無責任賛歌
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| 2001年04月08日(日) |
デイ・アフター/『漫画 巷説百物語』(京極夏彦・森野達弥)ほか |
朝になって台所を覗くと、なかなか楽しい情況になっている。 フライパンには卵がべたーっとこびりついているし、電子ジャーの周囲には米が散乱している。 さては女房のやつ、オニギリ作るのに櫃から直接コメを取ろうとしたな。いったんボールかなにかに移すという頭がないのか。要領は前にちゃんと教えているのに。 でも、悪戦苦闘しながら作ってくれたのだから、文句を言ったらバチが当たるかな。実際、私は充分満足してるのだが、女房は昨日はずっと「コンピニ弁当買った方がよかったかなあ」と拗ねていたのだ。 ちょっとぐらい大味でも、女房が作ってくれた料理のほうが美味いのに決まってるんだけどな。 ……大味で思い出したが、女房がバレンタインに送りまくったあの巨大なブロックチョコ、もうみなさん食されたのであろうか。
先週は新番組を見逃しまくったので、今日は気合いを入れて朝からテレビに齧りつく。幸い『アギト』も『どれみ』も筋がわからなくなるということは無かった。 『デジモンテイマーズ』第2話、ギルモンの声が野沢雅子。 ……息が長いなんてもんじゃないな、声優生活四十年を数えてなお主役が張れるってのは化け物である。もはや声優界の人間国宝と言ってもいいかもしれない。新人声優が雨後のタケノコのごとくワラワラ現れては消えする現状では、懐かしい声が聞けるだけでホッとするのも事実だが、その分、物語の中で「浮いて」しまっているのもまた事実で、それがちょっと悲しい。 作画は二話目でまだ安定している。主役の男の子が気弱なタイプで、およそ元気がないが、この子の心の成長が大きな縦軸になっていくのだろう。結構リアル路線を走っていきそうな気配だが、変に『エヴァ』モドキにならなければ面白くなるのじゃないかな。 『コメットさん』第2話、絵柄が今風になってたので、全然期待してなかったのだが、これが意外にいい出来。地球に流れてきた王子様を探すって、なんだか『ちゅうかなぱいぱい』みたいな設定だが、脚本は別に浦沢さんではない。 いや、何が驚いたって、これが旧作のリメイクではなくて、ストレートな続編だったってことだ。だって、先代コメットさんの娘って設定なのだもの。……もちろんこの「先代」とは九重佑三子のことである。声聞いたとき、思わず耳を疑ったが、ホントにホント、女王様の声が九重佑三子本人だったのにはぶっ飛んだ。ああ、ほっぺたにペケマークをつけられてたあのボーイッシュな女の子が今や……。マジでこれは感無量である。なんでも「二代目」大場久美子も出演予定とかで、歴代三人のコメットさんが勢ぞろいするわけである。ちゃんと大人のお客様も取り込もうという戦略はアザトイが、こういうの、嫌いではない。前田亜季も熱演で、危惧していたほど悪い出来でもない。こうなればぜひともあの「ペケマーク」の設定は残してほしいものであるが、無理だろうか。 コメットさんのライバルが「メテオ」ってのはハマリ過ぎ(^o^)。もちろんたかビーなお嬢さまでフェイト教授以来の自爆タイプである。どっちかっつ〜と私はこっちのこの子が見たくて次回も見てしまいそうだ。
今日は百道まで文化映画を見に行こうかと思っていたのだが、先週からの疲れがどっと溜まっていたのだろう、睡魔が短い周期で襲ってきて、どうにも体が動かない。日記も書けずに昼過ぎまで寝こむ。 練習に行った女房に、帰りに栄養のつくものでも買って来てもらおうかと思って、携帯に留守録を入れておくが、結局女房は気付かなかったようである。 帰宅した女房は何も買ってきていないどころか、いきなりハカセを連れてきやがった。部屋の中はゴミの山だというのに。 座れる場所がパソコンの前の椅子しかないので、そこに座ってもらって、劇団のホームページなど覗いてもらう。桜雅嬢のモザイク写真などを見てウケていたようだが、私は睡魔に勝てず、そのまま寝入ってしまった。ハカセは果たしてウチで楽しめたのだろうか。もし楽しかったのなら、また一人、悪の道にハマりこむ人間が増えたのかもしれない。
