無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年04月26日(木) イシャはどこだ!/映画『黒蜥蜴』(1962年・大映)ほか

 朝になったら少しは具合もよくなってるかと思ったが、相変わらず眩暈が激しい。
 寝汗はかいているが熱はないし、頭痛もしないので、風邪ではなさそうだ。
 要するに自律神経失調症の類かと思って、ともかくも医者に行く。
 診断は一言、「風邪ですね」。
 眩暈と立ちくらみと吐き気と寒気しかしないのに?
 「寝汗をかいてるってことは熱が出てるってことなんですよ」
 ともかく医者にそう言われた以上は納得するしかない。栄養剤の注射をしてもらい、薬をもらう。心なしか、注射のおかげで気分が回復したような。


 病院の待合に、大塚製薬発行の『OTSUKA漫画ヘルシ−文庫』というのがあったので、何気なく手にとってみると、この作者のラインナップが凄い。
 ほんの小さな冊子なのに、横山隆一・前川しんすけ・二階堂正宏・浜田貫太郎・秋竜山・小山賢太郎・赤塚不二夫・あべさより・石ノ森章太郎・ヒサクニヒコと言った、錚々たる面々がズラリと並んでいるのである。でもなんだかいかにも大家の手遊びと言った感が強く、ほとんどマンガ的に面白いと言うほどのものではなかった。
 唯一笑えたのが二階堂正宏の『生命の誕生』。だいたい、健康シリーズでなんで「生命の誕生」か、という気がするのだが、その生命の誕生を探るために、ビッグバン直後の宇宙へ「どこでも四畳半」で飛んで行く、というのが無茶苦茶だ。で、主人公の男の子の名前が「無茶雄」。……確信犯だな、こりゃ。
 ほかにも『ぞうのはなはなぜながい』という絵本があって、この絵を『コロポックル物語』シリーズの村上勉が描いている。何気なく手に取ってみると、これが表紙には書いてなかったが、あの『ジャングルブック』のラドヤード・キプリング原作の童話であることに気付き驚いた。
 さらにはその中に『クジラはなぜクジラになったか』という話が収録されていて、これの原作者が『アイアン・ジャイアント』のテッド・ヒューズ。
 うひゃあ、なんだかさりげないところでとんでもないものを見つけてしまったぞ。ストーリーも結構ぶっ飛んでいて、クジラはもともと神様の畑に生えていた野菜だったそうである。あまりにでかいその野菜のせいで、ほかの野菜を育てられなくなってホトホト困り果てた神様、仕方なく動物たちにクジラを運んでもらって海に捨てた。クジラは塩を吹いてなんとか小さくなり、もう一度畑に戻りたいと今も塩を吹いているのです、というもの。
 ……オチは『李さん一家』か『ヨダカの星』か。なんにせよなかなかの珍品である。
 出版社等が判れば、と、あとでネットを検索してみたが、この本に全くヒットしない。……もしかして、結構な希覯本? もういっぺん病気になって(おいおい)、医者に行ってタイトルと出版社、確かめてこようかなあ。


 仕事は今日から少し楽になる。
 明日一日働けば三連休だし、ちったあ養生できようというもの。
 何人かの同僚から「大丈夫でしたか?」と心配されるが、去年はこんなふうに気遣ってもらったことって、なかったなあ。この程度のことなのに、なんだか妙にうれしくなってしまう。
 カラダはツライが、こうなると俄然働かねばなあ、という気になる。やっぱり去年の上司は人を使う術を知らぬやつだったのだとつくづく思うな。


 帰宅してLD『黒蜥蜴』を見る。
 個人ホームページを立ち上げるために、資料として以前買っていたのをやっと全編通して鑑賞。
 珍品と聞いてはいたが、確かに凄い。エアチェックした『黒蜥蜴』、ウチには美輪明宏、小川真由美、岩下志麻版がそれぞれあるのだが、「踊る」黒蜥蜴ってのはこの京マチ子版だけだろう。
 誰だ、『黒蜥蜴』をミュージカルにしちまおう、なんて考えたのは(^_^;)。
 監督の井上梅次、言わずと知れた『嵐を呼ぶ男』の監督さんで、和製ミュージカルならお手の物であろうが、どうも違う気がする。思うに、こんな素っ頓狂な発想は、脚色の三島由紀夫以外にないのではないか。なにしろ、自分の戯曲にはもともと無かったミュージカル用の作詞まで手がけているのである。
 ホームページには乱歩の原作、三島由紀夫の戯曲、新藤兼人の脚本の三つを比較して分析したものを載せようと考えているのだが、さて、完成はいつになることやら。
 名探偵明智小五郎役は大木実、『恐怖奇形人間』でも明智を演じているが、どうしてこう「珍品」の明智ばかり演じているのか。


