無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2001年06月13日(水) とんでもございません(←これも誤用)/『少女鮫』6〜9巻(和田慎二)ほか

 文化庁が今年1月に全国の男女3000人を対象に実施した「国語に関する世論調査」の結果、こういうの、何年か置きにやってるみたいだけど、さて、いったいどういう目的があるんだろうね。

 以下、ア○ヒ新聞よりの引用(^^)。

⇒ ことわざでは、「情けは人のためならず」を「人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない」という誤用が48.7%で、本来の意味である「人への情けは結局は自分のためになる」の47.2%を上回った。
 「一姫二太郎」(正答=子どもの一人目は女、二人目は男が理想)でも「子どもは女1人男2人が理想的だ」が33.7%、「かわいい子……」(正答=子どもは甘やかさず世間に出して苦労させた方がいい)でも「子が望めば、希望通りに旅をさせてやるのがよい」の選択者が7.8%いた。
 「やる」とその丁寧表現「あげる」の使い分けでは、「植木に水を――」「相手チームにはもう1点も――(ら)れない」の2問で、ほぼ7割が「やる」を選んだ。ところが、「うちの子におもちゃを買って――たい」では、「やる」46.8%に対し「あげる」44.8%、残りは「両方使う」だった。5年前にも同じ質問をしており、3問すべてで「あげる」派が増えていた。

 言葉がなぜ変化するかってことだけど、誤用と言ってはやや言い過ぎかもしれないけれど、発音にしろ意味にしろ少しずつ「ズレ」が出て来るせいだってことは理解出来る。
 さて,気になるのはその「ズレ」がなぜ生まれるかってことなんだけど。
 ここでフロイトを出すのは定番すぎて固陋な見方かもしれないけれど(^_^;)、「無意識の願望の現われ」と考えれば確かに殆ど説明がついちゃう。
 ……となるとごく一般的な日本人って、「他人に同情することなく、子供は男の子が多い方がよくって、子煩悩、というより子供にヘイコラ低姿勢でいる」ってことになるねえ(^o^)。
 まあここから日本人は堕落している、という結果を導き出すのは簡単だけど、文化庁、そう思わせるように大衆を意識誘導しようとしてるんじゃないの? つまりは「言葉の乱れは心の乱れ」と大衆を説教したいわけね。
 でなきゃわざわざこんないかにもな言葉を選んで訊いてる理由が解らない。
 でも、例えば童謡『赤とんぼ』の「負われて見たのはいつの日か」を「追われてみたのはいつの日か」、『ふるさと』の「うさぎ追いしかの山」を「うさぎ美味しかの山」と勘違いするのなんて、どう分析するんだ? 現代人が「とんぼに恐怖を感じて、肉食を望むような野性に戻りたがっている」と考えてるとでも分析するか?
 あまりフロイトには頼らんほうがいいよな。

 それはそれとして、単純によく解らんのは、この手の誤用、余りにも有名で、恐らく学校の授業などで正解を聞かされたこと絶対あるはずなのに、どうしてこうも誤答率が高いのか。小学生相手にアンケート取ったわけでもなかろうに。
 単に記憶力のない馬鹿が増えたってだけデータのようにも思うな(^^)。

 福岡発信の朝のニュース番組、『やじうまワイド』でもこの問題を取り上げていたが、そこでコメンテーターの一人が、「最近、レストランのウェイトレスが注文取ったあとで『以上でよろしかったですか?』って言ってるの、おかしいよなあ、『よろしいでしょうか?』だろ?」と言っていた。
 確かに、ここ2、3年、ファミレスも喫茶店も、ほぼ9割の店で若い子が「よろしかったですか?」と過去形で喋るようになっているのだ。料理を運んできたあともやっぱり「以上でよろしかったですか?」だ。
 なんだか、「もう注文は終わりか? これ以上余計な注文するなよ」と暗に言われてるようで、聞いていてむなくそが悪くなるのだが、若い人は別に違和感を感じていないようなのである。
 どうも東京のほうでこんな喋り方は流行っていないようなのだが、いったいこれは福岡だけの現象なのだろうか?