『ニュータイプ』『アニメージュ』5月号、福岡でやらないテレビアニメの情報に歯噛みしつつ読む。 『犬夜叉』映画化決定の情報に驚く。『うる星』『らんま』と映画になっているわけだから不思議ではないのかもしれないが、そのスケールと映画化ペースは確実に落ちてきている。それなのに併映なしの単独公開とはなんと思いきったことを。どうせインサイドストーリーにしかならないと判っていても、見に行っちゃうんだろうなあ。 『キューティハニー』3DCG化なんてニュースはどうでもいいとして(^o^)、問題は次の『ゴジラ』である。 ああ、やるんじゃないか、やめてほしいなあと、思っていたネタ、やっぱり金子のアホンダラはやりやがったぞ。 キングギドラはやっぱりヤマタノオロチになるのである。 いや、やってもいい。やってもいいが、ちゃんと特撮で見せてくれるのだろうな。『日本誕生』や『ヤマトタケル』のようなフザけた操演や『ヘラクレス』の“コピー”ヒドラの悪夢が……(T_T)。 更にモスラは鵺に、バラゴンは狛犬になったそうである。これでは玄武(ガメラ)と朱雀(ギャオス)の焼きなおしではないか。 ……キングシーサーが復活しなかっただけマシかもしれないが、この伝で行くなら、バランは野衾になり、ラドンは烏天狗になり、ヘドラは土転びになったと言っても成り立ってしまうぞ。キングコングは孫悟空に、メガロはカブトムシに、メカゴジラはアイボになったのか(だんだん常軌を逸してきた)。 『千と千尋の神隠し』、この間予告編を見て、題名の意味がやっとわかったのだが、宮崎駿が作ろうとしているのは、極めて古典的なファンタジーである。即ち、ルイス・キャロルの『アリス』シリーズ、C.S.ルイスの『ナルニア国物語』を嚆矢とする、「異世界の扉を開いたもの」が、再び現実を獲得するまでの物語。幽閉と脱出のキーワードが、主人公の少女自身の「名前」であるところなど、まるで『陰陽師』だが、東洋と西洋の融合的ファンタジーを作ろうとしているのかもしれない。……これで底の浅い説教さえしなけりゃ宮崎さんもいい人なんだがなあ。 宮崎さん推奨の『江戸東京たてもの園』というのが武蔵小金井にあるそうだ。上京したついでにちょっと行ってみたい気もするが、さて、女房はつきあってくれるだろうか。『千と千尋の神隠し』展も日本橋の高島屋で開かれるそうだが、見るべきものがあるだろうか。
京極夏彦原作・森野達弥漫画、『漫画 巷説百物語』読む。 WOWOWでシリーズ映像化されていた『京極夏彦 怪』の原作の漫画版だが、さて、一読三嘆とはこのことか。 一頁、二頁とめくるたび、比喩ではなく背筋に戦慄が走った。 水木しげるの再来、というより水木しげる本人が描いたとしか思えない妖怪画の世界がそこに展開していたからである。 もともと森野達弥は水木氏のアシスタントであった。どこかで名前を聞いたことがあるなあ、と思っていたのだが、80年代、三度目の『鬼太郎』がアニメ化された時、『コミックボンボン』に連載されていた『最新版ゲゲゲの鬼太郎』、あれを描いて中に『地獄童子』という新キャラを登場させていたのが森野氏であった。……ちょっと待てよ、森野氏は1963年生まれだ。ということは、あの漫画描いてたころって……高校生?! 早熟も早熟、これはちょっとした天才ではないのか。 水木氏は自分の絵にあまり拘らない人で、下手をすると鬼太郎までアシスタントに描かせてしまうことがある。再開された少年マガジン版『鬼太郎』は、一時期ずっと、辰巳ヨシヒロが描いていた。辰巳氏には悪いが、その線に水木氏の味はまるでなく、ダサいとしか言いようがなかったのだが、連載後半、絵が急に、昔の流麗な線に戻ったのだ。 ああ、水木さん、ちゃんと自分で描くようになったのだなあ、と思い込んでいたのだが、どうやら今にして思うと、あれも全部森野氏が描いていたのではなかったか。 もともと、森野氏の絵柄はアニメチックで硬質な絵である。