 マンガ、半村良原案・田辺節雄作画『続戦国自衛隊』3巻読む。
 アメリカ軍をタイムスリップさせ、自衛隊を壊滅させたのはいいアイデアだろう。まともに戦闘すれば侍が自衛隊に勝てるわきゃないんだから、このネタのポイントは、「いかに自衛隊を弱くするか」にかかっているのだ。
 そして、この巻でようやく、この世界がパラレルワールドの日本であり、本来の歴史とは関係ない、という設定が出された。
 これでもう、怖いもんなしである。歴史が変わるか変わらぬか、あと1巻程度で終わりだろうから、うまいオチをつけてもらいたいものだ。


 「ハラ減った、ラーメンでも作って」と女房に頼んだら、「ハンバーグ」を作ってきた。
 さて、これはサービスなのか反抗なのか?


 唐沢俊一さんもようやく(と言っても、公開から1週間経ってないんだが)『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』をご覧になったようである。
 感想を日記に書いただけでなく、唐沢さんにしては珍しく、オタアミ会議室の方にも書き込みをされて、ほぼ絶賛である。
 正直言って、唐沢さんがどういう感想を抱かれるか、不安であったのだ。以前から唐沢さんの著書を拝読し、自分と似た感性を持っていらっしゃることを知り、共感も覚えていたのだが、似ているだけにかえって同族嫌悪的反発も起きる。
 少しでも意見の違う部分があると、「いや、それは違うのではないか」と反駁したくなってしまうのである。もちろん、冷静になって考えれば、たいていはムキになる必要もない、少し視点を変えてみればそういう意見も有り得る、という程度の、許容範囲内のものに過ぎないのだが、なかなかそう落ちついて考えられるものでもない。
 今回の唐沢さんのご意見の中でも、私は「この作品がカリスマとして、世のアニメマニアたちの常識をくつがえす力を持っていないのは、まさにその出来のよすぎるところに原因がある。ダイナミクスというのは、偏頗なものに宿るのだ。」というところで引っかかった。
 考え方自体はまさしくその通りだと思うが、つい、「でもその『偏頗なもの』って、現実的にはたいていダイナミクスのカケラもなく、カリスマにすらなり得ないものが多いんじゃないでしょうかねえ」などと憎まれ口を叩きたくなってしまうのだ。
 唐沢さんを毛嫌いする人間なら、更に「唐沢はアカデミズムを嫌うあまり、王動的な作品を否定している」と見当違いの難癖をつけてくるだろう。
 もちろん、そんな行為に意味はない。これも唐沢俊一批判をする人間は全く気がついていないことなのだが、唐沢さんがアカデミズム自体を否定したことなどは実は一度もないのだ。
 唐沢さんが批判していたのは、“従来の”アカデミズムが見逃し、取り落としているモノが世の中にあまりに多い、という点なのである。
 実際に社会を構築し動かしているエネルギーは、「国語算数理科社会」のようなおベンキョウによって作られるものなどではなく、それ以外の得体の知れない様々な“ガジェット”の方にあるのではないか、と指摘しているのである。その論理の立て方自体は立派な「アカデミズム」である。
 つまりは従来の知とは別の知の大系でモノを見ようとしているのであって、唐沢さんの「B級学」も、岡田斗司夫さんの「オタク学」も、それが「学」であり、アカデミズムであることは、しっかりタイトルで謳っているではないか。
 私が憎まれ口を叩きたくなるのは、唐沢さんたちが、敵のそういった誤解をあえて引き出すために「B級」だの「オタク」だのといういかにも反発を買いそうな言葉を使って差別化を図っている点で、そんな言葉を使わなくても既に唐沢さんたちのやっている行為は「博物学」ないしは「考現学」の範疇で説明できるじゃないか、と言いたくなってしまうのである。
 でもそんな大人しい言葉では、とても世間の関心を呼ぶものでないことは私も重々承知している。時には揶揄、時には皮肉、時にはハッタリと、様々な「演出」を試みねば、言葉は人の心に届かない。
 真実が心に届くのではなく、たとえウソでも心に届いた言葉が真実となるのだ。
 多分、『オトナ帝国の逆襲』についても、唐沢さんは冷静にその欠点をも見つつ、あえて「ベタ誉め」する方法を選んだのだろう。しかもそのやりくちが「この面白さ、若いお前らにはわかるまい、ザマーミロ」という挑発的なモノ(^_^;)。ううむ、私はさすがにそこまで思いきっては書けなんだ。やはりプロの方は辛辣である。
 『キネ旬』などの夜郎自大な映画雑誌は、今年も『クレヨンしんちゃん』をほぼ無視するであろうが、このままあの傑作を埋もれさせていいわけはない。
 宮崎駿がオタクたちのカルトからメジャーになったように、「原恵一」も21世紀を担うアニメ監督として、盛りたてていかねば、と、たかが一介の市井人は考えているのである。 