 ネットやメールの「顔文字」も年代を超えて受け入れられているというニュース。
 あまり使いすぎると却ってくどい気はするが、私もけっこう重宝させてもらっている。ただこれも数ある「専門用語」「術語」同様、セクトを作るだけのものになりかねない危険性は孕んでいるのである。何しろ、長い年月の間に練られて多様な表現力を獲得している言語に比べて、まだまだ記号性が強すぎるのだ。
 日本語を使えた上で、硬い文章の緩和剤的に使うような配慮がないと、ただむやみやたらと使ったところでただのバカにしか見えなくなるのだ(^_^;)。


 体重84.6キロ。ううむ、昨日より600グラム増。
 でも85.0キロを越えてないのでホッと胸をなでおろす。ほんとにチビチビとしか体重減らないなあ。70キロ切るのは1年先か?(-_-;)

 まあ、体重増加の原因は解っているのだ。昨日の晩飯の春雨丼である。
 市販の「ゴハンがススムくん」の具にネギと卵を加えて飯にかける。カロリーとってくれと言わんばかりだが辛味が卵の甘味で適度に中和されて、これが実に美味いのよ。
 しげに作ってやったら、どんぶり一杯「こんなに食べきらん。おなか苦しい」と言いながら全部きれいに食べました。
 で、今日も晩飯は春雨丼。本気でダイエットする気あるのか?

 『パワーパフガールズ』、『セキララ白書』などテレビを漫然と見る。
 『パワパフ』は最初はずっと録画をしていたが、場所を取るばかりだし、DVDが出れば買うんだろうしで、時間が合えば見る、程度になっている。
 でも今日のはちょっと録っておいてもよかったかな、と後悔した。
 終日雨で(ちょうど現実にも今日は雨だ)事件も起きず、仕方なく部屋の中で「パワーパフガールズごっこ」をするパワーパフガールズ。でも暴れるモンスター役をバブルスが演じてるものだからバブルス役がいない……ああ、博士、そんなあられもないお姿を!
 『セキララ』、身長158センチの女性、62.5キロまではデブではないそうである。ホントにどーでもいーことばかり調べてやがんなこの番組。
 今、一番視聴率を稼いでいるのは、みのもんただそうだが、別に何かでブレイクしたわけでもないのに、いつの間にかあの顔が見えないとテレビが寂しく感じられるようになってるってのは、一種の中毒症状なのか。いや、私は別にハマってないんだが、なぜかしげにはみのさんがマイブームらしいのである。
 ……なぜ?(@_@)

 CSで映画『ひばりの三役 競艶 雪之丞変化 前編』見る。
 最初に美空ひばりの口上で始まるのが気が利いてる。
 でも見ながら一番ドキドキしたのは波路役の北沢典子だったりする(^。^)。
 ……いや、やっぱり「清楚」って言葉を体現してた女優さんが昔はいたんだよねえ。
 「タメイキ出るくらい美しい」ってホントに思うもの。……雪之丞、なんで振るかな、こんなにキレイなのに。
 

 宮澤賢治の弟さん、宮澤清六氏死去。
 97歳で老衰、ということだが、賢治没後50年で著作権が切れ、映画化、アニメ化が立て続けに行われた10年ほど前、そのことごとくに監修として参加していたとき、既に80歳を過ぎていた計算になる。
 『銀河鉄道の夜』がアニメ化される時、最後までキャラクターを猫にすることに反対していたそうだが、その理由が「兄は猫が嫌いでしたから」といういかにも「身内」な発言であった。
 確かに研究者の間で賢治の猫嫌いは有名であり、エッセイでその猫嫌いを語っているほどである。
 にもかかわらず、『猫の事務所』『どんぐりと山猫』など、賢治童話に猫を主軸に据えた作品は多い。
 アニメスタッフがキャラクターを猫で、と考えたのは、人間ではファンタジーにはならない、それに「実は賢治は猫が嫌いではなかったのではないか」と考えたからだというが、実際、あの猫のキャラクターは悪いアイデアではなかったと思う。
 「身内の反対」であれが人間キャラになってしまっていたら、さて、あれだけの透明感を出すことが可能だったかどうか。賢治作品の復刻に尽力した清六さんだったが、果たしてその世界観をどこまで理解していたかはちょっと疑問である。

