無責任賛歌
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| 2001年07月22日(日) |
愚か者の舟/『ハッピーマニア』1巻(安野モヨコ)ほか |
なんだかまた悲惨な事件が起こってるなあ。 兵庫県明石市で行われた花火大会の直後、JR朝霧駅前の歩道橋に殺到していた観覧客の一群が、改札ホーム前の階段付近で将棋倒し、十人が死んだとか。 死んだのは殆どが老人、あるいは年端も行かない赤子・子供ばかりである。 さて、こういう悲惨な事故に巻き込まれて亡くなられた方々のご冥福を祈るに吝かではないのだが。
でも、私の性格の悪いところで、どうしても次の三文字が頭に浮かんでしまうのですねえ。 「馬鹿?」 別に死者に鞭打つつもりはないよ。誰が一番悪いかって、そりゃ市とか警察が警備を怠った点にあるのに決まってるんだから。 でもだ。
別に行政の不手際を庇うつもりはないけれど、予め身動きできなくなるほど混雑するって、見物客がわからなかったはずはないんじゃなにいか? ケガする危険性だって少なくはないとわかっていながら、なぜみんなそんなところに行くのかね。 混雑客が将棋倒しになって、ってのは今に始まった事故じゃない。デパートのエスカレーターでだって起こり得る事態だ。けれど、開店時や時間限定のバーゲンなんかを避ければ、まずそんな事故に遭遇することはない。 結局は「今しか見られないから」とか、「より見やすいところで見たい」「他人より少しでも前に出たい」という欲(「願い」もまた「欲」だってこと、忘れちゃいかんよな)が引き起こした結果ではないのか。 自分のことしか考えてない連中が集まったから、階段を上ってくるやつと降りてくるやつがぶつかってどうにも動けなくなったのだろう。 そんな危険なところへ小さな子供を連れて行ったというのは私に言わせりゃどうかしている。それどころか親が同伴せず、子供だけで行かせたケースもあったようだ。……低学年の子を夜間徘徊させる親はどう考えても異常だろう。 親も加害者の一人ではないのか。
……てなことは、子供を殺した親が一番感じてるだろうから、誰も言わないけどね。でも、それが冷徹な事実というものである。 私ゃ、いつぞやの、河原にキャンプして川に流された家族を思い出したねえ。「子供に思い出を」とか「子供とのコミュニケーションを」とか考えてるのかどうか知らんが、やたらとイベントがあれば子供を連れ出す親がいるがね、それがただの親のエゴである場合も多いのだよ。今回のケースがそれにストレートに当てはまるとは思わないが、子供が親の勝手な思いこみのせいでかえって迷惑してる場合もあるのではないか。 ……思い返せば、そんなところには子供をしょっちゅう連れ出して疲れさせるくせに、子供が行きたがるところには連れて行ってくれないのがウチの親だったよなあ。 ナントカ牧場だのカントカ洞窟だの、遺跡だの史跡だの重要文化財だの、教育効果を考えてなのか、そういうクソ面白くもないところばっかり、ヒトを引きずりまわして自分だけ悦に入ってたがよ、わしゃ未だに『メカゴジラの逆襲』に連れて行ってくれなかったこと、うらんどるからな〜。 そしてアレですよアレ、「大阪万博」の「月の石」!
……見たかったんだ。 「アメリカ館」のを見たかったんだ。 「ブリティッシュコロンビア館」の間に合わせなんかじゃなくて。 コドモが本当に見たいものなんて、オトナには決して分らないのさ。 うっうっうっ(ノ_<。)。
毎年、百道だの大濠公園だので花火大会があるたびに、花火が好きなしげは「ああ、行きたいなあ」とは言うのだ。 ならばと、私が「行くかい?」と声をかけると、しげは首を横に振るのだ。 花火は好きでも、混雑がなにより大嫌いなしげは、くたびれるくらいならかえって行かないほうがいい、と考えるのだ。面白味はないが、それは一つの見識であろう。
この三連休、しげは買い物一つ、片付け一つしなかった。 以前から何度もくどいくらいに、芝居をやるなら家事もきちんとやれ、とは言っているのだ。 でも、溜まる洗濯ものを洗いも干しもしないし、ゴミを片付けもしない。 たまにまとめてやっても何ヶ月かに一回じゃやってるとはとても言えない。日頃、仕事の合間を見てやってるのは私なのだ。 確かに「いい加減でやれよ」とこちらが命令すれば渋々と行動しはする。 しかし、「言われなくてもする」ことが当たり前なことを「言わなきゃやらない」と言うのは威張れた話ではない。 でもそれで威張ってるのだよな、しげは。 「ちゃんと片付けたもん」って。 言われてなけりゃ、やってないくせに、なに威張ってんだボケが。 今回はそう言う言い訳をさせないために、あえてしげに何も言わなかった。 結果は明白である。 しげは「全く」家事をしなかった。言い訳は成り立たない。
で、結局、私が片付けだのなんだのをせねばならなくなるのだけれど、私が家事をやれるのは休みの日しかないのだよね。 その休みの日に練習を入れられたら、ウチで家事をやるものがいなくなる。 私が脚本以外で芝居に参加したくないのはその辺にも理由があるのだ。しげと何度も「家事もちゃんとやります」と約束したが、一度も守ったことがないし、今度も同様だろう。 なら、練習と家事とどちらを優先させるかは決まっている。 ましてや今年、私は休日出勤も多いのだ。
……というわけで、劇団のみなさん。 私は家事と仕事のために殆ど練習に参加できませんが、そういう事情は予めしげに伝えてあることです。 にもかかわらず、演出がムリヤリ私をキャスティングしたのですから、時間が足りない分、役作りについて、基本線は演出の意図を汲むとしても、肉付けは私のほうである程度勝手にやらして貰います。というか、そうさせてもらわなきゃできんよ。打ち合わせする時間なんてないんだから。 同様に、音響プランもこの夏中に、演出意図無視で(っつーか、まだまとまってないんでしょうけど)パッパと進めようと思ってますがその辺はよしひとさん、どうかご容赦。
