無責任賛歌
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| 2001年05月23日(水) |
できれば私への電話はご遠慮下さい/『真夜中猫王子』2巻(桑田乃梨子)ほか |
この日記、CDで音楽をかけながら書くことも多い。 そのときの気分によってかける音楽は変わるが、もうトシがトシなので、余り若い人の音楽は知らない。 カラオケで劇団メンバーの諸君が歌うのを聞きながら、「おお、これは面白いな」と思う曲に出会ったりすることもあるが、記憶力がないので、あとでCD買おうと思ってもタイトルもアーチストも分らないのでどうしようもないのである。 必然、私のかける曲は、なつかしモノか、アニソン、映画音楽などに絞られてしまう。 三木鶏郎やエノケン、あきれたぼういず、クレージーキャッツ、伊福部昭に佐藤勝、大野雄二や久石譲に川井憲次、ヘンリー・マンシーニやバート・バカラック、山口百恵に林原めぐみ(^^)、実に節操がない。 もちろん山本正之とブルース・ブラザースは全CDを購入。もっともそれはしげが熱烈なファンになったせいなんだけれども。 でも見てお分りの通り、音楽に対してのポリシーなんて、カケラもないやつなんだよね、私って。
トコロガネー、ソンナワタシガネー、コンドノシバイノオンキョウモタントウセネバナランノヨ。
無謀だ(^_^;)。 人がいない劇団というものがどれだけ個々のスタッフに苦労をかけるものかということがよく分る。 演出のよしひとさん、どうかお覚悟を。あ、それと、以前録画しといてビデオの山に埋もれてたイエローモンキーのライブ、やっと見つけました。今度お渡しいたしますね。
で、今、私はパソコンにシティーボーイズライブのサントラ(小西康陽・金子隆博)だのをかけたりしているのだが、ときどきしげが片付け忘れたエロゲー『淫内感染』なんかがディスクボードに残ってたりして、困っちゃうのである。 朝っぱらから枕元で「あん♪」とか変な音を立てたりするしさー。おまえ、ホントに女か?
仕事を早引けして医者で検査に診察。 どうも眼底出血してたのが頭痛の原因らしい。出血したからって、治療のしようがないんだけれども、失明を先延ばしにする摂生くらいはしなきゃなるまい。 細かい検査結果は明日また来院した時に聞くことにして、糖尿の薬をもらって帰る。 ちょっとここの薬局について気になる点が二つ。 一つは薬局の名前の中に「アガペ」って言葉が入ってること。これ「神の愛」って意味だよねえ? なんだか薬屋の名前にはそぐわない気がしてさ、だって、薬が効かなくても「祈るのです。祈れば必ずあなたの病気は癒されましょう」なんて言ってうまく丸めこまれそうでねえ。 もう一つは待合室になぜか川原泉の『小人たちが騒ぐので』が置いてあるんだけど、これも「癒しマンガ」だからってことなの?