 唐沢俊一さんのお父上が亡くなられたことをホームページの日記で知る。
 唐沢さんには一度お会いしたことがあるだけだし、ご自宅を存じ上げてるわけでもなし、ある意味失礼かとも思ったが、メールで弔意を表す。
 なんかね、そうしたくなっちゃったのよ。
 くどくは書かず、ご挨拶のみ。

 マンガ、和田慎二『少女鮫』6〜9巻読む。
 しげが「最終10巻が見つからな〜い(ToT)」と嘆いているが、そこで打ちきりになってるのが解っているので、買って読んでも楽しいかどうか疑問があって迷う。
 実際、日本編になった途端、それまでのハードな展開はどこへやら、なんだかどうでもいいような文化祭の話なんかが紛れてこんできて、つまらないのだ。
 『スケバン刑事』以来、全部そうだが、和田さんのギャグはオーバーであまり笑えない。作者だけが楽しんでるような印象が強くて、読者が乗り切れないんだよねえ。
 テーマだけはでっかく「人類滅亡のタイムリミットが遺伝子に組みこまれている」なんてぶち上げてるけど、もともと3巻の予定の作品をどこまで続くかわからんような引きをするから編集部とケンカになるのだ。
 悪いのは編集部だけじゃないような気がするなあ。


2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)

 ああっ、更新遅れさせまいと思っていたのに、また一日遅れになっちまった。
 だから二日分まとめて書くのはツライってのに。
 事情はあとで書くとして、まずは今日の体重。

 は、は、84.0キロジャスト!

 うおお、減っている、確実に減っているぞ!
 当たり前と言えば当たり前かもしれんが、ダイエットの極意は運動することなどではない、「食わないこと」なのだと実感。腹が減って昼はフラフラしてるがもうひと息だ。今月末までに80キロ切るぞ!(マジかよ)


 マンガ家の西原理恵子さんのホームページ、『鳥頭の城』で、去年の末から「私の画力って、他のマンガ家と比べてどうよ」という無謀な(^_^;)アンケートをとってらしたのだが、その集計結果の発表があった。
  1位 蛭子能収 ………… 17票
  1位 しりあがり寿 …… 17票
  3位 さくらももこ …… 16票
  4位 中崎タツヤ ……… 13票
  5位 とがしやすたか … 10票
  6位 漫☆画太郎 ……… 8票
  7位 けらえいこ ……… 7票
  7位 谷岡ヤスジ ……… 7票
  9位 吉田戦車 ………… 6票
  9位 中川いさみ ……… 6票
 わはは。サイバラさん落ち込んだみたいね。間違っても「小畑健」なんて出て来ないものな。死語になっちゃったけど、「ヘタウマ」の流れにある人ばかりだもんなあ。
 一般的なイメージとしてはそんなもんかな、とは思うが、ただの絵のうまさとマンガの絵のうまさの違いに気付いてない読者って多いんだなあ、とつくづく思う。
 絵画的な意味で絵がヘタでもギャグマンガとしてはそれが魅力になってるって場合が往々にしてあるのだ。
 だから、いくら一般的に「画力」があると思われてるマンガ家だって、ギャグが書けるとは限らなかったりする。例えば、大友克洋には逆立ちしたって『まあじゃんほうろうき』は書けない。サイバラさんは自分が自分の絵に相応しいマンガを描いてることに誇りを持っていいと思う。
 この中でマンガとしての絵のうまさが今イチ(つまりギャグを絵でいま一つ生かしきれていない)なのは、私見ではしりあがり寿、さくらももこじゃなかろうか。
 しりあがりさんはパロディマンガ、模写マンガを描かせたときには、その中途半端に似ているような似ていないような、といったところがギャグの面白さを減殺している。
 さくらももこの代表作は『ちびまるこちゃん』ではなく『神のチカラ』だ。あの地に足のついてない絵柄は思い出マンガより不条理マンガの方によく合う。
 サイバラさん、「なんでエビスやとがしと同レベルなんだよう」と絶叫しておられるが、谷岡ヤスジと同レベルと見られたことに関してはもって瞑すべしだと思うがな。