2001年04月25日(水) おむすびころりん/『最終兵器彼女』4巻(高橋しん)ほか

 朝はまあ、何ということもなかったのである。
 確かにひどく寝汗はかいてたけどね、「なんだなんだこの汗は。別に○○○○○○○ないぞ」と思いつつ、職場に行った。
 昼にさしかかるころから、頭が重くなり、眩暈がして、歩くとパンチドランカーになった矢吹ジョーのように蛇行し始めた。
 立ちくらみが激しく、ついには椅子から立ち上がれなくなった。
 マジでヤバイ(゚-゚;)。
 それでも仕事を中断するわけにはいかず、気力でやりぬく。
 自分で言うのもなんだが、仕事がんばってるよなあ。これでどうして上司の覚えが悪いかなあ。やっぱり生意気に思われてるからだろうなあ。
 特に反抗的な態度なんかとってないんだけどなぜかそう思われてるらしいのは、私の口調が慇懃無礼に聞こえるからなんだろうなあ。
 だから女房からは「あんたの世界の中心にはサインポールが回っている」と言われてしまうのである。
 わかってんなら改善せいってか?
 しかし、私が二歳のころの録音テープが残っているのだが、声質はともかく、口調は今と全く変わっていないのである。
 『クレヨンしんちゃん』のカザマ君の「何言ってんだよ、バカだなあ」というセリフをもっと抑揚をつけて喋っていると考えてもらいたい。
 ……二歳でこれだぜ。やなガキだよなあ。しかしいったいどこをどうやったらこんなガキに育てられると言うのだ。やっぱり職人の家に生まれたせいか? だとしても、ここまでどっぷり身に染みついてるものは、今更改善のしようもないのである。
 ちなみにそのときのテープには、私が『ウルトラQ』のテーマソングを「だだだだ、だだだだ、だだだだ、だだだだ、だだ〜ん、だだ〜ン」と歌っているのまで収録されている(^_^;)。
 それはそれとして、眩暈と立ちくらみと吐き気と寒気である(あ、増えてら)。
 このままおさまりそうにもないので、明日病院に行くことにして、仕事をいくつか同僚に頼んで帰宅(別に早引けはしてないぞ)。
 ああ、でもこれでまた、片付けなきゃならない仕事が溜まるんだよなあ。しわ寄せは翌日に来るのである。

 晩飯は女房がコンビニで買っておいたやたら辛いビーフン。
 またまた胃に悪そうだが、女房が意に介した様子はない。女房もこの日記読んでるんだからなあ。少しは夫のカラダを気遣って健康によさそうなものを作ってくれるなりしてくれてもいいように思うが、現実は全く正反対である。
 もしかして、女房、私に殺意を抱いているのか?

