無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2001年07月31日(火) 山田風太郎死す/『新・トンデモ超常現象56の真相』(皆神龍太郎・志水一夫・加門正一)ほか

 7月28日、山田風太郎死す。
 享年79歳。

 例えば、手塚治虫が存在していなかったなら、果たして石森章太郎や藤子不二雄や赤塚不二夫がマンガ家としてこの世に誕生していたかどうか、わからない。
 よしんばマンガ家になっていたとしても、さて、後世に影響を与え得るほどの文化を築き上げていたかどうか。
 今の若い世代、特に10代は、既に手塚治虫を知らない。
 知らないことを恥だとも思わない世代である。
 しかし、マンガに限らず、彼らが恩恵を受けている文化の殆どは、大なり小なり手塚治虫の影響を受けている。手塚治虫の功績は、そうした潜在化した文化を作り上げた点にあるといっていい。

 小説の世界において、そうした作家がいるかと言われれば、私は一も二もなく二人の作家の名を挙げる。
 大藪春彦と山田風太郎。
 この二人がいなければ、今のマンガ、アニメ、特撮、時代劇、刑事ドラマ、SF、その他もろもろのエンタテインメントは、ほぼ壊滅状態になっていたと言ってもいいのではないか。

 風太郎忍法帖。
 『甲賀忍法帖』、『伊賀忍法帖』、『柳生忍法帖』、『くの一忍法帖』、『魔界転生』……遺作、『柳生十兵衛死す』に至るまでの膨大かつ絢爛たる絵巻。
 昭和30〜40年代に大ブームを巻き起こしたその作品群は、無数の亜流を生み、更に亜流の亜流を生み、連鎖していった。
 今や風太郎忍法帖の影響がないエンタテインメントを探すことの方が難しいだろう。
 それは、単に忍者が出てくる、というだけのことではない。
 彼ら忍者が風太郎作品の中では常にフリークスであったこと、歴史の影に埋もれる存在であったこと、にもかかわらず、彼らが紛れもなく「生きて」いたこと。あらゆるエンタテインメントをエンタインメントたらしめる要素を風太郎忍法帖は持っていたのだ。

 直接的な影響は、マンガでは横山光輝『伊賀の影丸』や白土三平『忍者武芸帳』に顕著だろう。この二作が更に後世のマンガにどれだけ影響を与えたかを考えれば、間接的な影響は計り知れない。
 忍者ものはそのまま、SF作品にシフトする。石森章太郎『サイボーグ009』、平井和正・桑田次郎『デスハンター』、などに風太郎忍法帖を重ね合わせることは容易だ。
 山田風太郎は医科大出身であり、荒唐無稽なキャラクターにも一定の科学的根拠を持たせた。忍法帖シリーズがSFたりえた所以である。

 そして山田風太郎創造の名探偵、荊木歓喜。
 非合法の堕胎医にして、頭脳明晰なヨッパライ。
 彼の設定は、偉大な二つの亜流を後に生んだ。
 黒澤明の『酔いどれ天使』と、手塚治虫の『ブラック・ジャック』である。

 もう一つ、直接的な影響を与えたものを指摘しようか。
 かつて、宮崎駿が『シャーロック・ホームズ』をアニメ化しようとした時、初めコナン・ドイルの遺族の許可が得られなかった。そこで宮崎駿がとった手段は、ある小説を換骨奪胎してホームズ譚に取りこみ、似て非なるものにすることであった。
 取りこまれたのは山田風太郎の『妖異金瓶梅』。
 潘金蓮のキャラクターは、ハドソン夫人とモリアーティ教授に振り分けられ、応伯爵がホームズとなった。宮崎版のホームズがどこか冴えなくて、ハドソン夫人に頭が上がらないのは、彼が応伯爵だからである。

 ここで大切なことは、この「模倣者」たちが、自分が山田風太郎のマネをしたことに、全く無自覚かもしれないということである(堂々とパクったのは多分横山光輝だけだ)。
 手塚治虫に「ブラック・ジャックは荊木歓喜ですね?」と聞いても、きっと「いや、あれは私のオリジナルだ」と主張するだろう。しかし、手塚治虫が荊木歓喜を読んでいないはずはない。あるいは、黒澤明の『酔いどれ天使』を見ていないはずはないのだ。
 それらの記憶は手塚治虫の潜在意識に深く沈潜し、そして数十年を経て顕在化した。もはや作者は、自分が何に影響を受けたかも覚えてはいない。
 そして読者も、亜流作品を読むことで、知らず知らずのうちに風太郎のエッセンスに触れていく。
 山田風太郎は、そのようにして、風太郎作品を読んだことのない人間の心の中にも静かに存在しているのである。

 しかし、それだけ人々に浸透しているがゆえに、こうも言えるのである。
 金井美恵子曰く、「山田風太郎は誰でもが読んではいるのだろうが、実はまだ誰にも読まれていない小説家の一人なのだ」。
 我々は、自分の心の中に風太郎が常にいることを自覚していない。本当はそこまで自覚しなければ、山田風太郎の偉大さは理解できないのだ。だが、誰も自覚していないからこそ、山田風太郎は偉大であると断言することもできるのではないか。それが先ほども述べた、「潜在化した文化を作り上げた」という言葉の意味なのである。

 風太郎作品に駄作はない。
 風太郎作品の駄作は、他の全ての小説の傑作の遥か上に位置する。 
 風太郎作品を読まずして、エンタテインメントを語るなかれ。

 傲慢にすら見えるこれらの惹句が、いささかの誇張もないと受け入れられているのも、風太郎作品のみであろう。

 なのに各紙の新聞の死亡記事、小さ過ぎ。
 今年取ったばかりの第4回日本ミステリー文学大賞受賞に触れてたのは読売新聞だけ。朝日も西日本も殆ど囲み記事扱いだ。。
 だから新聞はバカなんだって。\(`0´)/キイッッ。
 怒りを抑えつつ、FCOMEDY「裏モノ会議室」に、訃報を書き込む。