 西尾幹二ほか『新しい歴史教科書 市販本』読む。
 ……困ったなあ、面白いぞ(^_^;)。
 とにかく歴史問題に関してはヒステリックに叫ぶ連中や、ちょっと意見を言っただけでネチッこく絡んでくるやつも多いので、閉口してしまうのだが、別に私ゃ右寄りでも左寄りでもないんだけどね。
 例えば、南京事件については、全く虐殺がなかったとは思わないが、民間人を三十万も殺せるか、と思っている。でもそういうどっちつかずの言い方してると、右の人も左の人も、一生懸命自分の陣地に私を引きこもうとするのだな。それがイヤなんで、下手に意見を言えなくなってしまうのだ。
 この教科書について、例えば「神話が載ってるのは面白いねえ」などと言おうものなら、「皇国史観に基づいた神話を歴史と認めるつもりか!」と左の人が怒ってくるのは目に見えている。
 あるいは「安重根の名前がないのはちょっとどうかな」と言ったら、今度は右の人が「テロリストを英雄視する気か!」と突っかかってくるに違いないのだ。いや、安重根を肯定的に見たりはしないけど(だってあの暗殺事件がきっかけで「日韓併合」させられちゃったわけでしょ?)、一切触れないのは変じゃん、と言いたいだけなんだけどね。
 実際、何度もそういう無意味なバトルを経験してきているのである。こちらの言うことをこうも勝手に拡大解釈、曲解されるんなら黙ってたほうがいいなって気にもなってくるよ。
 でもそこで黙ってられないのが、私の悪いクセなのだろうな。
 実際、黙ってると、右の人も左の人も図に乗ってつけあがってくるし。一応、一言「バカ」って言ってやっとかないと、周囲の被害者が増えるばかりなのだよなあ。
 一応、この本で評価されるべき点は、その基本姿勢にあると言えるだろう。
 「歴史を学ぶのは過去の事実について過去の人がどう考えていたかを学ぶことである」という本書の執筆動機は全く正しい。現代人の常識や感覚で過去の人々の行動にムリヤリ基準を当てはめては、歴史の持つ意味など理解できるはずがない。文化相対主義はタテの時間軸にも連用されねばならぬものなのである。
 その点「神話」が盛り込まれていたからと言って、その事実をもってのみ「偏向」と呼ぶのは批判になっていない。「神話」が歴史であった過去は確実にあったのだから。それを否定すること自体「歴史の捏造」にほかならないだろう。
 しかし、そういう姿勢で書かれたはずの本書が、その方針通りになりきれてない点があるのはやはり指摘されてしかるべきではないか。
 例えば、「神話」をとりあげるのはよいとしても、そこで特にピックアップされているのが神武天皇と日本武尊であるというのはどういうわけか。『古事記』『日本書紀』を子細に研究した者なら理解できることだが、大和朝廷を正当化しようという意図のもとに編纂されたにもかかわらず、日本の神話は「まつろわぬ人々」の痕跡を色濃く残している。
 国造りの神ということで言うなら、出雲神話の主役である大国主の扱いが少ないのは明らかに偏向である。日本の国造りを行った実質的人物は彼だということになっているのに。
 その程度の偏向は大したことない、という人もいるかも知れない。決して民主主義を否定するものではないからと。
 しかし、たとえそうだとしても、この教科書を使って「皇国史観」を生徒に教えこむことは可能なのである。何しろ日清戦争時の「木口小平」までこの教科書では復活しているのだから。
 結局は教科書がどうだろうと、「教える者の意志」次第だってことになっちゃうんだよなあ。
 