『ジャック・ガイスト』などのイラストを見れば判るが、絵的にはあらいずみるいやこしたてつひろなどのオタク系アニメ絵のほうに近い。当たり前の話だが、水木氏の絵を真似る、ということは「模写」なのである。 好きなマンガ家の絵を模写したことのある人なら判るだろうが、マネったってそう簡単にできるものではない。どうしても自分の線が入りこんでしまうし、相手の絵に近づけようとすればするほど、線は勢いを失っていく。 石ノ森章太郎や藤子・F・不二雄の跡を継いで描かれた『ホテル』や『ドラえもん』を見ればそれは一目瞭然である。 夏目房之介、とり・みき、唐沢なをきのパロディマンガも、水木しげるの模写に関して言えば、それは「よくできました」レベルのものでしかなかった。 水木氏の絵を自家薬籠中の物としている、と褒め称えても、まだコト足りない。実のところ水木氏の絵は紙芝居時代、貸し本時代、週刊誌時代と、刻々に変わり、アメコミの影響を受けたことすらあるのだが、それぞれの時代の特徴を全て捉え、融合させるというとてつもないことまで森野氏はやってのけているのである。 例えば狂言回しとなる、御行の又市、ドラマでは田辺誠一が演じた涼やかな青年だが、森野氏は彼の顔になんと「鬼太郎」を持ってくる。しかも、後年の絵柄ではない、貸し本時代初期の、出っ歯でつぶれた片目を向き出しにした、あの“元祖”鬼太郎の顔である。 ……実は、貸し本時代の水木氏の線は、どちらかと言えば野太く、重たい印象を与える線であった。しかし、その又市=鬼太郎の顔は、最盛期の水木氏の流麗な線で描かれてあるのである。 つまり、又市の顔は、紛れもなく水木氏の絵でありながら、かつて水木氏によって描かれたことのない、オリジナルな絵なのである。こうなると、この絵をただの「模写」と片付けるわけにはいかなくなる。 よく見れば、山猫回しのおぎんも、事触れの治平も、考え物の百介も、全てのキャラクターが、かつて水木氏のマンガに出てきたように見えはするが、実はみな森野氏のオリジナルなのである。だから、このマンガには、水木マンガには必ず顔を出していたあの四角い顔にメガネで出っ歯の桜井昌一氏は登場しないのである。 更に森野氏は、「おりく」という自分の絵柄のキャラクターを、水木氏の線で描く、ということまでやってのけた。 これほどの天才を発揮した作家を、私は寡聞にして他に知らない。 怪奇とユーモアの融合、水木氏独特の間、その技術のすばらしさもさることながら、それをマンガとしての面白さにちゃんとつなげているとは、何という才能であろうか。 こんなに読み応えのある漫画に出会うのも珍しいことなので、今日は一日、布団の中で何度もこの本を読み返していたのであった。 ……実は私は、原作の『巷説百物語』を「文庫になるまで待とう」とまだ読んでいないのである。そこで更にその元ネタとなった、『絵本百物語 桃山人夜話』を紐解いてみると、原作小説が、「白蔵主」と「小豆洗い」の挿話を実に見事に換骨奪胎して小説化していることがわかる。と言うか、作中に登場する「山岡百介」と「桃山人」との共通点に気がつけば、ネタ本と小説との関係についてニヤリとすることができるのだ。 ついでだからドラマでの配役をここに書いておきましょう。 御行の又市(田辺誠一) 山猫廻しのおぎん(遠山景織子) 考物の(山岡)百介(佐野史郎) 事触れの治平(谷 啓) ……これも楽しいドラマでした。さっさとDVDにしてくれ。最終話だけ録り損ねてるのだ。
夜になって、豆腐やサトイモや糸コンニャクでけんちん汁のようなものを作る。結構いい味付けになったなあと思って、女房に残しておいたのだが、女房は豆腐をちょっと食べただけで食べてくれなかった。……やはり肉が入ってないとダメなのかな。
| 2001年04月07日(土) |
初めての花見/DVD『ブルース・ブラザースBBパック』 |