それにしても、洗濯モノ一つとってみても、二人の一週間分を全部一日でやっちまわなきゃならないんだもんなあ。 干し場自体が全然足りないのだ。 食料の買い置きもない。コメの一粒も残ってない。 洗い場は昨日洗いきれなかった食器が未だに異臭を放っている。 スーパーとウチを二往復して、物干し用のハンガーやら、洗剤やら、柔軟剤やら、コメやら、シャンプーやら、ともかく家事のためのモノを買いこんでくる。 そして洗濯機を回すこと3回、台所を必死で片付けたころにはもう練習が終わろうかという時間。 ……でも、風呂掃除とトイレ掃除、玄関の掃除もまだ残っているのだよなあ。 そこまでやっていたら、とても練習に顔を出すことすらできないので、仕方なく切り上げて吉塚のパピオに向かう。
3時ごろ(あと30分しかねーや)にようやく到着。 案の定、「遅かったね」とは言っても、しげは強く追求はしない。そりゃ、自分が家事ほっぽらかしてる負い目があるからな。 よしひと嬢のシナリオはまだ第2稿が完成せず。 とりあえず、冒頭部分だけでもあわせてみる。 穂稀嬢がなんと私の愛人役である。 ……なんつーかねー、私と穂稀嬢、親子ほどトシが離れてるんだよね。私が大学生のころにはこの世に影も形もなかったんだから。二人並べて、はい、カップルですよって、誰が信じるかってんだ。私はしょぼくれたデブの中年だし、穂稀嬢は今が花の美少女である。釣り合わないことこの上ない(そもそも私をキャスティングした時点で無理があるのだ)。 それをただのエンコーじゃない、ちゃんとした愛人にするってんだから、こいつは相当な外道だ、と思って、冷酷なキャラで演じてみた。 穂稀嬢がまた、トシは若いのだが、セリフを言わせるとまあ、なかなか色っぽいのな。 こっちも外道になってるから、合わせてみるとなんだか日活フィルムノワールみたいな雰囲気が漂う。 こりゃ、いいセン行くかなあ、と思っていたら、演出のしげからダメだしが出た。 「もっと若くやって。20代後半くらいで」 ……はい?(・・;) 「それじゃ冷たい中年オヤジだから」 いや、実際その通りなんスけど。 「ハカセ(穂稀嬢のことね)も、甘えるような感じじゃなくて男より立場が上って感じで」 どうも演出は、愛人のシリに敷かれた若い男ってのを演出したいらしい。 でもなあ、男ってのは自分のプライド犠牲にしてまで愛人作ったりはしないものだがなあ。その点でいけばその演出、あまりリアリティのあるものとは言い難い。 けれど、私に20代を演じろ、ということはとりもなおさずリアルな演出はしない、ということなのだな? 非リアルな、エキセントリックな演技を求めるのならば、それはそれでやりようはあるのだが、さて、本当のところどうなのだろう。 どっちにしろ脚本が完成していない段階で「その解釈はおかしい」とも言えない。第一稿とはキャラクターが相当変わるということだから、その結末を参考にすることもできない。 しばらくは手探りで行くしかないなあ。 入院している間にいろいろ考えてみるかな。でも病室で(多分、大部屋)セリフの練習するわけにもいかないし、イメージトレーニングするしかないなあ。 よしひと嬢との掛け合いの方は、なかなかテンポがよい。 と言うか、こちらの関係はよしひと嬢(こちらは妻役。なんか両手に花だな♪)は「わが道を行く」キャラクターなので、私がどんな役作りをしようが基本的には関係がないのだ。
実際、今回の芝居の面白いところは「コミュニケーション不全」の問題が意識的に盛り込まれているところだ。 親子がいる。 恋人がいる。 夫婦がいる。 友達がいる。 けれども彼らは会話しているか。 言葉を交わしはしているかもしれない。しかし、お互いに言葉を受けとろうとしているか。 形だけの親子。 形だけの恋人。 形だけの夫婦。 形だけの友達。 傷つくことを恐れるあまり、そういう人間関係しか作れないようになっている人々。 彼らは、彼らの「夢」の中にいるだけだ。
芝居の内容について、今はまだあまり詳しいことは言えないので、ちょっと思わせぶりな言い方にはなっていますが、ご容赦下さい。 ……でもやっぱりテーマが押井だよなあ。 よしひとさんも押井ファンだし、これはしゃあないかな。
練習後、パピヨンプラザのロイヤルホストで、よしひと嬢、穂稀嬢を交えて食事。 会話しながら、ふと、穂稀嬢から「私を本名で呼んでくれるのけーしーさんだけなんですねえ」と言われる。 みんなはもう、穂稀嬢のことを「ハカセ、ハカセ」と呼んでるんだけど、私ゃ「ハカセ」と言われるとどうしても『オバケのQ太郎』のデコチン頭の「博勢」を思い出しちゃうので、現役美少女の穂稀嬢とはイメージが合わないのでとてもそうは呼べないのである。 それに最初に本名で紹介されたので、別にアダナつけなきゃならない理由もないし。基本的に私は劇団メンバーはみんな本名で呼んでいるのだ。 逆に、私が自分のことをみんなには芸名で呼んでくれるようにお願いしているのは本名だとしげとの区別がつかないという単純な理由である。 でも「けーしー」はないよなあ、とちょっと思っちゃいるのだが。
よしひと嬢、「昨日の『USO!?ジャパン』、見ました?」と聞いてくる。 ネットでも話題になっていたが、『BLOOD THE VAMPIRE』のメイキングビデオの押井守が着ていたトレーナーの犬の目が瞬きした、というものだ。 私は見ていなかったのだけれど、あの番組は一見して「でっちあげ」があけすけな番組なので(というか、オカルト系でマジメに心霊現象を取り上げたことなんて殆どないのではないか)、どうせ『USO』スタッフのヤラセだろう、と、気にも留めなかった。 だってタイトル自体、ちゃんと「USO」(嘘)と断ってるし。 案の定、ウチに帰って、『BLODD』のメイキングを見たら、犬は瞬きなんか全然していないのであった。