 夕方6時ごろ、ビデオカメラを借りていたUさんから電話。
 「撮影終わりましたので、今からお返しにあがっていいですか?」
 「いいですよ」
 「じゃあ、ちょっと用事があるんで9時に参ります」
 ……え? 今、「今から」って言わなかった? Uさんの「今」ってのは3時間後ってこと?
 相変わらずどこかハズしてる方だが、かと言ってまた返しに来る機会がいつになるかわからなくなるのも困るので、どうぞお出で下さいと言う。

 以前の日記で、Uさんの要領の悪さについてクソミソに書いてたのだが、どうやらUさん、全く読んでいなかったらしい。私も性格が悪いので、読んだらどんな反応してくるかなあ、と楽しみにしていたのだが、なんの音沙汰もなかったので、ちょっと拍子抜けしていたのだ。
 ウチに来るなり、パソコンで件の日記を読んだので、Uさんご立腹されるかと思ったら、「申し訳ありませんでした」と謝られたので戸惑う。
 非難されるだけのいい加減なことやっときながら開き直って逆ギレしたウチの職場の上司と比べると雲泥の差だ。人間ができている。
 ……困ったなあ、こんなにいい人じゃあ、そうそう悪口が書けないではないか。この日記、基本的に他人の罵倒をネタにするというイヤらしいコンセプトで書かれているにもかかわらず、実際には私自身の小心さゆえに、ごく少数の身内のことしか書けずに困っていたのに。
 本人の意志はともかく、しげと藤田くんと桜雅さんとUさんについては何を書いてもいいと思ってるとこがあるのだな、私は(^_^;)。貴重な一人を失うか?
 でも、「すぐ帰りますから」と言いつつ、夜中の1時まで居座ってたから、もちっと悪口書いててもいいか(^。^)。

 世間一般の常識と私の常識とはズレている点もあるだろうから、ここで書いておくが、私にとって他人にかける迷惑、他人からかけられる迷惑というものはどちらも腹立たしくはあるが、否定されるべきものだとは思っていない。
 つまり人は人に迷惑をかけずに生きられるはずがないからである。かと言って「どんどん迷惑をかけよう」とは言えないから、私が迷惑をかけたら謝るし、迷惑をかけられたら怒る。注意しなさいとは言う。
 ただし、「二度と迷惑をかけるな」とは言わないのだ。
 私は他人に無理難題を押しつける気は毛頭ない。


 Uさんが帰ったあと、今日は仕事が休みのしげと散歩。
 ずっとUさんと喋っていて構ってやらなかったので、しげはちょっと機嫌を悪くしている。
 「何話してたの?」
 「楽しかった?」
 と、しつこい。こういうとき、へたになだめるとしげはかえって拗ねちゃうので適当に相槌だけ打ってあしらう。
 え〜、電話でもメールのやりとりでもなんでも、私と楽しく喋ったあとは、必ずしげは私に「私といるより楽しい?」と絡んできますので、ウチに家庭争議を起こしたい人はどんどんメールをください(^o^)。
 帰宅したあとさすがに日記を書く元気はなく、そのまま寝る。
 しげに一緒に寝ようと誘ったのに(まあ♪)、「一瞬で落ちるくせに」と断られる。
 実際その通りなのであった(^_^;)。しげのストレスがたまるのも解るけどしゃあないじゃん。


2001年06月11日(月) 誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)

 体重、84.6キロ。
 おお、昨日体重が減っていたのは夢ではない。
 しげが言う。
 「じゃあこれから何も食べない?」
 「いや、何も食べなかったら死ぬじゃん」
 「でも食べなきゃ痩せるよ?」
 「だから死ぬって」
 私を殺したいのか。ホンネは料理を作るのが面倒臭い、ということだな。グータラ野郎めが。

