そのギャップがえらく激しい。形ばかりの「成長ドラマ」は多いけど、ヒカルくん、ホントに心身ともに成長してるよ。 逆を言えば、問題点はまさしくそこにあるのであって、紛れもなく「人間」を描いているこのマンガ、このまま続ければ終わりようのない物語に突入していくことにもなってしまう。人間の成長に「結末」をつけることなんておよそ不可能なことだからだ。 これまでの「成長もの」(特に梶原一騎の影響を受けた青春マンガ)は、たいてい主人公のまだ見ぬ未来への雄飛を暗示して終わるか、あるいは突然の死亡、崩壊、破滅で終わるかのどちらかのパターンでしか終わらせられなかった。『ヒカ碁』はおそらく前者のパターンで終わらせるしかないとは思うのだが、ここまで盛り上げてくれると、更にこちらの予想を思いっきり裏切るような終わり方をしてほしいとも思ってしまうのである。 無理な注文かもしれないが、そう期待したい。おそらくヒカルを追撃する新世代のキャラクターも今後は登場してくるだろうことを考えれば、まだまだ、このマンガから目は離せないのだから。
『西原理恵子の人生一年生』(小学館・1050円)。 「100%サイバラ雑誌」と銘打ってはいるが、第2号が出るかどうかは1号の売れ行き次第ってトコロがいかにもサイバラさんらしくって正直。 でもツマンナサの極地で誰が買うんだって思ってたさくらももこの『富士山』だって4号出したんだから、西原さんにはぜひともキリよく「3号雑誌」で昇天してほしいものである。サイバラさんに大ブレイクは似合わないよん。 ああ、でもホントに『富士山』の四億五千三百八十万倍は面白いぞ、『人生一年生』。 語りだしたらキリがないが、まずビックラこいたのが西原理恵子オリジナル本格焼酎の通販。西原さん自身がちゃんと試飲したってんだから、これはもう、絶対の信頼に値しよう(^o^)。 しかし凄いぜ、銘柄が「俺の武器」に「どこへ行く」だもの。ホントに飲んだらどこへ行っちゃうやら解らんぞ。ヽ(^。^)丿 ああ、でも他に上がった名前の候補で、「ぜってー売れねー」と言いたくなる「目がしばしば」とか「チルチルメチル」とかも捨て難いぞ。戦後すぐのころ、アルコール類が払底していたころ、メチルアルコールの混じった酒を飲んで、目をやられたヤツがしこたま出たって話(ホントかどうか知らんが)、知ってる人も少なくなったろうなあ。
新作マンガの『ぽぺぱにゃ』、相原コージの『なにがオモロイの?』と同じコンセプトで、『コロコロコミック』に持ちこんだり、街頭アンケートを取ったりと、実にイタイ企画をやってるんだが、相原さんの場合、本人がマジだけにギャグになりきれてないのに対して、西原さんは才能の格の違いを見せつけている。 嘲笑われること、無視されることを承知の上でやってる余裕がちゃんとギャグになってるのだ。……そうなんだよなあ、相原さんのマンガが笑えないのは、本人の「一生懸命さ」が裏目に出ちゃってるからなんだよなあ。 多分この企画、西原さんから相原さんへのエールだ。確かにマンガ家だって芸人、体を張ってナンボなんだけれど、客を構えさせちゃいけないんである。やっぱり「どうしたら面白いギャグが書けるか?」というコンセプトを提示した時点で相原さんはギャグマンガ家として死んじゃってるのだ。もちろん、その「死んじゃってる」状況を楽しむという意地悪い楽しみ方はできるんだけれども。