待合で読んだ週刊なんたらに、メル友がきっかけで殺人、という今流行の(^_^;)犯罪についての記事。 テレビなんかでは、またもや「出会い系サイト」を悪者にしようというキャンペーンが張られているが、記事を読むかぎり、女のほうが人妻であることを隠して少年と付き合った結果、殺されちゃったと言う、よくある話である。実際「メル友」っていうフックがなけりゃ、テレビで取り上げられる可能性も低いありふれた犯罪だ。 携帯やネットを悪者にしたがるってのはそれだけマスコミの価値自体を下落させることになるから、報道が躍起になって否定しようとする気持ち、分らなくはないが、はっきり言ってみっともないだけである。 要するにこの手の事件が起こっちゃうってのは、マスコミのマインドコントロールに浸るよりも、個人個人の情報ネットを楽しむほうを人々が選択するようになった時に必然的に発生する弊害の一つなんで、もちろんいいこっちゃないんだけども、どうにか回避できるものでもないのである。 またぞろ現実と空想の区別がつかない、とコメントするキャスターが出て来たが、自分の言質のほうが幻想だってことに気がつかぬやつが顧みられなくなることも必然であろう。 ネットは広大だ(^^)。
昨日の夕刊では小泉首相、「ハンセン氏病裁判について控訴する方針」、と書かれていたのに、今朝のニュースでは一転して「控訴断念」とか。 面白い。 小泉首相の「変人」ぶりは本物だ。 私も含めて、日本人が政治に無関心になってしまった原因は、結局それが「出来レース」だってことが、マスコミ報道から見えていた事実によるところが大きい。 「首相は今晩退陣する予定」なんて、なんで事前に判るんだよ、とツッコミ入れたくなるような報道ばっかりだったしな。それが森政権の末期から徐々に変わってきた。「マスコミに予測できない政治」が、戦後始めて誕生したと言ってもいいのではないか。ニュースを見ていても、記者が、「いったいどこに取材に行けばいいか分らない」と右往左往している様子が見えて笑えること。 マスコミ関係者って、政治家以上にエリートぶった鼻もちならない連中が多かったから、溜飲が下がる下がる。
しかも、小泉首相の今回の判断は、ご本人が意識してるかどうかは知らないが、ハンセン氏病患者に対する差別意識を封じる意識捜査を大衆に施したという意味で、画期的なものなのである。 明治の「解放令」以来ね、「差別はしちゃなんねーよ」って法律は何度も出されてるけどさ、「心理的に」大衆に浸透させることはとっても困難だったわけね。人間はどうしたって誰かを差別したがるものだから。昨日まで差別してたのに、今日から差別しません、なんて簡単に変われやしないのよ。 けど、今回、この控訴断念でハンセン氏病患者たちは「小泉首相」という強力な後ろ盾を手に入れたことになった。なのに今後「ハンセン氏病って、移るんでしょ?」なんて態度をとってたら、これは即「小泉首相」を敵に回すことになる。というか、これからは自分のほうが無知な差別主義者ってことで周囲から差別されることになるのだ。自分が差別されるのはみんなイヤだから、こりゃ、偏見は一気に減るぞ。 こんなマインドコントロールを大衆にしかけた点で、小泉首相の業績は歴史的快挙であった、と言っていいのではないか。
ではあるけれども、今や古本屋でも手に入らなくなったハンセン氏病患者への差別表現満載の栗本薫『グイン・サーガ』第一巻、未だに売っぱらわずに取ってあるのである。 まあ、歴史の証拠の一つとしてご勘弁下さい。
トイレに入っていたら、突然の電話。 当然出られないので、しげが受け取ったのだが、あろうことか、○○真っ最中の私に受話器を受け取れという。 「誰から?」 「福岡シンフォニックのUさん」 「ああ、ビデオカメラの件か。用件聞いといて」 「……出て」 「出られないよ。用件聞いといてってば」 「出て!」 しげ、突然、トイレのドアをガタガタ揺さぶり、かかっていた鍵をムリヤリこじあけ、私に電話の子機をつきつけた。 唖然とした。 しげの眼は完全にイッている。 「出られないって言ってるだろ!」 そう言ってドアを閉めたが、さて、しげはいったいどうしてしまったのか。