なんだか半端じゃなく仕事がメチャクチャ忙しくなってきたぞ。土曜日だってえのに、午後になっても帰れない。 4時近くになってようやくウチに帰りついた時には女房はフテ寝していた。 何度起こしても起きようとしない。 「待ちくたびれて寝ちゃったよう。なんで中途半端なときに戻ってくるのぉ?」 「どうせ昨日、明日花見だからって興奮して眠れなかったんだろう。さっさと起きろ!」 とたたき起こして、朝のうちに女房が作っておいた弁当を持って近所の公園に出掛ける。 桜は満開をちょっと過ぎた感じだが、さすがにこの近所の桜の名所だけあって、花見客が大挙している。公園の中には野球場があって、そこはその昔あのピンクレディーが『サウスポー』を歌ったということで有名なのだが(そんなん誰も知らんわ)、その周囲の芝生では早々とバーベキューを始めている。 「どこに座ろうか?」 「人のいないとこ」 ……そんなところあるか。弁当の中身を見られるのがイヤだというので、仕方なく、桜の咲いていないところに座る。何のための花見だ(^_^;)。 女房の作った弁当は昨日買ったオカズを、ロッテリアのオマケのピカチュウ弁当箱に全部ぶちこみ、更に入りきれずにお握りをパックに詰めたという壮大なものである。……よっぽどこの花見を楽しみにしてたのだな。 軽く四、五人分はある弁当を二人で平らげる。こうなることを予測していて、朝から何も食べていなかったので、一応腹には入るが、自分でもよくここまで食えたな、と内心思う。 タコのソーセージは作らないと言っておきながらちゃんと作ってあった。照れくさいので気がつかないふりをして食べたが、「あ、食べたね」とちゃんと女房はチェックしてくる。 鳩が飛んできてフンをしそうになったので、食べ終わる早々、その場を離れたが、考えてみれば結婚して以来、女房と花見をしたのは始めてである。満足したかなあと女房に聞いてみると、「理想と違った」と言う。 なんだか二人きりでラブラブなムードに包まれたかったらしいが、花見ってもともとそんなもんではないと思うが。 天神のベスト電器で『ブルースブラザースBBパック』を購入した帰りにも公園に寄って、タコ焼きを買って食べる。8個入り500円は高いと女房は言うが、タコがでかいのでこんなものだろう。いい加減昭和40年代感覚で物価を測るのはやめて欲しいものである。
帰宅すると女房は睡魔に襲われぶっ倒れる。 その間に一人で『ブルース・ブラザース』『ブルース・ブラザース2000』をメイキングも含めて立て続けに見る。 『ブルース・ブラザース』の方はディレクターズカット版、つまりは劇場公開でカットされた部分を復活させた完全版、と謳っているが、劇場公開版のほうが監督自らのカットによるものなので、この表現はおかしい。どうもこの「ディレクターズ・カット」という言葉の意味を知らないで使っている映画関係者も多いみたいだ。 第一作にはジョン・ベルーシが「神の御心は謎だ」と呟くシーンがあるが、このセリフ、劇場公開の時にはカットされていたもの。しかし、続編でダン・エイクロイド、J・エヴァン・ボニファントが同じくこのセリフを口にする。二作をつなぐ重要なセリフなのだ。 ちょっとマジメなことを書かせてもらえれば、『ブルース・ブラザース』はもともとアメリカのミュージカルシーンの中では継子扱いされてきたブラック・ミュージックの復権を目ざしたものだ。メイキングの中でダン・エイクロイドが、「アメリカン・ミュージック」とやや穏当な表現をしているのに対し、監督のジョン・ランディスは無邪気なことにはっきりと「ブラック・ミュージック」と言い切っている。……でなきゃアレサ・フランクリンやジェームズ・ブラウンにスポット当てたりはしないよな。WASPの歪んだキリスト教文化の中で、神の恩寵が受けられるはずのない音楽に「神の光をあてた」という点で、この作品、思いきり挑戦的な作品になっているのだ。 だから1作目に比べて2作目が「ジョン・ベルーシがいないから劣る」という意見は近視眼的だと言わざるを得ない。「1作目のリメイク」という言い方も当たらない。二作は根底においてちゃんとつながっているのだ。 ジョン・モートン演ずるキャブが「なぜ白人の私と犯罪者の白人のあんたが兄弟なんだ!」とエルウッドに怒鳴るシーン、でも黒人のソウルを忘れていたのはキャブのほうなのだ。キャブが自らの魂に目覚めるのは、第一作と同じく、ジェームズ・クリオファス・ブラウン神父の折伏による。