しげと二人で「サイバラ黒キャラ占い」をやる。 一応、卯月田麻裕って占いの先生に監修してもらってるようだけれど、多分中味は相当デタラメ(^_^;)。 「ゲッツ板谷タイプ」なんて、「俺が正義、俺が法。竜巻のように人を振り回すが、よいほうに働けばどこかのシマを束ねられる。意外とセクシーだが同性しか寄ってこない」。 ……そんなタイプ、日本中どこ探したってゲッツ板谷一人だ(* ̄∇ ̄*)。 しげは「コータリンタイプ」。 「一見腰が低い人、内心では高みから人を見下ろす、こっそり唯我独尊キャラ。究極の見栄っ張りで友達少ない」 おお、当たっている! これは意外と人間の奥底まで見ぬいているのかも! で、私はというと、「花田編集長タイプ」。 「熱しやすく冷めやすい、スーパーお天気屋キャラ。」……そうかあ? 趣味とか結構持続する方だけどな。でなきゃ40年近くも怪獣ファンやってねーよ。 「出世は早いものの、職場を転々としたりします」 出世もしてねーしする見込みもないが転職もしてないぞ。 「一度逆境にあうとそのまま挫折しやすいので道を外れないように注意しましょう」 このへんは当たってるか外れてるか判別はしにくいな。今までの人生、順風満帆と見るか逆境だらけと見るかは解釈次第だしな。しげとの結婚はどっちなんだよ。 つーか、私ゃ仕事がらみで花田さんと話したことあるんだけどな。ちょうど「マルコポーロ」廃刊の直後だったんだけど、『UNO』創刊したせいか、全然元気だったんで、意気消沈してる姿を期待した私は拍子抜け。 で、会ってみて感じたことだけど、どう考えても私とあのヒトとじゃ、タイプはまるで違うがね。 そのとき「花田さん、私の職業についてどう思いますか?」と訊いたんだけれど、「お人よしのバカばっかりですねえ。人の話、すぐ素直に信じちゃうし。少しは『疑う』という世間知を持つべきだと思いますよ。だからすぐコトナカレ主義に走るんですよ」と思いっきりこき下ろされてしまった。でもまあ、当たってるので私は全然怒らない(^^)。……考えてみたら、言う方も言う方だが、笑って聞いてる方も聞いてる方だからやっぱり似てるのか?(・・;) さて、これだけで私の職業が判った方はメール下さい。先着1名の正解者の方に、花田さんのサイン“なし”本を贈呈します♪
他にも青木雄二との「脱税」対談やら、いいかげんにしろサイバラ編集者座談会やら、まあちょっと、中味を紹介しにくい企画がてんこもり。 「絵がかわいいんだか汚いんだかわからない」と、食わず嫌いのヒトもいるかもしれないが、西原理恵子は多分21世紀を代表するマンガ家の筆頭に挙げていい実力と才能を持っている。表層的な社会現象と流行だけでしか文化を語れぬ有象無象が多すぎるせいで、いまいちブレイクはしていないのが残念だけれど。 少なくとも、西原さんのマンガを読んで、「このヒト嫌い」というヒトは「人生負け組」に入ってることは間違いないので、他人を判別するのにすごく役立ちます。ご一読を乞うものである。
帰宅して、CSちゃんねるNECOで『うる星やつら・オンリーユー』と『うる星やつら2・ビューティフルドリーマー』を見る。 この2本も何度見たかわかんないけど、間を置いてみるとホントに飽きが来ないなあ。 劇場版第一作は監督本人は「つまんない」のヒトコトで切り捨ててるけれど、それはこれが実に映画の「教科書」的作り方をしているからだろう。 導入、展開、クライマックス、オチ、ドラマツルギーもパターン通りだし、このカットのあとには切り返してこのカット、音楽はここで入れて、といった細かい演出も、実に的確。……でも逆に言えば、映画学校の優等生が作った映画って言われてもしかたがないくらい定番すぎるキライはある。つまり「破」がないし「個性」がないのだね。 映画のリズムが崩れることを承知の上で、劇場公開時にカットしたシーンを「完全版」として挿入したのも、その「破」をあえて作るためだったのだろう。その証拠に、完成度の高い第2作にもあたるが未来社会をさ迷う場面などがカットされているにもかかわらず、そちらの方は未だに復活していない。 ……でも、ホントに『ビューティフルドリーマー』は傑作だよなあ。 