マンガ、安野モヨコ『ハッピー・マニア』1巻。 名高き平成の名作を今まで読んでいなかったというのは、不明の至りだが、文庫化を記念して一読。 読者の女の子は、結構、主役のシゲカヨに感情移入して読んじゃうのかなあ。 岡田斗司夫さんが『フロン』で紹介していた「オンリーユー・フォーエバー症候群」の典型だものな、シゲカヨって。 だから彼女が幸せになれないのは実現するはずのない「夢」を追い続けている本人のせいなので、私は感情移入など全くしない。 かえって、「こんな女にもタカハシみたいな『キープ』が現れちゃうから、いつまでたっても世の中から『馬鹿女』が消えてなくならないんだよなあ」と思ってしまうのだ。 こういうことを言うと、「女の子が夢を見ちゃいけないの!?」と文句をつけてくる女の子がいるんですよねえ。 お答えしましょう。 いけないに決まってます。 それどころか、あなたはハッキリ、世の中に害毒を撒き散らしています。だってあなたは「タダで体を売ってる娼婦」なんですから。 世間の男から、カラダだけしか相手にされてないのも自業自得と思いなさい。 多分あなたは、お父さんお母さんから「いつまでも夢ばかり見てんじゃない」とか言って叱られたことなんてないんでしょうね。 タカハシもなー、「この人にはボクがついてなきゃダメなんだ」とか思ってるあたりゴーマンだよなー。自分が庇護者になれる相手を見つけてるだけ(つまり自分が劣等コンプレックスを感じないでいられる相手を探してるだけ)だから、実はカラダだけのつきあいしてるほかの男よりももっとシゲカヨのことバカにしてるんだよねー。本人気づいてないけど。 と言うか、世の女性諸君、男は女をそんな風にしか見てないよ。 例外はありません。 安野モヨコもタカハシを好青年風に描いてるあたり、これが純愛みたいなもんだと錯覚してるのかなあ。客観的かつ冷静に見れば、これはただのバカ女とバカ男との絡み合いです。 だから楽しいんだけど。好意的に解釈すれば、安野モヨコ、「この世にはバカしかいない」という視点でこの『ハッピーマニア』を描いてるのかなあ。 誰の言葉だったかなあ。 「不幸は幸福を追求し始めた時から始まる」って、言ってたのは。 いい加減「いつか幸せになれる」なんて夢から覚めなってば。
マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき作画『学園戦記ムリョウ』3巻。 ちょくちょくテレビアニメの方も見てるけど、マンガ版とストーリーが遊離してないのはかえって今時珍しい。 アニメはアニメ、マンガはマンガでストーリー変わるほうが当たり前だしねえ。 でも那由他の声に朴瑠美は合わんぞ。老けすぎじゃ。 ……とは思うけれど、ナユタが一番感情移入しやすいキャラではあるんだよね。ムリョウは「作りもの」だし。 個人的にはジルトーシュさんの無責任男ぶりがいいですねえ。サナトス星から送り出されてきた知性体兵器に「サナドン」なんて勝手に名前つけちゃうあたり、マイペースそのものですもんねえ。
マンガ、宮崎克脚本・高岩ヨシヒロ作画『松田優作物語 ふりかえればアイツがいた!』5巻。 村川透がこのマンガの取材を拒否したそうである。 ……潮時ではないのか。 「伝記」というものは結局はその人物をブランド化する行為にほかならない。実像などハナから描けるはずはないし、ましてやこのマンガは大きな二つのネックを持っている。 一つはこれが「マンガ」であること。 映像が残っていない、証言のみからその時の情景を再構築してみても、それは全く別のものにしかならない。ほんの少しの一致も有り得ないのである。 もう一つは初めから「松田優作美化」のバイアスがかかっていること。 松田優作の暴力行為が「武勇伝」の一言で片付けられる分析の甘さはなんなのだろう。暴力は絶対いけないなどという教条主義的なことを言いたいわけではない。証言者の「でもそれは彼の優しさ」という言葉をそのまま映像化することがその人物を描くことにつながるのか、という問題だ。 このマンガはあえて避ける。松田優作の狂気について。 狂気をタブーにしていて、彼の演技の、人柄の、何を描けるというのか。「シュバイツァーはいい人でした。マル」式の小学生向け伝記のレベルから何歩先をこのマンガは行っていると言えるのか。 「ヤングチャンピオン」じゃ、もともとこれが限界なのかもしれないけれど。
マンガ、新井理恵・津上柊子・古館由姫子・古結あかね『世にも奇妙な物語 コミックの特別編』。 なんちゅーかね〜、画力がなくて構成力もないマンガ家さんにお仕事あげようって企画なのかもしれないけどね〜、脚本がみんな「どこかで見たような」感のあるものばかり選んでるのはなぜだ。 なぜこう、最初の数ページでオチがわかる原作ばかり選ぶかねえ。
三連休が終わって、疲れが取れるどころか、増えてるのは何か理不尽な気もするが、しげと結婚したこれが宿命と言うものであろう。 でも、宿命に逆らうのが人間の道という考え方もあると思うな。
| 2001年07月21日(土) |
やたら長長文になっちゃいました。すみません/『裏モノ見聞録』(唐沢俊一)ほか |
しげと一緒に路上劇を演じてる夢を見た。