 DVD『ヤング・フランケンシュタイン』、見残していた特典映像などを見る。
 私のフェイバリット・コメディアンの一人である故マーティ・フェルドマン、メキシコでのインタビューに答えている映像が収録されているのだが、あのバ○○○氏病かと思えるほどのギョロ目ではない。
 斜視は斜視なのだが(メル・ブルックスのコメンタリーによると、横は見えても真正面は見えないそうだ。ほんまかいな)、普通にまぶたを閉じている。
 あのギョロ目、演技だったのか!
 『サイレント・ムービー』でもあの目で出演していたから、てっきり地顔だと思ってた。
 しかし、フェルドマン氏の声、実にスマートでいい声である。
 私が初めに出会ったのは、テレビの吹替え版。熊倉一雄氏のダミ声の印象が強いものだから、本人の声の方がかえって違和感あること夥しい。
 ご存知ヒッチコックの声もそうだが、本人以上に本人にハマっているというのは、吹替えとしてはチト考えものではあるのだ。
 個性的な声の人って、面白いけど、アニメならともかく生身の人間に声をあてるとなると、使いにくいことも多々あるだろうと思う。熊倉さんかアテると、どうしてもトラヒゲかブルートが喋ってるように思えてしまうし、大平透だとハクション大魔王か喪黒福造だ。
 肝付兼太も、何やってもスネ夫だしなあ。
 今時の声優は無個性だ、とはよく言われるが、ホントはそのほうがいい面もあるような気がする。

 この日記、「エンピツ」というサーバーから借りて書いているのだが、先日の移転に伴って、お気に入りの日記を登録することができるようになった。
 私も他人の日記を覗くことが好きなので(陰険と呼ぶなかれ。もともと平安朝の「日記」などは他人に読まれることを前提としていた)、アニメ・マンガ関係のものを中心にちょこちょこ覗いているのだが、意外に広範囲に渡ってマンガを読んでいる人が少ない。
 ジャンプならジャンプ、サンデーならサンデーと範囲が決まっていて、それ以外のマンガにはあまり目を通していない様子なのである。
 ……知り合いがみんなオタクだからなあ。マンガに通暁してるだけでなく、ウォーキング・ディクショナリーって連中がゴロゴロいるけど、世間一般ではあまりマンガを読まないほうが普通なのかねえ。
 今の所、「アニメ/漫画」のジャンルでは投票数トップの方がいて、この方の日記を「お気に入り」に入れているのだが、これがどうやらプロの少女漫画家さんらしい。当然名前は変えてらっしゃるだろうから、どの雑誌にどういうマンガを描いているのか全く分らないのだが、さて、それを勝手に推理するのが楽しいのである。
 主婦でもいらっしゃるようだし、ページ数は結構もらってるほうで、シメキリに追われてもいるようだから、新人さんではないようだが、少女マンガも範囲が広いからなあ。
 ホントに勝手に、美人で『ちゃお』とか『りぼん』とかに描いてるんじゃないかと決めつけてるが、これってめちゃくちゃ失礼かも知れない。もし私のこの日記読んでたらごめんなさい。
 ……『フィールヤング』とかだったらどうしよう(^_^;)。

 今日も体調が優れず、10時には寝たのだが、4時間もしたら目が覚めてしまった。……疲れてるならぐっすり眠れそうなものなのに、眠っても眠っても起きちゃうってのはなぜだ。
 女房が夜中に帰って来るのを迎えられるのはいいけど。
 さて、その女房、今日はバイト先の「リ○○○ハ○ト」からとんでもない土産をもらってきた。
 一目見て、思わず「なにこれ!」と口に出た。
 ビニール袋に20個ほど、米の量で言えば10合は軽くありそうなオニギリの山である。
 「あまったの」
 いや、あまったからって、フツー、こんなに持って帰って来るかな(・・;)。持って帰って来るほうも持って帰って来るほうだが、持たした方も持たした方である。確かに女房はいつもモノ欲しそうに、今にも「ギブミー・チョコレート!」と言い出しそうな顔をしているが、まさか「同情するならメシをくれ」と言ったわけでもあるまいにアルマーニ。
 やっぱり例の「超いい人」のマネージャーさんの善意であろうか。
 女房の話によると、そのマネージャーさん、今日も『RED SHADOW 赤影』の特番を見ながら、「昔、この番組大すきだったんだ! 今のドラマはみんな夢をなくしてるよね!」とのたまったそうである。
 ……その批評があたっているかどうかは別として、私はこの人と宮崎駿のそばにいたら、「ああ、そうですねえ」以外のセリフは吐けないような気がする(^_^;)。