 柳生十兵衛三部作、どこかの局が一年かけて連続ドラマにしないかなあ。

 もしまだ「山田風太郎って、そんなに面白いの?」と疑問に思われるかたは、『伊賀忍法帖』あたりから読み始めてはいかがでしょう(『魔界転生』もいいけど長いし)。純然たる孤高のヒーローもので、読了した後、主人公、笛吹城太郎と別れるのが淋しくなります。……これも『カムイ外伝』に影響与えてるなあ。
 真田広之主演で映画にもなってますが、最高の演技を披露してくれているのは、果心居士役の故・成田三樹夫です。
 DVDももうすぐ出まっせ。


 連日の猛暑。
 仕事に行くのはいいんだけどねえ、立ってるだけでダラダラ汗が吹き出て来るんだよねえ。なんでこんなに汗かいてなきゃならんかってくらい。
 なのに体重の方は停滞気味だ。入院までに75キロっつ―のは、やっぱり無理っぽいな。

 終日勤務の予定だったが、病院に行かねばならないので、仕事を代わってもらって早引け。
 今日は入院する西新の成人病センターではなく、ウチの近所の、かかりつけの医者のほうである。センターから預かってきた手紙を担当の医者に渡さねばならないのと、薬をもらうため。検査をするわけでもなし、たいした用事じゃないけど、それでも今日のうちにでも足を運んでおかないと、いい加減時間がなくなってしまう。
 出掛けに、しげが「早く帰ってねえ」と甘えた声を出す。
 まあ、しばらく優しく相手をしてやらなかったこともあり、できるだけ用事を早めにすまして帰ってやろう、と自転車を飛ばしていったのだが、ちょうど昼休み。
 仕方なく、近所の本屋で時間を潰そうとして出かけていったら、またほしい本を見つけてしまった。

 ケイブンシャ『円谷英二特撮世界』。
 今更言うまでもないが、今年は円谷英二生誕100年である。
 関連本も腐るほど出版されていて、とても全部買うことはできないが、スチール写真のみならずスナップが多いのと、解説にリキが入っているのが見て取れたので購入。
 ひととおり円谷作品を見ていくと、確かに怪獣映画に関しては一本も見逃しがないのだが、初期作品や、コメディ、戦争ものについてはまだ未見のものが多い。
 名高き『ハワイ・マレー沖海戦』を見ていないというのは「円谷ファンを名乗るな」と言われてもしかたがないだろう。
 でも、戦争ものって、岡本喜八作品などの一部を除いてお涙頂戴が多くて好きになれなかったしなあ。
 『白夫人の妖恋』も三木のり平版『孫悟空』もまだ見てない。東宝、いい加減出し渋りしてないでDVD化しろよ。
 宝田明インタビュー、佐原健二・水野久美対談が提灯記事的なのはしかたがないが(水野久美が『マタンゴ』で食ってたキノコは実はピンクに塗った餅で、本当に美味しかったそうだ)、全体的に特撮の成功・失敗についてバランスよく書かれていて、良心的な作りである。

 時間つぶしをしているうちに、病院の昼休みも終わり。
 診察(っても手紙渡すだけ)も5分で終わる。
 でも報告だけで800円取られるっちゅーのはちょっとボッてないか。

 病院の外に、一歩出た途端、突然稲妻が走り、豪雨が降り出す。
 ……ウソみたいだが本当だ。
 慌ててそばの喫茶店に入りこみ、やや遅い昼食。
 サービス定食がサイコロステーキだったので、迷わず注文。朝飯食ってなかったし、これくらいで体脂肪が増えることもなかろう。
 30分ほどしたら、雨はキレイに上がっていた。
 見事なくらい、夕立らしい夕立。こんなのって、滅多にないんじゃないか。
 今年は梅雨も梅雨らしかったし、猛暑も猛暑だし、絵に描いたような「日本の夏」である。
 んじゃ、今年はあと、秋は「枯葉散る秋」で冬は「雪の降る冬」になるのだろうか。


 皆神龍太郎・志水一夫・加門正一『新・トンデモ超常現象56の真相』読む。
 昔からオカルトの類は好きで、その手の番組も一時期食い入るように見ていたものだったが、最近はとんとご無沙汰である。
 それでもたまに『USOジャパン』とか『アンビリーバボー』とか見たりするのだが、しげが気味悪がってすぐチャンネル変えさせるもので、なかなかマトモには見られないのである。
 基本的に心霊現象も超能力もUFOもUMAも、「ホントかウソか」なんて杓子定規な見方をするのは好きではないので、「へ―、そうなの」と、漠然と見るのが好きなのだが、世間はどうしてもクロかシロかはっきりさせないと気がすまない人が多いのだね。
 いや、と学会の人たちではなく、ビリーバーの方々の方である。

 いつぞやの「ネッシーは私たちのイタズラでした」の暴露があったときも、私は別に動揺なんかしなかった。
 最も有名なあの「カマクビ」を上げた写真、なにかの特番で波の形状から数十センチしかないということは指摘されていたし、あんなプランクトンくらいしかいないような湖にプレシオザウルスが住めるわきゃない、ということは科学者の一致した意見だったのである。
 そんなことは知ってても、やっぱり「ネッシーがいたら面白いね」とみんなは楽しんでるものだと、つまりはエイプリルフールを喜ぶのと同じ感覚でいるのだと思っていたのだ。
 でも、あの暴露記事が出た時、私の周囲で「夢が壊れた」なんて言ってたやつが結構いたのだ。……マジで信じてたわけ? ネッシー。そりゃ、ホントに「夢」見てたんだって。