何度かこの日記にも書いていることだが、しげは、もともと極度の対人恐怖症で、私と出会ったころはほとんど口を開かないほどであった。 いったん心を開けば喋れるようになるんだけど、知らない人相手だと、まだ全然対処のしかたがわからぬのである。 Uさんはしげとも面識があり、別に知らない人ではないのだが、私に用事があって取り次いでもらおうとした時点で、しげにとっては「他人」になってしまうのだ。このあたり、ちょっと理解しにくいかもしれないが、そうなんだと納得してもらう以外にない。 「私の代わりに」用件を聞くことは、しげにとってはパニックを起こすほどに精神的ストレスを与えることになってしまったのだ。この程度のことでパニくられても困るんだが、今んとこしげ自身、セルフコントロールが出来ないので、それを前提に対処法を考えるしかない。 申し訳ないが、しげ本人に用事がある人は別に問題はないのだが、私に用事のある人は、できるだけメールか日記の掲示板か携帯のほうに連絡はお願いしたい。 どうしても電話でないと、という場合、しげが出たらすぐに私に電話を回さず、軽くしげと世間話をして下さい。そのあと、私が電話に出られる状態かどうかを聞いてみて頂けるとベストです。 間違ってもいきなり「幸次郎さんいますか?」なんて聞いたりしないように。
でもUさんもまだパソコンにネットつないでないのかなあ。 引っ越す前はつないでたのに、もしかして電話代節約してるのか? でもつないでた時も、私のほうは「掲示板のほうにいつでもお越し下さい」と言ってたのに、全然来てくれなかったしなあ。やっぱり直接声を聞かないと不安になるタイプなのだろうか。 電話はあまりウチはつながりませんから、ということは言ってあるのに、メールを一切使わないところがよく解らない。
ディズニーの新作アニメ『アトランティス』が『不思議の海のナディア』のパクリではないかと話題になっているが、もちろんパクリに決まっている。 ディズニーのアニメーションの歴史をちょっとでも紐解いてみれば、あそこがどれほどあこぎなことをしてきたか、日本人もいい加減気づいてもいいと思うんだがなあ。 アニメーション制作にあたって、お話よりもなによりもキャラクター至上主義を貫いているのは、他社の映像化を圧殺するためである。「ピノキオ」とか「ダンボ」と言われてあの丸っこいキャラ以外のイメージを思い浮かべられる人がどれくらいいるだろうか? 下手に「ピノキオ」を別のイメージで映像化しようとすると、先の実写版のように惨憺たる結果に終わるのである。 その証拠に、既に世界的にキャラクターが浸透している我が東映の『長靴をはいた猫』をディズニーは未だにアニメ化していない。勝てるわけがないしな(^o^)。 ともかくディズニーの権力思考はアニメの内容にも及ぶ。 昔は露骨に白人がいっちゃん偉いってイメージの映画ばっかり作ってたけど(『ピーター・パン』の主役は東洋人っぽいピーターじゃなく清楚なウェンディーのほうだってことは見りゃ解る)、最近のアラビアやギリシャや中国を舞台にしたアニメでも、結局はアメリカナイズして自分とこの文化に取りこんでて、「相手に学ぶ」って姿勢はカケラもない。 歴史のない国が、他国を蔑むことで自分とこのステイタスを誇ろうとしてる当たり、戦前の日本を彷彿とさせるね。そんなに自分とこの文化がサイコーだと思わなきゃやってけないのかねえ。 だから『パール・ハーバー』か。ベトナムは間違ってもディズニーは映像化しないよな。 才能のない連中がそれでも自分とこの作品を売るためにはどうしたらいいか。 一つは優秀な連中を自分とこに取りこむ方法。ピクサーやジブリとの提携がそうだね。 もう一つはあからさまな盗作。どうせ極東の島国のアニメなんだからパクったって、アメリカ人にゃバレないし、日本じゃかえってそのスキャンダルで売れるだろうって腹が見える。 日本人はバカにされてるのだよ? それでもディズニーがいいと言えるのかな? 百歩譲って、製作者の思想と完成された作品とは別にして考えるとしても、ディズニーの作品で傑作と言えるほどの作品がどれだけある? 大仰なだけで繊細さのカケラもないストーリーのどこに感動できるんだか私にゃまるで解らないがねえ。