 マンガ、高橋しん『最終兵器彼女』4巻。
 決して技術的に下手なマンガ家さんではないと思うのだが、ハテ、この人は「戦争の悲惨さ」を描きたいのだろうか、それとも「究極のラブストーリー」を描きたいのだろうか。
 4巻を重ねても、敵の姿は一向に描かれず、戦争そのものも断片的に描写されるのみで、作者の視点がどこにあるのか、どうにも掴めないのである。
 結局「戦争なんてその現場にいる人間にだって理解できるものではない」と言いたいのかもしれないが、だとしたら読者が「何を描きたいの?」という疑問を持ったとしても仕方があるまい。
 思わせぶりな展開が続く中、シュウジもちせも浮気っぽい行動に走っていく。ちせが「兵器」であることは、確実に二人の間を遠ざけていくが、そもそも「戦争」というタームを持ちこんだ時点で、それは当然の結果である。凡百の戦争ドラマのフリをしたメロドラマが描いてきた定番にすぎない。
 本気で作者がラブ・ストーリーを描きたいのなら、「戦争」を乗り越えてでもこの恋愛を成就させねばならない。
 恋愛ものの鉄則は、たとえその二人が傷つき、現象的に別れることになろうとも、精神的な恋愛は必ず成就させねばならない点にあるのだ。
 シュウジのちせへの思いが深まるのに反比例して、ちせの心はどんどん荒んでいって、なんだかラストでうまく着地しそうにない雰囲気になってきたぞ。大丈夫かなあ。

 マンガ、橋口隆志『ウインドミル』10巻。
 滝ちゃんの髪型もすっかり変わって、もう「アヤナミもどき」とは言われない感じになってきた。
 もともと『エヴァ』の絵に似せて描いてたのはキャッチーな要素として確信犯的にやってたのかな。一度ファンをとりこめば、あとはマンガそのものの魅力で惹いてみせようと言う作者の自負の表れかも。
 月刊誌で10巻を数えたと言うことは、充分人気があったということだろうけど、それでも作品的には小器用に纏まってる感がしてならない。なまじリアルな『エヴァ』の線を用いたために、「滝ボール」の「魔球」としての迫力が出ない結果になっているのだ。水原勇気のドリームポールを引き合いに出すのは酷かもしれないが、魔球的にはたいしたことのないドリームボール(「滝ボール」の方は「分身魔球」だけど、ドリームボールは所詮ただの「ホップ」だもんね)の方が魅力的に見えるのは、やはり線と演出の差によるところが大きい。
 思いきったウソがつけていないのだ。
 今回の表紙はビキニの水着の滝ちゃんだけど、結局は“そういうマンガ”だってことなのかなあ。

 夜中にやっとテレビで、小泉首相誕生のニュースを見る。
 政治家でも政治屋でもない、「青二才」政権の誕生は戦後初ではないのか。ほかの連中に期待できないからと言って、なんだかほとんどバクチのノリだなあ、という気がしてくる。
 小泉純一郎にもっとも近い性質の首相を歴代の中から探せば、いかにも腰砕けそうなところが近衛文麿に似てるんじゃないかと思ってるんだが、さて、時代自体も“そっち”の方に流れていかないことを、一庶民としては祈るしかないよな。


2001年04月24日(火) ギャグマンガの地平に/『相原コージのなにがオモロイの?』ほか

 ……今はいつ?
 夜中なんだか明け方なんだかわからない。
 夢を見ているのか、現実なのかもわからない。
 でも、口の中になにか違和感だけがあるの。
 ああ、冷たくて気持ちいい……。
 でももうダメ。
 意識はそのまままどろみの中に消えていく……。

 ……どれくらい経ったのかしら、また口の中に何かが……。
 でも、これ、前のと全然違う。
 ああっ、何なの? この口の中いっぱいに広がる刺激は……。
 ああっそんなに何度も押しこんできちゃいやっ……。