 更にアイタタ、と思ったのは、その直後に放映され始めたアニメ『モジャ公』。最初の数話、藤子・F・不二雄さん本人がシナリオを担当されていたのだが、モジャ公や空夫たちが、「モケーレ・ムベンベ」を探しに行く、という話があったのね。これ、この事件以前だったら、絶対に「ネッシー」を探しに行く話になってたはず。
 いくらネッシーのインチキがバレたからって、モケーレ・ムベンベだって相当インチキくさいじゃんか、なんでそんな姑息な手を藤子さんともあろう人が使うのか、堂々と「それでもネッシーはいる!」と主張することがなぜできないのか、夢を守るってそういうことだろう、と、ガックリきちゃったのだ。
 で、これが藤子さんのアニメの遺作になっちゃうし(T_T)。 

 で、今回、「モケーレ・ムベンベ」もこの本でデマと知りました。
 水深2メートルしかない沼に恐竜が住めるかい(-_-;)。
 あの藤子さんですら、晩年はボケちゃってたんだなあ。
 無常。

 でもマリー・セレスト号事件や、クロワゼットの超能力は、結構信じてたんだがなあ。でも、元々の知らされてたデータにウソが混じってたら、勘違いもするよなあ。
 あ、ユリ・ゲラーは信じてないよ。ルームランナー買う気に全くならなかったから。

 大学の友人で、「スプーンを曲げた!」と言ってたやつがいて、今、教師をやってるんだが、あいつ、生徒に「俺は昔スプーンを曲げたことがある!」とか吹聴してるのかなあ。多分偶然だと思うんだけど恥ずかしいよなあ。


2001年07月30日(月) 八女って全国的にどの程度有名なんだ?/『ロマンアルバム・太陽の王子ホルスの大冒険』ほか

 仕事の内容は明かせないが(明かしてもいいんだが、バカがまた騒ぐので秘匿)、今日は出張で八女市まで行かねばならない。

 ……で、「八女」ってどこにあるの?

 知人に八女出身の人がいたけど、さすがに本人に向かって「八女ってどこ?」とは聞けなかったなあ。
 いくら私が福岡地元民だからって、全ての土地に足を踏み入れているわけではない。知らないところは他にいくらでもあるのだ。
 第一、久留米と八女のどっちが北にあるのかもよく知らないのだよ。えっへん(威張れることか)。
 「八女」と言う名前からして、昔、八人の女が月見をしながら踊ったとか湖に身を投げたとか鬼退治をしたとかいう伝説があるのではないか。あるいはお茶の産地だけに「飲茶」(ヤムチャ)の「ヤム」が訛って「ヤメ」になったとか。『帰ってきたウルトラマン』に「ヤメタランス」という怪獣がいたが、あいつはここの出身であろう。
 ……テキトーに言ってるだけなので信じないように。

 でも八女は、一応、歴史的に古い町ではあるのだ。
 古代史を学ぶ者なら常識中の常識、『古事記』『日本書紀』中のハイライト、「磐井の反乱」の舞台がここなのである。北九州最大の古墳である岩戸山古墳がその磐井の墓と比定されている。
 八女出身の人たちは、たいてい「あの時(って、1500年前じゃん)、大和朝廷に勝ってりゃ、今ごろ日本の首都は八女だったのになあ」と、今でもマジで言ってるのだ。んなわけあるかい。
 なんだか九州人ってさあ、博多の人間も薩摩の人間もそうだけど、みんな「自分とこのほうが東京や京都より伝統がある」って思ってる鼻持ちならないヤツらばかりなのな。オノレを知らないのである。

 それはさておき。
 出張先のありかも知らず、まあ、列車に乗りゃあ、勝手に現地まで運んでってくれるんだしな、とタカを括って、フフンフンと鼻歌うたって出掛けたはいいのだがだが。
 列車の時刻表もしっかり確認しておいたのに、バスが渋滞に巻き込まれる。いつもは15分しかからない道のりが45分。
 博多駅に着いた時には、快速列車が5分前に出たばかりだった。
 これはマズイ、このままでは遅刻だと、慌てて時刻評を繰ると……。5分後に出る特急列車が、先発の快速を追い越して、久留米で停車する。そこから快速に乗り継げば、八女の「羽犬塚」駅まで、時間までに辿りつく。おお、これならバッチリ!
 ……なんだか時刻表トリックを実地で体験してるみたいだな。

 久留米駅で快速を待っていると、突然「くええええええっ!」とけたたましい声。何の鳴き声かと思ったら、駅の構内に孔雀の檻があるのだった。
 なんでこんなところに? と思って看板を見たら、近くに鳥類センターみたいな施設があるそうである。その昔、皇太子夫妻(今の天皇)が訪ねたこともある由緒正しいものだそうで、そのときも美智子妃殿下が駅に降り立った途端、孔雀が鳴いてお迎えしたそうである。
 孔雀ってそんなにしょっちゅう鳴いてるものなのか。普通、鳥が鳴くってのは求愛の合図か、オスどうしのケンカかなんかじゃないか、と思うんだが。
 あまりそういうのにお迎えしてもらっても、たいしてうれしかないような気がするぞ。

 快速にうまく乗りこめて、これでなんとか間に合うか……と思ったら、羽犬塚からタクシーを拾うとまた渋滞。
 タクシーの運ちゃん、「なんですか、この渋滞は。いつもなら10分で着くんですよ。八女でなにがあってるんですか?」
 「実は○○○○○○○○なんですよ」
 ……運ちゃんにはなんのことやらよくわからなかったようである。

 結局15分ほど遅刻してしまったのだが、なんとなんの支障もなかった。
 この渋滞のせいで、ほかの出張者もやたら遅刻しまくっていたからである。
 ……だったら特急に乗らなくてもよかったなあ。出張だからって、特急代は、当然、自腹なのである。