 連日報道がエスカレートしていく小学校乱入殺人事件(そろそろ名称が定着するかな)、この手の報道の定番で、犯人の宅間守の過去のトラブル歴が紹介されている。
 やれ、タクシー運転手時代に一方通行を逆走して注意したホテルマンに頭突きを食らわしただの、学校に勤めてたときにゃ同僚のお茶に薬物を混ぜただの、まあ十数年、既知外ロードをまっしぐらに来てた感じだ。
 笑えたのはバスの運転手をしてた時、女性客の香水が臭いと言って、「運転手にも客を選ぶ権利がある」と嘯いたという話。客にだって運転手は選べないんだがな。ちょっとほかの職業にも当てはめてみようか。
 「医者にも患者を選ぶ権利がある」
 「教師にも生徒を選ぶ権利がある」
 「警察官にも犯人を選ぶ権利がある」
 どんどん選ばれちゃ困るもんになっていくな(^o^)。
 犯人の父親(14、5年前に犯人とは縁を切ったそうな)が初めて心境を語る、とかで、息子が池田小学校のIQテストで落ちたことがある事実を告白。
 するってえと、犯人の「エリートの子供を殺せば死刑になると思った」って供述も前半はともかく後半の方は信憑性が薄くなるな。結局、単に犯人から見た「エリート」を殺したかったってだけじゃないのかねえ(つまり小学生にも劣るわけだな犯人は)。
 やっぱり「子供」に勝つことでしか自分のアイデンティティを維持できなくなってたってことか。こりゃ既知外と言うより、心がオトナになれなかった、と言ったほうが正しいのかもしれない。
 もっともだからって罪が免責されるわけでもないけどさ。

 ネット上では、「法改正しろ」とか「犯人は死刑だ」とか、ヒステリックな叫びが飛び交う事態になっている。
 別にあの犯人を許せと言いたいわけでもないが、あんまり声高に叫んでる様子を見ると、お前らも充分危険だぞとツッコミ入れたくなってしまうねえ。
 だからみんなさ、正義派ぶったマスコミと同じになってるんだってば。
 もちろん精神障碍者の人権が侵害されかねないことを憂慮する冷静な声もあるのだが、今回ばかりはその声も「犯人憎し」の叫びの渦の中に飲みこまれていきそうな気配である。でもそっちのほうがよっぽど「危ない」ってことに気付いてないのかな?
 確かに、ヒステリックになってるとは言え、ああいうイカレた犯人が続出する現実をなんとかしなきゃならんという意見は当然のことである。
 危険性のない障碍者(例えば知恵遅れのような)までが偏見の目で見られることは極力避けねばなるまいが、「病人は一律罪に問わない」みたいな十把ひとからげ的法解釈が、これまでは幅を利かせ過ぎていたのだ。そのことがかえって精神障碍者たちに対する一般人の偏見を助長していた事実に人権擁護派は気付いておかねばならなかったのではないか。
 そのことに対するストレスが溜まりに溜まっていた末に、被害にあったのがいたいけな児童たちである。
 マス・ヒステリーは嫌いだが、本気で行政が対処せねば、危険人物は野放し、被害者は今後も発生、安全な障碍者は差別されるという、八方塞がりの事態になってしまうことは予測しうることである。