 ……気持ち悪いからやめよう。下手に偶然この日記を読んだ人が、本気でその手の暴露日記と勘違いしたら敵わん。……どうもいきなりこんなスタイルで書き出しちゃったの、拾った『秘本』の悪影響かもしれんな。
 ……要するに、寝ている私の口の中に、女房がアイスモナカとジャンバラヤを詰めこんで来たのである。
 朝っぱらからそんな「どうぞ胃をコワしてください」みたいなもん、食わせるんじゃねーや。 

 あー、火曜日かあ。火曜日って何があったんだっけえ……。
 って何か書けるほどのことがあるわきゃないのだ。
 何しろ、帰宅して疲れ果てて、ぶっ倒れて爆睡して夜中に起きたんだから、仕事のこと書かなきゃ大して書くこたないのである。
 とりあえず窓の外は雨。
 ああ、今日もタクシーで通勤せねばならんのか。
 税金も今月落ちるってのにイタイなあ。

 病気休業中の同僚の仕事の代理、今日で終わる予定が明日まで延長。
 臨時雇いの方が(うら若き女性が二人も助っ人)、本当なら明日から来る予定だったのだが、「すみませーん、健康診断があってえ、木曜日からしか来れないんですけどお」の一言で延期になっちゃったのだ。
 いやまあ、健康診断はいいんだけどさ、こう体力の限界に挑戦するような仕事続けてりゃ、こっちのほうが健康診断はおろか、死亡診断がおりたって仕方ない状態になってきてんスけど。
 マジでシャレにならんのに、私の口から出たセリフは「あ、いいですよ。木曜日からで。来ていただけるだけでありがたいです」
 ……別に相手が若いねーちゃんだからってわけでは決してない。
 ただの痩せ我慢だ。
 ああ、中年パワー、もうひとふんばりってか? しくしく(T_T)。

 『キネマ旬報』5月上旬号、ティム・バートン監督の新作、『猿の惑星』のスチールが紹介。
 以前の作品はそのテーマの重さに比して映像自体は明るく「白い」印象が強かったが、今回のリメイク版は監督が監督だけにやけに「黒い」。
 何となく、『砂の惑星』に印象が近いが、大丈夫かなあ?
 猿の軍団(笑)のメイクを見ると、これがまたなんだか『キングコング』リメイク版みたいでまたまた心配になる……。
 まあ、見てみないことには何とも言えないんだけどさ。
 新作情報はといえば、海外では『三バカ大将』だの、こちらでは『化粧師』や『悪名』など、またまたリメイクばかりだ。『化粧師』なんか時代を大正に移すだと? なら石ノ森さんの原作使う意味ないじゃないか。
 こういうバカ企画からでも、たまにとんでもない傑作が生まれることもあるから油断はできないんだが、それにしてもなんだか期待薄なものばかりで、気が滅入るのである。
 「日本映画紹介」の欄で、なぜか今ごろ『サイナラ』『ちんちろまい』『独立少年合唱団』を紹介している。どれももう半年前の映画じゃないか。
 さては記載するの忘れてたな、『キネ旬』。映画雑誌の老舗を謳ってるワリに、こういう情報漏れが多いのである。ほかにめぼしいのがないから買ってるだけなんで、もっときちんとした情報雑誌があればとっくにそっちに移ってるんだがなあ。文化映画や単館系まで、一応フォローしてるのはここだけだから仕方なく買ってる客もいるってこと、知っててほしいんだけどな。

 夕方には雨が上がるが、帰りもやっぱりタクシーにせざるを得ない。
 バスを乗り継いでちゃ、帰宅が9時過ぎになっちまうし。疲れて帰って来るが、やっぱりメシの用意はできてない。
 女房が「ピザ、たのもうか?」ともちかけてくるが、そんなしつこいものばかり食べたくはないのだ。
 そうすると、女房、外に出たはいいが、買い物をするでもなくほか弁を買ってくる。しかもさっき「しつこいのはいらない」と言ったばかりなのにキムチ丼なんかを買って来やがる。
 あるものは食わねばならぬので食ったが、どうしてこうカンの外れたことばかりしてくれるかな、女房は。