 現地で旧知のSさんと会う。
 と言っても、最後に会ったのが4年前なので、近況は全く知らない。
 Sさんはよしひと嬢と共通の知人でもあるのだが、よしひと嬢の知り合いの女性と結婚したとのウワサがあった。
 そのあたりのことを聞いてみてもよかったのだが、聞かなきゃならんということでもなかったので、会話は当り障りのないものになる。
 もう少しワイドショー的好奇心が私にあれば、他人のヒミツもいろいろと探り出せるのだろうが、どうもそういう方面への意欲が湧かないのである。
 「よしひとさんのこと、覚えてますか?」
 「うん、今なにしとうかね?」
 「ウチの劇団で女優やってますよ」
 「あ、福岡に来てるの?」
 「いや、北九州から通ってるんです」
 Sさん、眼を丸くしていたが、まあそりゃ当然だろうなあ。

 つまんない出張に終わるかと思ったら、意外に楽しかった。ホントに内容を詳述できたらいいんだがなあ。内輪のことを暴露されちゃ困るというのは、それだけ脛に傷を持ってるって証拠じゃないか。と愚痴っても仕方ないな。
 退職したら、今の職場がどれだけくだらないことをしまくってたか、実名入りで暴露してやろうっと。

 八女と言えばお茶である。
 土産にお茶でも買おうかと思ったが、博多でも手に入る八女茶を買って帰るってのもアホらしいので、土産はナシ。
 

 博多駅で紀伊國屋書店に寄る。
 最近、結構本を買いこんでいて、しかもあまり読み切れていないので、ほんの冷やかしのつもりだったのだ。
 でも、こういうときに限って、「これは!」ってものを見つけちゃうんだよねえ。
 なんと、そこで。
 とうの昔に絶版になっていた『ロマンアルバム・太陽の王子ホルスの大冒険』の復刻を発見!
 マジで幻かと思っちゃったもんねえ。昔、買おうかどうしようか迷って、結局グズグズしてるうちに手に入らなくなって、臍を噛んでたのに。
 もう、速攻で買っちゃいましたよ。内容は昔、舐めるように読んでいたので、今更、新発見もあるはずはないのだけれど、やはり数々のイメージボードに見られる宮崎駿の早熟ぶりに目を見張らされてしまうのである。
 もりやすじの描く「善と悪とに引き裂かれる迷いと憂いの漂うヒルダ」ももちろん最高なのだけれど、このイメージボード通りの「男の子のように気丈なヒルダ」(もちろんこのイメージは、後の『どうぶつ宝島』のキャッシーに受け継がれる)もいいなあ。
 佐藤忠男がヒルダについて「描写不足」と批評したのは眼が曇ってるとしか思えない(だいたいこいつは『七人の侍』ですら「再軍備映画」とトンチンカンな批評をしたアホなのである)。
 宮崎監督に次回作が有り得るかどうか分らない今、おそらくこれが最後の復刻である。アニメファンなら、ぜひ買うべし。


 マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん シロ編/幼稚園編』。
 ああっ! 『オトナ帝国の逆襲』で、みさえがしんちゃんにネギあげるネタ、元ネタが原作自体にあったんだ!
 しんちゃんがシロに最初に与えたエサがネギだったのである。
 というか、これ、ちゃんと読んでたよ、私。
 このあいだの『チビ太の金庫破り』の件といい、ホントに記憶力が減退しているのだなあ。
 いずれ人間ボケるということを考えると、ココロの問題でヒトが悩むこと自体、無意味だよなあ、という気になる。


 マンガ、加藤元浩『Q.E.D.証明終了』10巻。
 シリーズ初の長編『魔女の手の中に』、なんと「法廷ミステリ」である。
 ミステリマンガは数あれど、「法廷ミステリ」に挑戦したものはなかなか見当たらない。
 やはり法廷での丁丁発止をマンガとして描くだけの紙数をなかなか与えてもらえないだろうこと、それに、絵にした時にあまりインパクトがあるとは思えない法廷でのやりとりをいかに魅力的に演出するか、よっぽど力量がないとどうしてもダレてしまうこと、その辺に理由があるのではないか。
 『コナン』も『金田一少年』も逃げていたその「法廷ミステリ」に『Q.E.D.』は挑んだのである。それだけでも作者の「志」を評価したい。
 前にも書いたがこの作者、決してマンガがうまいわけではない。特に口の表現が単調なせいで、表情のバリエーションを利かせられない欠点がある。しかしそれを補うだけの構成力がこの作者にはあるのだ。
 舞台はアメリカ、マサチューセッツ、セーラムの町。
 事件の被害者は陰で密輸を行っていた大富豪、被告は自己啓発セミナーに通っていた富豪の妻。
 被告に同情的な世論は、この事件をセーラムの魔女伝説に因んで、現代の「魔女裁判」であると見なす。
 主人公の燈馬は、ふとしたことからこの事件の検察官、アニーと知り合い、事件の真相解明に協力することになるが……。
 この「魔女」の伝説その他の伏線が、ラストに効果的に収斂していく様は見事だ。やはり法廷ものともなれば、これくらいの分量がないとうまく展開できないのだな。
 

 木原敏江『マンガ日本の古典28 雨月物語』。
 『摩利と新吾』も『アンジェリク』も読んだことはないが、名のみ高いので相当な実力者だと思っていたのだ、木原敏江。
 全然。
 ドジ様ファンには申し訳ないが、キャラクターデザイン、構成、構図、いずれもとりたてて誉めるほどのものではない。古典をムリヤリ少女マンガに引き写した気持ち悪さが全編に漂っていて、どうにも読んでて背筋がムズムズとするのだ。
 ……そうだなあ、ヅカの演じる新撰組とか、ああいう感じ? ヅカファン以外には楽しめないんじゃないか?
 マンガ化されてるのは『菊花の約』『浅茅が宿』『吉備津の釜』『蛇性の婬』の四作だけど、この選択自体に、読者を女性に絞っていることがアリアリと見える。
 男の漫画家だったら、『白峯』を外すことは絶対しないけどな。 