マンガ、桑田乃梨子『真夜中猫王子』2巻(完結)。 ああ、意外とあっさり終わってしまった。悪の大臣がこっちの世界にやってくる、というところまではいいんだけど、どうも主役の王子が無気力なんで話が転がらないんだよなあって、それが桑田さんの持ち味ではあるんだけど。 面白いんだけど、キャラクターの人間関係が複雑になろうとした途端、いつも終わっちゃうのは作者本人が「醜いものは見たくない」と頑なになってるんじゃないかって気もする。 ツライ人生送ってきたのかなあ。 でもそのせいで、話がこぢんまりとまとまっちゃって、最近の作品は今一つ印象に残らなくなっている。旧作もほとんど絶版になっちゃってるしここらでもう少し広がりのある話というか骨太な作品を描かないとあっという間にこの作品も絶版だぞ。
マンガ、羅川真里茂『しゃにむにGO』8巻。 うーむ。コーチが出て来て展開がおもしろくなるかと思ってたけど、なんだかありがちな展開だなあ。原秀典の『やったろうじゃん!』とイメージがダブる。 コーチが以前は問題児ってパターン、少しくらい工夫してくれないかなあ。
長部日出雄『天皇はどこから来たか』 戦前、不敬罪に問われた津田左右吉が、実は新憲法発布以前に「象徴天皇制」を提言していた、というのは初めて知った。
諏訪大社の御柱祭は、以前テレビ中継をビデオに録ったことがあるが、恐らくは日本で唯一「人死に」が出ることが黙認されている祭である。 山中で切り倒された大木を下の神社まで曳いていく途中、何10メートルかを一気に坂落としするのだが、上に乗った人間が振り落とされて、毎回何人かは死ぬのである。 あまりそのことははっきりと本には書けなかったのだろうけど、これってつまり神様への生贄なんだよね。日本には宗教がないようなこと言ってるやつがいるけど、一遍各地の「祭」を見てみればいいんだ。 福岡の「山笠」だって、その陰で死んでいった者たちの昔話が残ってるんだからな。
でも、総じて目新しい意見や、長部さんならでは、と言えるような意見は少ない。ちょっと期待ハズレの一冊。
書き忘れるところだったが、今朝の体重は86.2キロ、昨日と変わりなしであった。なんか全然ダイエット日記になってないぞ、これ(^_^;)。
| 2001年05月22日(火) |
我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』 |
わはは。 やっぱり体重の野郎、86.2キロまで揺り戻してきやがった。 朝も昼も食欲がわかず、夜、寿司食っただけだってのに、どうして1キロも増えるんだよう。 やはり運動しないとダメってことなのか? 鈴邑くんから「栄養のバランスも考えないと」とのご忠告を受けたが、家族が二人しかいないと、バランスのとれた食材を買ってくると、野菜だの果物だの、どうしても余ってしまって腐らしてしまうのである。 結局、冷食に頼っちゃう結果になるんだよなあ。 と言うわけで、今、ウチの冷凍庫には、野菜の真空パック、牛肉、豚ばら肉、唐揚げ、タコ焼き、うどん、つけ麺などがぶちこまれているのである。
昨日、休んだツケで、今日は夜8時まで残業。 帰宅してみると、今日はしげも仕事は休みのようだったが、寝ていて全く起きてこない。なんだか本格的にすれ違い夫婦になってきてるぞ。 毎日残業してれば確かに仕事は片付くんだけど、しげが9時からのバイトをしている今、そんなことをしていれば、二人で過ごす時間が、全くなくなってしまう。 いや、別に寂しいわけじゃないんだけどね、特にマイホーム主義者ってわけでもないし。しげと一週間会わないでいても、休日に一緒にいられるんならいいや、程度の感覚なんだよねえ、私のほうは。 ところがしげの方は、それだけではどうにも満足できない、というより不安になってしまうらしい。会わないでいると私が本当に私であるのか、だんだん判らなくなってくるんだと。おいおい(^_^;)。 確かにねー、「男子三日会わざれば刮目して見よ」なんて言うけどさー、たかが何日か見なかったからって、自分の亭主が別人になってやしないかって、一昔前の侵略SFじゃないんだからさー。インベーダーが乗り移ってるわけじゃないんだよ? まあ、私がいきなり三人も現われたっていうなら驚いてもいいだろうけどさー(三田村信行の『おとうさんがいっぱい』ですな)。 でも、しげを不安にさせたいわけじゃないし、明るいうちに食事とジョギングもすませたいので、できるだけ早く帰るようにはしています。私は私なりに夫婦の関係の維持に気を遣っちゃいるのよ。 たまにこうして会えない日もあるんだけど、だからと言って、しげよ、次の日に決まって「久しぶり」って挨拶するのは止めてほしいんだけどねえ。 嫌味か?