 で、この問題、法改正だけですむ問題ではないのだ。
 エイズと同じく、精神障碍者に対する一般的な知識を普及させ、偏見をなくし、対応施設を地域に住む住民みなが受け入れていく土壌を作っていかねばならないことなのである。
 犯人のオヤジが「あのとき病院が入院させておいてくれれば」とほざいてやがったが、結局、誰も彼も病院を座敷牢の延長線上でしか見ていないんだよねえ。それが一番の問題点なのだよ。
 あのさ、例えば「不治の病」の人間ってさ、現実的に「病院から出られない」わけだけど、「病院から出さない」ことを目的に入院させるわけじゃないでしょ? あの犯人を社会に出すわけにはいかないけど、「閉じこめとけ」と言うのは間違いというのはそういうことなのよ。
 彼を隔離しておくにしても、治療や管理のためには今後も誰かが彼に関わっていかなければならないってこと、忘れてないかな? 専門家に任せて自分は知らんぷりか? 自分の家族にキレたヤツが出ても、「あとは病院に」で終わらせるつもりかね? それじゃあの犯人のオヤジと同じだわな。
 自分が関わる気もなくて、簡単に「閉じこめとけ」とか「死刑にしろ」って言うのは、結局「臭いモノにフタ」「事なかれ」的発想の、無責任な発言でしかないのよ。
 ……おっと、この日記のタイトルにもあるまじき責任ある発言をしてしまったな(^^)。
 もちろん私はしげがイカレて刃物振り回すことになっても、一応病院にはブチ込むだろうが、それでそのままに放置する気はないぞ。たとえ治らない病気でも、治ることを信じて看病するよ。その覚悟もなくてなぜ「家族」でいられる?
 もっとも逆に私が狂った場合、しげの方は私を見捨てそうだけど(^_^;)。

 だからさ、この事件でまず問わねばならんのは、あなたの身内がイカレたらどうしますか? ってことなんだよ。それについてきちんと考えてからものを言おうね、みんな。


 仕事が長引いて帰宅が遅れる。
 『犬夜叉』も『コナン』も見損ねた。テレビを慌ててつけると『水戸黄門』のオープニングが。
 あっ、頭から初めて見たけど、オープニング演出、市川崑がやってたのか。六分割の(と言っただけで市川ファンは何のことか解るね)黄門とは大笑い。でもさすがにトシ取ったせいか、往年の『木枯し紋次郎』のオープニングほどの才気は感じられなくなっていたな。
 新世紀の黄門、を謳っているわりには新味がない。石坂浩二はまるで黄門に見えないし。助格が目立たないってのも何だかねえ。伝統的に黄門ものの主役は助格の方だってこと、忘れてるんだよなあ。爺さんより若手が動かんでドラマが成り立つかい。

 矢崎存美『ぶたぶた』読む。
 『ぶたぶた』シリーズ第一作。正直言って、題名に引かれただけで、何の期待もしないで買って読んだ。
 やられた。
 笑って泣いて、映画でならよくする経験を小説でやられるとはなあ。
 タイトルロールの「山崎ぶたぶた」君、彼は喋るぬいぐるみである。
 主役、というわけではない。これは彼に出会った人々の、困惑と驚愕と、笑いと涙とちょっぴりの感動の物語なのだ。
 なぜぬいぐるみが喋り、牛乳を飲み、パスタを食べるのか。
 そんなもの解らない。けれど彼は何となくそこにいて、何となく周囲に受け入れられていく。
 特別ニュースになるわけでもない、まあ、世の中そんなこともあるか、というお気楽さで彼はそこにいるし、彼と出会う人々も初めこそ驚いていても、いつの間にか心が和んでいる自分に気付く。
 たまにぶたぶた君に説教されたりもするのだ。
 ぬいぐるみに説教されてもなあ、と思いはするが、でも全然押しつけがましくないその言葉を聞いてると、なんだかつまらんことで悩んでる自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 ぶたぶた君はいったいどれくらい生きているのだろう。
 ある時はベビーシッター、ある時はタクシーの運転手、ある時はフランス料理店のシェフ、ある時は玩具屋の店員、ある時はただのプー、ある時は殺され屋、ある時はサラリーマン、ある時は記憶喪失のぬいぐるみ、しかしてその実体は!
 ぶたぶた君である。
 いいじゃないの、それで。
 ……ああ、これって『異星の客』のその後なんだな。
 SFファンにもファンタジーファンにも、いや、ともかく「何となく変な自分が愛しい」人々に一読を勧めるものである。



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)