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』2巻。
 第1部の終わり、打ち切られただけあって、もう展開がバタバタだなあ。
 それまでせっかく育ててきたキャラが全部死ぬってのは、まるで火浦功。
 まあ、第2部以降が仕切り直しの本編ってことなんだろうから、この程度の欠点に目くじら立てるのも悪いかな。
 後書きで和田慎二、「水晶の姫オリエにはモデルがいます」と言っているが、その名前を明かしていないのは、現在の彼女がかつての「CM美少女」のイメージからかけ離れてしまったせいかな? 説教臭いおばはんになっちゃったもんなあ、ヒロコ・グレース。
 ……すまんね、私もムカシはいいなと思ってたよ(-_-;)。


 DVD『ウルトラQ』第3巻。
 『クモ男爵』。どの作品もモノクロで作られたことが実にいい効果を出していると思えるのだが、本作はその白眉だろう。ラストの館崩壊も唐突だけど、これは不条理劇だからいいのだ。ゲストの若林映子さん、美しいなあ。
 『地底超特急西へ』。声優度高し。石川進、大塚周夫、和久井節緒はナマ出演。更に乗務員役で脚本の金城哲夫がチョイ役出演。こういうこと、ちゃんとパンフに書いておけよな。M1号は後に江口寿史の『なんとかなるでショ!!』にも出演(^^)。パロディにされまくったキャラだよなあ。しかし、子供のころ見たときも思ったけど、結局イタチは助かったのかよ? この作品が実質的な最終回ってのもなんだかなあ。
 『バルンガ』。私の『ウルトラQ』ベストワンである。なんたって青野平義の奈良丸博士の演技が絶品である。「おそらくムダだろう」「科学者は気休めは言えんのだよ」。ここまで冷徹なヒトコトを無表情で言い切る。凄い。平田昭彦以上だ。個人的な私の特撮三大博士は、芹沢博士、ドクター・フーとこの奈良丸博士なのである。
 このシーンでの患者の家族役で二代目マスオさんの増岡弘さんがアテレコ出演。これももちろんクレジットにはなし。マニアでちゃんとしたキャスト表を作らんかなあ。
 『鳥を見た』
 ラルゲユウスは、昔の怪獣図鑑ではなぜか「ラルゲリュース」「ラルギュース」とか、表記がマチマチだった。セリフではっきり一の谷博士が「ラルゲユウス」と言っている。なのになんでデータがいい加減だったのかなあ。
 更に言えば「ラルゲユウス」ってどんな意味? 巨大鳥?


2001年07月29日(日) いっじわっるはっ、たっのしっいなっ/『竜が滅ぶ日』(長谷川裕一)ほか

 黒澤明監督の映画化されずに終わったシナリオ(って山ほどあるんだけど)、『海は見ていた』(原作は山本周五郎『つゆのひぬま』『なんの花か薫る』)、一時期は小泉尭史監督が『雨あがる』に続いて映画化するとか、黒澤久雄が監督するとかウワサが飛んでいたけれど、結局、熊井啓が、「黒澤組のスタッフ・キャストを一切使わない」「脚本を改訂しても構わない」という条件で黒澤久雄と合意したらしい。
 (ニュースとしては先週記者会見があったらしいけど、知ったのが遅れたので今日の分に書く。)
 確かにねえ、清水美砂、遠野凪子、永瀬正敏、吉岡秀隆ってのは従来の黒澤組から考えると「異色」には違いない。どう映画化したって、誉めるにせよ貶すにせよ、「黒澤が映画化してたら」という冠詞がつくことを考えたら、いっそのこと全くの白紙から映画化しようとした熊井監督の気持ちも分らないではないのだ。
 でも熊井監督だから仕方ないと言えば仕方ないのかも知れないけど、いくらなんでもキャスティングが地味過ぎないか?
 日本の役者層が薄いってことは解りはするんだけれどもね、でも、知名度云々以前に、この人たち、そんなに演技力あるのか?
 清水美砂は『未来の思い出』しか記憶にないから(チョイ役で見たことならあるけど)何とも言えないが、男優陣、永瀬も吉岡もなぜこうも重宝されてるか分らないのだよなあ。永瀬はカッコつけてるだけだし、吉岡は私にゃ押井守が演技してるようにしか見えない。演技力以前に「華」がないとも言える。
 「黒澤明」映画である以前に「山本周五郎」映画でもあるのだよ。そのことを考えたらこのキャストは「心の華」(今作ったコトバ)にも欠けると思うのだがどんなもんだろうか。
 これで全てのキャストがそろったってわけでもなかろうから、脇役陣の発表に期待をしよう。


 福岡にも、いよいよ「マツモトキヨシ」がオープンするようである。
 そのCMがテレビで流れ始めているのだが、いかにも「福岡進出!」というイメージを打ち出しているのが笑える。
 女の子をナンパしている若い男、「君、博多生まれだって? 訛りないね」
 女の子、気取って「ずっと東京にいたから……」
 「今度博多にマツモトキヨシができるって知ってる?」
 「え? ちかっぱ、ビックリ!」
 思わず引く男の子を見て、女の子「超ビックリ……」と言い直す。

 他地方の人にはいささか解説が必要か。
 「ちかっぱ」は「力一杯」の省略形。確かに「とても」「非常に」の意味を表す副詞として福岡で使われてはいるが、まあ使ってるのは10代、20代の、しかも多少ガキっぽい連中で、男の子は使っていても、女の子はあまり使わない……と思う。ちょっと前までは「バリ」を使って「バリうま=とても美味しい」とか「バリしけ=たいそう白ける」とか言ってる場合の方が多かった。
 でも30代、40代は全くと言っていいほど使わないから、これは博多弁と言うよりは福岡の「若者語」と考えた方が妥当だろう。「バリ」が消えつつある今、「ちかっぱ」もどこまで生き残るものやら。