 風呂にも入らず10時に寝て起きたら、午前2時。ああ、4時間しか眠れないって、どういうわけだ。確実に体のリズムが狂ってきてるんだなあ。

 マンガ『相原コージのなにがオモロイの?』読む。
 相原コージという人、決して頭のいい人ではない。マンガ家にも天才型と努力型がいるとすれば、明らかに相原さんは「努力型」なので、言っちゃなんだが、その「努力」の過程が見える分、ギャグマンガ家としては弱いのである。
 相原マンガを毛嫌いする人は多いが(ウチの女房もそうだ)、その批判のし方はたいていが「絵が汚い」「アイデアが陳腐」「説教臭い」というものである。
 特にその「説教臭い」ところが反発を食らってるのだろうと思う。何しろ大上段に「ギャグマンガとはなにか?」と問い掛けてくるものだから、「えらそうにすんじゃねえ」と言いたくなる気持ちが読者の側に起こることも確かに当たり前ではあるのだ。
 相原さんもそのあたりの読者の批判を常々肌身に感じていたのだろう、今回はそれを逆手にとって、客イジリならぬ客イジラセ、というとんでもない手段に出た。
 インターネットに自分のマンガを載せ、読者の批判を仰いでギャグマンガを改訂していく。その過程そのものを発表していくという、言わば「メタマンガ」を目指したのだ。……『朝のガスパール』とか『笑い宇宙の旅芸人』のパクリとか言うなよ、小説とマンガとでは手法は似てても完成作はおのずと違うものになってるものだ。
 匿名性の高いネットにおいては、批判を越えて、罵詈雑言が相原さんを襲うことは予測していたはずだ。相原さんは、その予測に従って、あえて「切れて」いく(予測してたからと言って、冷静でいちゃマンガにならんものな)。
 でもそういった「メタマンガ」の試み自体が「陳腐なアイデア」とする読者もいて、「やっぱり相原コージはつまんない」と断じてしまったりするのだ。女房などは多分それで相原コージが嫌いなのである。
 でもねえ。私はそれほど相原さんを嫌いになれないのよ。
 なんたって自分のマンガを「つまんない」と貶した高千穂遙の本を、本屋に行って全部、後ろむきに入れ直したという人だ。バカな子ほどかわいいというが、「努力の過程が見える」というのも、それはそれで楽しめるでないの。
 実は日本では、ギャグマンガは未だに差別されているのだ。はっきり言って相原さんがここまで罵倒されているのは、相原さん個人だけでなく、ギャグマンガが、ひいては全てのマンガ家自体が低く見られていることの表れにほかならない。
 確かに相原さんのマンガはつまらないが、相原さん個人を罵倒するようなやつにマンガを愛する資格はない。日本が未だ読者の知的レベルにおいてマンガ後進国であることを証明した点で、本書は今世紀初の傑作マンガとなったと言えるのである。

 マンガ、椎名高志『MISTER ジパング』4巻。
 表紙は濃姫だけど、あまり出て来ない。信長の父、信秀の死と、その後の織田一族内の新たな権力闘争、平手政秀の死が今巻のメイン。……男のドラマだなあ。でも、椎名さんに求められてるものはそれと違うものだろうから、『GS美神』以来のファンは戸惑ってるかもしれないけど。
 私はベタなギャグが減った分、以前よりずいぶん読みやすくなってるんだが。作家はやはり以前と同工異曲のものは書きたがらぬものだから、この変化もあたたかく見守っていけばいいと思うんだがなあ。

 マンガ、高橋留美子『うる星やつら・所持品検査だ!』。
 声優の日高のり子さんのインタビューで、京田尚子さん(『犬夜叉』の楓役だな)のエピソードが面白い。
 お年を召した方であるから、『犬夜叉』の情念の世界を捉えるにしても、実にリアルな具体例を挙げられているそうなのである。
 「昔の話でね、お妾さんと本妻が仲良くしてるんだけど、夜になると髪の毛同士が絡み合って戦ってたってね」
 ……『犬夜叉』って、そんな話だったのか(^^)。桔梗が本妻でかごめが妾か? ……かごめが聞いたら怒りそうだなあ。

 ああ、今日も『陰陽師』見逃した。
 でもまあアレはたまに偶然見る程度でいいや。



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藤原敬之(ふじわら・けいし)