「エンピツ」の日記中、最近人気の『七人の侍』、「日記」と言うよりは一種のギャグサイトで、どうやら『侍魂』とか言うサイトのパロディらしい。元ネタのことはよく知らないのだが、覗いてみると確かに面白い。 コミケの閉鎖性を当てこすったり、小泉首相の俗っぽさに突っ込んだり、読者をからかうようなクイズのアイデアもなかなか笑える。 ただ、どうにも気になってるのは、表紙にホントに『七人の侍』のスチールを使ってることなんだよねえ。いや、別に著作権がどうのって言いたい訳じゃないのよ。 インターネットってのは確かに無法地帯だ。著作権おかまいなし的なところがエネルギッシュで、おかげで各サイトが面白くなってる面はある。できればある程度の「引用」は許諾してもらいたいなあと思っちゃいる。 写真のパロディなんか特にそう思うわけで、コラージュを「著作権の侵害だ!」なんて言われた日にゃ、アンディ・ウォーホルだって出版禁止になってしまう。マッド・アマノ裁判を例にとるなら、パロディが元ネタの価値を高めることだってあるのだ。ちょっとからかわれたくらいで怒り狂い、弾圧しようってのは戦前の官憲と何ら変わりがない。というか、そういう権威的なものをからかうことにパロディの意味だってあるんだしね。 だからこそ、なのである。 『七人の侍』のスチール飾ってるだけって、それパロディにも何にもなってないんだよねえ。せめてイラストにするとか、工夫が欲しい。なら、そのこと相手に伝えりゃいいじゃんと言われる向きもあろうが、難癖ととられるのもいやなんで、直接相手の掲示板に書きこんだりはしない。
でもモノホンの『七人の侍』のDVD、いい加減で国内販売せんかなあ。今やコメンタリーができる俳優が土屋嘉男くらいしか残ってないってえのに。
『ヒカルの碁』のオフィシャルサイトやファンサイトを覗くが、やはり「アニメ化決定!」とウワサされつつ、詳細は全く判っていない。 それはそれとして、あちこちサイトを覗きながら気づいたことなのだが、私は初めてっきり、『ヒカ碁』のファンページは「佐為さまラブ」みたいなサイトばかりじゃないかと思っていたのだ。 ところが、めぼしいもののほとんどが「碁」の解説サイトである。もうマジメもマジメ、碁を全く知らない私にはチンプンカンなヨセだのハネだの、マンガ中で私が読み飛ばしている専門用語が解説なしで(解説するならそこから始めてほしい……)飛び交っていて、みんな真剣なのがよくわかる。 うーん、『ヒカ碁』が碁ブームを巻き起こしたってオビに書いてあった惹句、あながち誇大広告ではないのだなあ。今回の佐為VS名人の元ネタになる棋譜も実在してるそうだが、それだけリアルに描こうという作者の気概の表れなのだろう。 碁を知らなくても楽しめるマンガだが、碁を知ってたら恐らく3倍、4倍楽しめただろうと思うと、死んだおふくろにもっと将棋や碁を習っとくんだったなあ、と後悔しきりである。
夜、合唱団のUさんから電話あり。 知り合いの結婚式の撮影のためにビデオカメラを貸してほしい、ということだったが、ついでに聞いた世間話の中でちょっと驚いたことがいくつか。 一週間ほど前、東京で「野猿」の解散コンサートに行ったあと、「死ぬ理由もないが生きている理由もない」と遺書を残して飛び降り自殺した少女、Uさんの話しによると、どうやら知り合いの知り合いらしいのだ。 ということは私の見知らぬ子ではあるのだが、いやはや、こりゃあまりからかうようなもの言いがしにくくなってしまった。 宗教嫌いの私にしてみれば「命を大切に」なんてスローガンは宗教そのもので口が裂けても言えない。自殺した子にとっても、こんな言葉は一番自分から遠いセリフだったはずで、それを口にすることが偽善であるどころか死者を鞭打つ行為であることは明らかである。 