 もともとの博多弁でこういう程度を表す副詞はなにかと言われると、「えらく」「えらか」が思いつく(「えらくきつか=とても苦しい」とか「えらか雨やね=ひどい雨だね」とかいった使い方)のだが、「ちかっぱ」ほどに強くはない。「ちかっぱむかつく」なんて若い人は平気で使ってるけど、私なんかは全然こんな言い方はしない、というよりはできない。だって「ムカツク」こと自体殆どないんだもの。
 別にこれは私が人間がデキているわけではなくて、純粋な博多弁でいうなら、「腹かいて=怒って」終わりになっちゃうからなんだよね。
 「怒り」が持続しないのである。だからとても長いこと「むかついて」なんていられない。それに、博多弁の「腹かく」は共通語の「腹が立つ」とも意味が違う。「ムカツク」や「腹が立つ」は、自分を怒らせた相手に対しても「ムカツクやつ」「腹が立つやつ」という使い方ができるが、「腹かく」は相手には使えないのだ。更に、実際の用例は「腹かいた」と殆どが過去形。
 つまり、怒りの感情が、自分の内部だけに留まり、あっという間に昇華してしまい、あとに残らないのだと考えていただければよい。それが博多人の本来の性格なのである。
 これくらい感情がさっぱりしていれば、「えらく」などの程度の甚だしさを表す言葉だって、そうそう使いはしないのだということがご理解いただけるだろう。他地方から来た人は、口調から博多弁が激しい言語だと錯覚してるようだが、それはごく一部の人々が使っているものであって、もともとの博多弁は、至極、柔らかいものなのだ。
 何度もこの日記に書いてるけど、武田鉄矢は博多人じゃないからね。あれを基準にしないように。
 ほかにも「ものすご」「ものごつ」などの副詞が博多弁には存在するが、これも「えらく」同様、形容詞の副詞的用法から派生した副詞である
にはないのである。
 まあ、「バリ」よりは「ちかっぱ」の方が、意味不明でない分、まだ許せるかな。って別に私が許したりするものでもないんだが。



 定例の劇団の練習日であるが、やっぱりしげは家事を一切していない。
 今週は腰を痛めたという言い訳があるから、なおのこと私に甘えてグータラしている。
 洗濯物が溜まりっぱなしなので、仕方なくまた一週間分の洗濯物を洗濯機に突っ込んでは、ぐわらぐわらと洗っては干し、洗っては干し。
 しかしこう毎回、家事に時間がかかっていては、永遠に練習に参加できないが、しげは要するに私に練習に参加するなということだろうか。だったらさっさと代役を探してもらわないと、困るのは自分の方だと思うぞ。

 遅れて「パピオ」に着いたのは12時過ぎ。
 それでも先週よりは早い。風呂や便所掃除はやっぱり後回しにせざるをえなかったけど。
 今週は、よしひと嬢、穂稀嬢に加え、仕事で佐賀(だったっけ?)に出張していた其ノ他くん、鴉丸嬢も参加。

 其ノ他くん、今回の私の脚本では、相当ムズカシイ、イヤな役を振っているが、「いいの? これ演じても」と聞くと、「まあ、しゃあないっすね」との返事。でも実はある程度はアテガキしているので基本的に「やりにくさ」はないのである。
 それは他のキャラについても同じで、鴉丸嬢など、「自分はこんなんじゃない」と思ってるかもしれないけれど、演劇的な誇張はあれ、結構近い部分があるのである。本人が気づいてないだけで。
 そういうのを演じさせようってんだから、私も意地悪なやつである。

 まず私の脚本の演出プランについての打ち合わせ。
 よしひと嬢、特定のキャラについて「振付が必要だなあ」と漏らすが、基本的にどのキャラにも振り付けは必要なのだがなあ。
 どうもよしひと嬢には、まだまだこの芝居を成立させるための演出プランがよく見えていないようなのである。
 もちろん、芝居がナマモノである以上、「やってみなけりゃ分らない」部分は多々ある。でも実はあの脚本、書いた時点で「これはこう演出しないと芝居が成り立たないなあ」という、ある「仕掛け」を施しているのである。
 脚本を提出した段階で、誰かそれに気がつくかなあ、と思ったが、残念ながら見事なくらいに誰も気づかなかったねえ。

 これは音響を担当する(予定の)私もプランニングせねばならぬことなので、明言しておくが、今回の芝居、一応「ミュージカル仕立て」という微妙な言い方をしているが、たとえ詞の内容がどんなにアホでも、演出的には思いきり「本格ミュージカル」を目指さなければウケない仕組みになっているのだ。

 ウチの俳優の欠点は、自分たちの演技に対する客観的な視点を全く持っていない(簡単に言えば、自分たちが客にどう見えているか全くわかっていない)ことなのだが、おそらく演出する方も、どんな演出をつけたら、どんなふうに見えるか、というものがまだ掴めていないのだろう。
 振付けをつけるにしてもそこには緩急のリズムというものが必要なのであり、不必要なところで妙な動きをつけても、違和感を生じさせるばかりなのである。
 そして、各キャラクターのコントラストをつけつつ、それをアンサンブルとして織り上げていかねばならない。ミュージカルは演技で見せる交響曲なのであって、実は全ての演劇はたとえ歌がなくともセリフと体技で見せるミュージカルでなければならないのだ。
 文学が全て詩から始まっているように、演劇は全て舞楽から始まってるのだから。