大学生のころ、最初に見たときには「ラムの世界の中にどうしてもう一人のラムがいるのか」ということの意味がよくわかんなかったんだけど、あれ、ラムの自己欺瞞なんだな。 つまり、マドンナとしてのラムはあくまで美しく、でもホンネの「責任取ってね」のラムは自分と切り離して見ないフリしているのだ、あの女は。……ああ、女性経験が増えるってことは、こんなわかんなくていいことまで見えちゃうようになるってことなんだなあ。大学時代の私って、なんて純でナーバスだったんだろう(^_^;)。 もちろんそれは社会的弱者たる「女」の自己防衛の手段でもあるのだけれど、映画はつまるところそういう「女」を描くものなのであるという、究極の映画論をあの世界の「演出家」たる「夢邪鬼」に語らせちゃったがために、『うる星2』は究極の映画にもなりえたのだ。 おかげで、それ以降に作られた『うる星』はテレビも映画も、全てラムと夢邪鬼の手のひらの上で動く作品に塗り替えられてしまった。『2』ほどの密度を持った世界観を持って作品を構築しえたのは、やまざきかずお監督他の人々にバトンタッチされてからあとは、わずかに『うる星やつら4・ラム・ザ・フォーエバー』1本を数えるのみである。
しげが仕事に行ったあと、肉野菜炒めを作ろうと思って包丁でタマネギを切りかけたら、見事にすべって左の人差し指をザックリ切ってしまった。抑えても抑えても血が吹き出るのが止まらない。 以前も「あんたの血、薄いね」とケロリと医者に言われたことがあったけど、なんかまたそうなってるのかなあ。 だいたい、結婚して以来、十年、指切ったのなんて、数えるほどしかない。もしかしたら初めてかも。 しょっちゅう切ってるしげとは雲泥の差なので、結構慌てる。バンドエイドを何枚張り替えて押さえても、間からジュクジュクと血が滲み出して来る。水で流したり押さえたりを繰り返して、10分ほど悪戦苦闘して、やっと血が止まるが、ジンジンした痛みはおさまらない。相当深く切ったらしいけど、治るかなあ。糖尿もあるし、新陳代謝だって衰えてるだろうから、ずいぶん時間がかかるんじゃないかなあ。 なんだかこんな小さなことですらビクつくようになっちゃった自分がちょっと情けないなあ。
2000年11月06日(月) 別に国際化したいわけでもなし/『大人の国イギリスと子どもの国日本』(マークス寿子)
| 2001年11月05日(月) |
行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか |
オタアミ当日まであと19日! 19日しかないのだ!
気がつかないうちに北九州博博覧祭が昨日で閉幕。 いっぺんくらい覗きに行こうか、としげと話をしていたのだが、「パビリオンを見たい」私と「露店でメシ食いたい」しげとでは目的がまるで違うので一緒に行く意味がないのである。 行ったついでによしひとさんや塩浦さんにも会えるかもよ、とか話してたんだが、やはり「見たいもの」が本当にそこにないと、近年とみに重くなった我々夫婦の腰はなかなか上がることがないのだ。 先々月「山口きらら博」に行ったのも、偶然しげの誕生日に「オタきら」があったからで、そういうことでもない限り、そうそうこういうイベントに大枚はたいて出かけるようなことはしなくなっている。 別にトシをとってエネルギーがなくなったってことじゃないぞ(ちょっとはそれもあるけど)。出かける余裕(主におゼゼの面で)があれば、本の一冊を買うか、映画の一本を見に行くか、そっち方面にエネルギーを費やしたほうがずっと満足感が高いことはわかりきってるからなのだよ(←トミノ喋り)。
結局我々は行かずじまいだったわけだが、あれだけ200万人達成が危ぶまれていた北博、夜間割引などの効果があったか、閉幕寸前にやっとこすっとこ210万人の入場者数目標を達成できたそうである。それだけを聞くと、いかにもめでたいような感じだが、割引での達成なら、収入は予定より大分目減りしてるんではなかろうか。これをもって成功と言うのはちょっとムリがあるように思う。