死んだ子は「生きる理由がない」と言ったのだ。この世に生きるための絆がなかったのだ。今更「命を大切に」だなんて、その絆がなかったことの責任を、誰かに負わせるつもりか。それは死者にか、残された人々へか。 無駄だ。 誰にその原因があるかなんてことを話したって意味はない。それはただの事実に過ぎなかったのだから。その子は自分のことを「路傍の石に過ぎない」と言っただけである。 「死ぬ理由もないなら生きててもいいじゃん」という言質も遺書の言葉の意味を捉えきれてはいない。自分の存在が石のように希薄になっていけば、人はその存在を確認するために暴力的な行為に出ることが往々にしてある。 「私はただの石ではない」という主張である。 彼女の場合、それは内に向かって放たれたのだ。外に向かって、殺人なんかを起こされるよりは遥かに理性的な処断である。もっとはっきり言えば、彼女の自殺は一種の「自決」なのであって、それに対して他人がどうこう言える問題ではないし、言うべきでもない。
エスクァイアマガジンジャパン刊、『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』読む。 歌手や俳優や評論家、映画監督などなど、ほとんど誰彼なく無節操に「あなたの大好きなアニメは?」とインタビューしたもの。 これについて書き出したら、いくら時間があっても足りるまい。
しかし、これだけは必見、というものを選べば、『幻想のルパン帝国』の作者である高橋実による、『カウボーイビバップ』の監督渡辺信一郎へのインタビューだろうか。 「スパイクを死なせることに意味があった」と監督は明言する。 『ビバップ』の主人公、スパイクの片目は義眼だった。最終回、彼は、「義眼で現実を見、本物の眼で過去を見ていた」と語る。ビバップ号での夢のような日々、あれは作りものの眼で見た風景だった。言いかえれば、あのアニメ自体がただの「虚構」であり、「夢」だったのだ。 男が本当の眼で、現実を見る時、彼は過去を見て死を選ぶことになる。スパイクの死はある意味自殺であった。
さっき書いた自殺した女の子のこととあまりにシンクロしていて、一瞬、気味が悪くなった。あの子は多分、自分自身の「現実」をやっと手に入れたのだ。夢の中に取り残されたのはむしろ私たちの方だろう。もし私たちのほうが現実だというのなら、口が避けても「命を大切に」なんて世迷言を言ってちゃいけない。それはそうあればいいと願う「夢」を見ているだけだ。 命が大切にされてる「現実」なんてないのだから。
あと、もう一つ二つ訂正。 巽孝之が東映動画の傑作、『わんぱく王子の大蛇退治』を「宮崎アニメ」、と言っているが、まだ宮崎駿は入社していないので誤り。 また、みうらじゅんが「昔はマンガとテレビマンガは同じものだったが、『アニメ』という言葉が生まれてから違うものになった」というのも認識不足。マンガとアニメは最初から全く違う。大塚康生の本でも読め。『作画汗まみれ』が新版で出るぞ。
しかしみんな、「アニメが好き」って口にはするけど、「アニメを読む」ことができてないだけでなく、内心やっぱりバカにしてるのが見えてくるのが腹立たしい。最近あちこちでしょっちゅう「アニメは社会的に認知されていない」発言を繰り返す庵野秀明、やっぱり今回も同じことを語っているが、『クレヨンしんちゃん』をバカにする連中のほうが世の中には圧倒的に多いことを考えると、宜なるかななのである(丁度今日、『学校へ行こう!』の「未成年の主張」で、「俺は『クレしん』が好きだ〜!」と叫んでたなあ)。 「マイ・スイート・アニメ」ってタイトル、皮肉か?