 SE・MEの類は0.1秒の狂いも許されない。言い替えれば、録音したMDの操作では絶対に臨場感が出ない箇所が多々あるのだ。部分的にはナマ音(その場での演奏)を行わなければ、演出は不可能なのである。
 音響スタッフ、私一人では絶対に足りない。練習に参加できる音響スタッフが、あと三人は必要なのだ。……よしひとさん、そのことに気がついてたかなあ。ふっふっふ(←マジ意地悪)。

 今更「この脚本やめよう」と言っても遅いんだもんね。
 私が何度も「いいの? これでホントに?」って言ったのに、その意味、全然わかってなかったでしょ? でも、自分たちでゴーサイン出したんだからもう覚悟してもらうしかないんだよ?
 面白いもの作ろうと思ったら、当然本格的にやらなきゃならないところが出てくるのだよ。前に書いたシナリオのほうがずっとやりやすかったんだけど、もう後の祭り。ムズカシイ方を選んだ以上は妥協しないで「完璧」を目指してくださいね。
 あまり意地悪ばかり言ってもなんだから、一つ、解決策を指示しとこう。
 窮余の一策として、スタッフが足りないのなら、俳優たち本人に演奏させる、という手もあるのだよ。つまり「弾き語り」ね。
 でもそれにしたって、そのときはみんなちゃんと練習しなくちゃならないんだよ、振りつけコミでね。
 ……ホントにみんな覚悟してるのかな?
 
 もう一本の芝居(今回は二本立てなのである)、よしひと嬢の方のシナリオ第2稿、未だ完成せず。
 それ自体を責めるつもりはないのだが、私の脚本ができあがっていない時は「キャラクターのイメージが固められない」と文句つけてたしげが、いざ自分が演出する立場に回った途端に、未定稿でもどんどん役作りに注文をつけまくるのは矛盾している。
 今の段階で言えることは、せいぜい「間の取り方」の注文程度ではないのか。キャラの内面にまで踏み込むことは不可能なはずである。特に穂稀嬢は初めての演技なのだし、もっとのびのびと演技させないでどうするのだ。
 はっきり言うがしげが注文つけるたびに穂稀嬢の演技、悪くなってるぞ。先週の一番初めの演技が最高で、後はどんどんレベルダウンしている。
 その辺さりげなく指摘してるのに気がつかないんだものなあ。
 だから、しげはこの芝居で客をどう面白がらせたいのか。笑わせたいのか泣かせたいのか。もっと微妙なものを感じさせたい、というようなシナリオではないので、その辺、はっきりさせないと客は戸惑うばかりだろう。
 私生活で血の巡りが悪いやつが、芝居の時だけマトモになるなんてことは有り得ないのだ。北島マヤじゃないんだから。

 余談。
 よしひと嬢があるセリフを言うとき、私が「バルタン星人に乗り移られたアラシ隊員みたいな口調で喋ったら?」と譬えたら、意味が分ったの、よしひと嬢だけだった……。
 嗚呼、昭和は遠くなりにけり。


 2時半、突然、鈴邑君が来て、いきなり横になって寝たかと思うと、3時にムックリ起きだして、挨拶もせずに帰っていった。
 みんな驚いて、鴉丸嬢などは「何か怒ったの?」と狼狽していたが、鈴邑君はいつもあんな調子で悪気はないのである。自分の言葉をさし挟むところではない、と判断したら全く喋らなかったりするが、たとえ本当に鈴邑君が怒っていたとしてもそれは別に気にすることではない。
 役者(演劇に関わる者)は、言うべきことがある時は言う。言わないことに対して動揺するのは覚悟が足りないだけである。

 私のこの文章も、随分直截的に書いてあるが、練習の現場では口にしなかったことだ。
 別に意見を言ってもしかたがないとあきらめていたわけではない。血の巡りが悪いしげに直接何かを言ったって、その場でフリーズして思考停止に陥ることは解りきっているからである。
 こうして書いておけば、間を置いて自分のペースでゆっくり考えることができるし、私の意見を乗り越えるアイデアを考えつくことだってできる。まあ、あれだね、前の芝居でよしひと嬢が藤田くんに、「どう演技したらいいか、現場で思いつかなかったら、ゆっくり考えてメモにして」と依頼したのと同じような方法だね。
 確か、あの時、藤田くんはちゃんとメモ出さなかったみたいだけど、そのことについてしげは随分怒ってたから、私の今までの意見も無視はしないだろう。
 期待してるよ。家事も芝居も。
 
 さて、そろそろ芝居のタイトルを考えねばならない、ということで、練習後にみんなで相談。
 今回二本立てということもあって、各タイトルと総合タイトルの三本を考えねばならないので大変である。でもいろいろ出してもらっても、これといったインパクトのものがない。
 結局、仮題としてつけていたものがほぼそのままタイトルとなる。
 問題は総合タイトルだ。

 で、ここで其ノ他君がとんでもないタイトルを提案。
 聞いた途端に全員が爆笑した。
 劇団ホームページにもまだUPしてないので、ここで明かすわけにはいかないのだが、こりゃヒド過ぎるよ、こんなんじゃ客は誰も来ねえよ、という脱力もの、センスのカケラもない。
 でも、最高のインパクトがあったのだ。
 で、決定しちゃった(-_-;)。
 いいのか? 本当にいいのか? 下手すりゃ、演劇集団 P.P.Produce、最低の入場者数を更新するぞ?