そのころ(っていつだ)、我々、演劇集団 P.P.Produceの活動は軌道に乗っていた。乗りすぎていた。 団員は20人を越え(その程度で軌道に乗ってるのか)、世間にも認知されていた。 だから交通規制をして天神のスクランブル交差点で(あとで思い返すと、場所はまさしくそこなんだが、夢を見ている間はそこじゃない気がしていた。なぜか「世界の交差点」なんてことを考えていたのである。『エヴァ』の影響か?)、劇団員がみんな狂ったように踊り狂っているのである(そりゃ狂ってるんだって)。 路上劇はアドリブが命だ。 ここでわが劇団のヒーロー、藤田くんがアドリブをかますことになっていた(それってアドリブって言わないのでは?)。 ところが藤田君、軍用車に乗ったまま、微動だにしない(どうやら兵士として、狂った群集を沈静する役らしい)。 どんなに大所帯になっても、ウチの主役は絶対に藤田くんなのである。 そう決まっているのである(なんでだよ)。 私たち夫婦も、別の軍用車に乗っていて、いざというときのために(どんなときだよ)待機しているのだが、藤田くんが沈黙しているのでイライラしてきた。 群衆が踊り狂っていると言っても、「ええじゃないか」みたいなものでも社交ダンスでもない。 その場を一歩も動かず、両手を上げて全身を激しく波打たせて「わあああああ」と叫んでいるだけである(ホントに狂っている)。 我々はそれを「全身激しくワカメ踊り」と呼んでいた(ネーミングセンスがない)。 こんな踊りをずっと続けていては死んでしまう。鴉丸嬢などは、既に声が「わああ……げほ、げほ……わああ……わは、げほげほ」と咳込んでいる。 このままではいけない。 なんとか藤田くんを動かさなければ。 なのによく見ると、藤田くんは俯いてクックックと笑っているだけなのだ(どうやら自分だけの演技プランに基づいて演技しているつもりらしい)。 私は隣に座っているしげを見上げて「どうすんだよ」と目配せしたが(この軍用車には座席になぜか段差があるのだ)しげも更に隣を見上げる(この軍用車には座席が三つあるのだ。……ってどんな車種だよ)。 そこには見知らぬ男が。 「おい、こら、オレ以外の男に相談するんじゃない」と内心むかっ腹を立てていたら。 目が覚めた。 おい、オチはどうした?(いや、夢にオチはないぞ)
まあ、たいして面白い夢でもないが、私の夢の中にしげが登場することなんて滅多にないことなのだ。 いつもしげは、「アンタは私のことを思ってくれてない」と文句を垂れているので、夢に出て来たことを教えてやったら喜ぶかと思いきや、「全然ラブラブな夢じゃな〜い」とかえってむくれる。 いや、私がジェラシったということ自体、珍しいことなんだから、充分、「ラブラブ」だと思うんだけどなあ。 それこそ「夢物語」を語ってるだけじゃないか。贅沢言ってんじゃねーや。
しげは今日は鴉丸嬢と待ち合わせ、と言うことで外出して行った。 別に早朝と言うわけではなく、午前10時の話だから、その前に洗濯をしたり洗い物をしようと思えばできるのである。 ところがしげは何もしようとしない。 どんなに言い訳をしても、しげが究極の怠け者であることは否定できない事実なのである。結局、すべて私が尻拭いをしなければいけなくなるのだ。 あんなでかいケツの尻拭い、したくねえぞ。 何しろ私の1.5倍はあるのだ(誇張なし)。
というわけで午前中はゴミ溜めと化した(比喩ではない)台所を掃除。 またもや汚物が排水溝に詰まって流れなくなっているのである。 ここまで汚くなっても、しげが放置したままなので、休日に私がやるしかない。この世界で一番家事をしない女がなぜ生まれたか、心理分析が出来たらノーベル賞が取れるんじゃないか。ある程度片付けても、皿置き場が満杯になってしまったので、これ以上は洗えない。 仕方なく残りは翌日に回すことにする。 部屋もまた床が見えなくなりつつあるから片付けないとなあ。
今日はゆっくり日記が書けるかと思ったら、いきなり1時を過ぎたころに、しげから電話。 「どうしたん」 「博多駅の近くで、声を出しても迷惑かからないとこ知らん?」 「……公園は?」 「……暑いんよ!」 「暑いって、日陰は?」 「日陰も暑いんよ!」 「じゃあ、どこかに入り込むしかないじゃん。喫茶店とかで『声出していい』ところなんてないし、『カラオケ屋』でも探せば? オレは、博多駅近くのカラオケ屋なんてよく知らんぞ」 「そう、わかった」 プツッと通話が切れる。えらくあっさり切りやがったんで、かえってしげが何を考えてんだか判らず、妙に気になってくる。 いったい何を始める気だ? と思っていたら、しばらくしてまた電話。 「アンタ、今日ヒマ?」 「ヒマって、いや、やりたいことはあるけど今しなきゃならないってことでもないし……。なんで?」 「カラオケ屋のカード、そこの引き出しんとこにない?」 「あるけど? なんで?」 「店まで持ってきて。そこで打ち合わせするから」 「そこでって……博多駅の近くにカラオケ屋なかったの?」 「どこも混んでる。駅から離れれば空いてるだろうから。じゃあねえ」 じゃあねえって……駅から離れてるって、そりゃ離れてるよ。バスで六つ目なんだから。 でも、頼まれた以上はしかたがない。 ちょうど食事をどうしようか、自分で作るか外食するか迷っていたので、カラオケ屋で食えばいいやと決めて、外に出たのだが。
なんなのだ。この暑さは。 昨日もうだるような暑さだったが、今日は昨日の比ではない。 暑さの衣が全身にまとわりついたような暑さだ(あとで知ったが、地域によっては40度を越えたところもあったらしい)。 さっき「外は暑い!」としげが言っていた理由がよくわかった。 これはさっさとカラオケ屋までたどりついて、ロビーで涼むに限ると、自転車をかっ飛ばす。