J.B.に光を示されて悔い改めない者はいまい(^^)。 たとえてみるなら、手塚治虫に「キミ、マンガ家になりたまえ」と言われたら、そいつは他の誰から才能ねえぞと言われようと、マンガ家になる道を選ぶであろう。それと同じだ。でも手塚治虫だって、かつてのマンガ壇においては邪道扱いされてきていたのだ。 ホンモノのソウルはどこにあるのか、そこを見逃すと、1作目も2作目もなんだか素っ頓狂なふざけた映画にしか見えない。 神が本当にいるなら、聖書の教えが正しいなら、その使徒に犯罪者を選ぶのは当然だろう。キリストがマグダラのマリアを庇ったことをWASPの連中は忘れちゃいないか。 ……念のために言っとくがベルーシもエイクロイドもランディスもWASPではない。 それはさておき、2作目だけなぜか日本語吹替が収録されているが、これが最低に近い出来だった。ダン・エイクロイドはまた玄田哲章。好きな人だけど、エイクロイドはミスキャスト。声質もマシンガントークもまるで真似できていない。 というか、全体的な演出にまるでリズムがないのである。日本の声優はミュージカル映画になると実力のなさを露呈してしまう。 B.B.キングもJ.B.もチョイ役もみんな茶風林に演じさせるってのは何を考えてるのかなあ。日本人にソウルはないのだろうな。
| 2001年04月06日(金) |
プレ花見/『ミスター・クリス』3巻(秋本治) |
今日も朝から鼻血が出るが、もう休むわけにはいかない。 鼻薬を鼻腔に噴霧して、薬も飲んで、無理やり抑える。ああ、頭が重い鼻の奥が重い。なのに仕事は容赦がない。 薬の副作用か、気分だけは高揚しているのが恨めしい。 仕事がくそ忙しくて帰宅が8時。 1日ごとに1時間ずつ帰るのが遅くなってきてるぞ、女房はそろそろお冠だ、ヤバイなあ。 明日、弁当持って花見に行こう、と約束しているので、一緒に買い物に出掛ける。
ウチの近所のスーパーは10時まで開いているので、腹をすかした二人はまず「ガスト」でたらふく食って朝からの空腹を満たすのであった。 ファミレスのメニューなんてどこの店でも似たり寄ったり、かと思うとさにあらず、ここは時々何だかよく分らない料理を出してくるので、結構ご贔屓なのである。しかも、下手をすると人気がないのかいつの間にかなくなってしまうコトも多いし。 以前、みぞれあげもちを食べたとき美味かったので女房に分けてやるが、「べたつく」と言って露骨に眉間にシワを寄せる。……もちはもともともちもちしてるよ。そこまで嫌うというのは昔もちと何か相性の悪いことでもあったのか? すっぽんゼリーという名前だけ聞くと少しも美味そうでないものを頼んでみるが、薄い醤油味のゼリーという感じで本当に美味いんだかまずいんだかよく解らなかった。
本屋に寄って買ってきたマンガ、秋本治『ミスター・クリス』3巻を食事しながら読む。 秋本さんの漫画はともすれば解説的なセリフが入って、ストーリーの流れや盛り上がりを阻害してしまうところがあって、惜しいなあと思ってしまうのである。 ジャンボジェットを洋上の空母に着陸させるというアイデアは面白いが、その実現の可能性を先に解説しちゃうのはいただけない。普通は成功した後で理由を説明するのがセオリーなんだが。 シナリオ作りのあまりうまくない人だなあ、とも思うし、キャラクターも深みがない。肩肘張らずに読めるのがいいところなのかもしれないけど、『こち亀』がもしも終わったら、次作のプレッシャーに一番悩んじゃうのではなかろうか。
スーパーで卵やチーカマやハンバーグ、シューマイなど、明日の弁当のおかずを買いこむ。ソーセージは定番なので、絶対買うのだ、と言ったら、女房がやや軽蔑したようなジト目でこちらを見る。 「やっぱりソーセージはタコにしなきゃな」 「絶対にタコにしてやらない」 ああ、なんて微笑ましい夫婦の会話。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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