 まあ、仏滅に結婚式あげるようなもんかな。


 其ノ他君と鴉丸嬢は先に帰り、「パピオ」のレストランで食事。
 なんだか先週と同じメンツだなあ。
 「そう言えば今日、選挙ですね」と、よしひと嬢が尋ねてくる。「選挙行きましたか?」
 政治的なコメントについては、まあぎりぎりバカ話程度に思ってもらえる程度のことは、この日記にも今までに書いてきているが、支持政党まで類推されるような発言は避けざるをえない。
 私は気にしないが周囲に気にするバカがいるのである。
 しかしはっきり言えることは、私がどの政党に投票しようが大勢に何の影響もないということだ。
 昨日も一昨日も、いや、それ以前から、どこぞからなにやらのコンタクトがあったが、私は私にコンタクトしてくる政治家くらい信用ならないものはないと思っている。
 またまたグラウチョ・マルクスの名言のパクリでした。だって使いやすいんだもん。

 でもこのセリフには落し穴があるのである。
 しげもときどき、「私を好きになる人間なんて信用できない」と口にするのだが、ならば私は当然、しげのことを「嫌いだ」と言い続けなきゃならん理屈になるのだ。
 ……言ってほしいのかな、しげは。

 しかし、今日のしげとよしひと嬢との駄弁りは実に有意義であった。
 今まで十数年、明らかでなかったある事実が判明したのである。
 今だから言えることだが、昔、私はしげとの結婚をある事情から迷っていた。
 いや、ある事情って、しげが未成年だったってことなんだけど。
 しげの果敢なアタックに根負けしかけていた私は、しげに、「よしひとさんに相談してみないか」と下駄を預けたのである(しげとよしひと嬢と私は十年越しの知り合いなのだ)。
 もちろん、よしひと嬢に「あまり早まんないほうがいいよ」と言ってもらうために。
 で、相談を受けたよしひと嬢の返事はどうだったかというと。
 「あ〜? 好きにすればいいんじゃない?」

 その一言が、しげと私との間にあったベルリンの壁を完全に破壊したのである。

 さて、その事実を知ったよしひと嬢曰く。
 「え〜? 全然覚えてない〜。そんなこと言ったぁ?」

 はっはっは。よしひとさん、自分も知らぬ間に愛のキューピットになっていたのだね。
 更に追い討ちをかけるように、よしひと嬢曰く。
 「いいじゃないすか、ちゃんと続いてるんだし」

 もちろん、全ては私の「堪忍」に拠るものだということは、この日記をお読みのみなさんにはご理解いただけることと思う。 
 ホントにありがとう。心から感謝してるよ、よしひとさん♪


 食事をすませて帰ろうとすると、またしげがスーパーミルクちゃんの真似をして「寿司食いに行っかあ!」と叫び出す。
 いい加減、聞いてて腹が立っていたので、「よし、じゃあ行こう」と答える。
 「食べたばかりでおなかに入らないよ」
 と言うので、「じゃ、俺一人で行く」と、しげを置き去りにする。
 しげが後ろで泣いてた気もするが気のせいだろう。

 で、ちゃんとお土産に寿司を買って帰ってやるのである。
 さて、こういう行為ははたして愛か憎悪か。


 マンガ、長谷川裕一『スーパーロボット大戦α THE STORY 竜が滅ぶ日』。
 昔、『マジンガーZ対デビルマン』という映画があった。
 『グレートマジンガー対ゲッターロボ』『グレートマジンガー対ゲッターロボG 空中大激突』『グレンダイザ−・ゲッターロボG・グレートマジンガー 決戦!大海獣』なんてのもあった。
 私は、それらの映画をほぼ全部見ている。中学生に上がるまで、東宝チャンピオン祭りと東映まんが祭りはほぼ欠かさず見に行っていたし(それ以降行かなくなったのはそろそろマンガは卒業、という意識からではなく、親に禁止されたからである)、見損なっていたものも全部テレビでチェックしていたからだ。
 嫌いな作品でもである。
 そう、実はこれらの他作品とのリンクシリーズに私は当時腹を立てていた。
 世界観が違うじゃないか。
 これらの世界がリンクするものならば、なぜテレビシリーズでもミケーネの侵略にゲッターが出張ってこず、百鬼帝国と戦うゲッターGを応援しにグレートが駆けつけないのかと。
 よしんばそれを認めてもタイトルに偽りありじゃないかと憤っていた。
 マジンガーとゲッターは「対」してなどいず、ライバル意識こそあれ、ちゃんと共闘していたからである。
 これらの映画は、映画だけのお祭り、というより、人気取りの姑息な手段と私の目には写ったのだ(だから私は手塚治虫のキャラクターシステムも基本的には嫌いである)。
 ましてや、『スーパーロボット大戦』である。
 一応、全く架空の歴史を作って、原作とは全く係わり合いはないとはしてある。しかし、これだけ多様なデザインのロボットと敵が同時平行して存在し、かつ単純に両陣営に分れている馬鹿馬鹿しさには付いていけなかった。
 こんなデタラメなシリーズがあるか。
 で、この本も全く期待せずに読んだのだ。ゲームでなら設定など考えずにロボット同士を戦わせられても、マンガでそれをやるのは無理だろうと。
 確かに無茶だった。
 妖魔帝国が復活し、メガノイドの反乱があり、ティターンズが台頭して、恐竜帝国が侵攻を開始している世界。
 迎え撃つ、ライディーン、ダイターン3、グルンガスト、ジャイアントロボ、そして、ゲッターロボ。整合性なんてハナから考えちゃいない。  
 でも。
 マジンガーは?
 あろうことか、恐竜帝国に寝返っていたのである!
 つまり、マジンガーZ対ゲッターロボが、ただのゲーム上の対戦ではなく、ある設定のもとに、本当に実現されていたのだ。うーむこれは。
 ちょっと、私の心の中で何かが動いた。
 でも、まだ何かが足りない。この程度で燃えられるものかと思っていた。
 しかし。

 ああっ、ガミアQが地球連邦(byガンダム)の制服を着ているうううっ!
 (何のことか分かるヤツは相当なスケベだ。って私だよ)
 これは名作です。みんな読みなさい(^^)。

 しかし巻末のゲッターロボ斬、これももしかしたらいずれ『ゲッターロボサーガ』の中に組みこまれていくのだろうか……?



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)