ともかく、何のための博覧祭か、誰に向かってメッセージが投げかけられているのか、皆目分らない、徹頭徹尾上滑りの企画だったように思う。多分、企画者の間ではこんな会話が交わされていたことであろう。 「今度、ウチの会社でもパピリオン出すって」 「出すって、何出せばええんね」 「さあ? テーマは『響きあう 人・まち・技術』ち言いよう」 「ようわからんやん。とりあえずウチの会社が『地球に優しい』とこ見せればええんやろ?」 「あ、紙のリサイクルの流れとか、模型で見せたらええやん!」 「で、再生紙で作ったお土産売れば……」 「再生紙ノートとか」 「再生紙ダンボール箱とか」 「再生紙牛乳パックとか」 「再生紙ティッシュペーパーとか」 「再生紙トイレットペーパーとか」 「再生紙バッグとか」 「再生紙ハンバーガーとか」 「再生紙Tシャツとか」 「再生紙パソコンとか」 「再生紙呪いのわら人形とか」 「再生紙となりの女子大生のお姉さんとか」 実際に見に行ってないので、本当にどんなもの売ってたかは知らないのだが、何かヘンなものはありませんでしたか? よしひとさん。 結局「金を落としてほしい」「北九州でだって博覧祭は開ける」、それだけでぶち上げたようなシロモノだったことは行かなくてもハッキリしていた。性格がネジくれている私などは、そのパビリオンのヘタレ具合を見に行くだけでも楽しいのだが、しげはそういうのを見ていると、本気でハラを立ててしまうのである。 やはりしげの方がおカネにはがめついのだなあ。だったらたまに衝動的にムチャ高い買い物するのはやめようね。
で、昨日は東京国際映画祭も閉幕。コンペ部門のグランプリは『スローガン』だそうな。『羊のうた』は見事に落っこっちゃったみたいだが、ううむ、加藤夏季の神通力(んなもんあったんかい)、審査委員長のノーマン・ジュイソンには通じなかったか。まあ、男臭い映画ばっかり撮ってた人だからしゃあないと言えばしゃあないかなあ。 そんな中、石ノ森章太郎原作の『化粧師 KEWAUSHI』が最優秀脚本賞を受賞している。あまり期待してなかったんだけど、意外な拾いものになってるのかも知れない。福岡まで果たして流れてくるかどうか。
今日も残業。しかも7時過ぎまで。 「5時には終わるよ」としげを待たしてたのだが、まさか2時間も待たせることになるとは私も思ってもみなかった。 怒って先に帰っちゃうかなと思ってたのだが、今日は終日雨で、私をほったらかしてはおれなかったらしい。 一応優しくしてくれてはいるようだが、頼んでおいた洗濯はきれいさっぱり忘れているのだ。本当に、いっぺんにいくつものことはできないやつなのだなあ。
晩飯はウチの近所のマクドナルドで、グラタンバーガーのスーパーバリューセット、しげのオゴリ。おカネが入るのにもうちょっと日にちがかかるので、ここしばらくはしげにたかるしかない。だいたい私としげの立場はそのときサイフに入ってる金額の多寡で決まるので、今日明日なんかは私はしげに頭が上がらない。 店内に置いてあった『SPA!』の10月10日号を斜め読み。 鴻上尚史さんの連載『ドンキホーテのピアス』は、『ファントム・ペイン』関連のことについて。 鴻上さんは十年の封印も「劇団の力を信じて」のことだと言う。ああ、こういう物言いが、鴻上さんの「青春野郎」なところなんだよなあ、とは思う。 もちろん劇団の可能性を私だって否定したいとは思わないが、「劇団内での体験したくもない人間関係のドロドロも覚悟すべきだ」という言い方は、二重の意味で傲慢だ。 一つは、これが若い、これから劇団を作ろうって人に向けて語られてること。