ありがたいことに、カラオケ屋にはクーラーがかかっていた(当たり前だ)。 しげたちが来るまで、マンガでも読んでいようかと、持参してきた『攻殻機動隊2』を読もうとして、鞄から取り出したものの、ふと、ロビーに置いてあった『週刊SPA!』の今週号に目が行く。 「イマドキの[あげまん]はココが違う!」 いや、そのコピーに引かれたわけじゃないけど、雑誌は立ち読みでしか読まないので、つい手に取って読み始める。 で、あげまん記事には目もくれず、「これは事件だ/神足裕司」で、コータリ さんが「靖国問題」について、語っているので興味深く読む。 なるほど、A級戦犯と普通の戦没者を合祀しているのは靖国神社の「死んだらみんな神さん」という考え方に拠っていたのか。つまり「靖国」は死者の罪を「許す」神社でもあったわけだ。 こりゃ、アジア諸国の「日本を許さない」思想と相容れるわけはないわな。中国や韓国は、その主張を通そうとするならば、「靖国」の存在自体を否定せねばならないのである。 コータリさん自身は、あの戦争を侵略戦争であるとハッキリ認識しているが、靖国参拝を否定しようとする動きにも異議を呈している。これが平均的日本人のごく常識的な意見だろうなあと思う。 「許す」文化がない国に対して、「許す」ことが「過去をウヤムヤにすることではない」ということを理解させることは非常に困難だ。でも、日本人自身、「許す」ことが「ウヤムヤにする」ことと同義だと錯覚してるバカも多いのである。 「いつまで謝ってれば気がすむんだ」と腹を立ててる連中は、明らかにこの「ウヤムヤ派」だ。 ……思うんだけど、いっぺん、「すみません」と謝るんじゃなくてハッキリ「許してください」と言ってみたらどうですかね。 まさか中国や韓国だって「い〜や、永遠に許さない」とは言えないでしょう。
「どうしたら許してくれるんですか?」 「そりゃ、誠意を見せてくれないと」 「誠意を見せたら、あとで戦争を美化するバカが出てきても許してくれるんですか?」 「いや、それはそのときで」 「それは永遠に許さないということではないのですか?」 「バカが出るのはあくまで可能性だから、出てこなければいいんですよ」 「でも、バカが絶対に出ないということがあり得ると思いますか?」 「そんなことはわかりません」 「つまり許せるかどうかもわからないということですね? じゃあどんな誠意を見せてもその『分らない』という結論は変わらないのではありませんか?」
というわけで、「許さない」とか「謝罪しろ」って言ってる連中だって、実は「ウヤムヤ派」なわけなんですね。
とかなんとか考えていると三十分以上経って、ようやくしげと鴉丸嬢が到着。 挨拶はいきなり双方ともに「暑いねえ」。 ともかく部屋に入りたかったが、カラオケ機種は慎重に選ばねばならない(^^)。 今日は運良く我らが「ジョイサウンド」の部屋は空いていたのだった。
でも、しげたちの目的はあくまで芝居の打ち合わせであって、歌うことは眼中にない。 「今ごろ、店の人たち、『あの部屋、歌いもしないで何やってんの?』って思ってるよ」 と、鴉丸嬢。 「そうかな? 意外と気にしてないんじゃない?」 「いや、絶対、話してる! 客のうわさってのは絶対するものなの!」 しげまで賛同したので、なんだかイヤな気分になった。 そういや、しげもよく、店に来た客の文句言ってたしな。 でもそれって不可避なことだし、誰がどう思おうと、それが店内だけのことなら、文句のつけようもないし。 いやね、ウワサされることがイヤなんじゃなくて、ウワサされたくないって顔してるしげたちのほうがちょっとヤなのね。 そんなこと気にしてたらキリないじゃん。どこにも行けなくなるだけだよねえ。
ともかく当初の目的は芝居の打ち合わせである。 私の脚本、実は歌がたくさんあるのだが、その曲を作曲するのは、手間がかかりすぎる、ということで、うまく合うカラオケのメロディーがないか相談する。 なんとか曲の候補が出たところで、せっかくカラオケがあるんだから、と、ようやく歌い始める。 「店の人、『ああ、やっと歌い出した』って安心してるね」 ……鴉丸さん、気にし過ぎだってば(--;)。
『吸血鬼ハンターD』の主題歌(昔のT.M.networkの方のね)、てっきり歌えると思い込んでいたのに、途中をすっかり忘れている。昔のビデオもときどき見返さないとなあ。 しげと鴉丸嬢、オヨネーズの『麦畑』を楽しげにデュエットするが、私はよく知らない歌だ。以前、しげから「一緒に歌おー」と言われて、「知らんから歌えん」と拒否した歌である。 でも、若いレディーが花詰まらせながら、
うんと大事にすっからよ も少しこっちゃさ来い やんだ恥かしな ちっと気が早えな
とか歌ってるのはなんだかなあ。
おら本当にハッピー おらも本当にハッピー 愛の花咲く 麦畑
とか、歌ってて、石、投げつけたくならないか?
で、気がついたら夜の8時。 割安のフリータイムも8時までである。 鴉丸嬢をバス停で見送って、私はひと足先に近所のベスト電器で生ビデオテープを買うために、自転車で先に行く。 「私を置いて行くの?!」 としげは泣き顔になるが、ゆっくり一緒に歩いていたら、店が閉まってしまう。 しげは、放っといても、ちゃんと付いて来るけれども、ビデオテープは向こうから歩いて来てはくれない。どちらを優先するかはわかりきっているではないか。 「ベスト電器の前で待ち合わせすりゃいいじゃん」 と、文句を言われる前にさっさと自転車に乗って、しげを置き去りにする。 待ち合わせ場所で、ちょっとすれ違いかけたけど、なんとか会えたので、終わりよければ全てヨシである。
ええ、その後は仲良く二人で歩いて帰りましたとも。 間違っても、しげを荷台に座らせて二人乗りして、しげが怯えて「怖い怖い怖い怖いー!」と絶叫するのを面白がって、更に自転車の速度を上げて猛スピードで一気にウチまで帰るなんて危険なマネは、一切しておりませんとも。
しかし、今日はなんだかんだで動きづくめなのでありました。 帰宅後は日記を書く元気も残ってなかったけど、遊んでちゃ、日記も滞るばかりなのです。