夜、いつものジョギング。毎日のことだけど、こう書いておかないとサボってるように思われるかもしれないのでやっぱり書いておこう。
明日、医者に行くかと思うとなかなか寝つけない。 「死」についてモヤモヤと考えていたせいだろうか。もっとも、自殺肯定のように受け取れる文章を書いたからといって、別に私が自殺したいと思ってるわけじゃないので、ご心配なく。 第一、自殺しようってやつが同時にダイエット目指すもんか(^^)。
| 2001年05月21日(月) |
アニメな『ヒカ碁』/『臨機応答・変問自在』(森博嗣)ほか |
おおっ、体重が一気に85.2キロに! やはり肉練すると効果がある……というわけではなく、また体を壊しただけなのだが。 何日か前から血便が出てたんだけど、今朝は特にひどくって、便器は血塗れ。いくら水を流しても、赤い飛沫は白い便器に滲んだまま一向に消えない。 こう書くとなんだか凄くひどいみたいだけど、私にとってこんなのはしょっちゅうなので、もはや自分の体を心配する神経が麻痺している。 放っときゃそのうち治るでしょ、とお気楽に構えているのだ。 しかし、どうも今回は何日経ってもなかなか出血が治まらない。無神経な私もチトヤバイかな、という気がしてきた。 私の血便の原因は今まで9割5分が痔、残り5分がポリープのせいなんだが、痔ならまあ、何ということもない。座薬を射しときゃいいだけである。でもこの残り5分の可能性があるだけに、いちいち医者にかからねばならないというのが面倒臭い。 例の頭痛の件もあるし、明後日あたりには仕事も暇になるだろうから、医者に行くことにするかな。
ともかく朝から腹痛がひどい。 トイレにこもりっきりで、午前中は仕事を休む。 全くタイトルを「半病人日記」にしちまったほうがいいんじゃないかって気がしてきたな。 午後からの仕事も適当に切り上げる。というか溜まった仕事を明日に回す。 明日は明日の風よ吹け、火よ燃えろ、水ようねくれ、地よ吠えろである。
外はまる一日雨模様で、しかも蒸し暑い。 そろそろ夏というか、梅雨が近いのだろう。 今のところ毎日続いていたダイエットのためのジョギングも、これではさすがにムリである。 でも買い物の予定があったので、自転車をかっとばす。 案の定、途中で歩道の真ん中に突っ立ってた自動車乗りこみ防止の鉄柱にぶつかる。スピードを落としていたのでケガはなかったが、あれ、ライトに反射するようにしてないと意味がないよなあ。
知り合いの本屋で、今週の少年ジャンプ、『ヒカルの碁』だけ立ち読み。 先週のあの怒涛のクライマックス、さて、今週はいかなる展開に? ……そうか、ついに「時」が動き始めたのだねえ。 しかし果たして本当に佐為の役目は終わったのだろうか? もしそうなら、彼が一旦は本因坊秀策の身に乗り移ったのは何故なのか。物語は明らかにもう一つの(恐らくは最後の)クライマックスに向かって走りつつあるが、更にもう一波瀾くらいはあるのではないか。 でも、ここまですっきりと盛り上がってきたのだから、無理に間延びさせずに、きちんと終わらせてほしいものである。
さて、それはそれとして気になる『ヒカルの碁』アニメ化のウワサであるが、やたらあちこちのサイトで「決定!」の 文字が踊っているが、オフィシャルページでの発表は未だにない。実際、プロダクションが制作したにもかかわらずプレゼンテーションに失敗して、スポンサーが付かずにポシャるということは、この世界ではいくらでもあるので、油断はできない。 テレビ東京系で10月からの放映予定であるとか、あの『エヴァ』『ウテナ』の大月俊倫プロデューサーがプッシュしてるとか、シリーズ構成は『ポケモン』『ビックリマン2000』の冨岡淳広だとか聞くが、さてどこまでがホントやら。 アニメ化なんてやめてくれ〜という声も多かろうが(私も基本的にはマンガのアニメ化自体に反対である)、じゃあたとえば宮崎駿が、高畑勲が、庵野秀明が、山賀博之が、押井守が、大友克洋が、りんたろうが、出崎統が、幾原邦彦が、河森正治が、今川泰宏が、大地丙太郎が、本郷みつるが、原恵一が、トレイ・パーカー&マット・ストーンが、富野由悠季が(^^)、ついでに死んでるけど手塚治虫が、『ヒカ碁』アニメ化に挑むとなったらどうだろうか。 