あのね、これからそういう苦労をしそうな役者さんたちに対してはね、「何も忠告なんかしないで黙って苦労をさせること」が一番の親切なの。言わずもがなのことを口にしてるってことは、自分が苦労したことをひけらかしてることにしかなってないんだよねえ。 もう一つは、そんな人間関係のドロドロなんて、別に劇団だけに限った現象なんかじゃないってこと。あたかもそういう苦労が演劇だけの苦労のように言い放つってのは、ただの特権意識だ。 つまり、鴻上さんは本当に演劇のことだけをひたすら考えてきて、本当に真面目に考えてきて、自分たちが面白いものだけを作ろうとしてきて、で、結局、自分たちだけが面白がってるものしか造れなくなっちゃってることに気付いていないのだ。 ああ、これじゃ役者たちの「声」が客席まで届かないのは当たり前だなあ、となんか淋しくなってしまった。なんだかんだ言いながら、鴻上さん、演劇界の最前線にいることは間違いないのに、それがこのテイタラク? 封印にどれだけの意味があるのかなあ。
関係ありませんが、チキンナゲットのソース、私はマスタード派、しげはバーベキューソース派です。昔は私もバーベキューソースの方が好きでしたが、あの甘ったるさが気に入らなくなってマスタードに変えてしまいました。 バーベキューソースで食べるやつなんて、お子サマだと思うんですが、いかがでしょう。
ここ数日、日記の更新が滞っているのだが、なぜかアクセスしてくる人は少しずつ増えてきている。たいていはgooやGoogleからなのだが、今日、妙なところからアクセスされていたので、ちょっと吃驚した。 名前はあえて明かさないが、某巨大掲示板からのアクセスである(バレバレやな)。 この日記、私が読んだ本、見た映画などについて、ホントに遠慮ナシに好き勝手な事を書いているのだが、そのうちの某映画についてケチョンケチョンに(と言うほどでもないが)貶した文章に、いつのまにかリンクを張られていたのだ。 他にもその映画に関する記事などにリンクは張ってあるのだが、その中で批判的なことを書いてるっつーか、揶揄しているのは私一人である。 そう言えば以前、この日記にその映画のタイトルで検索かけてた人がいたが、さてはその人のしわざか。どこの誰かは知らないけれど。 もちろん私に許可を得たりとか言うことは全くなく(仮に、貼ってもいいですか、と聞かれてたとしても、多分断らなかったと思うけど)、全くの無断リンクだが、いったい読んだ人はどんな感想を持ったのかなあ。そういう人にこそ、ウチの掲示板を利用してほしいものなんだけれど。
残業ですっかり疲れていたのだろう、最初、しげがパソコンを使い終わったらコンビニにでも行く予定だったのに、横になったらそのまま泥のように眠ってしまった。 遠くでしげの「出かけんとお?」というコトバが聞こえたような気がするが、夢かも知れない。
マンガ、手塚治虫『陽だまりの樹』1〜7巻(小学館)。 昔、雑誌連載で読んではいたが、飛び飛びだったので、まとめて読む。 やはり手塚さんがうまいなあ、と思うのは、おそらく架空の人物である主役の伊部谷万次郎、それと手塚さんの三代前の先祖、手塚良仙とが、全く違和感なく絡み合ってることだ。 ウソはホントに、ホントはウソに近づけることで虚実皮膜の境地は生まれる。晩年の手塚さん、そんなハイレベルにまで辿りついていたんだろうか。 前、読んだときも気になってたんだが、徳川家定とハリスの会見時、家定がいきなり横を向き、床を踏み鳴らすと言う奇矯な行動を取るのだが、それを「黒子」への合図、と書いたのは手塚さんの推理だろうか、それとも文献に証拠が残っていたのだろうか。
2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|