唐沢俊一『裏モノ見聞録』。 WEB現代で全部読んでるものばかりなので、新刊だけど特に新規な感想はないのだけれど、語りだしたらキリがなくなる類の本でもある。 なんたって、インターネットのちょっと(随分?)変わったサイトを紹介しまくっている本なのだから。 以前、鈴邑くん夫妻に「女の子の名前だけを集めたサイト」ってのをこれで読んで知って、紹介したことがあった。というのが、お二人のご長女のふなちゃん、本名が結構変わってるからなんだね。 調べてみると、同じ発音の名前はあるけれど、字が違う。教えてあげたらこのサイトの管理人さん、喜ぶんじゃないかな。 ちなみに「男の名前を集めたサイト」は、作る気が全く完全に絶対ないそうです、この人。筋が通っているなあ。 http://www.dd.iij4u.or.jp/~ume20/f_name/ ほかに、私も大いに笑わせていただいて、思わず「お気に入り」に入れちゃった、「電波ニュース」ってのがある。普通の文章をここに登録すると「電波系」(あの、つまりイカレタ系ということね)にしてしまうというものだが、どれだけオモロイかは論より証拠、試しに昨日の日記をここに入れてみよう。
連休に入ると、つい時間感覚がなくなる。自分でもビックリするほど金が無い。 夕べも「仕返しに明日は早起きしなくていいんだと思ったら姫路城の出来上がり」と思ってつい夜更かし。しかし奥からはうめき声が漏れてくる。 で、楽しみの連休中も結局は寝不足のまま過ごすことになっちゃうのだ。しかも担任まで俺が盗ったと思ってるし。 朝方、しげはどうやら私を起こそうとしたらしい。 らしいと言うのはもう記憶が曖昧だからなのだね。こうなった以上、君たちには死んでもらうしかない。 「危害を加えない映画行こうよう。もっとホネのある奴だと思ってた、残念だよ。朝だよう疑惑」 「……朝って何時と思ったら姫路城の出来上がり」 「7時」 「……映画館も空いてないやん、昼からでいいようを半年育てて森に返し涙」 そう言って、また眠りに入り、いてもたってもいられずに目覚めたらもう昼過ぎ。どうしたらいいか分からなくて頭の中が真っ白になって気づくと、あらぬ方向に走り出していましたが。 今度はしげの方が眠っている。まかちこん。 「……どうした? 映画行くんじゃなかったのか?」 「朝しか行きたくないよう。まず、頭痛のことなんですが、なんつーか、わかったんですね。頭痛のときは、これがおさまれば、すべての問題が、解決されるような、そんな気がしていました。ありません?そういうこと。で、頭痛がおわってみると、元の木阿弥。昼からはイヤだよう」 どういう理屈だ。気がついたら集中治療室のベッドの上でした。 しげは、よかれと思いこれまで、有償で朝早くから映画に行ったことなんて殆どない。 私にしてみれば、指を突っ込んで吐くよりは朝方に出かけて、昼過ぎに食事と買い物をして帰宅、というのが休日の過ごし方としてはベストだと思っているのだが、たいてい朝はしげの方が寝ていて起こしても起きないのである。 今日だって、俺が「良い」と言うまでてっきり朝はしげがグズると思って、昼から出かけるつもりでいたのだ。そして星へと祈るの。でなきゃ夕べDVD見て半徹夜、そして誰もが諦めていたその瞬間なんてことはしない。これからは俺の事を気安く「ダニー」と呼んでくれよ。 ともかくいやがる奴を無理に引っ張ってたってしかたがない(涙アンド変な汗)。しげのきまぐれとスケジュールに合わせていては、とても映画に行く時間など作れない。 何しろいつ「どうやら寝てる間に今度の○曜、からだ空いてる?」と脳直で聞いても「わからないと思っていませんか?」とか「手乗りなんでアンタに教えないかんの?」としか答えないのだ。乙女のピンチ。自分のスケジュールは教えたがらないくせに、こちらの都合ばかり脳直で聞きたがると言うのは見当違いじゃないか、と何度言っても改めない。すると全員俺の事を無視ですよ、無視。 性格が歪んでいるのである。ダメじゃん。 品性が下劣なのである。そして冷たい風が吹き抜ける。春はまだ遠い。 根性曲がりと映画に行っても楽しくないぞ。わかってんのか。 というわけで、映画には一人で出かけようと決心するが、それでもすぐには出かけない。残り300円で10日間しのがなきゃ。 しげの気持ちが変わって、「ご覧のようにやっぱり行くにはこんなにも危険がいっぱい」とか言い出しかねないので、ちょっとは待ってやるのである。それで旧国鉄時代を含めたJRは完全制覇したから、今度は私鉄か貨物にチャレンジしようと思うんだ。 ……なんでこんなアホウに気を使ってやらにゃならんかな。そこんとこ4649。もしくは4126。
私もしげも既知外だ。 しげはダン・エイクロイドのファン。で、私が「ダニーと呼んでくれ」ってのは、偶然とは言えハマリスギだ(^_^;)。 http://www02.so-net.ne.jp/~saitou/denpa.htm
マンガ、小野敏洋『ネコの王』1巻。 あっ、小野さんって、昔、『プロジェクトA子2 大徳寺財閥の陰謀』のコミカライズ描いてた人じゃん。 無茶苦茶ヘタクソだったのに、無茶苦茶うまくなってるぞ。 ストーリーテリング、コマ割り、絵柄、どれ一つ取っても、とても同一人物とは思えない。 ……ホントに別人じゃないの? 猫が「突然」進化した世界。人類はとうに「喋る猫」に驚かなくなっている。でも、その最近進化したはずの猫たちに、遥か太古から伝えられている「猫の王」の伝説。 それは単に猫を支配するのみならず、宇宙をも統べる秘密を持つという……とんだ間違いで猫の王になっちゃった男の子と、ホントは猫の王になるはずだった相棒の猫、ガールフレンドの女の子に、未だに猫の王の座を虎視眈々と狙うライバル猫、なぜか人間のナイスバディを持つ猫女神様、いやもう、百花繚乱のキャラクター群が楽しいこと楽しいこと。 これはアニメにしやすい素材じゃないかなあ。『セーラームーン』+『うる星やつら』って感じなんだもんね。
マンガ、細野不二彦『THE SLEEPER』1巻。 深層意識に入りこんで魔を倒すって……。 たがみよしひさ『妄想超人マイナマン』でもうやってるぞ。 自作の『バイオハンター』のリメイクっぽいところもあるし、ちょっと興醒め。細野さん、連載を持ち過ぎてちょっと作品が荒れてきたのかな?