なんかヤダ、と感じつつ、見てみたいとは思わないだろうか。少なくともこれらの人々なら、マンガの人気におんぶに抱っこの無難な(つまりは初めから駄作となる)作品を作ることは絶対にない。化けるかコケるか二つに一つだ。 ……適当にアニメ監督の名前を挙げてみたが、出崎統なんかはありそうだよな。杉井ギサブローは『タッチ』以来、無難になっちゃったので不可(^^)。
ヤマダ電器では約ひと月ぶりに生ビデオテープを20本、まとめ買い。 先月は東京行きもあったので、実は映画を一本もエアチェックしていない。贅沢しているようで、一応我慢するところは我慢しているのである。 でもやっぱり貯金は減る一方。ボーナスまでまだあと一月半あるのになあ。今月は乗りきれるだろうか。
回転寿司屋で寿司を五人前ほど折り詰めにしてもらう。 しげへの土産だが、多分あいつのことだから、一晩で全部平らげてしまうのだろうな。 こんなことを書いてると、しげから「自分の妻に対して愛がない」とすぐに文句を言われてしまうが、ただの事実を述べているだけなのにどこが悪い。私の言うこと書くことを否定したいのなら、食っちゃ寝食っちゃ寝の生活を改めればいいのである。
帰宅すると、タッチの差でしげは仕事に出ている。 パソコンに「冷蔵庫に寿司入れといたよ」とメールで伝言を残す。味気ないメールだが、何も書かないよりはマシだろう。ホントに、一週間くらいなにも送らないでいると、すぐにブーたれるのだから始末に悪い。これだからしげにメールを書くのはつまらないのだ。
森博嗣『臨機応答・変問自在』読む。 小説でもエッセイでもなく、森さんの工学部での学生とのあいだのQ&Aをまとめたもの。 全体的に学生の質問は幼稚で、森さんの回答はほぼ韜晦に終始している。森さんの性格の悪さがよく判る(^^)本である。 「この勉強は役に立つのか? 意味のあることなのか?」という質問に対して、「キミの人生に意味はあるの?」と質問で返すあたり、短気な学生なら腹を立てそうだが、「テメエみたいなバカは大学に来るな、帰れ」と言わないだけ、森さんはオトナである。自分の給料がどこからでているか、誰が学費を払っているかがよーく、判っているからだ。この返答のし方なら、誰かから何か文句を言われても充分「善意」の回答である、と言い訳が立つ。 でももっとオトナな人は、「人生に役に立たないことなんかないよ。みんながどこかで何かの絆でつながってるんだからね」なんてこれっぽっちも信じてない絵空事を滔々と語るだろう。 けだし、オトナになるということは詐欺師になることと同義であるか。 マンガ、あだち充『いつも美空』4巻。 おおっと、ようやく話が転がり出して面白くなってきたかな。 これまでほとんど進展らしい進展がなく、作者はもしかして本当にこのマンガをどういう方向に持っていくか考えてないんじゃないかと疑問に思っていたのだ。 美空は演技の才能をようやく見せ始めるし、ようやく仲間の超能力が全て出揃ったし、ライバル登場も長期連載のための布石でもあろう。特に、ライバルの鼻をあかすラストのオチは機転が利いている。 でも盛り上げるだけ盛り上げといて、『虹色とうがらし』みたいにストンと打ち切りやがったりするからアテにならんのだよなあ、この人は。 でもやはり少年サンデーの看板マンガ家はこの人でないといけない。『コナン』にいくら人気があっても、『コナン』のファンはサンデーのほかのマンガまで面白がって読んだりはしないのだ。
雨が少しでも止んだらジョギングしようと思っていたが断念。明日体重が元に戻ってなけりゃいいけどなあ。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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