マンガ、和田慎二『ピグマリオ』1巻。 単行本を殆どメディアファクトリーにお引越ししたんで、『ピグマリオ』もこっちに来たみたいですね。実は初読です。 設定説明がくどすぎたり、キャラの名前が適当でいい加減だったり、純粋さを強調しようとして、かえって不自然になってる主人公の「ボケ」ぶりなど、相変わらず欠点は多い。 って、旧作だからしかたないけど。 でも作者がぜったいやりたかったファンタジーだけに、リキが入ってるのはわかるのね。だからその「波」に乗せられて意外と退屈しない。 なんてったって、精霊オリエがけなげだし……ってやっぱり女キャラ目当てで読んでるんかい(^_^;)。
CSファミリー劇場で特番『千と千尋の神隠し 〜少女千尋の不思議な世界〜』見ました。 でも字数オーバーで感想が書けません。悪しからず。
| 2001年07月20日(金) |
一人で見る映画/映画『千と千尋の神隠し』 |
連休に入ると、つい時間感覚がなくなる。 夕べも「明日は早起きしなくていいんだ」と思ってつい夜更かし。 で、楽しみの連休中も結局は寝不足のまま過ごすことになっちゃうのだ。 朝方、しげはどうやら私を起こそうとしたらしい。 らしいと言うのはもう記憶が曖昧だからなのだね。 「映画行こうよう。朝だよう」 「……朝って何時」 「7時」 「……映画館も空いてないやん、昼からでいいよう」 そう言って、また眠りに入り、目覚めたらもう昼過ぎ。 今度はしげの方が眠っている。 「……どうした? 映画行くんじゃなかったのか?」 「朝しか行きたくないよう。昼からはイヤだよう」 どういう理屈だ。 しげは、これまで、朝早くから映画に行ったことなんて殆どない。 私にしてみれば、朝方に出かけて、昼過ぎに食事と買い物をして帰宅、というのが休日の過ごし方としてはベストだと思っているのだが、たいてい朝はしげの方が寝ていて起こしても起きないのである。 今日だって、てっきり朝はしげがグズると思って、昼から出かけるつもりでいたのだ。でなきゃ夕べDVD見て半徹夜、なんてことはしない。 ともかくいやがる奴を無理に引っ張ってたってしかたがない。しげのきまぐれとスケジュールに合わせていては、とても映画に行く時間など作れない。 何しろいつ「今度の○曜、からだ空いてる?」と聞いても「わからない」とか「なんでアンタに教えないかんの?」としか答えないのだ。自分のスケジュールは教えたがらないくせに、こちらの都合ばかり聞きたがると言うのは見当違いじゃないか、と何度言っても改めない。 性格が歪んでいるのである。 品性が下劣なのである。 根性曲がりと映画に行っても楽しくないぞ。わかってんのか。 というわけで、映画には一人で出かけようと決心するが、それでもすぐには出かけない。 しげの気持ちが変わって、「やっぱり行く」とか言い出しかねないので、ちょっとは待ってやるのである。 ……なんでこんなアホウに気を使ってやらにゃならんかな。
テレビ「ザ・ワイド」でショー・コスギのサクセスストーリーみたいなことをやっている。 こういうのって、サクセスしてる時には既にもうオチメってことも多かったりするので、失笑ものだったりすることも多いのだが、「アメリカで今も活躍」とか言ってる割に流される映像はかつての「ニンジャ」シリーズばっかりだ。 「日本人として初めてミフネもなしえなかった100万ドルスターになった」って言ったって、三船敏郎がハリウッド映画に出ていた頃とは、物価が違うってえのに、どうしてそう単純比較するかね。 今、ショー・コスギがなんの映画に出てると言うのだ? しかも、「自分がかつて、単身、日本を出てハリウッドに来たように、息子のケインにもアメリカを出て日本で修業させている」って、アメリカじゃ仕事がなかったってことじゃないのか。 日本でだって、ケイン・コスギ、ここしばらくは、『筋肉番付』で「サスケ」に挑戦する姿しか、私ゃ見たことないぞ。
アクション俳優としてのショー・コスギを貶めるつもりはないが、ハリウッドで成功して金持ちになるのがステイタス、なんて勘違いを標榜されちゃ困るのである。 一生貧乏でも、主役を張ることはなくったって、映画界になくてはならないって俳優はいくらだっているんだから。
結局しげは自分の睡眠を優先しているので、一人で映画に行くことにする。 途中、キャナルシティの福家書店で本を買いこむ。 多分、長いこと並ばねばならないと思ったので、待ち時間を過ごすために本を買ったのだ。 ……はい、そうです。初日に行っちゃいました。 『千と千尋の神隠し』。
ちょうど昼のニュースで、宮崎駿監督の舞台挨拶の様子が紹介されていた。 「ラストの絵は私自身が描きまして、アレは水の中を靴が流れてる絵です。スタッフからは『全然分らない』って言われてますけど、あれは水なんです」とのコメント。 なんのことやらわからなかったが、映画を見てみて納得。確かによく見ないとなんの絵か解らない。 宮崎監督、絵がヘタになっちゃったなあ。
話が前後したので、もとに戻す。 福岡では天神東宝で、2館を使っての拡大上映。あと大野城のワーナーマイカルでも公開だが、意外なことにそれで終わり。新聞にはキャナルでも公開って書いてあるのに、ネットにゃ載ってなかった。時期をずらして公開するのか? どっちにしろ、あとでしげと見に行くことがあるとすれば、天神東宝には行かないだろうから、一人でならそちらで見て、映画館の違いを確認するのもいいだろう。
……予想通り、1時間前で既に二、三十人の列ができている。 しかも、狭いフロアにどんどんことが入って来て、あっと言う間に鮨詰め状態になっちゃったものだから、とても本など読める状態ではない。 30分前には200人は集まっていただろうか、こうなるとクーラーなんか効きゃしない。ただただ、汗が流れ続けるのをガマンするだけである。 館員が整理しようとして何度も叫んでいるが、上映時間が迫るにつれ、人数は増えるばかりだから、そう簡単にいくものではない。 「もっと詰めて下さい!」 「押さないで下さい! 子供もいます!」 そういう矛盾したことを言われてもなあ。 開場した途端、「走らないで下さい!」という案内を無視して、みんな走る走る。こういう自分勝手な客どもが宮崎映画を見に来てるんだよな。宮崎監督のメッセージは誰にも届いていない証拠であろう。 あ、私は走ってませんよ。念のため。
予告編で新作『ゴジラ』の15秒スポット。チラリとだけ紹介のの新作シーン、殆ど『ウルトラファイト』。やめてええええ(TロT) 。 なかむらたかし監督の新作アニメの紹介、これが内容が全く『A.I.』。 鉄腕アトムの映画化といい、なぜこう同じ内容の映画が流行るかな。 想像力の枯渇と言われても仕方ないのではないか。
で、本編の感想はね、いろいろとあるけどね。 『もののけ姫』見たときゃ、「『エヴァ』のマネやん」と思ったものだったけど、今度は「『オトナ帝国』のマネやん」。 いや、偶然なんだろうけど、「お父さんお母さんを奪還する」ってストーリーの骨格は同じなのね。 じゃあどっちが面白いかと言うと、「感動」という点でははるかに『オトナ帝国』の方が上なんだけれど、『千と千尋』も捨て難い面がある。
『オトナ帝国』の原監督に比べて、宮崎監督の方が「家族」に対する見方がシビアな分だけ(家族の絆なんて信じてない)、物語としての求心力は失われてしまっている。 これは映画としては明らかに失敗だ。 だって、あの両親、救う価値ないんだもの。欲にかられてるだけの「ブタ」だし。 だから、千尋があの不思議な世界で「自立」出来るのであれば、元の世界に戻る理由はなくなっちゃうんだよね。
……でもその「失敗」の部分が面白いとも言えるのだ。 小ぢんまりとまとまることを拒否しているという意味で。 だけど、映画を見てる観客は「お父さんとお母さんと帰れて、めでたしめでたしだったね」としか受け取ってないみたいなんだよなあ。 よく考えてみりゃ、あの親たち、性格は「ブタ」のまんまなんだが。
千尋はホントに人間の世界に戻れてよかったのか?
予想通り、グッズ売り場には客が殺到。 しかも「ハク」の人形は今日が初日だと言うのにもう売り切れ。 ……みんな美形が好きなんだなあ。
あとは「オタクアミーゴス会議室」にUPした感想を貼り付けときますので、ご参照下さい。
どうせ結構ヒットするだろうし、一月くらい経って人が少なくなってから行ったっていいだろうと思いつつ、結局初日に行ってしまいましたよ、『千と千尋の神隠し』。 でも私もさすがにいいトシなので前日から並ぶ元気はない(元気がないだけで恥の感覚はありません)。 夕方からそれでも結構並ばねばならんのだろうなあ、と思いつつ、天神東宝に向かっていたのですが。
途中、博多駅前を通りました。 扇千景さんが選挙カーの上から演説をしておられました。 「日本が戦後50年で復興できたのはなぜでしょう。スシです。スシを食べてるからです。スシを食べていれば太りません。たまに太る人もいますが太りません。アメリカ人やイギリス人は今、日本人を見習ってスシバーに並んでいます」 思わず自分の耳を疑いましたね。何を言うとんのやこのおばちゃん、これは選挙演説ではないのかと思いつつ、いや、今日は『千と千尋』を見に行くんだ、ちょっと聞いていたいけど、と後ろ髪を引かれつつ、天神に向かったら。 天神にもいました。扇千景以上に強烈なのが。 一応福岡ではオシャレな場所ってことになってる岩田屋G‐SIDEの広場中に響き渡る『つっぱりハイスクールロックンロール』。 「みなさん! 横浜銀蝿のランです! 嵐と書いてランと読みます! 暑い中、福岡までやって参りました! 福岡は暑いです!」 ……オマエがもっと暑苦しくしとるわ。
しかし映画を見る前にこんなキツイ二連発をくらって、さて、それを上回る感動を与えてくれるのか『千と千尋』と思いながら見ました。 で、結果はと言うと。
・ ・ ・ ・ ・ ネ タ バ レ 改 行 ・ ・ ・ ・ ・
うーん。 二十年前に見てたら興奮して「『千と千尋』はいいぞお!」と触れ回ってたでしょうねえ。 いや、楽しめはしたんですよ。 ああ、久しぶりに「宮崎駿のマンガ映画が復活した!」って気分に最初はなって。
実際、次々と出てくる妖怪どもの個性と来たら、これまでの宮崎作品の中でも随一と言っていいくらいでした。 しかもそれが単にキャラクター造形として勝れてるだけでなく、当然のごとく個々の仕草、動きの違いで表現されているんですから。 その妖怪たちの「動き」がこの映画の主人公、千尋の動きを相対的に魅力的に見せることに成功しています。 ひょろ長い手足の操り人形のようなぎこちない動きはそれだけでフリークス的。もちろん、人間であるからこそ彼女はこの神々の住む不思議の町ではフリークスなんですけど。 千尋が最初は弱虫の女の子だったのに、どんどん御都合主義的に強くなっていくのも構わないんですよ。目から流れる涙が眼球以上に大きいくらいの大げさな表現になってたって、それはマンガ映画の許容されるべきウソなんですから。 ああ、やっぱりマンガ映画は「知恵と勇気で誰かを救いにいく話」だよなあ、もう『もののけ姫』でテーマがどうのってのはいい加減、宮崎監督も飽きたろう、『長靴をはいた猫』や『カリオストロの城』の単純明快な感動がいよいよ再来か、と思ってたんですが。
やっぱり出てくるんですねえ、エコロジーが。 描写としてそうしつこくはない。まあ、ギリギリ鼻につかない程度だと言えるかもしれません。 でも、ドロドロに腐ったクサレガミかと思っていたら、からだの中に詰まってた自転車だのリアカーだのといった人間の捨てたゴミを全て吐き出したらきれいな河の神に戻った、なんて描写は、ちょっとあからさまなんじゃないですかねえ。 で、そういう点を突っ込んでいったら、矛盾もボロボロ目についてくるんですね。 その自然の神々のヨゴレを洗い流す湯屋の湯を沸かすのに、人間が作ったような釜を使ってたり、エントツから煤煙を空に撒き散らしたりしてるのはどうしてなんだよ、とか。 パンフレットで宮崎監督自身、「こういうテーマがあるとか現代をこう思うとか、ややこしい話とは違います。10歳くらいの小さな友人たちのために作ろうと思っただけなんです」とか言っときながらなぜ、中途半端にエコが混じちゃうんですかね。
映画見終わったヤツで、やっぱりそういうこと話し合ってる連中がいるわけですわ。 「あの河の神の意味はね」とか、「カオナシにはどんな意味があったんだ?」とか。 女の子や子供が「ネズミがかわいかったね」とかしゃべってるほうがよっぽど感じがいい。 結局、宮崎監督が何を作っても、「エコ」の残滓が残るようになっちゃってるってこと、また、そのせいで、観客や評論家も、そういう「テーマ」ばかりを拾い上げて「これはただのアニメーションではない」だのと、未だに「アニメの存在自体は下らないもの、でも宮崎アニメだけは別」とアニメをバカにするような発言をインプットされてしまってること、この二点に、宮崎監督の不幸があるんじゃないでしょうか。
ああ、もう何の理屈もない、ただのB級活劇の宮崎アニメは見られないものなのでしょうか。それを切に望んでる人は多いと思うんですがねえ。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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